「キープ・クール」

  有話好好説 (Keep Cool)

 (2003/04/07)


僕が映画の作者に思うこととは?

 僕が映画を見る時に自分の実感を大切にしてるってことは、ここで再三再四繰り返して言ってきたことだ。映画を見て何かを感じた時には、おそらくは自分の思いや経験のどこかに思い当たることがある。それが実感として共感として心に響くのだ。僕はいつだってそう考えているんだよ。

 そして、もう一つ大切にしているのが、作者はどういう気持ちでこれをつくったのかってこと。全部が全部自分を反映しているわけじゃないってことは分かるよ。だけど映画づくりってのは大変なことだ。お金のためや名声のためってこともあるだろうけど、少なくとも撮影現場に行って苦心惨憺している時に、人間ってそんなことのためだけに作品を生み出せはしないはず。僕はこれだけは確信しているんだよ。例え自分の真情吐露なんて絶対にしないと誓っても、知らず知らず潜在意識の中でどこか自分の内面を投影している。それを徹底的に排除出来るほど、人間って強いもんじゃないからね。

 映画の作り手だって、僕らと同じようにメシを食いクソをする。金の無駄使いをすればケチったりもする。女をクドきたくもなれば、別れ話がこじれてまいってることだってあるだろう。彼らとても、僕らと同じ人間で、何も特別なんかじゃありゃしない。ならば出来上がった映画から、そんな作り手の僕らと同じような感情をうかがい知ることが出来るんじゃないか。

 そんなことを思いながら見た時、映画はただボ〜ッと見ているよりもっとずっと親しげに僕らに近づいてくるんじゃないか?

 

ブチギレ男がブチギレ男を呼んでドツボ状態

 ここは高度成長真っ直中の北京の街。ショートカットのイケてるネエチャン=チュイ・インを、自分じゃイケてるつもりの男チアン・ウェンが追いかけ回している。あげく彼女が乗ったバスにまで乗り込んで、何だかんだとまとわりつくチアン・ウェンは、どうやらこの女に捨てられたらしい。もう別れた、新しい彼氏がいると言い放たれても、めげずに「まだ結婚しちゃいないだろ」と食事に誘って、引っ越した新しい住所を教えろとうるさい。だがチュイ・インは冷たく彼を突き放してバスから飛び降り、今度は自転車でひた走る。そうすればチアン・ウェンも自転車でどこまでも彼女を追いかけるしつっこさだ。

 結局自転車で彼女がたどり着いたのは、高層マンションが林立する一角。ここのどこかに彼女がいると分かっても、さていったいどこの建物のどこの部屋にいるのかが分からない。チアン・ウェンはハタと座り込んだ。

 そこに通りかかったのが、リアカー引っ張る自転車に乗った、廃品回収業のチャン・イーモウ。チアン・ウェンはこの男を呼び止めると、大声を張り上げて彼女の名前を呼ばせようと思い立つ。ただとは言わん、金なら出す。これにはチャン・イーモウのオッサンもその気になった。

 「チュイ・イン、チュイ・イン!」

 「よし、そこに“好きだ”って言葉も加えろ」

 しぶるチャン・イーモウを金で言うことをきかせ、ますます大声で呼ばせるチアン・ウェン。たまりかねたチュイ・インは窓を開けて文句を言うが、チアン・ウェンは彼女が下に降りてくるまで連呼を続けさせるつもりだ。途中でうるさいと文句を言いに来たマンションの住人には、チアン・ウェンが一発脅しをかけて黙らせた。だが、その間にチャン・イーモウはチャッカリ金だけ握って逃げ出した。

 かくなる上はさらなる徹底抗戦しかない。

 電気屋でメガホンを買って来たチアン・ウェンは、今度は職にあぶれた連中がたむろする一角に足を伸ばす。そこには金さえ渡せば何でもやる連中がひしめいているわけだ。「こいつで大声を張り上げろ。金なら出す」

 金で雇った男を例のマンションの下に連れてくると、早速連呼を始めさせるチアン・ウェン。「眠れないほど好きだ」と言わせるつもりが「寝たいほど好きだ」と間違えるほどマヌケな男ではあるが、金のためとあらば大声を張り上げ続けるこの男。例え上から水をかけられようと、めげずに何度でも繰り返し続ける。しまいにゃもどかしくなったチアン・ウェン自ら、メガホンを取って連呼する執拗さだ。

