「まぼろし」

  Sous le Sable (Under the Sand)

 (2002/11/25)


「宙ぶらりん」な気持ちのつらさ

 僕はかつてある女とつき合っていた時、本当に狂おしい気持ちにさせられたことがあるんだよ。

 女との関係って(あなたが女性なら男との関係だね)うまくいってる時は甘美この上なしだけど、ひとたび不協和音が鳴り出すと何ともタチの悪いものになるものだ。僕もその時は、つき合っていた女との関係がおかしくなり始めて、かなり苦しい思いをしたんだよね。それも、それまでまるで疑いも何もなかった時に、晴天の霹靂のかたちでおかしくなったんだからね。僕にとっては何か隕石でも降ってきたみたいな何とも納得出来ない展開だった。

 あの時は本当に苦しかった。公私ともにいろいろ悩みのタネが降ってわいた時期だったので、なおさら苦しみ抜いた。自分は何も悪いことをしていないのに、何でこんな目に遭わねばならないのかと悩んだ。あげく相手の女を恨みもした。

 スベテアイツガイケナインダ。

 そもそもお人好しな自分がバカを見ただけなんじゃないのか…そんな忌まわしい思いしか心に去来してこない。本当に悪く考え出したらキリがないものだ。自分の妄想の中で、悪意に満ちた虚像が日に日に大きくなっていく。あげく、そんな自分の殺伐と荒れた気持ちを反映して、無茶なことを思ってみたり毒々しいことを考えたりもした。それは確かに誉められた事ではない。だが、その時の僕の心境を思えば無理もないものと理解して欲しい。こちらの身になれば、そんな気持ちがよぎっても誰にも責められないはずだ。

 あの時は本当に心に傷を負ったよ。ひょっとしたら、もう二度と癒しきれないかもしれないほどの傷を負った。そして迷い悩み苦しみ続けた中で、「宙ぶらりん」になった気持ちがアッチへ行ったりコッチへ来たり、行きつ戻りつを繰り返していたんだよね。実際にその時には朝、昼、晩…と、そのくらい目まぐるしく気持ちがコロコロ変わっていった。それでも僕はその次々と変わる心境の中でも、一つだけ変わらぬものを持てたんだね。

 それは、僕が覚えていた彼女本来の等身大の姿だった。

 だから、彼女は僕の妄想の中に出てくる女のように、僕を陥れたはずもないと最終的には思えた。お人好しと言うわけではなく、僕にはその実感が確信として持てたわけなんだ。自分の中にどんどん増殖する妄想の彼方にも、まだ彼女のリアルな姿は消えないで残っていた

 そして僕にとって幸いだったのは、こうしたトラブルの最中にも彼女の声を聞き、彼女と話が出来たと言うことだ。そこに彼女がいると実感出来た。そのつど僕は自分を正気に戻すことが出来たからね、彼女本人に接するたびに。

 だけど、この時に彼女自身との接点がなかったらどうだったろう?

 彼女の「実体」が、もしなかったとしたら?

 

夫の「消失」の後で

 ある初老の夫婦を乗せたクルマが、高速をひた走る。妻はやせ型のシャーロット・ランプリング。夫は巨体をもてあまし気味のブルーノ・クレメールという対照的なカップル。妻がハンドルを握る間は夫は助手席で居眠り、夫が運転すると今度は妻が一眠りと交代しながらひたすら走る。途中、サービスエリアでトイレに入ったりコーヒーを飲んだりしながら、さらにどんどん走る。こうしてたどり着いたのは、都会から遠く離れた南仏ランド地方の林の中の小さな家。この夫婦のささやかな別荘だ。

 二人のバカンスが、例年のごとく始まった。

 翌日は水着で近くの海岸に出掛ける二人。騒がしい海水浴場を避けて人けのない砂浜へとやって来た。妻ランプリングはもっぱら甲羅干し。夫クレメールは泳ぎに行くと言い残してその場を立った。

 甲羅干しを続ける妻ランプリング。

 だが、いくら待っても夫クレメールは帰ってこない。様子がおかしいと慌てて近くの海水浴場に飛び込み、警備員を呼んでくる。だが夫クレメールの行方は依然としてつかめない。しまいには警察に夫の特徴を教えて、調書をつくるハメになる…そう。夫クレメールはいまや「行方不明者」なのだ。

 いつものように二人分のコーヒーを用意するランプリングだが、夫クレメールはまだ戻らない。夜中に物音で目を覚ますが、それでも彼は帰ってこない。結局夫の行方はつかめぬまま、妻ランプリングは一人で別荘を後にすることになったのだが…。

