「セレンディピティ」

  Serendipity

 (2002/12/16)


12月の東京に降らないはずの雪が降る

 12月に入ると、小売業などビジネスの世界じゃ、もうクリスマスってことになるんだろうか? 

 街を歩いてもデパートなどはツリーなんぞ立ててるし、テレビをつければやっぱりCMでクリスマスのキャンペーンが花盛りだ。そこでは例年定番のクリスマス・ソングに乗って、雪の降る街を行くカップルの姿なんか映し出されてる。

 だけどそんな光景って、実はこの東京ではついぞ見たことのないものなんだよね。

 大体クリスマス・シーズンはおろか、12月に入って雪なんか降ったことがほとんどない。だからテレビCMの雪の中のカップルなんて、まったくイメージの中の世界でしかないわけ。あんなのはニューヨークかどこかの光景のパクりでしかないわけよ。

 だから、先日12月9日の東京の雪にはビックリしたんだよね。

 朝からしんしんと雪が降ってて、昼になっても降り止まない。たったの1センチとはいえ積雪なんて、こりゃ滅多にないことなんだよ東京の人間にとっては。そのたった1センチの積雪でも首都圏の交通は大混乱で、JRは止まるわ私鉄は止まるわ、飛行機もタイムスケジュールがメチャクチャになるわ。北国に住んでいる人からすれば滑稽でしかないだろうけど、とにかく東京って雪にはえらく無防備なわけ。

 そういや、かつて僕がロサンゼルスに滞在していた時には、例年にない雨の多い時だったらしい。カリフォルニアって雨がないのが売り物だったものね。だから、道路が水はけ悪くって川みたいになってた。普段全然用意する必要がないことには、都市って意外なほど無防備なんだよね。

 それも無理はない。この雪って平年より24日も早い初雪ってことらしいじゃないか。そうだよねぇ、僕も年内に雪が降るってこと、ここんとこずっと見てなかったもんねぇ。12月の積雪って11年ぶりらしくて、それだけでもスゴイんだけど、その11年前の積雪ってのも1991年の12月27日っていうことらしいじゃないか。27日って言えば年末もいいとこ。こんな12月も10日になる前の雪なんて、もっと何十年も遡らないとないんじゃないか? 

 そんな今年の東京の雪。それを見ているうちに、僕には何とも言えない感慨がこみ上げてきたんだよね。実はちょっと運命的なものまで感じてきた。

 もっとも僕は唯物論者とまではいかないものの、運命論なんざチャンチャラおかしいと思っているクチ。もういい歳だし、昔の女学生じゃあるまいし、今さら急にオトメチックな話など信じる気にもならない。ただ、そんな僕も、かつてちょっとばっかし「運命」ってやつを感じる時がないわけじゃなかった。それってちょうど、かつてある女とつき合った時がそうだったんだね。

 あれはもうかなり昔のことになる。彼女との出会いは僕が一時的とはいえ「運命論者」に宗旨替えするに充分な、文字通り「運命的」な何かがあった。別に暦なんか信じやしない。占いなんて、僕にとっては中華料理屋に置いてある灰皿の仕掛けの一つに過ぎないものだ。だけど、詳しくはここでグダグダとは述べないけれど、彼女とのことだけは違ったわけ。

 僕と彼女はちょっとした偶然で知り合った。偶然の偶然、ニアミスのニアミスが重ならなければ、僕は彼女と出会わなかったし、つき合うこともなかったわけだ。しかも、そんな偶然で出会った彼女は、僕が長い間求めてやまなかった「ここで会ったが百年目」の女だった。だから、僕にとってはいやが上にも「運命的」なものを感じずにはいられなかったんだね。正直に言えば、今でも彼女の素晴らしい笑顔を忘れることが出来ない。

 だけど彼女は、僕のそんな言葉をいつも軽く笑い飛ばしていた。全然運命的な出会いとも、そういう相手とも僕を思っていなかった。ま、それはイイとして、つきあい始めてすぐの頃から「どうせいつかは別れるに決まってる」なんてことばかり言ってた。

