「銀杏のベッド」

  The Gingko Bed

 (2002/06/24)


  

 それは昔むかし、今から170年前のこと。あるところに寄りそうように立っている2本の銀杏の巨木があったとさ。ところがそこに一羽のタカが舞い降りると、まるで片方の銀杏の木を憎んでいるかのようにギロリと睨む。すると天からイナヅマがピカッと光り、タカに睨まれた片方の銀杏にズドンと落ちる。激しい落雷に砕け散り、あっという間に燃え尽きる銀杏の木。あとにはポツンと残された銀杏の木が一本…。

 時は現代。仲間内を集めて、画家のハン・ソッキュの誕生パーティーが開かれていた。遅れてやってきたのは彼の恋人の外科医シム・ヘジン。パーティーが終わってみんなが帰ると、そのソッキュの自宅兼アトリエで、ボロッチいソファに横になって事に及ぶ二人。だが、そのソファはいいかげんくたびれて、どうにも按配が良くない。いいかげんちゃんとしたベッドが欲しいと思う二人の脳裏には、そろそろ「結婚」の二文字がチラついたりもしていた。

 そんな折るもおり、裏街で女をとっつかまえてレイプしようとする良からぬ男が一人。ところがそこに奇妙な闖入者が…。ス〜ッハ〜ッス〜ッハ〜ッと苦しそうな呼吸に黒装束。大昔の武者のようないでたちのこの男、さてはまさかダースベイダーか? いきなりレイプ男をふんづかまえると、「必殺仕置人」の山崎努よろしく胸の心臓わし掴み。それだけでなく、何と心臓をえぐり出すとその生気を吸い取ってしまった。いや、生気ならぬフォースか。

 その頃ソッキュは何かの幻聴か、妙な琴の音色を耳にしていた。それだけではない。見知らぬ奇妙な街角で、頭上から落ちてきた巨大な寝台に押しつぶされる夢まで見た。汗ビッショリ。ところがそれは正夢か。後日その夢に出てきた街角に出っくわすではないか。しかも、そこで例の巨大な木製の寝台を見つけるソッキュ。ハッキリ言って粗大ゴミのその寝台に、なぜか心惹かれたソッキュ。彼はよせばいいのにその寝台を、苦労して自分のアトリエに運び込んだ。かなり時代ものらしいこの寝台。枕元には男女の顔の飾りものが彫り込んであるシロモノ。おそらくは銀杏の木でつくったものらしい。

 だが、それがすべての災いの元だった。

 ソッキュが美術講師を勤める大学キャンパスに、いきなり大昔のいでたちの美女が現われる。だが、ソッキュは彼女に全く気付かない。 大体、R2D2が写し出したホログラム映像のレイア姫のように、彼女スケスケに透き通っちゃってて実体がない。だが彼がアトリエに戻ってみると、あの不気味な武者が待ち構えているではないか。なんだなんだ! 有無を言わさず襲いかかってくる武者から逃げるソッキュ。そこにあの美女が現われてソッキュを逃がそうとするではないか。逃げても逃げても追ってくる武者。だが、最後にはソッキュを武者の手から救い出す美女。もっとも、マンションの屋上からソッキュを放り出し、走っているトラックの屋根に着地させるという荒業ではあったものの…。何が何だか分からないソッキュだが、彼女はろくに説明もしない。「私が行かないと人が死ぬ」などと、訳の分からないことを告げて去っていく美女。

 そう。実は彼女はソッキュを助けに向かう時に、病院のある重傷患者の体から抜け出すかたちで現われた。そして彼女が抜け出した重傷患者は、そのまま容態が急変して死んでしまった。これが間の悪いことに、あのシム・ヘジンの担当する患者だったからたまらない。患者の遺族はヘジンをヤブ医者呼ばわり。しかもまたも間が悪いことに、この患者が葬式の最中に蘇ってしまった。死亡を確認したヘジンはますます立場が悪くなる。さらにまたもまたも間が悪いことに、死んだと確認してしまったので、この患者の角膜を移植手術に使ってしまったではないか。元気な患者を死んだと間違っただけでなく、結果的に盲人にしてしまったことになるヘジンは、医者としての最悪の危機に直面した

