「パンチドランク・ラブ 」

  Punch-drunk Love

 (2003/08/11)


  

僕は結構この作品期待してたんだけど

 御贔屓監督の作品、好きな俳優の出演作、好みのタイプのお話、そんな楽しみにしていた映画に実際に接してハズしてしまうほど情けない気分になることはない。いやぁ、私はそんなことはない、そもそも映画なんかにそれほどの期待もしていない…などとうそぶくような方なら、ここから先は別に読まなくてもいい。これがどういう気持ちか説明できる自信がないからね。それにお互い貴重な時間をムダにすることもないだろう。あらかじめお断りしておくよ。

 さて、何でこんな事を言わなけりゃならないかというと、たった今見たばかりの映画の話だ。「パンチドランク・ラブ」。御贔屓監督ポール・トーマス・アンダーソンの新作だ。この人の前の映画「ブギーナイツ」、「マグノリア」も大好きだった。だからこの新作にも大いに期待したわけだ。

 主演のアダム・サンドラーも大好きってわけじゃないし、作品もそれほど多く見ていないが、まぁキライじゃない。彼の「ウェディングシンガー」も「Mr.ディーズ」も結構好きだよ。エミリー・ワトソンも同様だ。この二人が組むという異色の顔合わせも面白そうだよね。

 しかもお話が恋愛コメディとくれば余計楽しみじゃないか。僕は恋愛コメディ映画が好きだ。実人生はちっともコメディじゃないからこそ、そんな映画が見たい。恋愛コメディをこの監督がこんな顔合わせで撮る。僕はすごく楽しみにしてたんだよ。

 

ちょっとアブない男の奇妙な恋物語

 映画はいきなり、がらんとした倉庫兼事務所みたいなところで、アダム・サンドラーが電話している場面から始まる。どうも食品か何かにつく景品の事で問い合わせをしているらしい。バカバカしい事を延々と大マジで話しているのがおかしい。やがて彼は倉庫から出ていくと、目の前の道路でいきなり自動車事故。さらにはなぜか一台の車が路上に鍵盤楽器を置いて去っていく。

 このどこか奇妙な味わいもアンダーソン監督の持ち味だったよなと思い出す。そんな奇妙な出来事が、シネマスコープの横長画面で淡々と描かれる。アンダーソン監督っていつもシネマスコープだ。僕はシネマスコープ映画って何となく好きなんだよね。

 こんな調子で逐一書いていったらいくら書いても終わらない。以下バンバン飛ばしていくよ。

 やがて一人の女が彼の前に現れる。これがエミリー・ワトソン。彼女は自分の車を、サンドラーの事務所の隣の修理工場に持って来た。だが、まだ工場が開いてなかったので、車をサンドラーに託して去っていく。その直後、サンドラーは彼女に何か胸のときめきを感じたのだろうか。いきなり倉庫の影に隠れたり、放置されていた鍵盤楽器を拾って、事務所に運び込んだりする。

 サンドラーには何と7人の姉がいる。この日はパーティーでみんなが集まるとかで、その姉たち一人ひとりが代わるがわるサンドラーに電話をしてくるので、まるで仕事にならない。その姉たちの一人メアリー・リン・ライスカブときたら、パーティーに同僚の女を連れて行くというから、また困る。その同僚とサンドラーを引き合わせようという魂胆なんだろう。それが大きなお世話なのだ。これにはさすがのサンドラーも、露骨にいやな口調を声に出さずにいられない

 そんなこんなで、気乗りしないまま姉の家のパーティーに参加したサンドラー。助かったことにライスカブは同僚を連れてきてはいなかったものの、相も変わらず姉たちはサンドラーの気持ちなどお構いなし。言いたい放題彼の神経を逆なですることを矢継ぎ早に言ってくる。普段は至って大人しく、引っ込み思案とも言えるサンドラーだが、これには時折我慢できない。いきなりキレて窓ガラスを次々と壊す。実はサンドラー、こんな男なのにいきなり凶暴に暴れる時があるのだ。そうなると彼は自分を抑えきれない。それもこれも、姉7人のこの環境が災いしたものなのだろうが。

