「サハラに舞う羽根

  The Four Feathers

 (2003/09/29)


  

戦場から逃げた男の「たった一人の戦争」

 時は1884年、大英帝国はその軍事力で、世界の4分の1を手中に収めていた。そんなイギリスのエリート中のエリートである士官として、若きヒース・レジャーはまさに青春を謳歌していた。連隊にはウェス・ベントリーという親友もいた。さらにマイケル・シーン、ルパート・ペンリー=ジョーンズ、クリス・マーシャルらの仲間もいた。そして何より大事なのは、美しき婚約者ケイト・ハドソン。連隊でも優秀な兵士として見なされ、将軍である父親の期待にも十分叶っていた。まさしく満月のごとく欠けたるところのない人生

 ところがそんなレジャーに、とんでもない運命が降りかかった。

 北アフリカの英国支配下スーダンで、反乱軍が蜂起していた。この鎮圧に乗り出した英国軍だが、反乱軍の勢いは止まらない。苦戦に次ぐ苦戦。かくしてレジャーらが所属するこの連隊にも、スーダンへの出動命令が下ったのだ。

 この知らせを聞いて腕が鳴るとばかりに、喜びを爆発させる連隊の若き面々。だが、レジャーの表情は浮かなかった。

 そんな悩みを、レジャーは最も親しいベントリーに打ち明ける。遙か離れた不毛の砂漠の国。そんな土地を死守する事に、一体何の意味があるのだ。そしてそこではどんな危険が待っているのか。ヘタをしたら冗談抜きに死ぬかもしれないんだぞ

 だが、ベントリーの考えはそんな親友の打ち明け話にも微動だにしなかった。行けと言われれば行くまで。理由を挙げるなら、そこに親友のオマエも行くからだ。「オマエにならば命を預けられる!」

 そんなベントリーの言葉を聞いて、二の句が継げなくなったレジャー・だが、胸の内に沸き上がった疑念は拭えない。レジャーは一晩悩み抜いたあげく、眠りこけるベントリーを置いて、意を決して立ち上がった。

 何とレジャーは連隊長に、速やかな除隊を申し出たのだ

 最初それを聞いた連隊長は、にわかにそれを信じ難かった。レジャーは何しろ将軍の息子だ。それに今まさにスーダンへ出兵の直前だ。そんな申し出をおいそれと受け入れる訳にはいかなかった。

 だがレジャーの決意は変わらない。かくしてレジャーは、軍服を脱ぎ捨てて連隊を後にするのだった。

 この知らせは、彼の仲間たちの間で衝撃的に受け止められた。まずベントリーはそれを信じる事が出来なかった。だがペンリー=ジョーンズが、真っ先にレジャーを卑怯者と見なして罵った。親友をバカにされて怒り心頭のベントリーだったが、他の仲間たちもこれに賛同。ベントリー自身、レジャーの真意を掴みかねていた。

 連隊を後にしたレジャーは、真っ先に婚約者ハドソンの元へと走る。だがハドソンは彼の除隊を知って困惑するばかりだ。最初は彼女と離れがたい事を理由に挙げたレジャーに、「いつまでも待つ」などと健気な事を言う。だがレジャーの真意は違っていた。

 「本当は軍隊なんて入りたくなかった。親父への義理で入っただけだ!」

 誰のためだって戦争になんて行きたくない…そんな本音をついにぶちまけるレジャー。するとハドソンの見る目がみるみるうちに変わってきた。そこに最悪のタイミングで、連隊での仲間たち…マイケル・シーン、ルパート・ペンリー=ジョーンズ、クリス・マーシャルから、それぞれ一枚づつ白い羽根が届けられたではないか。

