「至福のとき」

  幸福時光 (Happy Times)

 (2002/12/23)


恋愛の「死」を受け入れた時

 彼女から別れ話が出た時、僕はさすがに狼狽してしまった。

 あれからかなり経った今でも、あの時のことはまるで昨日のことのように思い出す。その何ヶ月も前から兆しはあった。というより、とても不安定で宙ぶらりんな状態がずっと続いていたのだ。それでも揺れ動く心の中で、僕はまだなんとかなるんだと思い込もうとしていた。往生際が悪いと言わば言え。それまでの決して短いとは言えない月日の中で、培ったものは少なくないはずだ。 僕はそう自分に言い聞かせていた。

 そこから先は、まるでボブ・フォッシー監督の「オール・ザット・ジャズ」に出てくる、「死に至る5つの段階」まがいの状態だった。もっともこの一文をお読みの方の中には「オール・ザット・ジャズ」を未見の人、あるいは見ていてもピンと来なかった人、忘れてしまった人もいるだろう。この「死に至る5つの段階」とやらは、「オール・ザット・ジャズ」劇中で主人公ジョー・ギデオン(ロイ・シャイダー)が編集中の映画の中に出てくる言葉だ。人間が死を宣告された時、どういう過程を経てそれを受け入れるかという小話が出てくるんだね。まず「拒否」し、次に「激怒」し、さらには神と「取引」しようとする。そこでトコトン「絶望」したあげくに、ようやく死を「受け入れ」ることになるわけ。

 「別れ」という恋愛にとっての「死」を前にして、実は僕もこの「5つの段階」を滑稽なほど見事に経験するハメになった。いや…これは冗談ではない。そこを通過して初めて思ったけれど、この「5つの段階」ってシロモノは実によく出来てる。僕はまさしく寸分違わず、このコースを一つの段階も飛ばさずに辿ったんだよね。

 僕の何がいけなかったのだろう? 僕は必死に自問自答した。そりゃ僕は理想的な相手とは言い難い。だが、それなりにベストは尽くして来たはずだ。

 それと同時に、そんな予感がした…という気持ちもあるにはあった。ある時を境に、僕はすべての問題を先送りにしていた。それはやたらと問題を持ち出してうるさがられるのがイヤだったこともあるし、僕自身それを直視するのが怖かったこともある。そんなこんなのツケが、この時こんなかたちで出てきたのか。

 しかし僕にはいろいろ葛藤はあったものの、それなりに自分では納得してもいた。もちろん未練もあったし残念でもあった。だが何と言っても、相手がどう思っていたかは別として、僕としてはやれることはすべてやったという気持ちもあったんだね。

 そもそも彼女と僕は最初っから何かと隔たりのある関係だった。正直言って、二人の間に横たわる問題は少なくなかったし、それぞれが小さいものでもなかったんだよ。でも、僕は彼女との絆を信じていた。だから、ハンディを少しでもハンディにしないために僕は出来る限り頑張ったつもりだ。それが多少自分に負担になるようなことがあっても。

 例を挙げれば毎夜の電話だ。この僕がそんな事をしている姿を想像して、滑稽に思う人もいるかもしれない。確かにかつて友人たちに恋人が出来た時、僕も彼らがマメに電話をかけていることをからかったことがある。よくもまぁそんなことを…と思ったものだ。だが、それも自分の身に降りかかってみれば分かるものだ。しかも僕と彼女の関係の場合、それはちょっと他の男女の場合とは事情が異なっていた。うまく説明は出来ないけれど、それは必要不可欠のものだったのだ。これは決して大げさではない。

 考えてみれば、僕はそれまで女とロクな関係を築いたことがなかった。つき合ってもせいぜい3ヶ月か半年。それもいいかげんでチャランポランなものだった。そんな僕を女たちは愛想づかしして終わってた。僕も大して心が痛まなかったような気がする。

 だが彼女は、そんな女たち(こう言っては彼女たちに申し訳ないが)とは、明らかに別格だったんだね。

 ところがそれがバカにならないと気づいたのは、つき合って半年も経った頃だろうか。さすがにだんだんとさまざまな負担がボディブローのように効いてきた。金銭的な問題を筆頭に…白状すればそれは決してラクチンとは言えなかったよね。