 だから、いつの間にか僕もそんなことを言わなくなっていったんだね。そして、最終的には彼女の言っていたことが正しかったと証明されてしまった…。

 そんなことを思い出しながら、僕が時ならぬ東京の雪を見て「運命」を感じたのは、何しろ今年の後半があまりにツラ過ぎたからだよねぇ。

 ホントにホントにツラかった。何から何まで公私ともにガタガタだった。眠れない夜が何夜も続いた。一体どうして?…あまりにあんまりな成り行きに、ほとんど何も考えられなくなった。ハッキリ言って他人に気を遣う余裕なんてありゃしなかったね。そんなこんなで、いろんな事にカタをつけなきゃいけなくなった。自分でカタをつけようと決めたものもあれば、カタをつけざるを得ないものもある。ともかくは、一つ区切りの時がまたやってきたんだなと思うしかなかった。

 思えば僕はちょっと前にもそんな区切りの時を迎えたことがあった。そこまで積み上げて来たものがガタガタになって、文字通りボロボロだった僕。そんな僕に、まるでカウンターの数字がガチャ〜ンと全部ゼロに戻るようなリセットの時がやってきたのだ。そこから僕の人生は確かに大きく変わった。

 それがまた再びリセットの時期を迎えようとしているそんな時、東京に本来降らないはずの雪が降った。僕は何となく、神様も時には粋なはからいをするとニンマリしてしまったよ。僕は昔から神様と折り合いが悪い方なんだが、やっこさんはいよいよギリギリのところではなぜか僕に優しくしてくれる憎いヤツなのだ。聞けば、何でも今年は暖冬のはずだったと言う。それなのに、神様はわざわざ自然の摂理を曲げてまで、俺のために降るはずのない雪を降らせてくれたのか。たった俺一人だけのために、この国際的な大都会は一時的にマヒ状態に陥ったのか(笑)。バカげているかもしれないが、そんな神様の超VIP待遇と考えてみるとひどく痛快だったし、それはきっと何かの「サイン」なのかもしれないと感じられたよね。そして僕は、もう一度だけ運命ってやつを信じてみようと思った。

 でも、それはかつてあの女に向かって言っていた「運命」とは、少しばっかり違ってるんだよね。

 

「運命」を弄ぶもんじゃない

 数年前のこと。ここはニューヨーク・マンハッタンのデパート「三越日本橋店」。本来なら三越で買い物するのは嫌味なババアばかりと相場が決まっているが、クリスマスを間近に控えて店内はさまざまな買い物客でごった返していた。そんな売場の一角で、今まさにたった一つ残ったカシミアの手袋を、同時に手にとった男女がいた。男はジョン・キューザック、女はケイト・ベッキンセール。もちろん二人とも、それぞれの恋人へのプレゼントにと手にとったところだった。

 「あ、こりゃ失礼」「いや、こちらこそ」なんて言って譲り合っている二人。ところがそのうち横から変な男が現れて、チャッカリその手袋をかっさらおうとするではないか。何だオマエは? そいつはちょっと話が違う。二人は慌ててアレコレまくしたて、その場でクチからデマカセで言い倒して変な男を撃退。取り戻した手袋は、キューザックからベッキンセールに手渡された。そんなちょっとしたやりとりのうちに、心が通う二人。

 二人はマンハッタンでも人気のカフェ「セレンディピティ」に入ってお茶をする。これは運命だと言うキューザックだが、ベッキンセールはほほ笑むばかり。結局その場でお開き。自由党と民主党の合体みたいにお流れになるかと思われた。

 ところが例の「セレンディピティ」に忘れ物をしたキューザック。慌てて店に戻ってみると、あのベッキンセールも忘れ物を取りに戻っているではないか。

 運命だ!

 スケートで遊んだり楽しく語らったり、スッカリその気になってしまう二人。これで一気に親密になって…などと、北朝鮮訪問時にいち早く日朝国交正常化をと目論んでいた小泉みたいなことを二人が考えていたちょうどその時、キューザックがベッキンセールに拉致被害者リストならぬ自分の電話番号を書いたメモを渡そうとしたら、偶然のいたずらかそこに一陣の風が吹き付けた

 ヒラヒラヒラヒラ、風に飛ばされるメモの紙。

 その時、ベッキンセールにイヤな予感が走った。おかしい。二人は結ばれない運命かも。そこでベッキンセールは何を血迷ったか、まずはキューザックの電話番号をお札に書かせて、近くのマツモトキヨシでその札を使った。次に自分の電話番号を本の背表紙に書き、近くのブックオフに売り飛ばした。これで私たちに運があったら、お互いの番号を見つけることが出来るはず。