 白い羽根…それは「卑怯者」の印。この羽根は彼らからの絶縁状だった。それを見たハドソンも、冷たくレジャーに言い放つ。

 「私もあなたを卑怯者だと思うわ」

 その後レジャーが父親の将軍の元へ顔を出しても、「あんたは誰?」と冷たい素振り。レジャーは一夜にして友人も恋人も家族でさえ失ってしまったのだ。ただ、親友のベントリーだけは白い羽根を送りつけなかったのが、まだしも慰めではあったが…。

 さて、その後スーダンに出動したベントリーら仲間たちは、現地の容易ならざる状況に愕然としていた。いつ何時、敵から襲われるかもしれない。敵は英国軍に激しい敵意を燃やし、地元住民は冷たい視線を送って来た。子供たちからは石を投げられる始末。ベントリーたちは、こんなはずではなかった…という思いを噛みしめざるを得なかった。

 その頃イギリスでは、レジャーが一人悶々と日々を送っていた。そんな彼の気持ちを知ってか知らずか、しまいには婚約者のハドソンですらレジャーに白い羽根を送りつけるアリサマ。落ち目になった時ほど女にはいて欲しいものだが、そういう時にこそ女は逃げる。かくして失意のどん底のレジャーは、単身スーダンに旅立つ事を決意した。

 現地に潜入して、自力で英国軍の陣地までたどり着こうという無謀な計画。奴隷商人の一行について目的地を目指すも、途中で奴隷が反旗を翻して奴隷商人は惨殺。九死に一生を得たレジャーも、あわや砂漠で行き倒れ…。

 その頃ベントリーは戦場の英雄としての栄誉を得ていた。一旦は母国へ凱旋もした。そして、かねてから秘めた思いを抱いていたハドソンに近づいていく。ハドソンも今は行方知れずのレジャーへの罪悪感に苛まれながら、英雄となったベントリーに惹かれていく。やがて戦場へと戻っていったベントリーと手紙のやりとりをしながら、二人の仲は公然のものとなろうとしていた

 さて、行き倒れとなっていたレジャーは、辛くも現地の人々の助けで何とか生き延びられた。その時の彼は髭はぼうぼう、肌は日焼けして浅黒く、着ているモノは現地の人々のもの。どこからどう見ても現地の人間にしか見えない。

 折から英国軍は人手不足で、現地の人間を次々と動員していた。その中に紛れて、レジャーはようやく目指す陣地に潜入した。そこには懐かしいベントリー以下の仲間たちもいた。だが、誰一人として彼に気づく者はいない。

 そんなレジャーに、新たに仲間が出来た。それは現地でも奴隷階級の男ジャイモン・ハンスゥ。この男、現地の人間たちの中でも差別され、不思議な縁でレジャーに近づいた。ハンスゥはレジャーが英国人だと見破っていたのだ。そして彼はレジャーに警告した。英国軍が雇い入れた現地の人間にも、反乱軍のスパイがいる。オマエも命を狙われるぞ…。こうしてハンスゥは常にレジャーと行動し、彼の身を守るようになったのだ。

 そんなある日、現地の人間のうち数人が、秘かに隊列から離れていくのを目撃する。あれが反乱軍のスパイなのか。レジャーとハンスゥも隊列から離れ、彼らの足取りを追うことにした。

 そしてたどり着いたのは別の英国軍の砦。ベントリーたちの隊が目指す目的地だ。だが中に入ったレジャーとハンスゥは唖然とした。すでに英国軍の砦は敵の手に落ちて、兵士たちは全滅させられていたのだ。早くこの事を知らせなくては…焦るレジャーだったが、彼は敵軍の連中に連れ去られてしまう。仕方なくハンスゥは、単身この知らせをベントリーたちの隊に知らせる事にした。

 やがて彼らと砂漠のど真ん中で合流するハンスゥ。だが、突然現れた現地の人間の言うことなど、英国軍は聞く耳を持たない。あげくハンスゥに拷問をかけて、本音を白状させようとするアリサマだ。苦々しい思いで拷問を受けるハンスゥ。