 その相手チュイ・インの部屋では、母親がブツブツとグチをたれる。「まったく迷惑だよ、オマエがあんな男とつき合うからだ」 そんな母親を無視しながら、チュイ・インはいつしか下のチアン・ウェンが気になり出した。

 翌日、下で待ちかまえるチアン・ウェンの元に、当のチュイ・インがやって来た。そしてどうした風の吹き回しか、彼を自分の部屋に迎え入れるではないか

 すっかり喜んだチアン・ウェンだが、彼女の態度はクールそのもの。「やりたいんでしょ?」とパッパカ服を脱ぎ捨て始めるので、今度はチアン・ウェンがドギマギし始めた。

 「お、俺はただ話がしたかったんだよ」

 すっかり気勢をそがれて腰が退けるチアン・ウェンだが、チュイ・インが服を脱ぎ捨て準備オーケーとあらば、戸惑いながらもベッドになだれ込む。さぁ、とにかくやることやってからだ…と思いきや、またしても窓の外から大声が聞こえてくるではないか。

 「チュイ・イン、チュイ・イン、好きだ!」

 思わず笑い転げるチュイ・イン。これにはたまりかねたチアン・ウェンは、彼女をベッドに待たせたまま、慌てて部屋から飛び出しマンションの階段を駆け下りた。だがここは雲をつくような高層マンション。階段を下りても下りても着かない。

 やっとの事で下に降りたったチャン・ウェンは、メガホンを持った男をつかまえる。この男、昨日の男とは別人で、例の男から金をもらって「仕事」を忠実に行っていたのだ。だからチアン・ウェンの事も知らないし事情も分からない。いくらやめてくれとチアン・ウェンが頼んでも、「仕事だから」と聞いてはくれない。

 そんなこんなしているうちに、当のチュイ・インが下に降りてくる。彼女はスッカリ醒めた顔で、これから出かけようとするところだ。これにはチアン・ウェンも焦りに焦る。「そんな、もう気が変わるなんて」

 「誤解しないで、アンタなんて嫌いよ

 どうしてこうなってしまうのか? さすがにキレたチアン・ウェンは、男が持つメガホンを奪い取ってメチャメチャにブチ壊した。

 茫然自失のチアン・ウェン。彼が白昼の街中でぼんやりしているところに、一台の高級車が静かに停まる。窓を開けて高級車から顔を出したのは、いかにも成金風の男。彼はチアン・ウェンにタバコの火を貸してくれと呼びかけて、チアン・ウェンが顔を近づけたところをすかさず殴りつけた!

 たちまちクルマから降りてくる数人の男たち。彼らは殴られたチアン・ウェンを取り囲むと、寄ってたかって殴る蹴るのし放題。たまりかねたチアン・ウェンはたまたま通りかかった男のカバンを奪い取って、例の成金風の男に投げつけた。だが、抵抗空しくまたしても一方的に袋叩きされるのみ。一段落つくと例の成金風の男は、血塗れで倒れたチアン・ウェンに捨てゼリフだ。

 「俺の名前はリュウ・シンイーだ。チュイ・インに二度と手を出すなよ!

 チアン・ウェンはそのまま気絶した。

 彼の意識が戻ったのは病院でのことだった。そしてその傍らには見知らぬ男が一人。メガネをかけたマジメそうな男リー・パオティエンだ。実は先ほどの大立ち回りの際に、チアン・ウェンが投げたカバンの持ち主がこのリー・パオティエン。その中には彼が買ったばかりのパソコンが入っていたが、投げつけた時のショックでバラバラに壊れていた。リー・パオティエンは彼にこのパソコンを弁償させようと言うのだ

 だが女は奪われる、その女を奪った男には殴られる、踏んだり蹴ったりのチアン・ウェンにとって、ここでまたパソコンの弁償なんてとんでもない話だ。俺は悪くない。何でこの上パソコンの弁償をしなきゃならないんだ。キレてるチアン・ウェンはそんな話を聞き入れる心境になかった。

 しかしリー・パオティエンとしては降って湧いたような災難。ここは何としてもパソコンを弁償してもらわなきゃならない。そんな必死なリー・パオティエンの表情に、とにかくこの苦境から逃れたいチアン・ウェンは、「悪いのはリュウ・シンイーという男だ」というその場限りの返事をした。

