「K-19」

  K-19 the Widowmaker

 (2003/01/20)


  

“決意”のヘア・ヌードなんて見たくない

 先日、汚く脂ぎった中華料理店で昼飯を食った時のこと。待ち時間の間、僕はそこに置いてあったボロボロの男性週刊誌を広げて見ていた。男性週刊誌とくれば、いまや売り物はヘア・ヌードだ。脱いでいる女の子には、それぞれ事情はあるだろう。AV女優なんかは元々それが本業なんだから、問題はあるまい。問題なのは脱ぎが専門じゃない女の子。それまで可愛さで売ってたタレントや、ただ芝居をやってただけの新人女優なんかだよね。

 こうしたグラビアには、大体決まり切ったコピーがデカデカとうたってある。いわく、「あの××に出演の清純派が決意のヘア・ヌード!」とか、「あのアイドルが本格女優めざしてヘア・ヌード!」とか、まぁ新たな新生面開拓をめざしての脱ぎだということなんだろう。

 前にも僕は女性タレントのヌードについて、その「脱ぎ時」が肝心だと言ってたよね。確かにタイミングは重要だ。だけど売れなくなった崖っぷちタレントが、とにかく話題になって仕事のクチが来ればいいと思って脱ぐのと、これからのタレントが自分の活躍の場やら可能性を広げたいと思って脱ぐのでは全然事情が違う。もし「脱ぎ」以降の展望を期待しているのなら、「脱ぐ」必然性も重要だと思うんだよね。

 大体そうやって脱ぐタレントたちの大半が、女優として活躍したい、女優としての役柄を広げたいとか言って脱ぐんだよ。大体、そのめざすところは「女優」…それも本格派女優だ。それは必ずしも間違っていないかもしれない。脱がなきゃならない役柄がある時には、すでに脱いでいる女優やタレントを使う方が簡単だ。そういう仕事はすぐに殺到するかもしれない。だけど、彼女たちって脱ぐことでそんなのを期待しているんだろうか。脱ぎたがってるのかい? そりゃちょっと違うんじゃないか。

 たぶん、キレイ事だけでない、お飾りじゃない、人間味溢れる演技の出来る女優に脱皮したい…ってなことを言って脱ぐんだろう? まぁ本音と建て前はあるに違いないけどさ。そして結果はどうなるかと言えば、確かに一握りの女優やタレントはそれに成功するかもしれない。

 だけど、これまたその大半がそこで自分のイメージを狂わせて、かえってキャリアを暗転させているように思うんだよ。

 だって脱ぐことで個性が広がるわけでも演技力が増す訳でもないだろう。プロデューサーなりギョーカイ人に、「あいつ、脱ぐ役も出来るんだな」と認識されるだけだ。だから単に脱ぐだけでは、今度は「脱ぎ」専門女優どまりになるだけなんだね。本当はそこからが大変なはずだ。

 彼女たちってどういうつもりで脱いでるのかな…僕はそんなヘア・ヌードを見ていると、妙に心配になってきちゃうんだよ。中には脱ぎたいと思っちゃいなかった女の子だっているだろう。セクシー・イメージが似合っちゃいない子だっているだろう。それならいっそAV女優やヌード・グラビア専門の子のヌードが見たい。“決意”しなきゃ脱げない女の子は脱がないで欲しい。そんなハダカは、自分のつき合っている女のハダカだけで十分だよ。僕はくつろいだ気分で、楽しくいやらしいヌードが見たい(笑)。

 エッチな気分になりたい時に、脱いでる当人の心配なんてしたい男はいないもんねぇ(笑)?

