「28日後…

  28 Days Later

 (2003/09/22)


  

自民党総裁選と原始人の埋葬

 先日の自民党総裁選も、あっけなく小泉勝利で終わっちゃったみたいだね。

 僕は党員でも何でもないから本来関係ないんだけど、自民党総裁がイコール日本の総理大臣となっちゃう現状では、関係ないとも言ってられない。そう考えると、今回のこの総裁選は一体何だったのだと言いたくもなる。だってあの青木というジイサンは何者なのだ。小泉氏の政策は反対でぶっつぶすけど、とりあえず小泉支持って言うのは何なのだ。そういうのってアリなのか。

 小泉政権が出来てから、ハッキリ言ってちょっとあまりにあまりな世の中になってやしないか。無責任に何でも政府批判をすればいいとは思わないが、正直言って少々ひどすぎやしないか。こんな事を真っ正面から僕が言うのも希だが、さすがに何か言いたくもなるよ。

 巷にこんなに自殺者が出るのも、今までなかった事だろう? 犯罪は激増してる。何と犯罪の中味もひどくて、農作物の泥棒なんていうのまで出てきた。ブドウだナシだって人様が丹誠込めてつくったものをゴッソリとネコババ。こんな事、今までなかったじゃないか。これって世の中悪いからって言い切っても間違いじゃないだろう。そのへんの責任ってどう考えているんだろう。

 小泉氏の従来の十八番の台詞は、「痛みを耐えて」ナントカっていうやつだったよね。「痛みに耐えろ」とはよく言ったものだ。それってよく考えてみるとちょっとどうかと思うよ。だって突き詰めて考えてみれば、その言葉ってこういう意味にならないか。

 「甘ったれんじゃねえ」

 キレイな言葉でくるんではいるが、そんな事をこういう時期の政権担当者が言っていいんだろうか。僕はちょっとばっかり疑問に感じちゃうんだよね。

 で、そんな事ばかり聞くと、僕は以前テレビで見たある番組を思い出してしまう。

 それは、とある場所で発掘された、原始人の遺骨についての番組だ。

 その遺骨がどこで発見されたか、いつの時代の「何原人」なのかは忘れた。だけどその遺骨には、極めて際だった特徴があったらしいんだね。

 それは埋葬されていた

 穴を掘って埋めた遺体であることが、発掘調査で明らかだったんだよ。そして埋葬の儀式も執り行われていた。なぜなら、遺体からは過去の植物の花粉が発見されたんだよ。つまり埋葬に当たっては、遺体の上に花が飾られていたんだ。現代の僕らがやっている、葬儀と同じ事を彼らもやってたんだよね。

 これがいかに大発見であるかは明白だろう。まだ文明のない原始人は、ケダモノと同じと思われていたんだからね。だけど、そこに花を飾って埋葬したとなると話は別だ。それは亡くなった者を悼む気持ちが込められている。その人間への優しい気持ちや、死を悲しむ気持ちが伝わってくる。それって何より、人間に対する思いやりの気持ちではないか。

 しかもその遺体は、遺骨の様子からすでに体の自由が利かない老人である事も分かってきた。これってスゴイ事じゃないか。文明などない原始人の暮らしがどれほど過酷なものか。いつも危険と隣り合わせの暮らし。文字通り弱肉強食の状況下、モラルも何もない彼らが、体が不自由な老人を守りながら暮らしていたんだよ。これをケダモノとはもはや言えないだろう。

 転じて現代、今のこの日本に、そんな他人を思いやる気持ちがあるだろうか。いや、僕も含めて極めて怪しいと言わざるを得ない。これは決して僕も人ごとではない。ハッキリ言ってここで偉そうに言える道理は僕にもない。

 考えてもみてくれ。例えばイマドキ企業が調子に乗って連発する「実力主義」とやらも、一見アメリカンな合理主義でもっともらしく見えるが、あれは資本家がテメエに都合良く働く人間をどうにでも出来るシステムでしかない。そもそもアメリカン・ウェイそのものも、学ぶべき点もあるとは思うが、そんなに何から何まで素晴らしいものとは思えない。あの国が先住民族を蹴散らかして土地を乗っ取って出来たもので、現在まで日常に銃を振り回す事が出来る社会であることを考えれば、とても全面的にありがたがれる訳などない。あくまでそれを前提として考えなければ、おかしな事になっちゃうんだよ。別に昔の労働組合みたいな、寝ぼけた事を言うつもりはない。でも弱肉強食、つまづいた奴は見捨てりゃいいなんて、そんな考え方はとても容認できない。だってみんながみんな「日経読んでます」ってな、ええカッコしいのキャリアウーマンみたいな訳じゃないだろう。自分がいつつまづく側に回るかなんて、誰にも分かりはしないんだよ

