「モンスーン・ウェディング」

  Monsoon Wedding

 (2002/010/07)


 ここはインドの大都会デリー。今まさにこの街のある豊かな一家で婚礼の儀式が盛大に行われようとしていた。その主人公はこの一家の長女ヴァスンダラ・ダス。一家の家長たる父親ナシルディン・シャーは、今日も朝も早くから婚礼のことで頭が一杯。カリカリカリカリと辺り構わず怒鳴り散らしていた。妻のリレット・ドゥベーが取りなしても機嫌はすぐれない。早速婚礼の飾り付けが粗末だの高いだのブツクサブツクサ。早速婚礼プランナーに電話して文句をぶつける。

 プランナーのヴィシャイ・ラーズにだって言い分はある。忙しい中を安い代金でやってやってるんだ。豪華な婚礼挙げたいならそれなりのものを出しやがれ。そうは言っても威勢がいいのは使用人の前だけで、客の前では腰を低くして平身低頭だ。

 だがそんな花嫁ダスは表情がすぐれない。結婚相手は立派な男…親の決めた縁談とは言え、アメリカでコンピュータの仕事で成功しているパルビン・ダバスに文句などあろうはずもない。だが、彼女には実は秘密があった。いかにもギョーカイ人の臭いをプンプンさせたテレビ司会者との関係があったのだ。だがこの男は妻帯者で別れる気配もない。忙しい中をわざわざ会いに行っても、歓迎はしてくれるものの仕事が忙しいとすぐに席を立つ始末だ。そんな新婦ダスを見かねて、父側の従姉妹シェファリ・シェティはそれでいいのかと彼女に問う。だが、新婦はシェティに、なぜいつまでも一人ものなのかと逆に問いただす。それを言われてはシェティも何も返す言葉がない。

 そんなうちにも次々客が訪れる。おどけた新婦の伯父クルプーシャン・カルバンダと派手で陽気な叔母カミニー・カンナーの夫妻。その息子でオーストラリア留学から駆けつけた今時の若者ランディープ・フダ。このフダ、調子はいいけど少々いいかげんなところがあり、この日も客を空港に迎えに行ったが会えず、客が直接家に来てしまうアリサマ。これにはそれでなくてもカリカリしている家長のシャーは怒り心頭。自分の子供でもないのにフダをバカ呼ばわりして、叔母カンナーの怒りを逆に買う始末だ。

 やがて新婦の伯父、家長のシャーにとっては姉の夫にあたるラジャト・カプールもアメリカから到着。すると何やら新婦の従姉妹シェティの様子が落ち着かない。どうもカプールの方が気になってしょうがないようだ。こういう場の常として未婚のシェティに結婚をせっつく声がうるさいのは仕方がないが、彼女はそんな周囲がうるさくて仕方ない。そこで自分はアメリカに留学すると宣言。すると、例の伯父カプールが自分が面倒をみると言ってくれたので感激の様子。どうも彼女、このカプールと過去に何やらあったようだ

 やがて新婦の別の従姉妹、お色気娘のネハ・ドゥベーとまだ幼いケマヤ・キドウァイの姉妹も到着。場の平均年齢がぐっと下がった。ちょっと色っぽいドゥベーに、家長にバカ扱いされた若者フダが早速反応したのは言うまでもない。

 新郎ダバスとその父ローシャン・セート、母ソニー・ラーズダーンもアメリカから到着した。まさに宴たけなわとはこのこと。

 家長シャーの罵倒を浴びつつ、プランナーのラーズもブツクサ言いながら仕事に励む。だが、そんな彼がこの家のメイドのティロタマ・ショームと目と目が合った時、まさかこれが彼の運命を帰る出会いになろうとは、彼とても知る由もなかったのだ。

 

  実は家長シャーの苛立ちには理由があった。インドのブルジョアの婚礼は花嫁側の負担が大きい。一つ婚礼を挙げるのは一大事業なのだ。それ故にプランナーのラーズにも当たるし、周囲の親戚にも小言が絶えない。だが陰ではゴルフ仲間に頭を下げて借金を頼む辛い一面もあった

 新婦の従姉妹シェティはと言えば、ずっとカプールが気になるばかり。ところが、どうもカプールがまだ幼い従姉妹のキドウァイの後を追い回しているのが心配だ。

 バカ呼ばわりされたフダとお色気娘のドゥベーは急接近。一緒に踊るわイチャつくわ、あげくの果てにキスまで交わすところまで進んでしまうではないか。

 そんな中、新婦ダスはこっそり男の元へ走った。夜中、車の中での慌ただしい逢瀬。そんなところに警官の職務質問が来たからたまらない。慌てた男の不実な正体に、さすがのダスも目が覚めた。男の元から逃げ出した彼女は、しかし今度は新郎ダバスを偽り続けた自分が許せない

