「ラブストーリー」

  The Classic

 (2004/02/02)


  

「現実的」って現代の美徳なのか?

 先日テレビを見ていたら、何だかイヤになっちゃったんだよね。あまりこんな事を言っていると、年寄りの繰り言めいててイヤなんだけどさ。

 まぁ、早い話が若い女を集めて、高収入の家持ちの医者に「玉の輿」しようってテレビ番組なわけ。

 それを真っ正面からけしからんなんて言う気はない。そんな事言ったら、定収入でうだつが上がらない自分の痛くない腹まで探られかねないからね(笑)。まぁ、「ひがみ」と言われるのがオチ。

 実際自分が女だとして、それはそれ…高収入で医者なら誰だっていいかと言えば語弊があるが、相手に金があるのは嬉しくないはずがないだろう。オレだって金は欲しい。家も欲しい。地位も名誉もあれば、それに越したことはない。それは確かに本音ではあるだろうからね

 ただそこに登場する女たちが、果たして自分はそれに見合った人間だと思っているのか気になった。いろいろ要求するのは結構だ。だけどちょっとは自分ってものを(「鏡で」…とまでは言わないが<笑>)一度よく見てみたらどうなんだろうね。ちょっとは気後れしてこないか?

 そういえば昔の会社の同僚が飲み会企画して、儀礼として一応職場の女の子たち全員を誘ったりした時のことだ。その中でもよりによって極め付きの不細工女が、事もあろうに「ロハなら行ってあげてもいいわよ!」とヌカしやがるんで唖然としたんだよね。あの時はみんなカンカンだった。何が「ロハ」だ、本当ならテメエなんか金もらってもゴメンだ…って、失礼。ちょっと言い過ぎたかな(笑)。

 いや、実は僕が言いたかったのはもう一つの方だ。確かに本音はそうかもしれないが、それでも人っていつから「金がすべて」「金がありゃいい」って人前で堂々と言って恥じなくなったのか。それもシャレじゃなくてマジで。冗談なら言う事もあるだろうよ。僕だって言うさ。だけど本気も本気ですとばかりに、「金、金」と悪びれもせずに欲得ムキ出し。

 これって本当なら相当エゲつなくて恥ずかしい発言のはずだよね。何だか金歯でもギラギラ光らせた昔の女郎屋のやり手ババアの言い草みたいじゃないか。それを全国ネットのテレビで若い女が堂々とヌカして何とも思ってない。昔の女は奥ゆかしくてそんな事は言わなかった…なんて事を言ってるんじゃない。大体イマドキこんなエゲつなさは女だけの専売特許でもない。みんながみんなこのテイタラクだ。心では金、金…と思っていてもあまりに露骨に出すのは恥ずかしいってのが本来じゃなかったのか。

 だがどうも、イマドキは逆に「金より人柄」なんて事を言う方が恥ずかしいみたいだ。何だかウソくさいって事になるんだろう。あるいはイマドキそれって古くさくてヤボって事で忌み嫌われるのかもしれない。確かに偽善で言う場合もあるわな。口で言うのと本音は別ってのは理解出来るよ。僕だってホントは金って思ってないとは言えないかも。だけど、金、金…と人前で真正面から言って恥じないってのは、ちょっとどうかと思わないか。

 なぜか「金より人柄」って言うのはイマドキ相当カッコ悪い。僕も確かに何となくそう思う。でも考えてみると、本当は「金」と平気で言い切れる方が、かなり人としてカッコ悪いんじゃないだろうか。

 その本来だったらカッコ悪い事の方がモテはやされる背景ってのは、やっぱりイマドキは物事何でも「現実的」に考えねば…って事が根底にあるんだろう。

 イマドキは物事万事この「現実的」が美徳らしい。そういう言い方をしない人間は、夢想家か馬鹿か分かってない幼稚な奴で、「現実的」なことこそ現代人のスタンダードって事になってるようなんだよね。でも、僕には「現実的」な奴が利口だとは、経験から言ってちょっと考えにくいんだよねぇ。そういう事言ってる奴のツラが利口そうに見えたためしもない。

