「猟奇的な彼女」

  My Sassy Girl

 (2003/02/10)


  

 

もしできれば、映画「猟奇的な彼女」サウンドトラックCD中の主題歌「I Believe」を聞きながらお読みください。

 

 

試合開始

 僕はその出会いを「運命的」だと思っていた。確かに偶然が偶然を呼ばなければ、僕は彼女と出会うことはなかった。その存在を知ってからも、偶然のか細い糸の絡み合いが離れ業のように続かなければ、僕らは顔を合わせることもなかったし、親しくなることもなかった。それでも彼女は「運命的」という言葉をひどく嫌った。僕らの出会いもありふれたちょっとした偶然だと一笑に付そうとしていた。こんなもの、いつか終わる…と。そんな彼女の言葉を毎度のように聞かされるうち、僕もいつしか「運命的」という言葉を使わなくなってしまっていた。

 彼女は心の奥底に深い傷を負っていた。ごく最近のある出来事が、彼女を決定的に痛めつけていたのだった。だが、それを可哀想などと言えば彼女はひどく怒るだろうし、同情するなどと言えばそれこそブッ飛ばされかねないだろう。だから僕は、そんなことは口が裂けても言わなかった。でも、ふとした時に見せる彼女の哀しげな表情を僕は見逃さなかった。僕は自分の力の及ぶ限りで、何とか彼女の心の傷を癒してやりたいと思い続けていた。

 彼女の周囲には、常に強いプレッシャーがあった。自分が好きなようにしたい、思うがままに振る舞いたい…そんなささやかな事も出来なかったのは、元来の彼女の優しさと気の弱さが災いしたのだろう。それを簡単におかしい…で片づけないで欲しい。誰しも人には大声で言えない弱みを抱えているものだ。そんな本人の事情をよく知りもせずに裁かないで欲しい。僕にだって胸を張って人には言えない事がたくさんある。だから僕は決して彼女の事情も、彼女の為す術もなくなっている気の弱さも、責めたりはしなかった。誰か一人くらい、彼女のそのままを受け入れてあげたっていいだろう。

 彼女が僕に何を求めていたか…彼女に言わせれば勘違いなのかもしれないが、僕は僕なりに受け止めていたつもりだ。僕は幸か不幸か彼女よりかなり年上だった。だから、自分なら彼女のそんな気持ちを大らかに受け止めてやれるかもしれないと思ったのだ。

 だが実際のところ、僕はさほどフトコロの大きい男ではなかった。それが、それまでの僕の女性関係をチープなものにしていた。僕は有り体に言ってワガママな男だった。自分可愛さで相手のことまで思いやってやれない男だった。だから、その都度女の身勝手に腹を立てながらも、後になって思えば実は自分が至らなかったことが多かったのだろう。

 そんな僕が彼女には無条件降伏出来た理由は何なのだろう。一つには彼女は僕が長年求めてきた理想のタイプそのものだったからに違いない。そんな女には男は何でも許してしまう。それに先に挙げた年上ということもあるだろう。年齢的に昔のようなガキっぽい振る舞いをしなくなってきたことに加え、年齢差から彼女が可愛らしい子供にさえ思える時があるとくれば、そうそう昔のような我を張るマネも出来まい。そして、何より彼女の心の痛み…好きに振る舞うことが出来ないつらさ、さらには最近の大きな不幸が彼女を苦しめていることを思うと、僕はただただ彼女の願いを叶えてやりたい気持ちで一杯になった。「したいようにさせてくれる人」…そんな彼女の望む男に、自分も少しでも近づきたいと思っていたのだ。それは果たして実現出来たのだろうか?

 最初の半年は、まさに蜜月とも言っていい毎日だった。彼女には何より他の誰にもない天真爛漫さがあった。とても頭が良くセンスもいいのに、計算や打算ということは知らない彼女。何から何まで可愛らしく、愛おしい気持ちにさせてくれた彼女。

 僕が幸せの絶頂だったあの頃。映画「猟奇的な彼女」は、僕にそんなあの頃の甘くホロ苦い気分を鮮明に思い出させてくれたのだった…。

 