 その頃レジャーは英国軍の制服を着せられ、敵のオトリ部隊として出撃させられる事になった。

 さて相変わらず砂漠のど真ん中のベントリーたちの一隊だが、その彼らに反乱軍が襲いかかってくる。

 「角陣を組めぇ〜っ!」

 角陣…それは軍勢で四角く陣形を組むことだ。そして一斉射撃。だが、いかんせん敵の軍勢が多すぎる。たちまち砂漠は阿鼻叫喚の真っ直中となった。

 だが、遠くから赤い制服に身を包んだ英国軍の騎兵隊がやって来た。援軍だ! しかも敵の軍勢が退いていく。これに意を強くした英国軍は、よせばいいのに追っ手を差し向ける。だが、それは敵軍のワナだった。砂の中に隠れていた敵軍勢が、ノコノコ出てきた英国軍に襲いかかる。

 その中には、ベントリー、シーン、マーシャルらもいた。

 しかも最悪な事に、やって来た援軍は実は援軍ではなかった。敵軍勢が英国軍の服を奪って、味方になりすましていたのだ。万事窮す!

 だがこの偽装軍の中には、あのレジャーがいた。彼は単身偽装軍から離れると、戦いの中に身を投じた。

 この戦いの最中、不運にもマーシャルは命を落とした。シーンは敵軍に拉致された。そしてベントリーは、自らの銃の暴発で深手を負って倒れた。

 危ないっ!

 何とか混乱の最中に親友ベントリーを守ったレジャー。大混乱のあげくペンリー=ジョーンズら英国軍は無惨な撤退。レジャーはハンスゥの助けを借りて、ベントリーを連れてその場を逃れた。

 砂漠の一角に何とか逃れたレジャー、ハンスゥ、そしてベントリー。レジャーは意識を失ったベントリーを介抱するが、その時に彼の軍服からこぼれた手紙を目にする。

 何と…いまや愛するハドソンの心はベントリーのものなのか!

 あまりの衝撃に言葉もないレジャー。そして衝撃はもう一つあった。ベントリーは視力を失っていたのだ。自分を助けた人間が誰なのか、しきりに尋ねるベントリー。だが、彼とハドソンの手紙を見てしまったレジャーには、もはや名乗る気持ちはなかった。

 一命をとりとめながら視力を失ったベントリーは、一人英国に舞い戻った。

 帰りを待っていたハドソンも、この事実に愕然とするばかり。それでも彼の気持ちを思って、優しく接する日々。そんなベントリーの元に、あのペンリー=ジョーンズがやって来た。そして彼はベントリーに衝撃的な事実をもたらす。

 レジャーがスーダンにいた!

 敗退に次ぐ敗退の最中、レジャーは突然ペンリー=ジョーンズの元に現れた。そして彼は、敵軍捕虜となった仲間のマイケル・シーンを、単身救い出しに行くと言って砂漠に消えたのだった…。

 

古色蒼然たる題材の再生を託されたシェカール・カプール

 今時なかなか珍しいスケールの大きな作品、今が旬の若手俳優三人の揃い踏み、しかも監督は「エリザベス」で注目を受けたインド出身のシェカール・カプール…と、いかにも久々に本格的でガッチリしたドラマを見れる予感…。

 元々「アラビアのロレンス」あたりから砂漠が出てくる映画はどれも好きな僕だから、この「サハラを舞う羽根」には大いに期待していたんだね。かなりスケールのデカいドラマみたいだし、スペクタクルもありそうだし。

 で、この映画なんだけど、実はネタはかなりお馴染みなモノらしいんだね。A・E・W・メイソンの原作小説は、調べてみると何と今回で6回映画化されている。それも一番最初の作品はモノクロ・サイレントだから歴史は古い。…というわけで1915年版(アメリカ・サイレント)、1921年版(イギリス・サイレント)、1929年版(アメリカ・ムービートーン=効果音と音楽だけのサウンド版)、1939年版(イギリス)、1955年版(イギリス)…と、この題材は大西洋を挟んで米英両方で繰り返し製作されてきた。日本ではこのうち1939年版と1955年版が公開されているようで、前者がゾルタン・コルダ監督による「四枚の羽根」、後者が同じくゾルタン・コルダと若き日のテレンス・ヤングの共同監督による「ナイルを襲う嵐」だ。しかもこれに加えて、イギリスでは1977年にテレビムービーも一本制作されている。これが今作以前では一番新しい映像化作品ということになろうか。

