「愛しのローズマリー」

  Shallow Hal

 (2002/06/24)


 

この感想文のイントロについて、念のためご注意。今年のお正月映画「シュレック」が好きな人は読まない方がいいです

 

偽善者は自分の偽善に気づかない

 去年の年末公開の…っていうか今年の正月映画に「シュレック」ってCGアニメ映画があったよね。あれって声の出演にマイク・マイヤーズ、エディー・マーフィー、キャメロン・ディアズ、ジョン・リスゴーを配するという、いかにもドリームワークスらしいキャスティングで評判になっていたね。実際に映画のウケもよかったようだ。いわく、「ディズニーイズムに対抗した作品」

 主人公シュレックはご面相から図体に至るまでイカツく、人食い怪物扱いされている寂しい人物。他になぜかおとぎ話キャラを目の敵にする悪い王様とか、その王様に横恋慕されるお姫様とか、やかましいロバとかいろいろ出てはくるんだけど…ともかくは主人公シュレックを中心に、いろいろな美と醜、外見と内面についてのお話が展開するわけ。内容を詳しく云々するのは反則だから、ここではあまり触れないことにするが、要はなぜウケたかの理由としてディズニー・アニメの美男美女のキレイごと…ってお約束に反旗をひるがえしたってとこがあるみたいなんだね。そういうのはもう偽善なんだと。

 まぁ邪推すると、ドリームワークスの創始者の一人にディズニーから袂を分かってきた人間がいて、それがディズニー・アニメへの対抗意識メラメラでつくったって背景もあるみたいなんだね。だから、ディズニー・アニメの逆手をとろう、そしてその偽善を突いてやろう…となったのかもしれない。そんなのは見る側にとってはどっちでもいいんだけどね。

 で、話のオチはともかく、結局は外見で判断するな、心だよ…って話になるのは予想通り。それに文句を言う気はない。ただそんなこの映画に、ディズニー的美男美女ストーリーの偽善を突いた傑作とか、心の美しさを訴える善意の作品…って評価を下す向きが多かったってぇのは、ちょっとなぁ…。

 僕も途中までちょっと面白い新機軸だなぁ…と興味深く見てはいたよ。だけど、途中で少々引っかかってきた。これが「いい映画」かというと、僕はハッキリ言ってノーだね

 それはただ一点のみにかかっている。

 この映画のテーマは、外見で人を判断してはいけない…であるはずだ。あるいは、中味が大事…と言い替えてもいい。それはそれで結構だ。ちゃんとそれが描ききれていれば、確かにいい映画にもなるだろう。だが、この映画のつくり手たちは誤算に気付いていなかった

 ジョン・リスゴーが声をアテている悪役の王様キャラクターがそれだ。

 まず、映画ではこの悪役王様が、おとぎ話キャラを迫害するところからドラマが始まっている。僕の理解力が乏しいのか、僕はこの王様がおとぎ話キャラを迫害する理由が分からない。悪役だから悪いことをする…では話にならない。何か理由があるはずだ。それはこれといった説明がなされていなかったと思うがいかがだろう?

 まぁ、上記の点についてはあるいは僕が見落としてしまったかもしれない。もしそうなら、まるっきり的外れで取るに足らないことだろう。だが実はこの映画には、もっと取り替えしのつかない欠陥があるのだ。

 このリスゴー声の王様には登場人物みんな怒り心頭。だから、劇中でも盛んにみんなでののしっている。シュレックもロバもお姫様も声を揃えて言う…「あんなチビのくせに」!

 この映画のテーマって、外見で人を判断してはいけない…じゃなかったのか? 中味が大事…じゃなかったのか? それが、「チビ」の王様をみんなでバカにしている。イヤな奴だからってことはあるだろう。だけど罵る時には「チビ」を理由にバカにするのだ。それも一度や二度ではない。

 正体見たり。

 この映画のつくり手たちは、心の中ではこれっぽっちも「外見で人を判断してはいけない」とも「中味が大事」とも思っちゃいない。だからこんなハッキリと穴がポッカリ開いていても、平気で見逃しているのだ。おそらくディズニー憎しで凝り固まって、ディズニーに対抗する手段としてひねってひねった結果こういう物語が出てきたんであって、誰一人として本気で「外見で人を判断してはいけない」なんて思ってたわけではあるまい。

 でも、映画のテーマとしてはいいこと言ってんだから、大目に見てやれよ…って? そういう訳にはいかない。それはテーマより重要な根幹の問題だ。

 「外見で判断する」云々は実は大した問題じゃない。ハッキリ言おうか? 外見はいい方がいいに決まってる。それを、まるで“悪い方がいい”みたいに描く「シュレック」はズバリと言えば偽善だ。だがこの作品には、もっともっと深い罪がある。

 問題は「外見で判断する」ことを罪悪視する映画で、テメエが平気で「外見で判断する」ような描写をしていながら、そのことに気付かなかったってことだ。そして、テメエの言ってることが「偽善」ではなく「いいこと」だと思っている傲慢ぶり。

 無神経、デリカシーの欠如…本当はそれが一番悪いことなんじゃないのか?