 キューザックは「このバカ何を言ってるんだ」と思いながらも、世間の男性諸氏と同じく愛想笑いで一応バカな女のホザきにつき合った。するとベッキンセールはバカをさらにエスカレート。近くのホテルで別々のエレベーターに乗って、目をつぶって好きな階のボタンを押せと言う。もし「運命の糸」がつながっているのなら、二人とも同じ階に着けて再会出来るはずではないか。もう女がこういう事を言いだしたら止まらない。気の済むようにやらせるより他はない。結局、キューザックは不承不承その提案を受け入れた。二人のエレベーターの扉が閉まる寸前、ベッキンセールは例の手袋の片割れをキューザックに放ってよこす。さて、いかなることになりますことやら。

 実はこの二人、偶然同じ階のボタンを押してはいたのだ。

 しかしキューザックのエレベーターにはしつけの悪いガキが乗っていた。これが片っ端からボタンを押すもんだから、エレベーターは各駅停車状態。キューザックが目指す階に着いた時には、とっくの昔にそこに着いていたベッキンセールは待ちきれず、サッサと下に降りて街に消えてしまった。バカな女だ、余計なことをしなけりゃ丸く収まったものを

 こうして「運命」の恋人だったかもしれない二人は、またしても離ればなれになってしまった。

 以来、幾年月…。

 あのキューザックが身内や友人連中を集めて、婚約発表の夕食会を開いている。彼の親友でニューヨーク・タイムズ紙の記者ジェレミー・ピヴェンも、笑顔で祝福する。そんなキューザックの隣でほほ笑むのは、当然のことながらあのベッキンセール…ではない。もう結構つき合いも長い恋人ブリジット・モナハンだ。

 というわけで、モナハンとの結婚も超間近なキューザック。だが、彼はいまだにベッキンセールのことが忘れられないでいた。未だにブックオフを見かけると、必ず例の本を探しては失望する日々だった。そんな彼のことをよく知っているだけに、親友ピヴェンは見るに見かねてアドバイス。そんな「運命」なんてバカらしい、いいかげんやめにしろよ。

 ところが結婚を前にトッ散らかった部屋で、キューザックはあの日以来しまい込んでいたあのカシミアの手袋を発見した。しかも、そこにはレシートが入っているではないか。レシートに印刷されたクレジット・カードの番号を探れば、彼女の居所にブチ当たるに違いない。しかも洗面所に行けばベッキンセールがCM出演するラックスの石鹸があるわ、TSUTAYAに行けばベッキンセール主演の「パール・ハーバー」DVD一挙入荷の広告が出てるわ…どうしてみんな俺にベッキンセールのことを思い出させるんだ。これは何かの「サイン」なのか? 宇宙人でも襲ってくるのか?

 こうなりゃ結婚前にスッキリさせなきゃ収まらない。キューザックは親友ピヴェンを拝み倒して頼む。どうかベッキンセール探しを助けてくれ!

 まずは嫌味な「三越日本橋店」へ。例のレシートから身元を割り出すためだが、担当の店員ユージン・レヴィが「三越」の社風なのかこれまた嫌味なヤツで、しかも売り上げが落ちているものだからアレコレ買わされる羽目に。それでもとにかく、ベッキンセールの当時の居所だけは探り当てた。

 では、一方ベッキンセールの方はどうなったのか?

 実は彼女、ニューヨークにはいなかった。今の住まいはサンフランシスコ。ヒーリング系のミュージシャンの恋人ジョン・コーベットと、これまた結婚間近の身。ただ、ツアーに明け暮れる人気ミュージシャンの彼と、つきあいかねる部分もあるにはあったのだが…。

 そんな彼女がこの退屈な週末をビデオを見て過ごそうとTSUTAYAに出かけてみると、めぼしいビデオはすでに借り出された後。思わずヒマそうな店員に聞いてみるが、芳しい答えが返ってこない。

 青春映画がいいな、ジョン・ヒューズ映画とかないの? ありませんねぇ。あいにくと「シュア・シング」と「セイ・エニシング」しかないです。…アンジェリーナ・ジョリーの出てるアレはないの? ほら、「トゥームレイダー」は? アンジェリーナ・ジョリーなら「狂っちゃいないぜ」が置いてありますけど。…ならイーストウッドなら? 彼が監督した「真夜中のサバナ」しかないんですけど。…じゃあアクション映画は? 「コン・エアー」なんていかがでしょう?…それなら音楽ものなんかないの? 「ハイ・フィデリティ」くらいですかね。…キャメロン・ディアズが出てるのは? 「マルコヴィッチの穴」しか置いてないんですよ。…ジュリア・ロバーツものは? 「アメリカン・スウィートハート」はどうでしょう? …じゃあウディ・アレン映画ならどうなの? これは「ブロードウェイと銃弾」と「影と霧」の2本もありますよ!