 それでも何とかそんな状態を維持していこうと思ったのは、僕と彼女との間に横たわる問題が決して軽視できないものだと思ったからだ。それが知らず知らずに心に垣根をつくる。放っておいたら決していい方向には行かないことは明らかだ。それが分かっていたから、僕は無理をしてでも頑張ろうと思っていたのだ。

 もし僕が弱音を吐いたなら、彼女はそんなアレコレなんてしなくていい、電話もしなくていいと言うに違いない。実際、そんなことは漏らすまいと思っていても知らないうちに泣きを入れていたのだろう。彼女は僕に無理をするなと盛んに言った。それでも僕はこのセンは譲れないと頑張っていたのだ。それは、彼女に寂しい思いをさせるまいという僕の気持ち…いや、正直に言おう。本当は僕自身がそうしたかった。彼女を放っておいて我慢できるなんて、一体誰に言えよう。

 でも、正直言って僕は甘かったんだよ。実はもっと早くよく考えてみればよかったのだ。負担が最小限度で済む方法もあった。もっと早くから手を打っていれば、最初から楽だったはずなんだ。やれば出来ることだったのだ。気づいたのは、さんざアレコレ金食い虫にボッタくられてムシられた後。それから慌てて手を打ったものの、そのへんが僕のおめでたさだったんだね。

 仕事のことも見直そうと頑張ってもいた。現状の職場の給料を上げたいと奮闘してもいたし、それが叶わぬなら転職も辞さないと、バブル後ずっと続く不況化にも関わらず求人の口を探し回っていた。かなり難しいとは言え、それでもいくつか引っかかってくる話があるにはあった。ただこれが最後のチャンスだけに、安易な手は打てなかった。すべては彼女のため。いやいや、彼女と俺の幸福のためだ。しまいには職種すら変えてもいいとさえ思っていた。いや、生活の基盤を変えてみようかとさえ思った。

 彼女はかつてツラく苦しい経験をしてきたという。僕はそんな彼女に幸せをあげたかった。そして自分も幸せになりたかった。だから、彼女にしたいようにさせてやりたかった。そうできるのは自分だけだと浅はかにも思っていた。実際には結局力足らず何もしてやることが出来なかったのかもしれないけれど。

 ともかくそんなこんなの手を打って、ようやく金銭的な問題に目処が立ったと思った矢先、彼女との関係が暗礁に乗り上げたのだ。これからは何とかなりそうだ、楽になりそうだ、彼女に心配をかけずに済みそうだ、これからだ。それどころか、彼女一人くらいなら食わせられるかも…そう思っていたのに…。

 何とかならないのかと焦り狂って悪あがきをした僕の気持ちも、無理からぬこととご理解願いたい。

 しかし、最終的にはどうにもならないのだと悟らずにはいられなかった。彼女は別にそんな金銭的な事でどうこう言っていたわけではない。むしろ、そんな僕を気遣ってくれていた。彼女もいろいろ苦しかったのだ。ずっと苦しんでいたのだ。思えば僕も気の毒なことをしていた。もう楽にしてあげたい。ともかくここで一応のピリオドを打つより僕には道がなかった。選択の余地はただ二つ。見苦しく終わるのか、気持ちのいい幕切れを選ぶのか…。

 その時、僕はようやく恋愛の死を「受け入れ」る気になった。

 自分なりに気持ちに整理をつけるまでに5日かかった。神だって世界をつくるのに6日もかかっているのだ。それくらいは大目に見て欲しい。ともかく僕は、どん底で終わるよりは明るく終わりたかった。彼女との素晴らしい日々に泥を塗る気にはなれないから。きれいに終わらせてこそ、また笑って会える日が来るかもしれないではないか。そして、もしかしたら…そう思った時、僕の気持ちは決まった。踏ん切りがついた。気持ちが軽くなってもいた。 これが一番最善の策なんだ。

 そう気持ちを整理したつもりでも、しばらくは心には一種の空洞感が広がっていた。彼女は僕が思った以上に、僕の心に住みついていたからね。

 では、この月日はまったく徒労だったのか。今となっては空しい日々なのか。本当にそうなのか。

 いや、決してそうではなかった

 