 

ソ連初の原潜を襲った悲劇

 冷戦真っ直中の 1961年のこと。米ソ両大国はお互いを睨みつつ、不毛な軍拡核競争を続けていた。そんな一方の当事国ソ連では、原子力潜水艦の配備でアメリカの遅れをとっているのが悩みのタネ。何とか追いつき追い越さねばと焦りに焦り、同国最初の原潜開発に奔走している真っ最中だった。

 ここソ連ムルマンスクの海軍基地では、ソ連発の原潜「K-19」が今まさに出航めざしてハイピッチで建造中。平行して乗組員の訓練も建造と同じく突貫作業で進められていた。

 だがソ連政治局員の見守る中で行われたミサイル発射訓練は失敗。政治局員の激しい叱責に、「K-19」初代艦長を仰せつかったリーアム・ニーソンはさすがにキレる。物資は満足にない、人材も未熟、しかも時間はないという三重苦の状況に、この失敗の責任は軍ならびに政府のトップにありと噛みつく。だが、これは強権政治がまだ罷り通っていた当時のソ連では御法度の振る舞い。「良心の人」ニーソンはたちまち政治局のお偉いさんたちに睨まれることと相成った。

 そのためニーソンはたちまち艦長を解任。代わって艦長を務めることになったのが、国家に忠誠を尽くす典型的ソ連軍人ハリソン・フォード。だが、何分にも時間がない。そこで引き継ぎの手間を省くため、ニーソンは艦長から降格して副長として艦に残るという変則人事が行われることとなった。

 代わってやって来たフォード新艦長も、装備や人員の不備に目を覆うが、そこはそれ職務に忠実なソ連軍人としては弱音は吐けない。突貫作業に疲れて思わず居眠りの原子炉技師をたちまち解任すると言い放ち、自らの威厳を誇示する強権を発動した。だが、これにニーソンが意義を唱える。

 「彼は原子炉を熟知したベテラン。彼は解任しないでくれ!」

 だがフォード艦長は言うことを聞かない。最初は職務を全うすべく降格にも文句を言わなかったニーソンだが、これにはいささかフォード艦長に不信を抱かずにはいられない。

 副長ニーソンがこれなら下の者だって同じ事。ポッと出の艦長に何が出来ると、内心不満タラタラだ。それでも艦のチームワークのためと割り切って、何とか部下たちを抑えるニーソン。まぁ、最初からこの艦にはケチがついていたと言えば言える。

 さらに完成を祝ってのセレモニーでシャンパンを艦にぶつけて祝福する儀式では、肝心のシャンパンが割れない。不吉な予感はいやが上にも増す。積み荷の薬品が違っていたと慌てて車を追いかけて船外に出た船医は、トラックに轢かれて即死する。ますますイヤな雰囲気が艦に漂う。解任した原子炉技師の代わりに来たピーター・サースガードは学校出たてのお坊ちゃんと来て、フォード艦長もさすがに不安を隠せない。

 それでも出航は強行された。めざすは北極圏でのミサイル発射実験だ。

 ところがフォード艦長は乗員の志気が低下していると見るや、連日連夜の抜き打ち訓練を実施。これには乗員が音を上げる。無茶な訓練の連続に、ケガ人まで出る始末。さすがに艦の上官たちの中にも、フォード艦長の資質を疑う者が出てきた。

 そもそもフォード艦長、父親こそ革命時の英雄だったものの、その父親も最後は収容所に政治犯として送られたという過去を持つ。今でこそ彼も軍でそれなりの地位に上りつめたものの、それとても政府高官の娘と結婚出来たからだと白い目で見られるテイタラクだ。この無茶な強権発動も、そんな自分を部下にバカにされたくないためではないか?

