「フォーン・ブース」

  Phone Booth

 (2003/12/08)


どうにも理解できないこの無神経な感覚

 ついに起こってしまったというのが、大方の人々の正直な感想ではないんだろうか。だが「ついに…」とは思ってみても、イラクで日本人外交官二人が殺されてしまったニュースはさすがに僕もショックを受けてしまった。これはちょっとヤバい…と、どこの誰だって思うのが普通の感覚というものじゃないだろうか。

 だが日本政府はいまだに自衛隊をイラクに送ることにしがみついているようだ。石破防衛庁長官も連日テレビに出てきては、「行かせなくてどうする」とばかりに無茶な主張を繰り返している。だが、その言い分をいくら聞いても、何とも釈然とはしてこないんだよね。

 例えば以前、この石破という人はテレビで、イラクにはすでに30何カ国“も”支援に行っている、だから日本も行かなきゃダメだと力説していた。ところが別の番組で誰かが言うには、アフガンには70カ国以上“も”支援に行ってるがイラクはたった30何カ国“しか”支援に行ってない…とくるではないか。数が多けりゃいい少なけりゃマズイという訳ではないが、そもそも石破氏自身が、30何カ国“も”支援に行っているから…と持ち出してきたんだからね。こんなところに言葉のトリックを弄さなければならないあたりが、石破氏の言い分の無理さ加減なんだろう。どう考えても胡散臭いではないか。

 ある新聞のコメントを読んでいたら、自衛隊員だって当然ながらこの任務を歓迎している訳ではないようだ。そりゃそうだろう。今のイラクに「軍隊」が行けば、敵視されるのは免れない。それは当然犠牲が出る事を想定しないわけにはいくまい。だが、命令とあらば覚悟する…ともある自衛官は語っていた。命令さえあれば…死にたくもない納得もしていない人間が、死に赴かねばならない。これってさながらこの前の戦争中の話みたいではないか。いつからこうなってしまったのだ。僕はどうにも理解出来ないんだよね。

 まず自衛隊員の人々だって、その本来の任務である国土防衛、国民の防衛のためならば、まだ納得もできるだろう。しかし、今回の任務は一体何なんだ。なぜ紛争地域の外国へ行かねばならないのか? しかもそれが日本の国益だと言ってはいるが、本当に国益になるのだろうか? そして自衛隊派遣はイラクの国民が望む事なのか? それでイラクは安定し復興するのか?

 先日、イラク民主化の指導者というアブドルアミール・リカールなる人物が、わざわざ来日して小泉首相と会談していた。そのにこやかに握手する様子を見て、僕はまた政府が「イラクは自衛隊派遣を望んでいる」というイメージづくりをしてるんだろう…ぐらいに思っていた。だが驚いた事にこのリカール氏、何かのテレビ番組に出てきて「自衛隊には来て欲しくない」…などと言い出すではないか。何のことはない、結局イラクの方でも来て欲しいなんて思ってはいないのだ。仮にこれが少数派だとしても、だからと言って多数の人々が来て欲しがっているようにも思えない。そもそも…もし比較的安定している地域があったとして、そこに自衛隊が行った事でかえって治安が悪くなるんじゃ、一体何のために行くんだか分からない。

 行くと明言してしまった以上、今さら行かせない訳にはいかない。アメリカとの同盟関係からも行かない訳にいかない。北朝鮮拉致問題との交換条件で行かない訳にはいかない。国連はダメだからこんな状態でも行かない訳にはいかない。日本は中東に石油を依存しているから…云々。国際政治などに疎い僕などは、そういうまことしやかな主張を耳にするたびに「そうかな〜」とグラつかないと言えばウソになる。もっと理性的、現実的判断をしろ…と言われれば、元よりあまり頭の良くない僕には当惑せざるを得ないところではある。だが今回の一連の事は、何をどう見たって何となくインチキくさい。僕も40年以上生きていれば胡散臭い話はちょっと聞いても分かる。そしてそんな事を言う奴らに関わると、ロクでもない事になるという事も知っている。な〜んかイヤな予感がする。今まで生きてきた中で、自分がとんでもないイヤな目に合った時の記憶、納得できない事にブチ当たった時の雰囲気…そんなこんなを連想させる。理屈ではうまく言えないんだけど。そして、それは理屈ではないんだよ。

