大穴狙い「第15回東京国際映画祭」

  Seeking for the Dark Horses in TIFF 2002

  その2

 (2002/11/04)


10月27日(日)

「天上の恋人(「恋人」改題)」天上的恋人 (Sky Lovers)

 昨日はあまり天気がすぐれなかったが、この日は晴天。今年は2本しか切符を確保していないから、今年の僕の映画祭は早くも今日で千秋楽。なぜこの映画を選んだかと言えば、もうすぐ公開のチャン・イーモウの新作「至福のとき」で盲目のヒロインをつとめるドン・ジエという女の子がここでも主役を演じているから。完全に青田買い狙いの一本だ。そういや彼女、昨日の「マイノリティー・リポート」上映の際の舞台挨拶では、何とトム・クルーズに花束を贈呈する役だったらしい。その時にクルーズは彼女にキスしたとかしないとか言う話だったが…(笑)。

 

 真っ赤っかな画面にタイトルというファースト・カット。実はこれ画面一杯に広がるアドバルーン。ナントカ百貨店の宣伝アドバルーンが、なぜかそびえ立つ高山の上のススキの原っぱみたいなところに引っかかっている。都会から風に流されて飛んできたのだろうか?

 そこに火縄銃みたいなオンボロ銃を持ったオッサンがやって来る。このアドバルーンは何だ?…と見上げた隙に、ほんのちょっとの油断から銃が暴発。山々に銃声がこだまする。

 たまたまその山の上の原っぱを歩いていた少女ドン・ジエが駆けつけてみると、銃の暴発でオッサンは目から血を流して倒れていた。その銃を抱えて呆然としているところに、やはり銃声を聞きつけて若者たちが駆けつける。たまたま銃を持ったままの少女ドン・ジエを見た若者たちは、彼女が銃を撃ったものと責め立てるが、彼女は困惑したまま何も語らない。彼女を怪しんだ若者たちは見張りを一人置いて、とりあえずオッサンを背負って連れていく。ところが困惑しきった少女ドン・ジエがその場を逃げ出したため、見張りの若者が慌てて追いかけた。そこに通りかかったのが純朴な若者リィウ・イエ。彼はあのオッサンの息子で耳が聞こえないハンデを持っていた。ドン・ジエを追っていた若者は、彼女がオッサンを撃ったと説明するが、リィウ・イエには大人しげな彼女がそんなことをするとは到底思えない。優しいリィウ・イエは隙を見て彼女を逃がしてやるのだった。

 さて、そんな彼女はその後も山々をあちこちウロウロ。岩に人捜しの落書きなんかしている。一体誰を捜しているのやら。そんなウロウロしているところをまたしても例の若者たちにつかまり、あの耳の聞こえない若者リィウ・イエも加わって彼の家へ連れて行かれる。

 オッサンと若者リィウ・イエが暮らす家は、切り立った崖っぷちに建つ年期の入った家。そして、そこに流れついたのかリィウ・イエがつかまえてきたのか、なぜかあの赤いアドバルーンがつなぎ止めてある。ドン・ジエちゃんは若者たちにここまで連れて来られ、何だかんだと責めたてられた。だが、出てきたオッサンはちゃんと事故の原因を自分のミスだと言ってくれたので、ドン・ジエちゃんの潔白は証明された。

 オッサンとリィウ・イエの崖っぷちの家に落ち着いた彼女は、相変わらず一言も語らない。どうも彼女、口がきけないようだ。オッサンはと言うと例の事故で目が見えなくなってしまった。ドン・ジエちゃんがそろそろお暇しようとした時に、目の見えないオッサンがあわや火事を起こしそうになって慌てて彼女が火を消し止める一幕もあり、彼女は何となくこの家にとどまることになったわけ。

 やがてリィウ・イエは福引きで自転車を手に入れ、意気揚々と自宅に帰ってくる。自転車なんかてんで乗れないのだが、若者たちにはやされているうちに意地でも乗ろうと頑張りだす。ひっくり返ってもひっくり返っても頑張る彼は、意地っ張りでもあり無類の頑張り屋でもあるんだね

