大穴狙い「第15回東京国際映画祭」

  Seeking for the Dark Horses in TIFF 2002

  その1

 (2002/11/04)


 また今年も東京国際映画祭の季節がやって来た。

 大嫌いな渋谷にまた通わねばならない。だが、今年のラインナップはイマイチ僕にはピンと来ない。例年恒例だった韓国映画の物色も、近年の韓国映画大人気でチケット入手が困難。すっかりイヤ気がさして最初からパスだ。僕が「穴狙い」をしていた「シネマ・プリズム」も、今年から発展的解消をして「アジアの風」なる妙なプログラムに変わってしまった。結局入手したチケットは2枚だけ。ま、無理してまで見ることはないわな。


10月26日(土)

「大酔侠」大酔侠 (Come Drink with Me)

 僕にとって「血斗竜門の宿」以来、東京国際映画祭と言えばキン・フー、キン・フーと言えば東京国際映画祭だ。亡くなる前のキン・フーその人を見ることが出来た。だから今年もこいつを逃がすことは出来ない。

 キン・フーが台湾に渡る前、香港ショウ・ブラザースに残した作品で、「血斗竜門の宿」(1967)以前の大ヒット作と言う。それだけでも血が騒ぐ。

 今年の東京国際映画祭では、ショウ・ブラザース回顧上映として5本の映画を上映する。そのうちの一本としてこの「大酔侠」が上映されるのだ。しかも何と今回の上映、1966年のこの作品をデジタル処理して、映像・音声ともに修復してのお目見えだ。何でも香港のセレスティアル・ピクチャーズという会社がショウ・ブラザース作品のデジタル修復作業を進めている中での、「大酔侠 」リニューアル。昨今のDVD化を睨んでの作業であろうかと期待が膨らむ。こうなりゃほぼ同じ時刻に行われる「マイノリティ・リポート」のオープニング上映なんか構ってられない。会場に到着したトム・クルーズ、スティーブン・スピルバーグを迎える大歓声を横目に、僕の胸は興奮に高鳴るばかりだ。

 

 いきなり出てきたショウ・ブラザースのワーナー・ブラザースのバッタもんみたいなロゴ(笑)。この安っぽさもたまらないが、何しろ画面のクリアさに圧倒される。クリアだから安っぽさもひとしお(笑)。キン・フーお得意のシネマスコープ・サイズの特大横長画面にスカッと晴天の山々が写し出されると、その美しさに思わずおおっと声が出そうになる。何だか大名行列みたいな兵士たちの行進。籠にはお偉いさんが乗っているらしい。なぜか鳥カゴみたいなものにつながれた囚人も護送している。その一行の前に立ちはだかった一人の白装束の男(チェン・ホンリエ)。どこか高貴な人物の風格さえあるこの男は、行軍の兵士一人に手紙を託してお目通りを伺う。だが、その手紙には「囚人を放せ」との文言が。これはワナだ。

 男は特大の扇子を取り出し一振りすると、そこから仕掛け針が飛び出し兵士を倒す。見ると周囲の山々から賊が次々出てきて、兵士たちをメッタ斬りだ。たちまち行軍は全滅。籠に乗った若き長官は引きずり出された。賊が立てこもる寺院の隠れ家に連れて来られた若き長官は、縄で縛られつるし上げられて、例の白装束の男の率いる賊たちに責め立てられる。何でもこの賊たちの頭が捕らえられているので、それを釈放しろというのがこいつらの言い分。だが若き長官はあくまで拒否。ならばこの長官と賊の頭を交換条件で交渉するまでだと言い放つ。この地の総督はこの長官の父親。長官を人質にとれば、言うことを聞くはずというわけだ。

 だがその時、賊の一人から「金燕子」なる名前が出てくる。金燕子が乗り出すと事は面倒になるというのだ。この金燕子なる人物、賊の頭を捕らえる際にも大活躍した腕の立つ者らしい。さて、その金燕子なる人物とは、果たしていかなる者なのか?

