「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」

  Catch Me If You Can

 (2003/03/31)


海外への架け橋としてのパンナム

 僕が大学を卒業して就職しようという年というのは、俗に言う就職難の年だった。今のような不況時と比べれば天国と言われてしまうかもしれないが、それでもいまだバブル前のいまだ大不況など経験していない時代としては狭き門だったはず。特に文系卒業の大学生には世間は冷たかった。

 僕はそんな世間の世知辛さはロクに知らず、のほほんと育ったガキだった。だから、卒業して自分がどんな道に進もうかという確固たる考えもなかった。何となくサラリーマンになるしかないのかなぁ…などと考えながら、では何のサラリーマンか?…というところまでは頭が回らない。他の学生たちはもうちょっといろいろ考えていたと思うけど、とにかく僕は世間ずれしてなかったのだ。あげく夏が過ぎてみんなが就職先の目処をつけて内定などもらっている時期にも、僕は慣れぬスーツに身を包みながら、汗を流して不毛な会社訪問を続けていた。

 それにしても、内定が決まらない。

 いいかげん僕も焦りだしたけど、もう時すでに遅し。僕には資格もなれれば、これといった成績もない。コネもなければ、面接で相手を魅了するテクニックもなかった。バカ正直に受けて、バカ正直に落ちる。それは毎度おなじみの僕のパターンなんだね。うまいこと言って調子よく立ち回れば、世の中見た目で回るものを…僕はどうしたってそうできなかった。気の利いたウソでもつけばいいところを真っ正直な言葉を吐いて、女に拒絶されたり罵倒されるようなバカさ加減は、まるで僕のトレード・マークみたいなもんだった(笑)。

 それに何よりサラリーマンになってどうするのだってビジョンが全然なかった。やりたい事と言えば文章が書きたい、映画に関することに関わりたい、何かモノをつくりたい…では飯が食えないところまでは分かる。ただ、そんなことしか関心がないのだから、他に何をやっても同じ…なんて無気力な求職者にならざるを得ない。これでは受かるものも受からないのが当然なのだ。

 それでも何とかある印刷会社の試験を受けて、そこの面接に残ることが出来た。時はもう秋の終わり。僕は珍しく本気にやる気を出したよ。そして何とか内定をもらうことが出来た。

 ところが、やれやれと思って迎えた12月。その会社の説明会とやらに出席した時、僕は人生最初の決定的危機を迎えたんだね。

 いきなり宗教の勧誘が始まった。

 というより、その会社の社長だかが信者らしいのだ。だから社員は否応なしに信者にさせられる。ハッキリその席上でそう言われた。それまでそんな気配は毛ほども見せなかったんだよ。でも、そう言えばこの説明会の時にはいきなり何やら妙なポスターが会社の廊下にベタベタ貼りだしてあった。この時思えばそれは宗教のポスターだったんだ。汚ねえぞ、俺たちが面接に来た時だけはがしやがったんだな。こんな人権無視のことがあっていいのかと思うが、実際のところその会社はそうだった。

 そしてその宗教のバイブルみたいなものを広げて、中の内容を一同で唱和。説明会に集まった一同はみんな困惑した表情だったが、最前列に陣取った奴らはやたら元気よく声を上げて読んでいるではないか。こいつらみんな宗教がらみで入りやがったな。そしてそれ以外の当惑したリクルート組の連中はと言うと、どいつもこいつも大人しそうな連中ばかり。こういう羊のような奴らなら大人しく従わざるを得ないだろうというハラだ。僕は激怒したね。

 会社を一歩出た段階で、僕は怒号を張り上げていた。回りの連中はとにかくみんなで話し合おうとか寝言を言っている。僕は今さら話し合いもないと思っていたが、連中につき合わされて喫茶店へ連れ込まれた。そこで出た話はあまり語りたくない。ここを辞めても行くとこがないとか、宗教に入れといっても強制じゃないだろうとか、実際にやってみれば悪くないのではとか…バカを言ってはいけない。あの連中は全社員信者だと言っていたではないか。おまけに新人研修はその宗教の道場に泊まり込みだと言っていたではないか。毎週勉強会もあると言っていたではないか。そのうちに完全に洗脳されることは間違いない。

 僕は結局すぐにその会社を辞めた。だが、他の連中はどうなったのだろう。彼らの事を考えると、今でも背筋が寒くなる。だが人のことをとやかくは言えまい。僕はまんまとダマされた己のバカさ加減に、心底情けなくなった。

 だが、繰り返すが時は12月。この時点で就職先がないというのは致命的だった。

 慌てて大学の就職課に泣きついた僕。その時の僕の必死さは大変なものだろうと思う。すると就職課の職員の人も親身に相談に乗ってくれた。これならもっと早く就職課に相談すればよかったのだ。否、結局最初からこの熱意があれば良かったんだろうね。

 で、紹介された会社の一つが、ある航空代理店。そこの輸出の貨物の営業に…という話だった。まるで考えもしなかった商売だが、僕がなぜそこにしようと決めたかと言えば、どこか飛行機と海外への接点があったからだろうね。

 僕は昔から海外に憧れがあった。スポーツ音痴なのにオリンピックとか見るのが好きなのも、たぶんそこだろう。その向こうに世界が見えるから、国際的なイベントが好きなのだ。ビートルズが好きになったのも、アメリカ映画が好きになったのも、たぶんそこだろう。そして、そんな世界との架け橋になってくれる、飛行機という乗り物にも昔から憧れていた。繰り返して言うと、僕は飛行機が好きだった

 乗るたびに緊張で汗がベットリになるのだけれど、飛行機そのものは僕の一番好きな乗り物であり続けている。そこに漂う「世界」の匂いが好きだ。国内線であっても、物騒なことを言えばハイジャックでもすればこの飛行機は世界に出ていく。そこが何とも僕の気持ちを高揚させるんだね。

