「ザ・リング」

  The Ring

 含・日本版「リング」Ring ショート・レビュー

 (2002/11/25)


猛威を奮う「悪意」のウィルス

 うちのサイトがかつてロクなゲストブック持ってなくて、みなさんにご迷惑をおかけしていたことは記憶に新しいんじゃないかと思うんだね。何しろ字が小さいしちゃんと入力出来ないしで大ヒンシュク。おまけにみんなが書き込んでもレスがない(笑)。あれは評判悪かったよねぇ。

 だけど僕としてはゲストブックやら掲示板ってやるつもりがなかったんだよね。何だか掲示板のホストってガラでも器でもないし。それに大々的にオープンしたはいいが誰も来なかったりしたら傷つくでしょうが(笑)。そんな訳で今の新しいやつに付け替えた時も勇気が要ったんだよね。

 で、以前はゲストブックがイマイチ使い勝手が悪いもんだから、みんなメールを送ってくれてたわけ。ところがこれがだんだん増えてきたもんだから、さすがに手に負えなくなっちゃったんだね。僕はあの旧来のゲストブックの書き込みにもメールでレスしてたから、メールのやりとりだけで夜中遅くまでかかってしまうことになっちゃった。さすがにこれではどうにもならないというのが、あのゲストブックをリニューアルしたイキサツなんだよね。

 では、あのレス付け出来るかたちになってからはメールの数が減ったか…というと、確かにみなさんからのお便りはかなり少なくなった。だけど僕あてに来るメールの数は、あの時以上に増えてきてるんだよ。それは別に僕のところが人気爆発してるからじゃない(笑)。

 何ともウンザリさせられる、迷惑メールが激増しているから。

 迷惑メールったってエロものならまだ楽しめるからいい(笑)。今大半を占めているのは、妙な添付書類がついたシロモノ。そう、ウィルスをまき散らすメールなんだよね。

 ところがマック・ユーザーの悲しさと言おうかうれしさと言おうか、ほとんど全部がウィンドウズでしか感染しないウィルスらしく、いまだ実害はゼロ。ウィルスにも相手にされてないのかとちょっと寂しくはあるが、とにかく難は逃れているんだから文句は言えまい。

 何でもハードディスク上のメール・ソフトにこれが感染すると、そのアドレス・リストの宛先すべてにウィルスをまき散らすというシロモノらしい。メール・ソフトからメール・ソフトへ。次から次へと世界的規模で感染が広がっていく。ネットというまったくバリアのないコミュニケーションの弱点を突いた、何ともタチの悪いイタズラじゃないか。

 ウィルスの中にはサイトで感染するものもあるとかで、これなんか見ただけでアウトってことだろう? こういうのつくる奴ってのは、みんながネットでいろいろやるのをやめさせたいのだろうか? ウィルスなんてどこのオタクがつくっているのか知らないが、暴言だと言うことは百も承知でこの手の連中に怒りの言葉の一つも吐きたくなってくる。どうせ履きっぱなしの汚ねえジャージをいつも愛用してて、美少女ゲームかアニメでも見てオナニーした手をそいつで拭いちまったあげく、平気でその格好でコンビニでも行って弁当買ってるような奴なんじゃないのか(笑)。「週刊金曜日」もそういう奴だけイジメればいいのに。って、どうせ「週刊金曜日」自体がその類の連中と五十歩百歩のゲスな奴らだろうけどね。

 僕の知人などはこれでサイト閉鎖まで追い込まれた。で、ひょっとしたら自分のところから感染した人もいるかもしれないと気に病む事になってしまったんだけど、元々がこの人だって感染させられたんだものねぇ。こちらだって立派に被害者なんだよ。悪いのはウィルスつくった連中だ。一人でオナニーでもコイてろ、このボケどもが(怒)。

 それにしても、誰にも止めようがないコミュニケーションという手段を使って、世界中に罪悪をまき散らすところが何とも忌まわしい。きっとこいつらがまいているのは単にウィルスではない。こいつらには到底築けない健全な人間関係や交流への恨み辛みねたみ…つまりは、こいつらの歪んだ悪意をまき散らしているように思えるんだよね。

 