 大体この「現実的」ってのがクセモノで、そもそも余人に本当の意味での「現実的」考え方なんて、そうそう出来はしないと思うよ。実際のところはどれが「現実的」考え方なのかって事は、問題の本質を熟知していろいろ考えている人間でも読みづらいはずだ。「現実的」ってのがちょっと目の前に見えるだけの上っ面しか見てないって事は、この世の中にはザラにあるんだよね。

 それと昨今の政治家の言い草にもあるけれど、「現実的」って言葉の連発こそがウソ臭い。「現実的」ってことが後ろめたい事やセコい事、エゲつなくていかがわしくて恥ずかしい事の、極めて安易でテメエに都合のいい言い訳になってるような気がするんだよね。

 ニュースで政治家たちの答弁聞いてると、この「現実的」の名の下に恥ずかしげもない論法が罷り通ってる。イラクに行った陸上自衛隊の先遣隊が、たった二日ぐらいの調査で現地の治安を調べ尽くした…って「現実的」とは到底思えない夢物語みたいな戯言を言い切ったりする一方で、犠牲を恐れて派兵しないのは「現実的」ではない…などと顔色一つ変えないでまくし立てる。こんな図々しい神経は僕には到底分からない。こいつらにとっての「現実的」って、一体どういう概念なんだ。

 事ほどさように「現実的」って言葉ほど、どこかに「非現実的」でウソくさいニオイがする。で、政治家に限らずみんな自分の後ろ暗さを覆い隠すために、あるいは開き直るために、この「現実的」って言葉を使っている気がするんだよね。何だかそれってちょっと違うんじゃねえか。

 一体本当のところ、どっちがカッコ悪いんだ。「現実的」とやらと、古風でヤボっていうのはさ。

 

現代の女子大生の恋と交錯するその母親の初恋

 女子大生ジヘ(ソン・イェジン)はすでに父親を亡くし、母一人娘一人。その母親は、今海外旅行中だ。そこで家の大掃除をやらかそうとしたのが運の尽き。いろいろなガラクタ漁りにくたびれ果てた彼女がふと見つけたのは、母親が女学生だった頃の日記帳と手紙の束だった。

 そんな彼女は、大学の友人スギョン(イ・サンイン)から演劇部にいる先輩サンミン(チョ・インソン)あてのラブレターの代筆を頼まれる。ラブレターと言っても今日びは電子メールというのがイマドキ風だ。そんな代筆を繰り返すうちに、実はジヘ自身も複雑な気持ちになってきていた。実は彼女もサンミンに憧れを抱き始めたのだ。それでも友だちの代筆を頼まれたからには忍の一字。そのうち発展家のスギョンは演劇部に入り、ますますサンミンへの積極攻勢を強めていく。そんなスギョンとサンミンの姿を見せつけられるにつけ、何とも言えない気分になっていくジヘだったのだ。

 さて放っておいた手紙と日記に興味を抱いたジヘは、少しづつそれらを読み始める。それは今から遡ること30年以上前の初恋の物語

 

 高校生の男の子オ・ジュナ(チョ・スンウ)は同級ののっぽ男ユン・テス(イ・ギウ)から難題を頼まれる。それは親同士が決めた「婚約者」ジュヒへの手紙の代筆。彼女の父親は国会議員とあって、テスの親には願ってもない縁組みだ。テスとしては好きも何も思っていない相手だったが、親同士の取り決めとあらば手紙の一つも書かねばならない。そこでジュナに代筆を頼もうという訳だった。その時見せられた写真に写るジュヒは、お下げ髪の可憐な少女(ソン・イェジン二役)だった。

 その夏、田舎に遊びに行ったジュナは、そこに「国会議員の娘」が遊びに来たことを知る。やがて出会ったその娘は、案の定例のジュヒだった。彼は一目見て彼女に惹かれてしまう。彼女の方でもそう思ったのか、翌日川向こうのお化け屋敷に連れていってくれ…と頼むのだった。

 翌日、約束通りに川にやって来たジュヒ。ジュナは友人たち習ったにわか仕込みで、川舟に彼女を乗せて必死に漕ぎに漕ぐ。ジュヒは文字通り箱入り娘。そんな村はずれのお化け屋敷へ行くなどとんでもない…と、誰にも連れていってと頼めなかったのだ。そこでジュナがお供として彼女の目に留まったというわけだ。