 確かに死んでいたのに…。

 院長からもマスコミからも患者の家族からも責められっぱなしのヘジンは、やりきれないやら腑に落ちないやらでもうパニック状態。

 そんなこんなでヘトヘトになってやっと帰宅したと思えば、いきなりソッキュが慌てふためいて飛び込んでくる。それもドツボの自分を慰めてくれるのかと思えば、やれオレはひどい目にあっただ死にそうだと一方的にまくし立ててくる始末。ひどい目にあって死にそうなのはこのアタシよ〜っと、これにはさすがのヘジンもキレるしかない。

 そんな彼女の心労をよそに、またしても妙な夢を見るソッキュ。今度は妙なジイサンが琴を持って出てくる夢だ。人生の大ピンチに立ったヘジンを放ったらかして、夢に出てきた場所を探しに行くソッキュ。またまた見知らぬ場所の工場のような建物にたどり着くと、そこには琴とジイサンがいた。

 このジイサン、どうもソッキュがここに来るのを知っていたような…そこでジイサンが語り始めたお話とは…。

 昔むかしの大昔。ソッキュは宮廷に仕える琴奏者だった。幼い頃から一緒に育ってきたお姫様と心を通わす日々。そう、そのお姫様こそソッキュを助けた美女ジン・ヒギョンだった。だが隣国の将軍が姫に横恋慕。軍勢を率いて攻め込むと、姫をさらって連れ去ってしまった。ここでみなさんご想像の通り、この将軍こそがあの不気味武者のシン・ヒョンジュン。だが姫は将軍に心を許さなかった。暴れん坊将軍ならぬ横恋慕将軍ヒョンジュンが、いくら姫を口説こうとコナカのスーツを着ようとまるでダメ。何だったら松平健と大地真央みたいに仮面夫婦でもいいと言っても首をタテに振ってはくれなかった。

 一方、琴奏者ソッキュも姫を諦め切れず、単身姫を助け出しにやってくる。しかし将軍の軍勢につかまって、またしても引き離される二人だった。これだけやればますます嫌われるのが明白なのに、まったく分かってないところが昔も今もストーカーの困ったところ。結局またしても将軍の元を脱出した姫ヒギョンは、乞食同然の暮らしをするソッキュの元へ一目散。ボロボロになって角川映画「復活の日」エンディングの草刈正雄状態のソッキュに、まるで同映画のオリビア・ハッセーみたいに駆け寄るヒギョン姫。だが一瞬早く、ヒョンジュン将軍の剣がソッキュの首をはねた。誰かこの将軍を止めればよかったものを…と言いたいところだが、オビワンでさえアナキンの姫への思いは止められない。まして、この横恋慕将軍では何をか言わんや。かくしてソッキュは首チョンパ。世をはかなんだヒギョン姫も自害。それを見たヒョンジュン将軍も自ら命を断って、ダースベイダーとなってこの世に舞い降りたわけじゃ…と、ヨーダみたいなジイサンはソッキュに語ってくれた。じゃあ、この映画は一体エピソードいくつなんだ?

 一度は銀杏の木になって転生した二人だが、またしても将軍が邪魔したのは映画の冒頭にもあった通り。そのヒギョン姫の銀杏の木が、例の寝台になったというわけだ。

 一連の話を聞いたソッキュは大昔からの因縁を思い出したか、ヒギュン姫恋しさに身悶える。ハッキリ言って、すでに現代の恋人であるヘジンのことなど頭の中にはカラッキシない。だがそんなソッキュを見かねたヨーダ老人は、この因縁を断つには例の寝台を燃やしてしまう以外にないと言い放つ。ヒギョン姫の魂を宿した寝台…だが、もう姫は今回の一連の騒動であの世の掟を破り、現世に出てくることは出来ないのだ。いっそ未練を断ち切るしかない。しかし、何とか姫を救い出したいソッキュは、ヨーダの提案を拒んだ。ジェダイの戦士はみんなヨーダの言うことに逆らうことになっている(笑)。ともかくソッキュはもはやヘジンのことなどそっちのけ。

