「シモーヌ

  Simone

 (2003/09/15)


  

ネットに跋扈する「虚像」の自分

 僕も長いこと自分のホームページをやってると、いろいろ良いこと悪いことがある。そんな経験の中で印象深かった事の一つが、掲示板に奇妙な書き込みがあった時なんだね。

 掲示板でのバトルだの何だのってのは、ネット上でも一番忌まわしくおぞましい事の一つだ。そんな厄介事に巻き込まれたくないから、僕は自分のところに長らく掲示板をつくらないでいた。実際、テメエの発言そのものだって危なっかしいのに、ホスト役がちゃんと勤まるとも思えなかったからね。

 そんな僕も何年か前に長い間の禁を破って掲示板をつくった。なぁに、イヤな事があればすぐに閉鎖すればいい。元々なかったものなんだ。何も困ることはあるまい。そう言い聞かせて始めた掲示板だが、結構思いの外長いこと続いている。いや、掲示板は参加者あったればこそだから、続かせていただいていると言うべきなのだろう。

 ところがそんな掲示板に、先に触れたような奇妙な書き込みが始まった。それは最初何の事を言ってるか支離滅裂なものだった。そして別のよく分からない書き込みが加わった。それに対して反発する書き込みが付け加えられた。さらにはそれへの反論も、そして擁護も…。それは何と言ったらいいのだろう。一種の論争というかバトルというか奇妙なやり取りというか…ともかくは普通の人が絶対加わりたくない類の、それは書き込みとレスだったんだね。まぁネット上にはタチの悪い書き込みが溢れている。それの中にはホントに収拾不可能なひどいものもある。それから比べれば可愛いものだったろうが、それでも従来気楽な書き込みばかりあった掲示板の上では、緊張感が走るに十分なシロモノだったんだね。

 正直に言って困ったな…とは思ったけれど、僕はイヤになったらやめちゃえと最初に思っていただけに、これについても特に策を講じるつもりはなかった。別に強がりじゃなくて、書かれたものはどうしようもなかったからだ。それに書かれたものを削除する気もなかった。何もなかったフリをするのもイヤだった。確かに雰囲気は悪くなるが僕としてはどうしようもない。だから放っておくより仕方ないなと諦めていたのだ。他のゲストにチョッカイ出したらさすがに僕も何かやらない訳にいかなかったが、それまでは気の済むまでやらせておくしかない。まぁ、最後の最後にはやめちゃえばいい。そうすればやめる口実も出来るではないか。情けない話だが、元来怠け者の僕としてはそんな事しか思えなかった。どこからどこまでも「他力本願」な僕なのだ(笑)。

 それに僕には、掲示板上で起こっているバトル状態が、実はたった一人の同じ人物によって行われていると分かっていたのだ。そしてなぜこれが起こったかも、僕にはある程度察しがついた。たぶん最初この人物は僕が書いていた事にある程度共感を持っていたのだろう。それが僕がちょっとした事を書いた事で、怒りを覚えてしまった。可愛さ余って憎さ百倍…かどうか分からないが、あんなにオマエの理解者だったオレ・ワタシなのに…と怒り心頭になってしまったのではないか。ならばちょいとこのFとやらに思い知らせてやらねばなるまい…。

 僕がどうしてこのあたりの事情を知るに至ったのか、そしてどこまで知ることになったか…はここでは触れない。僕も今後この件に関わるつもりはない。もうこれで十分だからだ。僕とその人物が一時期不愉快な思いをした…それでもういいだろう。これ以上、そんな事を蒸し返すつもりはない。

 それに、実は僕もその人物に偉そうな事を言えた義理ではないのだ。それは恥ずかしながら、ネット上では僕も大人げない対応をしたことが少なからずあるからだ。

 掲示板ってのをやる気がなかった…というのは、別にバトルがイヤだからというだけではない。そもそも掲示板に限らずネットでのやりとりには、この手の行き違いはつきものかもしれないと思っているのだ。なぜなら、ネット上でやりとりしているうち、人はその相手との距離感を失いがちだから。

 人が人を知る…ということは、これは極めて難しい。面と向かって話していても、年がら年中顔をつき合わせていても、相手が分かったかどうかは疑問だ。だけどネットでは人は結構簡単に親しくなってしまう。否、親しくなった気持ちでいる。分かったような気がする。そして普段は面と向かって話せないような事でも、結構ケロリと明かしてしまうことがあるのだ。

