「キル・ビル/Vol.1」

  Kill Bill Vol.1

  感想文Vol.1

 (2003/11/03)


 

 

この感想文は「キル・ビル/Vol.1」サントラCD収録、サンタ・エスメラルダの「悲しき願い」を聞きながらお読みになることをお勧めします。

 

 

 

病院のベッドの上で、僕の精神が病んでいく

 先日、夜中に胃に激痛を覚えた時には、正直言って本当にまいったね。

 それは夜の0時過ぎに起こった。何だか急に胃が張ってきたような気がしたんだよ。別に食べ過ぎた訳でもない。なのに、なぜ? それでも気のせいと思い込んで、僕はちょっとした作業を続けて来た。だが、胃の張ったような違和感は和らがなかった。それどころかますますひどい事になって、胃が猛烈に痛み出したのだ

 結局うんうん唸ったあげく、僕は夜中の午前2時にタクシーを飛ばして救急病院に駆け込む目にあった。痛みを今すぐ止めて欲しいのに、当直の医者はなかなか来てくれない。そのうちトイレに駆け込む始末。汚い話だが上から下から腹の中のものを出す事になってしまうが、それでも胃の張りと痛みはなくならない。やっと診察の順番が回って来たが、あれこれ看てもらってもレントゲンを撮っても、痛みの原因は分からない。点滴を受けて、僕がようやく痛みから解放されたのは、午前4時もまわった頃だった。

 原因は分からず、実は一年前にも同様の症状に襲われた時には自然に治ってしまった事もあり、仕事の関係で時間がなかなかとれない事もあって、いつかちゃんと診察を…と思いながら通院する事なく日々を過ごしていると…。

 ほぼ2週間後、まるでビデオテープを再生するかのように、まったく同じ症状が同じ時刻に僕を襲うではないか!

 これではたまらない。僕は早速休みを取って、朝も早くから病院へと向かった。血圧を測り、血と尿を採って、超音波発信器で診察を受け、ついには内視鏡を口から突っ込んで胃の中を覗いてもらうハメになる。そんな作業の果てに、僕は気持ちの上でスッカリ病気になっていた。体がじゃない、気持ちが思い切り病んでいたのだ

 結果として分かったのは、自分でも意外な病名だった。

 それより悪い結果を予想してもいたから、まずはめでたしと言わねばならないのかもしれない。だが、僕の気持ちは晴れなかった

 思えばこの何年かは、正直言ってあまりにいろいろな事がありすぎた。今さら虚勢を張っても仕方あるまい。特に仕事の面では、僕のキャリアの中でもどん底と言っていい。自分だけが可哀想などと言うつもりはない。自分一人がひどい目にあったとも言うつもりはない。自分よりひどい目にあっている人間がいる事も承知している。だが一体なぜだ? 予想もしなかった展開に、悔しくて眠れない日々が続いたこともある。そして屈辱と絶望の日々が過ぎた時には、僕の経済状態は壊滅的な打撃を受けていた。しかも自分が勤める職場では望んでもいない仕事に回されていた。収入の面でも、僕は危機的状況にあった。それもほとんど社長の泣き落とし、ダマし討ちにあったようなものだ。真実に気づいて自分がハメられたと気づいた時には、当然すべてはもう遅かった。

 思えば、僕はある意味で最初からダマされていたようなものだ。その後の僕のキャリアの展開は、すべて自分の望んでいたものではない。また、自分が承知して甘んじて受けたものでもなかった。

 気づいたら自分は40を過ぎて、ここへ来て泣きっ面にハチのように体の変調が追い打ちをかけてきた。目の良さだけが自慢だったのに老眼。そして今回のこの病気だ。

 仕事を続けていく中で、僕は一体どれほど多くの裏切りを受けて来ただろう。信じてついていった先輩の裏切り、仕事と割り切ったつもりでイヤイヤ行かされた中国での難行苦行。帰国まもなく自分がワナにハメられた事に気づいた時の驚愕。その中国からの帰りの飛行機で同乗する事になった会社社長が、その後自社主力の流行り商品の没落で失脚した事など、何ら僕の慰めにもならない。この男、実に不愉快で傲慢なガハハオヤジで、金で囲った19歳の中国人愛人の肉体をむさぼるために毎月中国に通っていた卑劣漢ではあったが、破滅したのはただの自業自得に過ぎない。僕に不愉快な思いをさせたが、僕を苦しめはしなかった。

 人間というものは、どこか知らずに人を不愉快にさせ傷つけているものだ。だから僕とても無罪とは言えまい。自分が常に被害者だったと一方的に主張する気もない。

 そもそも人の営みというものがそういうものなのだ。だから、僕もそれら受けた痛手を許そう、忘れよう、納得しようとしてきたつもりだ。起きた諸々の事には、それ相応の事情や理由があったのだと考えようともした。納得出来ない気持ちは僕が自分で抑え込もうとした事もあるし、時が和らげてくれた事もあった。

 また自分の見通しの甘さや自業自得の面もあった。人生が勝負であるならば、敗者は敗者らしく負けを認めるべきであろう。そんな勝負師の美学を分からぬ自分でもないつもりだ。

 だから僕もこの拙いサイトの上で、分かったような事を書いても来た。その気持ちにウソはこれっぽっちもないが、それだけが自分の気持ちでもない。いや、自分でもどうする事も出来ない思いが、胸の奥のどこかにいつもとぐろを巻いていた。それでも、それは仕方のない事…と割り切ってもいた。自分の人生を、見苦しく台無しにはしたくなかったからだ。