怖さに驚かされた日本映画版「リング」

 僕はつい最近まで(まぁ今でも大して見ているとは言いがたいんだけど)邦画をほとんど見ない人間だったんだね。これが映画ファンとしては歪な態度だというご批判は甘んじて受けるとして、ともかくはそんな訳だから、公開後かなりの話題になっていたホラー映画「リング」についても、当然のごとく劇場では見ていない。ただその「怖さ」がかなりの評判にはなっていたから、見てみたい気持ちはかなり高まっていたんだよね。

 そして期待通りそれは公開からあまり時を経ないうちにテレビ放映されることになった。今回はさすがに僕も見逃すまいと思ってはいたが、仕事の関係で放映時間には帰宅できない。で、自宅のビデオデッキに録画予約をして、仕事に出かけていったわけ。

 帰宅したのは夜もかなり遅くなってから。いろいろ雑事を済ませてようやくビデオデッキの前に座ったのは、家族も寝静まった11時半過ぎのことだと覚えている。録画はうまくいっていたようだ。

 静まり返った家の中でビデオを再生しながらの「リング」鑑賞は、僕にとってはちょっとした恐怖の追体験だった。

 身内の女子高生の謎の突然死から、テレビ関係者である持ち前の好奇心も手伝って、松嶋奈々子扮する主人公は事件の謎に迫っていく。死んだ姪は凄まじい形相で死んでいた。しかもその友人たちも同時刻に謎の死を遂げている。彼女たちがバカンスで投宿した山荘へとたどり着いた松嶋は、そこで不思議なビデオテープを一本発見するわけ。それを問題の山荘で再生すると、そこには何とも気色悪い映像が収録されているではないか。しかも見た直後には、松嶋がいる山荘の一室に電話がかかっている。電話は一言不気味な言葉を残して切れた。「死ぬまであと七日…」

 松嶋はこれにただならぬ気配を感じて、ビデオテープを持って東京に戻る。しかも自分を写真で撮影すると、妙に歪んだ像しか写らない。これはただの脅かしビデオではないと察した彼女は、自分が女手一つで育てている息子の父親であり、自分の前夫でもある霊能者の真田広之に相談を持ちかける。彼はビデオの恐ろしさについては半信半疑ながら、自らもこのビデオの由来に惹かれて、松嶋と共に事件の真相を追っていく。

 何しろこの「呪いのビデオ」そのものの映像が何とも気色悪い。正直言って「リング」全編もかなり怖いのだが、何と言ってもこのビデオの内容そのものが気色悪すぎる。それだけで僕は何ともイヤ〜な気分になった。それは得体の知れない気味悪さ…僕がいつも良質の怖い映画に対して抱くイメージ、つまりは「田舎の便所」みたいな恐怖をカタチにしたようなものだった。

 ここでその内容を事細かにバラすのは、日本版「リング」、そしてこれからここで紹介するアメリカ版リメイク「ザ・リング」を未見の方にとっては興ざめでしかないので割愛するが、ともかくはそこに貞子なる少女が深く関係してくることぐらいはみなさんもご承知のことと思う。鈴木光司による原作からして、ビデオで増殖する恐怖という発想がとにかく卓抜している。そして「女優霊」ですでに怖い映画の実績を積んでいた中田秀夫監督の映画も、この怖さを心憎いばかりに表現していたように思う。主役の松嶋奈々子については僕は元々あまり好きな女優じゃないし、正直言ってここでもイマイチな印象しかないのだけれど(しかるべき職業人としてのタフさも母親の優しさたくましさも僕にはあまり感じられなかった。)、映画全体はかなりイヤ〜な感じを引き出すのに成功していたように思う。

 というわけで内容にはここで深く言及しないのだけれど、とにかく終盤に激烈な見せ場があって、ここは本当に見ていて参った。僕がみんなが寝静まった家の中、コトもあろうに録画「ビデオ」でこれを見ていたというのも最悪…いや、最高の効果を挙げていたのかもしれない。ともかくあれにはビビッたよ。僕の知人などはこの最大の見せ場に至る前にお話が終わったと思ってテレビのチャンネルを切り替えたらしく、あとで知り合いと「リング」の話をしているうちに自分が映画を終わりまで見ていなかったことに気づいたという笑い話もあるくらい。その最大の見せ場を見ていなくてもこの知人は十分怖かったというあたりからも、この「リング」のホラー映画としての怖さ面白さはうかがえるはずだ。