 だから一面では、実際に会った時よりもその人の本質を知る場合が少なくない。これはネットの持つ貴重な面ではあるだろうね。そしてシャイな人を積極的な人に変える事もある。

 だけど、そこに出ている人柄がその人の実像かというと、それはまたちょっと違う。人が自分に対して持っている理想像…かくありたい自分が反映されている事も多い。そう思ってなくても、実際に会っている時とは確実に相手に与える情報量が違う、情報の質が違う。だからその人の人となりが違って受け取られる可能性は十二分にあるのだ。

 僕もネット上で親しくなり、そのまま顔を合わせて本当に親しくなった人が何人かいる。それでもその人の本質を知ることが出来たかと言えば疑問が残る。かなり親しくなったつもりでも、そのキッカケがネットである場合には、たぶん普通の出会いとは違った展開をせざるを得ないのだ。それはいい面と悪い面の両方がある。それは僕もイヤというほど思い知ったよ。

 そして僕はホームページを通じて、僕の「個人的な情報」をおびただしく流出させた。だけど、それだって本当の僕とは言えない。どこかで加工され変質させられた自分だ。あるいは実際よりも良くなっている部分だってある。それは「虚像」なんだよね。だってネットってメディアだから。人がメディアを通じて自分の言葉を発信する以上、それはどうしても実体から剥離していくんだよ

 そして、僕には自分のホームページを受け入れてくれている人々の実像が分からない。最初の頃、せいぜい一週間に200ぐらいのアクセスの頃には、何となくコンピュータの向こう側にいる人たちが見える気がした。だけどその数が増えていくごとに、相手はだんだん見えなくなっていく。今では自分が無責任に書いている内容を、人がどう受け止めているか全く分からない。そうなると怖くてあまり天衣無縫には書けない。どこで誰がどう受け止めるか分からないからだ。慎重にならざるを得ないんだね。

 そんな僕も、ホントに最初の頃はナイーブだった。そして最初の頃は今と違って、ホイホイと人の掲示板に書き込みをしていた。そういう事が珍しくて楽しかったからね。それが人に賛同されたらなお嬉しい。

 だけど当然の事ながら、いつも賛同されるとは限らない。皮肉や当てこすりや攻撃にさらされる事もある。そんな時、僕はついつい頭に来て、よせばいいのに当てこすりの応酬を始めてしまったんだね

 人も見ているからバカにされたままではプライドが許さない。僕は結構バカな事を延々書いてしまったりした。周囲も困惑しているのが分かった。そんなある日、自分の書き込みをマジマジと見てしまったんだね。

 オレってこんな事を人に面と向かって言うか?

 言わない。断じて言わない。多少何だこいつ…と思うことがあっても、笑ってやりすごすだろう。ネットだから、僕は調子に乗って大胆になってバンバン強気で言っている。ここでは変に意地になって延々言い返している。

 何がイヤだって言って、そこに書かれた自分の言葉の持つ「汚さ」に閉口してしまった。こんな事を「良いこと」だと思ってやってる自分のバカさ加減がそのまま文字になってる。こりゃ全世界に自分がバカだって公言しているようなもんじゃないか。

 結局それ以来、僕はその手のやり合いは出来るだけ避けるようになった。単なる誹謗中傷の類ばかりじゃない。一見もっともらしい理屈のぶつけ合い、一種のディベート大会な状況にも身を置きたくなかった。それって結局は、人より口が立つ人間が「どうだ」とばかりご意見を披露して、それにうち負かされた人がスゴスゴと引き下がり、シンパが「やんや」とモテはやす、何とも不健康な状況が展開しているだけなんだよね。そんなもの、ただの不毛なやりとりに過ぎない。形骸化して本来の意味をなさない言葉のための言葉の応酬が、実りあるものだなんてとても思えなかったんだよ。それって何だかんだ言っても、オレってエライとかオマエより利口なんだよって言ってるだけのもんじゃないのか。僕も自分のバカさ加減をさんざ思い知らされたからね。もうそんな事はしたくなかった。