前半戦

 僕は子供の頃から女の子のように育てられた男だった。いまや大きくなっていっぱしの大学生だが、逞しいとは程遠い。気のいい男だがどこか頼りないということは、自分が一番よく分かってはいた。そして、どこか優柔不断でだらしないところも…。今日も今日とて息子を亡くして元気がない叔母さんの家を訪ねるように母親に言われながら、友だちと飲み食いしてぐうたらやってて夜になってしまった。とりあえず地下鉄に乗って叔母さんの家にたどり着かねばと思いながら、駅のホームにやって来ると…何とホームの端っこで落っこちそうになりながら、フラフラしてる泥酔状態の女の子を見つけた。あまり危なっかしいんで見るに見かねて、肩に手をかけて引っ張る僕だが、「彼女」はこちらを白目むいてガン飛ばすばかりだ。こんな女の子に関わってはいけない。顔は可愛らしいが、僕は酔った女は嫌いなんだ。

 やっとこ電車に乗り込んでみると、この「彼女」さらにとんでもないヤツだということが分かった。まずは老人を立たせて平気で席に座っている若造を一喝。ついでにその若造が着ているピンクの服が気に入らないとコキ下ろす。くわばらくわばら、やっぱりこんな子には関わらない方が得策だ。

 ところが「彼女」ときたひにゃ、座らせた老人の頭から思いっきりゲロをぶっかけたからたまらない。そのままぶっ倒れたのはいいけれど、倒れる間際に何を思ったか、僕の顔を見て「ダーリン…」な〜んて言うからとんでもない事になった。

 ゲロぶっかけられた老人は、「彼女」が僕の恋人だと思い込んで怒りまくる。僕は自分の服を脱いで、老人のゲロを拭いてやるハメになった。さらに「彼女」を介抱しろなどと押しつけられ、オンブしてやることになるとは。

 ともかく僕は目的地の駅に着いた。つき合うのもここまでだ。僕はぐっすり寝込んだ「彼女」を駅のベンチに残し、サッサと叔母さんの家まで行くことにした。

 ええい、ままよ。

 やっぱり夜の駅なんかに「彼女」を残して行くわけにはいかない。仕方なく、僕は「彼女」を負ぶって駅前の連れ込みホテルへ泊まることになった。「彼女」は重いし、宿の主人には女を酔わせて連れ込んだと変な目で見られるし、宿代は高いし、もう散々。ともかく「彼女」をベッドに寝かせて、自分はゲロに汚れた体を洗うべくシャワーを使っていたちょうどその時!

 部屋に警官が乱入だ。

 こっちは素っ裸。それなのに銃を突きつけられて、大事なところも隠せない。何でこうなるの?

 翌朝は留置場でお目覚め。親切をしたのがアダになった。おまけに家に帰れば帰るで、オフクロには「叔母さんの家に行かなかった」と責められぶん殴られる。ホントにいいとこなし。

 ところがそんな僕の携帯に、いきなり例の「彼女」から電話がかかってきた。それも言うに事欠いて「一体私に何をしたの?」と問いつめ口調だ。どうなってるの? こっちの言い分を言ってやろうにも、例の駅に来いと一方的に通告して電話を切りやがった。それでノコノコ出かけてしまうから、僕も人がいいのに程があるんだけど。

 とりあえずカフェに入って話でも…と、飲み物を頼むのに例の僕の優柔不断さを発揮していると、たちまち「彼女」が怒った。

 あんたブン殴られたいの? コーヒー頼みな!

 なんだ、この女? 可愛い顔してシラフなら好みなどと思い始めていたのに、やっぱりどこかオカシイ。それでも何となく従ってしまう、情けないこの僕。「彼女」はそんな調子で昨夜の顛末を聞いてくるもんだから、僕もたまらず一切合切洗いざらい話し始めた。

 すると「彼女」は合点がいったようだ。突然僕を居酒屋へと連れていった。だが、ここでまた「彼女」一流のスゴみが顔を出す。近くのテーブルの男女が援交カップルだと知るや、いきなり近づいていってまたしても一喝。援交カップルはスゴスゴ引き揚げていったからいいものの、もしオッサンがいきり立ったらどうするんだ。正義感からの振る舞いとは分かっていても、ちょっとこの強烈さにはつき合いきれない。

 ところが「彼女」は酒を引っかけると、小さな声でつぶやくではないか。

 「私、昨日好きな人と別れたの

 あんなコワモテの「彼女」の目に、みるみる涙が溢れてくる。…と思うや否や、またしても意識を失ってバタンと倒れた。

 結局またしても昨日と同じ。僕は彼女を負ぶって、例の連れ込み宿にシケこむハメになってしまった。泥酔してベッドで寝込む「彼女」。

 だが、小さな寝息を立てている「彼女」の寝顔は、まるで子供のように無邪気に見えた。そんな「彼女」のさっきのつぶやき…。僕は知らず知らずのうちに、「彼女」の心の傷を癒せたら…と思い始めていたのだった。

