「バレットモンク」

  Bulletproof Monk

 (2004/01/26)


  

リスクを伴う外国スターのハリウッド挑戦

 映画の都ハリウッド…っていうと、ホントに世界の映画人がめざしてくる場所でもあるんだよね。

 そしてハリウッドも世界の人材をどん欲に集めてる。それはスタッフ・キャストを問わず、彼らの出身地も世界各地にまたがるんだよね。

 だが、こういう有能な人材がハリウッドに根付くまで…ってのは、なかなか大変だ。スンナリ行けばいいけど、いろいろやっても結局芽が出ない人もいる。みんなそれぞれ本国では功なり名を遂げた連中ばかりなのに、それでもハリウッドの壁って厚いんだよね。それでもそれを目指す人は後を絶たないし、ハリウッドも新たな血を求め続ける。

 例えばスターだ。

 スウェーデンで頭角を現してハリウッド入りしたイングリッド・バーグマンなどは、さしずめ大成功組だと言えるだろう。今では誰もが彼女をハリウッド女優だと思っている。しかも幾多の名作傑作を残した大女優だ。

 だけど実のところは、こんな例は極めて稀だ。逆にハリウッド進出に失敗した例を挙げれば、枚挙にいとまがない。試しに挙げてみようか?

 例えば同じスウェーデンで挙げれば、イングマル・ベルイマン映画の常連女優リブ・ウルマンがいる。彼女はベルイマン映画に連続出演するうち国際的な声価を得た。中でも熱い視線を送ったのが、ベルイマン映画を高く評価したアメリカ・ハリウッドだ。ちょうど彼女主演のスウェーデン映画「The Emigrants」(1971)と「The New Land」(1972)の二部作がアカデミー賞にノミネートされたことも呼び水になったのかもしれない。まずはその「The Emigrants」「The New Land」のスウェーデン人監督ヤン・トロエルともどもハリウッドに迎えられて、ジーン・ハックマン共演で撮った西部劇「西部に来た花嫁」(1973・未公開)に出演。次に「バタフライはフリー」(1972)で注目された監督主演コンビ=ミルトン・カトセラス監督とエドワード・アルバートに迎えられての恋愛コメディ「エーゲ海の旅情」(1973)、さらには「大空港」(1970)で当たりを取ったプロデューサーのロス・ハンターがつくった、ピーター・フィンチ、ジョージ・ケネディ、マイケル・ヨーク、オリビア・ハッセー主演の大作ミュージカル「失われた地平線」(1973)と連続出演。当時はあのキッシンジャーとも仲良しとのウワサで、すっかりハリウッドに定着するかと思われた。

 問題は、彼女の出演したハリウッド映画がことごとくコケたということ。

 結局彼女はハリウッドには馴染まず、その後アメリカでの映画出演をしていない。ベルイマン映画の名女優、あのウルマンにしてこのテイタラクだ。

 女優でなく男優ではどうだ?

 アラン・ドロンって今では過去の人だけど、かつては日本で外国映画の二枚目と言えばこの人っていう代名詞的な存在だった。でもこの人もハリウッド進出では苦い思い出がある。

 ヴィスコンティ、フェリーニ、アントニオーニ…と欧州の巨匠の作品や決定打的な「太陽がいっぱい」(1960)の成功を引っ提げて、この人がアメリカ映画に登場したのはオムニバス映画「黄色いロールス・ロイス」(1964)が最初のこと。もっとも映画そのものがヨーロッパを舞台にしており、バーグマン、ジャンヌ・モロー、レックス・ハリスン、オマー・シャリフなど非アメリカ俳優も多数参加していたから、これは小手調べ的な映画かもしれない。この人はこの後も、アンソニー・クインやクラウディア・カルディナーレと出た戦争映画「名誉と栄光のためでなく」(1966)、ルネ・クレマン監督でフランス・アメリカ合作映画の「パリは燃えているか」(1966)…と、フランス人である自身に無理のないカタチでハリウッド資本のオールスター作品に出ている。そしてその合間をぬって、犯罪ドラマ「泥棒を消せ」(1965)とかディーン・マーティン共演の西部劇「テキサス」(1966)などの“純正アメリカ=ハリウッド映画”にも主演で出ていた。だけど、やっぱりこれらの主演作が振るわなかったんだろうね。ハリウッドの夢破れたドロンは本国へ帰り、「冒険者たち」(1967)で息を吹き返すわけ。このへんの話はさすがにリアルタイムでは知らないものの、中学くらいから読んでいた「スクリーン」や「ロードショー」で繰り返し読まされていた。作品もテレビで見ていたしね。ドロンのこれに続くハリウッド映画出演が実現するのは、ほぼ10年後の「エアポート'80」(1979)を待たねばならなかった。