 アトリエに戻ると、案の定ダースベイダーことヒョンジュン将軍が現われた。しかも、こともあろうにあのヘジンの体を借りて現われるではないか。「ソッキュよ、私はおまえの父だ…」

 バカ野郎、そんなギャグは「オースティン・パワーズ・デラックス」でやってるよ!…とバカにするソッキュ。だがベイダーことヒョンジュン将軍は、たかだか1960年代から現代へのギャップしかないオースティンのことなど屁とも思わない。俺は何年待ったと思ってるんだ〜と怒りの火に油をそそいでしまった。

 実はベイダーことヒョンジュン将軍は、ヒギョン姫と取り引きをした。将軍がソッキュに手を下さない代わりに、もう姫もソッキュに会わない。ただしヒギョン姫は一つだけ条件を出した。最後に一度だけ会わせて欲しい、明日の月食の間だけ…。

 そう、トートツに明日の夜は月食なのだ(笑)。

 ヒョンジュン将軍はソッキュに約束させた。必ず月食の間に姫を帰せよ、さもないとこの女ヘジンの命はもらう。ソッキュとヒギョン姫が会っている月食の間だけヘジンの魂を抜いておく、もし月食の後も姫を帰さないとヘジンはそのまま死ぬ…。

 今やすべてを知ったヘジンは、これが自分にとって千遍一偶のチャンスと悟った。いまや医師免許取消の危機が迫る彼女。月食時に医師たちの前で死亡状態になり、さらにその場で蘇ることで、自らの潔白を証明しようと言うのだ。危険すぎると腰が退けるソッキュも、ヘジンの剣幕の激しさとともに、自分も本音は姫に会いたい一心で、月食ランデブーに賭けることになった。

 さてソッキュとヒギョン姫の運命は? ヘジンは無事に生還出来るのか?

 

 まず改めて触れるけれど、この「銀杏のベッド」(1996)は「シュリ」(1999)に先立つカン・ジェギュ監督のデビュー作。映画ご覧の方はお分かりのように、当時の韓国映画には珍しい特撮を駆使したファンタジー映画だ。当然経験や技術やお金の限界があっただろうし、また今から6年前の作品ということもあって、今日の目で見るといささか拙いSFXやCGなどの技術ではある。だが、当時の韓国映画の状況を考えると頑張っていると言えるのではないか。見て一気に覚めるというほど稚拙なものではない。

 当然、現在の時点で見る側としては、「シュリ」との共通点を無意識に探ってしまう。すると…当然ながら基本構造がどうしても似ているんだね。まず、本来まったく別の世界にいて、決定的な宿命で引き裂かれる恋人たちの悲劇…ってやつを描きたいって発想が同じだ。つまんない点を挙げれば、前半部分で悪夢にうなされて汗びっしょりで目覚めるハン・ソッキュだとか、クライマックスに向かって車を飛ばすハン・ソッキュだとか…そういったイメージの残像だとか展開の持っていきかたには、確かに共通するものもある。だけど考えてみると、そんな悪夢シーンとかクライマックスの大暴走って、あの「カル」にもあったような気が…(笑)。これってカン・ジェギュがどうの…って言うより、ハン・ソッキュ勝利の方程式と言うべきかもしれないかな(笑)?

 ここでのお姫様役ジン・ヒギョンって、「モーテル・カクタス」や「ディナーの後に」でバンバン脱ぎまくり、男優と絡みかくっていた女優さん。ここでは役柄が役柄だから、あくまで清楚に振る舞ってはいるけれどね。で、ハン・ソッキュが文句なくスーパースターの地位を固めたのがこの「銀杏のベッド」…。