 だがこうも不運が相次いだあげく、サッパリ事態の好転が望めないとなれば、しかも先行きの不安だけがつのるに至っては、僕もさすがにそうした過去のオブセッションを蒸し返さずにはいられない。なぜだ? 僕は自分に非があったかもしれない。自分が愚かだったかもしれない。知らずに人を傷つけたかもしれない。そしてやられた事には容赦なくやり返した事もあった。

 だが自分が信じた人間、自分を信じてくれた人間を故意にダマし、裏切り、傷つけて貶めたことだけはない。それだけは僕はやっていないはずだ。自分をここまで落とした人間たちは、今頃腹を抱えて笑っているのだろうか。ヌクヌクと楽しい日々を送っているのだろうか。贅沢にええカッコな暮らしをしているのだろうか。ギョーカイ人づらをしてのさばっているんだろうか。そして僕は病院のベッドの上で、口から内視鏡を腹の中に突っ込まれて、だらしなくヨダレと涙を流して横たわっている。

 悔しい。無念だ。理不尽だ。オレはこのまま屈辱にまみれて死んでいくのか。このままでは死ねないではないか。死んでいいはずがないではないか。これではオレは何のために生まれて何のために生きてきたのか、まるで納得出来ないではないか

 内視鏡の映像を通して生まれて初めて見た自分の胃の中は、我ながらビックリするほど鮮やかなピンク色だった。濁りもなければ陰りひとつなかった。だがそれとは対照的に、自分の腹の中には今までになくドス黒い思いが凝り固まっていくのを感じた。それが何より自分の人生のためには忌まわしいものだということくらい、医者でなくてもよく分かる。

 そして心の病みが高じてくれば、人はその黒く濁った感情を誰かにぶちまけたくなる。それが的を得ていようと的はずれでも関係ない。ぶつけられる相手さえいればいいのだ。実はそれが何かの解決になることは、ほとんどない。それどころか、自分をさらに追いつめてしまう。それなのに…。

 それは自分を何よりも損なうガン細胞以上に悪しきもの…「怒り」という感情だった。

 

すべてを奪われた「花嫁」が、日本刀片手に復讐の旅に出る

 花嫁衣装に身を包みながら、いたぶられて血まみれの女…ユマ・サーマンが床に横たわっている。

 そんな彼女に言い聞かせるかのように、姿の見えない男の戯言が聞こえる。その男の口調は、こんな場面にあまりに不釣り合いなほど冷静そのものだった。

 「オマエが憎い訳じゃない…」

 そんな言葉が一体何の慰めになろう。それこそがこの男の、心底からの残忍さを如実に表していた。やがて男は拳銃を取り出す。

 気力も尽き果てたサーマンの頭部を、男の弾丸が狙い撃ち!

 さて、時は流れて…アメリカの典型的な郊外型住宅の前にど派手なクルマが停車する。そこから降り立ったのは、あの女…ユマ・サーマンだ。彼女は家の玄関までやって来てベルを鳴らすと、中から出てきたのは主婦然とした黒人女ヴィヴィカ・A・フォックスだ。だが二人の女がお互いの姿を認めた時、サーマンの脳裏には耳を切り裂くサイレンの音のように激しい憤りが一気に沸き上がる。彼女を苛んだあの痛みあの苦しみが、昨日の事のように蒸し返される。

 「新聞によりますと!…今日の昼過ぎ、町外れの教会で、新郎新婦を含む結婚式の参列者全員を襲う無差別殺人事件が起きました!」

 ここで会ったが百年目。

 フォックスはサーマンをいたぶった連中の一人だったのだ。

 彼女たちは、かつて凶悪な暗殺集団「毒ヘビ暗殺団(DiVAS)」のメンバーとして、ボスの「ビル」なる男の下で共に働いていた。それがあの日…サーマンが花嫁となる日にすべてが暗転した。サーマンを襲ったDiVASのメンバーたち、ダリル・ハンナ、ルーシー・リュー、マイケル・マドセンたちと共に…このフォックスもあの場にいた。もちろんそれは、ボスの「ビル」の命令であった事は言うまでもない。

 今さら何を言われても返す言葉はない…と言いながらも、フォックスは今は自らすでに悪の道から引退した身。すでに主婦として一人娘までいる堅気の暮らしを、突然現れたサーマンに乱される訳にはいかない。たちまち台所で始まる包丁とフライパンによる激しいチャンバラ。さらには刃物と刃物をやり合う激しいバトルが展開する。だが、そこに丁度、学校帰りのフォックスの娘が帰って来るではないか。

 一旦休戦。

 何事もなかったのように、刃物を隠して娘を迎えるフォックスとサーマン。サーマンはフォックスの娘を見つめて目を細める。「私にも娘がいたの。生きていればあなたと同じ4歳…」

 娘は自室に去ったが、戦いの緊張の糸は切れた。フォックスとサーマンは台所で語らう。「あなたが復讐するのも無理はないわ」「復讐?…これは復讐じゃない。あなたを殺して娘も殺って、ダンナもとどめを刺したらそれが復讐よ」

 そんな会話の間もフォックスは反撃のチャンスをうかがっていた。かつてはサーマンが「ブラック・マンバ」、フォックスが「コッパーヘッド」なる異名を頂戴していた強者同士。ことにサーマンがナンバーワン殺し屋として君臨していた頃は、その座を巡って激しいツバずれ合いも演じた仲だ。このまま大人しく済む訳もない。一瞬の隙を突いて、フォックスが隠し持った銃弾がサーマンを襲う。だが運悪く弾はそれた。次の瞬間、サーマンのナイフがフォックスの胸に突き刺さる!