 まぁ失敗例を挙げれば厳しい話にしかなるまい。しかも、ここまでは英語圏以外の国からのチャレンジャーばかり挙げていた。では成功例を見たらどうか?

 成功例中の成功例、しかも同じ英語圏オーストラリアからやってきた男、メル・ギブソンを見てみよう。

 彼のハリウッド上陸が取りざたされたのは、おそらくオーストラリアでの出演作「誓い」「マッドマックス2」(ともに1981)がアメリカで評判になったあたりだろう。かくしてアメリカのMGM資本を得て、ハリウッド女優シガニー・ウィーバーを迎えながらもあくまで製作主体はオーストラリアというカタチで、「誓い」のピーター・ウィアー監督とのコンビ作「危険な年」(1982)が製作される。このあたりがメルギブのハリウッド初挑戦と言っていいだろう。

 この後はアメリカに渡っての作品で、ダイアン・キートン共演の「燃えつきるまで」(1984)、アンソニー・ホプキンス共演の「バウンティ/愛と反乱の航海」(1984)と続くが、前者は「わが青春の輝き」のジリアン・アームストロング、後者はロジャー・ドナルドソン…となぜかオーストラリア出身監督と組んでの出演。なかなかオーストラリアとのへその緒が切れなかった。その次に出たマーク・ライデル監督、シシー・スペイセク共演の「ザ・リバー」(1984)が、そういう意味では完全なアメリカ映画の俳優としての出演と言えるのかもしれない。

 だがここまでのメルギブ主演作は、正直言って興行的に成功していなかったはずだ。作品的にも真面目ではあるが地味な印象のモノばかり。現在のメルギブを知る人には信じられないかもしれないが、当時のハリウッドでのメルギブは、あくまでシリアスな感動作「誓い」の主演者としてのイメージが強かったようだ。だから、このままパッとせず消えてしまいそうな印象だったように思う。

 そんな彼が一息入れたのが、古巣のオーストラリアに戻ってのヒット・シリーズ第三弾「マッドマックス・サンダードーム」(1985)。そしてなぜかアメリカでの過去の出演作とガラリとイメチェンした、「リーサル・ウェポン」(1987)で一気にビッグスターにのし上がる。ここで彼は名実共にハリウッド・スターとなったのだ。

 あのメルギブにして、この危なっかしさ。いまや押しも押されもせぬ大スターの彼でも、ひょっとしたらどこかに消えちゃった可能性があった。いや、消えずともオーストラリアのローカルスターであった可能性は極めて高い。かくも外国俳優のハリウッド上陸というものは、困難でリスクを伴うものなのだ。

 ならばこれが英語圏の人間でなく、西欧文化圏の人間でもなかったらどうだ?

 肌の色も違う、東洋から来た大スターだったなら?

 

チベットの経典を巡り現代ニューヨークで大騒動

 時は1943年。切り立った崖の峡谷に架かる年季の入った吊り橋。その上で激しい戦いを繰り広げている二人の男がいた。ひらりひらりと舞うような動きで戦うこの二人。やがて戦いに決着が着くと、二人は今までの激闘がウソのように手を取り合う。敗れた男の方が勝った男にこう告げた。「これでオマエに教えることはなくなった」

 敗れた男ロジャー・ユアンはチベットの宗士。ここチベットの人里離れた山奥の寺院で、秘伝の巻物をひたすら守って来た男。勝った男はその弟子チョウ・ユンファだ。そして今まさにこの師弟の間で、長年引き継がれて来た使命が譲り渡されようとしていたのだ。