 結局、僕はネットというメディアを通しているという事を忘れ、人との距離感を読み違えたのだ。そして、この手の不毛なやりとりってのは、どんなモノであれ大なり小なりそうした距離感の読み違いから来ていると分かってきた。だから僕は、そういう場が持ち上がりそうになると、出来るだけサッと身を退くことにしている。完全に出来ているかどうかは分からないよ。それでもそうしようと心がけている。そこで言い争っても不毛だ。別に人を言い負かしたりするつもりはないとか言う人もいるが、そんなもの偽善に決まってる。そこには肥大した自尊心がどうしてもチラついている。そしてそこで対立がエスカレートしたとすると、相手を納得させられる訳がない。仮に言い負かしたところで、それが何になるのだ。そんなことをした自分がバカだと世間に証明したようなものだ。自分のアホぶりは自分だけが知っていればいい。何も世間に公表することはないのだ。

 おそらくは僕のところに書き込みした人物だって、それなりに日常では思慮深い人物なんだろう。そして面と向かってはこんな事は言うまい、決してやるまい。だけどある時、僕なり他の誰かなりとの距離感を失ってしまった。そもそも最初にこの人物が僕の書いたモノに何らかの共感を覚えたかもしれないとして、それも元々が勝手で無責任なつぶやきでしかない文章に、過大に近しさや親しみを感じてしまったのかもしれない。そして、そこで勇み足をしてしまったんだろう。それは僕にも何となく分かる気がしたんだね。僕にもそういう事があった。今だってあるかもしれない。だったら何もとがめる事もあるまい。自分の書いた無惨な書き込みが、ネット上で宙ぶらりんになっていればそれで十分だ。自分の乏しい経験から言っても、それに勝るツラさってないと思うよ。僕も冷や汗ダラダラだったもんね。自分の書き込みが早く消えて欲しいと思ったものだ。

 僕のホームページなんて高々週に数百のアクセスしかない。他にもっとスゴいアクセス数のサイトがある。それでこれなんだからね。メディアって怖いよ。何が怖いって、それを自分主体で始めたつもりが、どんどん一人歩きしていくからね。誰かと会って話しているなら、その場で何とかコントロールも出来るかもしれない。少なくとも距離感ぐらいはつかめる。だけど不特定多数に発信していくとなると、もう個人では掌握が不可能だ

 それってもう自分じゃない。きっと何かの「虚像」なんだからね。

 

落ち目の映画監督の起死回生の奇策とは?

 その日ベテランの映画監督アル・パチーノは、スタジオで困惑しきっていた。彼が満を持してすべてを駆けた新作「サンライズ・サンセット」が、いまや風前の灯の状態になっていたからだ。すべての元凶は主演女優のウィノナ・ライダーで、この大スターがアレコレいちゃもんをつけて降板を言い張ったからタチが悪い。それもジェリービーンズから赤いものを抜け…とか、どうでもいい契約条項をタテにとって、だ。スターのワガママにも限度がある。もう説得は無意味と悟ったパチーノは、ヤケのヤンパチでライダーを送り出した。

 そんなパチーノの窮状に追い打ちをかけるように、彼の元妻でスタジオの重役キャスリーン・キーナーはこの作品の制作中止を宣言。パチーノはさすがに彼女に懇願する。これはオレの起死回生の一作なんだ、それにスターのワガママを聞いていたらキリがないだろ、オレもオマエもニューヨーク時代には映画への夢があったじゃないか

 だが今やスタジオのトップのキーナーは譲らない。何と言ってもハリウッドはお金よ、そしてアナタの映画はここ10年コケ続けじゃない、ワタシは今まで過去のよしみでアナタを庇ってきたけど、もうこれ以上は無理だわ!