 だが、やはりこの「彼女」一筋縄ではいかない。授業中の僕を訪ねては、いきなり外に連れ出す。その言い訳に、僕が「彼女」のお腹の子の父親なんて作り話をするんだから困っちゃう。二人でムードたっぷりに川を見つめていると、深さが知りたいとカナヅチの僕を川に叩き込む。例によって飲み物を頼む時にはコーヒーと言わないと機嫌を損ねる。まるで無茶が服を着て歩いているような「彼女」なのだ。

 もう一つ困ったことに、「彼女」は我流で映画シナリオを書いていた。それが面白いならいいんだけど、どれもこれもどこかヘン。ある時など「ターミネーター」まがいの未来から来た女戦士のお話を書いて来たが、正直言ってつまらない。でも、そこをズバリとつまらないと言うのはタブーだ。一度は控えめながらシンミリした恋愛ものなど書いてみたら…と勧めてみたが、「彼女」にかかると病いで亡くなったヒロインの遺志で、その恋人も墓に無理やり生き埋め…なんて、とんでもない結末にされるからたまらない。この子の精神構造を疑うよ。

 そんな「彼女」から僕のもとに送られた一通の電子メール。見ると、近々「彼女」の誕生日だと言うのだ。忘れたらブッ殺す…などという物騒なことが書いてあるのは毎度のこと。そうなりゃ僕も男だ。「彼女」のために特別な誕生日を演出してやれないわけでもない。

 僕はかつて遊園地のバイトをしていた。その時知り合った遊園地の従業員なら無理が利く。彼に頼んで、閉園した後の遊園地を貸しきりにして、「彼女」を楽しませてやろう。

 そんな楽しいプランを胸に、夜の遊園地に忍び込む二人。ただし、この夜は僕の計画外のことがあった。遊園地に先客がいた…一人の兵士がおっかない顔して銃を突きつけてくるではないか。

 実はこの兵士、つき合っていた恋人を先に除隊した衛生兵に奪われ、逆上のあまり銃を持ったまま脱走してきたというのだ。すったもんだのあげく「彼女」は放してもらえることになったが、僕は人質にとられたまま。ひえ〜、一体どうなるんだよ〜。

 この脱走兵を追って軍隊が押し寄せ、遊園地は騒然。しかも狙撃兵が撃ってきたので、脱走兵はさらに激高した。いきり立った脱走兵は人質の僕を道連れに自殺しようとする。こりゃ絶対絶命だ。

 そこにあの「彼女」が立ちはだかった!

 「彼女」は狙撃兵たちを制止すると、一人勇敢にも脱走兵に語りかける。恋人を愛しているなら、そんなことはやめて。もう愛してないなら、そんな人なんか関係ないじゃない…。

 「つらいことも、きっと時が解決してくれるよ

 そんな「彼女」の勇気ある説得に、脱走兵も心を動かした。かくして狙撃兵たちの前に投降する脱走兵。一件落着。安心して思わず「彼女」に抱きついた僕だが、「彼女」は例によって例のごとしでコワモテな憎まれ口を叩くばかりだ。

 でも、僕はそれでもいい。僕はそんな「彼女」が誇らしかったから。

 

ハーフタイム

 会うたびに親密さを増していった僕たち。だが、それは突然妙な具合にこじれ始めた。理由はいくらでもあるだろう。確かに僕らの関係がドンドンと進んでいくうちに、それに彼女が頭を冷やし始めたということは言える。つまりは冷静で現実的な判断をし始めたということだ。それについては僕も反論できない。僕と彼女の間には、一筋縄では解決できないさまざまな問題が横たわっていたからね。

 そして、ここに彼女の例の過去の不幸が影を落としていないと言えばウソになるだろう。それが彼女を神経過敏で臆病にもしていた。

 ならば仕方がない。無理に事の白黒つけようと焦らない方がいい。彼女の気持ちが落ち着くまで長く長く待つしかない。無理強いはしたくない。たぶん、彼女はこっちが無理強いすればそれが何でも通ってしまう可能性はあった。親しい人、好意を持っている人、信用している人に強く言われたら、反駁できない彼女だろうと思う。別に従順な女だったわけではない。ただ気を許した人の言うことは信じやすく、下手をすれば言われるがままになってしまう。そんな人の良さと気の弱さが、実は彼女にはあった。それでどれほど多くの人間が、彼女に何かを強いてきたことだろう。彼女を丸め込んだ人間もいただろう。だが、僕はそれをしたくなかった。「したいようにさせてくれる人」、そして彼女の心の傷を癒す男でありたいと願った僕だから。