 そして海外への架け橋としての航空会社と言えば、何と言っても僕らの子供の頃はパンナムだったんだね。

 僕のパンナムへの思いについては、このサイトの「私が子供だったころ」でも取り上げていたから多くは語らない。でも、「世界」「国際線」とくれば、文句なくパンナムだった。

 ところで、そんなスッタモンダで入ってみた会社はまるっきり想像とは違っていた。僕もこの会社の仕事にはまるで向いていなかった。それにここの仕事をやってはいても、ただそれだけでは海外は近づいて来なかった。まぁ、もうちょっと我慢すれば海外駐在とかあったのかもしれないけどね。

 そしてわがパンナムも、僕がこの会社に入って何年も経たないうちに太平洋線から撤退した。会社にあるパンナムの貨物ラベルが、全部ユナイテッド航空に変わった時はちょっと感慨深かったよ。パンナムは失墜した。実は僕はパンナム機に乗ることは、ついに一度もなかった。そして後年、僕がニューヨークを訪れた時には、もうパンナム・ビルにパンナムのロゴはなかった。

 これはそのパンナムの名前が、まだ光り輝いていたころの物語だ。

 

世の中すべて見た目だ

 1969年、フランスはマルセイユ。そぼ降る雨の中を、一人のスーツ姿のメガネ男が刑務所を訪れた。この男、実は遠方からの客。アメリカはFBI捜査官のトム・ハンクス。彼はここに服役中の、一人の囚人に用があった。

 冷たい雨も身を凍えさせるが、刑務所の中がまた貧寒としたもの。ハンクスが目当ての男は、そこの一際暗く冷え切った独房に押し込められていた。小さな小窓から中をうかがうと、髪は伸ばしっぱなし髭はぼうぼうの男が、寒さに凍えながら身を震わせている。しかしハンクスはそれに構わず、持参した身元引き渡しのための何十ページにも渡る覚え書きを読み上げる。ハンクスはこの男を引き取り、アメリカへ護送する任を受けていたのだ。

 だが男は激しく咳き込み、あげくバッタリ倒れてしまった。慌てたハンクスは看守を呼ぶ。「誰か!誰かいないか!医者を呼べっ」

 てんやわんやで医務室に運ばれる男。ハンクスは回りのフランス人刑務官たちを怒鳴りつけていた。こいつはどうしたってアメリカに連れ帰るんだ、こんなところで死なれてたまるか! ところがふと気づいてみると、男が伏せていたベッドはもぬけの空。しかも医務室の裏口が開いているではないか。逃げられた!

 だが同じ刑務所の中では身動きがとれない。結局男は取り押さえられることになる。

 この男、1964年から1967年まで詐欺を働き、だまし取った金額は総額400万ドルを超えるという知能犯。しかも捕まった時はまだ19歳の誕生日前だったという早熟ぶり。

 その名をレオナルド・ディカプリオという。

 

 1963年、ここはニューヨーク州ニュー・ロッシェルの街。15歳の少年ディカプリオは裕福な家庭の子として育った。父クリストファー・ウォーケンは事業者として成功し、街のロータリー・クラブのメンバーにまでなっていた。母ナタリー・バイは元はフランス人。父ウォーケンが第二次大戦で駐留したフランスの村モンリシャールで出会い、そのまま結ばれてここアメリカにやって来た。仲むつまじい二人。そして父ウォーケンの自慢話はディカプリオの憧れだった。兵隊仲間がみんな虜になった彼女を、この俺が自分の妻に出来たんだぞ!

 ところがある日、父ウォーケンがディカプリオを秘かに誘い、とある紳士服店に押しかけた。祖父が死んだので息子に黒いスーツがいるとか言って、女店員からスーツを借り出そうとする。しぶる女店員にはちょいと鼻グスリを嗅がせて丸め込む。こんな事をやって、一体何をやらかすつもりなのか?

 何と父ウォーケンは息子ディカプリオに黒スーツを着せて運転手に仕立て、高級車で大銀行チェース・マンハッタン銀行前に乗り付けた。ウォーケンいわく、運転手付きの立派なご身分ともなれば、銀行は自ら扉を開けて出迎えるものなんだ。世の中すべて見た目なんだよ。

 案の定、銀行員が扉を開けて出迎えるではないか!

 さてウォーケンがこんなハッタリかまして大銀行に何の用事かと言えば、自分の事業への融資の頼み。だが、今まで取引もないアナタがなぜ?

 実はウォーケン、国税局より脱税の容疑で告発され、絶体絶命のピンチに陥っていた。もう従来の取引銀行も構ってはくれない。ウォーケンは国税局の鼻を明かしてやると意気軒昂。だが、大銀行の反応は冷たかった

 高級車も手放した。家屋敷も手放した。一家はつましいアパート住まいになった。それでも父ウォーケンは息子ディカプリオの口座を開いてやったと告げて、一冊の小切手帳をくれたのだった。「これでオマエも一人前だ」

 そう、この時代はクレジットカードなどない。小切手帳が一人前の証だった。

 ディカプリオはそれまで通っていた名門私立学校から、柄の悪いガキどものいる公立学校へ。それでも昔の暮らしを手放せないディカプリオは、私立学校のブレザーを着ていった。思えばそれがすべての始まりだったと言えよう。

 案の定落ちぶれた転校生に周囲の悪ガキは冷たい。早速のイヤがらせにディカプリオは憤慨した。それがディカプリオに、とっさにあんな事をさせてしまったのか。

 「僕は今日からここを教える非常勤講師だ。じゃあ君、早速教科書を読んでくれたまえ!」

 これにはイヤがらせをしたガキどももグウの音も出ない。

 ところがこんな事が続くわけもない。両親ウォーケンとバイが学校に呼ばれて、説明されたのは恐るべき事実だった。何とディカプリオは何週間も教師になりすまし、授業を続けるだけでなく宿題まで出していたと言うではないか。これには母バイはカンカンだったが、父ウォーケンは思わずディカプリオにニヤリと微笑みかける。あぁこの親にしてこの子あり(笑)。