 しかも目的地近くにやって来たところで、今度はいきなり艦の急潜行を命ずるフォード艦長。周囲の反対押し切って、いきなり艦の耐久限度水深300メートルまで潜るという無茶ぶりだ。潜ったら潜ったで、今度は急浮上。水面には氷が張りつめていると進言するニーソンだが、フォード艦長は聞く耳を持たない。極限状況が訪れた時を考えた時、厳しい状況下での訓練が必要なのだと言い張るのみだ。

 案の定、いきなり浮上した艦は氷の壁の抵抗に合う。物凄い衝撃を食らいながら、「K-19」は無理やり氷をブチ割って浮上した。これにキレたニーソン副長は、職場放棄して自室に引っ込んでしまう。

 早速行われたミサイル発射実験は大成功。緊張が張りつめていた艦に、一時の安堵が満ちる。

 一連の作戦を終えたフォード艦長は、自室に引っ込んだニーソン副長を訪ねると、職場放棄を上に報告すると告げた。もはや両者の関係は最悪。だがニーソンも負けてはいない。

 「今回、あなたはたまたまラッキーだっただけだ!」

 間もなくモスクワから新たな指令が届く。アメリカ東海岸を射程距離に置いた水域に移動せよと言うのだ。早速次の目的地へと航海を開始する「K-19」。だがその時には、異変はすでに起こっていた。

 何と原子炉の冷却装置に事故が発生したのだ。どんどん加熱を続ける原子炉。異例の事故は新人技師のサースガードの手に余る。このままでは加熱を続けた末に原子炉は大爆発。そうなれば艦の乗員が全滅するだけではない。今や「K-19」はNATO基地を間近にした海域にいた。爆発はこの基地をも襲う。近くに偵察中のNATO艦船も巻き添えをくう。冷戦下のこの事態は、ソ連軍によるNATOへの核攻撃と見なされるに違いない。そうなれば第三次世界大戦の勃発になることは目に見えている。

 慌てて軍上層部に連絡をとろうにも、例の急潜行急浮上が災いしたか通信アンテナが損傷して、遠距離への連絡は不可能だ。

 この事態にニーソン副長は、近くで連絡可能なNATO駆逐艦への救助要請を進言する。だが、敵に「K-19」を明け渡すような国家への裏切り行為は承認できないと、フォード艦長は頑強に突っぱねる。そんなこんなしているうちにも原子炉の温度は上昇を続ける。さぁ、どうする!

 たった一つだけ方法があった。

 乗員用の飲料水タンクからパイプを原子炉まで引っ張って、原子炉を水で冷やせばいい。確かに名案であるこのアイディアには、しかし致命的な問題があった。誰がそのパイプの溶接作業を原子炉内で行うのだ?

 原子炉要員のクリスチャン・カマルゴ他数名が、この決死の作業を命じられた。中には例の新人技師サースガードも…。だが彼は心底怯えきっていた。故郷に残した婚約者との婚礼を控えていた彼は、こんな危険な任務に堪えがたい思いを隠しきれなかったのだ。

 しかも彼らの作業服を点検したニーソンは、さらに驚愕の事実を知った。何と急場しのぎの整備が災いして、この艦は原子炉作業用の防護服を装備していなかったのだ。あるのは毒ガス化学兵器用の防護服のみ。これでは丸腰で原子炉に入るようなものだ。それでもニーソンは、それを原子炉用と偽って送り出す他はなかった。

 二人一組で原子炉に入り、パイプの溶接作業が始まった。放射能が充満する中での作業は困難を極めたことは言うまでもない。一組10分との制限付きで入ったものの、出てきた時には全身に焼けたような爛れが生じ、激しく身震いしながら嘔吐する作業員たち。もはやこれにはフォード艦長もニーソン副長も正視に耐えない。だが、作業は貫徹しないわけにいかない。そんな中、ついに怯えきったサースガードは、原子炉に入るのを拒んで逃げ出してしまった

 そんな献身的作業の末、何とか原子炉は冷却し始める。危機は回避された。だが、艦の中には晴れがましさはなかった。作業にあたった若者たちの瀕死の姿を見て、明るい気持ちになれる者がどこにいよう。まして仲間たちを横目に逃げ出したサースガードは、居ても立ってもいられない敗北感を味わっていた。