 そんな剣もホロロの元妻キーナーの言葉にゲンナリのパチーノ。二人の間の子供で、今はキーナーが育てている愛娘エヴァン・レイチェル・ウッドの慰めだけが、今のパチーノの心にしみわたる。

 そうは言っても映画はほとんど出来ている。これを何とか出来ないか。だがライダー側は自分の写ったショットを1カットでも使ったら訴訟を起こすと言い放った。万事窮す。

 それでも自分の全てを賭けた映画だ、このままでは終わらせない。パチーノがフィルムを車のトランクに詰め込み、スタジオから逃げ出そうとしたちょうどその時…。

 妙ちきりんな風体の男が、その場にやって来るではないか。

 汚い風体で片目に眼帯を付けたその男イライアス・コティーズは、常軌を逸した熱心さでパチーノに近付いてくる。パチーノの作品の長年のファンだと言ってくれるのはありがたい。だが何よりその男の怪しさに、ついつい腰が退けてしまうパチーノ。ところがこのコティーズは、パチーノの窮状を打開出来ると豪語。彼はコンピュータ・プログラマーで、とんでもなく画期的なソフトを開発したと言うのだ。

 それは理想の女優をコンピュータで創り上げるソフトだ。

 これさえあれば、もうワガママな人間の女優などいらない。どんな作品も思うがままに出来る。そもそも主演女優降板でピンチの今、これが一番アナタに必要じゃないですか?

 だがパチーノには、そんなバーチャル女優など子供ダマしにしか思えない。それにこの男の怪しさから見て、言葉も妄想にしか受け取れない。第一、今はスタジオから一目散に逃げ出す最中だ。こんな男のヨタ話など相手に出来ない。来週にでも電話すると言って逃げ出すしかない。

 だがコティーズは来週じゃダメだと言い張る。彼はこのソフト開発に全てを賭けて、コンピュータの発する電磁波で目を患ってしまった。このままだと来週には自分の命はない。

 それでもパチーノは適当な返事をして彼をやり過ごし、車でその場を立ち去ってしまった。「必ず連絡くださいよ〜!」と叫ぶ彼の声をよそに、パチーノはそのままコティーズの事など忘れてしまった。

 それからも、自作を何とか救い出すべく奔走するパチーノ。だが、落ち目の監督の話に乗ってくる者など、ハリウッドには一人とていない。自宅も抵当に取られて、もはや四面楚歌の状態だ。そんな彼に、一つの小包が届けられる。それは忘れていたあの人物、コティーズからのものだった。

 コティーズはパチーノからの連絡を空しく待ち続け、そのまま死んだ。そして遺言代わりにこの小包をパチーノに託したのだ。開けてみると、出てきたのは一個のハードディスク

 もはや失うモノもないパチーノ。まずは試してみたってバチは当たるまい。半信半疑でそのハードディスクを自宅のパソコンに接続。立ち上げてみるとアラ不思議。

 コティーズ自慢のソフト、「シミュレーション・ワン」が起動し始めた。ディスプレイ上に現れ出たのは、確かにまるで生きているかのような絶世の美女だ。そうか、奴が見せたかったのはコレだったのか。思わずパチーノはこのソフトを操作しながら、時の経つのも忘れていた。

 それからしばし、時が流れて…。

 何をどうしたのか、あの完成不可能と思われていた「サンライズ・サンセット」が完成した

 ガランとした映画館では、今まさにこの作品のスニーク・プレビューが行われている。誰も何の期待もしていない作品。だが、その画面に映し出されている女優には、みんなの熱い視線が注がれる。

 それは誰あろう、誰も知らない新人女優シモーヌだった。

 もちろんそれは、あの「シミュレーション・ワン」が創造したバーチャル女優だ。パチーノは完成寸前だった映像から、ライダーの画像をすべてシモーヌに入れ替えて作り替えていた。そしてこのバーチャル女優が、観客の涙を搾り取っていたのだ。

 プレビュー後、観客はみんな新進女優シモーヌに熱狂していた。あの元妻キーナーでさえ、この出来映えには驚嘆していた。娘のレイチェル・ウッドも祝福した。どこでこの新女優を見つけたのか…と声が飛ぶ中、パチーノはただ言葉を濁すのみだった。

 やがて公開された「サンライズ・サンセット」は大ヒット。シモーヌは一躍時の人となった。だがその所在は誰も知らない。ただ監督のパチーノが全権を委ねられている謎の人物となっていた。早速スタジオは現金にもパチーノと再契約を交わし、彼女の第二作にゴー・サインを出す。その制作発表記者会見にはワンサカとマスコミが押し寄せるが、当然シモーヌはその場にはいない。ガッカリするマスコミ連中の中で、トップ屋のプルイット・テイラー・ヴィンスだけがシモーヌの正体を知ろうと執念を燃やす