 かくしてディカプリオ最初の詐欺行為は頓挫したが、その頃彼の家庭には変化が起こっていた。学校から帰ったディカプリオは、母バイが部屋に男を引っ張り込んでいるのを目撃したのだ。それも父ウォーケンの友人だった男を。

 やがて家に弁護士と、母方のフランス人の祖母までやって来る。何とウォーケンとバイが離婚すると言うのだ。当惑するディカプリオの目の前に一枚の書類が差し出される。ここに両親のうち片方の名前を書け。これから君が一緒に暮らすことになる親の名前だ。ただ書くだけでいいんだ。

 あまりの衝撃に、ディカプリオは何もかも捨てて家を飛び出した。着の身着のまま。持っているのは…あの小切手帳があるだけ

 衝動的に家を飛び出して安宿にシケこんだディカプリオだが、持っていた小切手帳も不当たりとあって追い出される始末。何とかしなければ。そんなディカプリオが、つい持ち前の観察力と機知を働かせたとして、誰に責められよう。

 手持ちの小切手のこの字を消してみたらどうだ、この字を書き足したらどうだ、はたまたこの字を貼ってみたらどうだ?

 そんなこんなで銀行の窓口で、小金をせしめたり相手にされなかったりの日々。だが、これではとても苦境を乗り越えることが出来ない。何かもっと決定的なやり方があるはずだ。

 そんな時、ディカプリオはそれを目撃したのだ。

 パンナムのパイロット。

 街を颯爽と歩くパイロット。胸にパンナムの社章がキラめく。金髪美女のスチュワーデスもにこやかに彼に連れられている。道行く人々も、そんなパイロットの勇姿に思わず目を奪われる。ホテルに入れば、支配人がうやうやしく近づく。そして何でもかんでもフリーパス。

 世の中すべて見た目だ。

 早速ディカプリオは取材を開始した。学校新聞の記者を装ってパンナム本社に乗り込み、総務担当にパイロットのあれこれを根ほり葉ほり聞き出す。あげくは新米パイロットの振りをしてパンナム本社に電話。ユニフォームを洗濯に出してなくしたから、明日のフライトに間に合わせるために新調してくれと頼み込む。こうしてディカプリオはまんまとパイロットの服装一揃いをせしめることに成功した。

 さぁ、パイロットとして颯爽と街を闊歩するディカプリオ。早速周囲は羨望の眼差しだ。しかも銀行だって彼の小切手を疑わない。金がザックザック入る。

 しかも詐欺行為を続けているうちにも彼の学習は続く。かわい子ちゃんの銀行員を色目使って、小切手の仕組みを一通り学ぶ。さらに小切手は銀行だけでなく空港カウンターでも換金できることも知る。しかも個人のものよりパンナム社員用のものの方が割がいい。街で売っている飛行機のオモチャの尾翼から、パンナム・ロゴを剥がして小切手に貼れば訳はない。かくしてディカプリオの住まいにはパンナム機のオモチャが山積みになり、金は面白いようにザックザック入ってくる。しまいには航空会社社員の特典として、飛行機だっていくらでもただ乗りだ。

 しかし派手にやれば、イヤでも目につくものだ。FBIの小切手詐欺担当捜査官トム・ハンクスが、このパンナム・パイロットを装った詐欺に目をつけた。何という知能犯、何という大胆さ。そうなれば、いやが上にも燃えてくるのが、捜査官ハンクスの性分というものだ。

 やがてこの「空の詐欺師」は、新聞紙上をも賑わすことになる。まるで国際的スパイ、ジェームズ・ボンドにも例えられるほどのカッコよさ! こうまでモテはやされれば、何と言ってもまだ高校生のディカプリオなら悪い気がしようはずもない。早速映画館でボンド映画を見ては、ボンド仕様のスーツに身を包み、ボンド愛用のアストン・マーチンを買って乗り回す日々だ。そんな彼を見て言い寄ってくる女も数知れず。中には金目当ての女もいるにはいるが、なぁに構うもんか。そんな女にくれてやる金も、どうせ紙クズ同然の偽小切手さ。俺の腹は痛みはしない。

 そんなノリノリのディカプリオは、それでも父ウォーケンへの手紙は欠かさなかった。そして高級レストランに招いての昼食に誘う。パイロットになったとパリッとしたユニフォームに身を包んだディカプリオ。何と父に新車をプレゼントという羽振りの良さ。だが、ウォーケンはそれを受け取りはしなかった。それは父としての誇りか、それともディカプリオの羽振りの良さに何か胡散臭さを嗅ぎ取ったのか。それでも父は息子との再会を喜んでくれた。

 そんな最中にも、トム・ハンクス捜査官の懸命の捜査は続いていた。やがて小切手を追っていく中で、とあるハリウッドのホテルにたどり着くハンクス。すると、そのホテルに今まさに問題の男が投宿中だと言うではないか!

 すわ、部屋に乗り込め!