 

心の美しさが見えるようになった男

 ほんのちょっと昔、難病を患い病院のベッドに横たわる余命幾ばくもない男。医者も長くないと宣言したこの男と、息子が最後の対面をする。虫の息の男は息子に言い残したことは、一介の議員で満足するな…じゃなくって月並みで満足するな、つまらないポストで妥協するな…じゃなくってつまらない女で妥協するな、金と権力がすべて…じゃなくって色っぽくて若い女こそすべてだ…。とまぁ、およそ最後の言葉に相応しくないセリフ。だが、この言葉はまだ幼い息子に強烈なトラウマとなって残った

 そして、父親が医者から痛み止めのモルヒネを大量投与されて、意識も朦朧のヘロヘロになっていることなど、息子は知る由もなかった。だから妙に政治家みたいな生臭いセリフを吐いたのか?

 それから幾年月…。

 その息子ジャック・ブラックは大人になり、金融業者に勤めるサラリーマンとなっていた。だがいまだに一貫していることが一つある。この男、夜な夜なクラブなどに出没してはそこらへんにいるイイ女見つけては口説きに口説く。その基準たるや「色っぽくて若いイイ女」! 父親からのトラウマ遺言を忠実に守り、文字通りの「色っぽくて若いイイ女」を見つけては言い寄るそのマメさはほとほと頭が下がる。利権がちょっとでもあると思えば、万遍なく汚れた金バラまくムネオも真っ青のマメぶり。ただしこの男、アホの坂田激似のムネオよりはマシとは言え、残念ながらずんぐりむっくり体型やらチンチクリンなご面相。だが、そんなご自分の容姿には冷静な判断が出来てないご様子。しかもその「イイ女」と見たら誰とでも…とタイプやら雰囲気やらお構いなしの節操のなさ、ギラギラぶりが露骨ににじみ出ていることも分かってないとこまでムネオ流。これではどんな女も退く。 しかしご本人まるっきり気にせず、イイ女のケツを眺めては鼻歌まじりでご機嫌だ。「“やまりん”はぁ〜木を切るぅ〜、ヘイヘイホォ〜」

 珍しく向かいのアパートに住む女とお約束と言って出かけてみれば、何のことはないただその女の仕事が退けたところを一方的に追いかけ回しているだけ。おまけにつれなくされたら「これで僕らの仲はおしまいか?」などとうそぶく。おしまいも何も、まだ何にも始まっちゃいない。この徹頭徹尾、テメエに都合よく考えてる調子よさと神経のタフネス加減には当のムネオ自身も真っ青の鉄面皮。でも、ブラックはそんなことで傷ついたりしない。なぜなら、そもそも相手に「人格」など求めているわけもないから。その色っぽさ美しさだけを求めてる。そもそも「政治家は腹黒いに決まってる、官僚はセコいに決まってる、美人は性格悪いに決まってる」というのが身上の男なのだ。ちょっとやそっとでメゲてはいられないではないか。

 ムネオには汚れた外務官僚がお似合いなように、そんなブラックにはやっぱりお似合いのダチがいる。その男ジェイソン・アレクサンダーがこれまた容姿がブラック以上のずんぐりむっくりに加えてチビデブハゲの三要素も抱え込んでいるのに、女は外見だと公言してはばからない素晴らしい性格。それでいて美しい女の心は醜く頭は悪いと心のどこかで軽蔑してる。まぁ女さえ絡まなければ、少々デリカシーがなくて下品なとこはともかく、男友達としては悪い奴ではないのだが。

 そんなブラックの女性観は、会社の同僚たちからも問題ありと指摘される。しかしブラックはまったく考え直す気などない。反省の色などない徹底的にムネオ流身勝手脳天気な男。なぁに、まさか東京地検だってワールドカップ中の逮捕はないさ。だが、運命というものはそんな人間の思惑通りいかない。日本代表は善戦したものの、16強に入ってすぐに敗退してしまった。そうなりゃ東京地検だって待ってはくれない。晴天の霹靂の逮捕だってある。そして、われらがブラックに晴天の霹靂が訪れたのは、ある日のエレベーターでのことだった。