 それはまず、今回の日本外交官の死についての日本政府側や役人側の言い分なんだね。

 二人が志半ばにして倒れた、その死をムダにするな

 この言い方、何だかおかしくないかい? もっともらしく聞こえるし反論しづらいだけに胡散臭くもある。そしてそれを小泉首相、川口外相、石破防衛庁長官、さらには外務省の官僚連中まで、いかにも悲壮感溢れる顔で言っている。だけど、二人の死をムダにしないって事は、さらに死骸の山を築けって事じゃないんじゃないか? そんな事を亡くなった人たちが、本気で望んでいるとは思えない。大体アンタがたがそれを言えるのか? それを亡くなった人の家族の前でも言えるのか? 「政治生命」を懸けるなどと言ってる奴もいるが、こいつらの「政治生命」などもらったところでクソの役にも立たない。そんなモノなど人の命と比べれば屁でもないよ。

 大体、自分は安全なところにいながら他人の生き死にを決められること自体、およそマトモな感覚とは思えないんだよね。

 

調子こいた男が電話ボックスでドツボ

 ここはニューヨーク、マンハッタン。携帯電話の普及で電話ボックスの利用はめっきり減ったが、それでもまだいくつかのボックスが街に残ってはいた。この物語はその数少ない電話ボックスの一つで展開する。

 一方そのマンハッタンの街に、一人の男がパシりの若造を引き連れてのし歩いている。歩きながらひっきりなしに携帯電話をかけまくっているのは言うまでもない。男の名はコリン・ファレル。いわゆる宣伝マンだ。あちこちに売った彼の「顔」が商売のタネ。メディアとメディアの中継ぎをし、警官にブリトニー・スピアーズの切符をバラ撒いて情報をとる。とった情報をまたメディアに売りさばく。手持ちの若いタレントの売り込みも彼の仕事だ。売り込んでやるとレストランでさんざタダ食いし放題。それで文句を言われれば、子飼いのタレントのPRの場として提供してやる。一石二鳥どころか三鳥四鳥も楽勝だ。そのためには口八丁手八丁…いや、自分の手は断じて使わない。全部他人のフンドシで、口先三寸で商売をする。そんな自分を彼はクールだと信じていたし、彼のお付きとしてタダ働きさせられてるパシりの若造も、尊敬の目で見つめていた。

 そんなファレルは途中でパシり君と離れ、街角の電話ボックスに入る。そう、例の冒頭に語ったあの電話ボックスだ。ところがそんなファレルの元に、一人のピザの配達人がやって来る。頼んでもいないのにピザを届けに来たと言うのだ。おまけに代金はもう支払われているとのこと。だがファレルは配達人が煩わしいのか、ひどく邪険に扱う。配達人はムッとした顔で帰っていった。

 さてファレルは改めて電話をかけようとする。携帯を持っているのになぜか電話ボックスを使う。その電話の際に、ファレルが結婚指輪を思わずはずしたのにご注目。電話のお相手は、彼が目下夢中になっている若手女優ケイティ・ホームズだ。

 ファレルは彼女を呼び出そうといろいろ話しかける。売り込んであげるから云々…というのが、彼の十八番の台詞だ。だがホームズは用事があって抜け出せない。これにはさすがのファレルもガッカリした表情を隠しきれない。

 さてボックスを出ようとすると、なぜか電話のベルが鳴り出す。すると思わずファレルはその電話に出てしまった。ファレルがとった受話器の向こう側から、ひどく冷静な声が聞こえてくる。