 だがその様子を、たまたま下に降りてきたフォックスの娘が見つめていた。サーマンはつぶやく。これは元々ママのせいだった。でもあなたが忘れる事が出来なかったら、いつか私を訪ねていらっしゃい…。

 娘の目の前で彼女の母親を殺す。それは例え憎い宿敵を倒すためとはいえ、サーマンにとってもつらい事ではあった。だが、そんな時にも彼女の胸には「師」の言葉が蘇る。「武士たる者、戦いに臨んだ時には情けをかけてはならぬ…」

 そんなサーマンがここまで至った経緯とは…。

 それは今から4年前、テキサスの砂漠のはずれにポツンとある小さな教会での事。保安官マイケル・パークスがパトカーで駆けつけてみると、そこは凄まじい流血の惨劇の場となっていた。新郎新婦から牧師にオルガン弾き、さらには数少ない参列者に至るまで皆殺し。そのあまりの惨さに駆けつけた捜査官たちは顔色もない。中でも凄惨を極めていたのが花嫁の様子。その花嫁ユマ・サーマンは妊娠してお腹が大きいのにも関わらず、さんざいたぶられブチのめされたあげく、頭に弾丸をブチこまれていたのだ。当然、お腹の子供もただでは済むまい。あまりのひどさに顔を歪める保安官パークスだったが、彼はいきなりとんでもない事に気づいた。「この嫁さん、まだ生きてるぞ!」

 こうして病院に収容されたサーマン。だが意識を失ったままベッドに横たわる彼女にも、組織の魔の手は容赦ない。やがて目に眼帯をした不気味な金髪女ダリル・ハンナが、看護婦に化けて病室にやって来る。そのまま注射であの世行きとなる寸前、ハンナの携帯電話が鳴った。

 電話をかけてきたのは、ボスの「ビル」だ

 あれだけいたぶりトドメを刺したはずのサーマンが生きていた。ならばこのまま仕留めるのも無粋だろう。礼を尽くしてやらねば。意識を取り戻した暁には、さらに一層の「礼を尽くして」やろうではないか…。

 かくして生き長らえることになったサーマン。だが、意識を取り戻さぬままに4年の歳月が流れた。

 そんな彼女に異変が起きたのは、ある晩のこと。病院の看護士が小遣い銭稼ぎに、彼女の肉体を外の客に提供しようとした時のことだ。なぁに、意識は取り戻さないからヤリたい放題とタカをくくっていたのがマズかった。なぜか突然息を吹き返したサーマンは、客を殺してベッドから脱出。自分をなぶり者にしていた看護士もブチのめした。だが、長い間のベッド生活が祟ってか、足腰が言う事をきかない。看護士のクルマのキーを奪って車椅子で駐車場まで脱出。車内に何とか入り込んだサーマンは精神統一…自らの不自由な足を何とか蘇らせるべく一心に念じていた。「親指を回せ、親指を回せ…」

 そんなサーマンの脳裏には、次の宿敵ルーシー・リューの生い立ちの物語が浮かび上がる。

 中国人と日本人の混血として生まれた彼女は、幼い頃に目の前で両親を殺された。殺したのは東京のヤクザの親分一派。その時、彼女は嗚咽を押さえながらベッドの下に隠れていた。やがて少女となった彼女に、親分への復讐のチャンスがやって来た。ロリコン趣味の親分をベッドにたらし込み、その腹をタテに斬り裂いたのだ。そんな彼女はいつしか、「ビル」の下で一級の殺し屋として君臨する事になる…。

 やがて持ち前の強靱な精神力によってたちまち下半身の不自由を克服したサーマンは、長い長い復讐の旅に出ることになった…。

 さて、そんなこんなで第一の仇ヴィヴィカ・A・フォックスを亡き者にしたサーマンは、その足で一路沖縄に足を運ぶことにする。こうしてやって来た沖縄の地。観光客よろしくお気楽Tシャツに身を包んだサーマンは、いかにも流行っていない小さな寿司屋に顔を出す。そこには気さくな板前が暇そうな顔をして佇んでいた。どうでもいいような会話の末、沖縄に来た理由を尋ねた板前に、サーマンはある一人の男の名を持ち出す。

 「服部半蔵に会いに来たの」

 「服部半蔵」こと千葉真一…それはサーマンの目の前の板前その人だった。サーマンの目的は、この「服部半蔵」に復讐に用いるための日本刀をつくってもらうこと。千葉の気さくな寿司屋の顔が、たちまち殺気と威厳に満ちた伝説の刀鍛冶「服部半蔵」の顔に変わる。

 彼のしがない住処に迎えられたサーマンは、そこにかつて千葉「半蔵」がつくった名刀の数々を見出す。だが千葉「半蔵」は、すでに人殺しの道具を作る稼業から足を洗っていた。そんな彼の心を揺り戻す事が出来るのだろうか。

 「これは元々あなたの弟子がしでかした事よ。弟子の不始末は師匠に責任があるんじゃなくて?

