「天国の口、終りの楽園。」

  Y tu Mama, Tambien

 (2002/09/23)


北朝鮮拉致問題の一番大切な部分とは

 小泉首相の北朝鮮訪問ってのは、果たして成功だったんだろうかね?

 確かに何がしかの扉をこじ開けたとは言えるのだから、収穫ありと言えるのかもしれない。それでもどうもニュースを見るこちらの気分は、イマイチ晴れがましいものにはならないね。…と言うより、怒りがこみ上げたり、複雑な心境になっちゃう人の方が多いのではないか?

 それというのも、やはり北朝鮮に拉致された日本人の問題が横たわっているからだ。

 何しろ本人の過酷な運命もさることながら、家族の人たち気持ちを考えると…いやぁ、考えても想像すら出来ない。とてもじゃないが、安易に「お気の毒」などと言える訳もない。

 ここではあえて、小泉は金正日と握手するべきではなかったとも、逆に何とか共同宣言に合意出来て良かったとも、僕は言うつもりはない。それは一言では言えないだろうし、このような場で言うべきことでもないだろう。

 だが、この拉致された人々の扱いに関する、首相その人から外務省の連中に至る関係者の態度については、僕は少なからず疑問を感じているんだね。

 そもそも小泉訪朝が水面下で取りざたされていた段階から、外務省は拉致された人々のかなりな人数が亡くなっていることを知っていた…という話はまず序の口。実は今回、それなりの拉致された人々の情報を手に入れていたのにも関わらず、それを最初から一気に放出せずに何やら小出しにしているように見受けられるのが、解せない最大の点だ。一体外務省の役人連中は、人の気持ちを何だと思っているんだろう? 

 今回の小泉訪朝に対して、ここに至ってみると何やら薄気味悪いほどの全面支持の姿勢を見せ始めた、まるで「大本営発表」的なマスコミに対しても不信感は強く持っているけどね。

 そこにどんな政治的思惑があるかどうかは僕は知らない。だが、これだけは言える。ずっと拉致された人の帰りを待っていた家族の人たちには、手持ちの情報をただちに全て見せるべきだ…例えその中身が辛くツラい内容になるにしても。あるいは国交正常化なんぞの支障になる可能性があるとしても。家族の人たちにはその権利と理由がある。

 その情報の中には、知るべきではなかった….と思ってしまう内容のモノもあるかもしれない。それでも家族がそれを知るべきか否かを、外務官僚ごときが決めるべきものではないはずだ。

 そんなことを僕が声を大にしてなぜ言うかというと、実は最近、僕もちょっとユウウツになるような「ある事」を知ったんだよ。上記した拉致問題のような大それた事とは全く違うけどね。

 それはかつてつき合いのあったある知人に関することだった。僕は自分なりにこの人と親しくしたつもりだし、だからいろいろ心配もした。ところが最近知った話によれば、この人物は僕のことを嫌って、それで離れていったと言うんだね。いや、もう、これを知った僕は大ショックだったよ。

 だって、僕にはそんな嫌われるなんてことの心当たりが全くない。そんな事をした覚えなんてある訳ない。だけど、その人物がそれほど僕を嫌っていたとなれば、これは僕も相当な事を相手にやったことになるだろう。そのことも知らず、僕はただバカみたいにその人物のことを心配していた。そんな諸々のことが、僕を何ともユウウツな気分に追い込んだ。相手が自分を心底嫌っていたというショック、自分は決して嫌われなければならない人間ではないのに…という憤り、「自分は悪くない」ことを証明出来ない悔しさ、そんな嫌われているとも知らずに相手を心配していた空しさ、そして人に嫌われるようなことをしていたのかもしれない恥ずかしさ。最初はやり場のない悲しみやら怒りで目の前が真っ暗になった。死にたい気分だった。

 それって知らずに済んでたら、僕はどんなにか幸せだったろうに…。

 だけど数日後になって、僕はちょっと気が変わったんだよね。知らない方が良かったとは思わなくなった。そして知りたくはなかったけど知っておくべき事であったと、本気で思えるようになったのだ。

