「10ミニッツ・オールダー/人生のメビウス」

  Ten Minutes Older - The Trumpet

「10ミニッツ・オールダー/イデアの森」

  Ten Minutes Older - The Cello

 (2004/01/12)


  

 正月映画で話題のオムニバス映画二本セットが、ミニシアター映画ファンの期待のラインナップでやって来た。これだけ揃うとミニシアター映画嫌いの僕も、ついつい見たくならずにはいられない。元々この手のオムニバスって、正直言ってそうそう面白くはならない。ロンドンの地下鉄での小話を集めた「チューブ・テイルズ」もニューヨーク世界貿易センタービルでのテロを題材にした「セプテンバー11」も、ハッキリ言って面白いとは思わなかった。翻って、過去のオムニバス…もっと参加人数が少なくて一話一話の話が長い「トワイライト・ゾーン」や「ニューヨーク・ストーリー」も、期待したほど面白くはなかった。

 大体、長編と短編は話術も発想も全然違っていて、どちらかと言えば短編の方がつくるのは難しいのだ。僕がダラダラとどんどん感想文を長くしてるのも同じ事で、これが短く引き締まった感想を書けと言われたらかえって難しい。それが出来てたらそっちがラクなのだから、僕だってとっくにそうしている。僕の感想文が長いのは、僕の話術がヘタなだけなのだ。気がついている人はとっくに気づいているんだろうけどね。

 そんな訳でまるっきりこれには期待も何もしていなかった。

 映画は「人生のメビウス」「イデアの森」の二本に分けられてはいるが、それぞれに区別なんてありそうもない。バランスや流れを考えて分けただけだろう。それが証拠に、元々は邦題のような大げさで訳が分からない題名ではなく、つなぎ映像に流れる音楽を演奏する楽器…トランペットとチェロってタイトルしか付いていない。そこからして、大した意味がないのは明らかだ。

 映画に収められた短編はいずれも時について描いたものばかりだが、これもそれほど明確なテーマがあった訳ではあるまい。ただ10分という制約だけを与えられた結果、そこから連想して「時」「人生」という題材におのずからなっただけだろう。このオムニバス映画には、従来からのオムニバスものでは異例な事にまったくテーマの縛りがない。ただ10分という制約があるだけだ。

 だから順番など関係ないだろう。この作品、一応「人生のメビウス」から「イデアの森」という順番は便宜上あるようだが、僕はそれとは逆に見てしまった。それでも何ら支障はないと思うよ。

 

 

 まず本来の順番(…かどうかは知らないが)で「人生のメビウス」から。こちらは7人の監督の作品が収録されている。

 

「結婚は10分で決める」Dogs Have No Hell アキ・カウリスマキ監督

 朝、留置場から出てきた男。彼は昨夜、線路上で眠っていて捕まったらしい。この経験が何かの啓示になったのか、男は駅にやって来て見ず知らずの男に尋ねる。「モスクワ行きの発車時間は?」

 それは3時半だ。あと10分ほどしかない。男は迷わずとある自動車修理工場へ行く。彼はここの共同経営者だった。

 「シベリアに行く。油田を掘る仕事のツテがあるんだ。そして結婚する」

 彼は共同経営者の男にそう言って、自分の持ち株を手放しありったけの金をもらう。次に彼が現れたのはひなびた食堂だ。そこではエレキ・バンドが演奏していた。だが、彼は厨房で働く女に用事があった。