 「ビル」…その名前が千葉「半蔵」の胸の内に、いかなる感情を呼び起こしたか知れない。だが千葉「半蔵」は一月の時をかけ、サーマンに日本刀の逸品を授けた。

 「これは私のつくった刀でも、もっとも優れたものだ」

 かくして千葉「半蔵」の刀を引っさげて、サーマンは東京へと向かった。彼女の乗った飛行機を迎える東京の空は、まるで血のように毒々しい赤一色。それはサーマンの胸に、これから降りかかる壮絶な血の雨を暗示させたのだろうか。それとも彼女の心にどくどくと流れてやまない、血管を切り裂かれたかのような痛みの血潮か。

 東京…そこはルーシー・リューが君臨する魔都でもあった。

 「ビル」の後ろ盾を得て、東京の裏社会で欲しいがままの権力を得た「オーレン・イシイ」ことルーシー・リュー。その日本・中国の混血にしてアメリカ人という素性を、面白くなく思う日本ヤクザ社会の親分衆もいない訳ではなかった。だが、その時には情け容赦ない一太刀を浴びせて相手を黙らせて来たリュー。その片腕である女弁護士ジュリー・ドレフュスは、日本とフランス混血の冷血女。あのサーマンがいたぶられた現場にも平然といた人物だ。当然彼女もサーマンの刃から逃す訳にはいかない。さらに十代の女子高生にしてリューの護衛役を務める「ゴーゴー夕張」こと栗山千明がいる。女子高生とて甘く見てはいけない。援助交際を申し出る男の腹を、刀で容赦なくえぐる残忍さの持ち主だ。さらにさらに、黒スーツと黒のアイマスクに身を固めた「クレイジー88」なる私設軍隊がリューの取り巻きとして幅を利かせてもいた。

 これらの連中が好んで集うのは、「青葉屋」なる巨大な純和風ディスコ。まるで新撰組でお馴染み池田屋を模したかのようなこの店は、あえて和風クラブではなく「ディスコ」と呼びたい。そして今まさに復讐の女神サーマンが、黄色いトラックスーツに身を固めて忍び込んだ。

 サーマンが連中の様子を伺おうと近づいたところ、危うく気取られそうになる一幕もあったが、ともかくはトイレに身を潜めて機会を待つ。そこにノコノコやって来たのは、誰あろうあの憎っくき女弁護士ドレフュスではないか。

 「オーレン・イシイ!」

 イシイことリューを名指しする声が店内に響く。慌てて飛び出すリュー以下一味の連中。そこに立っていたのは、ドレフュスを捕まえたサーマンの姿だった。サーマンはリューの目の前で、彼女の片腕ドレフュスの文字通り片腕を斬り落とす!

 阿鼻叫喚。店内は混乱のるつぼと化した。慌てて先を争うように客が逃げていく。店内はサーマンとリュー一味だけ。

 「やっちまいな!」

 リューの号令一過、「クレージー88」の面々が階段を駆け下り、日本刀をかざしてサーマン目がけて突っ込んでいく。だがこやつらサーマンの敵ではない。次々に襲いかかる刺客たちは、アッという間にサーマンに斬り伏せられた。ならば次は「ゴーゴー夕張」こと栗山千明の出番。彼女はクサリに繋がれた鉄球をブンブン振り回し、容赦なくサーマンに襲いかかる。さすがに若くしてリューの護衛を務めるだけのことはある。「夕張」千明は手強い相手だった。それだけではない。鉄球はいつしか鋭利な刃物を突きだし、危険極まりない凶器としてサーマンに振り下ろされるのだ。

 クサリを首に巻き付けられ絶体絶命のピンチに陥りながら、サーマンはこの強敵も何とか倒す。相手はリューただ一人…と思いきや、さらなる援軍が「青葉屋」に駆けつける気配がするではないか。リューは不敵な表情でサーマンを見下ろした。

 「私が簡単に倒せると思って?」

 「ええ。悪いけど…ちょっとはね

 やがて「青葉屋」店内に、またしても黒スーツ黒アイマスクの連中が雲霞のごとく乗り込んでくる。対するサーマンはたった一人の孤立無援。かくして壮絶ないつ果てるともない死闘が始まった。

 斬っても斬っても次から次へ。日本刀だけでなくブンブンうなりを上げて斧までが飛んでくる。そんな無数の敵を疲れも知らぬげに切り捨てていくサーマン。ダンス・スペースから座敷へ、さらに一階から階段を伝って二階へ…広大な「青葉屋」の店内を縦横無尽に動き回り、無慈悲に敵を仕留めていく。血しぶきが上がり手足が落とされ、首が勢いよく飛んでいく。こうしてさしもの多勢を誇った敵も、一人残らず仕留められた。うめき声が上がり、這い蹲りながら苦しむ敵たちを見下ろしながら、サーマンは勝ち誇ったように声を上げる。

 「命のある者は去れ。ただし失った手足は置いていけ。それはもはや私のものだ!

 いよいよ、来るべきものが来た。ここ「青葉屋」で最後に残る最強の敵…そしてこのために遠路はるばる日本まで訪れた許すべからざる宿敵…「オーレン・イシイ」ことルーシー・リューを仕留める時がやって来た。「青葉屋」の二階座敷の障子をバタンと倒すと、そこは一体どういう構造になっているのかサッパリ分からないが、広大な日本庭園。闇夜にしんしんと純白の雪が降り積もる中、リューが日本刀を持って待ちかまえていた。

 望むところとばかり純白の庭に躍り出るサーマン。さて彼女は、ここでも見事本懐を遂げることが出来るのか? 本当の決闘の火ぶたが切られるのは、たった今からだ!