 訪れたお化け屋敷では突然浮浪者が現れて脅かされたりてんやわんやだったが、川岸に戻ってみると舟はいつの間にか流されていた。そこに雨が降ってくる。おまけにジュヒは足をくじいてしまうと散々。それでもジュナが彼女を負ぶって運んでくれた。そのうち二人の心は徐々に近づいていく

 二人は近くの小屋に雨宿りしながら、雨が止むのを待った。少し歩けば別の渡しがある。そこまで行けば川舟があるはずだ。

 やがて暗くなると、あたりを飛び交う蛍の美しさがジュヒの目を楽しませた。そんなジュヒのためにジュナは蛍を一匹捕まえてやった。やがて渡しで舟を見つけ、ジュヒを乗せて向こう岸まで漕ぎ始めるジュナ。そんな彼に、ジュヒは自分のペンダントを渡すのだった

 だが楽しいのもそこまで。箱入り娘の失踪に村は大騒ぎ。岸までたどり着いたとたん、ジュナはジュヒから引き離され、ジジイから頬に一発お見舞いする始末だ。まったくいつの世もくたばり損ないのジジイは使えない。

 そんな楽しかった思い出を胸の内にしまい込み、学校に戻ったジュナはあくまでテスの代筆のカタチで、自分の秘めた思いを手紙に綴るしかなかった

 ところがそんな二人が再会する事になるから世の中は分からない。全校生徒の前でピアノの演奏を披露するジュヒ。それをその他大勢の一人で遠くから見守るジュナ。演奏が終わった後、花束を渡そうとしたジュナだが、そんな彼に気づいていても自分の親やテスの家族に連れて行かれてしまうジュヒ。もう会えないのか…と観念するジュナだが、そんな彼の前に家族から一時離れてジュヒが駆けつけてくれたから嬉しいではないか。ホンの短い時間ではあったが、二人はお互いへの思いをしかと確認した

 その後もテスとジュヒの親同士が設定したフォークダンスの練習会で、ジュナは彼女と出会う。ジュナの相手としてジュヒの友だちの女の子が用意されてはいたが、一緒にいる時間は楽しかった。練習会の帰りには相手の女の子をまいて、ジュヒの元にひた走るジュナ。ここで二人はお互いにひしと抱き合うのだった。

 こうしてテスと親の目を盗んで親しさを増す二人だったが、ジュナへの思いから手紙の返事を出さなくなったジュヒに、テスも徐々に思いを強めていく。こうなるとテスを偽ってつき合っていくのがツラくなる。あまりのツラさにジュナ・テス両方と距離を持とうとするジュヒだが、そんな仕打ちにジュナは我慢出来ない。そしてジュナの一本気な思いに、ジュヒもまた思いを断ち切る事が出来なかった

 こうなればもはや黙ってはいられない。ジュナはテスに、ジュヒとつき合っていることを打ち明ける。複雑な思いのテスだったが、二人の思いを知っては身を退くしかないと悟った。そして親の手前、自分の名前で手紙を出すように計らってもやった

 だが好事魔多し。そんなテスの計らいが親たちに発覚した。テスの父親は怒り心頭で彼を責めまくる。これがテスにはこたえたのか、彼は学校の保健室で首を吊って自殺未遂を起こす。ジュナが発見して何とか最悪の事態は免れたものの、こうなるともう彼はジュヒとのつき合いを続けていくことは出来ない。彼は思い出のペンダントを彼女に返すと、彼女の元を去っていくのだった。時は韓国軍がベトナムに参戦する騒乱の時代のことだった。

 

 一方、女子大生ジヘの思いもなかなか叶わなかった。友人スギョンは何かというと彼女をダシに先輩サンミンに接近を重ねるが、ジヘはその場にいるのがツラくて仕方がない。それでもサンミンはジヘにプレゼントを渡してくれたりして、何かと気を使ってくれた。そんなやりとりのうち、サンミンの気持ちがスギョンにあると確信したジヘは、彼から離れようと決心する。

 そんなジヘの気持ちを知ってか知らずか、雨の日にカサも持たずに雨宿りをしていたジヘの元に、あのサンミンがやって来る。彼は自分の上着をカサ代わりにして、ジヘを図書館へと連れていってくれた。本当はサンミンを思うジヘとしては嬉しいひと時。それでも彼の気持ちが自分にはないと思うジヘにとっては、複雑な思いが残った。