 そう考えると、僕にとって長く不明だった近年の韓国映画激変の空白部分も、何となくいくらか埋られそうな気がする。「ディープ・ブルー・ナイト」「鯨とり/コレサニャン」のペ・チャンホ、「外人球団」「馬鹿宣言」「旅人は休まない」のイ・チャンホら旧「韓国ニューウェーブ」映画人が1990年代に入って急速に低迷した後、たぶん韓国映画界には混沌とした状態がしばらく続いたんだろう。そしてしばらくそんな状態が続いた後で、1990年代半ばから現在第一線で活躍している新世代が台頭し始めた…と考えるべきなんだろうね。さらに先に述べたSFXやCGの多用という点で言えば、僕の知る限りでこの「銀杏のベッド」に先立つ作品としては、旧「韓国ニューウェーブ」のイ・チャンホが発表した「ミス・ユニコーン」(1989)、「KUMIHO/千年愛」(1994)くらいしか思い当たらない。もっとも、僕は韓国映画のすべてを見ているわけではなく、特にこの1990年代は僕にとって全くの真空地帯になっているので、このあたりの断定は慎まなければならないだろうけどね。ともかく、ソウル・オリンピック以後に急速にわが国での上映本数が減ったところに、本国ではつくり手と観客双方の体質の激変が起こっていた韓国映画。その空白の部分を埋めていくという点から言っても、今回のこの「銀杏のベッド」の公開は極めて喜ばしい。この時代の作品はもっともっとわが国で上映してもらいたいものだ。

 さて、そう言った意味では興味深く見たこの作品なのだが、実はその出来映えは正直言って少々お寒いのが本当のところ。「シュリ」につながる才能の片鱗をのぞかせると言うより、いささか困った内容と言わざるを得ないんだよね。

 どこが困った内容なのかと問われれば、脚本の設定とキャラクターづくりに問題があるとしか言いようがない。いや。これは見た人が誰でもすぐに指摘出来ると思うよ。だって見ていてすぐにイライラしてくるもんねぇ。

 まずこの映画の主要登場人物のうち、シン・ヒョンジュン扮する将軍がとんでもない人物なのは仕方がない。横恋慕でみんなを不幸にするテメエ勝手なこの男は、作中完全に悪役として設定されている。だから、これはこれでいい。ところがこの将軍に振り回される、ジン・ヒギョン扮する悲劇の姫はどうか。実は彼女の行動のおかげで主人公の現世の恋人で外科医のシム・ヘジンが危機に直面してしまうんだから、ハタ迷惑さ加減では同じようなものなんだね。しかもマズいことに、その外科医ヘジンに対して申し訳なさそうな素振りはまるでなし。この姫は、外科医のヘジンとはハン・ソッキュの主人公をはさんだ三角関係を形成し、利害が対立する立場になるわけだから、どう考えても観客の心証は悪くなるんだよね。普通はアリバイとしてこの姫が「彼女に悪いわ…」とか一言言って、悪意がないことをアピールするもんなのだが、この映画ではそんな配慮は一切なし。しかも、姫を中心にした時をかける恋人たちの話と平行して、しつこく執拗なまでに外科医ヘジンが苦境に立たされていく様子をカットバック。観客がいくら忘れたくとも、姫がこの外科医ヘジンの苦境の元凶であると、いやが上にも思い出さざるを得ない。カン・ジェギュって一体この構成にどんな狙いを込めたつもりだったんだろうねぇ?

 そんなところに来てハン・ソッキュの主人公がまたひどい。先の外科医の恋人ヘジンが人生最悪の状況に陥っているにも関わらず、このソッキュは一人パニクって、「俺の話を聞け、俺は大変なんだ」と大騒ぎ。慰めるどころか彼女を苛立たせるだけ。おまけにそんなピンチの彼女を放ったらかして、昔の姫との因縁話に夢中。すっかり前世の縁を思い出したとたん、すっかり恋人ヘジンのことなど眼中になくなってる。これが平時ならまだいいよ。だけど、その時には彼女は悲惨な状態になってるんだからねぇ。この男、一体何を考えているんだと呆れ返るよねぇ。

 だから、前世からの因縁でつながったこの三人…悪役にされた将軍だけではなく、三人揃いも揃ってとんでもないテメエ勝手でハタ迷惑な連中としか見えないわけ。これはファンタジックなロマンス映画としては少々致命的じゃないか?

