「10日間で男を上手にフル方法

  How to Lose a Guy in 10 Days

 (2003/08/25)


  

野心ギラギラ男女が思惑を秘めて過ごす「愛の10日間」

 全米で売れまくってるイマドキ女性雑誌「コンポージャー」。その目玉は毎号テーマを変えてハウ・ツーを伝授する「10日間で〜」シリーズと題したレポート記事。「10日間で男をゲットする方法」なんてのを筆頭に、やれダイエットだオマワリさんを抱き込む方法だ何だと毎号毎号手をかえ品をかえレポートするこの記事が大受け。ま、早い話が僕らがまだ「したい盛り」に、篠山「激写」ヌードとともにナンパ術やらセックス強化法を次から次へと提供してくれた今は亡き青年エロ雑誌「GORO」の記事と五十歩百歩。ただし「GORO」の記事はそれを実践したところで決してモテたりセックスに強くなったりしないガセ記事だったのに対して、この「コンポージャー」の「10日間」シリーズは記者自らが体当たりで試した上での記事であることがマシなところか。

 ともかくこの記事のおかげで発行部数がダントツとくれば、当然これを担当する女性記者ケイト・ハドソンは社内でも嘱望された人材ではある。だが本人の思惑は複雑。本人としては政治だ経済だ社会問題だと硬派の記事も書きたいところ。そんな記事がこんな雑誌に載ると思っているあたり、彼女の「硬派」ぶりも極めて怪しいところだが、ともかくは彼女もまだまだ社歴が短い今のところは現状で満足せざるを得ない。

 そんなハドソンが出社すると、いきなり同僚のアニー・パリッセがSOSだ。やはり彼女たちの同僚のキャスリン・ハーンが、大事な編集会議を控えてズル休みと来ている。これはマブダチの危機だとハドソン慌てて彼女の家まですっ飛んで行った。

 ハーンの家に着いてみると、案の定彼女は涙にくれていた。男に捨てられ何もやる気がないと言う。だが、そんなハーンにハドソンは慣れっこ。実は彼女の振られてフテ寝は今始まったことじゃない。毎度毎度男が出来て有頂天になると、たちまち一週間程度でどん底の繰り返しだ。さほどブスでもデブでもサイコでもない彼女、何故にそれほど男に捨てられるのか? 聞けば男の前で感激して大泣きするわ、電話をのべつまくなしかけまくるわ…なるほどそれじゃイヤがられると納得のハドソンではあった。

 そんな「コンポージャー」の編集会議が始まった。男と言えばたった一人くらいしかいない、むせかえるような女の園。その会議をとりしきるのは、ほとんど「プレイガール」の沢たまき状態のババア編集長ベベ・ニューワースだ。「さぁ、みんな。次号の企画はある?

 ハドソンはまたしても懲りずに硬派企画を提案するが即座に却下。ところがその場で例のハーンの失恋話が出たから事情は一変した。さすが海千山千百戦錬磨のババア編集長ニューワース。これはネタになると飛びついた。そうなるとハーンが傷つくとかそんな事はお構いなしのところがババアの無神経。これに見かねたハドソンは、せめて自分が担当すれば…と名乗りを挙げた。ダチのピンチに頭をフル回転。その場で「どうやったら男に捨てられるか」のノウハウを記事にすると口からデマカセででっち上げた。

 かくして次号の目玉企画がスタート。題して「10日間で男を上手にフル方法」…実は「フラれる」が正確なところだが、そう言ってしまっては女性のみなさんが黙ってはいまい。かくして記事のタイトルも映画のタイトルも「フル方法」になったのは、みなさんご存じの通りだ。

 だがこの企画が「10日間」シリーズになってしまった時点で、ハドソンの首が絞まってしまった事は明らか。だが彼女はいたって楽観視していた。一番肝心なところは自分がまず男を捕まえられるか…という点なのだが、そこはまったく心配してないところがこの女の思い上がりだ。

 一方その頃有名広告代理店の一室では、マシュー・マコノヒーがご機嫌になっていた。彼が前々から目をつけていたダイアモンド会社が、この代理店のクライアントになったと言うのだ。そうなりゃ優秀なこの俺様のこと、ガッチリ自分の客に捕まえてみせるぜ…とトーマス・レノンとアダム・ゴールドバーグのお仲間二人と大ハシャギだ。だが社長はこのクライアント担当に、よりによって社内一のタカビー女コンビのマイケル・ミシェルとシャロム・ハーロウに当てると言う。そんなバカな、ただあいつらが女だってだけで自分が目をつけたクライアントを取られてたまるか。かくしてマコノヒーはクライアント奪還のための秘策を練った。聞けばこのタカビー女コンビが今夜、社長と打ち合わせを兼ねた飲み会に出席すると言う。そこにいきなり襲撃をかけてお客をいただきだ!