 「電話が鳴るとつい出てしまう。相手も分からずに。面白いとは思わないか?」

 何か悪い冗談かと思ったファレルは、虚勢を張った傲慢な態度を崩さない。だが彼がそんな態度をとり続けているのも今のうちだ。「オマエはコリン・ファレル。住所は…」

 なぜか電話の相手は、ファレルのすべてを熟知していた。彼が口先三寸で調子よく世の中を渡っていること。有能な広告マンとして君臨しているつもりで、実は中味カラッポで力もないこと。これといったタレントも売り出す事が出来ないこと。しかも妻のいる身にも関わらず、若手女優ホームズを口説こうと迫っていること…。話を聞いているうちに、ファレルにも容易なれざる事態であることが遅まきながら飲み込めて来た。

 「電話を切るな!」

 電話の相手はさらに高圧的な態度をエスカレートしてきた。しかもファレルに、ホームズに電話してすべてを告白するように迫ってきた。結婚している事を黙って、彼女に迫っていたことを…。

 「さもないとオマエを殺すぞ

 何と電話の相手は、このマンハッタンのビルのどこかから彼を銃で狙っていると言うのだ。もし言うとおりにしないと殺す。それが彼の脅し文句だった。そしてファレルがホームズに電話するのを渋っていると、勝手に電話してすべてをバラしてしまった。ファレルにはどうする事も出来ない。さらに今度は妻ラダ・ミッチェルに電話するように強いる脅迫者。やむなく妻ミッチェルに電話したものの、真実を告げられず「誰から何を言われても真に受けるな」と叫ぶしかないファレルだった。

 脅迫者の脅しはさらに恐ろしさを増してきた。この男、すでに何人かの「道徳的に問題のある」人物を暗殺してきたと言う。ハッタリだろうとファレルが大見得を切ると、彼の胸元には銃の照準を合わせるための赤外線が当たっているではないか。これはマジだ。

 そんな取り込み中のところに、街角の売春婦が電話をかけようとやって来る。だがファレルはここから動けない。そんなファレルに怒った売春婦は、悪口雑言並べ立てる。この女の仲間の売春婦たちも殺到するが、冷静さを欠いたファレルは邪険に追い返す他ない。

 しまいには女たちにうるさくせっつかれたポン引きが、直談判にやって来る。だがファレルには譲れない。ポン引きも女たちの手前、コケにされる訳にいかない。いくらせっついてもボックスから出てこないファレルに、ポン引きは怒って野球のバットを振り下ろし始めた。このままでは、今度はこいつに殺される!

 「どうだ、私が片づけてやろうか?

 そんな脅迫者の一言に、ついはずみで「イエス」と言ってしまったファレル。すると脅迫者の弾丸が、いきなりポン引きの命を奪った

 たちまち路上は阿鼻叫喚。泣き叫ぶ売春婦たちはファレルを人殺し呼ばわり。彼がいくら釈明しても言うことを聞かない。ポケットに入った携帯電話を、銃だと言い張って聞かない。かくてファレルは、何もしていないのに殺人者として衆人環視の矢面に立たされるハメになった

 やがて警察が現場に殺到してくる。現場を指揮する刑事フォレスト・ウィテカーは、最初ファレルをなだめるべく交渉役としてボックスに近づいて来た。だがファレルは脅迫者の言いつけで、刑事ウィテカーに真実を告げるのは許されない。

 「大きな声では言えないが、私も精神を病んで医者の厄介になった事があるんだ」

 腹を割った話で軟化させようというウィテカー刑事。だが脅迫者はファレルに刑事を怒らせるような事を言わせる。唯一の理解者になりそうだったウィテカー刑事も、これにはすっかり感情を害してしまった。

 売春婦たちのいいかげんな証言で、ファレルが銃でポン引きを撃ち殺した話はすっかり一人歩きし始めていた。しかもテレビ・クルーによる中継を見て、妻のミッチェルまで現場に現れた。当然脅迫者の銃口は妻ミッチェルを狙う。

 「奥さんが撃たれてもいいのか?」

 絶体絶命。ファレルは妻の命を守る事が出来るのか? ウィテカー刑事は真相に迫る事が出来るのか? そしてファレル自身が生き延びて電話ボックスを出ることは、果たして出来るのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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上映時間が短いだけでも値千金の作品