 そんなコワモテなアメリカの言うことを聞いて、道理などないイラク駐留に人を出してどうするのだ。行かされる者の身にもなれ。小泉氏はご自分のご子息でもそこに派遣出来るのか。そしてこの世の中の状態をどう思っているのか

 「痛みに耐えろ」

 そんな事がよく平気で言えるものだ。弱者を守り、亡くなった者を丁重に弔っていた原始人を思うと、とても現代人は彼らを笑えないんじゃないか。そして彼らの方がきっと分かっていた

 本当の人間の本能とは、一体何なのかということを。

 

眠っている間に、人類は破滅してしまった

 ここはある研究所。真っ暗な部屋の中では一頭のチンパンジーが縛り付けられ、何台ものテレビ・モニターを無理矢理見せられている。それはすべて、暴動、虐殺、内戦…等々の人類の暴力行動の映像だった。部屋には他にもチンパンジーたちがオリに入れられている。ここでは一体、何を研究しているのか…?

 そんな暗い部屋の中に、何人かの男女が入り込んだ。彼らは動物愛護団体の活動家だ。ここに繋がれたチンパンジーたちを放してやるために、不法に忍び込んだ連中だった。

 だが、たまたまその場にいた研究員が彼らを止めた。

 活動家たちは動物は可哀相なのに人間はどうなろうと一向に気にならないらしく、研究員をブチのめそうと近づいていく。だが研究員はそんな彼らを大声で制止した。「やめろ、動物を放すな。奴らは感染している!

 「感染? 何に感染しているんだ?」

 活動家のうちの一人がギョッとして立ち止まるが、時すでに遅し。女の活動家がオリを開けて、一頭のチンパンジーを解放したではないか。

 「やめろ、危ないぞ!」

 だがチンパンジーは一気に女活動家に飛びかかった。激しいもみ合いになったあげく何とかチンパンジーを殴って引き離したものの、どうも女活動家はどこかを噛まれたようだ。

 「いかん、すぐに殺さなきゃダメだ!

 だが他の活動家たちは何の事か分からない。そのうち女は激しく血を吐いて身もだえし、形相も険しくなっていった。呆然とするばかりの他の人間たち。

 そんな彼らに、様相を一変させた例の女が真っ赤に充血した目を向けた!

 「グワ〜ッ!」

 

 それから28日後のこと…。

 一人の若者キリアン・マーフィーが、病院のベッドで目覚める。腕には点滴をつけられたまま。周囲にはいろいろ医療機器が置いてある。

 だが、人が一人もいない

 医者もいない看護婦もいない、見舞いの客も…第一、患者すらいない。病院内はただガランとしている。そしてまるで竜巻にでも襲われたかのように、どこもひどく散らかったままだ。一体どうしたのか?

 マーフィーは壊された自動販売機から何本かコーラやジュースの缶を集め、ビニール袋に入れてオモテに出た。だが事態は何ら変わらない。

 巨大都市ロンドン。そこは今、人っ子一人いない街だった。車も走っていない。物音一つしない。耐えきれなくなったマーフィーは大声を張り上げる。「ハロー! ハロー!」

 だが、返事などどこからも返っては来ない。有名なロンドン・バスがぶっ倒れている。見ると町中に設置された掲示板には、行方知れずの家族友人知人を探す手作りのビラが無数に貼り出されている。確かに何かが起こったに違いない。だが、それは一体なんだ? そもそもみんなどこに消えたのだ?

 日も暮れて寂しさもいや増すマーフィーは、とある教会へと足を運ぶ。そこで彼は、ようやく他の人間を見ることが出来た。いや、人間の痕跡…とでも言うべきものだろうが。

 それは山のように積み重なった夥しい人間の死体だった。

 最悪の予想が的中した事に愕然とするマーフィーだが、それでも彼は死体の山に対して、「ハロー!」と呼びかけずにはいられない。

 すると、死体の山の中で何かが蠢いた。

 死体に紛れて、まだ死んでいない人間がいたのか。そこにマーフィーがいる事を察知すると、ササッと動き出した。何となくイヤ〜な予感がするマーフィー。扉を開けてマーフィーの前に現れたのは、この教会の神父らしき人物だ。だが様子がオカシイ。妙なうなり声を上げながら、すごい勢いでマーフィーに突進してくるではないか。その目は真っ赤に充血している。さすがのマーフィーもこいつは変だと気づかざるを得ない。襲いかかって来た神父を、マーフィーは缶ジュースの入った袋で思い切りブチのめした。神父は派手にひっくり返る。

 「あ、すみません神父…」

 とは言え、神父はすぐにも起き出して襲いかかってくる勢いだ。マーフィーはドアを開けてその場を離れた。だが教会のあちらこちらから、何者かが殺到しつつある音が聞こえてきた。こいつはマズイ。早く逃げなければ!