 

 

しばしの沈黙を破って登場したタランティーノ最新作

 考えてみると意外なことに、僕がこのサイトを開設してからクエンティン・タランティーノの新作は公開されてなかった。前作「ジャッキー・ブラウン」が従来通りタランティーノのオタク心を充満させた内容でありながら、それまでにない中年男女の苦みのある思いをにじませもしていて、僕はタランティーノにまたまた期待していたんだね。

 「パルプ・フィクション」で時代の寵児となった彼は、持ち前のサービス精神からか、あれこれといろんなプロジェクトに手を出した。お仲間映画人の作品のプロデュースやら脚本協力、そしてあのアクの強い顔を出してのパフォーマンス。次々タランティーノ印の刻印された作品が映画界を席巻し出したわけ。そうなるとさすがの僕も好きとは言え、実はちょっと食傷気味になったんだね。ご本人も作品もどれもとてもマイルドとは言えないクセの強いものだけに、いいかげん辟易となってきたんだよ

 ところが、そんなアレコレの末に発表した「ジャッキー・ブラウン」が、作家としての成長の跡を思わせる出来映えだったのに、またしても感心してしまった。やっぱりこいつただ者じゃないよなぁと思い知らされたんだよね。

 だが聞くところによるとこの「ジャッキー・ブラウン」、実はあまり興行的には思わしくなかったようだ。内容が良かっただけに残念に思った僕だが、それからタランティーノは沈黙を守ってしまった。

 そしてタランティーノ不在の間、映画界はガラリとその様相を変えていた。彼が開拓した新しくポップな映画の流れは、「ラン・ローラ・ラン」やら「ロック、ストック・アンド・トゥー・スモーキング・バレルズ」などの映画の流れを呼び寄せたように思える。彼がハリウッドに注入したオリエンタル・アクション映画の影響は、「マトリックス」やら「グリーン・デスティニー」やらを皮切りにアクション映画の主流になった。ジャパニメーションやらマンガの影響もしかり。タランティーノが愛してやまないそれらアニメとは一線を画しているものの、宮崎駿による「千と千尋の神隠し」が映画賞をかき集めて世界を席巻したのも、そんな時代の流れと無縁ではあるまい。上記したような作品群に顕著な、ジャンク・ムービーへの傾倒ぶりも同様だ。考えてみればそんな最近の映画の流れは、ほとんど何らかの形でタランティーノが先鞭をつけたものだ。ただし、その決定的変革の最中に…彼は不在だった

 正直言って、恋人だったミラ・ソルヴィーノとの別離もあって、タランティーノは撮れなくなっちゃったんじゃないかと人ごとながら心配にならないでもなかった。時代の流れは彼から退きつつあるのかもしれない。そうなると、ちょっと勢いでイケイケドンドンだったきらいもあるタランティーノのことだ。こりゃ苦しいんじゃないかなと思ったりもしたんだね。

 そこへこの作品の公開だ。予告編は大分前から見ていたから、どんな作品か想像はついた。それにしても…先に「ジャッキー・ブラウン」で作家としての成長の跡…なんて思っていた僕は、予告編にはドギモを抜かれたよ

 ユマ・サーマンが着てる黄色いトラックスーツ、これがブルース・リーの遺作「死亡遊戯」での衣装からきていることは、別にオタクでなくても僕と同年代の連中なら容易に連想出来るだろう。タランティーノならやりそうな事だ。問題はサーマンが「死亡遊戯」スーツに身を固め、本格的に日本刀でチャンバラを演じていること。迎え討つのは、これまたファンでなくても僕らの世代ならピンと来る、ブルース・リーのテレビ出演作「グリーン・ホーネット」でのリーの出で立ちをパクったとおぼしき黒アイマスクの一団だ。さらにはルーシー・リューが東映の藤純子か大映の江波杏子と見間違えんばかりに女侠客の姿で出てきて、「やっちまいな!」と日本語で吠える。そんなサーマンとリューの決闘は、まるで忠臣蔵の吉良邸での討ち入りみたいに雪の日本庭園で、これまた日本刀で演じられる。いや、あんな雪の日本庭園なら東映任侠映画にも出てきたかもしれない。それがまた西欧映画にありがちなトンデモ日本描写のそれではなく、かなりマジと言えばマジな様式美の中で演じられるのだ。かと思えば「グリーン・ホーネット」アイマスクの一団の傍らには、典型的日本コギャル女子高生の制服に身を固めた栗山千明が、クサリにつながれた鉄球を「スケバン刑事」のヨーヨーよろしくブン回す

 なんじゃこりゃ〜?

 オタク心にはオタク心で応えたい…ではないが、僕も思わず中学生の頃に戻って、「太陽にほえろ!」松田優作ジーパン刑事の最後みたいな台詞を発したくもなる(笑)。確かにタランティーノの東洋アクション好きはよく知っている。「パルプ・フィクション」で忌まわしい連中から逃げの一手を決め込もうとしたブルース・ウィリスが、思わず日本刀を目にした瞬間に義侠心に目覚めるシーンを挙げるまでもない。「レザボアドッグス」が元ネタを香港映画から得ているとか、タランティーノが深作欣二にゾッコンで、日本に来た時に深作作品のレーザー・ディスクにサインしてもらった逸話も知っている。それも事もあろうに深作作品でも異色中の異色作「ガンマ第3号 宇宙大作戦」だ(笑)。この作品を知っているからと言って僕はオタク知識を自慢したい訳ではない。本当のガキの時に、たまたまこの映画を見ていただけだ。また、タランティーノは千葉真一と個人的に親しいとも聞いていた。しかし、それでもねぇ…ここまで徹底的にやっちゃうとは

 考えてみれば「ジャッキー・ブラウン」だって、それこそ僕の中学生時代にアメリカのごく一部を席巻していた黒人アクション映画を下敷きにしていた。その伝説的ヒロインだったパム・グリアにヒロインを演じさせ、久々に日の目を見させてもいる。もっともここで僕はパム・グリアなんて名前を当然のごとく書いてはいるが、その手の安手の黒人アクション映画はずっと後でテレビでチョコチョコ目にしただけだし、それも「スーパー・フライ」とかごく一部の作品でしかない。パム・グリアなんて名前だって知らなかった。そんなもんなんだよ。

 ともかく、そんな一般観客からは相手にされなかった作品に光を当てたのだ。コレだってアリだよな…と思いはした。思ってはいたけれど、「ジャッキー・ブラウン」が作家としての成長の跡を見せた(と僕が思っていた)ような事には、今回の「キル・ビル」は到底なり得ないんじゃないかと思ったんだよね。