 このように何度も何度も映画化され、中には同じ監督が二度手がけたものもある…という題材は、そうそう多いものじゃない。つまりはそれだけ魅力的な素材ということなのだろう。考えてみれば主人公の転落から単身戦いを挑んでいくドラマあり、軍隊仲間の友情あり、もつれ込む三角関係あり、エキゾティックな異国情緒あり、派手なスペクタクルとなる戦闘アクションあり…と、映画として面白くなりそうな要素はわざとらしいほどてんこ盛りだ。

 ところが戦前はあれだけ頻繁に映画化されていたこの題材が、戦後はそのペースを急速に落としたのは興味深い。それってなぜか? あまりにも制作されすぎたという事もあるのだろうが、もう一つ世界観・価値観の変化という点もあったんじゃないか?

 元ネタが英国人作家が描く英国植民地の物語…そこにはどう考えたって英国人サイドの偏見と自己中心的な見方が反映されているはずだ。そもそも原作が世に出たのは1902年だというから、そうなるのも無理はない。だが戦後の世界では、欧州の植民地がアッという間に次々と独立を果たしていった。そんな新しい世界では、以前の植民地主義的考え方は通用しない。かつての支配者側だった国々にしても、それらが何となく現実的でない時代遅れなものに感じられただろう。そんな状況とこの物語とが、そのままではそぐわなくなった…それがこの題材が戦後、あまり取り上げられる事がなくなった理由の一つではないかと思うよ。おそらくは1955年版の映画も1977年のテレビムービーも、その時代なりに配慮した表現に変わってきているはずだ。でも、それってこの物語を語るには、なかなか難しい事だったんじゃないか?

 かように映画として魅力的な題材にも関わらず、「植民地」「異民族」…という現代ではデリケートな部分を扱っているが故に手つかずになっていた題材。だが企画が枯渇しきったハリウッドが、これに目をつけない訳がない。「猟奇的な彼女」だって「惑星ソラリス」だってリメイクしちゃうくらいだ。そんな事ぐらいで怖じ気づく訳もないだろう。彼らが考えた事はたぶん二つだ。

 カビの生えた古色蒼然たる題材ではある。だからこそ、新鮮味のある若手スターでカビ臭さを払拭する。かくしてヒース・レジャー、ウェス・ベントリー、ケイト・ハドソンというフレッシュな若手が起用された。実際はこれほどの大作だ。もっとビッグ・ネームが起用されてもおかしくはない。だけどここは、まずフレッシュさが重要視されたんだろうね。そしてこれは、ちょいと前にデュマの原作をチャーリー・シーンだキーファー・サザーランドだと若手で固めて映画化した「三銃士」の作戦によく似ている。

 そしてもう一つは、例のデリケートな部分の問題。西欧のおごりと感じさせずに、この映画の面白さだけを抽出したい。あるいは「被支配者」に配慮した映画に作り直したい。ならばここは、そんな「被支配者」からの視点で撮れる人間を中心に据えよう。

 これはちょっと意地悪く見てみれば、こうも言える。…「被支配者」側からの人間がこの映画の中心に立つ総責任者であれば、例えこのような題材であっても非難は浴びずに済むだろう…。

 かくして白羽の矢が立ったのは、たった一人。というか、そういう視点で考えるとこの人しかいない。かつての英国領だった国の出身者で、英国の文化や風習にも明るく、何より過去の英国を舞台にした映画も手がけて、欧米の大作映画として問題なく完成させただけでなく、それを高い評価を得てヒットもさせた…。