 ラスト、母親である松嶋は自分の息子を車に乗せて出かけていく。なぜ、どこに出かけるのは前述の理由で説明できないが、ここでの去っていく車とどんよりとした周囲の雰囲気は、何とも不吉で底冷えするような印象を見る者に与える。これから事態は一体どうなっていくのだろう?…という漠然とした不安感を醸し出すこのエンディング。実は僕はこのラストシーンを見た時に、あのジェームズ・キャメロンの「ターミネーター」第一作のラストシーンを図らずも想起した。それは将来に広がる絶望感と、子供を持つ母親のそれに立ち向かおうと決意する悲壮とも言える覚悟から、共通するものを感じたのかもしれない。それほど僕にとってはこの両者のエンディングには相通じるものを感じた。ひょっとしたら中田秀夫監督も、このエンディングを設定するに当たって脳裏に「ターミネーター」のラストが浮かんでいた可能性は高いのではないか。試しにこの両者を並べて見てみれば、僕がここで述べている共通するムードをご理解いただけるかもしれない。

 この「リング」以降、日本映画にはホラー映画が氾濫したのはみなさんご存じの通り。それは海の向こうでも同じだったようで、確か「リング」は韓国あたりでもリメイクされたと聞く。その勢いはついに映画の本場ハリウッドにも到達して、あのドリームワークスがアメリカ版をリメイクするに至った。言うまでもなくドリームワークスは、あのテレビから這い出した怨霊が家庭に生み出す恐怖を描いた「ポルターガイスト」を製作したスティーブン・スピルバーグが創設した映画会社だ。

 

今日びテレビに映るものにロクなモノなし

 女子高生アンバー・タンブリンの家は今夜は両親が留守。そこで友人レイチェル・ベラを自宅に招いてくだらないダベりの真っ最中。そこでひょんなコトから出てきたのが、女の子連中が集まれば出てくる都会の怪談話。見ると七日で死を迎える「呪いのビデオ」の話だ。だがベラがその話を口にすると、なぜかタンブリンの表情が曇る。それもそのはず、実はちょうど一週間前の今日、タンブリンは何とも得体の知れないビデオを友人たちと見たというのだ。何とも言えない恐怖が二人を包み込むが、すぐに悪ふざけのバカ笑いに収まってしまうところが、いかにも箸が転がっても…もとい、ここアメリカではフォークが転がってもおかしいお年頃ならでは。そんな時に絶妙のタイミングで電話がかかってきてまたしてもビビる二人だったが、それもタンブリンの母親からの電話だとオチがついた。

 ところがベラが二階に上がった後で、その異変は起きた。なぜか居間のテレビが点灯するではないか。そしていきなりおぞましい映像が…。

 「こんばんわ、筑紫哲也です」

 こんな番組見たくもないと、リモコンで切ってもコンセントをはずしてもブラウン管は明るいまま。これにはさすがのタンブリンも血が凍った。考えてみれば、今はまだ夜10時。筑紫の番組なんてやっているわけがないではないか。さらに二階に上がったはずのベラをいくら呼んでも答えがない。コワゴワ二階に上がったタンブリンが自室に入っていくと、なぜか自室のテレビまで点灯しているではないか。そして、画面にはあの人物が…。

 「多事争論です…(笑)」

 さて場面変わって、小学校の教室で黙々と絵を描くデイビッド・ドーフマン坊や。彼は母親が迎えに来てくれるのを先生と一緒に待っていた。そこにやかましく聞こえてくるしゃべり声。携帯電話に向かって言いたい放題の女の声だ。

 「ガタガタ言わないでよ、マスコミは何やってもいいんだから。『週刊金曜日』は北朝鮮拉致被害者が泣いたって何だってスクープとれりゃいい。フジテレビなんか香港のタレント殺したって富士山の風穴メチャクチャにしたって面白けりゃいい。朝日だって沖縄のサンゴ傷だらけにしたって記事とれりゃいい。ナベツネなんかテメエが相撲も野球もしてないくせに、貴乃花やゴジラ松井に文句の言い放題なんだから。マスコミは誰よりも偉いのよ、分かった?」