 使命とは、その巻物を守り続けていくこと。この秘伝の巻物、地上を天国にも地獄にも変えうるスーパーパワーの源。ひとたびそこに書かれた文言を唱えるや、その人間は万能の力を得る。だが人類にまだその力は時期尚早だ。だから余人の手に渡らぬように、ここ山寺で代々チベット僧が守ってきた。この宗士ロジャー・ユアンも、巻物を60年の間守護してきたのだ。だがいまやその任務はこのチョウ・ユンファに委ねられようとしている。それはユンファが巻物の守護者としての資格=三つの言い伝えを満たしたからだ。その三つの言い伝えとは次の通り。

 一、その者は鶴が空を回る間に敵を倒す。

 二、その者は浄土の愛を求めて戦う。

 三、その者はただ一人の家族と見知らぬ兄弟を救う。

 宗士は弟子チョウ・ユンファの頭に触れて、巻物を守護する者に必要な力を伝授していた。その儀式が終わった時、宗士は60年の歳月のぶん一気に老け込んだ。「これでようやく自由になれる」

 だが、宗士の自由時間は長くは続かなかった。

 この寺院をめざして、ナチス・ドイツ兵士の一団が襲いかかって来たのだ。彼らを率いるのは冷血な将校カレル・ローデン。もちろんその目的はあの巻物だ。巻物さえあれば、ナチスが世界を席巻出来る。

 ナチスは僧侶たちを血祭りに上げ、巻物が収められた寺院に殺到する。そして一気に年老いた宗士をも亡き者にした。だがそこに立ちふさがったのが、巻物の守護者となったチョウ・ユンファだ。

 チョウ・ユンファは一撃でナチスたちを撃退。だがカレル・ローデンは一人執拗にチョウ・ユンファを追い詰める。さしものユンファも銃には敵わないのか、徐々に崖っぷちに追い詰められていく。そんな彼をローデンの放った弾丸が襲った。

 胸に一撃。

 だが、なぜか衝撃を受けながらも、弾丸はユンファの肉体を傷つけなかった。それを確かめたユンファは、巻物をフトコロにしまい込んだまま、遙かな断崖の下へと飛び降りていった。

 遙かな峡谷にローデンの怒り狂った叫び声がこだまする。

 「このクソ坊主めがぁぁぁぁ〜〜〜〜!」

 それから60年の時が流れて、ここは2003年のニューヨーク。地下鉄駅の中でケチなスリ稼業に精を出す若者がいた。その名をショーン・ウィリアム・スコット。ところがスリ行為を見破られて警官に追われるハメになってしまう。一方同じ頃、このニューヨークの街にあのチベット僧チョウ・ユンファが、60年前と同じ若々しさで歩いていた。ところがナゾのスーツの一団が彼を追いかける。追っ手に気付いたユンファは、素早く地下鉄駅に逃げ込んだ。

 それぞれの追っ手を従えて、地下鉄駅の人混みの中を突っ走るウィリアム・スコットとユンファ。この二人がたまたま地下鉄ホームでハチ合わせしたからたまらない。追っ手ともども正面衝突してブッ倒れ、たまたまその場にいた少女がホームから線路に落ちてしまう

 大変だ!

 すると慌てず騒がずユンファはホームから線路に降り立った。それを見て、いても立ってもいられずウィリアム・スコットも線路に下りたから、この青年もなかなか勇気がある。だが少女の足は線路の間に挟まってなかなか取れない。そんなところへ電車が突っ込んで来るではないか。

 南無三!

 ホームから見守っていたみんなが思わず目を閉じた次の瞬間。少女は足を線路からはずして、無事にその場を逃れていた。そしてユンファとウィリアム・スコットはその場から消えていた。

 果たしてどうやったかは知らないが、ユンファとウィリアム・スコットは瞬間的に移動を果たしたようだ。こうして二人は奇妙な縁から出会う事になったワケだが、この時にはウィリアム・スコットはユンファに深入りする気持ちなど毛頭なかったから、サッサと別れてその場から立ち去った。それどころか行きがけの駄賃とでも言わんばかりに、ユンファから奇妙なシロモノをスリ取っていたのだ。それが大変な価値のある巻物とも知らずに…。