 「一緒にシベリアへ行こう。列車の中で式を挙げてもらう」

 男は女を連れて駅に舞い戻った。だが女は旅立ちをためらう。指輪がないのだ。男は迷わず指輪を速攻で買う。

 こうして二人はモスクワ行きの列車に乗り、新生活に向けて旅立った…。

 まるで過去のない男」の姉妹編のような挿話で、主役カップルも「過去のない男」と同じ、カウリスマキ映画常連のカティ・オウティネンとマルック・ペルトラがそのまま登場。食堂で演奏するエレキ・バンドも「過去のない男」で登場していたバンドだ。物語なんてあってなきがごときものだが、この挿話が何ともいい雰囲気。何がどう面白いという訳でもないのに、あのエレキ・バンドのショボいサウンドに乗って主役カップルが見つめ合う瞬間、お互いの顔にカメラが迫っていくだけで幸福な気分になる。カウリスマキ映画ってストーリーがどうのってだけでは語れないって事を、何より雄弁に物語った一編。そうは言っても、僕はそのテーマからして気に入った。「過去のない男」が「人生たまにはリセットしてみるのもいい」ってメッセージなら、この挿話は「人生の重要な事を決めるには10分もあれば事足りる」という事を力強く訴えていて、その人生への全面的な肯定ぶりがどっちも僕にはすごく共感が持てたよ。ともかく何ともワクワクする快調な滑り出しで、トップバッターのカウリスマキのご機嫌なこの話から始まるから、このオムニバス全編がいい雰囲気に包まれる。ひょっとしたらこの挿話は、二本のオムニバス全体を通しても一、二を争う仕上がりかも。もちろんカウリスマキ映画が好きな人なら絶対オススメだ。

 

「ライフライン」Lifeline ビクトル・エリセ監督

 赤ちゃんがベッドで眠っている。その母親も傍らで昼寝をしている。少年が自分の腕に腕時計のような絵を描いている。大人たちもみな物憂げに昼下がりを過ごしている。田舎のある昼の情景。

 ところが赤ちゃんの腹のあたりから血がにじみ出してくる。だが誰もそれに気づかない…。

 スペインのビクトル・エリセの挿話は、けだるい雰囲気に包まれた一編。正直言って僕は情けない事に、最初のうちは何の事かサッパリ分からずただただ当惑した。やがてナチの侵攻を書いた古新聞の紙面が大写しになるにつれて、赤ちゃんの腹に広がる血のにじみがこの後ヨーロッパ全体に広がっていくであろうナチの災いの象徴になっているらしい事が見て取れる。ラストにはその新聞の日付が1940年6月と分かる仕掛けだ。正直言ってあまり面白いとは言えないが、静かな何も起こらないかのような情景の中に不吉なムードを漂わせる一編。

 

「失われた一万年」Ten Thousand Years Older ヴェルナー・ヘルツォーク監督

 この挿話は既存のニュース映像で始まる。それはアマゾンの奥地に潜んでいたある未開の部族の話。この部族は1980年まで外界とまったく接触がなかった。ところが開発の手がアマゾンの奥地に迫って来たため、ブラジル政府はあえて専門家を派遣して接触を図る。ところがアッと言う間に文明の洗礼を受けた部族は、同時に外界の病原菌にも感染。たちまち多くの人々が死んでしまった。

 それから20年を経て、改めて生き残った部族の戦士たち二人と接触すると、その片方は肺炎に冒されている始末。彼らは昔の栄光の日々について生き生きと語ったが、現実の彼らはもはや滅び行く存在だった…。

 「アギーレ/神の怒り」「フィツカラルド」で南米奥地のジャングルに踏み入ったヘルツォークは、この土地のプリミティブなパワーに関心があるんだろうか。今回はそこで独自の暮らしを送っていた部族が、文明と接触してたちまち破綻していく姿をドキュメンタリーとして残した。ハッキリ言ってテレビのドキュメンタリーのような作品だが、扱っている題材は結構興味深くてそれなりに飽きない。何よりヘルツォークの関心の拠り所が伺えるから面白い。

 

「女優のブレイクタイム」Int. Trailer. Night ジム・ジャームッシュ監督

 深夜の映画撮影途中に10分間の休憩になり、衣装やジュエリーを付けたまま女優が自分の楽屋用トレイラーに帰ってくる。疲れ切ってリラックスしたいところだが、やれヘアメイク係だマイク係だと次から次へとやって来る。携帯には電話もかかってくる。この間に食事でもどうだと助監督が言ってくれるが、それを持ってきたのは休憩も終わる寸前。女優はホッとする間もなく撮影に戻らねばならない…。

 お馴染みのモノクロ映像で撮影されたジャームッシュの挿話だが、見た印象は大分いつもと異なる。あの独特のオフビートな間はここにはない。ホッとしたいのに絶え間なく休憩タイムが中断される…というお話のせいだろうか。女優がかけるCDの曲として全編に流れるバッハのバロック音楽も、ジャームッシュとしては異例な印象を与えているのかもしれない。最後に女優が食事の皿を灰皿代わりにしてタバコを消す一瞬が「いかにも」な皮肉な味を出してはいるが、ジャームッシュ・ファンとしてはちょっと物足りないかもしれないね。