 そんな彼は近所の女の子タオ・ホンに夢中。彼女、こんな山の中の女の子にしては妙に色気づいて可愛い。着ているものもチョイと派手だし、時にはヘソなんかチラつかせているから、リィウ・イエは彼女にクラクラ。しかし口べたなのが玉にキズ。おまけに文盲。そこで近所に住む獣医の若者の家に水を汲んで上がっていっては、彼にタオ・ホンあての恋文を書いてと頼む。だがその時にこの獣医の表情に陰りが浮かぶとこまでは、脳天気なリィウ・イエは気づかない。

 実は暇な時にはトランペットなんぞ吹いてる、この近所でもインテリの彼もまた、この色気づいたタオ・ホンに気があるわけ。しかも彼女の方も彼にその気が十分。知らぬはリィウ・イエばかりなり。そんな彼を見つめるドン・ジエちゃんもまた、秘めた想いを胸の内にしまっている。そうとは知らないから、タオ・ホンちゃんにそそのかされれば、血まみれになりながら自分の頭をバリカンで刈ってしまうリィウ・イエはホンマもんのアホ。だが、女に惚れれば男はみんなアホになり下がるものなのだ。

 獣医に恋文書いてもらってご機嫌のリィウ・イエだが、それをたまたま見かけたドン・ジエちゃんは、激しくこの手紙に反応する。早速彼女の家に持っていこうとするリィウ・イエを、何とか思いとどまらせようとするのだ。字が読めないリィウ・イエは、この手紙に書いてある意味が分かってない。実はこの手紙、例の獣医が自分からの恋文として書いていたのだった。そうとは知らず、ドン・ジエもしゃべれないので何が言いたいのか分からないリィウ・イエは、よせばいいのにホイホイとこの手紙をタオ・ホンちゃんの家に持って行ってしまうんだね。

 その後もリィウ・イエはまさかそんな事になっていると知らないから、タオ・ホンちゃんに言われれば何でもやってあげる。一方でオッサンがせっかくまとめてくれた未亡人との縁談も冷たくブッ壊す。そんなこんなしているうちに、獣医とタオ・ホンちゃんは急速接近。時に彼女を快く思っていない獣医の姉が邪魔に入るが、そんな時は不甲斐ない獣医を挑発するがごとくタオ・ホンがリィウ・イエをその気にさせるから、彼も振り回されっぱなしで気の毒だ。

 しかもドン・ジエちゃんの気も知らないリィウ・イエだからして、タオ・ホンの名前の書き方を教えてくれなんてデリカシー・ゼロの頼み事をする始末。泣く泣く彼に名前の書き方を教えてやるドン・ジエちゃんの胸中を誰や知る。

 その頃、街で研究所の職が見つかった獣医だが、タオ・ホンを連れていく約束を姉に反故にさせられてしまう。一緒に街に出ようとしていたタオ・ホンはガッカリ。これはさすがにショックで、部屋に閉じこもって泣き暮らす。

 そんな折り、タオ・ホン一筋の息子が不憫なオッサンは、土産に牛一頭持ってタオ・ホンの家に乗り込む。彼女の両親に正式に縁談の申し込みだ。だが、牛は突っ返されてしまう。

 かくなる上は熱意しかない。オッサンは息子リィウ・イエとドン・ジエちゃん引き連れて、タオ・ホンの家の前までやってくる。そしていきなりそこに座り込むと、一家三人で求婚のパフォーマンスをおっ始めた。オッサンとリィウ・イエは歌で、ドン・ジエちゃんは太鼓で延々訴える。見かねた村の衆が次々集まって、食べ物や飲み物の差し入れも集まった。だが、タオ・ホンの家の扉は閉ざされたまま。あまりの事に耐えかねてか、それとも愛するリィウ・イエの願いを叶えさせたい一心か、ついにはドン・ジエちゃんが出すこともなかった叫び声まで絞り出すに至ったものの、ついに願いは叶えられなかった。