 何でジョン・キューザック出演作しかないのだ? これは何かの「サイン」なのか?

 思いあまったベッキンセールは、早速親友のモリー・シャノンに相談するが、この女と来たら神秘主義の癒しのお店なんかやってるくせに、本人は現実主義のえらくせちがらい女。「運命の人」なんてチャンチャラおかしいと笑い飛ばされてしまう。それでも気になるベッキンセールは、このシャノンを無理矢理連れて独身最後の旅とばかりニューヨークへと旅だった。

 さぁ、この「運命の二人」は無事に再会出来るのか? 大体そもそも、この二人は「運命の二人」なんぞであったのだろうか?

 

恋愛映画好きには懸念された一作だったが

 正直言って、劇場でかかる予告編やら新聞広告、チラシ等を見て、この映画を見る気なくした人って結構いるんじゃないかね?

 実は僕もその一人。僕は元々恋愛映画が好きで、男の癖にドップリとロマンティックな気分にハマりこんで見るのが好きなんだけど、ドップリとハマり込むためには、それに邪魔な要素がちゃんとハズされてなきゃならんわけ。これって恋愛映画好きにはゆるがせに出来ない要素なんだよ。

 さて今回の恋愛映画、男を演じるのはジョン・キューザックってのはまこと申し分ない。彼は「シュア・シング」で初めて見た時から、僕の100パーセント好みの俳優さんだったからね。続く「セイ・エニシング」も実に良かった。いつだって僕が感情移入するに足りる親近感と好感度を兼ね備えた男優さんだったんだよ。もちろん芝居もうまい。「コン・エアー」では骨っぽいところも見せて、年相応の男っぷりを見せ始めた。「ハイ・フィデリティ」に至っては、完全に自分とダブらずにいられない人間像。彼が出てたから、「アメリカン・スウィートハート」だって楽しんで見れた僕なのだ。

 そして舞台はニューヨーク。ニューヨークとくれば、恋愛映画のメッカでしょう。香港映画でさえ、「誰かがあなたを愛してる」「ラヴソング」と舞台をニューヨークに持ってこようとするものね。僕は個人的にニューヨークって街が好きだし、その点でも文句のつけようはない。

 では、何が気に入らないのか?

 ヒロインにあのケイト・ベッキンセールが出てくるというのが、最大の不安要素だったんだよ。おそらくはこの映画を敬遠した大多数の人も、そこが一番のネックだったんじゃないか? 「パール・ハーバー」で注目された…とは言え、実はその「パール・ハーバー」で一番イヤな印象を僕に与えたのが彼女だった。何だかやたらケバい看護婦役ってだけで退きそうなところへ、まぁ共感しにくいヒロイン像。出っ歯な彼女の顔もあまり好みではない。どうもいかんなと思った。

 予告編を見て予感は的中。「運命の人」というテーマはこの映画の話の発端だから、何を寝言みたいな…とは思わない。そもそもそれを言っちゃあお話が成立しない。ところが見た目があまり好感を呼ばないベッキンセールが、たまたまバカな提案をしたばっかりに二人は離ればなれ…という趣向になっちゃうから、ホラな、だからあの女はイヤなんだ…と見ている方がムカついてくる(笑)。僕も案の定、映画の冒頭部分でイヤけがさしていたんだね。やっぱりダメだったか…。

 ところが出会いから数年後の本題に入って、映画はグッと面白くなってくる。それはなぜかと言ってしまえば、ハッキリ言って物語の力点がベッキンセールではなくキューザックにどんどんシフトしていくから。彼が自分の釈然としない気持ちを解消せんがため、「運命の人」探しに猛然とダッシュしていくのが見どころだからなんだね。ダッシュを始めるとキューザックはどんどん輝いていく。