 

「トローナからの12マイル」Twelve Miles to Trona ヴィム・ヴェンダース監督

 ロック・ミュージックをガンガン流しながら、一人の男がクルマを飛ばしている。たどり着いたのは荒野にポツンとある診療所。だが、生憎と今日は休診日だ。それに気づいて男は絶望的な表情になる。次の街までは12マイル。それでも何とか行き着かなくては。

 いかにもアメリカの荒野に伸びるがらんとしたハイウェイを、焦ってクルマを飛ばしに飛ばす。他のクルマはほとんど通りかからない。そのうち男の容態がおかしくなっていく。心臓が早鐘のように打ち始め、汗がにじみ出る。視界がおかしくなり、幻覚まで見えてくる。これで無事に次の街までたどり着けるのだろうか。

 彼は誤って麻薬入りのクッキーを食べてしまった。麻薬なんか入っていると気づかなかったから、全部たいらげてしまった。当然摂取過多に間違いない。このままでは死んでしまう。早く胃を洗浄してもらわなければ。だが、もうこれ以上ハンドルを握っていられない。

 そんなところに、若い女が運転するピックアップ・トラックが通りかかったが…。

 いかにもアメリカらしい荒野のハイウェイ。そこにクルマを飛ばす一人の男。アメリカとロック・ミュージックと「ロード・ムービー」大好きのヴェンダースらしい挿話で、誰も通らないハイウェイを飛ばす男の焦燥感が異様な迫力で描かれている。お話自体もオチもどうってことないけれど、これまたあまりにヴェンダースらしいお話。人っ子一人通りかからないアメリカの荒野のだだっ広さも効果を上げている。最近この人の劇映画はタルい出来映えのものが多いだけに、男がトリップしながら焦り狂う様子の尋常ならざる凄みはなかなかのものだった。

 

「ゴアVSブッシュ」We Wuz Robbed スパイク・リー監督

 希に見る激戦になったゴア対ブッシュの大統領選の戦いを、ゴア陣営のスタッフの側から振り返ったインタビュー・ドキュメンタリー。そこで断片的に次々紹介されるゴア陣営スタッフの人々の証言は、すべて初耳の僕らにとっては衝撃的。僅差でスタートしながら出口調査では有望、だが投票用紙の分かりにくさが災いする。そうした背後でうごめくブッシュの弟。結果も決まらないうちにブッシュ当確を報じてしまうメディア。そんな展開の中で、ゴア陣営はどんどん不利な状況に追い込まれていく…。思いっきり政治的な題材だが、パンチの効いた編集の畳み込みでパワフルに見せられてしまう。さすがにスパイク・リーはドキュメンタリーをつくっても馬力があると感心してしまった。政治的なアジテーション映画って、大概はシンパでない観客を退かせてしまうものだ。それなのに、ここまで惹きつけてしまうのは尋常ではない。やっぱりスパイク・リーって大した映画作家なんだよね。

 それにしても、こんなイカサマ臭いカタチで当選してしまった男が世界をとんでもない方向に持っていこうとしていると思うと、とてもじゃないが平然としていられなくなる。ヒトラーが政権についた時もこんな状況だったのだろうか? おそらくはスパイク・リーが持てる演出力をフルに使って、思いっきり自分の政治的立場と意見に観客を誘導しているのだろうが、そうは分かっていても見る者は沸き上がる疑念を払拭する事が出来ない。そんな輩にシッポを振ってついていく、どこかの首相のアリサマまで考えればなおさらだ。

 

「夢幻百花」100 Flowers Hidden Deep チェン・カイコー監督

 開発が進み、街の様相をどんどん変えていく北京。そこで忙しく働く引っ越し屋が、ある男に引っ越しを頼まれる。言われるままにクルマで行ったその場所は、開発でほっくり返されたサラ地だった。だが男はそこに家があると言い張る。男はおそらく頭がボケてしまったのだ。相手にしないで帰ろうとしたが、クルマで出かけた料金はもらわない訳にいかない。するとちゃんと「引っ越し」をすれば金は払うと言うではないか。かくして引っ越し屋たちは、男の言うがままに目に見えない家財道具を運び出す作業を行うハメになる。