 しかも、ほどなく開始された放射能測定で、艦内に放射能汚染が広がっていることが明らかになる。もはやこの艦は機能しているとは言えない。またしても上官たちの間で、フォード艦長への不信感がつのっていく。

 そんな折りも折り、下がったはずの原子炉の温度がまたしても上昇を始めるではないか。実は決死の作業で行われた溶接作業もまだ不十分で、接合部分に穴が開いてしまったのだ。

 この事態に艦内では一触即発。今度こそNATOに助けを求めようと言うニーソンだったが、フォード艦長はまたしても拒否。いよいよ事態は進退窮まる状況となった。

 これに業を煮やした乗員の一部は、突如態度を急変させた。ニーソンがその場を離れている間に、銃でフォード艦長を威嚇。同乗している政治局員の力を借りて、フォード艦長の解任という挙に出たのだ。呼び出しを受けたニーソンが戻って見ると、フォード艦長は手錠につながれ一触即発の状況にあった。

 そんなうちにも原子炉の温度は上昇を続ける。

 さぁ、艦内の指揮権は再びニーソンに移行するのか? 原子炉の爆発は回避出来るのか? 

 

 

 

 

 

 

 

 

できれば映画を見た後に

 

 

 

 

 

 

 

 

キャスリン・ビグローの骨太演出

 何と冷戦下のソ連軍原潜内部での葛藤を描いた作品。それがハリソン・フォードという大スター主演でハリウッドの大作映画となること自体、何とも僕らには隔世の感があるね。何と言ってもフォードと言えばインディ・ジョーンズのような典型的アメリカン・ヒーローを演じてきた男。いやいや、それどころじゃない。「エアフォース・ワン」では誰あろうアメリカ合衆国大統領その人を演じたことだってあるんだよね。それがソ連軍人を演じるなんて前代未聞だ。確かに「レッド・オクトーバーを追え!」では、これまたショーン・コネリーというヒーロー役者がソ連軍人を演じたものの、彼とても生粋のアメリカ人ではない。だから、この企画、この主役起用は、かなり異例のものと言わざるを得ないんだよね。

 それは一つは冷戦終結から大分経っての、アメリカ人の意識の変化ってこともあるんだろう。そして、これはしょうもない理由だけど、日本の「リング」から韓国の「猟奇的な彼女」から、果ては旧ソ連の「惑星ソラリス」まで手を出さざるを得ない、ハリウッドの企画貧困という深刻な要素もあるだろう。さらには最近まで順調にスター街道を驀進してきたハリソン・フォードの、近年の出演作不振という事情もあるんだろう。だけど一番考えられるのは、今回の監督であり企画の推進者と見られる、キャスリン・ビグローって人の姿勢が色濃く出ているんじゃないか?

 この人、従来政治的な背景を持つ作品は発表していないから、そのへんの事情を作品系譜から探ることは出来ない。だが些細な点をつつかせてもらえば、かつてあのジェームズ・キャメロンの奥さんだったことがあるんだよね。キャメロンと言えばあの「ターミネーター2」で核戦争の恐怖と人類同士の対立の不毛を訴えてきた人。ハードアクションやSFXやスペクタクルのみで語られることが多いけど、「ターミネーター2」では意外にもシュワルツェネッガーの人造人間に一人も殺させていないような意外な一面があるんだよね。僕は正直言うと、「ターミネーター2」って映画史上最も派手な戦闘シーンを持つ「反戦映画」だと思っているんだよね。いささか無茶な言い分だとは思うんだけど(笑)。それに、「反戦映画」って言葉の胡散臭さも十分分かってはいるけどさ。

 しかも、キャメロンはこの作品の中でエドワード・ファーロングの口を借りて、ロシアを友好国とまで言わせている。これって意外に見過ごされている点だ。だから…と言うわけでもないが、その男と一時期とは言え夫婦であったビグローが、彼のモノの考え方にシンパシーを抱いていたと考えても不自然ではないと思うよ。こう言ったとしても、フェミニストだって別に気を悪くはしないよね。頼むよ本当に(笑)。