 ところが後日、その雨の日の一件の真相を知るジヘ。あの日サンミンはわざわざ自分のカサを置いて、彼女と一緒にいたいがために雨に濡れてくれたのだった。それを知ったジヘは、サンミンの自分への思いを確信する。サンミンの気持ちが友人スギョンにあると思ったのは、ジヘの思い過ごしだったのだ。

 

 さてジヘの母親ジュヒの物語の続きは…というと…。

 反戦デモの吹き荒れる時代、そんな混乱の中で、ジュヒはあのテスと偶然再会する。どうしてもジュナの消息が知りたいジュヒは、テスに彼の事を尋ねるのだった。

 実はジュナは軍に入隊し、今まさにベトナムへと出征するところだった。駅に駆けつけたジュヒとテスは、兵士たちを乗せた列車の中にジュナの姿を探す。出発間際、何とかジュナと再会出来たジュヒは、彼にあのペンダントを渡す。「きっと生きて帰って」と言い残して…。

 だがジュナを待っていたのは、まさに地獄の戦場だった。

 

半分は成功しているクァク・ジェヨン監督の試みではあるが

 強烈な印象を残したあの猟奇的な彼女クァク・ジェヨン監督の新作。公開前には「クラシック」という英語題名で伝えられていた作品だ。それにしても、付けるに事欠いて「ラブストーリー」ってタイトルはないだろう。またまた邦題にケチをつけるのは本意ではないが、いくら何でもこれはないんじゃないの?

 「猟奇的な彼女」は最初伝えられていたのがインターネット上の若い人の実話小説を映画化したもので、キョーレツなヒロインの面白恋愛コメディという評判だった。ところが実物に接してみると、そういう面はなきにしもあらずだし、途中で時代劇風、SF「マトリックス」風な劇中劇などが挿入されもするが、意外に真っ当でストレートな恋愛映画だったから驚いた。こっちは無防備に接したから、思わず大泣きに泣いてしまって困ったよ。

 そんな好感度抜群だったあの「猟奇的」監督の、またしても恋愛映画…と来れば期待しない訳にいかないよね。僕も首を長くして待ったクチだ。

 現代の女子大生の恋愛と、その母親の女学生時代の恋愛とが交錯する話…というのもいいではないか。この監督にピッタリな気がする。実際にヒロイン女優の写真を見ると、昔の母親の初恋物語にはピッタリな可憐さだ。だがこの女優、現代の女子大生も二役でやるという。それを知った僕は、正直言って一抹の不安を感じたんだよね。

 というのは、「猟奇的」は何と言ってもあのヒロインのイマドキな(少なくとも内面はともかく外面的・第一印象的には)キャラクターが作品の鮮度とインパクトを決定づけていた。そこに意外に真っ当な恋愛映画という器が微妙なマッチングでハマった。ヒロイン女優だって「猟奇」のチョン・ジヒョンは今回の主役ソン・イェジンと比べれば、はるかに現代的な外観をしている。それが、今回「真っ当」一辺倒って来ると、ちょいと苦しいんじゃないかとヤボな心配が出てきたんだよね。そこへ来て現題名の「クラシック」…。今回はいっちょ古風でいったろうかという訳なんだろうか?

 確かに今回、母親の日記というカタチで綴られる過去の恋愛物語は、ピタリとキマッた瑞々しさ、初々しさだ。演じる役者二人も、先に挙げた可憐なソン・イェジンと、男の方はイム・グォンテク版「春香伝」のチョ・スンウと古風な顔ぶれ。昔の初恋物語を描けば、元々「猟奇的」でも正統派の片鱗を覗かせたクァク・ジェヨン監督だけにし損じなしだ。

 そもそも近頃の洗練されてカッチョいい韓国映画には、ずいぶんと泥臭さがなくなってきたと感心させられながらも寂しさも禁じ得なかったこの僕だ。まぁ、これが昔の韓国映画だったら、雨宿りの場面などにドッキリなエロ味まで出ちゃったかもしれないが、そこは清楚に抑えながらも昔の純朴韓国映画の味をちょっぴり思い出させてもくれる。若干イマドキの目から見たらヤボ。でも、それがこのお話には合っている。

 ところが困った事に、これが現代のお話になるとちょっとツラいんだよね。いくら何でも…今でもこんな純情で奥手の女の子だっているんだろうけど、何しろ過去の母親時代のそれとの対象を見せるべきところだろうから、メンタリティーでそう変わりがないのはいかがなものだろうか? 「昔も今も恋心に変わりなし」と言いたい気持ちはよく分かる。それにしたって、どこかもうちょっと新しめな空気は出さないとマズイんじゃないか?