 しかも今回は、キューザックの周辺に出てくるキャラクターたちが実にいいのだ。その最たるものはキューザックの親友役ジェレミー・ピヴェンの役どころ。最初は「運命の人」などナンセンスと思い、彼の親友として心配しながらのアドバイス。だが、親友に頼み込まれればイヤとは言えない。主人公キューザックに引きずり回されニューヨーク中を右往左往。ところがそのうち、ピヴェンの方が「運命の人」探しに夢中になってくる。メゲて投げ出そうとするキューザックを逆に叱咤激励。ここまで来た以上は最後までいくべきと尻を叩く。最後には彼につき合ってサンフランシスコ行きの飛行機にまで乗り込む気のいい男ぶりだが、そんな彼の心情がここで明らかになるのだ。実は彼にも結婚生活が破綻というツラい事情があった。そんなやりきれない思いをキューザックの「運命の人」探しに託しての、献身的な大活躍だったわけ。この泣かせる趣向もあってか、この映画を見終えた後には彼のイメージがいちばん色濃く心に残っているんだね。演じるジェレミー・ピヴェンも、そんな男の胸の内を気持ちよく見せてなかなかいい。そして物語の発端となったデパートの店員として出てくるユージン・レヴィも、人が悪いんだか何だか分からないおかしな役どころで場面をさらう。その個性、演技の濃さのおかげで、この夢物語がシラジラしく滑るのを防いでいるとも思える。何と鯛焼きのシッポまで詰まったアンコのように、締めくくりにまで登場するあたりは嬉しくなるよ。

 監督のピーター・チェルソムはイギリスの人らしく、僕はこの人の「フォルテ」って作品しか見たことない。ウォーレン・ベイティ、ダイアン・キートンから、ナスターシャ・キンスキー、はてはチャールトン・ヘストン(!)まで出てくるこの映画、だけど別に感心するほどの出来ではなかったもんねぇ。これだけの豪華キャストを任されるんだから、それなりの実績はあるんだろうけどね。でも、今回懸念されていた割には気持ちよくつくり上げてて、なかなかよくやったんじゃないかと思うね。

 だけど僕は今回この話がシラケずに面白く見れたのは、後半でベッキンセールがあまり出てこなかったからだ…なんて身も蓋もないことだけを言うつもりはないよ。そのきらいはあるかもしれないけど(笑)。

 「運命」なんてことを持ち出すと、何だか自分の人生が人任せみたいな気がしちゃう。まるっきり受け身みたいなね。たぶん僕のかつてつき合った彼女も、そんな考え方がイヤだから否定してたんじゃないか。まぁ何となくロマンティックな趣向だから酔える人は酔えるだろうけど、ノれない人はやっぱりダメだろうし、現実問題としてそう身近に感じることじゃないよね。だけどねぇ、僕が言いたかった「運命」ってちょっと違うんだよ。それは最初から違ってたんだけど、今にして思えばもっと違いは明らかだ。

 この映画のミソなのは、「運命」を取り逃がしちゃった主人公が、奮闘努力の末にそれを取り戻すことなんだよね。僕はそこに、シラジラしいウソ話を超えたリアリティを感じる。リアリティって言葉が大げさならば、説得力とでも共感とでも言い換えてもいいよ。

 「運命」ってのは漫然と与えられるものじゃない…そう僕は思う。それって自分から求めていかなければ、きっと手に入らないものなんだ。つかみ取ろうとしなかったり、取り戻そうと努力しなければ、永久に失ってしまうことだってあるんだよ。

 そして「運命」は一つじゃないはずだ。もし望んでいた「運命」が手に入らなくても、手に入れようと努力した人間には、何らかの形でもたらされるものじゃないかなと僕は思うんだ。事実、僕の人生ではいつもそうなった。

 だから僕は雪を見ながら思ったんだよね。このリセット、必ずしも自分が望んだものではなかったけれど、きっと自分にとっていい事の始まりなんだとね。一見悪く見えるけど、良いことなんだと。神様はきっと、オマエは不運じゃないんだよと教えてくれた。そう思ったら、僕はすっかり気が楽になったんだよ。人間は納得出来ればそれでいいんだよね。むしろ納得出来なかったり、何をやっているのか分かってない方がツラいものだ。

 そんな雪の日、またまた朗報が飛び込んで来たじゃないか。何と5年ぶり、僕の大好きなローリング・ストーンズが日本にやって来ると言うじゃないか。そう言えば西暦2000年を数えてこのかた、ストーンズのライブは見てなかった。唯一見たのは知人からもらったライブDVDだけだ。メンバーはみんな還暦前後だから、生が見れるのはこれが最後かもしれないという。そんなチャンスにありつけるとは! ストーンズもわざわざ俺に会うためだけに、ワールド・ツアーのスケジュールを変えてまで日本までやって来るんだな(笑)。やっぱりそうだったのか!

 今度はミックが「サイン」を送ってくれるんだ、ステージの上からさ。

 

 

 

 

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