 ところがウィリアム・スコットは、地下道である一団に捕まる。それはこの界隈を仕切っている親玉マーカス・ジーン・ピレイの一味。早い話がこいつのテリトリー内で仕事をするならショバ代を払え。払わないならブチのめす…という話だ。だがウィリアム・スコットは何ら賞賛などなさそうなのに、このジーン・ピレイの言うことなど聞く気がない。チャンチャラおかしいとばかりに一笑に付す。それどころか、ジーン・ピレイの横に情婦のごとく立っている女ジェイミー・キングに色目を使うアリサマ。これにはさすがにジーン・ピレイもキレた。この男に手厚い歓迎をしてやらねばならぬ。

 かくしてウィリアム・スコットをいたぶるべく手下がかかっていくが、これが意外に手強い。どこで覚えたかカンフー・ポーズもそれなりにキマっているではないか。そんな最中、あのチベット僧チョウ・ユンファもその場にやってくる。実は奪われた巻物のためにやってきた彼。このてんやわんやで巻物はその場に投げ出され、ユンファは難なくそれを取り戻す事が出来た。だが、このウィリアム・スコットの意外な健闘ぶりに目を見張り、しばらくの間その様子を見ていることにする。

 そんなウィリアム・スコットに目を見張ったのはユンファだけでないようだ。親玉ジーン・ピレイの情婦だとばかり思っていたキングも、なぜかウィリアム・スコットから目が離せなくなったらしい。孤軍奮闘で戦うウィリアム・スコットに、密かに鉄棒を渡したりして加勢するではないか。

 頭上にはクレーンが動く殺風景な地下倉庫。そこでのウィリアム・スコットの鮮やかな戦いぶりを見て、チョウ・ユンファの脳裏に「あの言い伝え」が蘇ってくる。

 一、その者は鶴が空を回る間に敵を倒す。

 「鶴」=「クレーン」…まさか! そう思いながらも、ウィリアム・スコットになぜか心が動くユンファ。やがて戦いはキングの機転でお流れになった。ジーン・ピレイたちの一団はウィリアム・スコットを置いて去っていく。するとユンファは物陰から姿を現し、ウィリアム・スコットの前に現れた。それは奇妙な再会だった。

 「どこであの拳法を覚えた?」

 「ゴールデン・パレスで」

 「ゴールデン・パレス? あの名高い拳法の総本山で?」

 ウィリアム・スコットがチョウ・ユンファに別れを告げて帰って行った先、そこが「ゴールデン・パレス」だ。それはダウンタウンにあるボロっちい香港映画専門映画館。なぜか香港ならぬ日本人の映画館主・Fこと(笑)マコが経営するこの映画館で、ウィリアム・スコットは映写技師兼雑用をやりながら寝泊まりしていたのだ。

 ところがそんなウィリアム・スコットの前に、またしてもチョウ・ユンファが現れる。この神出鬼没ぶりに驚いたウィリアム・スコットだが、チョウ・ユンファは平然たるもの。「旅人には一宿一飯を振る舞うべきだ」とか何とか言って、ウィリアム・スコットのジャンク・フードを勝手に食ってしまう。この図々しさに怒ったウィリアム・スコットはユンファを懲らしめようとつかみかかるが、あちらと思えばまたこちら。意外や意外の敏捷ぶりに、さすがにウィリアム・スコットはユンファを追い出す事を諦める。するとユンファは今度は部屋のベッドに勝手にゴロリと寝てしまうから、ウィリアム・スコットは呆れるしかない。

 その夜、ウィリアム・スコットは映画館の映写機を自分のためだけに回した。観客が誰一人いない客席のど真ん中、ウィリアム・スコットは一人スクリーンを見ながら黙々とそのカンフー・ポーズをまねていく。「ゴールデン・パレスで拳法を覚えた」という彼の言葉には、何らウソはなかったのだ。

 ところで一方あの悪党ジーン・ピレイの情婦と見えたジェイミー・キングだが、実は彼女はこの悪党の気をさんざ惹きながらも身を任さず、夜になると彼らの前から姿を消す神出鬼没な女だった。しかも昼間には何とある人権擁護団体の発足式に現れるではないか。一体このジェイミー・キングの正体とは?