 ヒロインは同じくどこか古風なソン・イェジン、相手の男はあちらではイケメンなんだろうチョ・インソンって顔合わせもどうだろうか? 何度も前作を引き合いに出されたら監督も迷惑だろうが、今の息吹きが感じられた「猟奇的な彼女」の二人と比べると、ちょっとウソっぽくてシラジラしい顔ぶれではないか。だから現代のエピソードはどうしても過去のエピソードと比べると鮮度が落ちる。そして時々寒くなる。いい感じなんだけどな〜と思いつつ、今ひとつの観が拭い去れないのだ。

 もっともクァク・ジェヨン監督、「猟奇的」でインターネット小説の映画化なんてやらかすとはイマドキの若手だろうと思いきや、結構年期の入った人らしいんだよね。いまや韓国映画って若手ばっかという印象があるから頭っからそう思ってたけど、この人って1980年代…およそ一世代前の韓国ニューウェーブの末期に属しているような人らしい。なるほど、そう言われてみれば新しげに見えてどこか真っ当、古風とも言える「猟奇的」って、そういう監督のバックグラウンドがあったればこそだったんだよね。

 だから、そこが「猟奇的」の勝因でもあったのだ。元々はインターネット小説という典型的イマドキのメディア、それもホントのイマドキの若い人の実話がベースの物語。そこに実は出がちょいと古めのクァク・ジェヨン監督を持ってきた…という絶妙なブレンドがモノをいってたのかもしれない。そのどっちか片方でもあの味は出なかった。古い監督の感覚だけではあの鮮度とリアリティとインパクトはなかったろうし、インターネット小説の元の素材からだけでは、あのハートに直接訴えかけるちょっとヤボすれすれのピュアさは得られなかった。やはり「猟奇的」って奇跡的な作品だったのだ。

 そうなると、クァク・ジェヨン監督がこの「ラブストーリー」を次作に選んだのも何となく頷ける。今度はもっと自分の元々のフィールドで勝負したい。だが「猟奇的」で獲得したあの鮮度も何とか持ち込みたい。ならば、古風を全面に出した過去と、鮮度が出せる現代が交錯した恋愛映画でいこう。元々の脚本はもっと前から準備されていたようだが、明らかにここにはクァク・ジェヨン監督が「猟奇的」を通過した痕跡と成果が発揮されてはいるはずだ。

 だが、その方法論は半分は成功していて半分は不発に終わっているように思われる。成功はまず先に述べたように過去の恋愛物語の充実ぶり。これはこの方法論で間違いない。問題はやはり現代編だ。「猟奇的」はまずイマドキの若い人が書いた実感溢れる物語があったが、今回はそうはいかない。だから鮮度やリアリティの部分で後退せざるを得ない。これは致し方ない部分なんだよね。

 そして成功しているとは言え、過去の物語にもこの監督の持つ本来の古風っぽい資質が全開になったせいか、いささかやりすぎの観がある部分も散見されるのだ。男がベトナム出征する場面、列車の窓に向かってヒロインが呼びかけるくだりの執拗な長さにはマイッタと思った人も少なくないんじゃないか?

 そもそもいきなりパッヘルベルのカノンで始まるあたりからして、ヤボすれすれ…というか半分以上向こうに落っこちちゃってるきらいがある。いや、ヤボは承知。だってこれは「クラシック」なんだから…そう言いたいのは分かるんだけどね。

 しかも過去のエピソードの物語も終盤に差し掛かってくると、ちょっと不幸と運命の皮肉のつるべ打ちで閉口してしまう。それも考えようによっては、イヤ〜な趣向だ。テスの首吊りがなければ二人は決定的に引き裂かれなかった、ジュヒがあんなペンダント渡さなければジュナは決定的な障害を受けなかった、ジュナがあんな見え透いたウソを言わなければ二人の仲はあそこまで悲劇的な結末を迎えなかった…どうしようもない設定にはなっているとは言え、前半部分の瑞々しさが素晴らしいだけに、このあたりのあざとさがイヤな感じなんだよね。ここらで僕はうへ〜と音を上げてしまった。何だよこりゃないだろう…。

 

それでも、今あえて古風でヤボを貫く意義とは?