 ようやく「積み込み」を終えてクルマで走り出すと、空き地の穴にタイヤを取られる。ところがその穴から、男の家にかつて下がっていたとおぼしき小さな風鈴が出てくる。男はそれを見つけて狂喜乱舞した。その時、彼をバカにしていた引っ越し屋たちの脳裏にも、辺り一面のサラ地にかつては家々が立ち並んでいた様子が鮮やかに浮かび上がって来たのだ…。

 大作路線を押し進めて、ついにはロンドンでハリウッド資本の「キリング・ミー・ソフトリー」までつくってしまったチェン・カイコー。その彼が行き着くところまで行き着いたあげく、北京ヴァイオリンで中国に戻り、原点回帰の姿勢を見せたことは記憶に新しい。これもその「北京ヴァイオリン」と同様の発想によるものなのは明らかだ。

 近代化の波の中でどんどん古き良きモノまで失われていく北京。そこから取り残されてしまった男。何とも分かりやすい、分かりやすすぎてヤボな印象まで与えてしまう。それなりに笑えて大衆的でちょっと泥臭いあたりも「北京ヴァイオリン」同様だ。それでもこれは、妙に高尚な世界にはしったり豪華絢爛にはしったり西欧指向にはしったり…と、長く迷走を続けたチェン・カイコーの一つの帰結なのだろう。

 最後に昔の北京の街の佇まいが蘇ってくるあたりをCGを使ってモロに画面に出してしまったあたりは、正直言ってアレレレ…と思ってしまったが、これは“チャレンジャー”チェン・カイコーが一度はやってみたかった冒険なのではないか。そこで一気に映画が破綻しているのは否めないが、その思いっきりハズしたコケっぷりまでいかにもチェン・カイコーらしくて、僕はちょっと微笑ましくなってしまった。ちょっと贔屓めに見過ぎているとは思うけどね。

 

 

 で、実際の順番ではこちらを先に見た「イデアの森」はどうか? こちらは8人の監督たちの合作となっている。

 

「水の寓話」Histoire D'Eaux ベルナルド・ベルトルッチ監督

 インドからの難民たちが、ある田舎町にやって来る。その列から一人の老人が離れるのを見て、若者は不思議に思って追いかける。すると老人は大木の根本に腰かけて、「ノドが乾いた、水を汲んできてくれ」と言い出す。若者はそれを受けて、水を求めに川を探しに行く。

 すると一人の女がミニバイクをエンコさせているのに出くわす若者。彼は言葉が通じないながらも彼女のバイクを直してやり、その縁で彼女が経営するしがないカフェまで送ってもらう。若者はドイツに来たつもりだったが、女が教えてくれたこの国は、意外にもイタリアだった…。

 いつしか二人は恋仲になったのか、二人は盛大な結婚式を挙げている。女の腹は二人の愛の結晶で大きくなっていた。式を盛り上げる音楽は西洋のバンドとインド音楽。そのうち女が産気づいて…。

 さらに時が経ち、息子を可愛がる男。彼はもはや青年ではない。だが女の方はやや生活に疲れ、ともすれば誘惑に心も揺らぐ…。

 二人はさらに歳を重ねて、男は買ったばかりの車に乗って大喜び。早速家族たちを乗せて試運転だ。だが次の瞬間、それは川に突っ込んでオシャカ。さすがに男も女も意気消沈だ。呆然とする男は、ついフラフラと近くの森に迷い込む。そこにはあの老人が、あの時と同じ様子で大木の根本に待っていた。「どこまで水を探してたんだ。ずっと待っていたんだよ」

 女を演じるのはヴァレリア・ブルーニ・テデスキ。「おせっかいな天使」「君が、嘘をついた。」などの作品で見た人だが、ここでは久々のお目見え。ベルトルッチ作品も初出演だろう。

 今回のインド移民といい、「ラストエンペラー」以降のベルトルッチは、西欧人である自身から見た異邦人に大いに関心があるらしい。そして「1900年」「ラストエンペラー」にも出てきた、「人生は一瞬の夢」というテーマがここでも繰り返されているのが面白い。実は最近DVDを見たセルジオ・レオーネの「ウエスタン」では、ベルトルッチは脚本に参加していた。そのレオーネが後年「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」でも、この「人生は一瞬の夢」というテーマが打ち出していたのが興味深い。レオーネとベルトルッチはどこか共感するものを持っていたのかもしれない。