孤独な盲目娘と出会ったホラ吹き中年男

 ここは中国の大都会・大連。その喫茶店の一室で、中年男チャオ・ベンシャンが着飾ったデブ女ドン・リーファンとお見合いの真っ最中。中年男チャオは髪が短く刈り上げられ口ヒゲを生やした、正直言って垢抜けたご面相とは言えない男。それが身振り手振りも派手に大声で熱弁をふるっていた。いわくやせた女より太った女が好きだとか、彼女に子供がいるからって何だとか、結婚式にかかる大金は何とかするとか、何とも調子よい。デブ女もまんざらでもないようだ。

 一転して例の中年男チャオが粗末な服を着て自転車を漕ぎに漕ぐ。行き先は友人のフー・ピアオの元。ところが当のフーは彼が来るのを見て慌てて逃げ出した。彼にはチャオの用件が分かりすぎるくらい分かっていたのだ。悪あがきも空しくチャオに捕まったフーは、またしてもお決まりの台詞を聞かされるハメになる。

 「金を貸せ!」

 この中年男チャオ、実は前々から結婚したくて、様々な女と見合いを繰り返してはダメになっていた。だが、それもそのはず。彼は失業中の身。それなのに、よせばいいのに毎度のようにホラを吹く。

 渋っていたフーもそこは親しいチャオに手を貸したくないわけではない。そんな彼が持ち出して来た提案が、何と公園の休憩所経営だった。

 街の大きな公園は、昼間っから恋人たちの逢い引きのメッカ。だが、屋外には大っぴらにイチャつける場所がない。そしてこの公園には一台の廃バスが打ち捨てられて置いてあった。あれを改装して簡易ラブホにすれば、きっと儲かる。そんな無断営業がうまくいくかとブーたれていたチャオも、それしか手がないとフーに言われればやらない訳にいかなかった。

 汚く朽ち果てた廃バスに、どこかから拾ってきたペンキや板きれを持ち込んで、ケバケバしいながらも簡易ラブホの出来上がり。フー名付けるところの「至福の間」だ。

 これが当たった。まだ完成したばかりだと言うのに、早速カップルが覗きに来た。客は次々やって来る。法外なチップも手に入った。そうなりゃ気も大きくなるチャオだった。例のデブ女に旅館を経営してるとまたしても大ボラ。しおれかけたバラの花を短く切って、花束にしてデブ女の元に駆けつけるチャオだった。

 デブ女は大歓迎。その息子でこれまたデブなガキなんぞ愛想のかけらもないが、チャオは全く気にしない。

 ところがこの家にはもう一人子供がいた。このデブ女の前夫の娘。この前夫というのがデブ女に言わせるとどうしようもない男で、金を持ち逃げして娘を置いて出ていった。仕方なくこの家に置いてやっているのだが、このデブ女にはそれが厄介のタネだという。

 夕食の席に現れたその娘ドン・ジエは、何と盲目だった。だが、この娘に対する例のデブ息子の扱いがひどい。女と結婚したくて目もくらんでるチャオにしたって、思わずこれはどうかと思える冷たさだ。デブ女もデブ女で娘の父親から久しぶりに手紙が来たというのに、ドン・ジエが頼んでも読んでやらない。この家ではアイスクリームですらデブ息子の独占物で、彼女は食べさせてもらってないみたいだ。その後、帰宅したチャオは知らないことだったが、案の定彼が帰った後で、ドン・ジエは与えられたアイスをデブ女に取り上げられてしまった。

 そんなひどいデブ女の家庭ではあるが、チャオは結婚したい一心で通い詰めた。ところがそのうち、デブ女がとんでもないことを言い出した。チャオが旅館の社長なら、例の盲目娘ドン・ジエを預かって使ってくれないかと言うのだ。ドンはマッサージなら腕に覚えがある。あんたも社長ならそれくらい出来るでしょ!