 犯人がいる部屋に乗り込んだハンクスは、そこに散らばった小切手の山と偽造道具から、即座に目当ての部屋に間違いないと確信した。すると奥から誰か出てくる。ハンクスは銃を構えた。それはビシッとスーツに身を固めた、ディカプリオその人だった。

 「おいおい、銃を下げてくれ! 僕はシークレット・サービスのバリー・アレンだ」

 何とディカプリオ、とっさにまたしても一担ぎだ。彼は自分も偽造犯人を追っていたと語り、一足違いだったなとハンクスを慰めた。ハンクスは身分証を見せろと迫ったが、あわてず騒がず財布を渡すディカプリオ。それでもハンクスがそれを見る前に、さりげなく注意をそらすのも手慣れたもんだ。かくしてハンクスはまんまと丸め込まれ、またすぐに部屋に戻ってくると言うディカプリオを止めなかった。さらに偽造道具一式を証拠品だと持ち去るのも黙認した。その上でディカプリオはダメ押しとして、財布を返そうとするハンクスにこう付け加えるのも忘れない。「君を信用するよ」

 その財布を覗いて正体を知った時の、ハンクスの煮えくり返りようたるや…。

 この大失態は、ベテラン捜査官ハンクスにはさすがにこたえた。彼はマジメ一筋、捜査だけを脇目も振らずにやって来たような男だ。この赤っ恥の一件をキッカケに、ハンクスは何が何でもディカプリオを捕らえねばと思い詰めるようになったのだ。

 そんなあるクリスマスの晩、たった一人職場に残って仕事するハンクスの元に、一本の電話が飛び込んだ。

 それはシークレット・サービスのバリー・アレンことディカプリオからの電話だった。

 何と彼はホテルの3113号室にいる…と堂々とハンクスに告げ、これから会いに来ないか?…と誘ってきた。すわ捕り物…と浮き足だったハンクスだが、次の瞬間ハタと思いとどまった。クリスマスにわざわざFBI職員を駆りだし、ホテルを急襲して空手形に終わったらシャレにならない。今度は赤っ恥では済まない。もうハンクスは真に受けなかった。だが、こんなクリスマスの晩に、何で俺なんかに電話を…?

 「ははぁ! オマエ一人ぼっちなんだろ? 話し相手が欲しかったんだ!」

 そんなハンクスの言葉に、ディカプリオは即座に電話を叩き切った。その慌てようからして、ハンクスの言葉は図星だったのだろうか。黙ったままホテルの一室を去るディカプリオ…その部屋は、彼が告げた通りの3113号室だった。

 その頃、ディカプリオはアトランタに豪華な住まいを構えるご身分だった。連日連夜かわい子ちゃんと取り巻きを集めてのドンチャン騒ぎ。だが、彼の心は晴れなかった。この場にいる誰にも心を許せない。そう見れば、ディカプリオほど孤独な男もいなかった。

 そんなある日、ケガをしたパーティー客の見舞いに病院を訪れたディカプリオは、そこで新米看護婦エイミー・アダムスが医師に罵倒されているのを目撃する。ひどく落ち込み泣きじゃくるアダムスを見るに見かねたディカプリオは、親しげに話しかけて何とか励まそうとする。だがそんなアダムスから病院内部の話を聞かされるうち、持ち前の悪い虫が頭をもたげてきたのは言うまでもない。

 「実は僕も医者なんだ」

 優秀な大学医学部の卒業証書を偽造して、ディカプリオは例の看護婦アダムスと出会った病院に乗り込んでくる。なぁに、パンナム・パイロット稼業もそろそろ先が見えてきた頃だ。ここらでちょっと方向転換も悪くない。病院での自分のスタッフを決める時にも、例の看護婦アダムスを抜擢してご機嫌。だが医者ばかりはハッタリだけではどうすることも出来ない。重傷の患者が運び込まれて来た時など、部下のスタッフとテレビの医療ドラマで覚えた無意味で空疎なやりとりを繰り返したあげく、「後は任せた」と逃げの一手を打つしか為す術がなかった。しかもトイレに駆け込んでゲロ吐きまくり。

 ところがまたしても運命はディカプリオに味方するから分からない。彼は例のアダムスとベッドでシッポリやりながら、彼女の身の上の悩みを聞いていた。アダムスは若気の至りで親から勘当され、その後家に帰れない状態だと言うのだ。

 思えば最初の出会いから、アダムスの気の毒そうなところについついほだされていたディカプリオではなかったか。彼は自分が苦況に陥った苦い記憶から、ツラい思いをしている人を見ると黙っていられなかったのかもしれない。あるいは彼女の人を疑うところを知らない、素朴で純粋なところに惹かれたのかもしれない。

 よし、僕が何とかしてやろう。もし君が有能な医者と婚約した…と言って家に帰れば、ご両親も受け入れてくれるんじゃないか?

 だが、その時のディカプリオの胸の内には、アダムスの父親がベテラン検事であることがチラついてもいた。

 一方ハンクス捜査官は、ひょんなことからディカプリオの正体に迫っていた。例の「シークレット・サービスのバリー・アレン」がマンガからヒントを得た名前だと知ったのだ。マンガを読む男…奴はまだガキだ。だから前科人のリストにも載っていなかった。慌てて未成年者の家出人リストから一人ひとりつぶし始めたハンクスは、ディカプリオの母親ナタリー・バイにたどり着く。そこで学校の卒業アルバムを見たハンクスは、やっと敵の正体を知った!

 こいつだ、バリー・アレンの正体は。

 やがて今度は父親クリストファー・ウォーケンの元を訪れるハンクス。子供を売る親はいないと追い返されるものの、彼の元に届いた手紙からディカプリオの現在の住所を知るハンクス。ただちにアトランタのディカプリオの自宅に乗り込むが、しかしそこはもぬけの空だった。

 ディカプリオはアダムスと共に、ニュー・オルリーンズの彼女の実家を訪れていたのだ。

 アダムスの両親に招かれての夕食。そこでディカプリオは彼女の父マーティン・シーンを前に、自分は医者であると同時に法学部の出でもあるとハッタリをかます。理想的な相手と喜ぶアダムスの母はともかく、その話に何とも胡散臭い匂いを嗅ぎ取ったシーンは、ディカプリオを自室に招いて男同士の話をすることにした。そして単刀直入に一言。