 

「時代×4」About Time 2 マイク・フィギス監督

 「リービング・ラスベガス」で名を上げたフィギスだが、最近はデジタル・ビデオでの映画づくりにご執心らしい。ここでも「HOTEL」で行っていたような4分割のスプリット・スクリーンで、それぞれほぼ同時進行のビデオ映像を垂れ流して見せる。これはスプリット・スクリーン効果というより、テレビ局や警備室などのビデオモニターに近い仕掛けだ。そこに出てくるのは狂言回し的な男と戦争ごっこに興じる男の子、そしておピアノを弾いたり怪しげに戯れたりしながら、セックスには及ぶ事が出来ないカップル。そして頭にテレビ受像器(か、ディスプレイ)を乗せた男女がソファに座り、その男女の実際の顔の代わりにテレビ(か、ディスプレイ)に老人夫婦の顔がそれぞれ映っているという構図。

 あまり多くは語らないが、フィギスはいいかげんこの独りよがりなビデオ遊びをやめた方がいいのではないだろうか。自己満足にしか思えない。「HOTEL」はおよそ人様からカネとって見せるシロモノじゃないと思ってるし、正真正銘の2003年ワースト映画だと確信してるけど、この挿話もいい勝負。たった10分でも退屈そのものだった。マスターベーションは家で一人でやってて欲しい。

 

「老優の一瞬」One Moment イジー・メンツェル監督

 先のフィギス作品を見た後だと、同じ映像で遊ぶならこううまくやって欲しいとついつい思いたくなるチェコスロバキア(いまやチェコか、スロバキアか…どっちなんだろう?)のメンツェルの作品。何と新たに撮影した映像は皆無で、最初は森に寝ッ転がっている老人の姿が出てくる。実はそれは既存の劇映画の一場面なのだが、そこに老人を演じている俳優ルドルフ・フルシンスキーの過去の映画作品の断片が次々と挿入されていく。「ザッツ・エンタテイメント」風というか「ニュー・シネマ・パラダイス」エンディング風というか、最初は若くハンサムな若者だったフルシンスキーが、徐々にオトナになり、中年になり、老境に差し掛かる。冒頭に出てきた老年の彼の回想のように見える巧みさで編集されていく。これは見事だ。映画ならではのマジックとでも言おうか。

 僕はメンツェルの作品って「スイート・スイート・ビレッジ」一本しか見ていないし、面白い作品だったとは覚えているが、その記憶もいまやおぼろげだ。そして「スイート・スイート・ビレッジ」にはこのフルシンスキーも出ていたようだが、誰でどんな役だったかも覚えている訳がない。しかも挿入されてくるフルシンスキーの過去の作品たちも、おそらくはほとんど(…というよりまったく)日本公開などされていないだろうから見られる訳がない。だから知らない映画ばかり見せられている事になるわけなのだが、まったく退屈をおぼえなかった。それどころか、若者時代から成熟期、中年から老年、そして晩年へと移っていくそれらの映像群がとても感慨深いものに見えてくる。

 かつてイランのモフセン・マフマルバフの「ワンス・アポン・ア・タイム・シネマ」なる作品を東京国際映画祭で見た時も、同じ感慨におそわれた。あれはイラン映画の「ザッツ・エンタテイメント」や「ニュー・シネマ・パラダイス」…と言うべき作品で、後半は過去のイラン映画の傑作話題作ヒット作がオンパレードという感じで散りばめられていた。当然それらは見ていない。だがそれらの作品群が実に魅力的に見えて、実物を見ることが出来ないのが残念でたまらなかった。たぶん世界中でそんな映画はゴマンとあるだろう。そんな映画ファンの心の琴線に触れるところが、あのマフマルバフ作品にはあった。それってよくオスカー授賞式で、名優や大監督へのオマージュを捧げる時に上映する、回顧ものフィルム・クリップにも似ている。たまらないんだよね。このメンツェルの挿話にも、同じような思いを抱いたよ。