 しかも彼女が現れた人権擁護団体の本部ビルは、何やら胡散臭いムードが漂う場所だった。その理事を勤める女ヴィクトリア・スマーフィットには、何やら裏の顔がありそうだ。あのジェイミー・キングもそれを察知して、いろいろ嗅ぎ回っているようにも見える。そして、そんなキングの勘は的中していた。

 人権擁護団体は仮の姿。その理事の女ヴィクトリア・スマーフィットは、密かにある人物と接触していた。それは車椅子に身を委ねる一人の老人だ。そしてその老人はスマーフィットの祖父でもある。しかもそれだけではない。

 それは60年前にチベット僧たちを皆殺しにしたナチ将校…カレル・ローデンの年老いた姿だったのだ!

 

チョウ・ユンファ、ハリウッドへの道

 まずこの作品、映画ファンに注目される点と言えば、何と言ってもチョウ・ユンファの主演最新作という点だろうね。

 満を持してのハリウッド上陸を果たしたチョウ・ユンファ。その久々の新作と来れば注目されるのもごもっとも。ましてハリウッド入りしてからのユンファ、必ずしも順風満帆とは言えないからね。

 まずアメリカ第一作「リプレイスメント・キラー」(1998)が出るまでが長かった。アメリカへ行った、新作を撮ってる…という話はずいぶん前から聞きながら、なかなか新作が発表されなかったからね。

 それでも東洋発の映画スターがいきなりハリウッドのメジャー映画で主演。それも、どう見たってその人のために企画されたような映画で、共演は今でこそくすんじゃったけど当時はまだ華やかさがあったミラ・ソルヴィーノっていう布陣は、ハリウッドに招かれた外国人スターとしては異例なほど恵まれた状況だと言えるはずだ。いや、そんな生やさしいモノじゃない。チョウ・ユンファは英語圏の俳優ではないし、スター俳優としては皆無の黄色人種の東洋人だ。本来だったらいきなりこの優遇は考えられない。それは、いかにこの香港の大スターにハリウッドが期待を寄せていたかの現れとも言える。

 そして、そこにはある一人の香港映画人の尽力もあったように思われる。

 それは香港時代からの盟友、ジョン・ウー監督だ。

 この「リプレイスメント・キラー」に製作総指揮というクレジットでジョン・ウーの名が挙がっていたことは、多少なりともこの映画人がチョウ・ユンファのハリウッド初主演作品を応援していた事を伺わせる。実際にはおそらくプロデュースに携わったというよりも、名を貸したという状況が近いのかもしれない。それでも一足先にハリウッドへの足がかりをつけ、すでに「ブロークン・アロー」(1996)、「フェイス/オフ」(1997)という一流スターを起用した娯楽大作をモノにしていたウーが、何らかのカタチでユンファの援護射撃を行った事は間違いないだろう。

 この「リプレイスメント・キラー」なる作品、長年アメリカ映画を見てきた僕としては、ハリウッドとしてはポッと出の新人であろうユンファにしては恵まれたデビュー作だと思っている。そして出来映えは、大きな期待を持って望まなければ、まぁB級アクションとしてはこんなものだろう…と言える作品だと感じた。だが香港時代のチョウ・ユンファを知り、かつ彼とジョン・ウーとの鮮烈なコラボレーションを知るファンの人からすればモノ足りない仕上がりだったに違いない。得てしてファンの度合い強ければ強いほど、この作品に対する不満の声が高かったように思われる。まぁ、僕は実はかつての彼の映画をそれほど知らないし、当然思い入れもないからその非難の意味が分からなかった

 だが実際、B級アクションとしては「こんなもの」どまりでしかなかったから、この一作を持ってしてチョウ・ユンファが鮮烈なハリウッド・デビューを果たしたと言えるほどのインパクトは持っていなかった。これからこの人どうなっちゃうんだろうな…と、若干の危なっかしさは感じずにいられなかったんだね。