 そして、そのあたりから僕と彼女の関係に少しづつ新しい局面が見えてきたのだった。

 いや。実は最初からその兆しはあった。彼女の言い分には、少なからず戸惑うことも多かったのだ。ユニークさ、それが彼女のトレード・マークだった。

 でも僕はと言えば、何だかんだ言ってやっぱりどこか古い人間。それに先に語ったように自分勝手な男だった。だから戸惑いがあったとしても、たぶんそのせいだろうと僕も思って、彼女をあるがままに受け入れようとした。

 だが、いつの間にか彼女の僕に対する態度や言い分が、歯に衣着せぬものに変わっていたことに気づかない訳にはいかなかった。それも、まぁつき合いが長くなり親しみが増せば当たり前のこと…と思ってはいたが、彼女の場合は少々度合いが違っていた。…ただ、僕はそれも愛情表現だと解釈しようとしていた。で、確かに僕の考えは当たっていたんだね。

 彼女はさして親しくはない人に対しては、世間一般の女たちよりも大人しく落ち着いていて礼儀正しい。だから周囲の評判もいい。だがそれは彼女にとって、どこか本意ではなかった。一方では、常に心の底に「思ったようにしたい」彼女がいた。

 だから「この人は信じられる」「この人には心が許せる」と判断した相手には、そんな本来の彼女が顔を出す。無防備なまでに無邪気なまでに、オモテの顔とは180度違って、そこにはストレートに正直に振る舞う彼女がいた。彼女のためにここで断っておきたいが、彼女は決して無茶で無神経な女だった訳ではない。それに彼女本人だって、「あの程度でストレートだなんて言われるのは心外」と思うに違いない。

 そこには彼女なりの気遣いが確かにあった。僕の望みを叶えようとしてくれた一面もあった。だから決して無茶で無神経なんてものではないと断言できる。ただ、やっぱり他の人間と比べるとそのストレートの度合いが大きかったし、自分の気持ちの表し方も一風変わっていた。だから、最初のうちは僕もちょっと驚いたりしたんだよ。

 そして、そこに例の心の傷がさらに負荷を加えていたのかもしれない。結果として、客観的には少なからず彼女のマイペースにこちらが合わせている…というかたちになったことは否定できないかもしれない。

 彼女のそんな人並みはずれたユニークさ…いや。世間の常識やら普通などというものが、いかに意味がないものかを分からぬ僕ではない。人間の数だけ常識がある。みんな自分のそれを勝手に常識視して人に押しつけようとしているだけだ。そんなもの、まるっきり意味がない。

 そんな彼女を、僕はこの上なく愛した。

 そのユニークさこそが、実は彼女の素晴らしさだったからだ。それが彼女なりの愛情表現だと分かっていたから、僕はそれを嬉しく思った。彼女の無防備ぶりを、可愛らしく楽しいものと感じた。彼女なりに他の人にない彼女一流のやり方で、僕に優しさや心遣いを与えてくれていたのも分かるから、僕はすべて許せた。彼女が言ったことに正論も感じたから、僕は受け入れた。何より彼女には悪意がなかった。そこに何ら邪心や打算は感じなかったから、僕は好ましく思った。それこそが彼女の可愛げ…僕が彼女を大切に思えた、他の女にはない最大の美点だったからだ。それを小賢しく常識やタテマエを振り回すことで、ぶち壊しになどしたくはなかった。

 だが、それはあまりに頼りなげで無防備でもあった。だから僕がそれを包み込んでいかなきゃいけない…。僕は自分がそんな器でもないくせに、テメエ勝手にまるで“彼女の保護者のような心境”にもなっていった。実際は彼女に言わせれば、僕の方が手がかかって危なっかしくて、自分が見てやらねばどうにもならないような男だったんだろう。そんな僕だったことも否定はしない。ある意味で世間的な常識や礼儀は人一倍キッチリ身につけていた彼女ではあったからね。それでも僕は、彼女のそんな拭い去りがたい危なっかしさを、自分なりに何とかフォロー出来るのではないかと思い始めた。それが自分が彼女とつき合っていくことの必然性なのだと思った。

 逆に僕は彼女とつき合うことで、そうした大人の男女のつき合い方を学んでいったようなところだってあるのだ。恋人として僕に至福の時を味あわせてくれただけでなく、僕を大人に、一人前の男にしてくれた。その恩義は一生僕は忘れはしない。それを否定する事なんて、誰にも出来ないはずだ。

 だが僕には分かっていなかった。僕がすべてを受け入れようとしたことが、実は大きな誤算だったということが…。

 