 教会を飛び出したマーフィーだが、例の奇妙な連中は全速力で追いかけてくる。走って走って走って…そんな彼のすぐそばを、まるで伴走するように走る人影が…。

 バ〜〜〜〜ン!

 いきなりマーフィーを追いかけていた奴が火だるまになった。さらにもう一人も火だるまに。見ると、マーフィーと一緒になって走る二人の人物が、火炎瓶を投げて追いかける奴らを攻撃しているのだ。

 「早く、こっちよ!」

 だがマーフィーは何が何やら分からない。「一体どうしたんだ、君らは誰なんだ?」などと連発してばかりだ。だがこの二人の人物…黒人女性ナオミ・ハリスと白人男性ノア・ハントレーは、有無を言わせずマーフィーを引っ張って行く。

 やがて火だるまになった奴がガソリンスタンドに突っ込んで、タンクに引火! ガソリンスタンドは大爆発を起こした。

 マーフィーは例の二人に連れられ、地下への入口へと急ぐ。そこから地下鉄駅構内に降りていき、駅の売店へと滑り込んだ。

 シャッターを下ろしてセーフ!

 どうもここが二人の隠れ家らしい。一息ついたところで、マーフィーに質問が飛ぶ。「あなたは一体何者? 病院から来たのね?」

 戸惑いながらマーフィーはこれまでの顛末を語った。彼は自転車メッセンジャー・ボーイの仕事をしていた。だが車にはねられ病院へ…。そして、このテイタラク。

 そんなマーフィーに、ハントレーは淡々と語りかけた。「実は君に悪い知らせがあるんだ…」

 最初は、それは地方から始まった。いつの間にか全国に広がり、ロンドンにも飛び火した。それは暴動のようだったが、実はウィルスの仕業だった。血液にその何かが入り込むと、人はたちまち凶暴になって他人を殺したくなってしまうのだ。軍隊の封鎖も突破された。避難も間に合わなかった。大勢の人が外国へと逃げ出したが、そのうちにパリやニューヨークでも感染者が報告された。それを最後に、テレビもラジオも何も機能しなくなった…。

 最悪の事態…だが、それでもマーフィーは家族が生きていると信じたかった。黒人女性ハリスと白人男性ハントレーは無駄だと言い張ったが、マーフィーは譲らない。こうなりゃ見届けて納得させるまで…と思ったか、翌日陽が上ったらマーフィーの家を訪ねるということで話は決まった。

 だが、やはり二人が正しかった。明るい昼間を使って訪ねてみたマーフィー宅では、寝室で両親が睡眠薬を飲んで死んでいた。もちろん前途を儚んでのことだ。

 愕然とするマーフィー。だが二人は静かに言った。「安らかに亡くなったんだ、喜ぶべきだよ

 これからでは元の地下鉄駅には戻れない。もう暗くなってしまう。暗くなったら例のウィルス感染者たちの天下だ。今夜は一同でマーフィーの家に泊まることになった。

 だが、ここもまた安住の地ではなかった。夜中、感染者が家に飛び込んで来たのだ。慌てふためくマーフィーを横目に、ハリスとハントレーの奮戦で感染者は始末した。だがその際に、ハントレーが腕を噛まれてしまった

 「ま、待てよ!」

 だがハリスはハントレーにナイフを突きつける。有無を言わさずハントレーにナイフを突き立て、息の音が止まるまで何度も何度も刺し貫いた。つい先ほどまで共に話し戦っていた仲間を殺す…。そのあまりの冷血ぶりに、唖然とするマーフィー。だがコワモテの黒人女ハリスは憮然としたままだ。

 感染者に噛まれたり、感染者の血が口に入ったり粘膜に触れたりしたら、その人間もウィルスに感染してしまう。その時は殺すしかない。この点に関して、ハリスの言い分は明快だった。「10秒か20秒で始末するのよ。あなたがそうなっても、私は一瞬で殺すわ

 ともかく一度嗅ぎつけられたらここは危ない。とりあえずは夜中でも避難だ。

 再び街中に戻って来たマーフィーとハリス。生き残るのが大切とのハリスの意見はごもっともながら、マーフィーは今ひとつ釈然としない。そんな彼らの目の前に、信じられない光景が現れた。

 何と前方の高層アパートの窓に、クリスマスの豆電球のような色とりどりの灯りが点滅しているのだ。

 誰かがいる。

 何が待ちかまえているのか分からないが、とにかく誰かがいる。マーフィーとハリスはともかくその場所に行ってみる事にした。するとまずは高層アパートの一階にバリケードが築いてある。そこを何とかよじ登り階段を上がっていくと、どうも何者かが例のバリケードを通過した物音がするではないか。

 感染者だ!