 その頃そのタカビー女コンビは、事もあろうに問題の女性誌「コンポージャー」の編集部を訪ねていた。打ち合わせの席上にやってきたのは、沢たまきことニューワース編集長以下スタッフ一同。ニューワースはタカビー女コンビに、鼻高々に同誌自慢の女性記者ハドソンを紹介する。

 「彼女が例の10日間シリーズの担当ざますのよ、次号の企画がまた傑作で、題して10日間で男を上手にフル方法!

 こうしてご機嫌でタカビー女たちに企画の内容を説明するババア編集長だったが…。

 さてその夜、お高くとまった連中でごった返す店にやって来ると、タカビー女コンビと社長の打ち合わせを直撃するマコノヒー。「このクライアントは僕こそ適任です、ぜひ僕にやらせてください!

 だが社長は渋りに渋る。ダイアモンドは女の商品だ、やはり女の担当者が適任では?

 そんな言葉にめげるタチでないのが、マコノヒーの自信満々たるゆえん。従来の考え方はもう古い、セクシーだ何だかんだは陳腐だ…とまくし立てる。「つまりは真実の愛のシンボルですよ!」

 すべては女心にも強いとアピールしたいがための主張だったのだが、これが墓穴を掘ったことをマコノヒーは気づいていなかった。挑戦状を叩き付けられたタカビー女コンビが反撃に出たのだ。ならば女心をゲットして、真実の愛とやらをマコノヒーに抱くようにさせてみい。今日この場で出会った女をモノにして、10日間後にはマコノヒーを心から愛するようにしてみろ。そしたらクライアントはアンタのもの。この話に社長も乗った。

 だがタカビー女の言い出す事など疑いもせず真に受けるもんじゃない。それは汚いワナだった。タカビー女が提案した相手の女とは…たまたま例の企画のためにこの店で男を物色中のハドソン。だがマコノヒーはよせばいいのに、受けて立った…とばかりハドソンに近づいていく。タカビー女コンビはうまくいったとご満悦の表情だ。

 ちょうどお相手を捜してるハドソンとマコノヒーは、少なくとも今夜の段階ではお互いのニーズが一致した。かくしてマコノヒーはハドソンを連れ出し夕食へ。そしてご自宅にお持ち帰りという段取りだ。

 ここでベッドを前にじらし作戦開始…のはずだったが、マコノヒーも「真実の愛」作戦の手前ロコツなマネは出来ない。かくして第一夜はそれぞれ思惑がハズれているにも関わらず一見一致しているかのごとく、それぞれの「10日間」作戦は無事スタートを切った

 それからと言うもの、文字通りマコノヒーにとって悪夢の日々が始まる。大好きなバスケットの試合を見に行けば、決定的瞬間にコーラを買いに行かされる。映画を見に行けば大声で話しかけてきて、あげくの果てに怒ったお客に殴られる。自宅で料理の腕を披露しようとすれば、肉料理はダメと泣き出される。職場に電話は当たり前。留守電もイヤというほどかけてくる。部屋にはかわいいぬいぐるみやテーブルクロス。実家に電話をかけて母親とツーカーになるというテイタラク。元々遊び人を自認し、同じ女と二度寝ないがモットーのマコノヒーには苦痛でしかない毎日だが、そこはそれ仕事のためと割り切るしかない。だがマコノヒーよ、その程度で音を上げるとは男じゃない。オマエは普通の男の苦労を分かってない。なぜならハドソンは別に凄いことなどしていない。彼女は何も特別な事はやってはいない。つまりは女とつきあうってのはそういう事なのだ。

 そのうち何をやっても怒らない、いつまで経ってもフってくれないマコノヒーに、今度はハドソンが音を上げ始めた。ならば奥の手、彼が男同士のお楽しみと称して女性禁制で開く毎週のポーカーの集いを急襲だ。

 肩の凝らない男同士のお楽しみに突然乱入のハドソン。仲間ウチの面前でプライドはズタズタ、何もかもメチャクチャにされるに至って、さすがのマコノヒーもついにキレた。君はとってもクールでセクシーで素敵だったのに、今の君は一体どうしたんだ? どうかしてると思わないのか?

 「これでオシマイだ!」

 言いたい事を吐き捨ててスッキリのマコノヒーだが、今度は仲間のレノンとゴールドバーグが彼を止めた。ここで仕事を諦めてどうする?

 かくしてマコノヒーは何も悪くないのに彼女に土下座。ま、もっとも男が何も悪くないのに謝るのはいつもの事で驚くには当たらないが、ともかくマコノヒーはハドソンに提案した。俺たちカップル・セラピーを受けないか?