後半戦

 僕は「彼女」とのつき合いを続けていた。相変わらずマズい映画シナリオを見せては悦に入る「彼女」。今度は時代劇で女剣士が活躍する話だが、これも女剣士がなぜか未来から来ている設定だ。「彼女」にとって、この「未来から来たヒロイン」ってのはツボな設定なのだろう。

 相変わらず「ぶっ飛ばす」「殺す」とか物騒なことを言っては、僕をキリキリ舞いさせる「彼女」。だけど僕にはそんな「彼女」の無茶な振る舞いが、内心の痛みを見せないようにしようとする強がりだと気づいていた。

 またしても「彼女」が、「つき合いが始まって100日」記念日に僕に無理を言って来た時も、僕は拒もうとは思わなかった。「彼女」にバラの花を一輪届ける…それだけならどうって事はない。問題は「彼女」の学校が女子大だということだ。ラーメンの出前の変装で何とか「彼女」の学校に潜入。サングラスにマスクに帽子という、それでなくても怪しげな格好で入っていったあたりは、相も変わらぬ間抜けな僕ではあったけど。指定された講堂にやって来ると、座席には女の子たちが満席で座っているではないか。うひゃ〜、まいったな…と思ったその時、ピアノの音色が聞こえてきた。

 壇上にはあの「彼女」がいた。

 「彼女」はピアノに向かい、僕に捧げる曲を弾いていたのだ。そんな「彼女」は最高に美しかった。

 僕はいつの間にか変装の帽子もサングラスもマスクもとって、壇上の「彼女」にバラの花を捧げたのだった。

 だけど僕らの関係は、実は一向に進展していなかった。男と女の関係? とてもとても。キスさえしてない。「彼女」の家の前まで送っていっても、家に上がることは固辞する僕。それでもひょんな事から、「彼女」の家に上がり込むことになった。だが、「彼女」の両親と対峙して初めて、僕はどう考えても歓迎されてないことを痛感した。いたたまれずに「彼女」の家をお暇した僕だが、その後で「彼女」の家から激しい親子ゲンカの声が聞こえてきた。どうも「彼女」は親から僕とつき合っていることをよく言われてないどころか、見合いの話まで持ち込まれているようだ。「彼女」の心の痛みは、この厳しい家庭の雰囲気によるものだったのだろうか。

 そして、その後「彼女」からしばらく連絡がとだえた。

 そうなると、たちまち調子よく別の女とのナンパに走る僕。ところがそういう時に限って「彼女」から連絡があった。例によっての「すぐに来い」という呼び出しに応じて駆けつけると、何と「彼女」は立派な紳士とのお見合いの真っ最中。だが相手の紳士は僕を見ても動じぬばかりか、「彼女」にはいい“友だち”がいて良かったねと余裕の発言をかますではないか。そうなのか、そういうことだったのか…。

 僕は「彼女」がトイレに立ったのを見計らって、相手の紳士に「彼女」とつき合う心得を教えてやった。一つ、「彼女」に女らしさを要求してはいけない。二つ、酒は三杯以上呑ませないこと。三つ、つまんない映画シナリオを面白いと言って読んでやること。四つ、殴られたら痛くなくても痛がること、痛くても痛がらないこと…。それが「彼女」のために僕が出来る、精一杯の心遣いだと思ったから…。

 「彼女」が戻ってくる前に傷心の思いでその場を立ち去る僕。だが、「彼女」はそんな僕を追って、駅まで駆けつける。そして僕が見つからないのに業を煮やし、駅の構内放送に割り込んで僕に呼びかけた。放送室にいる「彼女」の元に駆け寄った僕は、「彼女」ときつく抱き合ったのもつかの間、例によって手痛いパンチをお見舞いさせられる。でもいいさ。「彼女」は僕を必要としてくれた。

 それからは僕と「彼女」の間に、小康状態と言ってもいい楽しい日々が続いた。そんな僕らのささやかなイベントは、二人とも高校時代の制服姿でクラブに乗り込み、思いっきり踊りまくること。自らの中にある何かを発散するかのように、エネルギッシュに踊りまくる「彼女」は素敵だった。

 だが、そんなイベントを終えたある夜、帰りのタクシーで眠りこける「彼女」の安らかな寝顔を見ているうちに、「彼女」の心の傷も癒えてきたのかもしれないと思い始めた。そして、それが僕の役割の終わりを意味するのではないかということも…。

 「彼女」は僕に手紙を書くように言った。「彼女」も僕あての手紙を書く…と。そんな二人のお互いに宛てた手紙をタイムカプセルに入れて、小高い丘の木の下に埋める。それを二年後の今日が来たら、また二人で掘り出して読もう。それまではお別れだ…。