 プランナーのラーズはメイドのショームが気になって仕方ない。ところが気になるという点では、ショームも彼と同じだった。何となくいいムードが漂ってきたのもつかの間、ショームがご一家のアクセサリーをつい身につけて鏡で見とれていたところを、ラーズの使用人たちが見かけて騒ぎ出した。「泥棒だ!泥棒だ!」慌ててその場を逃れるショーム。ラーズが彼らを止めてその場を収めたものの、彼女はラーズも自分を疑ったものと思い、頑なになって彼と言葉を交わそうとしない。これにはラーズも大弱りだ。

 

 

 

 

 

 

ここからは映画を見てから

 

 

 

 

 

 

 いろいろ雑事に頭を悩ます家長のシャー。だが家に帰れば息子のイシャーン・ナイールは男らしい事もせずに料理と踊りに夢中。そんな息子を怒鳴り倒せば、息子はフテるし妻は口をきかなくなる。ったく、どいつもこいつも〜!

 一方、意を決した新婦のダスは、新郎ダバスを連れ出してすべての真相をブチまけた。これにはさすがに穏やかではないダバス。苛立つ様子は隠しきれない。彼女を家まで車で送ったものの、怒りを露わにせずにはいられなくなった。「婚約中も別の男と会ってたって? アメリカン・スタイルで結構ですねとでも言えというのか!

 そんな二人は、どうお互いに決着をつけたのか? それはこの後でゆっくりと語ろう。

 ガックリ肩を落とすラーズ。今さらながらにメイドのショームに惚れていたことに気づくが、彼女はつれない。「いくつも人の婚礼を演出してきた俺が、何で今の今までずっと一人ものなんだ?」 そんなラーズは、ここ一番の勝負と男の純情を賭ける決意をした。

 結婚前夜の大パーティー。どんちゃん騒ぎの主役は、あのお色気娘のドゥベーのダンスだ。実は彼女と新婦の弟ナイールの二人で踊る予定だったが、彼は親父シャーに怒られてフテって逃げた。困った彼女はいい仲になってきたフダに一緒に踊ろうと持ちかけるが、いざとなるとフダはビビって逃げた。何という腰抜け。やっぱりこいつはシャーが言うとおりバカなのか?

 そんなことやってるから、セクシー・ダンスに惹かれた別の色男が、踊る彼女にお熱く接近してくるではないか。こうしてはいられない。フダはステージに乱入して色男を押しのけ、俺は男だとばかりにヤケクソに踊りまくる。そうだ、フダ。格好じゃない、男はそれでいいんだよ(笑)

 そんな一方であの新婦の伯父カプールは、またしても幼いキドウァイに迫る。車でどこかに連れ去ろうとするに及んで、さすがに新婦の従姉妹シェティは黙っていられなくなった。

 「この子を放して! 昔の私だけで飽きたらず、この子まで手を出すつもり? 変態!」

 これにはその場は騒然。家長のシャーも唖然となるばかり。シラを切り通すカプールと無言の周囲に失望して、シェティはその場を逃げ去った。

 翌朝、辛い思いを胸に家長のシャーはシェティを説得に訪れた。頼む、君が来ないと婚礼にならないんだ。つらいだろうが耐えてくれ…。

 こうして婚礼の日が始まった。家族全員の記念撮影。カプールと同じ場にいるのは、シェティにとってどんなに辛いことだろうか。それを思うと、家長ではあるシャーの胸は塞ぐばかりだ。そんなことには全くお構いなしのカプールは、笑顔を周囲に振りまき続けている。

 もう我慢出来ない。シャーはカプールに毅然と言い放った。

 「出て行ってくれ。大事な子なんだ、守るためなら我が身だって切る

 

 インドのミラ・ナイールの最新作は、インドのブルジョア家庭の婚礼を描く作品。多数の登場人物が交錯する人間群像劇だ。正直言って見知ったスターもいない、見分けがつきにくそうなインドの俳優揃いとあって、最初はまごつくんじゃないかと思っていたが、さすが巧者ナイール。多彩な人物とドラマを見事にさばいて、面白くて見応えのある人間喜劇を創り上げた。

 元々アメリカで学んだナイールはデビュー作「サラーム・ボンベイ!」以来、アメリカ資本を導入したりアメリカでロケしたり、アメリカからの風を自作に吹き込んできた人だ。例のアメリカ同時多発テロにちなんだオムニバス「セプテンバー11」でも、彼女の担当エピソードは在米パキスタン人の物語だった。だから視点にはどこか外からインドを見ているような冷静さがある。語り口もインド・ローカルでなくて、どっちかというとアメリカ映画のような明快さが身上なんだよね。