 そんなサンドラーの目下の関心事は、例の食品の景品。あるメーカーの商品を買うと、航空会社のマイレージが貯まる。もしうまく貯められれば、当分は飛行機のチケット代に苦労はしない。当面旅行をする気もないのにそんな事をする意味があるのかはさておき、彼はスーパーでどの商品を買えばいいのか思案に余念がない。そんな彼が目を付けたのは、このメーカーのプリンだ。値段が破格に安いのに、景品は他の商品と同様につく。これを頑張って買っていけば、他の商品よりまるっきり得な条件でマイレージが貯まるのだ。こうしてサンドラーは食いもしないプリンをスーパーで買い占めた。

 一人住まいの我が家に帰って来ても、心はどこか空しい。そんな彼はついつい広告に出ていた、テレフォン・セックスの番号にダイヤルしてしまう。さんざっぱらクレジットカードの番号やら何やらを聞かれて閉口したが仕方がない。やっと電話口に出てきた女のエッチな挑発にも、まるで無反応。だけど彼はそれでいいのだ。誰か話し相手になる人間が欲しかっただけ。

 ところが翌朝、なんとこのテレフォン・セックス女から電話がかかってきた。何と金の工面をしろと言うのだ。それは確かに昨夜、自分が事業をやっているなどと、しがない商売を多少大風呂敷広げて言ったことは言った。だけどそんな金の余裕はないし、何で俺がこんな女の金の工面をしなくてはならないのだ。さすがにお人好しのサンドラーも、これには丁重にお断りだ。すると電話口の女はいきなりキレて口調を変えた。「ただで済むと思わないで!」

 不愉快になって電話を叩き切るサンドラーは、今日も倉庫兼事務所に出勤。片腕のルイス・ガスマンと共に働いているところに、何と姉のライスカブがやって来る。それも例の同僚を連れて。驚いたことに、姉が連れてきた同僚とは、昨日やって来たワトソンではないか。なんてこった!

 しかも困ったことに、例のテレフォン・セックス女からこの事務所にも電話がかかってきた。昨夜自分のことを洗いざらい話すんじゃなかったと思っても後の祭り。相変わらず脅しをかける女だが、あれから不安に思ったサンドラーはクレジットカードから何からすべて変更手続きをとっていた。それを知ったテレフォン・セックス女は、さらに脅しをかける。「それならそれでこっちにも考えがある。戦争を仕掛けたのはそっちだからね!

 そんなこんなで女からの脅し電話はひっきりなしにかかる、こっちには苦手な姉がいるでパニクるサンドラー。おまけに目の前には気になるワトソンと来て、すっかり気もそぞろ。そんな心ここにあらずのサンドラーの様子に、姉ライスカブはおかんむり。だが彼女と立ち去りかけたワトソンは、とって返してサンドラーの元に戻ってくる。

 「明日一緒に夕食をいかが?」

 願ってもない申し出に、一も二もなくオーケーするサンドラー。ただし彼はワトソンにクギを刺すのを忘れない。「姉の言う事はウソだ。キレてガラス割ったりなんかしないよ」

 その頃、ここは遠くユタ州のテレフォン・セックスの事務所。女はボスのフィリップ・シーモア・ホフマンに報告。このテレフォン・セックス、こうしてカモを見つけては脅して金を巻き上げるカラクリだったのだ。

 かくしてシーモア・ホフマンは、手下にサンドラーの自宅を襲うように命じる

 そうとは知らぬサンドラーは、レストランで憧れのワトソンとデートだ。会話は実になごやかに進む。ワトソンいわく、彼女はライスカブに一家の写真を見せられ、そこに写っていたサンドラーを見て会う気になったとのこと。一昨日、車を預けに行ったのも、実はサンドラーに会ってみたかったからだと打ち明けた。「ちゃんとしたお付き合いがしたいから、本当の事を打ち明けておかないとね」

 だが話題が姉の事になった時、サンドラーの様子がおかしくなった。落ち着かぬ様子のサンドラーはトイレに立つ。トイレに入った彼は突然わき上がって来た激情を抑えることができず、トイレで一人暴れて中をブチ壊してしまう。一旦怒りを覚えると、どうにも歯止めが利かないサンドラーなのだ。

 だがレストラン側がこれに気づいて、丁重ながらも追い出される羽目になる。仕方なく彼女のアパートに場所を移すことになったが、まさかキレてトイレを壊したとは彼女に打ち明けられないサンドラーだった。