 何しろ自分としてはいろいろな事のツジツマがついて、ある程度納得も出来たんだよ。それに、これでいろいろな事に踏ん切りもついた。前々から何とかしなくちゃと内心思ってきたことに、ここで決着をつける良い機会になった。だから、知らないままでいたかったとは思うまい

 それが例え何であれ、人間には「真実」が必要なのだから。

 

年上女とガキ二人の思惑ミエミエの旅

 ここはメキシコ最大の大都会メキシコシティー。今日も今日とて、子供部屋でえっちらおっちらと生まれたまんまの姿でハゲんでいるお坊ちゃんお嬢ちゃんがいる。お坊ちゃんがディエゴ・ルナ、お嬢ちゃんはアナ・ロペス・メルカード。どちらも「いいとこ」のお子さまだ。何ゆえにいつもに増して熱心にハゲんでいるのかと言えば、お嬢ちゃんメルカードが近々ご家族とヨーロッパ旅行に出かけるがゆえ。しばらく出来なくなるから「ヤリだめ」というわけだ。そのお坊ちゃんルナの親友ガエル・ガルシア・ベルナルの彼女マリア・アウラも、このメルカードと一緒に旅行に行くので「ヤリだめ」のクチ。ともかくは最愛の彼女に旅立たれたベルナルとルナの両人は、退屈な夏休みを過ごすはめになりそうだった。

 このベルナルの方は他のみんなほど裕福な家庭の出ではないが、さりとて彼とてもメキシコの一般レベルから比べれば豊かな方。まして幼馴染みルナとのマブダチ付き合いの中で、かなりオイシイ思いもしているわけ。怖いことも我慢しなければならないことも、イヤなことは何もない結構なご身分。何不自由なく暮らしているところに若さの生意気さも手伝って、イケイケヤリヤリ薬キメキメの世の中ナメ切った日々を送っていたわけ。

 そんな二人がある日、ルナのご親戚一同が集う結婚式にお呼ばれにあずかった。ルナの父親が大物なゆえに、何と大統領閣下まで列席されるという大それた結婚式。だが、若いベルナルとルナにはチャンチャラおかしかった。ルナにしてみれば親父のクサった一面もよくよく承知しているがゆえに、こんな取り澄ました一族のありようを軽蔑しきってのナメた態度。ただし、それに乗っかったまま面白おかしく過ごしている自分たちも、世間相場で言えば唾棄すべき人種の一員なのだというところまでは頭が回らない。

 結婚式では会いたくない奴にも顔を会わせねばならない。ルナは従兄弟のファン・カルロス・レモリーナに捕まった。作家として名を売ったレモリーナは得意満面。ルナがやはり作家志望と聞いて、何だかんだと説教ブチかます。その偉そうな態度に閉口したベルナルとルナは、さりげなくコケにしてやったわけ。

 ところがそんな結婚式に見慣れない顔が一人。ちょっと色っぽい年上女性マリベル・ベルドゥーだ。恋人が旅行で不在でいいかげんたまっていた二人は、何とかこのベルドゥーの気を惹きたい、出来たらうまいことヤリたいとばかり、何だかんだとチョッカイを出す。そんな二人のザマをガキの戯言と聞き流しながらも、面白いと思ったのか冷やかし半分で聞くベルドゥー。二人はそんな彼女に、自分たちと一緒に秘密のビーチに行かないかとカマかける。素晴しい場所なんだよぉ「天国の口」って言うんだけど…口からデマカセ並べて、何とか彼女を連れ出そうとやっき。ところがそこに例のコケにした従兄弟レモリーナが怒鳴りこんできた。な、なんと彼女ベルドゥーはレモリーナの妻だという。思わず冷水をぶっかけられるがごとき思いで、こりゃマズイと二人は早々に引き下がったのであった。