 「君の話は本当なのかね?」

 そこでディカプリオが思いあまって口走った言葉は、それも彼一流の計算だった発言だったのか、はたまたシーンの人徳に打たれての心からの言葉に他ならなかったのか。

 「法学部を出たのも医者であることもウソでした」

 さぁ、どうなる? 部屋に緊張がはしる。だが決定的な一瞬が過ぎると、シーンは顔をほころばせてこう言った。

 「つまりは恋に夢中になった若者の一途な行動ってわけだな。私にも覚えがあるよ」

 幸か不幸か、シーンはディカプリオの告白を好意的に受け取った。そして自分の法律事務所で仕事をさせてやるとも言ってくれた。後々になってもナゾとして残ったことだが、なぜか司法試験も一発でクリアしたディカプリオは、正式にシーンの事務所のスタッフとして雇われることとなった。相変わらずハッタリ中心の仕事ぶりだったところは、ディカプリオらしかったが…。

 堅気の仕事には就いた、アダムスとの婚約も決まった。暖かいアダムスの家庭に受け入れられ、仲むつまじいシーン夫婦の様子を見るにつけ、久しぶりの心の安らぎと幸福を噛みしめるディカプリオ。ようやくここまで来れたんだなぁ…。

 そんな自分の晴れ姿を見せたくて、ディカプリオは久々に父ウォーケンの元を訪れた。だが、再会したウォーケンは郵便局員になっていた。しかも母バイはあのウォーケンの友人と再婚したと言う。何とか自分が頑張って、かつての幸せな家庭を取り戻そうとしていたのに…さすがにショックは隠しきれないディカプリオだった。

 クリスマスがまたしてもやって来た。ハンクスの読み通り、またしてもディカプリオからの電話がかかってくる。だが、今回の電話は前とは違っていた。自分への捜査を止めて欲しいと懇願する電話だった。結婚する、堅気になるんだ…だが、どうやったところで捜査は止まらない。それを知ったディカプリオは黙って受話器を置いた。そんなディカプリオの焦りと悲しみが、ハンクスの胸にもじんわりと伝わってくる。

 いよいよ迎えたディカプリオとアダムスの婚約パーティーの日。多数の招待客がごった返す中、ハンクス率いるFBIの連中が乗り込んでくるのを、ディカプリオは見てしまった。慌ててアダムスを連れて部屋に籠もるディカプリオ。彼はカバンに詰めた札束を見せながら、アダムスに初めて自分の正体を明かした。だが、突然のことに当惑するばかりのアダムス。一緒に連れていくのは断念したディカプリオだが、彼女と共に暮らすのは諦められない。この疑うことを知らない純粋な女は、ディカプリオが手に入れた初めてのかけがえのないものなのだ。

 「二日後の午前10時、マイアミ空港に来てくれ」

 そう言い残すと、ただただ呆然のアダムスを置いて、ディカプリオは夜の闇に消えていった。

 さて、その二日後。場所はマイアミ国際空港。アダムスに言い残した通り、クルマで乗り付けるディカプリオは、すぐに目指す彼女の姿を見つけた。だがそこに近寄る男が一人。回りを見渡すとあそこに一人、こちらに一人…妙に目立つ男たちがウロウロしている。FBIだ!

 何でなんでどうして…ディカプリオは頭を抱えて悲嘆に暮れた。あんなに純粋な彼女だったのに、あんなに愛していたのに…彼女も結局のところは、あの母親のように愛する者をいともたやすく裏切ってしまうのか

 だが悲嘆に暮れてるばかりではいられない。ディカプリオはひとまず空港から立ち去った。

 さて、空港で張り込んでいるFBIの指揮をとっているのは、やはりあのハンクスだった。彼は結局ディカプリオが来ないと聞いても慌てず騒がず動じなかった。ここに俺がいると知った以上、奴は意地でもここから飛ぼうとするはずだ。待っていれば必ず来る。間違いない。

 ではディカプリオはどうするのか?

 彼はかつてさんざお世話になった、パンナム・パイロットのユニフォームに再び手を通した。結局俺にはこれしかない。やがて付近の高校に乗り込むと、とてつもない提案を申し出る。パンナムがその高校からスチュワーデスの研修生を募集すると言うのだ。選抜された者はディカプリオと共にスチュワーデスとしてパンナム機に乗り込み、海外で実習をすることが出来る。

 かくして涙ぐましいオーディションが繰り返され、「栄えあるスチュワーデスのタマゴ」8人が選ばれた。ディカプリオはまたしても口八丁で調達したスチュワーデスの制服とパンナム・バッグを彼女たちに身につけさせ、颯爽とマイアミ国際空港に乗り込んだ!

 ヒュ〜ヒュ〜!

 ピッカピカの笑顔を振りまくスチュワーデス軍団に、空港ロビーはたちまち色めき立つ。張り込みのFBI捜査官も思わず目を見張る光景だ。いいなぁパイロットは、あんなかわい子ちゃんを連れて歩けて!

 そんな中、誰もディカプリオを怪しむ者なんかいやしない。

 その頃やはり空港内に張り込んでいたハンクスは、怪しい人物がいるとの通報を受けて、空港前に慌てて駆けつけた。それはしかし囮のディカプリオ。まんまとしてやったり。ハンクスが地団駄踏んだちょうどその時、ディカプリオとスチュワーデス軍団を乗せたパンナム機は、はるか頭上を飛び立って行くのであった。

 こうして元のパイロット稼業に戻り、世界各地を飛び回っては荒稼ぎを続けるディカプリオ。その手口もますます本格的になって、いまや彼お手製のパンナム社員用小切手はちゃんと印刷されたものにグレードアップした。そんなディカプリオに苦虫噛みつぶすハンクスだが、ある日ハタと気が付いた。ここまで精巧な印刷なら、どこでも出来るというものでもあるまい。

 印刷のプロに見てもらうと、これはやはり本格的なものに間違いなかった。これが刷れるとしたら、一昔前のハイデルベルクの印刷機しかない。そしてそれがある所と言えば、ヨーロッパ…例えばフランス…。

 1967年のクリスマス、ここはフランスの小村モンリシャール。ディカプリオの母ナタリー・バイの育った村だ。その古い工場にやって来る一人の男…。

 FBI捜査官トム・ハンクスだ!