 今度こそうまくいったと思っていたハドソンは、またしても失敗にガックリ。ともかく同僚ハーンをセラピストにでっち上げて、一芝居打つことにした。

 だがマコノヒーはどうにも引き下がる気配がない。これではラチが明かないではないか。困ったあげくの苦し紛れの提案が、マコノヒーの実家訪問と相成った

 マコノヒーの愛車のバイクにまたがって、郊外の彼の実家におじゃまするハドソン。そこはお上品でもハイセンスでもないが、心優しい人々が集う場所だった。彼のご両親と親族が集まって興じているのが、「ブルシット(ウソこけ)!」と称する奇妙なトランプ・ゲーム。相手のブラフを当てて「ウソこけ!」と大声を発してリーチをかけるこのゲーム。マコノヒーはこの家族のゲームでは連戦連勝を誇っていた。「要は相手の顔色を見て、勘を働かせるんだよ」

 ウソがうまい奴が勝つけったいなこのゲーム、しかし今日に限ってはマコノヒーはボロ負け。それは知らず知らずのうちに、彼がハドソンに心を開いていたからだろうか。そしてハドソンも彼の両親たちに暖かく迎えられるうちに、ここで一芝居打ってメチャクチャにしてやろうという企みを捨てていた。感激のあまり本気で涙ぐむハドソン。そんな彼女を見てマコノヒーの心も動く。かくして二人はやっと本当に結ばれることになったのだが…。

 事ここに至って、ハドソンは後悔し始めた。何を今さら…と言われても仕方ないものの、ババア編集長に記事の中止を申し出る。だが「10日間で男を上手にフル方法」を売り物にした次号の表紙は、すでに印刷に入っていた。「プロならやり通しなさい!」とババア編集長に一蹴されてしまったハドソンは、さらに進退窮まってしまう。

 そしていよいよその10日目がやって来た。この日はマコノヒーの代理店が契約した、例のダイアモンド会社主催のパーティー。そこにマコノヒーはハドソンを招いた。自分の会社の社長に、ハドソンの「真実の愛」ぶりをお披露目するためだ。そうとは知らぬハドソンも、この日はマコノヒーにフラれなければならない期限の日だった。気持ちがまとまらないまま、マコノヒーに連れられてパーティー会場へとやって来る。

 さぁ、ハドソンは思惑通りマコノヒーにフられて記事をモノに出来るか? それともマコノヒーがダイアモンド会社をクライアントにゲット出来るか? そして二人の愛の行方は、一体いかなる事になるのであろうか?

 

相性バッチリの二人による実感溢れるラブ・コメディ

 「あの頃ペニー・レインと」の好演で注目のケイト・ハドソンが、いよいよスターとしての片鱗を見せ始めた作品…と言っちゃっていいんじゃないかね。僕もそれ目当てでこの映画を見に行った。相手役は最初から大物然として映画に登場してきたマシュー・マコノヒー。でも、イマドキ珍しい甘さがある彼のこと、こういう映画にはピッタリとハマるのでは…と思ってたら案の定だった。そして、このご両人の相性もなかなかいい。

 ただ見る前には一つだけ懸念がなかったわけではない

 それはケイト・ハドソンがマシュー・マコノヒーに、次から次へと女ならではの男の弱みにつけこんだイヤがらせを連発してくるという前評判だ。いや、これが笑えるような冗談っぽいものなら笑えるよ。そして女性観客なら男をメタメタに出来て溜飲が下がることだろう。だけど男の観客にはかなりこたえるものにはならないかい(笑)? ラブ・コメディを見て楽しもうと思って、血圧上がっちゃうような事になったらイヤだな。まぁ、正直に言うとこんなような事を考えないでもなかったのだ。だって俺って白状するけど、フェミニストでも何でもないからね(笑)。男性中心主義者と言われても仕方がない。ただ、一言言わせていただければ、男だって女だって、基本的には「自分」中心主義者なもんじゃないかね?

 野心ギラギラの現代的な男女が、純粋な愛に目覚めるお話…ときたら、下手な役者がやったらシラジラしくて見てられない。だけど、どこかおっとりした味わいのあるハドソンとマコノヒーだから見ていられる。特にハドソンは映画の前半部分、ハッキリ言ってイヤな女の要素をすべて全開で見せてるんだからね。

 それと言うのも、この映画って元々が題名通り「10日間で男を上手にフル方法」(実際には「男を失う方法」なんだけど)というノウハウ本みたいなんだよ。原作は小説じゃないわけ。それって例えば、小説でもなくって物語もない、妙ちきりんな古い予言詩とその解説だけの本を、ちゃんとストーリーのある劇映画に仕立てた東宝映画「ノストラダムスの大予言」みたいなもんだと言えば分かりがいいかな。こういう本を映画になると目をつけたあたり、プロデューサーとして名を連ねてる海千山千の大ベテラン、「ゴッドファーザー」や「ある愛の詩」を手がけたロバート・エヴァンスあたりの発想なんじゃないかな。