 慌てて階段を駆け上がるマーフィーとハリス。すると前方から機動隊のヘルメットと盾と棍棒で身を守った男が現れる。「早く早く! オレたちの部屋へ行け!

 だが開いていた部屋の扉は目の前で閉まった。中にいた女の子が閉ざしたのだ。ハリスはわめく。「ここを開けて!」

 だが中の女の子は頑なに扉を開けようとしない「アナタは誰? パパはどこ?」

 機動隊スタイルの男は、突進してくる感染者をブチのめす。そして安全を確認してから、自室へマーフィーとハリスを迎え入れた。「ようこそ!」

 機動隊のヘルメットや盾をはずした男はブレンダン・グリーソン、かつてはタクシー運転手だった中年男だ。この部屋はこのグリーソンと娘のミーガン・バーンズの暮らす家。彼らは誰か生存者が気づくようにと、窓にクリスマスの飾りを置いて点滅させていたのだ。

 まずは一息。新たな生存者が見つかってめでたし。だがここでの生活も長くはもつまい。ハリスはマーフィーと二人きりになると、例によって例のごとしの口調でズバリと言い放つ。「あの二人は足手まといになるわ。いざとなったら…」

 確かにここでの生活はもう先が見えていた。水はとうの昔に切れていて、グリーソンは屋上いっぱいに空のバケツを並べているが、ここ一週間というもの雨がない。そんなグリーソンは、マーフィーとハリスにラジオの音声を聞かせるのだった。

 「…感染への答えはここにあります。私たちは第42封鎖隊です。ここには生存者がいて、あなたの来るのを待っています。場所はマンチェスターの北東…」

 ここからなら車で2〜3日で行ける距離だ。グリーソンはここへみんなで行こうと言う。ハリスは例によって辛辣な口調で反対した。音声はどう考えてもループしたテープ録音だ。もう誰も生きてないかもしれない。

 だが、ここで待っていても死を待つばかりなのは明らかだ

 結局一同はグリーソンのタクシーに乗って、ラジオが伝える第42封鎖隊をめざす事になった。

 途中のトンネルでパンクして感染者たちに襲われかけたり、スーパーで食料や飲み物を補給したり…やがて一同は都市部を抜けて、緑豊かな田園地域に差し掛かる。一同は原っぱでピクニック気分を昼食をとるが、そんな彼らの目の前を、何頭もの馬が駆け抜けて行った。それを見る限り、世界はまだ何も変わってないみたいだ。

 さらに先へ進んでいった彼らは、前方に信じがたい光景を目にすることになった。それは空に忌まわしく広がる黒煙。行く手マンチェスターの街全体が、激しい火災にみまわれているのだ。しかしいまや誰も消し止める者はいない。その黒煙を見る一同には、まるでそれが自分たちの前にたれ込める暗雲のように映ったのだった。

 そしてついに、一同が目指す先にやって来た。その場所では、確かに道路が軍の管理下で封鎖されていた。だが、どうにも静まりかえっているのが気にかかる。車を降りて近づいてみるが、中からは誰も出てこない。一時は多くの人間を収容し、軍の拠点であった事は明らか。しかし今、そこにはまるで人けがなかった

 軍はどこかに避難してしまったのか? それともここで全滅してしまったのか? そしてロンドンから逃れて来た主人公たちは、この先どうしていけばいいのだろうか?

 

不評を乗り越え基本を押さえたダニー・ボイルの新作

 「トレインスポッティング」で注目を集めたダニー・ボイルの新作…と聞くと、複雑な思いにとりつかれる人も少なくないのではないか?