 たまたまブラックが乗り込んだエレベーターに、テレビでおなじみ精神療法の大家アンソニー・J・ロビンスが乗っていたのだ。テレビの有名人との遭遇に有頂天のブラック。ところがそこでエレベーターが故障して止まってしまった。

 エレベーターに閉じ込められたままの二人。

 当然やることもないブラックとロビンス。閉じ込められている間の暇つぶしということで、今までのブラックの女性観についてロビンスがじっくり話を聞くという、何とも贅沢な個人治療が始まった。そのムネオの政治観以上に歪んだブラックの女性観を聞いているうち見るに見かねたロビンスは、彼に特別の催眠治療を施す。それは、女性の姿が外面ではなく内面の美しさで見えるようになるという治療だ。ムネオにも人の姿がカネではなく内面で見えるような治療が欲しかったところだが…それはともかく、治療を受けたブラック当人はその意味を全く分かっていなかった。ただ単に、いい女がモノに出来る治療くらいの認識しかなかった。はてさてこんな調子でこの男、これから一体どうなることやら。

 さてエレベーターから無事脱出。ロビンスと別れたブラックは、早速絶世の美女と遭遇。そのあまりの美しさに思わずタクシーを同乗してしまうアリサマ。こんな美女が、実は病気の親の世話をみる立派な女性と知って二度ビックリ。政治家が腹黒いように官僚がセコいように、美女って性格悪いもんじゃなかったのか?

 悪ダチのアレクサンダーとクラブに出かければ、ブラックいきなりこれまた美女三人組にブチ当たる。ロビンス先生の治療はてきめんだった。いい女ばかりにブチ当たるよぉ…。しかも彼女たちもボランティアをやってる真面目な女性たちばかり。またしても奇跡のように性格のいい美女だ。ハシャぎまくったブラックは、彼女たちをはべらせて踊りに踊る。ハ〜イ!みんな、俺のムネムネ隊に入らないか〜い?

 だがそんなブラックの様子を見て、悪夢でも見たかのように冷や汗をかくアレキサンダー。何と、ブラックが今踊っている女たちは、クラブの中でも誰も相手にしないような選りすぐりのブスぞろい。一体あいつはどうなっちまったんだ?

 無理やり女たちからブラックを引き離したアレキサンダー。その一部始終をブラックに語って聞かせるが、当のブラックはまったく腑に落ちない様子。だってあいつらは、どう見ても美女以外の何者でもないじゃないか。

 そんなブラックは、ある日のこと街を行く一人の女に目をつける。その女こそ、今まで彼が見た中でも美女中の美女。やむにやまれず彼女の元に駆け寄って口説きに口説くブラックだが、彼女はまるでキョトンとして何を言われているのか分かってない。彼女の名前はローズマリーことグウィネス・パルトロウ。彼女はこんなに美女なのに、何と自分のことを全く美しいとは思っていない。それどころか、まるで魅力のない女と自分を卑下するばかり。なんて謙虚な女なんだ! そう、普通は政治家って官僚って…もとい!美女って性格悪いに決まっているもんね。そんな彼女を褒めたい一心で、彼女のスリムさについて語りに語るブラック。だが、この「スリム」という言葉には彼女ちょっとカチンと来たようだ。何が「スリム」よ!私をバカにしてるの?あなたってウソつきな疑惑の総合商社じゃないの?…危うく彼女を田中真紀子や辻本清美みたいに怒らすところを、ブラックは何とか必死で仲直りした。あぁ何と、自分の美しさに気付かずシャイな僕のローズマリー=パルトロウなんだ!

 ローズマリー=パルトロウは本当に見た目と内面のギャップが激しい。どうも正真正銘本気で自分が美しくないと思い込んでいるみたいだ。海外協力隊に入って人道医療支援をやっていたり、人道的なことに熱心な彼女。今も病院で病気の子供たちの面倒を見ている、心底優しい女。そんな彼女もブラックの熱心さに根負けしたか、徐々に彼に心を開いてくれた。彼も彼女が世話をみている病気の子供たちと遊んだりして、今までになかった自分を見つけ出すのだった。そうそう、僕もボランティアで海外にムネオハウスとか発電所とか建ててるよ、国民の税金で(笑)。