 そんな映画ファン心をくすぐる趣向ももちろんだが、この挿話はそんなオタクな感慨だけにはとどまらない。映画ってのは不思議なモノで、そこに出ている人物は映画とともに永遠に生き続ける。このフルシンスキーなる俳優は1994年に亡くなっているらしいが、その出演作の中では今でも生きているのだ。しかもこうやって編集してみると、一人の人生がつい今しがたのように生々しく蘇る。青年期も老境も、同じ生々しさなのだ。これもまた「人生は一瞬の夢」の映画だ。それが、もはや人生後半戦の僕にはジンとくる。素晴らしい出来映えだと思うよ。

 

「10分後」Ten Minutes After イシュトバーン・サボー監督

 僕はハンガリーのサボー監督の最新作「太陽の雫」を見逃した。ところがこんなに早く最新作がやって来てくれたんで狂喜したね。お話は結婚記念日を祝おうと用意万端整えている中年女性のお話。ところが夫が帰ってくるかと思えば酔いつぶれて大暴れ。オマエなんか飽き飽きだとの暴言も吐き放題。呆気にとられる彼女がそれでも彼を何とかなだめようとしているうちに、手に持っていたケーキ・ナイフで彼を刺してしまう。救急車と警察が間もなくやって来るが、彼女は夫に付き添う事は出来ない。何と彼女は犯罪者になってしまったのだ。たった10分のうちに…。

 人生一瞬先は闇…というお話を、ズバリと一気に見せてしまうあたりはさすが。撮影もほんのわずかカットされてはいるが、ほとんど一気にノンストップ撮影されている。観客が見ている時間とヒロインの経験した時間がほぼ等しく10分なだけに、その一瞬先は闇…の怖さが実感できる。アンタだって人ごとじゃないよ…という怖さが迫ってくる。「メフィスト」「ハヌッセン」と運命に翻弄された人物を描いた、サボーらしい皮肉な作品だ。

 

「ジャン=リュック・ナンシーとの対話」Vers Nancy クレール・ドゥニ監督

 列車の中で若い女と哲学者のジャン=リュック・ナンシーなる中年男が対話をしている。話題は異邦人との接し方…みたいな事。何だか増える外国人入国者とどう接するか…なんて、わが国の「朝まで生テレビ」的テレビ討論会みたいな語り合いが延々展開するが、さすがにこの哲学者はわが国のエセ文化人とはメンコの数が違ってて、お互いの良さを認め合おうなんて平凡な話に終始はしない。同化するのはいいが、独自性も必要ではないか…と話しながらも、その話の矛盾も気づきながら話題は迷宮に迷っていく。それはそれでとても興味深くはあるんだけど、これって映画として見せるべきなんだろうか? これじゃホントにテレビのインタビュー番組と同じみたいだ。同じインタビューやドキュメントという手法をつかっても、ちゃんと映像のダイナミズムがあったヘルツォークやスパイク・リーには残念ながら及ばない。大体分かりやすさの点で全然違う。クレール・ドゥニはかつて「ショコラ」(あのラッセ・ハルストレムのアメリカ映画とは当然別モノ)でフランス女性とアフリカ男性の恋愛を描いていて、こういうテーマに関心があるのは分かる。だけどこりゃあちょっとハズしちゃったんじゃないの? 自分はこんなにマジメにこの事を考えているのだと言いたい一心の、フランス・インテリ女性のめいっぱいの背伸びみたいに見えたのは、ちょっと意地悪な見方なのだろうか? お利口ぶりっこが少々見ていて恥ずかしい一編。なお、ジャン=リュック・ナンシーって本当に哲学者らしいんだけど、僕は無知なので知らない人だった。

 

「啓示されし者」The Enlightenment フォルカー・シュレンドルフ監督

 映画が始まっていきなり「時間とは何か?」なんてナレーションが始まるから、前のクレール・ドゥニ作品に少々辟易していた僕は、正直言ってやれやれと思ってしまった。だけど本筋が始まるとさすがに老練シュレンドルフ。そんな問いかけのヤボを知り尽くした上でのナレーションと分かる。

 ドイツ家族のホームパーティーがどこか田舎の水辺で催されている。そこに長女が参加するのだが、彼女のお腹は大きくなっていた。そして傍らには黒人男性が一人。またしても異人種テーマとは興味深いが、映画はもっと下世話に展開。当然家族の輪に入ってきた異物は浮きまくり、パーティーに微妙な緊張がはしる。なぜかこの長女は他の男にやたら絡まり、それでなくても浮いている黒人男性はいい気分がしない。たしなめられれば長女はさらに反発し、ちょっとワルそうな男どもと踊ったりする。そのうち、まったく思いもしなかったアクシデントが…。