 そもそもタランティーノの今までの作品は、そんなオタク心やパクりや引用をチラつかせはしても、一応外見上はまだまだ普通のサスペンス映画やアクション映画の体裁を取っていたよね。お話としては一応リアルな僕らの知っている普通の世界で起きる、とりあえずはマトモでシリアスな物語。途中ちょいとおふざけが入ったりするものの、描いている世界は一見他の映画とは変わってなかった。ただ料理の仕方が違うだけだ。ところが今回は、まずはそこに描かれている世界そのものからして様変わりしているではないか。あの安手のオリエンタル・アクションをパッチワークしたみたいな画面は一体何だ? 僕はあれを見て個人的にひどく関心を寄せてしまったし、面白そうだとも思ったけれど、でも出来映えそのものは「異色作」のそれどまりだろうと踏んでしまった。せいぜい良くってシドニー・ポラック監督の「ザ・ヤクザ」がいいとこじゃないの? あの映画を僕は大好きだけど、あれって決して傑作ではないよね。愛すべき映画と思われるのがせいぜい。だからとてもじゃないけど、「キル・ビル」に「作家としての成長の跡」なんて望める訳もないと思っちゃったんだよ。

 翻ってこれだけイキのいい作品があまた現れて、タランティーノお得意の「サブ・カルチャー」を活かして華々しく映画界を彩っている現在、もし一つ間違って時代錯誤、独りよがり…誰もついていけない世界に行っちゃったのならこれは痛い。タランティーノ今度こそヤバイんじゃないかと真剣に考えてしまった。

 しかも日本のアニメ・プロダクションにアニメ部分を頼んだと言うではないか。アニメ部分? この映画のどこがアニメになるんだ? 

 しかもしかもこの映画長すぎて、二部作に分割されて公開との情報まで飛び込んできた。愛着がありすぎて切るに切れなかったのか。自作を批評的に見れなくなったとしたら、そりゃ創作者としては致命的な事になるぞ。大丈夫なのかタランティーノ?

 ただし、予告編を彩っていたやたらカッコイイ曲には注目せずにはいられなかった。ブラス隊が威勢良くガンガン鳴っているイカシた曲。きっとタランティーノのことだ、またどこかで埋もれたアメリカのポップ音楽かアメリカB級映画サントラを発掘してきたのに違いない。そのカッコ良さだけを頼りに、ひょっとしたらやってくれてるんじゃないか…と一縷の望みを託したわけだ。

 さて、そんなさまざまな思いを胸に秘めながら、ようやく対面できた新作とは…?

 

日本刀アクションが映画全編に炸裂する希有なアメリカ映画

 こうして見た「キル・ビル」、何だかんだ言って僕はやっぱりすごく期待してたよ。何しろ僕は初日の初回上映に駆けつけたくらいだからね。やっぱり彼だもの。きっとスゴイ事をやってるんだろうと思った。仮に転ぶンだったら、とてつもない転び方をしているはずだとも思った。そのどっちにしたって、それは大した見ものであるには違いない。

 そんな予想は半分当たって、半分は覆された。それも快い覆り方だ。

 巻頭ミラマックスのロゴが消えた後で出てくるのは、何と香港の老舗映画会社ショウ・ブラザースのロゴ・マークだ。何で出てくるのか分からないが、とにかく出てくる。しかもドルビー・デジタル音響のこの映画にして、光学録音のサウンドトラックから採ったとおぼしき恐ろしく安っぽいファンファーレ付きだ(笑)。そもそもショウ・ブラザースのロゴ自体がワーナー・ブラザースのロゴをパクったような安っぽさだしね。さらにその後に続くのは、アメリカの二番館、三番館あたりで映画を見たらかかりそうな「これから本編を上映しますよ〜」みたいな文句の書かれたフィルムクリップ。それも安いベースとブラスとフルートの音楽がやかましく唸る、まぎれもなく1960年代後半から1970年代前半の「あの感じ」が充満したシロモノだ。しかもフィルムにはボロボロに雨が振り、サウンドトラックも相当ヘタってる感じ。

 これが何よりこの映画の本質を物語っている。そして観客にこうも宣言してる。今回はこの世界でいくよ、小便臭い映画館で繰り広げられる俗悪な映画たち…その安っぽくも胸躍る世界で!

 そう、その世界で最後までいってしまう。別にあれが東映三角マークと波がザブ〜ンでも差し支えあるまい。だが、安っぽさの極みとして香港ショウ・ブラザースを持ち出してきた意図は分かる。つまりは「ジャンク・ムービー」のムードでいくよと言うことなのだろう。いや、ムードなんてナマやさしいものじゃないな。ジャンク・ムービーそのものだ。

 だが、その「ジャンク・ムービー」云々については後で詳しく述べよう。まずはここでは、アクション映画としてのこの映画を語っていきたい。

 先に触れた「パルプ・フィクション」でのブルース・ウィリスのパートにも見られるように、タランティーノのチャンバラ趣味ってのは明らかだ。そして、オリエンタル・アクションが溢れかえる現在のハリウッドにおいては、こうしたサムライ・パフォーマンスもさして珍しい訳ではない。ごく最近では「マトリックス・リローデッド」でも、ローレンス・フィッシュバーンが高速道路で日本刀を振り回していた。むしろ、もはやそれは全く珍奇なものとして見られなくなったと言えよう。