 その「トレスポ」大評判でハリウッドに上陸。「普通じゃない」を発表したが、まぁこれはまだそれほど不評をくらわなかった。次いで勝負作として、大スターのレオナルド・ディカプリオを主演に迎えた「ザ・ビーチ」を発表。これが世間の圧倒的悪評を集めてしまった。この時の悪口雑言の嵐を見ていて、僕はこれじゃちょっとダニー・ボイルは復活出来ないんじゃないかと人ごとながら心配になっちゃったよ。

 このザ・ビーチについては僕もその感想文にいろいろ書いたけど、世間が言うほど悪い映画と思っちゃいない。確かに「トレスポ」ほどのアッパレな出来とは言えないかもしれないが、あれほど批判にさらされたのはいかがなもんかと思っているんだね。大体、マイナーで評価された人間がメジャーに移ると、途端に罵倒されるのはこの世界の常。こう言っては酷だとは百も承知。だけどそれってありがちだからね。そして、誰でもファンと名のつく人は必ずこう言うもんだ。ベルトルッチはイタリア時代の方がよかった、ピーター・ウェアーはオーストラリア時代の方がよかった…確かに時としてその通りの部分もあるし、当の僕自身がそういう事を言いがちだ。けれどその多くは、実はメジャーになった事そのものが気に入らないってだけだったりする傾向があるんだよね。

 でなければ、やっぱりディカプリオを主演に迎えたって事が致命的だったのだろう。ミニシアターにかかる映画をつくっていた奴が大スターのディカプリオ主演映画を撮る。しかもそれまでの盟友だったユアン・マクレガーを「切って」…だ。しかもしかも、ディカプリオもあのメガ・ヒット作「タイタニック」の後のブランクを経て、久々の主演作だ。みんなブッ叩こうと手ぐすね引いていた。どんな映画が出てきたって、見る前から駄作と言おうとみんな頭から決めていた。こういう人って結構多かったんじゃないの?

 ところがそんな大酷評「ザ・ビーチ」の後に出てきたダニー・ボイルの新作は、またしてもイギリスに戻っての小規模映画だ。すると、みんな諸手を上げて大喜びってくるから分かりやすくて笑っちゃう。やっぱりハリウッドに毒されていたのがイケナインダ…まぁみんなそう言いたいんだろう。確かに一見そう見える。だけど僕も驚いたんだけど、この新作「28日後…」って脚本に「ザ・ビーチ」の原作者アレックス・ガーランドを迎えているんだよね。って事は、このガーランドって原作者は「ザ・ビーチ」を見るに耐えない作品とは思っちゃいないんだろう。だってもしアレをヒドイ映画だと思っていたら、わざわざその監督と組んで映画をつくろうとは思うまい。

 まぁゴタクはそのへんにして…ただし僕も「トレスポ」の鮮烈さに比べれば、「普通じゃない」「ザ・ビーチ」は本調子とは言えないのは認める。特に僕にとっては、むしろ僕がピンと来なかったのは「普通じゃない」なんだけどね。「ザ・ビーチ」はそれなりに面白さを感じていた。それはともかく、そんなこんなでイギリスに戻ってのこの「28日後…」は、何と人類絶滅もの映画だと言うではないか。

 そうなれば、SF映画好きの僕のツボだ。この映画はぜひ見たいと思った。ダニー・ボイルが人類絶滅ものってのは予想もしなかったけど、とにかく見てみたくなるではないか。

 で、実物に接してみた感想は…面白い!

 久々にSF映画好きの僕が納得する、人類絶滅もの映画を見たよ。ちゃんとやるべき事をやっている。押さえるべきところを押さえてる。ダニー・ボイルかアレックス・ガーランドかは分からないが、きっとかなりSF映画…それもこの手のジャンルに精通している者がつくった映画だということが分かる。あの「トレスポ」監督が…というキャッチフレーズが連想させる奇策ではなく、あくまでこの手のジャンル映画に対してオーソドックスな手法で攻めてる。だから好きな者には嬉しい。その上で、ダニー・ボイルはやはり彼ならではのやりたい事をやっているのだ。やりたい事、言いたい事のために、まずは基本を押さえる。この謙虚な姿勢、過去の作品や作家たちへのリスペクトが感じられるから、とても好感が持てるんだよね。で、見始めてすぐに、ある映画の事を思い出していた。

 昨年公開されたバイオハザードは、ゲームが元ネタの映画という悪いジンクス乗り越えて、なかなかどうして見せる映画に仕上がっていた。だけど僕があの映画で一番心惹かれたのは、実はエンディングなんだよね。ヒロインのミラ・ジョボビッチが病院に収容されて意識を失ってからしばらく経って、病室で目覚めてみると誰もいない。オモテに出ると街は無人で荒れ果てた状態だ。この後、世界はミラジョボは、一体どうなっちゃうんだろう?…そんな不安が思いっきり漂いだすエンディング。僕は実は、むしろあの後から…を見たかった

 実は今回の「28日後…」は、この「バイオハザード」のエンディング「そのまんま」から始まるような映画なのだ。僕がいかにワクワクしたか分かるだろう。それにしてもこのジャンルのお約束的設定とは言え、ここまで両者が似てくるっていうのは単なる偶然なんだろうか?