 そんなある晩のこと、一人で家にいたベルドゥーは、夫レモリーナからの奇妙な電話を受け取った。メソメソとしたその電話の内容は、何と浮気の告白。やっちゃってはみたものの妻ベルドゥーに良心がとがめると、まったく言わなきゃいいのにの内容。これには妻ベルドゥーも唖然呆然号泣で電話を叩き切った。

 翌朝、ベルドゥーはルナに電話をする。あの「天国の口」へのご招待はまだ有効?…彼女は二人の口からデマカセの誘いに乗ったのだ。ベルナルが車を出してきて、熟してオイシそうな年上女とヤリたい盛りのガキ二人の、思惑ミエミエの旅は始まった。行き先はどうなるか分からないが、まぁ何とかなるだろ。ともかく俺たちゃオネエサマとヤレれば文句ないわけよ

 車の中では何やら最初っから蒸れ湿ったようなニオイたつ話題の連発。それを余裕で聞き流すオネエサマと喜々としてシャベリまくるガキ二人という構図だ。この二人は得意になって、お互いの女には手を出さないとかオナニー最高とかくだらない取り決めを決めた、仲間内の「マブダチ宣言」みたいなシロモノを披露したりする。そんな二人にベルドゥーは終始余裕をカマす。そりゃそうだ。元はと言えばスペイン出身の彼女。幼い頃から親を亡くして以来、夫レモリーナと知り合うまで苦労のし通しだった「大人」の彼女。ツラい思いは数知れず。今は故国から離れての不安な異邦人生活に加えて、ハイソでインテリな夫とその友人、一族郎党に囲まれての居心地の悪さ。そんな辛くてイタい思いをしてきた彼女ににとっては、ガキの隈談など何てこともないカワイらしい戯言だった。

 そして、誰もが脳裏に思い浮かべているのは同じこと…。

 最初の宿に着いて飯を食いながら出た話題は、二人の彼女のことだった。彼女たちがヨーロッパに行ってて心配じゃないの? スケベなイタリア男にヤラれまくってるとは思わない? だが、怖いもんなしのベルナルとルナは自信満々。あいつらには男と言えば俺たちしかいないと思いっきり断言だ。これにはベルドゥー、そのオメデタさを微笑ましく思いつつも呆れざるを得ない。

 宿ではベルドゥーの部屋と二人の部屋に分かれて泊まることになったが、もちろん若い二人はコッソリとベルドゥーの部屋ににじり寄る。窓からいい眺めを覗ければ目の保養だし、ひょっとしたら夜ばいをかけられるかもしれないゾ。

 ところが覗いた窓の向こうでは、ベルドゥー激しく泣いている。一体彼女に何が…? 急にシリアスで重苦しいムードに襲われた二人は、スゴスゴと自分たちの部屋に戻らざるを得なかった。

 そんな翌日、シャンプーを持ってなかったために、ルナがベルドゥーの部屋に借りに行ったのが事の始まりだった。素肌にタオル一枚という扇情的な姿で彼女の部屋に行ったルナ。その彼に目がクギづけになったベルドゥーは、ここぞとばかりルナを挑発した。そりゃ女からの誘いを拒むルナじゃない。たちまち始まる組んずほぐれずの肉弾戦。とは言え、すぐにゲームセットというのが若いアンチャンの情ないところだが。

 ところが、そんな一部始終をベルナルが見ていた。そりゃ自分だけ仲間はずれ、ヌケがけされちゃあ面白くはない。フテったついでのベルナル、ついついルナに言わなきゃいいこと言ってしまったのがバカだった。「俺はおまえの彼女とヤッたよ」

 これは晴天の霹靂だったルナ。ガ〜ンとショックを受けたあげく、その彼女の「浮気の様子」を逐一根堀り葉堀り聞き出そうとやっき。これはマズかったとベルナルが今ごろ気付いても遅い。彼が平身低頭して謝っても、ルナはベルナルを許そうとはしなかった。