 そんな暴言吐きまくってやって来たのが、坊やの母親ナオミ・ワッツ。彼女はシアトル・ポスト紙の記者で、女手一つで彼ドーフマン坊やを育てているシングル・マザーだった。慌ただしく先生に礼を言ってその場を立ち去ろうとするワッツだったが、なぜか先生が彼女を呼び止めた。そして差し出したのが、彼が描いたおびただしい絵。いずれも女の子が死んで横たわる不吉な絵だった。

 そう。実はドーフマン坊やの従姉妹、ワッツの姪である例のアンバー・タンブリンが亡くなったばかり。タンブリンはドーフマン坊やをそれは可愛がってくれていたから、彼にとってもショックではあったろう。こんな絵ばかり描いている坊やを先生はひどく心配していたが、ワッツは姪が死んで三日しか経ってないから当然のことと取り合わない。多少のことがあっても、例え罪もない人を泣かせても、知らぬ存ぜぬ動じないのがマスコミ人の心得だ。だが、ワッツの言葉を聞いた先生の表情は一気に凍った。

 「三日前?」

 何とドーフマン坊や、この死んだ女の子の絵を一週間前から描いているというではないか。

 そんなイヤ〜な予感は振り払い、タンブリンの葬儀に出かけるワッツ母子。だがタンブリンの死が突然の心臓発作という奇妙さから、葬儀は何とも不気味な雰囲気が漂っていた。しかも棺にはフタがしてあって、誰も遺体の表情が見れない。実はタンブリンの遺体、とても人に見せられるような状態ではなかったのだ。何せ表情が醜く歪んで尋常ではない。一体彼女に何があったのか?

 タンブリンの両親は、ワッツが新聞記者だったこともあって、タンブリンの死因について調べて欲しいと迫ってくる。

 「マスコミも悪いことばっかりやってないで、たまには人の役に立ったら?」

 そう頼まれりゃイヤとは言えないところにきて、ワッツ自身もマスコミ特有の好奇心にかられた。てなわけで彼女はこの事件の真相を探ることを決意したわけ。

 そうなりゃ早速現場で取材が記者の鉄則だ。何人かの遺族関係者にマスコミの常套句「今のお気持ちは?」をぶつけて大ヒンシュクかったあげくに、ようやく葬儀に集まったクラスメートを見つけていろいろ問いただす。聞くとタンブリンの友人も同時に亡くなっているというではないか。知り合いの若者4人が同時に死んでいる。これは確かに普通ではない。

 ワッツはタンブリンが生前に現像を頼んでいた写真を回収する。するとそこには問題の4人がバカンスで山荘に泊まった様子がとらえられていた。ただ不気味なのは、写っていた4人の顔がいずれも奇妙に歪んでいたこと…。

 早速ワッツは事件の発端である山荘に車を飛ばしていた。

 彼らが投宿した宿には、何とも貧弱なビデオ・ライブラリーがあった。何でもこの宿は電波状態が悪いためビデオを貸し出しているとか。ワッツは記者の本能で、そこにあったラベルなしの得体の知れないビデオテープ一本をくすねて、彼女たちが止まった山荘の一室に入ってみた。

 山荘を臨む高台には、まるでアッバス・キアロスタミ映画みたいな木が一本立っている。夕日がさして闇が迫ってこようとしている中、ワッツは先ほどのビデオをデッキに挿入した。

 な、なんだ? この気色悪い映像は?

 漆黒に浮かび上がる不気味な光の輪、辺鄙な岬、長い長いハシゴ、海岸に打ち上げられている馬、鏡に映る中年の婦人の顔、その婦人が崖から飛び降りる様子…などなどなど。

 なんだこりゃ?…と呆気にとられるワッツ。そこに突然一本の電話が! 受話器をとったワッツの耳に、何とも不可思議な言葉が…。

 「あと七日で死ぬわ…」

 女の子の声で告げられたその言葉も気色悪いが、何よりなぜワッツがここに来ていると誰も知らないのに、この部屋の電話が鳴ったのか?