 「彼女」は僕を声の届かぬ離れた山の上に上らせて、僕に向かって何かを告げた。それは、実はこんなことを言っていたのだ。

 ごめんね。実は私があなたと知り合ったとき、好きな人を亡くしたばかりだったの。あなたと会った日、私は彼の墓参りに行った後だった。そしてあなたを知ってから、この人なら好きになれるかも…と思った。実は100日目にバラの花をもらったことも他のことも、本当は死んだ彼がしてくれたことだった。でも、あなたが段々好きになるにつれて、私の中の彼が嫉妬するように感じたの。そんな罪の意識は、私が彼をまだ忘れられなかったからでしょうね。だからここでお別れしましょう。二年経ってまたここで会えたら、その時から本当のつき合いが始まると思うの…。

 駅で列車に乗るとき、「彼女」は僕に先に行けと言った。「彼女」の言葉に従って列車に乗ったものの、僕はやっぱり別れ難くて、走る列車から飛び降りてしまった。だが運命のいたずらか、「彼女」も同じ事を考えて、とっさに列車に飛び乗ってしまったのだ。こうして僕らは離ればなれになった…。

 

スロー・ビデオ

 僕と彼女の不協和音が表立った頃には、実は僕の方も自分たちの関係に懐疑的になっていた頃だった。確かに僕は、彼女のためなら何でもしようと誓った。彼女のことは何でも丸ごと受け入れようと決めた。だが彼女は僕に対して少しづつ苛立ちを露わにして、声を荒げて僕を責めることも多くなった。それでも何一つ確固たる結論を出せないまま、ズルズルとただ為すすべもなく流されているような彼女。おそらくは僕と真摯に対峙しようとすればするほど、彼女はそんな掴みどころのない状態に追いつめられていったのかもしれない。たぶん彼女生来の人の良さや僕に対する優しい気持ちが、かえって彼女の身動きをとれなくしていたのではないか。

 確かに彼女は何かに苛立っていたのだ。彼女の暮らしや仕事に過酷な面が出てきたことも、彼女を追いつめていた一因かもしれない。しかし、彼女の口から「私たちって本当は合ってないのかも」という発言が出た時には、さすがの僕も言葉を失うしかなかった。

 確かに合ってないのかも。

 ハッキリ言って、僕は彼女の前でいっぱしの紳士ぶってはいたけど、所詮そんなものは付け焼き刃でしかなかったかもしれない。先に彼女を「ユニーク」だ「ストレート」だと言ってはいたが、彼女とても僕のぬぐい去りがたいエゴイストぶりに手を焼いていたのかもしれない。僕がどんなに頑張ったところで、彼女を満足させることは出来なかったのかも。あるいは、あんなにしたくないと思っていながら、僕もまた彼女に何かを強いていたのかもしれない。ただ僕が気づいていなかっただけかもしれないんだ。

 しかし、「合っている」って本当のところは一体どういう事なんだろう。「合っている」人間同士なんてあるのか。部分的には「合っている」ことはあっても、あとは「合わせていく」お互いがあるんじゃないのか。僕には、彼女の無防備で無邪気な振る舞いを、したいがままに最大限許せるのは自分だけ…という自負もあった。彼女のあるがままを受け入れられるのも自分だけと思っていた。元々が人を悪く思おうとしない彼女は、当然周囲の人間にも自分と同じ善良さを求めたが、他人は彼女が思ってるほど善人じゃないからね。だから、僕がフォローしなければ…それは僕の愚かな思い込みでしかなかったのだけれど。

 子供のように無邪気で無防備で…確かにそんな彼女の言動には少々戸惑わされることもないわけではなかった。でも彼女の側からだけ見ればそれは常に間違ってはいなかったし、彼女もそれを信じて疑わなかった。残念ながら世の中とか人間関係ってのは、それだけでは済まないのだけれど。彼女には、元から打算や計算がまったくなかったのだ。率直で純粋なことも人一倍だから、彼女の言うことだけは信用できる。それは僕にとって他には代え難い最も尊い美点だった。そしてその美点と「少々戸惑わされてしまうところ」とは不可分の関係にあった。どっちか片方だけをいいとこどりするなんて出来ない。だから僕は彼女を丸ごと愛したのだった。