 当然、それからの道のりでは車内にイヤ〜な雰囲気が漂う。ベルドゥーはベルナルのルナへの告白があったことは知らないから、片っぽとセックスしちゃったのがマズかったのかしら…と余計な気を回す。あげく思い余ったベルドゥーは車を停めさせ、いきなり今度はベルナルに挑んでいくテイタラク。これにはさすがのルナも、昨日今日のこともあるだけにウンザリしたのに違いない。どうなっとるのだ、この三人は。

 当然それで収まる訳もない。しかもベルナルとベルドゥーのコトが終わった後で、ルナが腹いせの最後っ屁のような一言を放ったからたまらない。「実は俺もオマエの彼女とヤったんだよ」

 これにはベルナルも怒った。それに加えて昨夜一晩俺が土下座させられたのはどうなるんだと悔しさもひとしお。お互い狂犬のごとくに怒鳴り合い罵り合いの見苦しいこと夥しい二人だ。しまいにゃベルドゥーが我慢しきれずにキレた。「アタシ、もう降りて一人で行く! ガキのお守りはマッピラだわ!

 さすがにオネエサマがキレるところまで至って頭が冷えた二人。何とかかんとかナダメすかして、彼女を車に連れ戻した。こうなりゃオネエサマの独壇場。

 「な〜にがマブダチ宣言よ、お互いの女に手を出さないんじゃなかったの? ケッ、これからはアンタたちはアタシに服従よ。もうアンタたちにはヤラせてあげない。気に入らなければアタシは出ていくからね!」とか何とかかんとか言いたい放題。元はと言えばこの女が発端なのに、テメエの事を棚に上げていつの間にか自分だけマトモみたいなツラする身勝手さ。ともかくはそれでもいいとガキ二人は不承不承納得して、ともかく旅は続くことになった。

 そしてたどり着いた果てには…。

 

目をつぶることをやめた時に

 実はこのあたりまで映画を見てきて、僕はウンザリし始めちゃったんだよね。元々主人公の若い男二人が、若僧特有の世の中ナメきった偉そうな態度に加え、何やら裕福な人間の思い上がりを振り巻きつつやりたい放題。それでなくても共感し難い二人に加えて現われる年上の女は、夫の浮気が引き金とはいえ下心ミエミエの誘いに乗って、あげくこの二人とホイホイ関係を結んでこいつらの仲をこじれさせる。なのに、自分のせいなのは棚に上げて言いたい放題。ちょっと…この映画には共感出来そうな奴が一人も出てこないのかよ。

 ところがこの後、三人がビーチにたどり着いたあたりから、映画はちょっと違う方向に進み始める。その時、この身勝手で身持ちが悪そうな年上女の側に立って物語を見直すと、ちょっと全体の見え方が変わってくるような気がしてきたんだね。

 そんなこの映画、本国メキシコでは空前の大ヒットを飛ばした作品らしい。監督はアルフォンソ・キュアロン…って聞くと、「アレッ?」って思われる方も少なくないと思う。僕はまずこの人って「リトル・プリンセス/小公女」で注目したんだよね。最近では児童文学の映画化というと、カロリーヌ・リンクの「点子ちゃんとアントン」をはじめ、一流の映画人がつくった見応えのある作品も少なくない。そんな一連の児童文学の映画化の中で、アグニエシュカ・ホランドの「秘密の花園」と双璧なくらい出来がいいのがこの「小公女」だったわけ。その後で何とこのキュアロンはイーサン・ホーク、グウィネス・パルトロウなど豪華キャストによる「大いなる遺産」を映画化。これは「小公女」ほど僕の印象には残ってないが、ちょっと変わった味の映画化だったことは覚えている。ではこの人ってこういう有名文学の映画化専門の人だったのかと思いきや、実はメキシコの人だったんだねぇ。今回の作品はこの人の10年ぶりのメキシコ作品だと言う。