 しかも、ビグローの作品ってキャメロンのそれと全然違うと言うなら話は別だが、実はかなり重なる要素がある。まずは「男騒ぎのアクション映画」好きってところが共通するではないか。だとすれば、同じようなことを考えていたとしても不思議ではないと思うんだよね。

 で、僕はこの人の「ブルースチール」とか「ストレンジ・デイズ/1999年12月31日」とかって、サスペンス・アクションとしても好きなんだよ。女性監督だから女性的…なんて型どおりのカテゴリー分けをすることの愚は分かっているものの、それでも女性監督で好んでこういう題材を手がける人って珍しい。しかも今回は潜水艦の話だから、女なんて出てきやしない。確かに異色の題材と言っていいんじゃないか?

 それにしても、そんな骨太でスケールのデカイ映画を、彼女はリッパにつくり上げている。潜水艦の艦内シーンなんてうまく撮らないと単調になるけど、決して観客を退屈させない。そのへんは大した馬力だと言えるんじゃないか。

 原子炉での決死の作業など、放射能の恐怖をガキの頃からイヤと言うほど聞かされてる日本人の僕らなら、まさに凄惨で悲痛な見せ場と言えるよね。アメリカ人でこのへんをキチッと描けるというあたりもスゴイと思う。こういうところは単に頭で分かったら出来るというものではないからね。生理的な怖さにまで持ってきてるのはさすがと思えるよ。

 だから、この映画の訴えたい点、そして娯楽大作としての器やらサスペンスの描きっぷりにおいては、十分及第点は上げていいと思う。

 さて、この映画のもう一つのポイントは、先にも述べたようにハリソン・フォード主演のスター映画という側面だ。

 「サブリナ」「6デイズ7ナイツ」「ランダム・ハーツ」と興行的失敗作を連打してしまったフォードは、確かに近年かなりキツいところに差し掛かっていたと思う。年齢的にもヒーローが似合わなくなりつつあり、そういった意味での新たな役柄の模索が急がれていたんじゃないかね。作品的には僕は評価していないが、「ホワット・ライズ・ビニース」での新生面開拓は、興行的成功を収められたこともあってフォードとしては一応の成果を挙げられたと思ったんだろう。さらに新たな役柄開拓をめざしての、今回の「K-19」出演ということになるんだろうね。

 ここでの彼の新生面とは、単にソ連軍人を演じたということではない。厳格にして冷徹な典型的軍人気質の人間を演じて、映画の前半では観客の共感を得にくい人物になってしまう。そんなキャラクターをフォードが演じるって極めて異例のことだ。それもこれも「ホワット・ライズ・ビニース」を通過した今だからこそ…ということなのだろう。

 ところで僕は「ホワット・ライズ・ビニース」って、サスペンス映画として買ってないだけでなく、フォードのスターとしての今後にもあまりいい影響を与えないんじゃないかと思っていたんだよね。

 で、ここからはその「ホワット・ライズ・ビニース」をご覧になった人だけ読んでいただきたいと、あらかじめ明記しておく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ホワット・ライズ・ビニース」未見の方はここまで

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハリソン・フォードが陥った曲がり角

 役者が自らの新生面を開拓することを、僕は決して悪いことだとは思わない。十年一日のごとくヒーローを演じればいいと言うものではない。だが、役者にも個性があり、器というものがある。どんな女優でも脱げば演技開眼するというものではないのと同じように、どんな男優だって悪役をやれば役柄が広がるというわけではないのだ。

 ハリソン・フォードという役者は、今までどこか無色透明なところがあった。それが近年、性格俳優的な役者や屈折した持ち味の役者が増えたハリウッドの中で、フォードがヒーローや真っ当な娯楽作品の主役に起用され続けた所以であると思ったんだね。ハッキリ言って感情のひだのようなものを演じきれる役者ではない。その意味では器用な役者ではないのだ。だが、その無色透明感がどこかスケール感にもつながって、さまざまなヒーローを演じ続けられたんだと思う。

