「アイ」

  見鬼 (The Eye)

 (2003/04/21)


何が幸か不幸か分からない

 ゲタを履くまで分からない…とはよく言う言葉だけど、本当に人間なんてそんなものだよね。

 僕も何度そう思ったか分からない。いい意味でも悪い意味でも。自分じゃ全然期待しないことがすごくいい結果を生んだり、こりゃ最高だと思ったらそれがドツボに転じたり、最悪な目にあったと思ったらこれまたそれが実は幸運だったり…。実は人間って長い目で見ないと何も分からないもんなんだよね。

 僕が前々から何度もここで述べてる中国での悪夢の思い出。それは、僕がある職場に入ったことがキッカケではあった。その職場の命を受けて中国に行ったわけだからね。でも、最初にその職場と出会った時は、実は僕は我が身の幸運を噛みしめてもいたのだ。本気でラッキーだったと思っていた。今思えば、何てバカだったんだと感じるけどね。でも、その時には何も分かってなかったんだよ

 まるで期待しなかったところから思わぬ幸運が舞い込み、その幸運が幸運を呼んで自分でも意外な展開になった時も、僕は何てラッキーなんだと幸福感に満たされた。それが長く続く苦しみの序章だなんて気づきもしなかったんだよ。逆に悪夢のような出来事が起きて半年ばかり苦しみ抜いた時は、自分が何てついてないんだと運命を恨んだ。その最もつらい時期ってのは、仕事の面でも家族の問題でも個人的な問題でもどれもこれも行き詰まってどうにもならない状態だったからね。でも、よくよく後で考えてみると、その時はそうなって良かったのかも。もしそうでもならなかったら、僕は本当に破滅していたかもしれないんだ。今ここでとにもかくにもこうしているようには、無事に暮らしてはいなかったかもしれない。

 そう考えてみれば、僕は間一髪セーフの幸運を掴んだことになる。その時はそうは思わなかったけどね。

 昔、石炭産業と言えば花形だった。だから一流大学を出た連中がこぞって就職したりもした。受かった人達は自分がついていたと思っただろう。その後、産業構造がガラリと変わって、石油がエネルギーの主流になるとは分からなかったからね。逆に何かのアクシデントでそんな石炭産業から足を洗わなければならなかった人は、その時は不幸だと感じていただろうが、後々考えるとその時に転換できて良かったということになる。かように人間の幸と不幸は紙一重だ。

 モノは考えようと言うのも、そういうところから来ているんだろう。結局運命というものは変えようがない。どうしたっていいことも悪いことも起きる。しかもいいことが悪いことを生み、悪いことが良いことを導くというのならね。いいことも悪いことも、実は誰しも等しく味わうことなんだろう。ならば自らの運命を恨んでみたって始まらない。絶望しきって自暴自棄になるのも、決して自分のためにはならないんだ。その時に起こった事だけを短絡的に考えたら、たぶんいけないんじゃないか?

 我が身に降りかかった事をどう思うかってことが、人の幸不幸を決めるのかもしれないんだからね。

 

生まれて初めて視力を手に入れたはいいが

 若く美しい女性アンジェリカ・リーは、その美貌にも関わらず物心つかない時から盲目だった。だが、彼女の闇に包まれた日々ももうすぐ終わる。実は彼女は角膜移植の手術を受け、視力を取り戻すチャンスを得たのだ。

 手術はエドムンド・チェン医師の執刀で、順調に終わった。リーは目に包帯を巻いてベッドに横たわり、瞳を開く日を待つばかり。そんな彼女に同じ病室の少女ソー・ヤッライが話しかけてくる。この少女ヤッライは脳腫瘍を患い、頭部に手術を繰り返していた。リーはそんな少女に、お互いが退院したら遊びに行こうと約束する。

 さて、リーは祖母コウ・インペン、姉キャンディ・ローの見守る中、初めて目の包帯を取ることになった。この最初の試みは激痛ですぐに目を閉じることになったが、その後の養生の結果、容態は順調に快復。ぼんやりとではあったが、視力を回復するに至った。