 だが同じ頃、僕の中の何かがもう一つのことを僕に告げていた。彼女の無防備で無邪気な振る舞い。あれは僕が相手だったからそうなったんじゃないか? 僕ならば、たぶん許してくれるだろう…。そんな確信があったからこそ、彼女はやり場のない心の痛みを、あんなカタチで僕にぶつけたんじゃないか。元々彼女はそんな心の痛みをどうにかしたくて、僕とつき合い始めたような気もする。そして、その痛みはある程度まで癒せたのかもしれない。

 だとすれば、僕の役割はもう終わってしまったのではないか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは映画を見てから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

延長戦

 二年の別れを誓った後、離ればなれになった「彼女」と僕。それからの長い長い期間は、僕にとって忍耐の日々だった。それでも「彼女」とまた再会する日のために、僕は少しでも男らしい男になろうと頑張っていた。

 そんな毎日のやるせない気持ちを慰めるために、僕は「彼女」との思い出を書き留めるようになった。ネットでささやかな映画サイトを開設して、映画感想文のかたちで書き留めていった「彼女」の思い出。それが思わぬ反響を呼んだのは、僕にとって嬉しい誤算だった。

 そして、ついにその日がやって来た

 僕は二年後の「その日」、二人でタイムカプセルを埋めたあの木の下にいた。久々の再会に心が躍る。

 だが、「彼女」は来なかった

 約束は「その日」の「その時間」。それはもうとっくに過ぎていた。タイムカプセルを開けられるのはこの日しかない。僕は二人で開けるはずだったタイムカプセルを掘り起こし、中に入っていた「彼女」の手紙を読み始めた…。

 僕たちはこれで終わりなのだろうか? さぁ分からない。そんな僕の脳裏に浮かんだのは、これ以後の僕らの行く末を占うような次の言葉だった。

 “運命は努力した者だけに「偶然」という道を与える”…。

 

ベンチ・レポート

 韓国で圧倒的な支持を受けた青春恋愛映画の傑作…ということで、大きな期待を持って見たこの作品。「ザ・リング」みたいにドリームワークスでのハリウッド・リメイクが決定しているなど、逸話にも事欠かない。原作はネット上に連載されたアマチュア小説が元ネタとかで、それも作者の体験談が下敷きになっているとか。なるほど、かなり大胆にデフォルメされてはいるが、何となく底に流れているものに並々ならぬリアリティが感じられるのは無理ないところだ。

 実際のところ、原作小説と映画ではエンディングが違うようだ。だが、映画はこうでなくてはいけない。伏線も巧みに張り巡らされ、映画を見る者にとって至福の時がやって来る。

 監督・脚本のクァク・ジェヨンなる人物がいかなる映画作家かは知らないが、こうした若い人の話で、しかも元ネタがネット小説とあって、これまた最近韓国映画界に目覚ましい若手新人に違いないと決めつけていたらさにあらず。1989年に監督デビューというから、ひょっとすると一世代前の韓国ニューウェーブのお終いの頃の人脈とダブるかもしれないんだね。それでなくても新陳代謝が激しい、いや激しすぎる韓国映画界にしては、これは異例のことかもしれない。しかも、それがこうした若い人向けの映画をとって大成功するなんて、まさしく「猟奇」な事件かもしれないよ(笑)。

 ここで言う「猟奇」がバラバラ殺人みたいなことじゃないなんてことは、これを読むみなさんの方がよくご存じだろう。「猟奇」という言葉が今風フレーズとして一人歩きした結果なんだろうが、この映画の彼女を見ればうなづける。とにかくキョーレツ極まりない彼女の振る舞いに爆笑必至。演じるチョン・ジヒョンは「イルマーレ」のヒロインだが、正直言ってこの「猟奇」を見た後ではどんな役柄だったか思い出せない。そのくらい強烈かつドンピシャのキャスティングだ。そして彼女のやってることがムチャクチャでも、そこに邪気がないことが分かるから許せる。観客も大いに安心して楽しめる。この役柄の正確な把握ぶりは大したものだ。相手役のチャ・テヒョンが情けなくも優しい個性で絶妙の受けを見せているのも楽しい。この二人のやりとりだからこそ、この映画もここまで楽しさを盛り上げられたのだろう。途中に挿入される映画中映画の趣向も、それなりに本格的にやってくれるから嬉しい。クァク・ジェヨン監督、なかなかやってくれるのだ。そんなバカバカしくも無茶苦茶なヒロインに大笑いしながら、僕らがヒロインの心の傷に思いを馳せずにはいられなくなるあたりもうまいではないか。