 それはエリザベスシェカール・カプールだ。

 この人が「エリザベス」に起用された時は、本当に驚いたよね。何でインドの監督がこんな題材を撮るのか分からなかった。ここでの彼は、そんな出身や自らが属するものが理由で起用されたのではあるまい。そしてカプール自身も堂々たる演出ぶりで、見事に娯楽映画として仕上げた。だが今回の「サハラに舞う羽根」に関しては前作の時とは違うだろう。カプール起用にあたって、彼がインド出身であるという点が強く意識されたのは間違いない。

 それではカプール監督は、今回この題材から「支配者」側の論理を払拭出来たのだろうか?

 まず、今回の作品には特筆すべき点が一つある。それはヒーローたるべき大冒険ドラマの主人公が、冒頭で軍隊を辞めるところから物語が始まるということだ。つまりは「戦いを放棄」してしまう。そもそも「四枚の羽根」云々って事は原作にあるはずだから、実はこれって今始まった事じゃない。でも、今の映画としては極めてアップトゥデートな問題提起に見えるよね。おそらく見てないから分からないがガチガチな「植民地主義」で凝り固まっていたであろう原作や旧作を、カプールが改めて取り上げてみようと思った最大の理由は、たぶんこのへんにあるんだろう。ここさえクローズアップ出来ればちゃんと今の映画になる…と。

 しかも興味深いのは、主人公の軍隊の辞め方…戦争の放棄の仕方だ。

 主人公は辞める前に、まず二つの事を自らの中で考える。まずは、「遙か遠方の不毛の土地を死守する事が、果たして女王や国家のプラスになるのか?」、そして「死ぬかもしれない戦場へは行きたくない」…。しかもこの映画では、明らかに二つ目の考えの方が強調されている。つまりは主人公は言ってしまえば「怖じ気づいて」戦場に背を向けた。これって極めて異例な事だと言わねばならないんじゃないか。

 欧米の娯楽映画で、およそ「怖じ気づく」ことを肯定した映画などない。ましてそれが主人公ならなおさらだ。もし仮に主人公が戦場に背を向けようと、それにはしかるべき理由が必要なはずだ。「人道的に人を殺したくない」とか「この目的では戦闘は無意味だ」とか…とにかく主人公のヒロイズムだけは保証されていた。

 だが、この映画では主人公は明らかに「怖じ気づいて」戦場に赴く事を拒んでいる。それは婚約者とのやりとりでさらに補強されるから間違いない。これは絶対に意識的だよね。

 しかもこの映画の作り手は、主人公が「怖じ気づいて」戦争を拒否する事を決して否定的には描いてないんだよ。むしろ肯定してる。「怖じ気づいて」何が悪いんだ、むしろそれは当たり前の人間の心理じゃないか…この映画ではそう言っている気がするんだよね。だとしたら、それって画期的な事ではないのか

 そんな彼を非難する仲間たち、婚約者、家族の熱に浮かされたような様子も冷ややかに描かれる。そして実際に出動した英国軍を待ちかまえているのは、予想以上に厳しい現場の状況だ。いつ弾丸が飛んでくるか分からない。常に敵意にさらされる。一般住民も英国軍に冷たい視線を浴びせかける。おまけに子供たちは石まで投げてくる。出掛けて行ったはいいが、てんで自分たちの見通しが甘かったと思い知らされるのだ。そしてその後も、英国軍の現地の人間への傲慢な態度が何度も繰り返し繰り返し強調される。

 この映画は、例の同時多発テロ以降の世界に照準を向けて企画された訳ではあるまい。その後のアメリカの軍事行動にもの申すつもりで制作されたのでもあるまい。だが結果的には、そういった諸々の戦争のメタファーになっているかのように見えてしまう。だとしたら、やっぱりこの映画は立派にアップトゥデートなものになり得ているではないか…。

 