 ワトソンの部屋で楽しく語り合う二人。だが夜も更けて、サンドラーは大人しく彼女の部屋をおいとました。「じゃあね、バイバイ」

 何とつまらない別れ方をしたのだとボヤきながら、サンドラーがアパートを出ていこうとした時、何とアパートの管理人が彼を呼び止める。「あんたに電話だよ」

 電話に出ると、それはもちろんあのワトソンからだった。「お別れする時、キスして欲しかったわ」

 さぁ、もうサンドラーはいても立ってもいられない。慌てて彼女の部屋を探しに探すが、どれもこれも似たようなドアなので大いにまごつく。だが何とか彼女の部屋を探し当てると、ワトソンと熱いキスを交わすサンドラーなのだった。

 そんなワトソンは明日からハワイへ行くという。出張が多い彼女は、始終あちらこちらに出かけるらしい。彼女はサンドラーにハワイに来ないかと誘いをかけるが、もとより旅行などしようとも思わぬ彼は、戻ってきてからの再会を約束した。

 ところが家に戻ろうとしたサンドラーを、とんでもない客が待っていた。例のテレフォン・セックス一味が、彼を待ちかまえていたのだ。連中はサンドラーを捕まえ、ピックアップ・トラックに押し込んだ。そしてキャッシュ・ディスペンサーで限度額いっぱいまで金を引き出さされる。あげく脅されるわドツかれるわで、思わず逃げ出すサンドラー。走りに走っても連中はトラックでどこまでも追いかけてくる。しまいには「逃げても無駄だぞ!」と捨てゼリフを残して、一味は夜の街を去っていった。

 こうなったらグズグズできない。思い立ったら即実行のサンドラーは、即決でハワイ行きを決意した。そこでまず何をするかと言えば、例のプリンを買い占めるというのがこの男「らしさ」というところだが。片腕のガスマン連れて山ほどプリンを買い込んだものの、食品メーカーに電話して問い合わせてみると、マイレージ取得の手続きには二ヶ月ほどかかるとのこと。当然そんなには待てない。例によってキレて電話を叩ききったサンドラーは、その足で空港に直行。着の身着のままで自腹切ってハワイに乗り込んだ

 ワトソンの居所は姉を脅して何とか聞き出した。ワトソンの部屋に電話を入れると、彼女はサンドラーの訪問を喜んだ。もう会うしかない!

 再会した二人は、ホテルのロビーで固く抱き合った

 夢のようなハワイの一夜。翌朝サンドラーは、ハワイから例のテレフォン・セックス屋の留守電にメッセージを入れる。「帰ったら話をつけよう」

 そしてそのまま二人は手に手をとってアメリカに戻った。ワトソンを連れて我が家へ。これから夢のような生活が始まる、と思い始めた矢先。

 二人を乗せた車がガレージに入ろうとしたところに、例の一味のピックアップ・トラックが突っ込んできた。

 激突!

 見るとワトソンの額から血が垂れているではないか。これを見たサンドラーは逆上した。あんなに怯えていたサンドラーだったのに、ピックアップ・トラックに突進。襲いかかってきた連中を次々ボコボコに叩きのめした。人が変わったようなサンドラーにビビる一味だったが、それでなくてもキレたら怖いサンドラー。愛する女を傷つけられて、黙っている訳もない。

 病院で手当を受けるワトソンは、さすがに気落ちしているようだった。それを見たサンドラーは静かに病室を離れると、意を決して電話の受話器をとった。

 さぁ、果たしてサンドラーはどんな手に出るのか? テレフォン・セックス一味は黙って引き下がるのか? そしてサンドラーとワトソンの恋の行方は?