 やれやれ、これでしつこい男を追い返したと、狭いアパートの自宅でくつろぐチアン・ウェン。ところがどうして見つけて来たのか、あのリー・パオティエンがここにも押しかけて来るではないか。しかも案の定、パソコンの話を蒸し返してくるから始末に負えない。

 ところがこの男、すでに例の成金男リュウ・シンイーとも話を付けたと言うのだ。そしてパソコンの弁償をどうしたものか、三者で話をつけようと言い出す。これにはチアン・ウェンも乗らないでもなかった。

 その成金男リュウ・シンイーの経営するクラブに乗り込むリー・パオティエンとチアン・ウェン。そのリュウ・シンイーを見つけた…そのとたん、チアン・ウェンは隠し持った物騒なシロモノを振りかざす。

 「リュウ・シンイー、テメエ覚悟しろ!」

 何と彼が取り出したのはでっかい包丁。それがリュウ・シンイーの腕に振り下ろされる間一髪に、奴は慌ててその場を逃げ出した。チアン・ウェンは大声を張り上げ、クラブの中を包丁振り回して追いかけ回す。もうクラブの中は阿鼻叫喚の大騒ぎだ。

 そしてチアン・ウェンは警察に捕まった。

 幸い怪我人も出なかったので、たった一週間の拘留で出られたものの、チアン・ウェンはまたしても陰鬱な気分になっていた。何でこうも俺はツイてないのか。もがけばもがくほどドツボ。

 チアン・ウェンは本屋街でセコい露天商を営んでいた。そんなしがない彼の店に、何とあのチュイ・インが訪れる。これにはチアン・ウェンも驚いた。彼女はチアン・ウェンの前に大金を差し出す。今回の出来事を償いたいと言うのだ。彼女は何もチアン・ウェンを殴らせようとする気はなかった。聞けば彼女、あのリュウ・シンイーに捨てられたと言うではないか。だから言わんこっちゃない。最初からオレはあいつがどんな奴か見えてたんだ。それなのに…。

 あぁ何と人のいいチャン・ウェン。あるいは、それほど彼女に惚れていたのか。彼はもう彼女を許す気になっていたんだね。

 とっておきのおめかしでキメて、チュイ・インを夜の街にエスコートするチアン・ウェン。そしてかつての仲が良かった頃のように、チュイ・インを自宅アパートに迎え入れる。ロウソクに火を灯し、ワインを開けて、ムード・ミュージックを流して用意万端。これでオレたちも元通り…。

 …と、なるはずだった。

 ところがそこに部屋の扉を叩く音が!「大事な話がある、開けてくれ!」

 何と間の悪いことに、またしてもあのパソコン男リー・パオティエンではないか。こんな時に…と苛立ったチアン・ウェンは「話は明日に」と怒鳴るが、リー・パオティエンは引き下がらない。何とかまたムードを盛り上げようとするが、今度はチュイ・インがまたしてもその気をなくして帰り支度だ。何とか何とか、何とかしなくちゃ〜。そんなチアン・ウェンの気持ちも知らず、リー・パオティエンは成金男リュウ・シンイーとの三者協議なんて話を持ちかける。今、オレはそれどころじゃないんだよ〜。

 一向に話に乗ってこないチアン・ウェンに、扉の外のリー・パオティエンも言いたいことを言いだした。チュイ・インって女が事の発端だって? 大体その女にケンカするだけの価値なんかあるのか? そんな淫売女のために争うなんてバカらしいじゃないか!

 これにはチュイ・インもチアン・ウェンも重苦しい気分にならざるを得ない。さすがにチアン・ウェンも冷め切って、チュイ・インに「帰れ」と静かに告げるしかなかった。それはもうこんな言葉まで出てきた以上、彼女との今後はあり得ないと諦めたのか。それともその言葉はもっともだと、改めて自ら悟ってしまったのか…。

 扉を開けて出てきたチュイ・インを見て、今度はリー・パオティエンが唖然とする番だった。

 「淫売ですって?」と彼をにらみ付けると、一発平手打ちしてその場を去るチュイ・イン。それはテメエ勝手な怒りからか、それともその言葉が図星であると彼女も内心思い知ったからか…。

 それはともかく、リー・パオティエンが持ち込んだ話とは、例の成金男リュウ・シンイーが慰謝料を払うことですべてを収めるという話だった…。

 その協議の場となるレストランで、豪華な料理を囲むチアン・ウェンとリー・パオティエン。問題のリュウ・シンイーはまだ来ない。慰謝料の額の取り違いで揉めたり、チアン・ウェンの学のなさをリー・パオティエンがたしなめたりのアレコレはあったが、なぜか二人には不思議な共感が通い合っていた。あぁ、これですべてカタがつく…そうリー・パオティエンが安堵していたその時、何とチアン・ウェンが隠し持っていた包丁をチラつかせるではないか!

