「ホーリー・スモーク」

  Holy Smoke

 (2003/06/30)


信ずる者は救われるのか?

 マインド・コントロールっていうのはオウムで一般に浸透したようなところがあるけど、実は昔からいろいろあるんだよね。僕は小学校の時に熱血先生の指導で、完全に左翼少年化していたくらいだし。ハッキリ言ってあの時はどっぷりガチガチの左翼だったよ僕は。それにしても、何にも分からないガキにあんな事はするもんじゃない。それ以来、何かの熱狂的状況っていうか、無条件降伏みたいな気持ちってのにはどこか疑い持ってるところがある。

 その後、知り合いで宗教にハマった人もいる、マルチ商法にハマった奴もいる。どこかイノセントなガキじゃなくて大人がハマるってのは、大概が「心の透き間お埋めします」的なつけこみ方で迫ってくるみたいだ。オレはそんな人の弱みにつけこむやり方が大っきらいなんだよね。汚いじゃないか。

 だけど本人はハマっちゃうと本気でいいと思ってるんだからね。無下にボロクソ言うわけにもいかない。そこらへんが実に難しいところなんだよね。

 かつて僕の知り合いにソッチにハマっちゃったヤツがいて、彼の家に行った時も焦ったよ。招かれた時にはそんな話になると思ってなかったんで。そもそもそいつはそんなモノにハマるタイプの男じゃなかった。だから余計焦っちゃったわけ。

 で、やっぱりいいと思っているからだろう、僕にしつこく入信を勧めるわけだ。いや〜、アレはまいったよ。こういうのって理詰めで言っても分からないだろうし、どうも彼が他の知り合いに勧めた時にはケンカになっちゃったみたいで、結構ヘコんでもいた。そう聞いちゃうと、僕はちょっとキツいことも言えなくなっちゃったんだね。

 そこで困り果てたあげく、僕は自分がクリスチャンだと偽った(笑)

 オレも神を信じているからオマエの気持ちは分かる、いい事なんじゃないか、オレはキリスト信じてるからソッチには入れないけど…と、あくまで拒むわけでなく、賛同するかのような態度で切り抜けようとした。そのために必死でデタラメな聖書の引用なんかを並べ立てたけどね(笑)。

 で、まぁこれが正解だったようなんだよね

 僕を入信させることは諦めた彼だったが、その後打ち明け話的に教えてくれたことには、その気がないヤツを入信させるにはテクニックがあるらしい。そういうのを信者にバラまいてる宗教って何なんだ…とは思ったけど、それを教えてくれたのは僕への警戒心を解いたからなんだろうね。まぁ喜ぶべきことではあるんだろう。

 で、彼いわくには、強く拒む人間ほど引きずり込みやすいと言う。

 頑なになったヤツは、そいつの信念なり理屈なりを一つ崩すだけで、ドミノ倒し的にドドドッと頑なな態度が崩壊するらしいのだ。そして、そうなったら引きずり込むのはたやすい。それを聞いて僕はヒヤッとしたよ。そして、逆らわなくて良かったと安堵した。いや〜、怖いこと考えてるよまったく。

 まぁ頑なで硬直した考え方ってのは、意外にモロいもんだってことなんだろうね。それは確かにそう思う。どんな理屈もどこかにホコロビや矛盾を抱えているもんだから、そこを突けば一気に崩れちゃうってことなんだろうね。むしろ理屈抜きでのらりくらりしているヤツの方が説得は難しい。

 じゃあ自分の宗教に頑なに囚われてるオマエはどうなんだ…ってことは、怖すぎてあえて突つけなかったけどね(笑)。

 

洗脳を解くための二人きりの三日間

 この映画の主人公ケイト・ウィンスレットは友だちとインドのデリーに遊びに行って、軽い気持ちでヒンズー教の導師の教えに触れて、「これだ!」と思ってしまう。その時には目には星がキラキラ。他のモノは見えない。

 慌てて母国オーストラリアに帰国した友だちは、ウィンスレットの両親ジュリー・ハミルトンとティム・ロバートソンに報告。こりゃ大変だということになる。彼女の兄貴連中はふざけ半分だけど、母親ハミルトンは深刻だ。何せウィンスレットはハマりすぎて導師と結婚するなんて言い出しているんだから。早く何とか洗脳を解かなくてはならない。そこでアメリカから洗脳を解く専門家を招き、自分はウィンスレットを取り戻すべく単身インドへ向かったわけだ。

 インドは暑いし不潔だしで、どうしても母親ハミルトンの肌には合わない。実は今回父親ロバートソンが危篤だと偽ってウィンスレットを帰国させようとしてるんだけど、そんな事にも彼女は動じない。今ではサリーを身にまとって、すっかりアッチの世界の人になりきってる。あげく母親ハミルトンを導師の元に連れていこうとするので一悶着。パニクった母親ハミルトンは持病の喘息もあって、異国の地で倒れてしまうことになった。結果ウィンスレットはこの母親を連れて帰国するハメになったのだから、まずはめでたいと言うべきだろうか。