 パチーノはスタジオに巨大ステージを借り切り、そこをシモーヌ専用の撮影場所として厳戒態勢を敷いた。中に入れるのはパチーノだけ。そこでパチーノはコンピュータ画像のシモーヌと対面する。そこで行われているのは、実はシモーヌとの対話ならぬパチーノの一人芝居に過ぎない。言葉はマイクから拾ったパチーノの言葉の音声変換による再構成、仕草はカメラでとらえたパチーノの姿のモーフィングによる再構成だ。それでもパチーノは彼女との対話に安らぎを感じていた。スターなんて何だ、オマエはいつでもオレの思った通り演じてくれる。オレにはオマエがいてくれればいい。だがこの時点では、パチーノはシモーヌを今のスターたちへのアンチテーゼだと思っていた。だからいつかは真相を公表しようと思っていた。これが公表されれば、あのワガママなスターたちも心を入れ替えるに違いない。

 だがシモーヌのあまりの大好評ぶりに、パチーノへの風向きも変わってきた。彼は映画界のメインストリームに返り咲いた。元妻キーナーの態度も変わった。第一、スターたちとのウンザリするやりとりに悩まされずに済む。スターはこぞって彼の作品に出演したがった。シモーヌと共演したがった。ただし、あくまでシモーヌは彼らとは別撮りだ。それでも彼らは喜んで従った。第二作の主要キャストの顔合わせの時には、うるさいスター連中が嬉々としてみんな集まった。その場でシモーヌからのメッセージがあると聞き、狂喜するスターたち。パチーノはその場を離れ、慌てて例の秘密ステージへ駆けつける。そのステージから、合成したシモーヌの声で話しかけるパチーノだった。「みなさんと一緒に、パチーノ監督の指示通りに傑作をつくりましょう!」

 こうなってくると、パチーノも当初の予定を変えざるを得なくなった。ここ当分はシモーヌを存続させることにしよう。…そこから涙ぐましいパチーノの努力が始まった。

 新作キャンペーンをしなければならない…となれば、衛星中継によるテレビ・ショー出演を画策する。ホテルに予約を入れて、自分とシモーヌとの密会を演出する。そんなパチーノを、例のトップ屋テイラー・ヴィンスが追いかけるが、彼とても熱狂的なシモーヌ・ファンと化していた。だがテイラー・ヴィンスは、どうもシモーヌには裏があると感づき始めていた。何から何までパチーノを通さなくてはいけない、テレビの中継もイカサマくさい、どこを探してもシモーヌの痕跡がない。そんな疑いをぶつけられたパチーノは、さすがにテイラー・ヴィンスに宣言せざるを得なくなる。「よし、そんなに言うなら彼女に会わせてやる!」

 かくして何をトチ狂ったか、パチーノはシモーヌのポップス界へのデビューを演出した。大スタジアムに満員の観客を集めてのコンサート。一体パチーノはどうやってこの場を乗り切るのか?

 何と彼はステージに濃いスモークを焚き、そこにホログラム映像でシモーヌを映しだしたのだ。観客は誰一人としてこのペテンに気づかない。コンサートも大成功。かくしてシモーヌ神話はさらに強固なものとなったのだった。

 そして第二作「永遠の彼方」も大ヒット。シモーヌはこの二作で一躍オスカー候補に躍り出た。パチーノが元妻キーナー、娘レイチェル・ウッドと共に出席した授賞式では、何とこの二作同数で見事受賞。そんな晴れの席のメッセージで、シモーヌはアカデミー会員へ礼を言う。だが、何たる手違いか、シモーヌはパチーノへの感謝は一言も言わなかった