 誰もいない、ガランとした大都会ロンドンの黙示録的状況。何をゴチャゴチャ言うよりも、まずはとにかく「無人の大都会」の絵がバンと出てくるだけで問答無用の迫力だ。この映画の前半部分は、こうした有無を言わさぬ「絶滅」のイメージが圧倒的に描かれている。これだけで僕には見応えがあったよ。

 実は上記した「バイオハザード」のエンディングも嬉しかったけど、最近ではもう一本僕を喜ばせる映画があった。トム・クルーズ主演の「バニラ・スカイ」だ。クルーズ演じる主人公の悪夢として、彼が無人のニューヨーク・タイムズスクエアを歩く場面が出てくる。アレもガランとした「無人の大都会」の絵が嬉しかった。僕はこういうビジュアル・イメージにすごく惹かれてしまう。絶滅もの映画では、ともかく無人になってしまった世界がちゃんと描けているかどうかが大事なのだ。もしその「絵」さえ捕らえられれば、それをバンと出すだけで観客は納得してしまう。

 そしてそんな僕の「絶滅」の原風景になっているのが、実はチャールトン・ヘストン主演の1971年作品地球最後の男/オメガマンだ。原作は才人リチャード・マシスンというのも嬉しいが、最初にこの映画を見た時は確か中学1年生。マシスンも何もかも知る由もなかった。

 中ソ戦争の末に細菌兵器が使用され、人類は絶滅してしまう。ワクチンを注射して生き延びた主人公ヘストンが、無人になったロサンゼルスを車でほっつき歩く前半部分が圧巻だ。戦争がどうだ、細菌兵器がどうだ…と言うより、とにかく無人になった大都市の風景がトラウマになりそうなほど圧倒的だった。僕が映画好きになったキッカケの作品っていろいろあって、例えば東映の実写版「黄金バット」、アニメの「空とぶゆうれい船」、ビートルズ映画「ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」とか、挙げようとすれば何本かすぐに挙がる。そんな中でもこの「オメガマン」は、僕にとって最重要作品の一本だ。

 もっとも…だからと言ってこの「オメガマン」、決して名作・傑作なんかじゃない。この映画ちょっと後半になるとタルいアクションになったりするから、たぶん凡作としての評価しか受けてないだろうと思っていたんだね。だが、僕の心にだけは強烈に焼き付いている映画だ…と。ところが最近出たこの「オメガマン」のDVDを見ていたら、中のインタビューでこの作品がいまや「カルト」化している…と言ってるんだよ。

 えっ、まさか! 僕が映画を好きになるキッカケにもなったこの映画。でも、映画史には埋もれてしまいそうな吹けば飛ぶような作品。そんな「オメガマン」が、まさかいつの間にかカルトだとは…。

 でも無理もないかもしれない。ひょっとしたら、あの無人になったロサンゼルスがトラウマになった奴って結構いるかもしれないな

 で、この「28日間…」の作り手たちも、たぶん間違いなく「オメガマン」を見ている

 なぜなら前半の圧倒的無人都市の描写もさることながら、その他の基本的な設定にも大いに共通するものがあるからだ。

 「オメガマン」は細菌兵器で人類が絶滅、文明が崩壊するが、ごく少数の人間が感染者として生き残る。彼らもいずれは病魔に倒れるものの、それまでは感染者特有の症状だけで留まっている。それは瞳が真っ白に変わって光に弱くなること。だから真昼には活動しない。そして自分たちがこうなったのは文明のせいだとばかり、狂信的な集団となってヘストンをつけ狙う。彼らにとってはヘストンは忌々しい過去の文明の象徴なのだ…。マシスン原作では映画と違って感染者はヴァンパイア化する設定だったが、ともかく「光に弱く夜に活動する」というコンセプトは残っていた。

 「28日後…」にはそれ以外にも「ゾンビ」など、さまざまな人類絶滅SFホラー作品の影響がそこかしこに見られる。それら一つひとつを見ても、作り手がそれらをこよなく愛し、敬意を表しながらつくっていることがよく分かる。だが、無人都市の圧倒的描写と感染者が夜しか活動しないという設定は、あきらかに「オメガマン」の影響下にあるだろう。

 