 その他にも、唐突に翌日が月食だと説明されるあたりなんか不用意だよね。大体、月食にどんな意味があるのかも説明されてない。そして、ハン・ソッキュのアトリエで殺される人物は誰だったのか?…とか、あの琴をつくってる老人は何者だったのか?…とか、病院で外科医シム・ヘジンの死亡実験を行っている最中に、何かに取りつかれて暴れる医師は一体何なのか?…とか、その外科医シム・ヘジンはどうやって蘇ることが出来たのか?…とか、かなり肝心なことが放り出されたままになってしまう。もっと言うなら、恋人たちが銀杏の木となったいきさつとか輪廻転生できたからくりとか、そんなことすら見ていて分からない。いや、いいかげんだとは言うまい。おそらく作者カン・ジェギュの中ではちゃんと理路整然と筋が通っているのかもしれない。そして説明だって、ひょっとしたらそれなりにされているのかもしれない。

 しかし悲しいかな、ちゃんとそれを観客に伝えるのに成功していない。いろいろなお約束事がいっぱいありすぎて、それを説明するので手一杯になった上に説明仕切れていない。だから、何から何まで唐突な印象を与える。そしてそんな約束事の合間あいまに人間ドラマをハメこんでいこうとするから、その感情の動きが不自然だと気付かない。この映画の前世三人組は、「プルーフ・オブ・ライフ」のメグ・ライアン以上に見ている者をイラつかせるよ

 月食時のランデブーの場面なんて、そんな脚本上の矛盾、キャラクターの矛盾がモロに露呈。この映画の一番のクライマックスで、悲劇の恋人たちの切ない思いを大いにうたいあげるべき場面なのに、こみあげてくるのは涙じゃなくて怒り(笑)。だって、この時って外科医シム・ヘジンの命がかかっているんだからねぇ。それなのに主人公ハン・ソッキュは姫と別れたくない(と、ハッキリ言っている)あまり、いつまでも手を握ったまま。姫も姫で早く別れればいいものを、何だかんだグズグズ。「早くあの世に消えろ、このバカ女!」「いつまで手握ってるんだ、このボケ!」と、スクリーンに罵声を浴びせたくなること必至。この女を帰したくないってことは、外科医の恋人なんて死んでいいって思ってるってことだろう? そんな身勝手な恋人たちなんて応援したり共感したりできる?

 本当だったら「チャイニーズ・ゴースト・ストーリー」のジョイ・ウォン扮する幽霊みたいに、切ないムードをかきたてたいところなんだろうに、マトモにこの映画見たら激怒しかできない。完全に計算違いなわけ。

 これに懲りたか、いろんなゴチャゴチャした約束事やら不必要な人物を整理して、もっとドラマの根幹を骨太にストレートに展開させたのが「シュリ」…ということになるのだろうか。ただ、カン・ジェギュがこの映画の失敗から学んだのかどうかは定かではない。第一、この映画を失敗と思ったかどうかも疑問だ。なぜならこの映画、当時の韓国で大ヒットしたらしいからね。

 だからこの映画見て、よく言われるハン・ソッキュの抜群の脚本読解力っやつにも僕は疑問を感じちゃったよ。確かにどれもこれもヒット作揃い。「八クリ」や「シュリ」は作品的にも見事だ。だが、「カル」にしてもこの「銀杏のベッド」にしても、脚本的にはどうか? もしハン・ソッキュの「抜群の脚本読解力」ってのを真に受けて考えるなら、彼は脚本の完成度ではなくて題材の新鮮さ、真新しさに目をつけてるんじゃないか? SFXとCGを使ったファンタジー、お涙ちょうだいではない難病ロマンス、スケールでっかいアクション・ラブストーリー、そして猟奇サスペンス…いずれも韓国では非常に新鮮で挑戦的な作品だったはずだ。

 そういった意味で、この「銀杏のベッド」をヒットに導いた韓国のお客さんたちも、この映画のそんな革新性に注目したんだろうね。

  

 

 

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