 もちろんコンピュータに、そしてプログラムに、何の意志もあった訳じゃない。それは単に手違いに過ぎなかった。だが後々考えてみると、これが誤算の始まりだったのか…。

 オスカー授賞式でシモーヌに礼を言われなかったパチーノに、キーナーは次第に同情と心配を抱くようになった。「あの娘は彼を手玉にとって、利用してるだけなのよ!」

 そんな心配が高じたあまり、キーナーは再婚していた夫と別れるハメになる。それは娘のレイチェル・ウッドには勿怪の幸いだった。

 だがそれでもレイチェル・ウッドは、父パチーノがシモーヌ一色に溺れているような状態が我慢ならない。キーナーが自分に同情的になったのは嬉しいパチーノだが、自分がシモーヌに利用されているという娘と元妻の言い草は気に入らなかった。一度は元妻キーナーといいムードになりながら、そこにもシモーヌがジャマをする。実はシモーヌは自分がつくったんだと本当の事を明かしてみても、キーナーにはパチーノの男としてのハッタリか強がりにしか聞こえない。あげくの果てにパチーノがシモーヌを見出したんじゃなくて、シモーヌがパチーノを見出したんだ…とまで言われては、パチーノも立つ瀬がない。徐々にパチーノは、自分が創ったシモーヌに言いしれぬ憎悪を抱くようになっていった

 早速彼はシモーヌ監督主演という触れ込みで、彼女がブタと一緒に汚いエサを漁る独りよがり映画「ワタシはブタ」を発表する。これならシモーヌのイメージはガタ落ち…と思いきや、こんな大胆な作品をつくった彼女への評価は高まるばかり。テレビショーに中継で出た時も、ハスッパな格好で「タバコは好きよ、カッコいいし」などと良識を逆なでする発言を連発させるが、他のセレブと違って正直…とますます株は上がる一方。もはや何をやってもシモーヌの評価は落ちようがない。これにはさすがにパチーノも閉口した。

 かくなる上は、シモーヌを消すしかない。パチーノはシモーヌのソフトが入ったコンピュータに、ウィルスを挿入した。ディスプレイ上で消えていくシモーヌ。そんな彼女を見て、あんなに彼女を憎んだはずのパチーノが泣いている。思えばここ何年かシモーヌと苦楽を共にしたパチーノは、知らず知らずに彼女に情を移していたのかもしれない。何より彼女はパチーノの分身だった。そんな彼女を消すことも、思えば自身のプライドが傷つけられたという、パチーノのちっぽけなエゴがなせる業だった。オレは自分が認められたかったんだ、すべてはオレのせいだ、すまないシモーヌ…。

 しばらくしてパチーノはシモーヌの急死を宣言する。これにはスタジオはじめ世間が騒然となった。シモーヌの盛大な葬儀が執り行われ、パチーノ、キーナー、レイチェル・ウッドもそこに参列した。だが、その場に刑事たちが乱入する。何とパチーノにシモーヌ殺しの嫌疑がかけられたのだ!

 こうなるとシモーヌが実在しなかったと言っても、誰も信じてくれない。しかも状況は極めてパチーノに不利な証拠しか出てこない。どうしても自らの無実を証明できない。

 さぁパチーノはこのまま犯人として裁かれてしまうのか。真相は一切分からないままなのか。そしてシモーヌは、このまま消えたままなのだろうか?

 

発想がすべてではない才人アンドリュー・ニコル

 この映画、実に発想としてはうまいとこ突いてると誰しも思うよね。

 まずはハリウッド・スターたちの行きすぎた傲慢がそこでは俎上に上げられる、そしてショー・ビジネスの虚栄と金満主義。さらにはシモーヌ登場で、昨今の何でもCGばやりの映画界についても槍玉に挙げられる。確かにみんなが日頃何となく思っていることだ。確かにうまいところを突いたと思わされる。たぶんこの作品に対する評価も、それに終始しちゃうのが大半だろう。

 この映画をアメリカで公開した際には、シモーヌってホントにCG女優だって宣伝したらしいね。本当はカナダのモデル上がりの女優、レイチェル・ロバーツなる人物を使ってるらしいけど。でも部分的には実際にCGを使ってるらしく、確かにどこか不自然さを醸し出してるところが見事だ。そして、そういうカタチで公開した事自体が「風刺」でもあるだろう。

 ただ、それって一回話に聞いてしまえば終わりって題材でもあるよね。確かにナルホドと思わされはするが、そういう風刺って言ってしまえばそれだけ。なるほど確かにハリウッド・セレブはけしからん、ショー・ビジネスは空しい、何でもCGって映画界の傾向はオカシイ。ごもっとも、その通り、いいことおっしゃる。で、それで何が言いたいわけ?