 

ポール・トーマス・アンダーソン作品の致命的欠陥

 と言うわけでこの映画、上にも述べたように面白いんじゃないかな〜って期待してた訳なんだよね。

 そしてポール・トーマス・アンダーソンでアダム・サンドラーでエミリー・ワトソンとくれば、どう考えても美男美女のゴージャスな恋愛映画であるはずがない。まぁ、言ってみれば、どこか社会不適合者のラブ・ストーリーという趣が出てくるだろうと予想が成り立つんだよ。

 この文章をお読みのみなさんはどうか知らないが、僕は程度の差こそあれ、今時の人間は誰でもどこか自分は社会に適合していない、何となくシックリ来てない…というミスフィット感を感じているものだと思ってる。それをどこかユニークな視点で人間を見つめるアンダーソンが取り上げて、演じるのがサンドラーとワトソンと来れば、これはもういただいたも同然な企画ではないか。

 ところが、これが何とも盛り下がるんだよねぇ…。

 冒頭でいきなりアダム・サンドラーの目の前で自動車事故が起きて、誰かが鍵盤楽器を路上に捨てていく。実に奇妙な展開は、この監督「らしさ」とも言えるんだけど、それがその後何も活かされない。そういう思いつきだけで必然性がない設定が多すぎるんだよ。次々列挙しようか?

 サンドラーは鍵盤楽器を拾うが、これも意味がない。サンドラーは食品の景品でマイレージを貯めようとしているが、これも何故か分からない。後々に当座の高飛びと、出張の多いワトソンに付き合うため…という理由らしきものは発生するが、この時点では旅行もしないサンドラーにマイレージを貯める理由がない。サンドラーのキャラクターに「変人」というレッテルが貼られるだけで、何かを説明することにはならないのだ。

 また、サンドラーは高飛びとワトソンとの再会を兼ねてハワイへ飛ぶ。実はこれもサンドラーにとってどちらの理由が大きい行動だったのか明確にされないのだが、その事は今はとやかく言わない。このハワイでの二人の再会エピソードが、わざわざ現地に行ってロケまでしてるのに、どうって事のないサエないシロモノでしかない。だからラブストーリーが盛り上がらない。

 そもそもサンドラーがワトソンになぜ惚れたのか、いやいや、それよりもっとワトソンがサンドラーに惚れた理由が分からない。

 だから全体的に薄味で、何ともよく分からない映画になっちゃってるんだよね

 でも、僕はこのあたりでちょっと気づいた事があったんだよね。考えてみると、この映画ってそれまで僕が見たポール・トーマス・アンダーソン映画と、ハッキリ様変わりしてる。

 それは登場人物の数だ。

 「ブギーナイツ」にしろ「マグノリア」にしろ、とにかく主要登場人物がゴロゴロ出てきて、それぞれが重要なパートを受けもつ人間群像劇だった。僕は人間群像劇が大好きだから、アンダーソンのこの二作を歓迎したんだね。「ブギーナイツ」はまだしもマーク・ウォルバーグ扮する若者という中心人物がいたけど、「マグノリア」になると明確な主人公と言える人間はいない。で、人間群像劇は数多くあれど、こんな風に誰も彼もが自己主張して重要性を持った映画って、僕はやっぱり「ナッシュビル」あたりのロバート・アルトマン全盛期の群像劇を思い出してしまうんだよ。で、ポール・トーマス・アンダーソンはその直系の後継者だと思ってたんだよね。

 では、アルトマンと違うところというか、アルトマンにはない点は…と言うと、その着眼点のユニークさ、設定のユニークさ、キャラクターのユニークさなどなど…だと思うんだよ。それは例えば「ブギーナイツ」でのヘザー・グラハム扮する、セックスする時でもローラー・スケートを脱がない「ローラー・ガール」など、一人ひとりの細かいネタでもそうだ。また、ストーリーの大きな部分でも同様の事が言える。例えば「マグノリア」の場合は、終盤を一気にひっくり返した“あの”大業があったよね。そんなユニークさはアルトマンにも多少あるにはあったが、突飛さ加減ではアンダーソンの方が群を抜いちゃってる。そんな「奇妙」な味わいが、この監督の独壇場でもあったわけ。これは「独創性」と言い換えてもいいね。

 で、そんな「奇妙さ」は今回も満載されているんだけど、なぜか今回はそれがやけに気になる。鍵盤楽器が置き去りにされる、だから何なんだ。プリンを買いあさってる、だからどうした。…どうにも、その必然性のなさばかりが気になってくるんだね。

 で、それはアンダーソンのドラマ構成力に関わってくるんじゃないかと思うんだよ。

 「ブギーナイツ」も「マグノリア」もやたら登場人物が多くて、それぞれにちゃんと役割があるから、エピソードもてんこ盛りだ。結果上映時間は大幅に膨れあがる。2時間半から3時間って上映時間は、誰がどう見たって長いだろう。