 初めて鏡で自分の顔を確かめる瞬間。万感の思いがこみ上げるリー。

 例の少女ヤッライもリーの快復を喜んだ。ヤッライは自分のインスタント・カメラで、二人の記念撮影をするのだった。

 ところが視力を回復していくにつれて、リーの身に奇妙な出来事が起きてくる

 それに初めて気づいたのは、夜の病室でのこと。同室の老婆が不思議な黒装束の人物に連れて行かれるのを目撃したのだ。驚いてその後を追っていったリーだが、人っ子一人いない病院の廊下で、何やらうめき声が聞こえるではないか。まだおぼろげな視力に映るのは、先ほどの老婆らしき人物。その老婆がいきなりリーに近づいては、彼女の目の前で消えた。

 しかも翌朝看護婦に聞くと、その老婆は昨夜亡くなったと言うではないか。

 ともかくは退院だ。姉キャンディ・ローに連れられて、めでたく外に出るリー。初めて見る香港の街の風景に、リーの目は釘付けだ。だが、帰路に乗ったタクシーの車中で、リーはまたしても奇妙な光景を目撃する。何と猛スピードでクルマが行き交う高速道路上に、ボーッと突っ立ってる男の姿が見えるではないか。あれは一体…?

 退院したリーがまず連れてこられたのは、心理療法士ローレンス・チョウのオフィス。幼い頃から盲目だったリーは、目で見える世界にまだ慣れてない。社会復帰のためにもチョウの元に通って、少しづつ視力に慣れていかねばならないのだ。そんな話を聞いて、ただただ視力回復を喜んでいたリーに不安がよぎる

 ともかくアパートの自宅に帰宅したリーを祖母も歓迎。ようやく気持ちが和んだ彼女だが、そんな最中に誰ががドアのベルを鳴らす。家事で手が塞がっていた祖母の代わりにドアを開けたリーの前に現れたのは、一人の野球帽の男の子だった。「僕の通信簿を知りませんか?」

 最初何のことやら分からなくて戸惑うリー。だが、そんな彼女がちょっと目を離した隙に、男の子はいずこかへ消えてしまった。あれは一体…?

 リーがこの男の子を目撃したのはこれが最後ではなかった。その後もアパートの廊下で出会っては、彼女に「通信簿を知りませんか?」と聞いてくる男の子。しかも、またも目を離すとどこかへ消えてしまう。あるいはかがんでいる男の子を見かけると、何とこの男の子はロウソクをかじっている。

 まだおぼろげな彼女の視力では、アパートの隣家で葬儀があったことに気づいてはいなかった。だが彼女の祖母は、リーが誰もいない虚空に向かって話しかけているを見かけて愕然とした。

 リーの祖母が心配して隣家に尋ねてみると、例の男の子はこの家の息子で、通信簿をなくしたことを親に疑われて飛び降り自殺したと言う。祖母は早速霊能者を連れてきて、お祓いを始めた。

 だが、リーの憂鬱はそれだけではなかった。リーはかねてから、盲人オーケストラでバイオリンを担当していたのだが、彼女の視力回復に伴って除籍させられることになったのだ。これには彼女も落胆を隠しきれない。広い世界に飛び出し、多くのものを得られるはずの視力回復。それが彼女から「何か」を奪うことになろうとは…。

 そんな中でも異変は続いていた。薄汚れた病院のイメージ、自分の部屋が全く見たこともない部屋に変わる悪夢。それはリーの気のせいなのだろうか?

 社会復帰の一環の書道教室では、「私の席を返して!」と見知らぬ奇怪な女が現れて襲いかかってくる。慌てて心理療法士チョウのオフィスを尋ねるが、彼は外出中だ。仕方なく戻ってくるまで時間をつぶすために入った食堂では、奇妙な母子の姿を見かける。しかも、その母子は長い舌を出してチャーシューをぺろりぺろりとなめるではないか。それを見たリーには、もう出されたチャーシュー麺を食べる気など失せていた。

 相次ぐ異変に戸惑ってばかりのリー。すると今度は道を横切って走ってくる男の子が、彼女の体をスッと通り抜けていく。驚く彼女の目の前で、その男の子が交通事故で死んでいる

 これは一体…!