 ただし先にも何度も述べたように、この映画の恋愛の気分には何とも言えない実感が籠もっている。それは過去のエピソードだけでなく、こと恋愛気分という事に限れば現代のエピソードにも充満しているのだ。これはクァク・ジェヨン監督という人の得難い資質なのかもしれない。恋愛が始まる予感、そのトキメキ、ハラハラ、切なさ、至福の気分…これってお約束の典型なだけに、実感込めて描くのって難しいと思うよ。そこらあたりはさすが「猟奇的」の…と言わざるを得ない。

 そして、自分に向いてないイマドキを描いても仕方がない…と見切っての、あえてちょっとヤボな現代恋愛模様だとすれば、クァク・ジェヨン監督の作戦もあながち間違いじゃないとさえ言える。「猟奇的」に見る奇跡的バランスの大成果さえ期待しなければ、これはこれでクァク・ジェヨン監督が自分の土俵に見事引っ張り込んでのそれなりの出来映えと言わなくてはいけないと思う。要は比較するのが「猟奇的」だとキツいということなのだ。

 そして先に僕があざといと評した運命の皮肉の畳みかけも、実はラストのラスト、試合終了間際のうっちゃりみたいなウルトラCで一気に逆転するから見事なものだ。これをやりたいがための、あのあざとさなのか…と思えば、いささか閉口した気持ちも幾分和らぎはする。だから大成功、大傑作とは言わないが、これはこれで僕にとっては愛すべき映画なんだよね。そう、愛すべき映画…これ以外にこの映画を的確に言い表す言葉はない。

 しかも多少スベっている箇所も見られはするが、この監督がそこかしこに散りばめたユーモアも嬉しい。テスを演じたイ・ギウのトボけた味は、「ハリー・ポッター」シリーズのロン・ウィーズリー役ルパート・グリントといい勝負のナイスなサポートぶり。彼はなかなかいいね。ジュヒの友だち役の女の子が、妙な早口言葉を連発するバカバカしい趣向も笑わせる。

 そして終盤にジュナが参戦するベトナム戦争シーンが、「地獄の黙示録」を思わせる(実際に似たようなカットがいくつかあった気がする)ど迫力の戦闘アクションになっているのも驚いた。フィリピン・ロケを本格的に行っての撮影だったというが、このあたりのスケール感はこうした恋愛映画の名手にして珍しい。そういえば「猟奇的」の中の「マトリックス」風や時代劇風の挿話や、遊園地での軍隊動員シーンなどのスケール感も意表を突いていた。こういう映画的見せ場を惜しげもなく盛り込むあたり、クァク・ジェヨン監督のエンターテイナーぶりには共感を覚えるよね。

 さらにはそんな小さい恋愛の話なのに、ちゃんと背景に軍事政権下の事情やらベトナム参戦、頻発する反戦デモ…という韓国現代史のタテ糸が潜ませてあること。日本の恋愛ドラマなどには、どうしてこれがないのだろう。そんな恋愛も個人の事情も、歴史や政治と無関係な訳はないのにね。だから薄っぺらでつまんねえんだよ。そこらあたりの問題意識の持ちようというあたりは、やっぱりさすがの韓国映画と言うべきなんだろうかね。

 それにしても、ここまで落としたり持ち上げたりしてきたこの映画ではあるが、やっぱり基本的にはクァク・ジェヨン監督の言いたいことに賛同せざるを得ない。そして結果的にはこの映画の原題名「クラシック」に託した監督の意図が、正しかったと認めざるを得ないのだ。古風、ヤボと人は言う。だが、元々は人の感情などと言うモノは実はシンプルだし、古風でヤボなものにこそ真実があるのだ。それが証拠に人が心から泣き笑いする時に、そこにいわゆる古風でヤボ以外のモノがあるだろうか。それをイマドキに通用するようにオモテ側を粉飾したり化粧を施したりすることはあっても、全てをそぎ落とした根幹にはやっぱり古風でヤボがなければ人の心は動かせまい。

 それが何より「基本」というものなんだろうからね。

 

 

 

 

 

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