 やがて獣医は姉に引きずられるようにして、彼女を置いて村から出ていってしまう。これはさすがにショックのタオ・ホンは、家に籠もったまま。

 やがて村で映画上映会が開かれた折り、ついにタオ・ホンがみんなの前に現れた。そしてリィウ・イエの隣りに座る彼女。これには彼も有頂天。すべてはうまくいくかに思えたが…。

 何と彼女は獣医の子を身ごもっていた。この告白に顔面蒼白になるリィウ・イエは、その夜は家に帰って来なかった。

 彼が心配でたまらないドン・ジエは、あちこち足を棒にして探しまくるが見つからない。大好きだった自転車も水の中に投げ込まれていた。やっと戻って来たリィウ・イエは、すっかり放心した表情で爆竹を束にして持っていた。そして次から次へと火をつけて爆発させるリィウ・イエ。そんな彼を見かねてか、ドン・ジエちゃんは思わず彼の名前を叫ぶ

 これで彼の気持ちは正気に戻った。

 ドン・ジエの気持ちを知った彼は、彼女をいたわりながら新たな生活を考えるようになった。久しぶりに家に平和が戻ってくる。ドン・ジエも彼の優しさに、喜びを噛みしめる日々だったが…。

 何とも無情なことに、彼女がたまたま山道を歩いていた時、リィウ・イエとタオ・ホンが楽しそうに戯れているのを見かけてしまうのだった…。

 

 

 

 

この後にエンディングが明かされます。

読みたい方はどうぞ(笑)。

 

 

 

 

 中国の山奥の村を舞台にした若者たちの恋物語。映画のあとで行なわれたティーチインには、監督のジャン・チンミン、主役の二人ドン・ジエとリィウ・イエも参加したが、いずれも海抜1000メートルを超える高山での撮影の困難さを語っていた。

 このティーチインでは監督のジャン・チンミンがかなり流暢な日本語をしゃべって観客を驚かせたが、この人かつて日本で映画を学んだことがあるとか。それでこの映画、松竹を追われた奥山和由が絡んでいるのか。ジャン・チンミン監督この映画が二作目ということだが、かなり恵まれた制作体制をとらせてもらったみたい。この映画の音響などポスト・プロダクションも日本で行なわれたらしいし、再びリィウ・イエを起用した次回作も日本ロケで撮影されるようだ。

 映画そのものは、正直言ってあまり語り口がうまいとは言えない。口のきけない少女が兄を探しているらしいことが映画の初めの頃に提示されるけれど、後でその設定が伏線として活かされることもない。そもそも、なぜか彼女が耳の聞こえない青年の家に居着いてしまうことが妙と云えば妙だ。口のきけない少女と耳の聞えない青年、そして目の見えなくなったその父親…それぞれハンディキャップを持った三人が共同生活を営むようになるところから、コミュニケーションの何たるかを表現したいという意図は何となく感じられるんだけど、だから何なんだと言えなくもない。そういう意味ではこの脚本はあまりうまいと言えないし、あるいはそれを絵で表現しきれていない演出も拙いと言える

 それでもこの映画には力がある。それは演技者たちがとても魅力的だからだ。「至福のとき」でチャン・イーモウに抜擢されたドン・ジエは、さすがに可憐で健気で「初恋のきた道」のチャン・ツィイーのように人気が出そう。しかもこの「恋人」を見る限りでは、チャン・ツィイーがいささかやり過ぎていてカマトトにさえ見えてしまったのに対して、小器用さが感じられないぶんリアリティがある。リィウ・イエはすでに「山の郵便配達」で日本にお目見えしているようで、ちょっと単純素朴演技をやり過ぎてアホに見えるところもあるが、まぁウソっぽいイヤミはないから悪い気はしない。そしてちょっと派手めの娘を演じるタオ・ホンもなかなか。こんなドが付きそうな田舎の山の中の娘にしては垢抜けてるかな…とは思うが、清純なドン・ジエとの対照で見せる役だからこれくらいでいいのだろう。