典型的人類破滅映画に新味と「らしさ」を注入

 そんな「温故知新」な絶滅SFの王道をゆく「28日後…」だが、逆に今回このジャンルを映画化するにあたって、新味を盛り込んだ点もある。

 それはデジタルビデオ撮影の大胆な導入だ。

 まず断っておきたいのだが、昨今の映画におけるデジタルビデオ撮影大流行って傾向、僕はあまり嬉しく思ってはいないんだよね。確かにデジタルビデオ撮影って手軽だし、機材も小型で機動力がある。予算的にもラクになるところもあるから、いろいろな人々が気軽に映画をつくる助けにはなるだろう。

 だけどどうしても巷に溢れるデジタルビデオ撮影映画を、僕はいくつかの少数の例外を除いて、あまり好意的には見れなかった。ラース・フォン・トリアーの「ダンサー・イン・ザ・ダーク」とかも、せっかくのミュージカル場面はフィルムでリッチに描いて欲しかった。そしてトリアーあたりが先頭切って提唱した「ドグマ」とかいう映画運動も、何だか貧乏くさい映画をはびこらせただけで気に入らなかった。全部が全部って訳じゃないけど、このデジタルビデオ撮影映画って高校の映研でつくってる独りよがりなアマチュア映画みたいな雰囲気を醸し出すんだよね。

 それはデジタルビデオの画面効果が…って訳じゃなく、それをつくる側の姿勢に問題があるんだろう。デジタルビデオだから気軽に撮れる…それはまったく素晴らしいんだけど、その気軽さに溺れてか名のある映画人までが、まるでアマチュアリズムのままみたいな映画をボロボロと撮り始めた。それは意欲的…と言えば聞こえがいい。だけど「好き勝手に自由に撮れる」ってスタンスが、得てして作り手の「甘え」になりがちなんだよね。

 引き合いに出しては申し訳ないが、最近ではマイク・フィッギスの「HOTEL」なる映画がその典型だったような気がする。それなりに知られた役者たちを集めて思うがままに撮ったんだろうが、まるっきりユルユルだった。まずはお仲間でも集めたようなんだが、物語に不必要なただ出てきただけみたいなキャラクターがいくつも出てくる。スケジュールの関係で顔だけ出したって明らかに分かるんだよね。それってあまり意味ないんじゃないか。その他にも現場じゃやってて面白かったんだろうし、いい思いつきだと感じられたんだろうが、実は無意味でその後まったく必要のない芝居やら設定やらエピソードが次々出てくる。面白そうな雰囲気が漂っていることは分かるんだけど、残念ながらどんな思いつきも練り上げなしにはちゃんと結実しないのだ。興味深い試みとは思うのだが、プロフェッショナルな作品としてやや難ありと言わざるを得ない。デジタルビデオには罪はないんだけど、それを使って気楽にやった結果が、クリエイティブな気分に浸ったマスターベーションに終わってる気がするんだよね。

 それに、やっぱりデジタルビデオを使うのならば、それなりの必然性というものがあるだろう。映像表現としても、それを使ったなりの意味がなくてはならないはずだ。

 その点、この「28日後…」には必然性がある

 まずは前半の無人のロンドンを撮るために、機動性があるデジタルビデオ撮影の必然性があった。おそらくは早朝の限られた時間しか撮影出来なかったり、時には交通止めなどもしたのだろう。そんなほんの数分勝負の撮影も、デジタルビデオなら可能だ。この作品のデジタルビデオ導入は、まずはそんな現実的な側面から考慮されたものだと思う。

 そしてそれは映像表現としてもちゃんと活かされているのだ。まずはデジタルビデオの持つ即物的な画面の質感が、人類絶滅というとんでもない物語に現実的なニュアンスを付け加えている。まるでテレビ・ドキュメンタリーの撮りっぱなし映像みたいな、有無を言わせぬリアル感だ。

 さらには気持ちも荒む主人公たちの心象風景を、画面だけで伝える映像表現としても威力を発揮している。襲いかかってくる感染者たちも恐ろしいが、感染者とは言え他人を容赦なく殺さねばならないのはもっと恐ろしい。さらにはさっきまで一緒にしゃべっていた相手でも、ひとたび感染したら躊躇せず殺さねばならない忌まわしさ。しまいには感染者ではない健康な人間同士でも殺し合うハメになるやりきれなさ…そんな殺伐たる状況と、そこに直面した主人公たちの心情を表すべく、デジタルビデオのどこか寒々としたザラザラな画質が活かされている。これは決して偶然そうなったんじゃない。映画冒頭に出てくるフォックス・サーチライト・ピクチャーズのロゴ画面ですらデジタルビデオ処理されている点を見れば、作り手がこの映像表現に自覚的なのは明白だ。