 ところが確かにチョウ・ユンファって、先に述べたようにハリウッドでの迎えられ方はかなり優遇されていたと思うんだよね。なぜならすぐにまたしても主演作「NYPD15分署」(1999)が用意されたから。共演も当時伸び盛りのマーク・ウォールバーグという「分かってる」キャスティング。これも結構悪くないとは思ったけれど、ユンファの人気爆発となるような映画ではなかった。だが、これでチョウ・ユンファの命運が尽きなかったから二度ビックリだ。さらにこれまでを上回るような大舞台がチョウ・ユンファに回って来たから僕は驚いたんだよね。

 それが「王様と私」リメイクでジョディ・フォスター共演の「アンナと王様」(1999)だ。

 これはどう見たって大作の扱い。で、映画もチョウ・ユンファ自身も僕は決して悪くはなかったと思う。だけどこの作品も興行的には不発だったらしい。それに実際のところ、やっぱりこの作品もチョウ・ユンファが確固たる地位を確立するようなものではなかった。

 三度目の正直…それも結局は不発。これは正直言ってチョウ・ユンファもキツかっただろう。しかも、それでなくてもハリウッドではチャンスが少ない東洋人だ。僕はもうちょっとハリウッド進出は無理かと思っちゃったんだよね。

 ところがチョウ・ユンファ、ここで思ってもみない作戦に出た。言ってみれば起死回生の一作。それが「グリーン・デスティニー」(2000)だ。

 ハリウッドでアメリカの話を英語を使って演じていたユンファ。それが中国の物語を中国の言葉で、中国語圏の役者やスタッフたちと作り上げていく…。しかも映画の中心に据えられているのは、いかにも中国語圏映画の得意とするワイヤーアクションだ。これはさすがにチョウ・ユンファ、ハリウッドでの度重なる不発にアメリカ進出を諦め、一歩後退しての足場固めだなと思われても仕方なかっただろうね。実際に僕もそう思っていたよ。

 ところがこれがよくよく考えてみると、そう単純な位置づけの作品ではなかったんだよね。

 まずは監督のアン・リーからしてそうだ。確かにこの人、台湾出身の監督ではあるが、最初からアメリカをどこか足場にしての映画づくり。ついにはイギリスへ行って中国まったく関係なしのジェーン・オースティンの小説の映画化「いつか晴れた日に」(1995)を撮り、次いでアメリカで家庭劇「アイス・ストーム」(1997)を撮ってしまった。その二本とも、映画を見ただけではこれが中国語圏の監督の撮ったものとは分からない。そんな「無国籍」とも言うべき監督の、「ルーツ探し」のような作品が「グリーン・デスティニー」なのだ。

 しかもこの「グリーン・デスティニー」、実は共演のミシェル・ヨー、アクション監督のユエン・ウーピンなど、いずれも一度ハリウッドを通過した中国語圏映画人が集結したような作品なのだ。その理由についての僕の考えはグリーン・デスティニー感想文をご参照願いたいが、そういう意味では単純にこれをチョウ・ユンファが一歩退いた作品とみなすのは正確ではない。さらにはこの「グリーン・デスティニー」、コロンビア映画がアジアに向けて新たな映画を発信しつつ、アジア発の映画を世界に発信するべく設立した新会社が製作した作品でもあった。つまり映画の矛先はまっすぐハリウッドに向いていたのだ。

 その思惑はピタリと図に当たって、この映画は全世界で大ヒット。特にハリウッドでも大評判となった事は、アカデミー賞の外国語映画賞を含め4部門を獲得した事でも明白だ。「グリーン・デスティニー」でハリウッド進出の夢を一歩後退させたかに見えたチョウ・ユンファは、何とこの作品を持ってハリウッドへ一歩駒を進めるカタチになったから世の中は分からないものだ。

 かくして今再びハリウッドへの再挑戦を果たすチョウ・ユンファ。その新作がいよいよ待たれていたのも、こうした複雑な経緯があってのことだと思うんだよね。

 

アメリカ映画におけるチョウ・ユンファの活かし方

 で、この映画だけど…この映画に従来からのチョウ・ユンファ・ファンが大喜びするかと言えば、たぶん僕は否だろうと思うんだよね。

 「リプレイスメント・キラー」以下のチョウ・ユンファのために席を温めておいたような映画でも、香港時代の彼に熱狂したファン(特に日本の香港映画ファン)はブーイングの嵐だった。香港映画ファンというのは、おそらく思い入れの強さでは邦画ファン以上かもしれないからね。うがった見方をすれば、どんな映画を撮ったところで香港あるいは中国語圏以外で映画に出たら、それだけでもう気に入らないかもしれない。そう考えると、おそらくはこの「バレットモンク」もダメだと思うんだよね。あんなのチョウ・ユンファじゃないとさえ言うかもしれない。