 パニックに襲われたリーを抱き留めたのは、あの心理療法士チョウだった。

 チョウのオフィスに戻ったリーは、彼に今までの一切合切をブチまけるように話す。完全に常軌を逸したリーに同情をしたチョウではあるが、その話はにわかに信じがたいものばかり。そんなチョウの内心を、リーは敏感に感じてしまった。

 「あなたも私を信じてくれないのね」

 落胆したリーは、何とか我が家のあるアパートに戻って来た。エレベーターに乗って上階の自宅に行こうとすると…。

 エレベーターに奇妙な老人が背を向けて乗っているではないか!

 だが、モニターテレビにはその姿は映っていない。肝を冷やしてそのエレベーターをやり過ごしたリーは、次に来たエレベーターを待ち、中に誰もいないことを確かめて乗り込んだ。

 エレベーターがゆっくりと上階に上がっていく。

 そのうちリーは、何やらイヤな気配を感じた。案の定、エレベーターにいつの間にかあの老人が乗っている! リーは何とか息を殺して耐えているが、背後に立っていた老人はいつの間にか正面を向いていた。その顔の恐ろしいこと。それにとどまらず、ゆっくりゆっくり彼女に近づいていく老人。もうダメだ!

 間一髪、ドアが開いてエレベーターを飛び出すリー。だが、慌てて一階間違えていたことに気づき、大慌てで階段を駆け下りる。そんな彼女が駆け下りてきた階段の踊り場からは、あの男の子が窓を開けて飛び降りる始末だ。

 もう限界!

 精魂尽き果てたリーは部屋に閉じこもり、祖母や姉が声をかけても扉を固く閉ざした。部屋を暗くし、電球もはずし、再び闇の世界に戻りたい気持ちで一心の彼女。

 そんなリーの元にやって来たのは、あの心理療法士チョウだった。

 「いつまで閉じこもっているんだ、逃げたってどうしようもないんだぞ!

 今こそチョウはリーの気持ちを考え、彼女を助けようと決心したのだった。そのために出来ることは何でもしよう。

 リーを連れて、例の除籍された盲人オーケストラの練習場に連れていったりもした。そこで久しぶりに思う存分バイオリンを弾きまくるリー。そんな激情をぶつけるような演奏の後、疲れ果ててその場に倒れ込むリーであった。

 気絶したリーが連れて行かれたのは、彼女が手術をしたあの病院だった。放心状態で横たわるリーの元にやって来たのは、あの脳腫瘍で入院していた少女ヤッライだ。彼女はもう退院だと言う。

 「じゃあ退院したら一緒に遊ぼうね」

 だがそれは叶わぬこととリーが悟ったのは、その言葉が終わらないうちのこと。例の老婆が立ち去った時に付き添っていた不思議な黒装束の人物…「それ」が少女ヤッライの背後に立っていることに気づいたのだ。

 「世界は美しいでしょう? もうちょっとだけ強くなれば大丈夫…」

 少女の身に何があったのかを悟ったリーは、もう涙が止まらない。今まで「彼ら」を見ることを恐れていてばかりいた彼女。だが、これを機に彼女は変わった。

 「会いたい人、大切に思う人だって見ることができる」

 リーは自分の運命を受け入れる決心をした

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは絶対映画を見た後で!

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、心理療法士のチョウから少女ヤッライの遺品を手渡されたリー。その中にはリーがヤッライと写した写真もあった。だが、その写真を見てリーは愕然とするしかない。

 顔が違う!

 鏡で見て、それまで自分の顔だと思っていたものと、ヤッライの写真に写っていた顔とが別物だったのだ。慌てて鏡を見てみるが、やはり映っているのはいつもの「あの顔」。自分の顔だと言われた、ヤッライの写真の顔ではない。この女の顔は、一体誰の顔なのか?

 死者は、その死に際に自分の角膜にイメージを遺すのではないか? この世に未練を残した者は、それが晴らされるまでこの世に残り続けるのではないか…?