 何ともイヤな気分になったワッツは、慌ててビデオテープを持ってその場を後にした。

 それ以来、ワッツの顔を写真撮影するとどれもこれも歪んで写る。すっかりふさぎ込んだワッツは、たまりかねてある人物を家に招く。それはしがないビデオ・カメラマン稼業を営んでいる彼女の前夫…そしてあの息子ドーフマンの父親でもあるマーティン・ヘンダーソンであった。訳あって別れたものの、こんな訳ありの話を出来るのは彼しかいない。しかもビデオ関係の仕事をしているという好都合もあると、ワラにもすがる思いでヘンダーソンを呼んだのだ。

 だがワッツから話を聞いても、まったく動じずに軽く考えているヘンダーソン。歪んだ写真を見せてもヘラヘラ笑ったままだ。「呪いのビデオって、オマエひょっとして間違えて筑紫哲也のニュース番組でも見たんじゃないのか? あれ見りゃ誰でも胸クソが悪くなるぜ。久米の番組見ると頭悪くなるけどな」

 てなこと言いながら、ヘンダーソンは問題のビデオも臆することなく見たあげく、アマチュア学生映画の出来損ないと一刀両断だ。だが、そこにまたしても電話がかかってくる。これにはワッツまたしてもビビッた。聞く勇気をなくしたワッツは、そのまま受話器をとることはなかったのだが…。

 

 

 

 

 

 

 

日・米版ともご覧になってない方はここまで

 

 

 

 

 

 

 

 ともかくコピーをくれと言ったヘンダーソンの言葉に従って、会社のビデオ室でコピーを録るワッツ。そしてビデオのさまざまな場面を写真に撮って、その分析を開始した。

 ビデオに写っていた岬には突端に灯台があった。全国の灯台を調べていくと、それはモエスコ島という最果ての島にある灯台だった。ホームページで検索したこの灯台のサイトには、かつての灯台職員たちの集合写真があった。その中にはビデオで鏡に映っていた中年婦人の顔が…。その婦人を検索していくと、彼女は島で牧場を経営し、多くの馬を育てて大きな成功を収めていたようだ。

 だが、その末路は悲惨だった。島では馬の原因不明の死が相次いだ。突然狂いだした馬が海に飛び込んで自殺を遂げていたのだ。この中年婦人自身も晩年は精神病院で過ごし、最後は崖から海に飛び込んで死んだ

 その頃、事態を軽く見ていたヘンダーソンも、コンビニのモニターテレビに自分の姿が歪んで映るのを見て肝を冷やした。これは只ならない事態だ。ようやくコトの重大さを悟った彼は、ワッツと協力して調査を開始する。そして親子三人で一緒に行動するうちに、長く放っておいて交流もなかった息子ドーフマンと、ポツリポツリとではあるが話を始めるのであった。「俺は若かった。そして父親になる自信がなかったんだ…」

 さて、例の自殺した中年婦人には娘がいた。だが、その後この娘の消息はプッツリと途絶えている。

 そんな中、ワッツとヘンダーソンの息子ドーフマンが、留守中にあのビデオを見てしまうという不測の事態が起こった。あと七日で息子の命が奪われる。ワッツ自身にも残された時間はあと二日。

 ワッツは単身モエスコ島にフェリーで渡って調査を進めることにした。ヘンダーソンは本土に残って別の調べを行う。ところがそのフェリー上でまたしても不気味な事件が起こる。トレーラーに乗せられた馬をワッツが見つめていると、突然馬が狂いだして海に身を投げたではないか!

 島に渡ったワッツは早速例の婦人の牧場に足を運ぶ。すると、やはり…と言うべきか、この牧場のそこかしこにビデオに写っていた光景が見つけられた。いまや馬一頭いない寂れた牧場には、例の婦人の夫である初老の男ブライアン・コックスただ一人。ワッツがマスコミ関係者と知って表情を固くするコックスだったが、最初はともかくワッツの質問に答えようとはしていた。だが、ワッツが娘の存在について問いただすと、たちまち激高したあげく彼女を牧場から追い出した。