 チベット僧でスーパーマン的で…というキャラからして、香港時代・ハリウッド時代を通して彼のキャラにはあまり見られないものじゃないのか? おまけに僕は詳しくないのだけれど、元々チョウ・ユンファはカンフーやら剣劇やらという「いわゆる香港映画お約束のアクション」にはあまり強くなかったとも聞く。だから、そういう意味でも違和感が大きいかもしれないんだよ。そしてユンファが行く先々でつぶやく、悟ったような東洋思想みたいなセリフもイヤがるかもしれない。

 ましてこの「バレットモンク」、昨年の東京国際ファンタスティック映画祭で鳴り物入りで上映された時のキャッチフレーズが「チョウ・ユンファ、二丁拳銃極め付き」と来る。だが、実際の彼の二丁拳銃シーンって本編のほんの数秒に過ぎない(笑)。ま、ほとんど詐欺みたいな話なわけだ。

 しかも映画そのものはバカバカしい設定のB級丸出し映画。あのチョウ・ユンファだったら、もっと格が高い映画でハリウッドに凱旋して欲しいとファンなら思うかもしれない。それが、何が悲しくて「弾丸坊主」…(笑)。

 だけどねぇ、僕は大きな声では言えないが…意外とこの映画を楽しく見たんだよね。

 早い話がこの映画、「インディ・ジョーンズ」風の冒険アクションで、それを現代に持って来てど真ん中に東洋人を置いたって感じ。原作は向こうのマンガらしいんだが、ハッキリ言ってこの映画自体マンガだ。そこにCGとワイヤーアクションで味付けした感じ。ポール・ハンターって監督はCFやミュージック・ビデオを撮っていた人らしいけど、言ってみればノリの良さが身上。それ以上では決してない映画だ。

 で、何が気に入ったかと言えば、この映画がアメリカ映画らしい陽気さとユーモアを持っているところだ。

 まずは主人公のチベット僧のセリフ一つひとつがトボけている。そして彼の相棒になるアメリカ青年とのやりとりが、何となく微笑ましい。こうした相棒モノ映画とくればアメリカ映画の独壇場だ。しかも、結局のところチベット秘伝の巻物の後継者がスリの青年とロシアン・マフィアの娘である…というおふざけも楽しいではないか。一見世間的には疎まれそうなハンパな連中が実は善なる者である…という設定には、大げさな話をすればフランク・キャプラあたり以来のアメリカ映画本来の健全さが活きている。意外にゲテモノに見えてオーソドックスなアメリカ映画になってるところが、ちょっと僕としては気に入ったんだよね。

 実際、今までのハリウッドでのチョウ・ユンファ映画って、このユーモアや楽しさが欠けていたように思えるんだよね。今回の役柄は…それはファンにとってはチベット僧などとふざけたものかもしれないが…この人の持っている懐の広さとかユーモアが活かされているように思える。これまでのチョウ・ユンファ主演のアメリカ映画って、彼のかつての香港時代のアクション映画に迎合しようと、無理していたような感じもあったように思うからね。

 だけど今回は、内容こそ東洋云々が出てきてワイヤーアクションは出てくるけど、映画の中身そのものはハリウッド王道の直球勝負だ。まぁ、平凡って言えば平凡なんだけどね。そこに無理なくチョウ・ユンファがハメこまれているように見えるから、そう悪くはないんじゃないかなと思うんだよね。

 それに、デタラメでB級な映画…とさんざ言ってはみたけれど、腐っても一応は水準のハリウッド映画だ。僕が香港時代のチョウ・ユンファを語るのはちょっと荷が重いものの、そもそもこの人かつては結構いいかげんな作品に一山いくら的に出ていたんじゃないか? レンタル・ビデオ屋に行くと、この人のそんなデタラメとしか言いようのない出演作品が、文字通り腐るほどあると思うんだよね。