いくら衣を変えても土台に問題ありすぎ

 このあたりまで見て来て、僕は結構この映画っていいセンいってるではないか…と思い始めていたんだね。スケールの大きさも申し分ないし、カプール起用の意味もあった。こりゃ面白い映画になるかな…と。

 ところが残念ながら、この後がいけなかった

 まずは「戦争はイヤだ」と拒否した主人公が、結局は自ら単身戦場に赴く事だ。これって確かにこうしないと主人公もドラマもどうにもならない。だから娯楽映画としては…いや、普通に考えてドラマとしてはこうしないと成立しない…ということは僕にもよく分かる。そもそも元からこの話はこうなってるはずだしね。

 だけどまずこの映画では、「戦争に怖じ気づく」「戦争をイヤだと思う」…そういう事をアリだと言ってしまってる。それでいいと肯定してしまってる。そこが画期的でもあった。それなのに、主人公がまるで自分を証明するため…のように戦場へと旅立ってしまっては、そこまでの前提が一切チャラになってしまうではないか。一体主人公は何を証明しなきゃならないんだ。自分が「臆病者」ではないという事を…か? 「臆病者」でいい、それで結構だ…と言っていたんではないのか? 仮に「臆病者」でない事を証明しなくてはならないとして、それを戦場へ行って人殺しをする事で証明できるのか?

 もうこの時点で、せっかく映画の冒頭で打ち立てた前提がまるっきりひっくり返ってる

 僕も普通の娯楽映画の中で、主人公のヒロイズムを否定してはドラマが成立しない事も分かってる。第一この原作を使うなら、展開としてこうならなきゃならない事も分かってる。だけどそれだったなら、最初から行き詰まる事が目に見えているような、「怖じ気づいて」もいい、戦争拒否の理由は「イヤだ」で十分…なんて前提を立てなければ良かったではないか。もしアレを押し通したなら確かに画期的だ。たぶん今まで誰もやらなかった。だけどなぜやらなかったかと言えば、おそらくそれではドラマが成立しない、観客の共感を得られない…と判断されたからなんだろう。そこらへんをカプールは見誤った。元々は脚本家の手違いだが、結局これで「いける」と思ったのはカプールだからね。

 そして誤算は次々起こってくる

 ほとんど現地の人間同様の姿になった主人公は、そこで現地の奴隷階級の男と出会う。主人公とこの男が人種を超えた友情を分かち合う事で、カプールは「植民地政策」とは違った真の異民族との付き合い方を提示したかったんだろう。ここらあたりは奴隷階級の男を演じるジャイモン・ハンスゥの好演もあって、決して悪い印象ではない。だから二人の熱い友情が、見ている僕らを共感させてくれる…。

 …はずだった

 だが、この男の存在はいかにも不自然だ。何のために主人公に近づいて来たのかも不明だし、何のために主人公を助けるのか分からない。それが彼のためには一つもならないし、却ってヒドイ目にあったりしている。それなのに彼はどこまでも主人公を助け続けるのだ。

 そして、それって結局は英国軍を助ける事でもある。

 そもそも彼の置かれたポジションからして、英国軍を助ける道理はない。作り手としては「英国軍に差別されている現地の人間の中にも差別がある、だから差別は人間普遍の“悪”なのだ」…とでも言いたかったんだろうか。だからって彼が英国軍に味方する気にはならないだろう。また、そうすべきだとも言えないはずだ。これが災いしてか彼のキャラは非常に分かりにくくなった。僕らにはこの男が何を考えているのか分からない。ただ分かる事と言えば、「まぁ、男の友情って事かな」…ぐらいのもの。それがなぜかやたら存在感たっぷりに出てくるから、なおさら困っちゃう。