 轟音を立てて動く巨大な印刷機。ディカプリオはその上に立っていた。今まさに彼はパンナム小切手を増刷中の最中。ディカプリオはやって来たハンクスを見ると、驚くどころか諸手を挙げて歓迎した。「よく見つけたな!」

 だがハンクスは静かにディカプリオに自首を勧めた。ここはフランス警察に包囲されている、奴らはカンカンだ、逃げたら射殺されるぞ、俺はオマエの命を助けに来た…。

 「黙ってこの手錠をかけるんだ」

 最初はまるで信じてなかったディカプリオ。だが、あまりに真剣なハンクスの表情に、最後は彼の言葉を信じる気になった。

 だが外に出ると、静まり返った村の佇まいがあるだけ。こりゃハンクスに一杯食わされたと笑ったディカプリオ。だがその直後、村の広場にはフランス警察のパトカーが集合。アッと言う間にディカプリオを引っ立てていく。だが、これはハンクスとても計算違いだった。身柄はFBIが預かるんじゃないのか、話が違うぞ。だが、いくら英語でまくし立ててみても彼らは聞こうともしない。結局ハンクスは為す術もなく、ディカプリオを連れて行かれてしまうのだった。

 

 …というのが今までの経緯。その後1969年にハンクスがディカプリオの身柄をマルセイユで引き受けたのは、冒頭にお話しした通りだ。やっとこディカプリオをアメリカ行きの飛行機に乗せたハンクスだが、実は彼にまだ話していない事実があった。

 「実はオマエの親父はもう亡くなっているんだ」

 これを聞いてショックを受けたディカプリオは、泣き叫んで飛行機のトイレに立てこもった。そのまま飛行機は空港に着陸。するとディカプリオはトイレの壁面をはずして脱出し、飛行機の車輪部分から滑走路に降り立っているではないか。

 さぁ、どこまで逃げるディカプリオ? ハンクス捜査官の手からくぐり抜け続けることが出来るのか? そして彼に安住の地は、果たしてあるのか?

 

「普通の」映画監督になったスピルバーグ

 何と正月映画として「マイノリティー・リポート」を放ったスティーブン・スピルバーグが、矢継ぎ早に新作を放つとは驚いた。それもレオナルド・ディカプリオ主演作とは。前作がトム・クルーズ主演だったことを考えると、二重の驚きでもある。スピルバーグと言えば、本来ノー・スターで強力な企画を中心に据えて見せるイベント・ムービーをつくる男ではなかったか。だから、これまで「フック」など数少ない例外はあったとしても、スピルバーグ映画ではいつも彼が最大のスターだった。それがここへ来ての何という変わりようだ。

 ディカプリオにしても、「タイタニック」以降の慎重…というか、寡作化した出演ペースからいくと、異例の早さ。これまたついこの前「ギャング・オブ・ニューヨーク」を見たばかりだからね。

 スピルバーグ映画の様変わりと言えば、そもそもこの題材自体がえらい変わりようだ。今までSFやアクション、ファンタジーなど、どちらかと言えばSFXを駆使した作品が主なレパートリーだった彼。「カラー・パープル」から「シンドラーのリスト」を経て本格化した彼のシリアス路線映画にしても、大規模なアクション・シーン、モブ・シーン、特撮シーンなどが出てくる大作仕様のものが大半。だから、1960年代に大活躍したティーンの詐欺師の話…しかも実話の映画化なんて、まるっきり想像がつかなかった。

 まるっきり想像がつかなかった?

 いや、このような題材の映画かどうかは分からなかったが、彼の映画が変質してくるであろうことは、僕は何となく想像していたんだよね。それは「カラー・パープル」以降の彼のシリアス映画路線から始まっていたのだろうが、ハッキリと感じられたのは実はあの「A.I.」からだった。

 彼が無類のビジュアリストであることは、映画ファンなら誰もが指摘出来るところだと思うよ。初期の彼の名声を築いた何作かを見れば、それは容易に分かることだ。そしてそれはアニメに基づいたビジュアル表現ではないか?…と、僕は推論していた。そのことは当サイトの「E.T.」20周年記念バージョンの感想文で指摘した通りだ。アニメに基づいたビジュアル表現だから、明快で力強いビジョンを表現出来る。だが、それは彼にとって両刃の剣でもあった。あくまで単純明快なビジュアル表現が前提となるから、複雑多岐にわたるイメージ、曖昧さのある心情などの、デリケートでファジーな要素は表現しきれない。それは作家として名声を博してからのスピルバーグにしてもジレンマだっただろう。彼に貼り付いた、単純明快な映像と企画が見もののイベント・ムービーをつくる男…というイメージも、実は最初期の諸作「ジョーズ」「未知との遭遇」「E.T.」などから生まれたイメージだったのだ。

 そして、それはその後もずっとついて回った。でも彼が作家として欲が出てきた時、当然従来の単純表現以上のものをつくりたくなったはずだ。年齢的にもそういう心境になっただろう。だが、彼に名声をもたらした表現手法では、それは到底描ききれない。ここからスピルバーグの長期低迷が始まったと僕は考えるんだね。

 だから、好きな映画だけど「太陽の帝国」あたりも実はスッキリしない出来に終わった。「プライベート・ライアン」も前半のノルマンディの戦闘場面には圧倒的破壊力を見せつけながら、作品全体としては破綻した。そんな彼にしてはチャレンジであり、かつ非常に興味深い題材でもあったはずの「シンドラーのリスト」も、オスカーこそ獲得したが実は成功作ではなかった。好色でヤマっけ商売っけたっぷりのドイツ人実業家が、なぜユダヤ人を助ける無償の行為に奔走したのか…人間の曖昧さ、グレー・ゾーンを描いてこそ面白いはずのこの映画も、彼には単なる美談以上のものとしては描きようがなかったのだ。いや、描く気はあったのだろうが、恐らくは表現が追いついていかなかった。このあたり、ロマン・ポランスキーの「戦場のピアニスト」あたりと比べてもらえば、その描き方の重層感の違いがお分かりいただけるだろう。