 出演者には「アモーレス・ペロス」にも出ていたけど、ガラッとイメージを変えたガエル・ガルシア・ベルナルとか、「ベルエポック」の女たちの一人として出ていたスペイン女優マリベル・ベルドゥーなんかが出ているのだから、向こうではそれなりに豪華キャストなんだろう。そして作風は、当り前のことながら「小公女」あたりとは比べようもない様変りなんだね。

 では、なぜ途中で僕はこの映画にウンザリしていながら、見ていて気が変わっていったのか

 まず、ここに出てくる三人はテメエ勝手ではあるけど、そのテメエ勝手さぐらいなら自分にも十分あることだからね。

 そしてこの映画って、全編にわたって妙に冷徹なニュース・アナみたいなナレーションが入るんだけど、これが実に興味深いわけ。そこでは登場人物の過去や背景、その場では語られない本音などが冷静な事実として投げ出されるように語られる。その違和感というか異化作用が何とも不思議な効果をこの映画に与えているんだよね。それは、世の中は「愕然と見たままの世界」ではないということだ。

 男の子二人のマブダチどうしが、世の中ナメきった暮らしを続けているのはたしかに感心しないけど、実は彼らがそんないいかげんな暮らしを続けているのは、自分たちの土台となる生活そのものが、腐っていて脆弱なものだとどこかで知っているからでもあるんだね。特にいいとこ坊ちゃんの場合には、父親が悪事に手を染めて金儲けしていることさえ知っている。でも、それをとやかく言えない彼は目をつぶる。目をつぶるやりきれなさから、刹那的にやりたい放題悪フザケをするしかないわけ。また、自分がそんな悪だくみの稼ぎの上に甘んじて乗っていることにも、当然目をつぶらずにはいられない。そのいいとこ坊ちゃんとくっつく事でオイシイ思いをしているもう一人の若僧はと言えば、そんな自分の在り方がいいなんて決して心の奥底では思ってないはずだ。そしてそんな悶々とした気持ちが、マブダチの女に手を出すという行為に何らかのかたちで影響を与えているとは言えないだろうか。反対に、いいとこ坊ちゃんはどこか普通家庭のダチを見下してなかったか。だから彼の彼女に手を出してもいいと思っていたところはなかったか。

 そんな二人は自分の恋人との関係を、「完璧」だと過信していたように見える。だけど、本当にそうか。実際は大いに彼女たちの移り気の可能性に、すでに思い当たっていたのではないか。だけど目をつぶっていた。だから、ことさらに「あの女は俺がすべて」と言わずにいられなかったのではないか。

 さらに年上女の場合にはさらに事情が複雑だ。彼女は長年の苦労から、名より実を取らざるを得なかったところがあったはずだ。この女がどう見ても俗物の夫と結婚した理由には、だから彼女が生活の豊かさをとったという面もあったのかもしれない。だけどそんな現実には目をつぶる。夫が浮気している事実にも目をつぶる。自分が本当に自分のための暮らしをしていないという事実にも目をつぶったままでいる

 この映画の物語はそんな彼女が「目をつぶる」ことをやめるところからスタートする。

 結果として、そんな「目をつぶる」ことをやめた彼女に引きずられていくように、男の子二人も「目を開けざるを得なく」なっていく。自分の恋人との脆弱な関係、自分たち二人の誤魔化していた親しさ… エトセトラ。それらがどんどん暴かれていくうちには痛みもある。失ってしまうものもある。だが、それでも最終的には痛みはいつまでも続かない。何かを失ってもそのツラさはいつか忘れてしまうものだ。

 そして、それが人間が成熟するということなのだろう。

 もはや親しい友人どうしではなくなった主人公二人がバッタリ出会って、仕方なく喫茶店でギコチなく交す会話の寒々しさ。もう、あの二人で楽しくバカ騒ぎした季節は、遠く去って戻ってこないのだ。でも、それでいい。人生は時と共に移ろうものだ。

 その席で初めて明かされる、あの年上女の真実…。

 その時に僕らも思うのだ。痛みを伴おうとも、いつかはすべてに目を見開かねばならないのだと。

 

 

 

 

 

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