 だからたぶん、原作(本)にはハドソンとかマコノヒーの演じた役もなければ、こういう男女のやりとりの物語もない。イマドキ女性がどうやったら男に捨てられるのかのノウハウだけがあったはず。ならば、なるほど…と思えるほどの、ハドソンの男へのイヤがらせぶりなわけ。

 確かにこういう事やられた記憶あるもんねぇ(笑)。正直言ってこの映画の前半のハドソンのイヤがらせぶりは、何となく僕にも身に覚えがあったりする。確かに凄い事をやってる訳ではない。このくらいならザラじゃないか(笑)。僕になくとも友人でこんな目にあった奴いくらでもいるよ。そのへんの実感たるや、さすがにノウハウ本ならではのモノなんだろうね。

 それって韓国映画「猟奇的な彼女」と同様じゃないかと思われるかもしれないが、あの映画の場合はヒロインは自分の理不尽さには無自覚だよね。そして打算や邪気がない。だから可愛さもあって許せる…となるわけだ。だけどこの映画のハドソンは、自分の野心のためにわざわざやっている。しかもそれが悪いと百も承知だ。これはどう考えても好感が持てるはずがない。

 だからハドソンみたいにキュートな魅力があって、コメディ・センスも豊富な「分かってる」女優じゃないとモタないのだ。ここは十分キャスティングの勝利なんだよね。

 で、それを補強する意味でマコノヒーにも秘密があるわけ。この男はこの男で、相手の女に「真実の愛」を抱かせようなんてテメエ勝手な事を考えてる自業自得なところがあるんだよ。元々、女なんて一夜のお楽しみなんてうそぶく傲慢男でもある。だからハドソンのひどさもかろうじて相殺されている。で、実はこれって、イマドキ男女のそんなテメエ勝手こそが、本当の愛情を育む妨げになってやしないかって提言にもなっているって訳なんだよね。

 とは言っても、ここに至るまでのハドソンのイヤがらせは、ノウハウ本の実感を伴っているだけに男の観客としては笑うに笑えない事もしばしば。先に述べたようにハドソンの好感度とかマコノヒーの事情とかで何とか中和させてる状態って感じなんだよね。それがガラッと転じるのは、実は映画の中盤からだ。

 映画は中盤、ハドソンがマコノヒー一家を訪ねるエピソードを披露する。このマコノヒー一家というのが、広告代理店だ雑誌記者だって華やかかつカッコいい人種とはまったくの無縁。屁ばっかこいてるオジサンとかおよそ品も良くなければイケてもいない人たちだけど、極めて愛すべき人間だとハドソンは気づかされるわけ。そしてそんな連中の前でだけは、マコノヒーもカッコつけの鎧を解いている。野心ギラギラ、テメエ勝手にええカッコしい、ちょっとでも自分の方がトクしたい…そんなくだらないガラクタはない。二人がそこで結ばれるのは、必然なわけなんだよね。

 そんなこんなでこのマコノヒー家族のエピソードを境に、映画もどんどん好感度を増していく。そしてすべてが暴露されての決裂を経て、ハドソンが自らの記事での真情吐露に行き着くわけだ。結局お互いへの謝罪と許し…互いを分かり合おうとすることの大切さこそが訴えられる。つまりは「自分」中心主義だった自らへの反省で幕となるんだよ。

 映画を見てから気づいたんだけど、これって何とデンジャラス・ビューティのドナルド・ペトリが監督しているんだよね。なるほど、それなら分かる。このテメエ勝手、やりたい放題の主人公たちが辿る心境の変化には見覚えがある。言ってしまえばヤボくさい話を、面白くアップトゥデートな感覚で見せてくれるのが、この人のコメディの真骨頂なんだろう。

 考えてみれば、僕もこの映画のハドソンのイヤがらせに身に覚えがあると言ったところで、では自分が相手に対してどうだったのかって事までは分からない。みんな自分のことって棚に上げてるものなんだ。それが僕がここで言った「自分」中心主義ってなものなんだろう。自分の事は分からない。いや、分かろうと思ってない。その方が都合がいいからね。だから、たまにはちょっと相手の身になって考えなよ…ってこの映画の愛すべき提言は耳を貸す必要があるかもしれないよ。それってフェミニストだ男性中心主義だって事以前の問題だ。

 自分がやられてイヤな事は、人にやるのだってマズイだろう。まして自分がやられてイヤと分かっているならなおさらだ。僕もそれが分かってないから、いろいろトラブルもあった。でも、人とつき合っていくってそういう事だよね。それを避けては通れない。面倒くさいって? そりゃそうだ。僕だって時にはそう思う。いや、いつもそう思うかな(笑)。でも、それはどうしたって必要だ。

 結局のところ人間ってやつは、自分一人じゃ生きられないんだからね。

 

 

 

 

 

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