 一方、アメリカより専門家ハーベイ・カイテルも到着した。彼はマインド・コントロールからの脱会のプロで、自信まんまん。ただ、脱会にはデリケートな側面があるので、注意が必要だ。その点、今回彼の手助けをしてくれるこれまた専門家が来れなくなったのは痛い。いろいろ助けてくれるという兄貴連中も揃いも揃ってバカヅラばかりなのが気になる。その兄貴の一人の嫁さんソフィー・リーなど、遠来から来た頼りがいある男カイテルに興味津々。何とか気を惹こうとチョロチョロし始める。

 その頃ウィンスレットは父親が危篤なんて大ウソと知って激怒。逃げようとするところを親兄弟に取り囲まれて半狂乱だ。そこでマインド・コントロールを解いてやると自信まんまんのカイテルと出会っても、素直に話なんか聞こうと思わない。

 ともかく脱会へのステップはスタートした。助手がいないのは仕方がない。後から別の助手がアメリカから到着するので、それまではカイテル一人で事にあたることにする。まずはウィンスレットとカイテルの二人だけで、砂漠の一軒家に隔離だ。そこで徹底的に彼女の注意をカイテルだけに惹きつけ、彼への尊敬の念を抱かせる…などと豪語しているカイテルだったが…。

 一軒家で三日間二人きりの生活。まずは一日目はウィンスレットは敵意をムキ出し。あなたは本当の悟りを知らないと文句の言い放題。それに対し、ヴェルディからソクラテスに至るさまざまな引用を持ち出し、ウィンスレットの導師の言うことの平凡さ、陳腐さを徹底的に暴き出す。

 さらにはウィンスレットが眠っている間に彼女のサリーを脱がせてしまう。彼女の心の拠り所を奪ってしまう作戦だ。そして夜中に例のソフィー・リーを呼び出して、車でウィンスレットの着替えを持って来させようとする。

 ところがこのソフィー・リーがとんでもない欲求不満女で、ここぞとばかりカイテルに迫る。これにカイテルは据え膳食わぬは何とやら…と食いついてしまうんだから、この男もこの男だ。

 翌日二日目は、はぎ取られたサリーを屋根のアンテナに結びつけられて、ウィンスレットがまたまた激怒。そんな彼女にカイテルが自分の話を話し始める。何と彼もかつてインドで宗教にひたった体験があるのだ。妻に裏切られたショックで導師の教えにすがった彼。だが、この導師は彼のカラダを求めていた…。

 これにはウィンスレットもちょっとは心を動かされたようだ。

 だが、彼女は小屋の外に石で「タ・ス・ケ・テ」と字をつくっていた。これを見た自家用機のパイロットから警察に連絡がいったと言うのだ。これにはカイテルも怒って彼女をお仕置き。一進一退。これで大丈夫なのか?

 その夜はウィンスレットの家に行って、一族郎党と共にビデオ鑑賞会。ビデオといっても映画なんかじゃない。新興宗教の欺瞞を暴き出したドキュメンタリー・ビデオだ。これを見たウィンスレットはさすがに動揺して、一人で部屋にこもって大泣きだ。いよいよ洗脳は解けたのか?

 小屋に戻った二人。だが、ウィンスレットは何を思ったか、あの屋根に結びつけられたサリーに火を付けた。そして全裸で外を呆然と歩く。どうも洗脳は解けたらしい。

 「信じていたものが消えてしまった。何もなくなってしまった」

 不安からか彼女は呆然と虚ろな状態になった。そしてカイテルに迫る。「キスして、抱いて」

 だが、それはカイテルにとって一線を越える、「してはいけない事」だ。だが、彼女のあまりの不安定ぶりを見てとったためか、はたまた…ともかく、カイテルは全裸の彼女を抱いてしまった。その夜、二人は一晩中ベッドで激しく抱き合うのだった

 だが翌朝、ウィンスレットのアホな兄貴連中が車でやってくる。もう洗脳は解けただろうと、大騒ぎしてやって来る。かろうじてヤバい現場は見つからなかったが、内心ヒヤヒヤのカイテル。兄貴連中はウィンスレットを酒場に連れていって、気晴らしをしてやろうと考えたのだ。カイテルは反対だったが、ウィンスレットはこの話に乗った。かくして酒場で大ハシャギの一同。

 だが、ちょっと目を離した隙にウィンスレットは酒場の若造たちに誘われて、外でなぶりものにされかかっていた。慌てて若造たちを追い散らし、ウィンスレットを連れ帰るカイテル。彼女はまだ不安定なのだ。