 ところがこの「パンチドランク・ラブ」は、極端に登場人物が少ない。サンドラーとワトソンのカップル。それにシーモア・ホフマン率いるワルたち。サンドラーの姉の一人メアリー・リン・ライスカブと、サンドラーの片腕ルイス・ガスマン…。まぁ、こんなところだ。

 そして登場人物の少なさを反映して、上映時間も1時間半ちょいとコンパクトだ。

 この、登場人物の少なさ=上映時間の短さ…という事実を見て、分かることがハッキリ一つある。アンダーソンって人はドラマの構成なり展開なり密度ってものを、こうしたストレートなドラマをつくる時も群像劇をつくる時も基本的に変えてないって事だ。人数が減ると上映時間も短くなるってことは、絶対にそうだろう。だが、実は群像劇とシンプル・ストレートなドラマとでは、語り口や作劇法がどこか違わねばならないはずだ。それがさほど変わらないと来ると、これはちょっと問題あるんじゃないか?

 以下、一般論で乱暴に語らせてもらうと、群像劇はどうしても2時間前後と限られた商業劇映画の世界の要請から、細かくあれこれ掘り下げられないし語り尽くせない。だからその人物たちを上から見下ろすような鳥瞰図的な展開か、カメラが地べたをはい回るような視点でたまたま目撃してしまった人物を捕らえるか、ともかくはストレートでシンプルなドラマのように、一人の人間のディティールにジワジワ迫ることは出来ないはずだ

 そんな語り尽くせない消化不良の部分は、“数多くの人間模様の中での一個人”という視点で埋め合わせられるし、あるいはそうした人間模様の総和によって見えてくる「壁画」みたいなものの絵柄で圧倒してしまうことも出来る。さらには観客の想像力に訴えることもある。語れないから、語らない部分は想像させようと言うわけだ。

 そんな時、アンダーソンのユニークな設定、ユニークなキャラクター、ユニークな展開がモノを言う。そこに余人では思いつかない「奇妙さ」や「独創性」がある。だからこそ、突っ込みがどうしても足らなくなりがちな人物たちに、借り物つくりモノではないリアリティが宿る事になる。「ありがち」じゃないから本物くさい。説得力がある。

 ところが登場人物が少ないシンプルでストレートなドラマの場合は、主人公たちを掘り下げる時間がふんだんにある。というより、観客の目が他にはいきようがないので、掘り下げざるを得ないのだ。しかもそんな主人公の掘り下げこそが、ストーリーの原動力ともなる。

 ところが「パンチドランク・ラブ」では主人公たちの掘り下げが乏しい。唯一の例外はアダム・サンドラーだが、彼とても通常のドラマの主人公よりはかなり分かりにくい。それ以外の人間に至っては、ヒロインすら何を考えているのか分からない。こりゃちょっとマズいんじゃないのかね。そこを穴埋めすべく盛り込まれているのは、前述したような「奇妙さ」なのだが、こうした掘り下げを必要とするドラマの場合は、それら一つひとつに「なぜ」「それでどうなる」がないと難しいんだよね。…というより、アッチコッチでいろんな事が起きる訳じゃないから、そういう疑問が見ている間に沸き上がって来ざるを得ないわけ。それが説明出来なければ、単なる行き当たりバッタリの思いつきでしかないって印象になる。

 そこが群像劇とシンプルなストーリーの違いなんだろうね。

 今までアンダーソンの群像劇を支えて来たのは、そうした「思いつき」の独創性だった訳。それが彼の群像劇をリアルなものに感じさせて来た。だけど、その方法論でそのままシンプルな物語を撮ったら、何だかスカスカになって来ちゃったんだよ。そして例の「独創性」も、意味のない「思いつき」の域を出ない事がバレてしまった

 今まではゴチャゴチャしたドラマだしウジャウジャ人が出てくる話だからそれで良かったかもしれないが、骨太にシンプルでストレートな話を語る時には、どのキャラクター、どのエピソード、どのディティールにも無駄なくちゃんと意味がなければならないのだ。無意味な要素が物語の「膨らみ」や「うまみ」だなんて観客は見てくれない。だって群像劇にある高密度はここにはなくて、観客の目がどこまでも見渡せる状態のがらんどうな構成になっちゃってるんだからね。で、そういうがらんどう状態が生まれてみると、意外にアンダーソン映画って中身がなくって薄味だって見えてしまった。今回のこの結果ってそういう事だったんじゃないかって思うんだよね。

 つまり骨太な「ストーリー」を語るのに、アンダーソンの話法は適してないって事なんじゃないか?