 「だからマスコミは嫌いなんだ、オマエ『週刊金曜日』の回し者だな? 」

 今日び「週刊金曜日」がらみなら誰だって家から叩き出すだろうが、このジジイの剣幕は何やらただならぬ気配。一体、娘の身に何があったのだ。

 為す術もなく島の医師ジェーン・アレクサンダーを訪ねたワッツは、そこで思いもかけないことを聞かされた。例の婦人とコックスの夫婦には子供がいなかった。そこで子供を強く望んだ婦人は、いずこからか養女をもらって来たというのだ。それが娘サマラだった。だが、このサマラという娘は婦人の新たな悩みの種となった。娘を抱いている時に限って、婦人が奇妙な幻想や悪夢にとらわれるようになったと言うのだ。その頃、島には突然、作物の不作やら例の馬の奇病が相次いだ…。

 「それが娘サマラがいなくなったとたんに、すべてなくなったの」

 元々保守的で因習に縛られ、迷信や偏見が渦巻く島社会。その島が多少デカくなった日本列島でも事態は大して違いはない。いや、日本なら「週刊金曜日」の記者が黙ってやしないだろう。北朝鮮拉致被害者にやらかしたことどころか、もっとひどいことを平気でやりかねない。おっと、話がちょいと脱線した。ともかくは娘サマラはみんなの邪魔者だったというのだ。そして、彼女は精神病院へと追いやられた…。

 一方、そんなワッツからの電話報告を受けて、ヘンダーソンは娘サマラの閉じこめられた精神病院の記録を調べ始めた。まず、当のサマラはもうその病院にはいなかった。そして彼女の診療記録を残したビデオテープも、ファイルから忽然と姿を消していた。その最後の閲覧者は、サマラの養父であるコックスだった。

 夜中、再度コックスの牧場を訪ねるワッツ。だが、コックスの姿はない。ついつい家の中に上がり込んだワッツは、そこで失われたサマラの診察テープを発見する。孤独な独房のような部屋に一人きりの長い髪の少女サマラことダヴェイ・チェイス。彼女は医師の診察におずおずと答える。自分が悪いとは知りつつも自分ではどうにもならない。彼女も自分が持つ不思議な、そして自分ではコントロールできないパワーの存在を知っていたのだ。そんなビデオを見ているワッツの背後から、あのコックスがゆっくり迫ってくる…。

 いきなりぶん殴られるワッツ。すっかり逆上したコックスは、問題のビデオを手に取ると二階の浴室に走っていった。そんなコックスを追って浴室に向かったワッツが見たものは?

 浴室にはテレビやビデオデッキが張り巡らされた電気配線とともにセットされていた。バスタブには水をめいっぱい溜めてある。そのビデオデッキには、さっきの診察テープの他に忌まわしい「呪いのテープ」までセットされていた。テレビに映ってるのはもちろん筑紫哲也「ニュース23」(笑)。

 「こんなものがあるから、いつまでもこんなコトが起きるんだ!」

 怒り狂ったコックスは自分の体に電気配線を巻き付けると、バスタブに浸かって電源にプラグを差し込んだ。「ナメんなよ筑紫ぃぃぃぃ〜っ!」

 バリバリバリッ!

 たちまち激しいショートが起こり、コックスは一気に感電死。テレビやデッキもテープもろとも燃えだした。筑紫の「ニュース23」が映ってたテレビも燃えだした。あまりにあまりの出来事に泣き叫ぶワッツ。そんな打ち震える彼女を、イヤな予感を覚えて駆けつけたヘンダーソンが抱き留めた。

 さて、すべて手がかりが失われ、打つ手がなくなったワッツとヘンダーソン。だが、サマラが提示した期限は刻々迫る。途方に暮れた二人がふと気づいたのは牧場の端に建てられた納屋だった。果たしてその納屋の屋根裏には、長い長いハシゴがかけられていた。このハシゴを除いては全く外界から隔てられたその屋根裏にあったものは、何とあの娘サマラの隠し子供部屋ではないか。こんな寂しい場所に、たった一人であの小さい少女は追いやられていたのか。

 だが、そんなこんなしている間にも時間は容赦なく過ぎていく。残すところあと1日。果たしてワッツは自分と息子の命を、「呪いのビデオ」から守り抜くことが出来るのか? そしてあのサマラなる少女の身に、いかなる運命が降りかかったのか?