 映画の最初でウィノナ・ライダーがまるでシャレにならないワガママ女優で出てきて、なおさらその観は強くなる。ここにライダーが自分を彷彿とさせる役で出てくるのはうまい。だけどそれだけ。このままだと、せいぜいシャロン・ストーン主演の近作「ハリウッド・ミューズ」程度の「風刺」にとどまってしまうんだよね。あれも話としてはうまいとこ突いてるけど、話を聞いたらそれだけ。実際の映画は、その着想の域をまるで出ていない。映画を見るまでもない。発想さえもらえれば誰でも想像はつく、飲み屋のダベり以上のものではなかったんだよ。だから「ハリウッド・ミューズ」って面白そうに思えて、実物を見たら思い切りつまらなかった。それじゃ映画にはならないんだよね。

 ただ、僕はこの映画を見る直前、これがアンドリュー・ニコルの新作だと知ったんだよ。それで俄然見る気になった。彼なら、「それだけ」で終わる映画を撮るはずがない。

 アンドリュー・ニコルと言えば、何と言ってもあのガタカ」の監督・脚本家ではないか。確かに「ガタカ」には今回に相通じるSF的シチュエーションが生かされていた。聞けばこの人、「トゥルーマン・ショー」の脚本も手がけていたと言う。「トゥルーマン・ショー」はジム・キャリーの「僕って善人でしょ?」ヅラがイヤミに思えて、実のところ僕にはイマイチな映画でしかなかった。だけど着想はやはりうまかったし、ここでも先に挙げたSF的設定が生きていた。これがこのニコルの持ち味なんだろうね。

 だが例えば「ガタカ」を見れば分かる通り、アンドリュー・ニコルが描きたいのはDNA鑑定に支配された未来社会なんかじゃない。それは、同じ人間なのにDNAで劣っていると見なされた男の心の変遷だ。

 世間から、そして周囲から…果ては両親から弟に至るまで、自分をどこか劣ったものと見なす人間たち。主人公はそんな人間を憎悪し、むしろ彼らを唾棄すべき存在と軽蔑しきっていた。そんな彼が願うのは卑しい人間のいない宇宙への旅。だが、それは優秀なDNAの持ち主にのみ許された道だ。

 だが主人公には困難を克服する事こそ、自らに被せられた理不尽な評価を覆すチャンスだ。彼は自分を優秀なDNAの持ち主と偽り、後は自力であらゆる努力を払ってその地位を手に入れようとする。なぜなら、それこそが自分が劣った存在でないという証明だから。そして自分を卑しめてきた他の人間たちこそ、自分より劣った存在なのだと改めて認識出来るから。

 だが主人公は、自分の周囲にもカタチは違えど「ままならない人生」に耐えている人々がいることを知る。彼らは内心主人公の秘密に気づいても、それを黙して語らなかった。むしろ自分の夢や願いを、主人公に託すようになる…。

 現実社会でも、人間は大なり小なりハンデや制約を受けて生きて行かざるを得ない。この物語はそんな僕ら自身のメタファーなんだよね。そして描こうとしているのは、そんな僕ら自身のかくあるべき姿の模索だ。

 で、やっぱりこの「シモーヌ」でもニコルがうまいのは、そんな彼ならではのSF的不条理シチュエーションをとりながら、あくまでそこで翻弄される人間を描いているところだ。

 最初は傲慢なスターに手を焼きビッグ・ビジネス化したハリウッドに閉口して、それらのアンチテーゼとしてシモーヌを生み出したパチーノ監督。元々はニューヨーク派の良心的監督だった彼が、あくまで自分の初志を貫こうとした末にCG技術を借りなきゃならなかったという皮肉はさておき、その根本には高邁な理想があったはずだ。

 ところが自分がそれで第一線に返り咲くや否や、どうしても成功の美酒を捨てられなくなる。あくまで自分の理想的環境を維持するためだとの言い訳をしながら、彼はどんどんウソの上塗り、魂の売り渡しを続けなければならなくなる。ここが何とも身につまされるところだ。

 ところが今度は自分が創りだしたシモーヌ、自分のしもべにして理想の体現であったシモーヌが、自分を凌駕していく。自分のために動かしていたシモーヌのために、自分が動かされてしまうハメになっていくのだ。こんな皮肉はない。