 まぁ、ここまで言うのは酷かもしれないが、僕は「ブギーナイツ」「マグノリア」をとっても好きなんだけど、傑作だ…と言うには少々ためらいがある。それは、どこか贅肉みたいなものを感じたからなんだよね。何だか無駄というか、スッキリしないものを感じる。前二作を見た時にはそれが何なのかハッキリとは分からなかったけれど、今回に至って何となく分かった気がするんだよ。この男、思いつきでいろいろ入れるのが多すぎる。その発想がユニークで面白いから見逃されているけど、なぜそこにそうならなければならないのか…という、ちゃんとした検証をしないまま放り込んでいるんじゃないか? だからカチッとした構成を要求される一筆書きのような映画の場合、そのホコロビが露呈してしまうんだろう。

 例えば「マグノリア」だったらエイミー・マンが歌う「ワン」だとか、今回だったら何とアルトマン(!)の「ポパイ」でオリーブ役シェリー・デュバルによって歌われていた「ヒー・ニーズ・ミー」とか、音楽一つとってみても目の付け所はいいんだけどね。結局その発想のセンスがあまりにいいので、そこから先の肉付けってのをあまり熱心にはやらないんだろう

 

主人公に感じる個人的シンパシー

 ただね、今回の映画のキャラクターは掘り下げが足らないとは言ったが、唯一の例外もあるんだ。それが他ならぬ主人公のアダム・サンドラー扮する男。姉7人のプレッシャーのせいか、どこか抑圧された感情を持つ男。普段は引っ込み思案で大人しいのに、つい何か留め金がハズれると歯止めが効かなくなり、いきなり凶暴に暴れたりもする。ま、言ってみれば「プチ・ハルク」な男だ(笑)。

 この男がイイ奴かって言えば、全然そうは思わない

 好きになれるかと言えば、それもまた疑問だね。むしろ好きになれないタイプの男だろう。僕なんかヒロインが何でこの男に好意を抱くのか、全く分からなかったもんね。

 ただ、この男のアンバランスさ加減ってのは僕にも覚えがあるんだね。映画ほどではないけど、僕にもそんなところがない訳ではない。いや、別に凶暴に暴れて何かブッ壊すって事はないけどね。

 僕には姉なんていなかったけど、子供の頃に病弱だった事もあってか、どこか引っ込み思案だったところはある。だから言いたい事も言えないし、ついつい他人にやりこめられたり、言いたい放題やりたい放題されたりもした。実は今も人から何か頼まれて、それを断るのはすごく苦手だ。で、引き受けて予想通りイヤな思いをしたりする。

 どう考えても自分に分がある場合でも言い争いに勝った事はないし、そもそも言い争いをあまりしない。それはいろいろ理由があって、言い争いをする時の言葉の汚らしさがイヤだし、そういう時の相手の抜け目なさには適わないし、例え相手の弱みがミエミエでもそこを突く気になれない…ってこともある。相手以上に自分の事を棚に上げられたり、平気で相手を叩きつぶせたり、それに相手ほど如才なく立ち回る調子の良さや要領の良さも持ち合わせてるかと言えば…正直言って自信がない。だから、結局面倒くさくなって引っ込めちゃうんだね。

 だけど、それが突然プツリと切れることがある

 何でか分からない。やっぱり物事には許容範囲ってのがあるんだろうけど、僕があんまり譲歩に譲歩を重ねるものだから、相手が調子に乗ってどんな事を言ってもやってもいいって錯覚しちゃうんだろうか? いつの間にか事は臨界点を超えちゃってるんだろうね。

 そうなると、僕は何の前触れもなしに爆発する。そして、一度爆発しちゃったら止まらない。行くところまで行く。全部ひっくり返してうっちゃらかしてブチまける。それは僕にも止められない。そうなると自分の利益とかそんな事も度外視しちゃってるから、恐いモノがなくなっちゃうわけ。その時、出来うる最悪の事をやってしまう。いや、その時の自分は相手にとっては悪夢だと思うよ。