 やめてくれ、話が違う。いくらリー・パオティエンが説得してもチアン・ウェンは聞き入れようとしない。オレを殴ったあいつの腕をたたき落とさずには、オレの気が済まないのだ。

 ええいままよ、どうしても奴を襲いたいのだったら…リー・パオティエンは窮余の策で、チアン・ウェンを必死に説得する。包丁じゃうまくいかんぞ、それに罪も重い、それならここにある煉瓦で殴ればどうだ、そうすりゃ気も晴れるし罪も軽いぞ。この必死の説得に、チアン・ウェンは乗ってくれた…と思ったら…。

 「よく分かった。両方使うことにする」

 ガ〜〜〜〜〜〜〜〜〜ン!

 あれだけ説得したのにムダだった。そんな茫然自失のリー・パオティエンに、チアン・ウェンは新品のパソコンを手渡すではないか。発つ鳥後を濁さずだ、借りは残したくない。そんなチアン・ウェンの言葉に、リー・パオティエンはさすがに感激した。

 「だから、ただ黙ってこの場から帰ってくれ」

 外に出たリー・パオティエン。だが彼は、このまま引き下がる訳にはいかなかった。公衆電話がつながらないとなると、道を歩いている女の携帯電話をかっさらってでも、リュウ・シンイーに連絡をとって事を未然に防がなくては。だが、そんなスッタモンダを続けているうちに、飛び出して来たチアン・ウェンに取り押さえられるリー・パオティエン。二人はまたしても例のレストランに戻って来た。

 「せっかくパソコンをやったのに裏切りやがって!」

 もうどうやっても惨劇を食い止める手はない。もうリー・パオティエンにはパソコンはどうでも良くなっていた。こうなったら破れかぶれだ〜!

 突然テーブルひっくり返して大暴れのリー・パオティエン。騒然とした店内を荒らしまくる彼は、ドサクサにまぎれて女店員の胸を触ったりやりたい放題。そんなリー・パオティエンを抑えつけるチアン・ウェンは、彼が自分の伯父で頭がオカシイと主張した。こうなるとリー・パオティエンの挙動が挙動だけに、店の誰もかれもがチアン・ウェンのことを信じ込んだ。いくらリー・パオティエンが危険を訴えても、誰も耳を貸さない。あげく店の階上にある小部屋に押し込められると、チアン・ウェンによって縛り上げられるやら猿ぐつわをかまされるわ。いくら騒ごうとしても暴れようとしてもどうすることも出来ない。

 危機は去った。してやったり。ご機嫌のチアン・ウェンは、カラオケなんぞ歌ってノリに乗っていた。後は奴を待つばかり。

 そして、待ちに待った成金男リュウ・シンイーがやって来た。

 リュウ・シンイーは話はすべてついたものと安心しきって、チアン・ウェンとテーブルを囲む。示談の慰謝料をテーブルの上に置き、金を数え始めた。その数える手を見つめながら、額に玉の汗をかいて緊張するチアン・ウェン。彼の右手は潜ませた包丁に伸びていた。

 その頃、裏部屋に閉じこめられていたリー・パオティエンは、とんでもない事になっていた。彼が胸を触った女店員の恋人だと名乗って、一人のコックが彼女の仇を討ちに来たのだ。「テメエ、ただで済むと思うなよ」

 そんな事とはつゆ知らず、下のレストランではリュウ・シンイーの金勘定する手をじっと見つめるチアン・ウェンが、今か今かと固唾を飲んでいる真っ最中。よ〜し、今だ!

 動けないことをいいことに、さんざっぱらリー・パオティエンをいたぶるコック。これには堪忍袋の緒が切れきったリー・パオティエン。彼は残る力を振り絞って縄をふりほどいた!