 ファンは従来の単純明快なスピルバーグ映画を求めるから、その後の作品に不完全燃焼を感じてしまう。ファン以外は彼の単純明快さを我慢できないし、そこから脱皮しようとして脱皮し切れてない破綻を批判する。本当にここ数年の彼は苦しい状況にあったと僕は思うんだよね。初期の作品があまりにも強力で圧倒的だから、それを超える映画作法を見出すのは至難の業だとは思ってたんだよ。

 それがキューブリックとの一種の「合作」となった「A.I.」で、彼は一つの抜け道を見出した気がしたんだよね。異質ではあるがそれぞれ無類のビジュアリスト同士だったキューブリックとスピルバーグの合体が、スピルバーグにあるヒントをもたらすのではないかと思った。そして、それはかなり成功していたと思うんだよ。このへんを素直に評価されなかったあたりがスピルバーグの悲劇だね。彼のファンは「E.T.」を求め、それ以外…特にキューブリック・ファンは従来のキューブリック作品を求めた。でも、もうそこにあるのは全く別のものだったはずなんだけどね。

 僕は彼がキューブリックを通過したところから、きっと何か新しい機軸を発見するはずだと指摘した。それは先に挙げた「E.T.」感想文でも述べた通りだ。あとは果たしてその新機軸がいつ完成形となって現れるかだ。

 そして発表した「マイノリティー・リポート」は、運悪くトム・クルーズのスター映画扱いされる憂き目にあった。しかもスピルバーグお得意のSFというコロモをまとっていたばかりに、SFアクション超大作と見られてしまった。そしてそう受けとられちゃったから、この作品はまたしても不完全燃焼に見られてしまったわけ。でも、これってよく見ればミステリー・サスペンスなんだよね。そのへんを見誤られるとつまらない映画になってしまう。それじゃかわいそうだ。

 もっとも、それではスピルバーグの新機軸が成功しているかというと、まだその入口に差し掛かったあたりではないかという気もしたんだよ。必ずしも100パーセントと思えるまでいってない。ただ、それまで強力なビジュアル造形力と企画力でイベント・ムービーを創り上げていたスピルバーグが(SFアクションと誤解されてはいたし、そんな誤解をまくタネを自分でまくような腰の退け方もしていたが)、ミステリー映画とかフィルム・ノワールもどきという「ジャンル映画」に乗り出したことは注目に値する。

 僕はこの映画の感想文で、彼が「普通の監督になろうとしているのではないか」と指摘したはずだ。それはこうも言い換えられる。それまでオリジナリティー勝負の単純明快強力ビジュアル企画力映画をつくってた彼が、あえて典型をつくりだすことを是とする「ジャンル映画」に乗り出した…と。それは、彼が自らの得意技である「単純明快」さというものを、ビジュアル造型やオリジナリティーある企画…というカタチでなく、典型が命の「ジャンル映画」という“器づくり”に転換させようとした結果ではないのか?

 ちょっと分かりにくかったかな? もう一度こう言い直そう。

 どうもシリアス映画に挑戦しても何をやっても、自分の持つ映像づくりや話術の中にある「単純明快さ」というものは捨て去れないし、かつまたそれが自分の最大唯一の美点らしい…。スピルバーグはいろいろ試行錯誤をした結果、どうもそのあたりに改めて気づいたらしいんだよね。

 ならば「単純明快さ」が子供向けではなく大人の映画づくりで許されるのは、いかなる場合か?

 映画の各要素が思い切り「記号化」していて、一見すればこれが「探偵映画」だとか「ギャング映画」だとか「ショー・ビジネス芸道映画」だとか分かるほど「単純明快化」している「ジャンル映画」こそが、その活路ではないのか?

 おそらくは「マイノリティー・リポート」の持つ、一見スピルバーグ十八番SFアクションものと見えて実は典型的ミステリー犯罪映画…というスタイルは、このへんに起因するものと考えられるのだ。

 まぁ、そんな紆余曲折を経たあげくの「マイノリティー・リポート」は、大成功に至らずもそれなりの出来栄えになった。ならば次の映画でスピルバーグは、いかなる大人映画へのチャレンジを行うのか?

 そして迎えたこの新作、コワゴワと待った結果はどうかと言えば…。

 素晴らしい。お見事!

 ここ数年のスピルバーグ映画には、ファンである僕でさえ首をかしげる作品が多かった。これはいいと思える作品ですら、スカッと拍手するにははばかれるところがあった(「A.I.」は僕は一種のテスト・ケースだと考える。少なくとも100パーセントのスピルバーグ映画とは言いがたいものがあるんだね)。でも、この作品は違う。これなら従来ファンにもアンチの人にもオススメできる。これは面白いよ。そして人間のファジーな陰影さえ描かれている。大したものだ。待った甲斐があったよ。しかも、もうSFやファンタジーやスペクタクルのコロモが目を曇らせることもない。これなら誰も誤解をしないだろう。前作「マイノリティー・リポート」のように「ジャンル映画」を志向してはいないものの、これまでで最も大人向けの映画として成功を納めた作品に仕上がった。