 それから月日が経って、ここはパリ。中年女性アレクサンドル・スチュワルトの家では、友人たちを集めた夕食パーティーが行われていた。そこにはドレスに身を包んだランプリングの姿が…。そう。スチュワルトはランプリングの友人だ。彼ら気の置けないお仲間連中との楽しい会話が、ランプリングをすっかりくつろがせている。だが、ふとした会話をきっかけにランプリングが夫クレメールのことを話し出すと、一同の笑顔が凍り付く。クレメールの行方はいまだ分かってはいない。それなのに、ランプリングは何もなかったのごとく夫との暮らしを語っているのだ。

 見かねた友人スチュワルトはランプリングと二人きりになった時に、彼女に今夜のゲストの一人ジャック・ノロという男をどう思うか尋ねてみた。あの事件から何ヶ月も経ってクレメールが帰らぬ人となったことが決定的な今、友人スチュワルトとしてはランプリングに新しい男を見つけて前向きに生きてもらいたいと願っているのだ。だが、ランプリングは曖昧に笑うばかり。

 帰宅時には話題の男ノロが、ランプリングをクルマで自宅まで送ることになった。どうもノロはランプリングが気に入った用だ。彼女がクルマを降りる間際には、いきなりキスするノロ。だが、ランプリングはつれない素振りで家に戻った。

 家には…夫クレメールが待っていた

 翌朝はランプリングは出勤。彼女は大学で英文学を教えている。だが、生徒の一人に目をとめたとたん、彼女は急に狼狽えた。生徒の方でも彼女に気づき、授業の後で近づいて来る。「夏、ランド地方でお会いしましたね。僕はご主人の捜索隊にいたんです」

 だがランプリングの返事は素っ気なかった。「私、ランドなんかには行ってないわ」

 買い物時にはついつい夫クレメール用のネクタイを買うランプリング。まるで彼女の中では時が止まっているようだ。しかし店ではクレジット・カードが使えないと告げられ、彼女も愕然とせざるを得ない。

 そんな時、あのジャック・ノロから食事のお誘いが来た。再び夫クレメールがランプリングの前に現れるが、にも関わらず彼女はノロの誘いを受ける事にした。

 ノロとの楽しい食事、そして会話…。

 家に戻ったランプリングの脳裏に、セクシーな幻想が浮かんで来る。夫クレメール、そして食事の相手ノロ、合計4本の男の手が彼女の体をはい回る。だがそんな幸せな幻想も、快感が訪れた後に一気に冷めた。

 その次にノロと会ったランプリングは、彼の自宅へと誘われた。彼との初めてのセックス。だがその最中に、彼女はいきなり笑い出す。「あなたって軽すぎるから…」

 ノロとの情事の最中も、巨体の夫クレメールに抱かれる幻想を抱いていたのか…。

 だがこの日、ノロに思い切り抱かれたランプリングは、一種吹っ切れた思いもあった。

 そんな思いを抱きながら帰宅したランプリングを、一本の留守番電話メッセージが待っていた。

 「警察です。ご主人のものと思われる水死体が発見されました…」

 だがそのメッセージを黙殺し、録音テープを消去してしまうランプリング。慌てて彼女は家の中を見回すが、いつもは現れる夫クレメールの姿は今夜なぜか現れなかった。

 たちまちランプリングは気分がすぐれなくなった。

 気分転換に引っ越しを考えるが、不動産屋に紹介された部屋で窓の外の墓地を見ては気分が悪くなる。そんなこんなで不安になって病院に行ってみると、偶然そこで夫クレメールが医師の診察を受けていたことを知った。

 夫が処方を受けていたのは、ウツ病の薬だった…。

 モヤモヤする気持ちを振り切って自宅にノロを迎えたランプリングは、かつて夫と共に寝たベッドでノロに抱かれるが、絶頂感に達した時に脳裏に浮かんだのは夫クレメールだった。いたたまれず夜中にベッドを抜け出して、一人ソファで眠るランプリング。

 そんな彼女の様子をたまりかねたノロは、初めてランプリングに詰め寄った。「もっと前向きに生きなきゃダメだ。僕は君の力になりたい」…云々。だがそんなノロを、ランプリングは激しく拒絶した。さすがにこの仕打ちにキレたノロは、ドアを乱暴に閉めて家を出ていった。

 そんなランプリングは、ある日施設にいる夫クレメールの母親を訪ねる。愛する人をなくした者同士、慰めあって抱き合う…てな展開になるかと思いきや、たまたまランプリングがもらした一言が、とんでもない方向に発展してしまう。ランプリングは例のウツ病の薬から、クレメールが自殺したかもしれないと義母に告げたのだ。ところがこれに対する義母の言葉は思いもかけないものだった。

 「自殺じゃないわ、あの子は死んでない。あなたに飽きて失踪したのよ!