 さらに高山の上の風景の圧倒的凄さと美しさ。耳の聞えない青年が危なっかしくフラつきながら自転車をこぐシーンがあるけれど、それが本当に命に関わるほど危険に見えてしまうような、ものすごく高く切り立った崖の上の暮らしなのだ。これには圧倒されてしまう。

 そして当然ながらそんな山の上での暮らしの珍しさ。これは実際のところはどうなのか分からないが、耳の聞えない青年のために一家総出で、相手の娘の家の前まで求愛の歌を聞かせに行くあたりは何とも珍しい。こういう習慣って本当にあるんだろうか? これやられたら相手の家もたまったもんではないと思うが(笑)。

 そして、そんないろいろよりも大きな魅力がこの映画にはある。それは、ゴチャゴチャした余計なものを取っぱらって、恋愛の本質を見せてくれるところだ。それも恋愛の甘さでも大切さでもない、恋愛に直面した時の人間の愚かさ残酷さだ。

 耳の聞えない青年は色気づいた娘に夢中だが、その彼女が獣医の男に気があることを気付いていない。実は獣医の男も色気娘に気があって、自分の目的を遂げるためだったら自分に良くしてくれる耳の聞えない青年だって裏切る。平気で利用する。そして色気娘はチヤホヤされるのが悪い気がしないから、耳の聞えない青年の気持ちを知りながらも挑発して弄ぶ。誠実で善良な耳の聞えない青年は、この二人にあくまでコケにされ続けるのだ。

 だがこの青年とても、実は残酷さで言えばこの二人といい勝負なのだ。父親の世話した縁談相手の未亡人に対して、無礼としか言えない冷たい態度をとる。自分を陰ながら慕っている口のきけない少女に、わざわざ惚れた女の名前を書かせる。

 確かに彼は分かってなくてやっているだけ罪はない。だがそれが悪い事と知っててやってる獣医と色気娘にしたって、自分たちのやっていることがどれほど残酷なことかは分かってはいまい。こと恋愛のことになった時、人はどこまでも徹底的に自己中心的で無神経で愚鈍で残酷なものなのだ。それは僕などもこの年齢になると、イヤというほど経験しているし実感している。だからそう無思慮でバカなことはやらなくなるし、他人の大抵の愚行にもある程度までなら目をつぶれる。まだ若いうちは、人間なかなかその愚鈍さ残酷さにまで思いが至らない。だがやられてる当人には仕方がないでは済まされない。そんな「痛み」の実感が、ここにはかなりリアルに表現されている。素朴な若者たちの純粋で粗削りな心情が、ナマで放り出されたような身につまされ方だ。これは妙に技巧を持っていない、うまくない演出だからこそ、愚直な語り口だからこそ獲得できたものなのだろう。

 そんな愚直そのものの表現で若者たちの葛藤を「まんま」ザックリと描き、山の上の風景と珍しい生活を「そのまま」写しとったようなこの映画。だから僕なんかは見ていて、不器用ながら誠実なリアリティの映画として好意的に見ていたんだよね。

 ところがとんでもないことがこの映画に起きる。何と言えばいいのか言葉で説明するのがきわめて難しいのだけれど、“ビックリ”は、この映画のエンディングに唐突に登場する。

 

 

 

 

この後にエンディングが明かされます。

引き返すなら今ですよ。

 

 

 

 

 耳の聞えない青年リィウ・イエの気持ちがまたしても色気娘タオ・ホンに移り始めていると思った少女ドン・ジエは、自分が身を退くことを決意してリィウ・イエの家を後にする。そんな彼女の気持ちやらモロモロを悟って呆然となるタオ・ホンは、なぜかオロオロしているうちに村にやって来たポラロイド写真カメラマンの記念撮影の輪の中に巻き込まれる。記念撮影は背景に美しい山々が拡がる崖っぷちで行われるが、たまたまそこに例の赤いアドバルーンがつなぎ止めてあったため、カメラマンはタオ・ホンにその綱を持たせてポーズをとらせる…。