 ローズマリー=パルトロウの家に遊びに行けば、何と彼女の父親はブラックが勤める会社の副社長ジョー・ヴィテレッリではないか。この父親ヴィテレッリは娘のいない隙にブラックに話しかける。もうおまえの芝居は分かった、仕事上の野心はいいことだ、どうせあんな娘に気があるわけがないと分かっていた、中川一郎だってハナっから利用するつもりだったんだろう…。

 だが、これを聞いてブラックは怒り心頭。それと同時に、なぜあんなにローズマリー=パルトロウが自分の容姿に自信がないのか分かった気がした。父親がそんな態度だから自信がなくなるんだ、もっと娘さんの美しさに目を向けてあげてください! ロシアにもアフリカにも目を向けてください、ついでに金も出してくださいっ。

 このブラックの熱い言葉には、さすがの父親ヴィテレッリも動転。そして感激し反省した。おまけに一本気なブラックを見込んで、社内で異例の大抜擢という瓢箪から駒。あまりの出世に私設秘書まで付きかねない勢い。

 だが気掛かりなことがない訳ではなかった。ローズマリー=パルトロウが自分の容姿に自信を持っていないことはともかく、彼女といると奇妙なことが連続して起こるのだ。店のイスが突然壊れる、並々と注がれた飲み物が一気に消える、あのスリムな体のどこに消えるのか大量の食べ物を食いまくる、プールに飛び込めばまるで魚雷を爆破させたような波が立つ…。

 そして悪ダチのアレキサンダーのあの反応。まるでブラックがすごいデブの女でも相手にしているかのようだ。街で絡んできたチンピラも同じ。世界一の美女ローズマリー=パルトロウを恋人にしていることを、みんな妬んでいるのだろうか? それにしたって、副社長によるブラックの異例の出世に対して「人でなし」呼ばわりする同僚の態度は一体何なんだ? まるで俺が官僚でも恫喝したみたいな言われようじゃないか。でなきゃムルアカでも連れてきたわけでなし。無断で国営林を伐採させた訳でもないのに何だよ?

 そんな折りもおり、ローズマリー=パルトロウに何と海外協力隊への再入隊の話が来る。再入隊すれば当分は遠い海外に行かねばならない。困り切ったブラックは、彼女とレストランで真剣な話し合いを持つことになった。ところがそんなお取り込み中のところ、何とあの悪ダチのアレクサンダーから電話がかかってくるではないか。席にローズマリー=パルトロウを残し、電話に出るためにロビーまでやってくるブラックは、あまりに間の悪い電話に思わずボヤきにボヤく。

 ところがブラックが電話をとると、いきなりNGOを国際会議に出すなと恫喝…じゃなくって、何やら変な呪文を唱えてくるアレクサンダー。ブラックには何が何やら分からない。早々に電話を切ったブラックが自分が座っていた席を見わたすと、そこにいたはずのローズマリー=パルトロウが消えている。いや、それだけではない。代わりにまるでゾウのように肥えた女がどでんと座っているじゃないか。あの女は一体何だ?

 ブラックはまだ気付いていなかった。悪ダチのアレクサンダーが例の精神治療のロビンスに頼み込んで、催眠が解けるキーワードを聞き出していたことを…。

 

「偽善」を恐れ「照れ」を知るファレリー兄弟

 この映画、もうみなさんご存じボビーとピーターのファレリー兄弟の新作なんだよね。僕はこの前のジム・キャリーが一人二役する何とかいう映画(ごめん、題名すら忘れた)は見ていない。だけど、この兄弟監督の「キングピン」や「メリーに首ったけ」などで、その志向するところは分かっているつもりだけどね。一つ例をとれば、僕は「メリーに首ったけ」以前で一般映画に“精液”が画面に直接登場する映画を見たことがない。ポルノはこの際、抜きってことにしてくれよ。むしろそういう点でアメリカよりも大らかなヨーロッパ、フランス映画の「パリの確率」に“精液”が登場するのは、その何年も後のことだ。この“精液”描写一つとってもよく分かる。何だかんだ言ってもどこか道徳的偽善が拭えないアメリカ映画の中での、この兄弟の俗悪さ、露悪趣味…

 どことなくブラックで下品な笑い。既成概念や事なかれ偽善主義を笑い飛ばすシニカルで少しアナーキーな視点が売りだ。ま、そこまでシリアスに受け止めるまでもないか。本人たちもそうマジメに受け止めて欲しいわけでなく、あくまでバカバカしいお笑い草と考えているようだし…