 そして小屋に帰ったウィンスレットはカイテルに冷たい。一度抱いて情が湧いたのか、彼女に強く出られなくなったカイテル。一方ウィンスレットはカイテルに我慢して抱かれた…などと無慈悲に言い放つ。これには、先日までの自信まんまんはどこへやら、大いに傷つき動揺するカイテル。だが、ウィンスレットに対しては執着が生まれていた。そんなこんなでどこか攻守逆転する二人…。

 

男と女のパワーゲームにも似て

 このあたりはねぇ、男としては身につまされるものがあるよ。僕も女との関係ではこういう事を経験したことがあるからね。最初は女が傷ついていたり弱っていたりで、僕が強くならなければと思う。彼女が何かの固定観念にとらわれていると思えばなおさら。励まし、なだめ、時には叱って、彼女を何とか立ち直らせたいとか思っていた。彼女の方でも僕に全幅の信頼を置き、僕に頼っている気がした。それが…非常にいやな言い方をすれば、僕の男性的な気分を満足させていたところもあったろう。

 だけど、そんな関係が一線を越えたあたりで、事態は徐々に変わったりする。それは僕に執着が出来て来たってことなのか。男は女と結ばれてから弱くなるのだろうか。ともかく攻守逆転。そうなるとひどく無慈悲な言葉を投げつけられたりもした。それでもどうにかさせたいと僕も耐える。でも、一度守りに入ったら、なかなか元には戻らないもんだよ。そこから痛々しくも苦々しい関わりが続く。いや、それはフェアではないな。そうは言っても痛めつけられても、もう男としては喜びに変わっていたりもするんだ。そして関係を何とかして維持していきたいと願う。

 カイテルもウィンスレットにいたぶられながらも、何とか彼女をつなぎ止めたいと思う。アメリカから助手のパム・グリアが来て、もう三日経ったと告げられても、まだ洗脳は完全に解いていないと小屋での二人きりの状態を保とうとする。あげく何とかあと一日だけ…と確約してグリアを帰すのだが、彼女にはもう何が起きたのか薄々分かっているんだね。

 そう、ミイラとりがミイラになってしまった

 ウィンスレットに女装させられ傷つけられ、それでも彼女を手放せないカイテル。ウィンスレットの方でも、今までこれほど自分に深く関わった男はいないから、彼をいたぶりつつも離れられない。ドロドロ状態になる。あげく、その中で確かな心の交流があったような瞬間もある。「君は無慈悲だ、傲慢な女だ」「私はみんなに嫌われている、イヤな女なの!」「君には心遣いがない、そうだ、優しい心遣いが必要なんだ!

 ところがここまでお互い心を解体しちゃうと、やはり行き着く先はハッピーエンドじゃあり得ない。あげく、カイテルはウィンスレットを結婚してくれと追い回し、ほとんどストーカー状態になってしまうんだね。そして破局がやってくる…。

 このへんのウィンスレットの心境、そしてカイテルがしまいには「二人でインドで導師に会おう」とまで言うに至る心境は、実は僕にはよく分からない。で、辛い言い方をするとそこまで変わっていった変化ぶりを、ジェーン・カンピオン監督は描けてないんじゃないかと思うんだよね。僕がそれを理解できなかったってこともあるかもしれないが。少なくとも、ここは手に取るように分かるとはいかなかった。だが、男と女の攻守逆転状態までは何となく分かる。女が男をいたぶるのも分かる。

 ウィンスレットの家族ってのは、母親を除いてはどいつもこいつも俗物そのものだ。父親は母親に隠れて愛人に隠し子を生ませていたりもする。兄貴はと言えばどいつもこいつもアホで、物事シリアスに見ていない。たぶんこの家族の男連中は、みんな女をバカにしている。それがウィンスレットには我慢ならなかったのだろう。彼女がインドで「悟り」を開いた理由もそこにある。

 そこに自信まんまんのハーベイ・カイテルが、「治してやる」と言わんばかりに迫ってきた。

 確かに彼女がハマったのはインチキ宗教かもしれない。だが、問題はそこにはなかった。軽んじられどこかバカにされていたやりきれなさが、彼女をそこにはしらせたかもしれないのだ。

 だからカイテルの処方は正しくて洗脳は解かれたかもしれないが、そこで彼女がそれまで抑圧していた…あるいはしかと気づいていなかった、そんな気持ちも解き放ってしまったのだ。そして彼女が洗脳を解かれた時に、擬似的にかもしれないが男女関係が生じた。男女関係の始まりは、男女の攻守逆転のタイミングでもある。彼女はそれまで男たちに持っていた不満や怒りを、一気にカイテルに無慈悲に集中させたのではないか。