 「うが〜〜〜〜〜〜〜!」

 ドッタ〜〜〜〜〜〜ン!

 上の小部屋で大暴れした反動で、レストランの天井に吊ってあったスピーカーが転落。リュウ・シンイーの頭を直撃した! 血を流してブッ倒れるリュウ・シンイー。今まさに包丁を奮おうとしたチアン・ウェンは、しばし何が起きたか分からず呆然とするばかり。そして、血を流すリュウ・シンイーの姿を見て、やっと我に返った。同時に奴を襲おうという気持ちも、憑き物が落ちたようになくなった。

 だが、リー・パオティエンは?

 慌てて上階に上がっていくチアン・ウェン。彼がそこで見たものは想像を絶する光景だった。服はボロボロ、髪はボサボサ、メガネはずり下がって、視線は血走ってあさっての方向にトンでいる。逃げまどうレストラン従業員を追いかけ回し、ブチギレまくって例のコックをぶっ殺そうとしている男

 そう。あのリー・パオティエンの変わり果てた姿だったのだ!

 

実は世渡り上手でなかったチャン・イーモウ

 世界的巨匠となってコンスタントに日本でも作品が公開され続けたチャン・イーモウ。しかし、そんな彼にも日本未公開作品が二本あった。そのうちの一本が、昨年公開された「活きる」。これは中国当局からイチャモンを受けたいわくつきの作品ということもあって、日本の配給会社が遠慮したのかもしれない。そして、もう一本がこの「キープ・クール」だ。

 その理由は何となく分かる。まずは彼の作品でスターになったコン・リーが、この作品から彼の元を離れたということ。チャン・イーモウ=コン・リーというイメージさえあったため、スターを失った彼の作品には商品価値がないと判断されたのだろう。そして、題材が現代中国の大都会・北京であること。それまで地方の農村を主に舞台として、時に大都会の上海を取り上げても過去の物語としてつくってきたチャン・イーモウ。その魅力がそんな素朴さやらロマン的なところにあると見なされていただけに、この題材では映画ファンの食指をそそるまいと思われてしまったんだろうね。この映画は商売上から考えれば、二重にキツいわけだ。

 確かにそれ以外の作品とは様変わりの「キープ・クール」。映画の話法としてもかなり変わってる。ハンディ・カメラを駆使して大胆なカメラワークを試み、会話シーンでは人物の顔に肉薄して撮りまくる。それって憶測ではあるが、おそらくは「恋する惑星」などのウォン・カーウァイを大いに意識したところもあるんじゃないか。初の現代感覚に溢れた映画をとりあげる上で、チャン・イーモウがウォン・カーウァイ作品を参考にした可能性は多分に考えられる。

 この後でチャン・イーモウはまたしても舞台を中国農村に戻し、素朴なテーマを扱うようになった。こうして「あの子を探して」「初恋のきた道」…さらには再び舞台を都会に移しながらも、純朴な話という点で共通項がある「至福のとき」と、円熟した作品群を連打する。だけど、それが「かつての」チャン・イーモウとは様変わりしていると僕が感じたのは、今までの彼の作品の感想文で繰り返し語ってきた通りだ。

 それってアートな作家性溢れる作品と見せかけた、演出のうまさだけで観客を魅了するウェルメイドな娯楽作品だというのが僕の主張だったんだよ。いや、ウェルメイドな娯楽作品だということはちっとも悪くない。だけど、彼のライバル視された中国のもう一人の巨匠チェン・カイコーが、その後どんどん娯楽色を強めたあげく「始皇帝暗殺」で大コケ。逃げるようにロンドンに渡って「キリング・ミー・ソフトリー」を発表するという過程で、まるで「作家性」を失った抜け殻みたいに揶揄されるに至ると、僕はちょっとそれは違うんじゃないかと言いたくなった。作品的出来不出来はともかく、どうしてチェン・カイコーが抜け殻でチャン・イーモウが立派な作家なんだよ。同じテクニック中心娯楽指向に逃げたのに、チャン・イーモウはそれを巧妙に隠しているだけじゃないか。そりゃフェアじゃない。むしろチャン・イーモウの立ち回りのうまさと、その姑息さがイヤだ…とまぁ、僕はことさらにチャン・イーモウにケチつけてたわけ。