 そんな彼女だから、実は今回の作品にもモデルというか、ヒントを与えたとおぼしき作品がある。ロバート・アルトマンの1978年作品、その名も「ウェディング」がそれだ。アルトマン映画というと、あの「ナッシュビル」から恒例の人間群像劇。それも、アメリカ映画創世記より大女優として君臨してきたリリアン・ギッシュから、イタリアからはビットリオ・ガスマンを迎え、ミア・ファローやジョン・クロムウェルまで多彩な役者をかき集めての主要登場人物48人を数える壮大な作品だ。ここでのプランナーはジェラルディン・チャプリンが扮して、さすがにアメリカらしくテキパキと事を進めていた。最後にはちょっとしたアクシデントが起きるが、最後にそのチャプリンと記録フィルム・スタッフのローレン・ハットンのシンミリしたセリフで幕となる印象的な作品だった。さすがに大傑作「ナッシュビル」の直後だっただけに評判はイマイチだったけど、僕は好きだったんだね。おそらく映画ファンでもあるナイールは、かつてこの作品を見たんじゃないか。そして、婚礼がもっと派手で歌も踊りもあって、さらに家族の絆が重んじられるインドなら、もっと面白くてボリュームのあるドラマがつくれるはずと考えたのではないか。

 今回の「モンスーン・ウェディング」の場合は、インド特有のモンスーンの激しい雨の中、踊って踊ってインドらしい歓喜の爆発に包まれて幕を下ろす。一方でささやかなりとも心のこもった手作り婚礼を挙げるプランナーとメイドのカップルもいて、思わず胸が熱くなる。ナイール作品らしく破綻もなく、カチッと出来過ぎてると思われる向きもあるだろうが、この人間賛歌の幕切れは僕には嬉しかったね。

 ドラマの最大のヤマ場は、何と言っても幼児虐待に絡んだこの映画のダークサイドに関わる部分、そのクライマックスだろう。やりくり算段借金までして何とかかんとかここまで持ってきた婚礼を、重大問題とは言えこんな事で御破算にしたくない、そんな家長はついつい気の毒な姪に出席をしろと無理を言う。だが、最後の最後に耐えきれなくなって、彼は元凶である義兄に退席を促すんだね。その時、彼にはすべてが吹っ切れた。怒鳴り散らしていたモヤモヤも吹っ飛んだ。最後にはあれだけ罵倒を飛ばしていたプランナーまで祝福して、彼とその新婦を祝いの渦中に引っ張り込み、大いに踊って喜び合うのだ。後はモンスーンがすべてを洗い清めてくれる。素晴らしきかな、まこと素晴らしきかな人生! このくだりは分かっていても嬉しくなる展開で、僕はとても出来過ぎなんてケチがつけられない。

 そして、実は僕が一番この作品で惹かれたのは、新郎新婦の結婚直前の葛藤の描き方だ。

 愛していた男に見切りをつけると同時に、そんないい加減な気持ちで婚礼に望んだ自分も許せなくなった新婦は、新郎を呼びだしてすべてを告白する。それは新郎にしては耐え難いことだろう。ついつい声を荒げて叱責する。去っていく新婦。このままなら、この縁もこれまで。文句なく破談は免れなかったろう。

 だが、新郎はそこで思いとどまる。去っていく彼女を呼び止めて、自分のそんな冷たい態度を謝るのだ。「乗り越えよう、僕は信じる。結婚するかどうかは君が決めてくれ」

 言わずにいることも出来たのに、彼女は告白した。そんな愚直なまでの女に巡りあえたのは幸運ではないのか? その是非はともかく、彼はそこにすべてを賭けたんだね。その誠実さと善良さとに。

 僕も自分に正当さがあると思った時には、人をひどく叱責することがある。相手が女でもひどいことを言った。何だかんだ勝手な言い分を言われ、思わずキレちゃったことだって少なくないよ。よこもまぁテメエのこと棚に上げてそこまで言えるもんだってね。その時、彼女はひどく落ち込んでいる様子だった。でも知ったことか、俺の言ったことは間違っちゃいない

 確かに、だ。間違ってはいない。だが、人の世の中ってのはマルバツや黒白では計れないものなのだ。そもそも彼女が俺に言い放題言ったのって何なんだ。自分を棚に上げたかどうかはともかく、彼女が言ったことは本当だったし本気だった。そこにウソはない。彼女だって言いたくて言ったのではあるまい。もうちょっと言い方があるだろうとか、配慮や思いやりとか…ちょっと待て。俺は何で彼女に惹かれたんだ? 彼女の率直さ、誠実さ、善良さに惹かれたんじゃないか? 小賢しい女ならもっとうまく立ち回っただろう。そんなマネが出来やしない彼女だから、俺は愛していたんじゃないのか? それなのに、たまたま今度は自分の都合が悪いからそんな彼女を責めるのって、何か大事なものを忘れているとは思わないか? そんな事ですべてを無にするなんて、空しいとは思わないか?

 本当に価値のあることから、目を背けるなんてことは。

 

 

 

 

 

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