 一方、心理療法士のチョウもリーのために手を尽くしていた。実は彼、リーに執刀した医師チェンの身内でもあった。そこで何とか無理を言ったあげく、彼女に角膜提供した人物を探り当てることが出来た。その人物はタイにいた中国人だった。

 リーとチョウはタイに向かった。

 バスに揺られること長時間の末、二人はタイ北部のど田舎にやって来た。そこにはいくつもの焼け跡が立ち並び、異様な光景が広がっている。そこでまた全身火だるまの忌まわしいイメージを見るリー。

 目指す病院はそんな村の真っ直中にあった。その建物、その廊下…確かにリーには見覚えがあった。それは彼女が何度も悪夢の中で見たイメージだ。

 やがて角膜を摘出した医師と面会したが、警戒されることを恐れて角膜提供者の家族に感謝したいと偽るチョウ。だが、ドナーと被提供者は接触を持たないのがセオリー。医師は頑として口を割らない。これにはたまりかねてリーがブチギレた。

 「私には彼女の顔が見えるんです!」

 その勢いに押された医師は、ついに真相を告白した。リーの角膜を提供した人間は、この村の若い娘チャッチャー・ルチナーノンであったこと。彼女は幼い頃から時々近所の家の前に立つと、いきなり泣き出したこと。するとその家から必ず死者が出たため、村中から忌み嫌われていたこと。実は自分も彼女をいじめたことがある…と告白する、医師の表情はさすがにすぐれなかった。

 そして運命の日がやって来た。この娘ルチナーノンが何かに気づき慌てふためいて騒ぎ立てたが、村の人間は誰も取り合わなかった。むしろそんないきさつから、露骨に彼女を嫌った。だが、事件は起きた。村に大火事が発生し、多くの人間たちが焼け死ぬ大惨事となった。そして彼女は首をくくってこの世を去った…。

 「今なら彼女が予知能力を持っていたと信じる?」

 そんなリーの問いに答える代わりに、医師はリーとチョウを村はずれの家に連れて行った。そこには例の娘ルチナーノンの母親ワン・スーユエンが、今は一人で住んでいる家。幼い頃から忌み嫌われてきた娘をたった一人かばってきた母。だがそんな彼女も、娘の自殺とともに頑なに心を閉ざしていた。ともかくは今夜はこの家に泊めてもらおう。翌日はルチナーノンの墓参りをしよう…。

 リーは自殺したルチナーノンの部屋に泊まることにした。

 そこはやはりリーの悪夢に何度も出てきた、あの見知らぬ部屋そのものだった。見上げれば天井の梁には、いまだにルチナーノンが首をくくった手ぬぐいが残っている。そんな彼女の寝台に横になっているうち、リーの心には彼女の思いが走馬燈のようによぎっていくのだった。

 幼い頃からたまたま異変を察知できたばかりに、近所の大人から子供にまで嫌われてきた彼女。自分は何も悪くないのに、彼女のせいで人が死ぬように言われ続けた。それでも彼女は何かを感じれば、それを告げずにはいられない。そのたびに周囲の仕打ちもひどくなる。そしてあの日、彼女は今まででも一番ひどい惨事を予感してしまった。だが、誰もそれに耳を傾けるばかりか、彼女を嫌って追っ払うばかり。結局最悪の事態が起きると分かっていながら、為す術もない彼女だった…。

 リーはその時、ルチナーノンのこの世の未練をハッキリと知覚した。彼女はルチナーノンの母親の元へ駆け寄ると、思いの丈をぶちまけるのだった。

 「彼女の気持ちが分かったわ。今すぐ私と一緒に来て!

 だが、母親は動かなかった。それまで何とかして娘を守ろうと頑張ってきた母親。だが娘は彼女を置いて逝ってしまった。そんな娘を母親は許してはいなかったのだ。

 仕方ない。リーは再びルチナーノンの部屋に戻った。時間は彼女が自殺した午前3時。おそらくは毎晩この時間に、彼女はこの部屋に戻って来ているのだ。

 いつの間にか、リーはルチナーノンになり代わり、天井の梁から首をくくっていた!