 いつものホラ吹きがアダになったチャオ。しかし結婚のためだ。もはや後には退けない。チャオはフーに相談したあげく、得意のホラでドンを「至福の間」で使うことにした。

 盲目娘ドンを連れてバスに乗るチャオ。だが、ドンは長年の虐待からか、すっかり無表情で無愛想な娘になっていた。何だかんだと言い合っているうちについついドンの父親の悪口を並べ立ててしまうチャオ。これにはドンがブチ切れた。そんな彼女を何とかかんとかなだめすかして平身低頭、ようやくフーのアパートまで連れてくる。ここでとりあえず採用のための面接という段取りだ。

 だが、そこで彼女の身の上を聞いたチャオとフーは、その過酷な運命に驚愕せざるを得ない

 彼女は小学校の6年で中退して以来、学校にはいっていなかった。だが、盲目は生まれついてのものではない。脳の腫瘍の影響で視力がダメになったのだ。父は彼女を連れてあのデブ女と結婚したが、その日以来口論が絶えたことがなかった。結局父は出ていって、彼女が残された。それでも彼女は信じていた。父親が出ていった先の経済特区シンセンで金を稼いで、彼女を迎えに来てくれると…。

 だが、チャオがドンを連れて例の公園に行ってみると、造成工事の真っ最中。「至福の間」こと廃バスは、クレーンに吊されて運ばれるところだった。「旅館の改装工事」のことをウッカリ忘れてたととっさのウソをつくものの、進退窮まったチャオ。仕方なくドンを連れてデブ女の家に戻ってみると…。

 何とドンの居場所だった部屋は、デブ息子の部屋に変わっていた。彼女は体のいい厄介払いをされたのだ。もう戻る場所のなくなったドン。チャオはまたしてもデブ女に彼女を押しつけられた。それより何より、肝心のドンがその場からいなくなった。

 必死にドンを探すチャオの目に飛び込んで来たのは、夜道の車が激しく行き交う往来にポツンと立ちずさむ彼女だった。

 そんな彼女を捕まえて激しく叱責するチャオも、彼女の辛い心の内は理解出来た。そうなれば、見て見ぬふりは出来ないチャオだった。

 とりあえず汚い自分のアパートを「従業員宿舎」と偽って、彼女を連れ帰るチャオ。てんやわんやの果てにバルコニーで寝るハメになった彼は、翌朝自分が解雇された工場の労働組合事務所にかけ合うことにした。

 そこで何と操業停止になった工場を借り受けることにしたチャオ。果たして彼は何を企んでいるのか?

 何と彼はそこでフーや彼の元同僚だった工員仲間を連れてきて、工場の一角の改装工事を始めた。ホンモノそっくりにする必要はない。ドン・ジエは盲目だから、それ風に見えれば申し分ない。彼がやろうとしていたのは、彼女が働くためのマッサージ室だった。鉄板やら工具を加工し、ベッドや壁をこしらえた。そこに布袋を切って貼り合わせて、鉄板むき出しの壁を覆った。音がないのがわざとらしいと、カセットに街頭の音を録音して流すことにした。さぁ、用意万端整ったぞ。

 いや、待てよ? 大事なことを忘れた。

 客がいない!

 閑散とした空き地の廃工場では、いくら何でも客なんて来ない。どうする? 仕方ない。ここにいるみんなで手分けして客になりすますしかあるまい。

 早速盲目娘ドンを急造のマッサージ室に案内する「社長」チャオ。みんなが見守る中、彼女の初仕事が始まった。集まったみんなが、それぞれ社長や店長になりすましてサービスを受けた。果たしてどうかと思っていたドンの腕は、しかしかなり確かなものだった。それこそまさに「至福」のマッサージだった。

 ドンの手元には「お心付け」としてみんなのお金が渡った。初めて稼いで手に入れた金。ドン・ジエの顔に初めて笑顔が浮かんだ。そんなドンに往来でアイスを奢ったチャオ。彼女はチャオに語った。

 「社長さんの顔が見てみたい」

 その夜、チャオは彼女が寝静まった頃合いを見計らって、「従業員宿舎」に忍び込んだ。そこで自分のテレビをコッソリ持ち出すチャオ。彼はそれを質に入れて、つくった金で彼女の服を買ってやったのだ。だが、ドンがその夜チャオが忍び込んだこと、部屋からテレビがなくなったことを知っていたとは気づかなかった。