 スピルバーグは「普通の」映画監督になった。そして大人の映画作家になったのだ。

 そんな開眼ぶりは主演のレオナルド・ディカプリオにも言える。「タイタニック」でビッグスターになった時、誰より本人が戸惑ったのではないか? 本来この人はどちらかと言うと地味めの映画、アート系指向の映画が活躍の場だったし、本人もそう思ってたはず。だから、スターになった後の第一作「ザ・ビーチ」で、あんな往生際の悪いことをしちゃったんだろう。僕はあの映画もディカプリオも悪いと思ってないが、彼を見る世間の目は180度変わっていた。そうなると、一俳優と言う前にスター・イメージというものがこびりつく。そういう意味では、あれは企画的に失敗だったと言わざるを得ないだろう。彼が動くと、もうスターのオーラと大型予算とビッグ・ムービーの器がついて回ってしまうのだ。それは、彼にとっても映画にとっても不幸なことだったと思うよ。

 次いでアメリカ映画きっての作家マーティン・スコセッシ作品に出たかった気持ちも分かるが、「ギャング・オブ・ニューヨーク」はそもそも演技をする場がなかった。作品としてはリッパだと思うが、あれはドラマとしてはどうだっただろう。少なくともディカプリオとして得るもののなかった作品だと思うがいかがだろうか?

 今回の彼の役どころは、まだ高校生なのにパイロットや医師に化ける詐欺師。ディカプリオのいまだ大人と言うには幼げな容貌と、しかしもう若者と言うには付きすぎた貫禄とを、同時に活かせる役どころではないか。おまけにパイロットや医者というステータスのある地位…かつまた、それを「演じて」いるという設定が、彼のスターとして身に付いたオーラを120パーセント活かしてる。調子良さそうに回りを煙りに巻くあたりのご機嫌な振る舞いが、かつての彼になかったスターのイメージと見事にダブるのだ。この役はゴージャスなチャームがなければ演じられないのだから、ここはかつての地味なディカプリオじゃダメだったろう。まさしく適役と言っていいのだ。考えてみれば「タイタニック」でスター化した以降のディカプリオで一番良かった映画と言ったら、ウディ・アレンの「セレブリティ」の傲慢スター役だったことを思い出す。なるほど、アレンはちゃんと分かっていたんだね。

 しかも彼は元々うまい役者でもあった。ここでは「ギャング・オブ・ニューヨーク」で何を考えているのかサッパリ分からないような、木偶の坊みたいに突っ立ってるだけだった彼はいない。父親への尊敬と同情。母親への幻滅。見た目でいとも簡単にダマされること、そして愛する者を裏切ることも含めての他人への信頼の喪失。敵であるFBI捜査官への、不思議な信頼感。これらのすべての感情をディカプリオは、見る者に演技だけでクッキリと浮き彫りにして見せる。奇しくも「ギャング・オブ・ニューヨーク」でも、敵であるべき者に自分が失った「父」的愛情を抱く役どころだっただけに、両者を比較すればその表現の明快さの違いがハッキリと分かる。これは見事だよね。

 対するトム・ハンクスがディカプリオに奇妙な親近感を抱くあたりの演技など、「ロード・トゥ・パーディション」あたりを見れば造作もないことだろう。ここは見事なディカプリオの復活ぶりを堪能すべきだ。

 脇に回ったクリストファー・ウォーケンの見事さも特筆ものだが、僕としてはアメリカ映画本格出演の、フランス女優ナタリー・バイに注目したい。彼女はスピルバーグの命を受けたブライアン・デパーマのスクリーン・テストによって決まったということだが、僕としては彼女の背後に立ち上るトリュフォー映画の残像が起用の最大動機だったと思える。否、「未知との遭遇」でトリュフォーを起用したスピルバーグならば必然だろう

 そんなこのドラマの核となるものは、両親の離婚による暖かい家庭の喪失にある。それがスピルバーグ自身の経験からだと断言するのは、まるっきり極論ではないと思う。「未知との遭遇」「E.T.」でも離婚家庭の寂しさを漂わせていたスピルバーグなら、おそらくはここがコアの部分であると想像するに難くない。そんな主人公が虚構の世界で大活躍する姿は、そのまま虚構=映画の世界に飛び出していったスピルバーグ自身と重なり合うからだ。暖かい家庭、信頼できる相手の渇望がこれほどまで強調されるのも、うなづけようものではないか。そこにこそ作品の最重要ポイントがあることは、一見すれば明らかなことだ。だからこそ、薄っぺら、単純、ガキ…と罵倒の限りをされ尽くされたスピルバーグ(その多くは哀しいかな当たってもいたが)が、これほど重層感のあるドラマを創り上げられたのだと思う。

 もちろん様変わりはしても、従来のスピルバーグ的な絵づくりは所々に健在だ。主人公が偽造小切手づくりに使ったパンナム機のオモチャが山積みになるワンショット、主人公不在の家に乗り込むFBI捜査官たちの描き方、主人公の運命の分かれ道となる空港搭乗口のトンネルのような通路の映像、そしてマンガさながらのコミカルな場面の数々。どれもこれも「単純明快」スピルバーグの面目躍如だ。

 そして彼が今回これほど成功を収められたのも、実は彼が単純明快さを身上としていた無類のビジュアリストだったからだ。

 主人公は身分を偽り、次々にもっとも らしい身分の人間に化けていく。そのモットーは「人間は見た目だ」という一言。そして彼が何かに化けるたびに、彼を取り巻く世界もガラリと見え方が変わっていく。

 そんな「見た目」とは、つまり「典型」だ。いかにも学校教師、いかにもパンナム・パイロット、いかにも外科医…そんな「いかにも」こそが典型だ。そして「典型」とは、つまり「単純明快なビジュアル」だ。それこそがスピルバーグが最も表現を得意とする分野ではないか。

 主人公の持つ世界観の中では、世間も人間も単純明快に「記号化」されていた。そして主人公の人生とは、最終的にはそこから脱皮して「中味」を手に入れる戦いでもあった。ならば、スピルバーグには彼の気持ちが誰よりも痛いほど分かったはずだ。

 それこそが、スピルバーグ自身が何年もかかって熱望してきたことに他ならないのだから。

 

 

 

 

 

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