 たぶん憶測だが、原作や旧作においてこの男の存在は、主人公はじめ英国人にとって都合のいい「味方してくれる原住民」…みたいな位置づけで描かれていたのではないか? だが、現代の映画でそれはあまりにシラジラしくウソくさい。そして今回の映画の主旨からもそれはマズイ。それで無理矢理誇り高い意志の男に仕立てようとアッチ直しコッチいじりしているうちに、この男のポジションが腸捻転現象を起こしたんじゃないだろうか。なまじっかちゃんとリアリズムで描いてあるだけに、余計この男の存在が不可解に思えてくるんだよね。

 で、そのせいではないんだろうけど、この映画って主人公がスーダンに向かったあたりから、どうもおかしな雲行きになってくるんだよね。

 まずはこの映画、中盤で英国軍が敵軍勢に攻められる見せ場が出てくる。ここはなかなか迫力があってスペクタクルとしていい。スケール感があって見応えがある。だから僕はてっきりこれがクライマックスで、この戦いが終わったらお話も収束すると思っていたんだね。

 ところがそうはならなかった。実はここからが長かった。上映時間にしてどれくらいになるのか分からなかったが、僕は見ていて長さ1.5倍増量って感じがしたよ。そして、砂漠での大攻防戦の後に延々と続くのが、敵の捕虜収容所での鬱陶しい話。解放感ゼロでウンザリしてくる。これも大誤算だったと思うんだよね。

 元々から原作がこうだった…というのはもちろんよく分かってる。だけど僕がこの映画を見ていて「あそこで終わる」と思っちゃったのは、やっぱりそう思わせるような演出があったからだと思うんだよ。と言うか、そう思われちゃう演出。カプールは演出のペース配分を見誤ったんじゃないか。だって明らかにあのヤマ場以降、映画のテンションはガクッと落ちてるからね。だからその後は、延々余計なモノがついてきてるみたいな印象になってしまう。

 そしてこの捕虜収容所のくだりがまた困ってしまう。そこの看守が残虐非道を絵に描いたような男。これじゃ「現地の連中は悪党だから、英国軍が正義を思い知らせてやれ」…って言ってるみたいに思えないか。何も現地の連中を善玉に描けと言ってるんじゃない。だが、あまりにステレオ・タイプの「悪役」演技をやらされてるから、こりゃマズイんじゃないのって思ったんだね。最後にこいつが主人公に殺された時なんて、観客がカタルシスを感じる演出をしちゃってるんだから。

 最初からそういう映画を目指してつくってるならまだいい。問題は、カプールって明らかに「支配者」側のおごりに依らない映画づくりを志向していたはずだよね。前提からしてそれはハッキリしてるよね。だったら、それでどうしてこうなるんだ…って事を言いたいんだよ。

 そしてついでに言えば、この映画で無理があるのは「戦争観」や「支配・被支配の構図」…だけじゃないかもしれない。実は「女性」の扱いについても、いささか難があるのでは…と疑いたくなるのだ。

 主人公の婚約者ってのがまたおかしなキャラクターなんだよ。

 彼女が主人公の軍隊離脱を知って罵るところまでは、分からないでもない。その後、自分が言った事を後悔するのも、分からないでもない。そのうち主人公は行方不明。彼の親友が英雄になって現れたらそっちへ傾き、結婚の約束まで交わすのも…まぁ…分からないでもない。だがその婚約者が失明して、今度は主人公が彼女の前に戻ってきたら未練たらたら。結局失明した彼のお許しをもらって主人公とヨリを戻す…って、テメエこのバカ女いいかげんにしろ!…とスクリーンに罵声を飛ばしたくなる。

 これが好感度抜群のケイト・ハドソンがやっているからまだ何とかなったものの、「パール・ハーバー」のケイト・ベッキンセールでもやっていようものなら、もう見るも無惨な状況になったと思うよ。

 結局元々のこの物語での女性の扱いって、すごく薄っぺらなものだったんじゃないかと思う。そして昔ながらの「女らしさ」の中に塗り込めてもいたし、「女の愚かさ」も平気でムキ出しに描いていた。「女はそんなもんなんだ」と描いても平気だったんじゃないか。