 

他者が「貞子=サマラ」に変貌する時

 アメリカ・ハリウッドでリメイクとは大出世と言いたいところだが、何だかメチャクチャにアレンジされてしまうんじゃないだろうか。あるいはそもそも「リング」の持つ貞子やら井戸やらの日本的気色悪さが減退してしまうんじゃないだろうか。そのへんは今回のリメイクにあたって、誰しも思った疑問だろうね。しかも監督が「ザ・メキシカン」のゴア・ヴァービンスキーと聞けば、なおさら不安が増幅される。大丈夫なのかハリウッドで、うまくいくのかこの男の監督で?

 で、見てみた今回のリメイク版、ハッキリ言って見て驚いた。

 ほとんど日本版「リング」をそのまま再現したつくりになっているんだよ。そもそも主人公を母親にした時点でこれは小説「リング」ではなく日本映画「リング」の再映画化作品であることは明白だ。それ以外のディティールもかなり日本映画版に肉薄している。結果として、結構これはこれで怖い作品に出来上がっているから面白い。実際の感触からすると日本映画版よりは少々怖さが減退している気がしないでもないが、それはすでに日本映画版で内容は知っているからね。それをさっ引いてみると決して悪い出来じゃない。むしろ良くやったと言えるんじゃないか? 馬が出てくるくだりはハリウッドの独創だが、それも全体を傷つけてはいない。むしろお話をアメリカに移植する上での助けになっている。それ以外は例の凄いヤマ場もそのまんまだ。僕が「ターミネーター」との類似性を指摘したエンディングだけは、去っていく車というショットを採用していないものの、基本的に同じ趣向にはなっている。リメイクだけにガンガン手を入れて「オリジナリティー」を加えたい誘惑を抑えての今回のリメイク、まずはその作戦は賢明だったと言えるだろうね。

 おかげで僕はこのアメリカ製「リング」を見て、いかに最近のハリウッド・ホラーが低次元に落ち込んでいるかを痛感したよ。血みどろ脅かし幼稚なお色気。ガキのための子供だましに終始する「ラストサマー」あたりのホラー映画と比べて、この映画の持つ気品というか格は段違いに高い。おまけに気色悪さはこっちが勝っている。そこらへんにハリウッドもようやく気がついたってことなんだろうかね。

 だが、それでは日本映画版と同じような感触だろうかと言うと、これが微妙に感触が違ってる。まず冒頭の女子高生のやりとりに、まるで「スクリーム」冒頭のようなアメリカ製ホラー映画の典型的ムードが漂っているのはご愛敬。そして、結末に漂う雰囲気も多少ニュアンスが違う。ヒロインが息子の命を救おうとする行為が描かれていることに違いはないが、こちら米国版では「呪いのビデオ」が野放図に広がっていくことの恐怖がより強調されている観が強い。映画の中盤でサマラの義父が例のビデオを回収して抹殺しようと試みていることもあって、このビデオの真の恐さが「見て七日間で死ぬ」ということよりは、どんなに抹殺を図ろうと人間の「生き延びたい」という願望につけ込んで蔓延していってしまうところにあることが明確に打ち出されているのだ。これはかなり恐ろしい。何でも日本版「リング」と二本立てで公開された続編「らせん」には、「リング・ウィルス」とかいうシロモノが出てきたらしいが、何もそんな道具立てを引っ張り出す必要などない。このビデオ、根絶しようにも勝手に見た人間が増やしていってくれるという点で、もうすでに立派に「悪意」のウィルス化しているのだ。これが、ひょっとしたら全世界に広がっていきかねない…とまで感じさせるような、何ともスケールのでかい不安感を醸し出しているんだね。