 ところが「活きる」を昨年見るに至って、僕も考えを少し改めざるを得なくなった。姑息は姑息、だけど決して故なくしてなった姑息さではない。あんな政治色を払拭しようと心を砕いてつくったはずの「活きる」でさえ、当局に睨まれてしまうんではオレはどうすればいいのだ。こうして憤ったあげくの開き直った娯楽路線だったのだ、しかも誰にもそれをそれと気づかれずにとった彼なりの活路だったのだ…と、「活きる」を今になって見た僕は気づいたんだね。チャン・イーモウよ、悪かった(笑)。

 だけどコン・リーと嫁さんとの間をうまく渡り歩いていたバランス感覚の良さ(笑)、早速「初恋のきた道」でチャン・ツィイーをお手つきにしたらしい手際の良さ(笑)…このあたりを見ると、どうしても世渡り上手って感じがぬぐい去れなかったのも正直なところだったんだよ。

 だけどねぇ、やっぱり作家のことを語る時には、その作家の見ていない欠落部分ってのが重要だって痛感したね。今回の「キープ・クール」は、そんなチャン・イーモウのただ一つ残された欠落部分。それが埋まって始めて、見えてきた部分があるんだよ。

 それはチャン・イーモウ作品に与えた女性の多大な影響だ。

 もちろんそれはコン・リーのことに決まってる。ここからは少々ゴシップもどきの話になるけど、観客ってのは作品から自由に何でも汲み取っていいはず。だから、ここからは僕の妄想みたいな話にも我慢して耳を傾けてもらいたい。

 まずはこの映画のヒロイン、チュイ・インをご覧いただきたい。コン・リーと別れての第一作。そのヒロインにこんな様変わりした女優を起用するとは、驚きではないか。さらに驚くのはお話の構造だ。チャン・イーモウ映画=ヒロイン映画ってのは、後の「あの子を探して」「初恋のきた道」「至福のとき」にも共通する重要な要素。それだけチャン・イーモウはヒロインに自らを仮託し、入れ込んで撮るタイプの映画作家なのだ。それなのにここではヒロインが途中退場し、その後はまるで「女なんかいらねえ」とばかりに男の対立と連帯の世界が展開するばかり。ラストもそこはかとない男の友情を示唆して終わるんだね。これは異例のことではないのか。

 ズバリ言おう。これまで女に関しては世渡り上手とばかり思っていたチャン・イーモウ。実はコン・リーとの別離にあたって、かなりの痛手を被ったんじゃないだろうか?

 実はこの「キープ・クール」の劇場パンフレットに載っている、チャン・イーモウ作品常連の美術監督のインタビューに、それがチラッと示唆されているんだよ。少なくともコン・リーとの別離がこの作品に影を落としていると。そして、そう考えるとこの作品はなるほどと合点がいくことが多いんだね。

 まず、ここでのヒロイン像の様変わり。それまでコン・リーが造型してきた女性は、どれも一途で誠実な女だった。「女」として強くはあっても、野太い強さとでも言おうか。多少の例外はあっても、最終的にはそんな女に落ち着いていたはずだ。それがここでは、ともかく猫みたいにあっちへゴロニャンこっちへゴロニャン。奔放というか移り気というか、まったく男から見てつかみどころがない。男はこの女のために振り回されっぱなし。どう考えても作者の彼女に対するまなざしには、悪意が感じられる。

 逆にそう言った意味では僕なんかが見ると、いかにもリアルな女って感じがするけどね(笑)。外面的に言えば、今はやりの「猟奇的な彼女」…性根の部分はかなり違うけどね。確かにこの女には、そしてこの女に振り回される男のアリサマには、かなりの実感がこもってる

 この後の「あの子を探して」「初恋のきた道」「至福のとき」はというと、子供であったり純朴であったり、ひたすら健気。子供っぽくなったということは、こう言い換えてもいいんじゃないか。つまりは男にとってもっと御しやすい存在としての女になった…と。

 それは女にキリキリ舞いさせられ、気まぐれにさんざつき合わされてウンザリした彼が、本音の部分で求めた女性像かもしれないよね。もっと自分の手の内で扱えるような女の方がいいと。

 そしてもう一つは、先ほども指摘したように物語の中盤でヒロインが退場してしまうこと。かなり重要人物として扱われていたのに、まるで必要ないみたいに消えてしまうなんて、作劇上はちょっと妙だよね。ヒロインが画面から消えるちょうどその時、彼女に投げつけられるセリフは象徴的だ。