 その付近のとある旅籠に、ある一人の人物が現れたのはそれから間もないある日のこと。その人物、キリリとした若い剣士の格好をしてはいるものの、その面影も幼げな可愛らしい娘(チェン・ペイペイ)。だが、その眼光の鋭さに意志の強さが見てとれる。旅籠の一階はだだっ広い酒場となっていて、その日も多くの人々でごった返していた。その店の片隅に腰を下ろしたこの娘剣士、注文を聞いた店の者に「虎の骨入りの酒をくれ」などと言い放つものだから、店内に異様な空気が流れ出す。見るとこの店内には、先に長官の行軍を襲った賊の一味が多数紛れ込んでいた。どうも今回この場を仕切るのは一味の中の「笑い虎」と称する男。そう。「虎」とはこの賊たちの総称でもあるわけだ。この「笑い虎」、扇子を取り出して合図を送ると、客に紛れ込んでいた一味の連中が動き出す。ヤバい空気を察した他の客は、みんなスゴスゴ逃げ出した。店の中には例の娘剣士と「虎」の一味だけ。なぜか外は一天にわかにかき曇って、激しい雷鳴が轟く一触即発の雰囲気が流れ出す。

 一味の一人が店の扉を閉めたその時、そこに手を挟んで悲鳴を上げる間抜けな男が一人(ユエ・ホア)。無精ヒゲの貧相なこの男、どうしても酒が飲みたいと無理やり店内に入り込んだ。この店のただならぬ空気など、全く感じていないかのようだ。

 だがこの娘剣士、実はただ者ではない。賊の一人が酒壷を投げつけると、ぽ〜んと放り出す。バラ銭を投げつけると手近のクシに全部刺してしまう。椅子を投げつけても軽くはね返してしまう。さすがの賊もこれには色めきたった。

 あげくこの娘剣士、遊びはこれまでとばかり「笑い虎」に直談判だ。長官を放せ、いや捕らえられた頭を放せ…と両者一歩も譲らない。ここでこの娘剣士はその素性を明かした。何と彼女、例の長官の妹だと言うのだ。

 しまいには賊たち総出で娘剣士に襲いかかるが、まるで歯が立たない。みんなやられてケガ人続出。これにはまいった。

 結局賊は三日の猶予を与えると捨て台詞を吐いて退散。娘剣士はこの旅籠に宿を取って、二階に上がっていった。

 寺の隠れ家に舞い戻った賊たちは、例の白装束男に事の次第を話す。白装束男も敵の侮りがたい力に驚いていた。そんな時に部屋を覗く人影が!

 白装束男の放った針に倒れたのは、この寺の小坊主だった。だが受けた針は毒針。「楽にしてやる」とばかりにこの小坊主にとどめを刺す白装束男は、正真正銘の冷酷非道な男に違いない。それにしても寺の主の留守中に上がり込んだこの賊たち、何故にこの寺に居座っているのか。白装束男は配下の者に命じて、夜の闇に乗じて宿の娘剣士を襲えと命じるのだった。

 その頃、宿の部屋でホッと一息の娘剣士だが、何者かが部屋に入り込もうとしたため逆襲をかける。すると、部屋にやってきたのは先ほどの無精ヒゲの貧相男。何でも部屋は雨漏りがひどいし、一緒に酒でも飲まないかという申し出だった。こんな非常時にあんまりにアホな申し出とにべもなく追い返した娘剣士だが、見ると寝床に隠した自分の剣がなくなっている。まさか、あの貧相男ごときが?…と怪しんでいると、この男まるで彼女をからかうように剣を持って逃げ回るではないか。まんまと外におびき出された彼女が剣を取り戻して宿に戻ってみると、宿の彼女の部屋の寝込みを襲おうと賊が侵入してきた真っ直中。彼女が部屋にいたら、確実にやられていたはず。連中の隙を突いて撃退した娘剣士は、あの無精ヒゲの貧相男をちょっぴり見直していた。

 さて翌朝のこと、例の貧相男はみなし子たちを集め、楽しい歌で店の客たちを楽しませて金を稼いでいた。その場にやって来た娘剣士の態度は一変。先輩、先輩と尊敬の念で語りかけるが、貧相男はまるで相手にしない。それでも彼に礼を言った娘剣士は、貧相男がまたしても子供たちとうたう歌に目を見張った。

 罪人を運ぶ途中の長官が襲われて人質になったよぉぉ〜。それでやって来たのは金燕子ぉぉぉ〜。

 これは絶対訳知りの人物に違いない。彼女は必死で長官の居場所を教えてくれと貧相男に尋ねるが、のらりくらりと煙に巻くばかりで話にならない。

 「先輩、先輩って、俺はただの酔いどれ猫なんだよぉ」

 このつれない返事にカチンと来た娘剣士。だが、「酔いどれ猫」はやはりただ者ではなかった。いきなり妙ちきりんな歌をうたいだすではないか。

 点に横棒書いてよぉ〜、南に下ってチョンとはねて、十が二つに、日の隣りに月があったとさぁ〜。

 何を歌ってるんだと憤慨するばかりの娘剣士だが、よくよく歌の歌詞を考えてみれば…なになに? 字にして書いてみると「廟」…これって寺院のことではないか

 早速、娘剣士は清楚な娘装束に着替えて、近くの寺に出向く。お参りするふりをしながら様子をうかがうと、出てきた出てきた…あの白装束男が現れて、妙に馴れ馴れしく話しかけてくるではないか。