 苦しむリーがもがいても、誰も助けには来ない。だが、そんなジタバタする物音に、別室で悶々としていた母親の気持ちが動き始めた。最初は頑なになっていた母親も、自らの動揺を隠しきれなくなった。

 だが、リーの首は確実に締まっていく。このままでは死んでしまう。

 いよいよたまりかねた母親は、娘の部屋に駆け込んだ。そして首をくくっている彼女を助けて、必死で床に下ろした。床に荒い息で横たわる彼女…その顔はルチナーノンのそれだった。母親は彼女に取りすがって泣いた。

 「娘や娘や、もう私はとっくにおまえを許しているよ!

 それは、成仏できなかったルチナーノンの魂が、やっと解き放たれた瞬間だった。

 すべては終わった。ルチナーノンの顔がいつしかリーの顔に戻っていた。これで忌まわしい事件は幕を閉じる。誰しもそう思った。

 だが、リーにはもう一つ、新たなる試練が待ちかまえていたのだ!

 

運命を変えることは出来ないけれど

 かつて映画界で兄弟監督と言えば、イタリアのタヴィアーニ兄弟が有名だった。そしてアメリカのコーエン兄弟(こちらはクレジットは兄が監督、弟が製作となっているが、実質上は共同監督らしい)。兄弟で監督ってのはやりやすいのかね? そこに「マトリックス」のウォシャウスキー兄弟が参戦し、そしてこのタイのパン兄弟だ。何だかやたら増えてきたねぇ、兄弟監督って。

 この人たちの前作…というか、兄弟監督としての第一作「レイン」が東京国際映画祭に出品されて話題になったのは知っていたけど、僕は残念ながら未見なんだよね。ただ、青春犯罪ものっぽい映画らしいとしか知らなかった。だけど、まさかその二作目がホラー映画になるとは思わなかったよ。今回はまたしても…のトム・クルーズのリメイク権獲得って話題つきだけど、この人もマメに世界中からリメイク権を買ってるね。でも、このネタは本当に気に入ったかも。何せクルーズってスペインのアメナーバルに「アザーズ」を撮らせたりしてるもんね。お好みのネタには違いない。まぁ、この作品が本当にハリウッド映画に生まれ変わるのかどうかは今のところ分からないが、ひとつだけハッキリしてることはあるね。「アイ」ハリウッド・リメイク版が出来上がったとして、そのヒロインを演じるのは間違いなくニコール・キッドマンではないと言うことだ(笑)。

 それにしても今回の作品のプロデュースに、「ラヴソング」の監督で知られる香港のピーター・チャンが加わっているのには驚いてしまった。この人、最近はハリウッドで一本撮ってみたり、韓国映画「春の日は過ぎゆく」をプロデュースしたり、国際的な活動が続いているんだよね。それにしてもタイとの合作、そしてホラー映画製作とは意外。もっとも、近作の「スリー」ではタイと韓国の新鋭映画作家とともにホラー短編オムニバスを発表しているのだから、このジャンルが実は結構好きなのかもしれない。

 そして今回はこのピーター・チャンのプロデュースということもあってか、物語の主人公は香港人で舞台も香港。お話の後半にタイが出てくるという構成の物語となっている。

 今回の作品、このパン兄弟は「ホラーをつくるつもりはなかった」なんて言ってるけど、そりゃちょっとマユツバもんじゃないかと思ったよ。だっていきなりアレだからねぇ(笑)。ここを読んでいるみなさんは、とっくにこの「アイ」をご覧になっていると思うけど、巻頭まもなくアレだもんねぇ。いきなり油断してたらガ〜ンときた。これでスッカリ動揺して、見る側としてはアッチの世界にいってしまう。このへんのうまさってのは大したものだ。

 そして今回の怖さを何よりも盛り上げるのが、ドルビー・サラウンドの音響効果。冒頭の例のガ〜ンから始まって、終始ヤバい雰囲気になるとヒュ〜っとどこからともかく異様な効果音が聞こえてくる。これにはまいっちゃったよ。ものすごいショック場面やらえげつないシロモノが写ったりしなくても、かなり怖い。ちゃんと怖がらそうとしてるじゃん。どこがホラー撮る気なかっただよ(笑)。