 だけど、そんな自分のとんでもなさはよく分かってるから、普段は出来るだけ出さないようにしようと思っている。人の倍は用心して退いていないといけない。日頃は引っ込み思案で譲歩しがちってのは、それだからなおさらなんだよね。

 さすがにある程度の年齢になって、これじゃマズいと引っ込み思案な外見は直そうとしたが、見た目は直っても本質は変わらない。それと同じように、怒りを溜めにためて大爆発するって事も、頻度や程度はかなりセーブされたものの、本質的には自分の中に残り続けていたんだよ。

 それがどうにかコントロール出来るようになったのは、僕にとってはある女との出会いがあったからだけどね。ただし僕の場合、相手はエミリー・ワトソンみたいに何でも包み込んでくれるわけじゃなかった。最初はそうかな…と思ってたんだけど、それもつかの間。いつの間にかそのまるっきり逆になってしまった。だけど悪気は一切なしって不可解さ。そんなのとずっとやっていくうちに、何とかかんとか自分をコントロール出来るようになったんだけど。

 だから、この映画の主人公の気持ちは分かる

 それが必ずしも好感の持てる人物とは描かれず、ある程度見ていてイラつく人物になっているところがリアリティあるよね。実際のところ、そんな人物なんてホメられる道理がないのだ。そりゃどっかおかしいって!

 で、そんな彼もヒロインが登場してきて変わらざるを得なくなる。

 面白いのは、主人公がヒロインに本当の事をなかなか言わないこと。自分がよくキレてガラス窓を割ったりするというのも、「ウソだ!」と言う。レストランでキレた時も黙っている。都合の悪い事は隠すし、ウソをつく。それというのも、ありのままの自分を知られたくないからだ。

 僕も多分にそういうところがあった。ウソをつくまではいかないものの、なかなか本当の自分を他人には見せない。いや、他人ならまだいい。付き合ってる女にも見せようとはしなかった。それは見栄やええカッコしいもあったろう、いい人になりたかった事もあるだろう…とにかくカッコつけてたんだろうね。あるいは怖かったのかもしれない。

 この映画の主人公もそういう殻を自分にかぶせていて、それが性格の歪みを生んでいた。それが「ありのままの自分」を受け入れてくれる女の出現で、少しづつ変わっていくんだよ。

 だから主人公は、レストランで暴れた事もハワイに行った時打ち明ける、テレフォン・セックス絡みでトラブっていたことも、ヒロインを迎えに行った時に打ち明ける。ちょっとづつちょっとづつ、自分の本当の事を明かしていくんだよね。

 僕も「ありのままの自分」を受け入れてくれると思った女との出会いから、自分が変わっていった気がした。実際には上に述べたように、「ありのままの自分」を受け入れてくれるなんて幻想でしかなかったけどね(笑)。ともかくその時の経験は、自分を少なからず変えたと思うよ。

 で、主人公がちょっとづつでも変わったからこそ、彼のその後の行動も違う展開を見せた。愛する女を傷つけられて反撃に出た時でも、もうむやみやたらに暴れ狂いはしない。言うべき事を言い、毅然とした態度で対応すると、黙ってその場を引き下がるのだ。彼は自分をコントロールする術を身につけたんだよね。

 そのあたりの主人公の心情は、ちゃんと「なぜ」「それでどうなる」がハッキリ分かる描き方をしているんだよ。で、僕は個人的にもそのへんはよく分かった。イイ奴とも思わないし好きな奴じゃないけど、理解は出来る。理解出来るからこそ、好きにはなれないのかもしれないけどね。でも、こいつの人間性には実感があるよ

 アレ? …っていうと、何だかあまりこの映画悪くないみたいじゃない。いや、本当のところ、そんなに悪くなかったんじゃないか?  実際、だんだんそんな気がしてきた。

 何だか無責任な事言ってるなぁ…。

 それじゃ何で、あまり面白くないって最初に思ったんだろ? でも、それも決してウソじゃないんだよねぇ。見終わった時は、つまんね〜って思ったんだよ。たぶん映画としちゃ出来損ないなんだけど、主人公のキャラは理解出来るって事なのかね。それって映画の出来栄えとは無関係と言わずとも、ある程度別のモノなのかもしれない。

 

 

 

 

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