 あげくそんなヒロインと主人公が結ばれるために、平気でご都合主義の設定をつくる事が出来た。この場合、終盤で失明した親友を殺さなかっただけでもマシかもしれない。

 そんな時代遅れの「つくりもの」女像を、現代的な女性の衣をかぶせて何とか粉飾しようとしたんだろうが、結局そうなると今風のワガママなバカ女まであと一歩…って事になってしまった。これもやっぱり誤算だろうね。

 結局これを言ってはオシマイになっちゃうんだけど、いろいろ考えてみるとこの小説を取り上げたって事がまずは根本的に問題だったんじゃないか。確かに映画にすると面白そうな要素が詰まってる、ただ、いかにも「植民地」万歳な語り口には今時あまりに難がある。それで「被支配者」の立場に立てる監督を立ててやってみたって事なんだろうが、所詮は元の土台が同じだからリフォームには限界があったって事なんだろう。近年になってみんながこの素材にあまり手を出してなかったってのは、やっぱり正解だったんだよね。

 こうやって今まで検証してみると、確かにカプールが何とかしようとした形跡は見られる。言いたかった事も何となく分かる。だけどお話そのものをまるっきり変える訳にはいかないから、辻褄合わせとすり替えに終始させられてしまう。そのうちお話は妙な方向に曲がっていっちゃったんだよね。

 今回の作品、他の役者もそうだが主演のヒース・レジャーは頑張っている。この人こうしたコスチュームものの出演が「パトリオット」「ロック・ユー!」と相次ぐが、今回はスーダンに渡ってからの汚れっぷりがなかなかいい。ヒゲを生やし髪を伸ばし、汚らしくなったサマがなかなか男っぽいのだ。そしてイギリスに戻って小ざっぱりしてからの彼がまたいい。外見上は映画冒頭の彼に戻った姿なのに、ちゃんとそこに成長の跡を感じさせているのだ。このようにレジャーはいい味出していて今後が楽しみな好調ぶりだけに、今回のこの結果は残念なんだよね。

 最終的にはウェス・ベントリー扮する目の見えなくなった親友のスピーチで、あたかも物語の結論とするカタチをとっているんだけど、これがカプールのやりたかった事、やれなかった事を如実に示していて忸怩たるものがある。

 「兵士は何のために戦うか? 大儀のためでも国のためでもない。戦友のために戦うのだ

 一見美しい事を言っているように聞こえる。真っ当な事を言っているように思える。戦争における大儀を否定し、国家など何だ…と言い切っているように見える。カプールは最初の前提を守りきったかに思えてくる。

 でも、それってカプールが最初に掲げた「何はともあれ戦争はイヤだ」から、あまりにほど遠い発想ではないか?

 戦友のためだから殺すんであって、そうでなきゃやらない。意味のない殺生はしない…ちょっと待っていただきたい。例えそう言ったところで、結局やってる事は同じではないか。「正しい理由さえあれば戦争はオッケー」…この言い訳に誤魔化されて、今までどれだけ無益な戦争が行われて来たか。それって何かすり替えられたような、ダマされたようなイヤ〜な気持ちになるんだよね。

 このスピーチが終わって、主人公とヒロインがシレッと手を取り合って立ち去っていくラストは、まるで悪夢だったよ。主人公に「そんな女ドツキ倒しちまえ!」と叫びたくなった(笑)。

 カプールには、オレなら何とか出来るって目算があったはず。だが、そんな理想も完全に空振りに終わっちゃったみたいだ。だって元々が「植民地支配」こそを土台にしたお話なんだからね。衣を剥いで付け替えたってダメだろう。それで戦争への警鐘や強者の横暴を描こうとするなんてムチャだったんだろうね。最初から、そして根本的に企画に無理がありすぎたんだろう。

 それを「できる」と踏んだカプール監督の過信でもあったのかな。

 

 

 

 

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