 それより何より見事なのが、このキョーレツかつバカバカしいカップルの在りようが、実は僕たちに普遍的な男と女の関わりの寓話となっていることだ。

 まこと失礼ながら、男にとっては自分の愛するつき合い相手の女は、しばしばこの「猟奇的な彼女」になり得る。女が隷属的になるような、あまり喜ばしくないカップルは別にして、健全な男と女の関係ってどうしても女が「猟奇的」になってしまうものなのだ。いや。誤解のないように言おう。決定的に他者で異質な存在である「女」とは、どこか子供っぽくておめでたい男にとって「猟奇的」に思えることしばしばなのである。そんな男にとっての実感が、この物語には抜き去りがたくある。男は誰でもこの物語を見て、我が身に降りかかった不条理かつ理解不能…しかしながら、どこか忘れがたく愛おしい経験を思い出さずにはいられない。

 だが、さらに誤解しないでいただきたい。男にとって「猟奇的な彼女」こそ、正真正銘、本当の意味での「彼女」なのだ。

 世間には掃いて捨てるほど女がいる。どれもこれも同じなら、どんな女を自分の恋人にしたって問題はないはずだ。でも、男にとって本当に大切な女とは、人生にそう多くはいない。オンリー・ワンとは言わずとも、ほんの限られた一握りの女しかいないだろう。

 どんな女も、男ごときにはコントロール不能だ。また容易にコントロールできる女には、男は用がない。遊び相手にはなるかもしれないが、大切な一人にはなり得ない。そんな女に振り回されて嘆き怒りながらも、男は実はほくそ笑んでいる。これほど振り回されても音を上げない男は、他にはいるはずないだろう。この女には自分しか相手に相応しい男はいないんだという満足感が確かにある。それは女から言わせれば美しき勘違いなんだろうが、それなしに男はやっていけない。振り回されているのではなく、振り回させてやっている自分…まこと男というものはおめでたいものだ。だが、それのない男に魅力などあるのだろうか。

 そして、女はみんな男があずかり知らぬ悲しみの泉を持っている。それを癒してやれるのも自分だけと、思い上がることこそ男の喜びなのだ。女は傍若無人に振る舞いながら、男に無限の喜びを与えている。それなしに、お互いがお互いである喜びなどあるものか。

 そして、真に「猟奇的」な女だけが、男を本当の意味で男にできる。女がいなければ、哀しいかな男は「男」にはなりきれない。ハッキリ言って、男は女なんかいなければ何も一生懸命にならない。自分に無理強いをして外ヅラを整えない。だらしない生活習慣を整えたりしない。マトモな暮らしなんかに興味を持たない。女がいなければ、男はどこまでいっても気楽にテメエ勝手にだらしないままだ。そんな鍛えてくれる相手ならば、それはまさしくパワフルで御しがたい「猟奇的な彼女」でなければならないだろう。男にとって「この女」と思える相手が「猟奇的」であることは、どうしようもない必然なのだ。

 本当に大切に思える女…それは男にとって希有な存在であるはずだ。ならばそれはユニークな存在でもあるだろう。

 「猟奇的な彼女」…だけど、いや、だからこそ、男は愛さずにいられないのだ。

 

ゲーム・セット?

 映画「猟奇的な彼女」が、作者の実話そのものとは違うことは本人が指摘する通りだ。大体原作小説からして、作者がフィクションとして発表したのだから当然だろう。そもそも人が何らかの物語を紡ぎだした時、それは現実とは違った趣を醸しだし始めるものなのだ。僕もこの文章を綴りながら、実際とは微妙にズレてくるニュアンスを感じていた。いや、これはもう本当のところはフィクションだ。もうすでに現実とは違っている。実際のところ、僕たちの間の真実は、僕たちだけしか分からないものなのかもしれない。

 その出会いが「運命的」なものだったことは、実は今でも僕は疑っていない。彼女の存在が僕に残したものは大きい。彼女に出会わなければ、僕はきっと全く違った人生を歩むことになっただろう。つき合っていた期間が喜びに輝いていただけではない。彼女は僕という人間そのものを変えたのだ。

 結局のところ彼女と「縁」があったのかどうか、僕には分からない。やっぱり「縁」はなかったのかもしれない。だが、それでもいい。そのことは、もはや問題ではないのかもしれない。そこから僕が何かプラスになるものを得たこと自体が重要だ。願わくは彼女も僕との関わりの中で、何かを得られたであろうことを…。

 もしそうなら、これから僕はきっと何か実りあるものを得ることが出来るだろう。僕はそのことを疑っていない。映画「猟奇的な彼女」の主人公も言っているではないか。

 運命は努力した者だけに「偶然」という道を与えてくれるのだから。

 

 

 

 

 

 

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