 ふと気づくと回りを賊どもで取り囲まれた。扉も閉ざされた。絶体絶命。またしても大立ち回りの始まりだ。だが、例によって雑魚どもではこの娘剣士にはてんで歯が立たない。

 いちいちキメキメ・ポーズの白装束男が娘剣士に口をきくと、彼女は今降伏すれば情状酌量の余地もあると一歩も譲らない。自らを「麗面虎」と自称するナルシストの白装束男は、いよいよ自ら剣をとって彼女とやり合うことになった。さすがに強い。娘剣士危うし!

 ところがなぜかその時、閉ざしたはずの窓の鎧戸がば〜んとはずれた。その機に乗じて屋外に逃れる娘剣士。延々とチャンバラが続く中、雑魚は難なく叩くこの娘剣士も、例の白装束「麗面虎」にはやはり手こずっていた。どんどんと押されていく彼女が剣を奪われもんどりうって倒れ、あわや「麗面虎」にとどめを刺されようとしたちょうどその時…。

 なぜか転がってきた饅頭で「麗面虎」が足を滑らせた。その隙に娘剣士は危うく難を逃れた。さらにどこからともなくはじき飛ばされた彼女の剣も手元に戻ってくる。一体誰だ? 誰がいるのか?

 案の定、例の貧相な無精ヒゲ男「酔いどれ猫」が、この寺の中に潜入していたのだ。

 ともかくここは退却と、娘剣士が塀を上って逃れようとしたちょうどその時、「麗面虎」が放った毒針が彼女を襲った。何とか寺からは脱出した彼女だが、針の毒は徐々に体の自由を奪っていく。なぁに、あの女が捕まるのも時間の問題とばかり、「麗面虎」は余裕でほくそ笑む。

 案の定、娘剣士は森の中で意識を失った

 気づいたところは見知らぬあばら家。近くに滝のある渓流が流れ、森に囲まれた静かな住処。そこはあの無精ヒゲの「酔いどれ猫」の隠れ家だった。何とか床から起きた娘剣士は、「酔いどれ猫」に食ってかかる。敵が待ちかまえていると知って、わざと寺を教えたな!

 だが「酔いどれ猫」はニヤニヤ笑って取り合おうとしない。オマエの悪いところはすぐにカッとなるところだ。これで少しは薬になったろう。怒る娘剣士もまだ傷が癒えていないため、「酔いどれ猫」には逆らえない。だが、そんな二人の前にあの賊の追っ手がやって来る。「酔いどれ猫」を侮っているこの男たちは、彼に娘剣士を引き渡せと脅しにかかった。だが次の一瞬、賊は一人残らずこの世のものではなくなった。恐るべし「酔いどれ猫」。この凄まじい腕前を目の当たりにして、さすがに鼻っ柱の強い娘剣士も「酔いどれ猫」に対する見方を変えざるを得ない。

 次の日、「酔いどれ猫」は例の寺に賊たちの死体を運んでいった。白装束の「麗面虎」に死体を見せた「酔いどれ猫」は、娘剣士が彼らを倒したと一芝居打つ。まだ「酔いどれ猫」の正体を知らない「麗面虎」はじめ賊たちは、彼を寺に閉じこめて娘剣士をおびき出そうとする。何も知らないふりの「酔いどれ猫」は、そこでご馳走と酒にご機嫌な表情を見せながら、様子を伺っていた。

 そこに留守をしていた寺の主の大師が戻って来た。

 何とこの大師、白装束の「麗面虎」たちの仲間だったのだ。運ばれてきた死体を一見した大師は、娘剣士の仕業ではないと喝破。その手並みから、「酔いどれ猫」が怪しいと見てとった

 実は「酔いどれ猫」、この大師の弟弟子にあたる男だったのだ。大師いわく、彼は一門の後継者の印である竹竿を奪って逃げた。いまや大師と「酔いどれ猫」は敵対する関係にあると言う。