 だけどね、映画を見ていくとパン兄弟の言いたかったことも分かるんだよ。それと言うのは、まずはヒロインの心がちゃんと描かれている点だ。

 彼女がおずおずと目を開くあたり、そして初めて自分の顔を見るあたり、ヒロイン役のアンジェリカ・リーって女の子の演技も見事なものだが、本当にその気持ちをうまく見せているんだよね。期待と不安。それがちゃんと描かれているから、その後で彼女に降りかかる災厄が身につまされる。怖いことも怖いけど、本当にヒロインが気の毒になる怖さなんだよね。

 それも本当だったら彼女に喜びと幸福をもたらすはずの視力回復がすべての災いの元だから、一際残酷で悲惨なんだよね。幸が不幸になる…そのうち映画を見ている僕らには、幽霊が見えるってのはその幸不幸の単なるメタファーにすぎないってことが分かってくるんだ。

 目が見えたばかりに、彼女はそれまで一緒にやってきたオーケストラからも除籍させられてしまう。そんなはずでは…という彼女の落胆を見ればそれが明白だ。幸福と思っていたことが思わぬ不幸を生む、そんな皮肉なんだよね。

 それが改めて思い起こされるのが、少女の死のくだり。それまで霊が見えることを忌み嫌っていたヒロイン。だけど、彼女に見えるのはそんな忌まわしさばかりではない。可愛がっていた少女が別れを告げる瞬間に居合わせることが出来た…そんな恩恵をも彼女にもたらすわけ。必ずしも悪いことばかりじゃない。その時からヒロインは、自らの運命を受け入れようと決意するんだよ。

 一方、彼女に見える霊の中でもおぞましさの極致なのは、自ら命を断ってしまった人々。親に責められ飛び降り自殺した男の子は、いつまでも浮かばれずに飛び降り自殺をし続けなくてはならない。そしてヒロインに角膜提供をした予知能力のある娘も…。彼らは現世の苦しみから逃れようとして死を選んだのに、その結果陥ったのは苦しみが果てしなく続く無限地獄

 死を選ぶには訳もあったろう。しかし運命というものはその時々で、そして本人の考え方一つでいくらでも変わる。もしその時に死を選ばなければ、これほどの苦しみに陥らずに済んだものを…。ヒロインの内面で進行していった、幸が不幸になる、忌まわしさが恩恵にもなる…という心理の変化を考えると、彼らにはこれしか選択の余地がなかったのか…と思わずにはいられない。どんな時にも早急に結論を急いじゃいけないんじゃないか、と…。ここが今回の作品の一番の訴えたいところなんだろうね。

 ラストにまたしても大事件が起きるあたり…そしてそこで起きる結果は、正直に言って丁寧につくられたこの作品の中では、ちょっと「つくっちゃった」かなと思わされる点で少々残念でもある。まぁ、この映画を終わらせるにあたっては、あのようにまとめるしかなかっただろうしね。そして大きな見せ場も欲しいところだ。かようにホラー作品の話のまとめ方ってのは難しいってことでもある。

 だけど、そこで作者が訴えたいこともたぶん同じことなんだろうと思うよ。自らが得た能力を使って、ヒロインは運命を変えようと奔走する。それは自殺した娘も同じだ。そしてその娘は敗れ去った。結局、ヒロインも運命を変えることは出来なかった。何が起きるか、どんなことになるか…運命ってものに対して、人間はどこまでも無力なんだよね。それは特殊能力を持った彼女たちでも無理だった。まして僕らなんかにゃまるっきり出来ない相談だろう。

 だけど…とパン兄弟は言っている。運命は避けられない、起きることからは逃れようがない、それを止めることは出来ないけれど…それでも先に述べたように、起きた事の持っている意味はその時々で変わる

 そもそも、すべての物事にはいい面と悪い面がある。人の身に起きた事が本当は何であったかということは、おそらくは運命を受け入れざるを得ないその人の心の持ちようで違うのではないか。だから、受け入れようで運命をいい方向に受け取ることだって出来るはずだ。起きた事は変わらない…でもその意味は変わる。ならばこうは言えまいか。人間はきっと運命からも自由になれるのだと…。

 人の意志の力によって、運命はいかようにもカタチを変えるのだから。

 

 

 

 

 

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