 だが、今までこれほど質的にも量的にも、映画全体を支配するに至るまで日本刀アクションを全面に押し出したアメリカ映画があったろうか。この映画ではなぜか他の武器はほとんど使用されない。日本映画でも本来現代劇ではここまではやらないと思われるほどに、日本刀アクションに徹してつくられているのだ。そして、この二部作での悪役「ビル」が剣の達人であるらしい事から、これはどうやら続く「Vol.2」でも継承されていくらしい。

 だが、一言で日本刀アクションと言ってもいろいろある。ここで演じられるそれは、ヒーロー役者が華麗におっとりと舞うように敵を斬る、日本映画黄金期の古き良き時代劇でのチャンバラとは一線を画している。先にたまたま東映の名前を挙げたから言ってみれば、ここでの東映はあくまで片岡千恵蔵が活躍する東映ではない。ヤクザが血で血を争う抗争を繰り広げ、ソニー千葉こと千葉真一がカラテで暴れる東映なのだ。もっとも今回は「ジャンク・ムービー」でいく…と映画の冒頭で宣言している以上、それは当然だろう。

 そんなわけで、上記した任侠映画やら1970年前後に制作された時代劇など、殺伐たる作品群の血生臭い立ち回りが「まんま」踏襲される。特にこの作品で執拗に引用されている梶芽衣子主演の「修羅雪姫」といった作品などは、この種のアクションの典型と言っていい。僕は昔たまたまテレビで見ただけだから物語など忘れてしまったが、ともかく真っ赤な血がドバドバ出てくる陰惨な殺陣の連続で、正直言ってかなり辟易させられた印象があるんだよね。今回出てくるのはそんな俗悪でギトギトした日本刀アクションだ。

 出演者一同に剣のテクニックを伝授したのは、この映画に出演もしている千葉真一とのこと。だがアクション全体の統括は「マトリックス」でもおなじみユエン・ウーピンが担当しているようだ。だから単なる日本チャンバラの様式的な振り付けにはとどまらず、息もつかせぬ猛烈アクションに生まれ変わっている。ウーピンお得意のワイヤー・ワークも駆使して縦横無尽の大暴れだ。タランティーノって引用やサンプリングの名手とよく言われるが、実はまんまパクって来て放り込んではいない。補強し、ブレンドし、パワーアップさせている。もし、見せ場の一つである「青葉屋」での大チャンバラが純日本製のルーティンなアクションに終始していたら、果たしてここまでの壮絶さ…バカバカしいまでの壮絶さに行き着いたかどうか疑問だ。やはり彼は、演出家として無類のセンスを持っているんだね。

 その「青葉屋」の大セットがどこか新撰組でお馴染み「池田屋」のそれを彷彿とさせるあたり、そして先にも挙げた雪の日本庭園がどこかで見たようなものであるあたり…この作品における日本の風景ってのは、決して「007は二度死ぬ」みたいに完全に外国人のファンタジー的なシロモノではない。むしろ形状や見え方はヤケにリアルな感じがする。ただしそれがどこか本来あるべきカタチではないあたりが、タランティーノのつくった虚構の日本の証なのだ。その意味では、リドリー・スコットが「ブラックレイン」を撮った時に似たものを感じる。あの作品でスコットは結構リアルで違和感のない日本を描いていたが、主人公たちが飛行機で大阪上空にやって来たとたん、作品はたちまち「ブレードランナー」的な世界に突入していった。やはり個性的な映画作家というのものは、何も珍奇な事をしなくてもその独自の刻印を画面に記すものなのだろうか。

 そして主演ユマ・サーマンの、日本刀を持った立ち振る舞いのサマになっていること! これはかなり練習したんだろうと、努力のほどを伺わせるキマり方だ。これほどの長身の女性によるチャンバラが、かくもキマって見えるとは驚きだ。特に映画後半での骨身惜しまぬ運動量には感嘆させられるし、あれほど呆れるほどに暴れまくるからこそ、あの唖然とするほどのバカバカしい壮絶さに辿り着いたのだろう。それはあたかも、CGを使わずに「マトリックス・リローデッド」のネオ対エージェント・スミス軍団の壮絶かつナンセンスな大乱闘を再現したとでも言うべき、これでもかこれでもか…次から次のつるべ打ち的な大アクションだ。むろんそのどこか共通したテイストは、アクション指導に当たったウーピンの持ち味であるかもしれないが。

 もっと驚きはルーシー・リューで、アクションもさることながら、この人いつの間にかスターのオーラが出てきたではないか。最初「チャーリーズ・エンジェル」でお目見えした時など、どこの何者かも分からずに違和感ばかりが目立った彼女。近年の話題作連続登板が功を奏したか、すっかり女優としての格が上がった観があるから驚く。先日公開されたアクション映画「バリスティック」あたりは、タイ出身のカオスなる監督の荒っぽい演出も相まって作品の構えはB級そのものではあったが、実質上の主役を張ったルーシー・リューにはすでにスターとしての安定感が感じられた。正直言って共演のアントニオ・バンデラスがどこかジジむさく煤けた印象に見えるほど、彼女には波に乗ってる人特有の輝きが感じられたんだよね。僕はとてもこの人がそれなりのスターになるとは思えなかったから、近年の彼女の活躍には感心するばかりだ。そして、そんな彼女の輝きはこの「キル・ビル」でも最高潮に活かされている。彼女がこれほど女侠客に似合っていると、一体誰が思っただろうか? 特に彼女は背後に往年の日本の任侠映画などの残像を背負った役どころなので、ひどく役づくりは難しかったと思うよ。そこを堂々となりきって演じていたから、正直アッパレと思っちゃったんだよね。その立ち振る舞いから戦いぶりまで、サマになり方カッコよさは、ある意味でユマ・サーマン以上とさえ言える。啖呵の切り方もドスが効いててなかなか。もちろん日本刀の扱いも堂に入ったもの。日本語の発音についてはともかくとして…だ。