 ところがそんな彼が「ホワット・ライズ・ビニース」では悪役を演じた。それも今までの善人役に見せかけての悪役。あの映画でヒッチコックを意識していたフシのあるロバート・ゼメキスの脳裏にあったのは、「サイコ」でのアンソニー・パーキンスの意外性ある悪役だったんではないか。

 だが、それは「フォードだから善人…と思ったら実は悪役」という観客の先入観に訴える意外性でしかない。フォード自身は何ら複雑な性格描写演技はやっていない。だから、それはあくまで「一発芸」みたいなものでしかないのだ。彼が悪役も演じられる俳優になった訳では決してない。同じ手は二度と使えないのだ。

 しかも、この「ホワット・ライズ〜」を通過したことで、観客はヒーローや善人としてのフォードに全幅の信頼を置けなくなった。色のつかないスケール感ある役者であったはずの彼のカラーは、明らかに濁ってしまったのだ。僕が、「ホワット・ライズ〜」における彼の出演が、彼の将来にプラスにはならないと思った点はそこだ。

 そんな過程を踏んでの「K-19」出演。フォードのやりたい事は分かる。この映画の前半、彼は観客にもリーアム・ニーソン以下の部下にも、何とも理不尽としか思えない命令を連発する。観客は彼が艦長に値する資質ではないのかも…と疑い出す。そして決定的な事件が起きる。

 ところが本当は…というところが、このお話のあるべき展開だったんだろうと思う。謀反が起きてフォードが艦長解任されそうになった時、ニーソンが彼の急場を救うのは、まさにそういう展開だったんだろう。映画のラストまで見てきて、ニーソンは改めて艦長の資質を悟ったことが示される。本来艦長のとるべき態度はフォードが持っていた厳しさである…と。実はフォードこそ、華も実もある艦長の「ライト・スタッフ」なのだ…と。だから、映画の後半でニーソンはフォードを助けた。

 …はずだった。

 ところがハリソン・フォードは残念ながらそこまでの人間のひだを細やかに見せることが出来ない。厳しそうに見えて、実は本当に正しい態度を知っている男の、信念と確信と意志を体現出来てない。人間味を持った上での、職務遂行に必要なことを冷徹に判断しての行動…ぐっと腹でこらえた厳しさに見えない。例えばジーン・ハックマンが見せるような、清濁合わせ呑んだ人間味は表現出来ない。トチ狂った中小企業ワンマン社長のワガママくらいにしか見えないし、映画の後半に至ってもその印象は払拭できぬままなのだ。

 だから、ニーソンがフォードを救って武装解除するくだりが唐突に見える。謀反を起こした方こそもっともだと見えてしまう。あれでは、単にニーソンが「謀反」という手段を嫌ったという理由だけでフォードを救ったようにしか見えない。どうやらフォードはそう悪い奴ではないようだと観客が判断出来るのは、原子炉で倒れた新人技師を放射能汚染を省みず救い出すあたりの行動と、長年フォードがヒーローをやって来た実績からなんだね。しかも、その実績さえもすでに「ホワット・ライズ〜」で濁っているから、何とも不可解な気持ちが残る。これは誤算だったんじゃないか?

 しかも大スケールのサスペンスを描ける手腕を持った監督ビグローも、残念ながら人物の心のひだを描くのはあまり得意としていないように見える。

 残念なんだよね。人類滅亡を回避しようとした人々の献身的努力もちゃんと描かれている。スケール感溢れる潜水艦映画の醍醐味も、ロシア・ロケまでしたリアリティも申し分ない。それだけにねぇ。

 どうやら救わなくちゃならないのはハリソン・フォードのキャリアじゃないのか、人類ではなくて。

 

 

 

 

 

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