 それらを見つめるのが、どうやら一匹の蚊の視点であるのが面白い。その蚊が辿りつく結末も皮肉だ。人生ってのは思い通りにならないよという寓話として、「ブリキの太鼓」のシュレンドルフらしいユーモラスな味が生きている。その前のドゥニ作品があんまりなだけに、なおさら面白く見れたのは皮肉だね。

 

「星に魅せられて」Addicted to the Stars マイケル・ラドフォード監督

 遠い外宇宙からの旅から帰還した宇宙飛行士は、何と旅の途中10分程度しか老化していなかった。だが、地球では驚くほどの年月が過ぎ去っている。街は見たこともないほどの未来都市となっていたし、道を歩く人々もいない。彼の世話を焼くのは、外見こそ人間と同様だが笑顔が顔に貼り付いたような女性ロボットだ。そんな彼は、あえて足で歩いてある場所を訪れる。それは年老いて死を間近にした自分の息子の住まいだった…。

 過去の作品を見ていないんで、僕はこのラドフォードって監督の事は何も知らない。 でも、この人を有名にした「イル・ポスティーノ」って映画は確かイタリアのお話。何で英語圏のイギリスの人がイタリアの話を撮ったのか…と、実は少々胡散臭く感じてたんだよね。

 ただこの映画でのラドフォードの挿話は、それまでこう言っちゃ何だが小規模のチマッとした話が続いただけに、宇宙空間や未来都市が出てきてホッとしたよ。大した特殊効果は使っちゃいないし、予算もそれを許さなかっただろうが、僕としては嬉しかった。

 そういやラドフォードってSFの古典の映画化「1984」を撮っているんだっけ。この人、意外にSF好きかもしれない。外宇宙の旅がもたらす「浦島太郎」状態の話なんてSFではありふれたテーマだが、このオムニバスの中では異彩を放っていて新鮮に感じた。実際には大して面白い話ではないんだけどね。

 

「時間の闇の中で」Dans Le Noir Du Temps ジャン=リュック・ゴダール監督

 トリを務めるのは例によってオムニバスの鬼(笑)ゴダール。この人って「アリア」とか何だとかってオムニバスが好きなんだよね。で、この挿話は毎度お馴染みゴダール・スタイル。「〜の最後の瞬間」って字幕が何度も挿入される中、シャンソンからクラシックまで音楽がブツ切りでバンバン流れ、映像は「メイド・イン・USA」「リア王」などの自作からナチのユダヤ人狩りの実写映像、そしてなぜかパゾリーニの「奇跡の丘」までが引用される…それらがなぜかビデオに一回トランスファーされてフィルム化されているのが不思議だが、ともかくあれこれとコラージュされている。そこによく分からない哲学的なナレーション…。

 ハッキリ言ってゴダールの長編映画ではこれにウンザリするんだけど、たった10分ならつき合ってやってもいいかという気にさせられるから不思議だ(笑)。それなりに感慨があるような気もする。それが分かっているから、この人ってオムニバス参加に熱心なんだろうか。まさかとは思うが(笑)。

 個人的には「メイド・イン・USA」でのジャン・ピエール・レオの出番が引用されているのが嬉しかったが、それは作品の出来とはまた別だろう。ハッキリ言って凡人にして無知な僕などには評価不能な作品だ。でも、まぁ8本のうちの1本、わずか10分ならこれもアリだと思わせてくれるのは、フィギスやドゥニと違ってさすがゴダールな所以なのだろうか(笑)?

 

 

 こうしてみると、玉石混淆でムラのあるラインナップではあるが、それぞれの作家たちの持ち味出した作品集になっていて割と飽きない。そして全体の中での出来のいい挿話が比較的多い。この手のオムニバスにしては上出来ではないかな。今回、あえて変なテーマで縛らずただ10分間だけ与えたというのが、こうした良質の作品を生み出す原動力になったのかもしれない。僕は結構楽しめたよ。少なくともカウリスマキ映画のあのエレキ・バンドの演奏ならもう一度見たいね。

 

 

 

 

 

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