 「あんな女にそんな価値ないだろ」

 かくして彼女は立ち去ったまま二度と登場しない。そして後は男たちの濃密な世界が展開。かなり派手なドタバタが繰り広げられる。だが、この映画に出てくる災厄のどれもこれもが、発端を辿るとすべてこの女が原因なんだよね。これもかなり厳しい態度だと思うよ。

 そもそもチャン・イーモウは終始彼女の扱いに厳しい。あっちへフラフラこっちへフラフラの態度もまるで正当化してあげない。あげく気を移して乗り換えた男にも捨てられる。最後は淫売呼ばわり。まるでいいところがない。

 そして、これがどうもコン・リーとの軋轢をダブらせているのではないかと思う根拠は、そうした前後の作品の流れやこの作品の発表時期といった状況証拠ばかりではない。

 そもそも主人公の男にチアン・ウェンを持ってきたあたりがクサいではないか。彼はチャン・イーモウとコン・リーが出会った「紅いコーリャン」で、堂々たるヒーローを演じた男だ。そこでチアン・ウェンは、コン・リー演じるヒロインをまるで犯すように、オスとしての本能で結ばれたではないか。それが久々に起用されたということだけでも、「紅いコーリャン」=コン・リーとの連続性を感じさせる。そして、彼は今回女に徹底的にコケにされるのだ。

 さらに深読みをすれば、チアン・ウェンに呼び止められて最初にヒロインの名前を連呼させられる男に、他ならぬチャン・イーモウその人が役者として出ていることもかなり意味深い。確かに彼は役者としても何本もの作品に出てはいるが、自分の監督作品に出てくるのは極めて異例のことだ。何の必然性もなしに、しかもこんな単なる脇役を、わざわざ演じなくてはならない道理がないとは思わないか。

 チアン・ウェンに金でつられてやらされているというシチュエーションではあるが、チャン・イーモウは高層マンションに向かって声を限りに女の名を叫ぶ。そんな事なんて、「映画撮影の仕事」で「そういう役柄」でもなければ普通はなかなか出来るもんじゃない。ひょっとしてチャン・イーモウは映画撮影のかたちを借りて、ここで自分のやりたかった事を白昼堂々とやったんじゃないか。もはや世界的映画監督という名士でもあり、そもそも立派な大人の社会人となればそうそうバカなことも出来ない。でも、本当だったら移り気な彼女の住んでるマンションの下に行って、忌々しく思いつつもこんなふうに思いの丈をブチまけて大声で叫びたかったんじゃないか。

 「コン・リー、コン・リー、好きだ!」

 ここまで言っては暴言が過ぎると言われるだろうか? いや、むしろこう考えるのが自然ではないか。おそらくチャン・イーモウはコン・リーとの関係の末期に、かなり泥沼的状況に苦しめられていたのだろう。そして世渡り上手どころか女の方が一枚も二枚も上手、さんざっぱら翻弄されて関係は絶たれた。これは彼女を見出して育てたと自負していたであろうチャン・イーモウとしては、真心もプライドも相当に傷ついた。そんな彼は、作品というかたちで彼女を断罪して溜飲を下げずにはいられなかった。そして腹の中にたまったものを吐き出すかのように、キレて暴れずにはいられなかった。あるいは「大暴れしてキレる男」像を通して、「男をナメるな、男は本当にキレたらこんなに怖いんだ!」と主張せずにはいられなかった。しまいには「女なんていらねえ」とばかりに、男の真心や優しさをうたい上げずにはいられなかった。あの韓国の「春の日は過ぎゆく」を思い起こしてみよう。この作品に流れる心理状態は、ひどく共通するものを持っている気がするよ。彼もヤケを起こしてたんじゃないかねぇ。

 立ち直った彼が新規まき直しでつくりあげた、ウェルメイドな作品群…その「あの子を探して」「初恋のきた道」「至福のとき」では、ヒロイン像は一変。それまでのどこかしなやかで強靱な「女」を誇示するようなヒロインではなく、あくまで健気で清純、男が守ってやりたくなる女性像。それはあくまで「守られている領域」にとどまって、男を凌駕することなどない…言ってしまえば男にとって都合のいい女性像となっていた。それもつまりは、チャン・イーモウの「もう我の強い女なんてコリゴリ」って気持ちがそうさせたとは思えないか? そして、そんな「男にとってのお人形」的ヒロインの造型と、当局との軋轢が生んだ開き直りとが、出来は見事でうまいことはうまいけれど、どこか醒めたまなざしのような血の通わない感触を作品に漂わせることになった…。