 で、これは余談で内輪話でもあるが…このルーシー・リューの側近「クレイジー88」なる連中の一人に、当サイトでインタビューしたことがある俳優の田中要次氏が出ている。僕はそもそも最初出ているなんて知らなかったからビックリしたけど、あの「グリーン・ホーネット」アイマスクを付けても田中氏はすぐにそれと見つけられる。ルーシー・リューの「やっちまいな!」の号令を受けて階段を駆け下り、いきなりユマ・サーマンに小手調べ的にバッサリやられる4〜5人の連中のうちの一人だ。最近では「座頭市」で浅野忠信に派手に斬り捨てられていた田中氏、今度はユマ・サーマンから一刀両断とは喜ばしい(笑)。「出すぎ」とまで言われるほどあまたの日本映画に顔を出す田中氏の、ついに実現した外国映画初出演にはさすがに僕も感激してしまったよ。

 いや…むしろここ数年ありとあらゆる日本映画に顔を出し、ある意味で近年の日本映画を体現しているとも言える田中氏がこの映画に出演するのは、「必然」だったかもしれない。

 この作品はお話がお話だけに、千葉真一、栗山千明以下の日本人役者たちの出演も話題になっている。この点については邦画に疎い僕など、その「お楽しみ」を十分味わえずにいるようで寂しい気がしていたんだよね。でもこの田中要次氏のボーダーレスな登場で、一挙にオツリが来たような気分になった。この人がこの映画に出るのは極めてナットクだし、個人的にすごく嬉しかったよね。

 さらに驚いたのは、日本で「ガイジン」タレントをやっていたジュリー・ドレフュスが、意外にも大役を振られていることだ。かつてはテレビで日本人を小バカにしたような発言も多々あった彼女だが、最近はそう言えばまったく目にする事がなくなっていた。どうしちゃったのかと思ってたら、いきなりタランティーノ映画に大抜擢だ。こりゃ驚いたよ。

 ところが実際の彼女の役どころを見てまた驚いた。いや〜、彼女この役をよく引き受けたよね(笑)。それとも天下のタランティーノ作品と来れば、なりふり構わずやってしまうのだろうか。そもそも、聞くところによればジュリー嬢はタランティーノ初来日時からの「友人」とのことだが…ホントに「友人」なんだろうか(笑)。僕には、どうもタランティーノはジュリー嬢の日本でのポジションをよく分かっていたような気がするんだよね。だってジュリー嬢の本来のキャラを考えると、ある意味であまりにハマってる役だからね(笑)。そして劇中で一番徹底的に懲らしめられてしまうのも彼女だ。ジュリー嬢はきっと何にも分かってないだろうけど、もしタランティーノが仮に全部承知でやったんだとしたら、彼も人が悪いよねぇ(笑)。

 さて、ちょいと余談が過ぎた。あとマイケル・マドセンやらダリル・ハンナについては次回にお楽しみが回されてる。だから今回特にどうのと言うこともないが、ダリル・ハンナってスッカリ最近おっかない役がハマってきちゃったよね。「スプラッシュ」のチャーミングな姿からダリル・ハンナを見てきたこちらとしては、眼帯を付けて異様な雰囲気で出てくる彼女の姿に少々複雑な気持ちだった。もっとも、ご本人は巨大女とか原始人とか結構バッタもんくさい映画や役柄を好んでやるようなので、今回のこの役も楽しんでいる可能性がある。ま、やるなら徹底的にやった方がいい。そしてこの「Vol.1」を見た限りでは、それはハンパじゃ済まない事も明白だ。

 そう、やたらめったらチープでイカサマっぽく作り上げているこの作品だが、アクションだけは掛け値なしのホンモノ。映画のつくりがつくりだけに、観客はそのアクションの凄さにまで頭が回りかねてしまうのだが。それがさりげなく惜しみなく注ぎ込まれアッという間に消費されて尽くしていくあたり、何とも贅を尽くした内容となっているのだ。

 もちろんこの映画で惜しみなく注ぎ込まれ消費されていくのは、そんな猛烈アクションだけではない。夥しい映画的な記憶…中でも、先に述べたように「ジャンク・ムービー」と呼ばれる種類の作品の痕跡が、これでもかこれでもかと注入されていくのだ。 むしろ世間的には、こちらの面の方が何かと取りざたされるに違いない。

 確かにタランティーノと言えば映画の「オタクの星」的扱いを受けている。現にこの映画についての文章や紹介などを読むと、アレはここから取った、コレはあそこからパクった…と詳細に語り尽くされている

 だけど、そういうのって…それだけで映画を語るのって、どこか不毛な気がしないか? 

 僕がまずこの映画のアクションや役者について語ったのは、もっぱらタランティーノ作品…中でもこの「キル・ビル」が、そうした引用の多さによってのみ語られる事への反発があったからなんだね。確かに引用の妙ということはある。だけど、そんなアレコレをつぎはぎしたから素晴らしい…なんて、そんなバカな話はないだろう。それ「だけ」がこの作品の美点じゃない。ちゃんと実の部分がある…という事を言いたくてまずはアクションと役者を語った。

 だが、それはともかく…この映画が膨大な引用から成り立っていることも間違いない。そして、それがこの映画のムードと世界観を形作っているのも明らかだ。

 ならば、僕らはこの映画に夥しく網羅された、そうした映画の記憶をいちいち検証しなければならないのか? あのタランティーノならではのチョイスでランダムに並べられた、膨大な数の映画的記憶を…。

 

 

 

感想文Vol.2につづく

 

 

 

 

 

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