 このくだり、先にも述べたように演出と脚本が下手なせいか、ここでお読みのごとく登場人物の心理状態がよく見えないし、その場面がどう描かれているのか展開がスッキリ説明できない。書いている僕自身何とも歯がゆいのだが、どうか我慢して読んでいただきたい。問題はこの後だ。

 …アドバルーンの綱を握ったタオ・ホンは、自分の意思か、はたまた突然吹いてきた強風のせいか、アッと言う間にアドバルーンにつかまったまま崖から引き離されてしまう。そして空中に浮かんだまま、アドバルーンにぶら下がって山々の間を流されて行ってしまう。…みなさん、分かりましたか? 彼女はアドバルーンの綱を持ったまま、みんなが見ている前で空中に浮いて飛んで行ってしまうのだ(笑)! しかも彼女が綱を持ったまま呆然とした表情のバストアップのミドルショットもあり、背景には山々の風景が合成してある(笑)。これがまるで「メリー・ポピンズ」みたいなわけ(笑)。ちなみに彼女はおびえた必死な表情はしていない。慌ててリィウ・イエやドン・ジエがその後を追っていくが、プカプカ浮いたまま遥か彼方の山々の向こうに消えていく。そこになぜか口がきけないはずのドン・ジエのナレーションがかぶさって…「彼女は空に飛んでいって消えてしまった」…いやぁ、これはどう解釈すべきなんだろう(笑)?

 念のために申し上げていくと、彼女が苦しそうに綱につかまっている表情はないし、当然のことながら力尽きて墜落する描写もない。ただプカプカと本当に文字通り「メリー・ポピンズ」のように飛んで行ってしまう。それまでリアルで素朴な映画だとばかり思っていたから、これには意表を突かれてビックリしたよ。唖然とした。

 しかも上記のドン・ジエのナレーションが流れ始める頃には、画面は飛んでいく赤いアドバルーンをとらえた映像から、なぜか空撮のカメラに切り替わっている。ゆっくり山々の風景をなめるように写し出したあげく、いつの間にか空撮カメラは下界の大都会の風景をとらえ始めるんだね。この空撮ってアドバルーンの彼女の視点ってことなんだろうか? ってことは、彼女はそのままプカプカと都会まで漂って行ったってことなのか(笑)? 愛していた獣医の行った都会にたどり着いたってことなのか?

 ま、最初と最後を赤いアドバルーンで締めて、だからこそタイトルも「天上的恋人 =Sky Lovers」ってことなんだろうけど、まるで釈然としない。ひょっとして「ルナ・パパ」なんかのセンを狙ったんじゃないかとは思うけど、ここだけやけに唐突だし、ちょ〜っと違うんでねえの(笑)?

 映画の後のティーチインでは、みんな遠慮してたらしくなかなかこのエンディングに触れなかったが(笑)、ついにある観客がこの描写について監督に質問した。この時に場内は大爆笑となったくらいだから、実は見た人はみんな内心「ありゃ何だ?」と思ってたんだろうね。監督は憮然としながら「映画にはリアリティばかりでなくファンタジーも必要だ」などと訳の分からないことを言ってたけど、そういう問題じゃないだろ(笑)

 ともかく豊かな自然描写と素朴な感情をリアルにとらえた誠実な作品と思いきや、エンディングで思わぬ展開を見せてビックリ。正直言って特殊効果もイマイチで画質がガクッと落ちちゃうから、それまでの美しい映像も台なし。それまではソコソコいいのにエンディングのツメがマズいってあたり、いかにも日本映画にありがちな展開だけに、この監督が日本で映画を勉強したのがマズかったんだろうかと思っちゃったよ(笑)。それとも最初から分かっていたように、単にこの監督がヘタクソってことなんだろうか?

 捨てがたいイメージと演技とお話を見せてくれているだけに惜しいということもあるが、このトンデモなエンディングそのものも一見の価値アリと個人的には思うので(笑)、ダメ映画です…の一言では切り捨てられないんだよねぇ。

 だから、これ機会があったら絶対映画好きは見た方がいいよ。後々まで語り草になるかも。出来損ないだけどね(笑)。

 

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