 それを聞いた賊たちが「酔いどれ猫」を捕らえた部屋に戻ってみると、彼は気配を感じてその場を去った後だった。

 さて、隠れ家に戻った「酔いどれ猫」は、滝に向かって「気」を送ったりしながらもどうも表情がすぐれない。心配した娘剣士が理由を尋ねると、彼の憂鬱はやはりあの大師が原因だった。かつて大師は一門の実権を握るために恩師である師匠を手にかけた。そこで「酔いどれ猫」は、一門の後継者の印である竹竿を持って逃れたのだ。しかしいかに非道な大師とは言え、かつての兄弟子。孤児として食うや食わずの暮らしをしていた彼を拾ってくれた恩義もある。しかも力量は大師の方が上のはずだ。歯が立たない可能性もある。だが、ここで会ったが百年目。これは決着をつける定めなのかもしれぬ。

 悩んだ末に「酔いどれ猫」は、娘剣士に驚くべき提案をする。何と賊の頭と長官を交換するという、白装束の「麗面虎」の提案に乗ってくれと言うのだ。それには同意出来ない娘剣士だったが、「酔いどれ猫」には秘策があった。ここは黙って俺の言い分を聞いてくれ。

 かくして「酔いどれ猫」は賊たちと話をまとめ、山の中腹で両者の交換を行うことになった。

 山の麓からやって来た娘剣士率いる兵士たちの一行。山の頂上からは白装束の「麗面虎」たちが迎えに出る。賊の頭をとらえた車輪のついたカゴを引いて、険しい坂の中腹まで引っ張り上げると、捕らえられていた長官もその中腹まで連れてこられて解放された。交換成立か?

 その瞬間、隠れていた「酔いどれ猫」が姿を現した!

 賊の頭をつないだカゴを奪うと、カゴはそのまま坂道をすべり降りていく。兵士たちは奪還した長官と賊の頭を連れて引き揚げていった。ところが賊たちは意外におとなしく引き下がった。それはなぜか?

 彼らはこの事態を予想していたのだ。途中の峠に近道して、兵士たち一行を迎え撃つ。たちまち始まる激しい戦闘。だが、今回は娘剣士も兵士たちも善戦した。そんな中、白装束の「麗面虎」相手に戦う娘剣士は、危うく例の扇子の毒針でやられそうになる。だが、肝心の毒針が出ない。何と「酔いどれ猫」が先に寺に潜入した際に、「麗面虎」の扇子の仕掛け針を抜き取っておいたのだ。かくして敵は敗れ去った。最後に残ったのはあの大師。ここで「酔いどれ猫」と大師の雌雄を決する死闘が始まった!

 

 デジタル修復の結果、この映画の映像は見事に蘇ったと言っていい。退色は補正され、フィルムの傷も目に付かない。まるで昨日今日製作された映画のような鮮やかさだ。デジタル・リマスターは音響にも及んでいると思われ、音のノイズも軽減されている。これは嬉しかったね。

 この作品は後年の巨匠化したキン・フー作品と違って、「血斗竜門の宿」と同様にまだそれほど気品や優美さというものは感じられない。華麗に舞うようなワイヤー・ワークもまだ見られない。だが、女剣戟の楽しさはこの人ならではのものだし、娯楽映画としての面白さもピカ一だ。始まってすぐに登場する旅籠での娘剣士と賊の緊張感溢れる戦いは、まさしく翌年キン・フーが台湾に渡ってからの「血斗竜門の宿」へと発展する見せ場だろう。そのあの手この手のアクションの趣向がまず観客を楽しませてくれる。

 そして今回顕著なのはユーモア。「酔いどれ猫」の昼行灯的なとぼけたキャラクターが笑えるし、途中何度も笑える小ネタが連発。「酔いどれ猫」が子供たちを率いてうたう歌のいくつかも楽しい。

 だが今回一番驚いたのは、この映画が明らかに「グリーン・デスティニー」に与えた多大な影響なのだ。

 もちろん「グリーン・デスティニー」を見た時に、それがキン・フー作品に捧げられた偉大なオマージュであることはすぐに見てとれた。優美なワイヤー・ワーク、しっとりした竹林で繰り広げられるアクション、女剣戟の持つ気品…それらは後年のキン・フー作品、ことに「侠女」あたりから持ってきたものだとは察しがついた。だがキン・フー最大のヒット作「血斗竜門の宿」あたりとはちょっと異質なもの…と認識していたんだね。初期キン・フー作品よりは、巨匠化してからの作品が土台になっているんだろうと思っていた。