 その頃から、チャオがいくら電話しても、デブ女は電話に出なくなった。彼女の家に行っても留守ばかり。チャオは焦り始めていた。

 チャオから買ってもらったヒマワリの柄の服を着て、喜び勇んで「職場」に向かうドン。だが、その日に珍事は起きた。往来の音を流していたカセットが壊れたのだ。急に音がしなくなって、さすがのドンも不審に思い始める。チャオや仲間たちが焦ってカセットを直そうとジタバタしているうちに、彼女は「マッサージ室」に天井がなく、外にも往来がないことに気づいてしまう。

 それより何より、チャオにはもうビタ一文余計な金がなかった。仲間たちにも金はない。「真相を話せ」と仲間たちはチャオに言った。どうせいつかはバレるんだ。

 だが、その前にドンの方がチャオに口火を切った。「社長さん、もう私を辞めさせて。そして駅に連れて行ってもらいたいの」

 これにはチャオも仲間たちも大慌て。ダメだ、辞めさせたら自殺するかもしれない。そしたらみんなの責任だ。

 改めて彼女を説得にかかるチャオ。「お客さんがみんな君をお気に入りだ。辞めさせるわけにはいかん」

 その言葉を聞いた彼女はニッコリと微笑んだ。「私もみんなが好き」

 これで決まった。辞める話はなくなった。一同はホッと胸をなで下ろした。

 やがて仲間たちが紙でつくった偽札を持ってきて、金銭的問題も解決。みんな「こども銀行券」のような紙の札をドンに「心付け」として渡すようになった。大丈夫だ、まだバレてはいない。

 レストランで大はしゃぎで食事するドンとチャオとフー。彼女はお金が貯まったら父親を捜しに行くと言う。そしてシンセンで、シンセンがダメなら香港で、それもダメならアメリカで、目を治したいと夢を語る。そんな彼女は、チャオがデブ女の家を訪ねた日の父親からの手紙を差し出した。「あの女は信じない。私に読んで聞かせてちょうだい」

 だがそこには、ドンの父親が持ち逃げした金の大半をスッてしまったことは書いてあっても、彼女のことは一行も書いていなかった。彼女の表情が曇るのを見て、チャオは小さな字で何か書いてあると苦し紛れのウソをつくものの、咄嗟のことに気の利いた言葉も出てこない。あげく酔っぱらって読めないとウソの上塗り。

 そんなある日、久々にデブ女の家を訪れたチャオは、そこに別の男がいるのに気づいて驚いた。なんだこの男は! 逆上するチャオに、デブ女の冷たい言葉が飛んでくる。

 「何よ、この詐欺師が!

 デブ女は興信所でチャオの身辺を洗わせていた。彼が失業中であること、その他諸々の口裏合わせもすべてバレていた。しかもデブ女は、その場にいるこの男とすでに結婚したと言う。

 失意のあまり酔ってクダ巻いて殴られて…深夜のファミレスで一人呆然としていたチャオは、ポケットに忍ばせていたドンの父親の手紙を取り出した。それから彼が店から紙とペンを借りて書き出したのは、ドンの父親に成り代わっての、彼から彼女への優しい思いだった…。

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは映画を見てから

 

 

 

 

 

 

 

 

君は人生でどれだけ「至福のとき」を持てたか?

 思えばあの名コンビのコン・リーと手を切った後のチャン・イーモウの作品について、僕は苦言ばかり呈してきたような気がする。どれもこれもウェルメイドではあるが、なぜかこのスケールの大きいはずの作家にしてはこぢんまりした作品ばかり。時には盟友にしてライバルのチェン・カイコーを引き合いに出しつつ、彼のことをセコいとか男らしくないとか罵声を浴びせてきた(笑)。元々うまい人だから、当たる映画をつくろうとすれば簡単に出来る。だけど、世評では大絶賛の「初恋のきた道」にしたって、僕にとってはどこかわざとらしく、チャン・ツィイーとイチャつくための口実映画に見えないこともなかった。もうちょっとハートの籠もった映画、血を吐くような映画がつくれるオマエだろうと、イヤミの一つも二つも言ってきた気がする。

 それがこの映画だと言ったら、僕はみなさんに一体どうした心変わりだと言われるだろうか?