 そして何よりこの映画は、やっぱりダニー・ボイルの映画なんだよね

 それは些細なところから指摘すれば、ちょっと屈折した皮肉なユーモアとでも言うべきだろうか。動物愛護団体が「生類憐れみの令」よろしく悪乗りしたせいで人類が絶滅してしまう…というオープニングからまずキツい一発。スーパーで食料を調達している際に無農薬野菜は腐って使い物にならず、登場人物が農薬たっぷり使ったみずみずしい果物をうまそうに取り上げる…というあたりも苦いジョークだ。そして何より、感染者より健康な者の方がタチが悪かった…という笑うに笑えない不条理ギャグ。やっぱりこれは「トレインスポッティング」の監督の映画なんだよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは映画を見てから

 

 

 

 

 

 

 

 

 特に後半、巨大な屋敷に立て籠もって孤立する兵士たちと主人公が遭遇してからは、まさしくダニー・ボイルの真骨頂ではないか。感染者との果てしない戦いで感覚や感情が疲弊した兵士たちは、すっかり精神に異常をきたしている。実は国外には無事な人々がいる事も薄々知りながら、それには頑なに目を塞ぎ耳を閉じて立てこもる。もはや軍人としての使命も形骸化している。さらには殺しに喜びを見いだし、助けを求めてきた民間人の女を我がものにしようとするほど腐敗も極まっている。良心がマヒしている。確かに多少の不便や孤独を我慢すれば、ここは彼らがやりたいように出来る王国なのだ…。この兵士たちの設定って、何となく「地獄の黙示録」のカーツ大佐あたりを思い出させるが、それと同時に人々が孤立して人間性をマヒさせ、どんどん腐敗していく恐ろしさを描いた「ザ・ビーチ」をも連想させるよね。そう言えば「ザ・ビーチ」の後半には、その「地獄の黙示録」が引用されていたではないか。こうなると「ザ・ビーチ」は再評価の必要があるんじゃないかと改めて思うよ。

 かくして感染者より実は狂った健康者の方が怖いと分かって、終盤は主人公の青年が孤軍奮闘、この兵士たちを相手に戦う事となる。ここで何と彼は、感染者をも利用して戦いを進めるんだよね。こうなりゃ感染者など大した事はない、問題なのはマトモなはずの人間そのもの…ということを表している皮肉な設定だ。

 劇中でも兵士たちを率いる少佐(クリストファー・エクルストン)が、象徴的な事を言っていた。「感染者が出てから4週間の間、私が見たのは人々が殺し合う様子だった。もっともその前の4週間も人々は殺し合っていた。そのまた前の4週間も同じだった」…結局何も変わらない。感染しているしていないは問題ない。元々人間はこういう生き物だったのだ…。

 だから主人公が感染者より健康者を恐れても不思議はない。そして主人公と兵士たちが殺し合うのも道理だ。なぜなら、元から何も変わりはしない。そもそも人間とは殺し合うのが本能なのだから。仲間を助けに現れた主人公が、感染者と間違われて頭を殴られるあたりは、そのあたりを何より如実に表しているではないか。彼らのどこに区別をつける事ができる?

 いや、違う。

 この映画の主人公の青年は、ただ兵士たちと戦っているのではない。彼は仲間を助けにやって来た。そのために危ない橋も渡ったし、一人で去っていくことも出来たのに戻って来た。

 そう言えば物語の最初の頃では、主人公の青年が仲間の黒人女性にいちいちシビアな事を言われていた。「感染したと分かればすぐに殺す」「足手まといは置いていく」「自分さえ生き延びればいいんだ」…そんなコワモテの発言に反駁できないものの、何となく納得出来ない青年だった。しかし彼は最期の兵士たちとの戦いを通じて、自らの行動で身をもって主張したんだね。そんなことはどこか間違っている…と。なぜなら彼は復讐のために戻って来たのではない。殺しのために戻って来たのではない。自分の仲間を助けるために、たった一人でわざわざ戻って来たのだ。

 この後の戦いで深手を負った主人公を、仲間の黒人女性は病院に担ぎ込む。劇場では今、その結果が両極端になった二つのエンディングの両方を上映している(これは映画を見せる側としていかがだろう? もう一つのエンディングはDVDの特典映像にでも付けて、ここは決定バージョンだけ見せた方が良かったんじゃないか?)が、そのどちらをとるにしても、彼女の心境は最初の頃の発言とは明らかに変わっている。だからこの映画には、どこか淡い希望の光が差し込んでくる。

 助けるんだ、そして生かすんだ。

 殺し合いじゃない、人間の本能は本当はこっちなんだ…と教えてくれるからね。

 

 

 

 

 

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