 だがこの「大酔侠」を見て、その認識は一変したんだね。

 はっきり言おう。アクションの様式その他に関しては「侠女」など後年のキン・フー作品の影響下にある「グリーン・デスティニー」だが、その設定や展開については多くのものをこの「大酔侠」から得ている

 その中心をなすのはチェン・ペイペイ扮する娘剣士だ。

 後年のキン・フー作品の女剣戟スターだった徐楓(シー・フン)は、どちらかと言うと冷静でコワモテの大人の女優だった。それはおそらくは「グリーン・デスティニー」ではミシェル・ヨーに受け継がれているように思われる。それに対してこの「大酔侠」のチェン・ペイペイは、強いことは強いが若く未熟な面もあり、その容貌は幼げですらある。これって「グリーン・デスティニー」のチャン・ツィイーのキャラクターとピッタリ重なるのではないか? 頑張ってはいるが、やはりここぞというところで「酔いどれ猫」の後塵を拝するあたり、「グリーン・デスティニー」でチョウ・ユンファに手も足も出ないチャン・ツィイーの姿がダブってくる。「大酔侠」の前半の見せ場である旅籠での戦いも、チャン・ツィイーが酒場で男たち相手に繰り広げる派手な戦いを連想させる。「大酔侠」では毒針を体に受けたチェン・ペイペイが「酔いどれ猫」に介抱されるくだりで、胸の傷口に口をつけられ毒を吸い出されるというエロティックな趣向があるが、これなどは盗賊の若者チャン・チェンが隠れ家でツィイーを介抱するくだりの雰囲気に酷似していないか(「大酔侠」においては恋愛気分は極めて希薄だが)?

 共通点はまだある。「酔いどれ猫」と大師の間での一門の後継者としての印の竹竿を巡る攻防がそれだ。「グリーン・デスティニー」ではチャン・ツィイーに技を教え込んだ初老の女「碧眼狐」が登場する。この女はかつてはチョウ・ユンファの師匠の女であり、そこで技を伝授された。「碧眼狐」が師匠を殺して逃げたことで、チョウ・ユンファは仇として彼女を追い続けることになる。そして話のもう一つの縦糸は、チャン・ツィイーがチョウ・ユンファの名刀「グリーン・デスティニー」を奪う話だ。何となくどこか「大酔侠」の設定とダブっていることがお分かりいただけるだろう。

 しかも驚いたことに、「大酔侠」で娘剣士を演じたチェン・ペイペイは、「グリーン・デスティニー」にも出演しているのだ。一体何の役だったのだろうとDVDで確認したところ、驚くなかれ彼女の役こそこの「碧眼狐」。文字通りチャン・ツィイーはチェン・ペイペイの直系の後継者となっているのだ。これは明らかに「大酔侠」を意識した設定と言わざるを得ないだろう。

 そんな「グリーン・デスティニー」との関連を考えなくても、この「大酔侠」はキン・フー映画を見慣れた人そしてアクション映画を愛する人には楽しめる作品だ。悪役中の悪役として登場する「麗面虎」役のチェン・ホンリエの、凶悪でどこかナルシスティックな演技は、そのシーラカンス風の風貌と相まってまるでウィレム・デフォーの悪役演技を思わせる傑作さ。しかもこのチェン・ホンリエ、この映画では「二枚目」扱いされて登場するのだが、何となく出っ歯でつり目な顔が笑わせる(だからウィレム・デフォー似なのだ!)。そう言えばキン・フー映画で二枚目役としてレギュラー出演し続けたシー・チュンも、このチェン・ホンリエほどではないがどこかつり目で出っ歯だった(笑)。キン・フーの考えていた二枚目ってこういうタイプだったんだろうね(笑)。

 「酔いどれ猫」がクセ者だと分かってからも、悪漢たちが妙に彼に丁重に接するあたりとか、絶対歯が立たない相手とされていた大師が、意外にアッサリと「酔いどれ猫」に倒されるあたりとか、ちょっと妙だな〜と感じさせる点もないわけではないが、まぁそれはご愛敬。そういうのいちいち揚げ足とるヤツもいるけど、巨匠キン・フーに対するリスペクトが感じられないのはイヤだね。ともかくは映画として充分娯楽映画ファン、キン・フー・ファン、マーシャルアーツ映画ファンが堪能出来る出来映えになっている。これは見てよかった。

 トム・クルーズとスピルバーグも、これに勝つのは容易ではないよ。心してかかってくれたまえ(笑)。

 

つづく

 

 

 

 

 

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