 今売り出し中の若手コリン・ファレルが主演の、ほとんどお話が電話ボックスだけに終始するサスペンス。もうそれだけ聞いたら、映画ファンなら思わず見たくなる作品だ。

 監督を務めるのはジョエル・シュマッカー。この人はとにかく作品のバラつきが激しい人と、誰しも思っているんじゃないか。撮る映画も青春映画からアクション、サスペンス、シリアス・ドラマ…と何でも屋。そして出来映えにしても、評価が高いものもあれば、どうしようもないと評されるものもある。「バットマン」シリーズの最後の2本などは、さしずめトホホの代表格だろう。だが一転して「セント・エルモス・ファイアー」や「依頼人」など、僕が見ている中でも忘れがたい印象を残す作品は多い。何でこんなにバラつくんだろうね。

 結局一言で言うと、当たり前の事ながらこの人が成功作をつくる時は、いい脚本を掴んだ時って事になるんだろうね。だが悲しいかな脚本を見る目は必ずしも良くはない。だから時々スカをつくっちゃうんだろう。

 今回はラリー・コーエンの脚本がまずいい。ハッキリ言って電話ボックスにクギづけにされて、銃で狙われるってただ一点だけ…文字通りワン・アイディアに絞ったのが功を奏した。この着想がすべてと断言していい。

 そして、ただそれだけの話だから、あの手この手を尽くしてもやる事は限られている。そのため大風呂敷を広げずに、たったの81分という近来では驚くべき短さの上映時間に絞っている。だから引き締まってゼイ肉のない映画に仕上がっているんだよね。

 で、コリン・ファレルがまたいい。この人って芝居もうまいし、「S.W.A.T.」など見てるとヒーローもやれそうな器のデカさがある。それでもって悪役もやれるフトコロの広さもある。だから映画の最初では卑しくも調子いいゲス男を小憎らしく演じてソツがない。そんな男が追い詰められていくうちに虚飾をはがされ、裸の人間になっていくあたりが共感を呼ぶ。元々僕らもぶっちゃけた話そんなにいい人間ではない。人に言えない汚い事の一つや二つやっている。この映画のファレルをアレコレ言える立場にはいない。だからすべてを失いボロボロにされるファレルに、どんどん感情移入していくんだよね。そして最後には脅迫者の脅しではない、自分の本当の心の叫びを上げるのが感動的ですらある

 根本の発想が秀逸で、サスペンスの切れが良くてムダがない、加えて主役がうまくて感情移入が出来るとくれば、この作品に入れ込まずにはいられない。しかも迎えうつ刑事に、これまた好感度抜群のフォレスト・ウィテカーとくれば言うことないではないか。ここでの彼は、あのクマちゃんみたいな風貌を活かしきっての、人間味溢れる刑事をまたまた好演だ。

 そして肝心の脅迫者に、キーファー・サザーランドを持ってきたのが効いている。最近の彼って一時の勢いを完全に失い、印象の薄い俳優に成り下がっていた。だけどこの映画では、顔は最後のワン・シーンしか出ないのに存在感抜群。あとは声だけの出演だが、このサザーランドの声が冷たくて深みがあって、なかなかいいんだよね。これって最近での彼のベスト・アクトではないか。

 ただ脅迫者が高見の見物を決め込んで、独善的な「正義」を主張しながら主人公を脅す様子は、見ていて決して愉快なものではない。それが最後まで裁かれずに終わるのも、精神衛生上はよろしくない。だが、現代はこういう人間も多いだろうし、こういう事もありがちなことだ。そういう「いま」のリアリティを描くにはこの解決方法しかなかっただろう。むしろこの脅迫者を出来る限り抽象化して、主人公の良心の選択こそを映画の結論とした事が結果としては正解だったのだろう。

 こういう映画をダラダラ評してもつまらない。現物を見なくちゃ話にならない。だから僕もこれ以上アレコレ言うつもりはないよ。

 だってムダのなさこそ、この映画の良さなんだからね。

 

 

 

 

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