 急速に発展を遂げながらも拝金主義が横行する現代中国の大都会を舞台に、心優しい人情話。またしても良く出来過ぎたウェルメイド・ドラマと言えば、確かにそう言えなくもない。一体今までとどこが違うんだと問われれば、戸惑わざるを得ない。

 今回も「グッドモーニング・バビロン」や「U・ボート」などで非アメリカ映画にチャンスを与えてきたエドワード・プレスマンという後ろ盾を得ての、海外資本も取り込んだ製作体制。何と20世紀フォックス・マークでスタートして、英語のクレジットが出てくるこの映画は、ソニー・ピクチャーズの応援を得た前2作の姿勢のままと言えば言える。

 どこが違うの?

 実感が違う…としか言いようがないのだ。実感が。

 ただ、こうは言えるかもしれない。前2作は彼得意の農村を舞台に、徹底的にファンタジー化した部分もあったと思う。そこには時代を無視したような甘い味わいがあった。そして人々の心を力業でさらっていくドラマ性があった。さすがに力量がある作家だけに、クサい趣向にはなかなか逸しなかったものの、それは出来過ぎの観もあったのではないか。

 だが、今回は現代の大都会。人情劇とは言え、決して甘くはない。主人公たちは現実の厳しさにモロにブチ当たりながら、ギリギリの線で何とか自分たちの善良さを発揮していこうとする。そこが前2作と一線を画する点であるように見える。

 その最たる点が、ラストになだれ込むあたりの展開だ。ここでは夢物語で完結しない厳しさがある。

 その夜、失意のチャオは運命のイタズラで、トラックにはね飛ばされて危篤状態に陥ってしまう。後に残されたのは、血染めのドンの父親の手紙。駆けつけた仲間たちは呆然とせざるを得ない。そんな彼らを二度目の驚きが襲う。何と盲目少女ドンが出ていってしまったのだ。後にテレコに録音されたメッセージを残して…。

 彼女は語る。もうこれ以上、みなさんにご迷惑をおかけするわけにはいかない。彼女はチャオたちのウソを見破っていたのだ。分かっていても、みんなを失望させたくなくて黙っていた。決して傷ついたわけじゃない。みなさんと一緒に過ごした日々は、自分にとって初めての「至福のとき」だった…。

 感極まったチャオの仲間フーは、チャオが書き残した「父親」の手紙を、ドンの録音メッセージに重ねて読み始める。お金が貯まったら必ず迎えに来る。つらくても負けるな。希望を捨てなければ、きっとすべて良くなる。その日は必ず来るんだ…。

 クサい趣向だろうか? いや、僕はそうは思わなかった。それは僕だけでもいい。

 人生はままならない。ままならないから、望んだ通りにはいかない。でも、ままならないから、悪くばかりもならないのではないか。

 ドラマとしては、いわゆるハッピーエンドではない。冒頭で語った僕と彼女との仲も、この時は僕が望んでいた通りにはならなかった。だけどこの歳になると、人生ってのはそればかりじゃないと思うようになるんだよ。

 彼女のおかげで、僕はだらしない身なりを整えるようになった。彼女のおかげでバカみたいに大声でしゃべらなくなった。彼女のおかげで大人の分別が出来た。お金のことや自分の人生設計や、そんなことも彼女とのことがなかったら真剣に考えなかっただろう。それまで半ば人生を投げていた僕、女を愛することを知らなかった僕を変えてくれた。きれいな幕切れを選ぶことの出来る、年相応で一人前の「大人の男」にしてくれた。僕は彼女とのことで、後悔していることは何一つない。これこそがハッピー・エンドなんだ。すべてを容認した時にそう思い至ったら、僕の心は深い深い幸福感に満たされたよ。

 それだけではない。彼女は僕にとってまさに文字通り「至福のとき」をくれた。それが長い長い間続いた。それはとても美しいものだった。

 人生に大切なものは、その人がどれだけ納得出来たかということだと最近強く感じる。結局誰もが最後には死んでいく。だとしたら、すべての人が不幸なはずではないか。でも、そうじゃない。きっと、人生で大切なことは、どれだけ「至福のとき」を持てたかということではないか? だとしたら、僕は世界で最も幸福な男の一人であるに違いない。そして希望を捨てさえしなければ、きっとすべては良くなるはずだ。僕は今こそ、そう強く信じることが出来る。

 だって、また笑って会える日が来るかもしれないではないか。

 

 

 

 

 

 to : Review 2002

 

 to : Classics Index

  

 to : HOME