 ねぇ? ちゃんとスジが通るでしょう? 言ってしまえば情けないと言えなくもないが、このチャン・イーモウの情けなさは何となく気持ちだけは分かる。このまんまじゃ男として作家としてチト寂しいものがあるが、そうなる理由はよく分かる道筋を辿ってはいるのだ。

 当局とのぶつかり合いもキツいし作品的にも行き詰まったところにコン・リーとのトラブルじゃ、確かにチャン・イーモウもたまったものじゃなかったんだと思うよ。今回の作品の前半、もがけばもがくほど主人公がドツボにハマって泣きっつらにハチ状態ってのは、たぶんそこから来てるんじゃなかっただろうか。

 そして、そうなってもチャン・イーモウはコン・リーを諦め切れなかったのに違いない。そして、スマートにすべてを割り切れなかったに違いない。自分に降りかかった不条理を納得出来なかったに違いない。その悔しさは、作品全体にイヤというほどにじみ出ている。

 レストランでパソコン男にいくら説得されても、主人公は恋人を奪ったあげく自分を痛めつけた男を許すことが出来ない。どうしても相手の腕を叩き切ると言い張る彼を思いとどめたいパソコン男は、同情のあまり「君の気持ちは分かる」と口走る。それに反応した主人公の答えが秀逸なんだよね。

 「どうして分かる? オレにだって自分の気持ちが分からないのに

 そう。人から見ても傍から見ても、自分の側から見てさえ理屈に合わないと分かっていながら、どうしてもそうせざるを得ない…。人間ってそういうツラい側面では、どうしてもそういう方向に流れていってしまうんだ。それはどうしたって止められない。全然カッコよくないし利口には見えないけど、人間はそういう時に自分ではどうすることも出来ないものだ。ここは本当に辛い思いをした人間なら実感が湧く。実際にこうだもんねぇ。理屈じゃねえんだよ。チャン・イーモウもホントにヤバい橋を渡っていたんだね。

 だけど思いとどまった。そして何とか現実と自分の気持ちの折り合いをつけて、いくつかの自分のレベルに恥じない作品を生みだした。そんな彼の思いも知らず、「血が通ってない」とか「世渡り上手」とか言いたい放題してしまうなんて…僕は今チャン・イーモウにすまない気持ちでいっぱいだ。

 さっき韓国の「春の日は過ぎゆく」を引き合いに出したよね。確かに共通するものはある。だけど見終わった時の印象は、「春の日は過ぎゆく」とは一線を画しているんだよ。もっと共感を呼ぶものだ。それはチャン・イーモウにいい格好しようなんて偽善がないからだ。自らの滑稽さを自覚して、それを露わにしているからだ。全然正当化なんて出来ない。バカな振る舞いだと分かっている。そのみっともなさをさらけ出そうとしているからだ。ヒロインを断罪しながらも、自分も無傷ではいないんだよ。その潔さが男らしいじゃないか。後半ヒロインを退場させたのも、言いたいこと言ったら解放してあげたい、もうそれ以上グチグチ悪くは言いたくない、必要以上に袋叩きにはしたくない、悪いのはオレも悪かったって気持ちが働いたからじゃないか。やっぱり冷静にならなきゃいけないよな…そんな照れ笑いのような爽やかさが、この作品の品格を確かに押し上げているんだよね。

 こうして何とか精神のバランスをとった彼は、たぶん新たな領域に足を踏み入れると思うよ。「至福のとき」のエンディングには、またも厳しい現実に立ち向かう気力と逞しさを取り戻しつつあるチャン・イーモウを感じたからね。おそらくはその回答は、アカデミー外国語映画賞にノミネートされた「ヒーロー」で見ることが出来るだろう。それもこれも、ヤバいところで彼が思いとどまれたからだ。

 「キープ・クール」…冷静になってみよう、とにかく話してみよう、そうすれば分かるんじゃないか?

 本当にそうだな、チャン・イーモウ。今こそ僕には、あなたの気持ちが分かる気がするんだよね。

 

 

 

 

 

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