 だが日本版と米国版の印象の違いはそれだけにはとどまらない。そんなことよりもっと大きな感触の違いは、映画全体に漂う親と子の問題の重要さだ。

 養父母の身勝手さゆえに元々持っていた忌まわしい力を「呪い」にまで増大させてしまった貞子ならぬ少女サマラ。生き残っていたこの養父に対してヒロインが持つのは、自ら母親であるがゆえの怒りの感情だ。元々の話からして、映画の後半は息子助けたいがゆえの真相追求となっていくわけだが、今回はその傾向が一際強い。これは正直言って日本映画版の松嶋奈々子が母親のムードが希薄だったのに対して、今回のヒロインのナオミ・ワッツがそのへんを強調して演じたおかげだろう。というより、残念ながら女優としての成熟度の違いか。自分もまだ甘ったれた娘気分が抜けそうにない松嶋ではいかんともし難いあたりだろうし、それは僕をも含めた今の日本人そのものが持つ甘ったれ気分の反映かもしれない。このへんは我が身を振り返っても少々頭の痛いところだ。

 この親になる資格のなかった大人が生み出した悲劇の側面は、実は主人公側にも色濃く漂っている。ヒロインの前夫は久しぶりの息子とのぎこちない再会に、ついつい自分に父親としての自信がなくて逃げ出したとの言い訳をする。そんなことを息子に言っても仕方ないのに、言わずにいられない情けなさが何とも痛々しい。背景にはどうもこの前夫の父親がロクでもない男だったことがあるようで、そのへんに現代社会に広がる児童虐待問題をも匂わせているあたりが、時流に敏感なアメリカ映画らしい巧みさだ。だが、それにしてもこの男がいつまでも大人になれない責任回避男であったことは否めない。おそらくは彼は息子と共に、ヒロインと築いていくべき関係をも恐ろしくて投げ出してしまったんだろう。それは今この文章を書いている僕自身の喉元をも突いてくる、何とも苦々しい現実だ。

 しかも息子のために謎解きに東奔西走するヒロイン自体、まるで問題なしとは言い難いのがまた巧みな設定だ。仕事のためとは言え学校に迎えに来るのが遅れたヒロインは、教師から息子の抱える問題点を指摘されてもまるで気にとめない。あげく葬儀に出かける時になれば、自分より息子の方が支度をキチンと出来ている皮肉さ。彼女とても、まるで成熟した大人とは言えない状態なのだ。

 そんな頼りない大人のヒロインと前夫が、事件の謎に迫って息子を救おうと努力する過程でサマラという少女の苦難の運命を知っていくうちに、大人としての責任を自覚していくあたりはちょっと感動的ですらある。このあたりは、やはりハリウッド映画らしい(ここは肯定的な意味での「ハリウッド映画」と受け取って欲しい。)目配せだろう。アメリカ映画はやはり、健全な人間関係の構築を訴えるものなのだ。

 それはヒロインの台詞に最も強く表現されている。サマラの過酷な運命を知った彼女は、深い憤りと同情の涙の中で語る。「あの子はただ寂しいって訴えたかったのよ、親の気を惹きたかったのよ、そんなことどんな子供だってするでしょう?

 時として子供が親を振り回すさまは、未婚でまだ親になったことのない自分でも分かる。いや、自分だって子供の時に覚えがある。子供ってそんなものなのだ。だからと言って、都合悪くなったからどこかに追いやってしまっていいものか?

 いやいや、それではこの物語の言わんとしていることが、単に子を持つ親だけの問題に限られてしまう。それは断じて違う。それは、実は子供の事だけにはとどまらないと僕は思っているんだよ。

 他者と向きあっていくことに伴う、さまざまな困難を意味するものだと。

 単刀直入に言おう。他者とは、時として自分にとって「貞子=サマラ」に変貌しうる可能性を内蔵した生き物だ。他者と関係を築いていくってそんな事なんだ。他者と一緒にやっていくってことは、時には煩わしくウンザリもすることなんだ。他者は自分の思い通りには動かない。時に自分の足を引っ張りさえする。そして何だかんだと苦しめられもする。だからと言ってそこで他者との関係を絶っていいのか。ましてそれが自分にとって大きなものをもたらすかもしれない関係を。時にはかけがえのないものを自分に与えてくれる相手のことを…。そんな苦しみを引き受けるうちに、自分も大切な何かをつかみ取れるものではないか。今の僕には、ひどくそんなふうに思われてならないんだ。だって、そんな煩わしさもすべて引き受けての、他人との関係じゃないか

 それが例えどんなに呪わしくて忌まわしく、悩ましくも苦々しいものであったとしても。

 

 

 

 

 

 

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