 カイテルは…と言えば、そこで「惚れた弱み」が生じたということは確かにある。だが、元々カイテルがこの洗脳の専門家になったいきさつを考えると、男女関係不信がその原点にあるのは間違いない。ウィンスレットの兄貴の欲求不満の嫁さんが迫って来た時、何のためらいもなしに抱いているのも、たぶんそのあたりが原因だろう。そこには「愛」を信じなくなったゆえの「セックス」への依存もあったかもしれない。人は何かを信じずにはいられないとは言うが、「愛」も「宗教」も信じられなくなった彼には、せめて身体の触れ合いだけが信じるに足るものだったのかもしれない。

 だからウィンスレットをその場のなりゆきで抱いてしまったことで、彼の中にも新たな感情が生まれてしまった。ただのそこらの女を抱いたのではない。「自分が洗脳から救った女」を、その場の状況で守ったつもりで抱いてしまったのだ。それが、彼がもう信じないと思っていた「愛」だと思ってもおかしくないだろう。いや、たぶんそれは一種の「愛」だ。しかも、自分が唯一確かなものと思えた「セックス」を通過した末の愛だ。そして愛した時に、人はひどく無防備な状態になる。そんな無防備な状態のカイテルを、ウィンスレットの怒りが襲ったってことなんだろう。

 僕も自分の愛する女を、つらい思いから救えると思ったんだよね。救ってやりたいと思った。そして彼女が囚われている固定観念から解き放ってやりたいと思った。それが関係の絶対的変化の際の誤算になった。彼女が、それまでのつらい思いのはけ口のように、僕を傷つけ始めたのも無理はない。僕が「そうしていい」と言っているようなものだから。このあたりは、映画の見方としては見当違いかもしれないが、僕には人ごととは思えないところだった。妙にリアリティがあったんだよね。

 でも、果たして人は誰かを救ってやれることなんて出来るのだろうか?

 僕もハーベイ・カイテルも、相手の固定観念やマインド・コントロールは何とか出来ると思い込んでいるあたりに、決定的に誤算があった。思い上がりとでも言おうか。それは、当人が男性で、相手が女性であるが故の思い上がりだったかもしれない。

 人が「これは」と自分の中に抱いているものを、他人がどうこう言うなんてどだいナンセンスなのかもしれない。インチキ宗教はちょっと別だと思うけどね。だけど、人の考えを翻させようなんて、その人が自分でその気にならない限り無理だ。第一、当の自分の思っていることの方が絶対正しいって誰に言える?

 ただ主人公二人は、ボロボロになるまでお互いをトコトン突き詰めた。そこに唯一この世で確かなつながりと言える、身体での触れ合いも体験した。そういったモロモロを通過した二人だから、関係は破綻したけれど、今に至ってもお互いに対する気持ちはどこかに残っているんだね。そして、そのへんの微妙なところは、当の二人だけしか分からない。そんな淡いながらも一抹の希望を感じさせるエンディングはちょっと嬉しかったな。

 面白いと思ったのは、この映画ではいろいろなポップ・ソングを登場人物の心情に寄り添わせて使っているんだよね。ニール・ダイアモンドだとか、「ベイビー・イッツ・ユー」なんてオールディーズ・ソングまで。それって言うのは一体なぜだろう?

 確かに人の信念ってのは他人があれこれ言えるものではない。それは思い上がりでしかない。だけど、自分の信念をあまりシリアスに硬直した考えで持つのもいかがなものか? ウィンスレットの宗教への傾倒は、マジも大マジだけど滑稽でもあった。転じてカイテルの信念も結構隙だらけだったことは、彼が女と見れば食っちゃったり、ウィンスレットと関係したとたんグラついたりしたことで見てとれる。信じることはいいけれど、他の何者をも受け付けないほど深刻に思い詰めたり、自信たっぷりに思い上がったりしたらロクなことはないよ…という例えではないのか。登場人物の信念を軽〜いポップ・ソングに託して語っているのは、そんな程度のものに思っておいた方がいいよってメタファーじゃないか。ウィンスレットとカイテルのゴタゴタが表面化した時、彼女の家族たちが思わず神に祈り出すオカシサ…せいぜいそんな程度のものじゃないかって事を言いたいんだと思う。

 そもそも「ホーリー・スモーク」=「聖なる煙」ってタイトルだって意味深長だ。煙のようにあやふやな、いつ風に吹き消されてもおかしくないような、まるで実体のないものなんだっていう事なんじゃないか。

 人間何でも頑なに思い込んじゃいけない。どうせ人間には本当のところなんて分かりはしないのだから。せいぜい、本当にセックスのその瞬間の、実感ぐらいが関の山なんだろうと思うよ。

 そもそも本当のことなんて、どこにもないのかもしれないんだからね。

 

 

 

 

 

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