 それまでの美しくも哀しくお互い同情し合っていたような様子が、まるでウソのようなシラジラしいまでの変わりよう。そもそもこの義母、ランプリングのことが前々から気に入らず、子供が出来ないことも不満だったらしい。

 そうか、そういう訳だったのかこのクソババア!

 あくまでクレメールが生きていると言い張るこの義母に向かって、ランプリングは意外な言葉を言い放った。

 「彼のものらしい死体が発見されたらしいわよ」

 思わぬことから夫クレメールの遺体発見を自ら認めるかたちとなったランプリング。彼女は一路ランドの警察署へと向かった。

 警察署では担当刑事と検死官の報告を受ける。その特徴その他を聞いているうちに、ランプリングもこれが夫の遺体らしいと確信せざるを得なくなった。遺体はさすがに腐敗が激しいため、見ない方がいいと担当刑事と検死官に止められる。だが、それでも彼女は見ずにはいられない。今まで彼の死を受け入れられず、悶々としてきた彼女としては…。

 見ても分からない。見なければよかったかもしれない。それでも、その惨たらしい屍を見て諦めがついたのか…。

 遺品として海パンと腕時計を見せられたランプリング。海パンも夫のものだと認めて、今まさに彼の死を受け入れようというその時、最後の最後に腕時計を見たランプリングは、突如激しく笑い出した。

 「これ、彼のじゃないわ!」

 それは確かにランプリングが捜索の時に書いた特徴と一致するもの。それなのに、ランプリングは夫のものとは頑として認めなかった。遺体の確認は御破算に戻る。

 だがランプリングがその足で問題の海岸に舞い戻った時、彼女は思わず砂浜に突っ伏すと、感極まって号泣した。それは彼女が初めて「夫が死んだ」ことを認めた涙だったのか…。

 そんなランプリングが顔を上げた時…。

 砂浜に一人の人影が見えた。ランプリングの表情がさっと明るくなると、彼女はその人影に向かって一目散に走り出した。

 彼女の幻の呪縛は解けるのか…それとも、幻とともに生きる方が幸せなのだろうか?

 

愛の「実体」と「まぼろし」とは?

 フランソワ・オゾンの新作…と聞いても、実は僕には確固たるイメージが湧いて来るわけではない。近年は何かとよく聞くこの人の名前だが、実はその作品は「ホームドラマ」一作しか見ていないのだ。しかも、その記憶は極めておぼろげ。まぼろしのごとし(笑)。だからその作風を云々なんてとても言えないんだけどね。

 だが、その「ホームドラマ」一作のうろ覚えながら残っている印象をたぐって見れば、奇妙にブラックでカリカチュアライズされたような作品世界だったように思う。それからすると、この「まぼろし」はかなり印象が違うと思うよ。

 特に前段の部分はほとんど淡々としたドキュメントもどきの日常スケッチ描写。別荘のソファにかけてあったシーツを夫と妻が一緒になって畳んでいくあたりの描写で、この夫婦が積み重ねてきた年輪を感じさせるなかなか手堅い演出だ。

 本題に入ってからは夫の幻想が頻繁に現れては来るものの、その描く姿勢が自然体なのは変わらない。基本的にはヒロインの日常と心情風景のスケッチに終始する。だから、このオゾンの前の作品は、あまりこの作品を味わう助けにはなりそうもないと思うんだよね。

 今回の超目玉は、何と言ってもシャーロット・ランプリングその人であることは言うまでもない。「地獄に堕ちた勇者ども」「愛の嵐」が強烈な印象を与えたこの女優。語学堪能なのが幸いしたか、その後なぜかヨーロッパからアメリカ映画にまで縦横無尽の活躍ぶり。だがその使われ方と言えば、「愛の嵐」などの退廃、妖しげなイメージを安易に引きずったシンボル的起用に終始していたように思う。ハッキリ言って彼女はその後、その強烈な個性や力量に見合った作品に、数少ない例外を除いて巡り会ってないという印象があるんだね。もっともかなり特異な持ち味の女優さんだから、その器に見合った作品などそうそうありはしないと言えもするのだが…。

 それが今回は全編出ずっぱりの堂々たる主演で、見事な復活を遂げたわけ。驚いたのは、それがナチ占領下だとか中世だとか、そんな強烈なシチュエーションのものではなかったと言うこと。ごく普通の初老女性の日常にポツンと置かれたところが、この人としては新しいと言える。