 まぁそんな事を言えるのも、僕に香港映画とかチョウ・ユンファに対する、過度の期待や思い入れがないからかもしれない。ついでに知識もないからね。そもそもオマエは香港映画にもチョウ・ユンファにも明るくない素人で、いろいろ語る資格ナシだと言われればそれまでだ。

 でも、ハリウッドにおけるチョウ・ユンファってのは、ちょっと見方を変えて考えてあげる必要もあるんじゃないかと思うんだよ。僕は正直言って、アメリカ映画の中に無理なく馴染みつつ、彼の持ち味を出していく…という方向しかないと思う。逆にそうでないと、彼がアメリカ映画に出る意味もないんじゃないか?

 この映画にはなぜかチョイ役で、ハリウッド映画における東洋人俳優としてはチョウ・ユンファの大先輩にあたる、日本出身の俳優マコが出てくる。まぁハッキリ言ってこのキャスティングは、東洋出身ユンファ主演作だから一応同じ東洋人を出すってな程度のいいかげんさ(笑)でしかないのは明らかだ。だが、ハリウッドにとって…あるいは西欧人にとって、チョウ・ユンファも我々東洋人も所詮はそんなものなのだ。そこを踏まえた上で、ハリウッドなど一顧だにしないで背を向けるのもいいだろう。だがひとたびそれを選択した以上は、この大先輩マコのようにしぶとくしたたかに生き抜いていくしかないのだ。

 思えば、これまでは彼はハリウッドで「お客様扱い」の特別待遇だった。それは彼のアメリカ主演映画を見た時必ず感じた違和感と無縁じゃないだろう。彼は、いつも彼のためにあつらえられた映画に出ていた。それは、ハリウッドの大物スターが「自分のための映画」に出るのとは微妙に違う。いわゆる「お客様扱い」とはそのあたりの事だ。そういう意味ではファンは気に入らなかったかもしれないが、ハリウッドとしては従来にない大事な扱いでユンファを迎えていたんだと思う。普通ハリウッドはあんなにヨソ者に優しくないよ。

 だがそんな「お客様扱い」ってのは、チョウ・ユンファがアメリカ=ハリウッドのスターとしてやっていこうと本気で思うのなら、いつまでも安住していてはいけない場所だった。それなのに出る映画出る映画、香港時代の栄光や残像ばかりがチラつくようで、何だかイマイチ腰が退けてる感じだったんだよね。

 そんな彼のハリウッド作品がことごとく失敗した後で、あくまでオスカー大勝利の「グリーン・デスティニー」の凱旋として、アメリカ市場での実績を伴って改めてハリウッド上陸を図れたというのは、彼にとってもいい事だったんじゃないかと思うよ。ここから先はもう以前とは違うし、違わねばならないはずだ。実際にこの映画も、この映画でのチョウ・ユンファも、これ以前の彼のハリウッド作品とは若干なりとも違いが感じられるよ。

 まぁそんな訳で、この映画におけるマコのほとんど無意味な出演に、僕はチョウ・ユンファのハリウッド定着のあり方について、ついつい考えてしまったんだよね。

 もちろん僕はこの映画を好意的には見ているけれど、だからと言って傑作だなんて思っちゃいない。別に過度に肩を持つ気なんてないし、ありふれた映画だと思ってはいる。どこか安っぽいしデタラメなマンガ映画でしかない。この映画でハリウッドでのチョウ・ユンファのポジションが劇的に変わるとも思われない。今年が終わる頃には忘れ去られるだろうし、いずれレンタル・ビデオ屋の棚の中で、他の作品に埋もれてしまうような作品だろう。だけどアメリカ映画での彼のあり方や、それに対する周囲の活かし方ってのは、この作品を見る限りでは微妙ではあるが変わってきたんじゃないかと思うんだよね。そして過大な期待さえ持たなければ、これはこれで気楽に見ていられる映画なんじゃないかと思うよ。だってハリウッドに来てもう数年経っているのに、いまだに香港時代の栄光や残像を延々と持ち出されてもツラかろう。

 チョウ・ユンファその人だって、そろそろ自由にしてあげなきゃいけない気がするんだよねぇ。

 

 

 

 

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