 そもそもシモーヌはCGの「虚像」であり「虚構」だ。中味はカラッポ。そして、それはパチーノの持つ巨大な「虚栄心」の体現でもある。事実パチーノは自分がシモーヌを「殺す」時になって、そんな自分の真情を吐露するのだ。「オレは自分が認められたかった、オマエを殺すのはオレの虚栄心だ」と。

 「虚像」「虚構」「虚栄」…そんなさまざまな自分の「虚」が、時として「巨」となって自分を押しつぶす事がある。それはメディアという拡声器を通して、世間に拡大した自分を発信した時だ。

 僕もこのささやかなホームページをつくってきて、自分が「虚像」に感じると何度も言ってきた。ここで書いているのは、僕の本当の気持ちだ。だけどそれが一旦口から発せられたら、一旦文字になって定着されたら、そして誰か他人に届いた時には、それはどうしてもどこか「虚構」となる

 しかも僕はインターネットでそれを不特定多数の人間に向かって発しているのだ。「虚構」は肥大化するだろう。肥大化した時に「虚構」はその「ツクリモノ」の度合いを爆発的に増大させてしまう。それはもはや発した僕自身から離れて、勝手に一人歩きしてしまうものなのだ。

 僕はここでずいぶんご大層な事を述べてきた。まるで人生をマジメに生きて、マジメに考えて、マジメに行動している人間のように思われそうだ。でも実際はそうではない。自分の回りの人間に苛立ち、自分の生活に不満ばかり抱き、自分の仕事も時にないがしろにして、自分にトクになることはないかと始終思っている。他人の事を考えろ…と書いている傍らで、自分の利益を考えている。モラルや道徳を語りながら、良からぬ妄想や悪徳に耽っている。愛をつぶやきながら、女をうまいことダマす事と金儲けを夢見ている。人を大切にするなどとうそぶきながら、死ね馬鹿野郎!と心の中で罵倒している。でも人には自分はいい人間と思われたい、利口な男と尊敬されたい、良識の人と見なされたい。セックスしたい金が欲しい怠けたい女にモテはやされたい。一万円札を出してモノを買ったらお釣りで一万円札が返ってきて、そのままネコババしてしまった。本人にはいい事を言って、他方でそいつの悪口を言った。もっともらしい事を言いながら、面倒事を全部他人に押しつけた。悪いことは全部人のせいだと思って、何から何まで当たり散らした。何とか女に気に入られたくて、本音でもないキレイ事を並べた。愛している女に人には言えないような不届きなマネをした。他人が困っていても見て見ぬフリをした。これが本当の僕だ。

 いや、これもまた僕から発せられたのなら、まだまだ本当ではないね

 良い機会だ、ここで本当の僕について明かそう。僕はめったにオフ会などに顔を出さなくなったが、それでもごく少数の人は「僕」と会っている。だが、アレは本当の僕ではない。あの背が低くて髪の薄い中年男は、僕の古い知人だ。本名と称して掲げてあるのも、彼の名前で僕のものではない。ネットで本名など公表するものか。アレは影武者として成り代わってもらっている人物だ。そのために僕は貧しい彼に少なからず金を与えている。だからオフ会などに顔を出しても、ボロを出す前にすぐに帰ってもらってる。あんな風貌の男に影武者になってもらってるのは、冴えない風貌で親しみを持ってもらいたいからだ。人は自分より良い風貌の人物を、ねたんだり嫌ったりするからね。

 ちなみに本当の僕は身長185センチ、体重は公表しないがスラッとしたモデル体型だ。顔はよくハーフと間違われる。髪も長くちょっと茶色がかっている。ただし染めてはいない。常に女性には好意を持たれるタイプだが、僕としては深入りはしないようにしている。スポーツ万能でクルマが趣味だ。映画鑑賞はホンの余興と思っていただきたい。職業はマスコミ関係で都心の高層マンションに暮らしている。友人にはセレブも多い。部屋は出来るだけ生活感のないスタイルを心がけているが、一日のうちあまり長くはいない。

 そんな僕に関心を持った女性がいらしたら、いつでも連絡をしてきてもらいたい。何なら後腐れのない大人の関係もオーケーだ。ただし、これだけは守っていただきたい。まず会うときには、僕の指定するホテルの部屋にあなたに直接来てもらいたい。

 そして逢瀬の部屋は、必ず真っ暗にしておくように。

 

 

 

 

 

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