 でも、それでは上記したように彼女の器に見合ってない作品ってことにはならないか?…というと、それはまた違うんだよね。

 確かにここには普通の人間の日常しか描かれてない。だが彼女は、愛する人の消失という特異な状況に置かれているのだ。それって普通の日常の中における、異常事態とは言えまいか? ヒロインの想いは千々に乱れ、現実から一種の狂気へと行ったり来たりする。このあたりが元々ランプリングが持つ、どこか妖しげで危ない個性とマッチしているように思えるのだ。

 そして、そんなこの映画の見どころはズバリ、「宙ぶらりん」な感情だと僕は思う。

 夫の消失以降、周囲は彼の死をほぼ確信しているのだが、ヒロインだけはそれを受け入れることが出来ない。死体そのものを見るまでは、それはとても受け入れがたいことなのだろう。それで彼女は、あたかも夫がまだそこに存在するような幻影を見る。彼が存在するかのように振る舞う。だが、彼の消失した事実は日常の折りに触れてヒロインの前に現れてくる。ついには警察からも遺体発見の連絡がくる。ヒロインはその発見の知らせに耳を塞いではしまうが、消失の事実は次から次へと目の前に現れ、そのたびに現実と向き合わざるを得なくなる。

 一時は別の男とつき合ってみようと試みる。その時も、気持ちは夫と新しい男との間で行ったり来たりするのだ。明確な別れ…というものを通過していない以上、彼女の気持ちは「宙ぶらりん」にしかなりようがないのかもしれない。まぁ、これは新しい男にとっては耐え難い残酷な仕打ちなんだけどね。このヒロインが置かれたような異常事態においてのみ、彼女の気持ちは理解出来ないでもないのだが…。

 また仮に夫が死んだと認めたとしても、事故なのか自殺なのかで気持ちがグラつく(映画前段の夫存命中の描写でも、そのあたりのことは極めて曖昧に描かれていた)。さらに映画後半の義母とのやりとりの中では、ヒロインを捨てた失踪…という新たな方向づけがなされる。すると、いきなり物語はまたまたの急転回を見せるのだ。夫が失踪したなどとは思ってもみなかったヒロイン。そんなヒロインをせせら笑うかのように残酷な言葉を投げつける義母。ここに及んで初めて、ヒロインは夫の死を受け入れようとする。それはいっそ自分を捨てたという耐え難い可能性を受け入れるくらいなら、夫が死んでしまったと考える方がマシという、ヒロインの切ない思いの現れだろう。

 彼女は警察まで行って惨たらしい死体を見て、いよいよ夫の死を全面的に受け入れようとする。ところがその確認作業の最後、ギリギリのところまで来て…ようやくすべてを受け入れるかに見えた彼女は、結局最後の最後で夫の死という「現実」を拒否してしまう

 だが、その後海岸に出たヒロインが砂浜で泣き出してしまうのは、やっぱり夫が死んだのだと悟ったからに他ならない。では彼女はようやく観念したんだろうかと思えば、またしても海岸に人影を見つけて、あたかもそれが夫であるかのように駆け寄っていく…。この「夫が死んだ」「死んでない」の間でギコギコと行ったり来たりする思いや葛藤は、僕らにとってもすごく実感のあるところではないだろうか。

 この文章の冒頭に、僕はかつてつき合った女性とのイザコザについて書いたよね。そんな千々に乱れ一日のうちにめまぐるしく変わる気持ちの中でも、結局、僕は何とか正気を保っていられた。

 それはなぜか?

 それは僕が確固として、自分の中にその「実体」というものを持てていたからなんだよね。それがなかったらツラいと思うよ。だって愛情って「相手に対する想い」やら「信じるってこと」でしかない。それは「実体」を伴わない「観念」でしかないんだから。それって言ってしまえば空気みたいなもの…ちょっと意地悪く考えてみれば「まぼろし」に過ぎなくなってしまうんだよ。それを僕らは日常の中で、相手という「実体」で何とかつなぎ止めている。相手…という「想いをぶつけ得る」存在、「信じうる」存在があってこそ、愛情にも「実体」が生まれて来るものなのだ。それがなければ、すべては「まぼろし」に終始してしまう。

 でもねぇ、相手という「実体」も目で見えているのと実際は違うかもしれないしねぇ。本当のところは分からない。ただ、自分が「信じている」って事実があるだけだ。それでも、それはかけがえのないものに違いないし、それなしに人は生きてはいけない。

 例えすべてが「まぼろし」であったとしても。

 

 

 

 

 

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