 そう。そこがこの兄弟監督の作品のミソなのだ。

 実は今回のこの映画、「外見でなく心の美しさが大事」…なんて、「戦争はよくない」とか「タバコは有害」などと同じように、バカでも分かってる正論なテーマのお話だ。こういうのって得意になって自分が世界で初めて発見したような勢いで主張する人もいるけど、ハッキリ言って実社会じゃそういう人って相手にされないよね。そんなの分かりきってるんだよ、バカじゃないのオメエ。

 それに、その正論通りいかないから世の中は難しいわけ。だから、正論だけ大発見みたいに提示されても、“だからどうすりゃいいんだよ?”…って謎と怒りが込み上げてくるだけなんだね。

 そこでこのお下劣ファレリー兄弟の登場

 ここでのローズマリー描写の情け容赦のなさは注目に値する。「外見じゃなくて心」というもっともらしいテーマを提示するにあたっても、まずは彼女の怪物的なまでの外見を直視するし、何とコメディとしてのお笑いのネタにする。ファレリー兄弟は、観客の僕らに問題を明確につきつけてくるのだ。アンタこれでも「外見じゃなくて心」なんて言う気になるかい…?

 そこにサブキャラクターとしてジェイソン・アレクサンダー扮するデリカシーに欠ける悪友を登場させることによって、ついついキレイごとに終始したくなる作品と観客の本音をそのつど思い出させる作戦だ。ブスはイヤだ、デブは気持ち悪い、身障者は目障りだ…ここまで無神経な発言を連発するキャラクターも珍しいが、もっと注目すべきはこのキャラが作中で悪役として描かれているわけではない点だ。こいつ決して悪い奴じゃない。ここにこそ、ファレリー兄弟の強い意図が込められていることは明らかだ。このデリカシーのなさ、悪意なき悪意こそが大多数の大衆のもの…実はこの映画をつくってるワタシやこの映画を見ているアナタみたいなもんでしょう? 一瞬は善人になったみたいに「外見じゃなくて心」な〜んて言ってるけどさぁ…。

 ところが非凡なのはここからだ。「心眼」によってヒロインを美女と思うブラック扮する主人公…彼に観客が感情移入するうちに、観客もヒロイン=ローズマリーが本当に好ましい女性に思えてくる。そんな主人公ブラックと観客の気持ちが完全に出来上がったところで、チラチラとその「恐るべき正体」はほのめかされていても全体像は明かされなかったローズマリーが、ついにその実態を表わす終盤は見事だ。もう観客にはそれは怪物には見えないのだね。おかしくは思えても、キャラクターへの好意は変わらない。この周到な計算はまさに見事だ。

 ここをキレイごとにしようとすれば、いくらでも出来たはずだ。でも、結局そうはしなかったのは、ファレリー兄弟の「偽善への警戒心」か、それとも「照れ」か。先に挙げたサブキャラのアレクサンダーも、「外見」の悩みを抱えているあたりは見事な設定だ。ここでデリカシーのない男性一人を人ごとみたいに悪者にして、自分たちは櫓の上に上がって見下すようなイヤラシさがない。この男は別に悪党でも何でもない、ただちょっと思慮とデリカシーが足らないだけで、そもそも僕ら自身と何ら変わらないのだ。決してこの困ったキャラクターを「どっかの他人」扱いしない描き方が、確実にこの映画の「格」を上げている

 そもそもこの兄弟監督の作品が抱える一種の露悪趣味や偽悪性って、そんな反偽善や照れの産物だったのかもしれない。ただ、それにしては今までシャレがキツすぎた。今回はそれをホドホドに抑えてスパイス代わりに使った結果、広く受け入れられるレベルに落ち着いたってことじゃないだろうか。まぁ、劇中登場する「心の美女」たちが揃いも揃ってボランティアとか福祉とかをやっているというのはどうかと思うけど(笑)、それもこの映画を分かりやすい「例え話」にするための単純化と思えば許せるよ。自身が脊椎に障害を持つレネ・カービーの俳優としての起用もとらえ方によっては難しいところだが、このカービー自身ですら実は外見で女を選んでいると描かれている一点で、いわゆる偽善からは免れていると思う。ともかく、この兄弟監督は「偽善」とは何か、それがいかに醜悪かということは知っている。そして「正論」や「正義」を声高に叫ぶことの愚と恥ずかしさも知っている。だから言ってることも信頼出来るんだね。

 「外見じゃなくて心」なんてことは、言われなくても分かってる。ウソじゃないことだって知っている。それでも、何でそれ通り世の中はいかないんだ…ってことを言ってくれなきゃ、わざわざ映画にする意味なんかないよね。

 僕はこの映画には、「それ」があったと思っているけど、みなさんはどうだろうか?

 

 

 

 

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