「バーバー」

  The Man Who Wasn't There

 (2002/06/03)


2002年5月 東京、銀座

 あなたは、自分が死ぬときにどんな死に方をしたいと思うかな? のっけから縁起でもない話で申し訳ない。だけど人間誰でもこればっかりは無縁じゃないからね。ただ、毎日それから目を背けて暮らしているだけだ。でも、いずれ直面しなくてはならないとしたら、死に方がどうかは結構重要な問題じゃないか?

 僕はねぇ、時々これ考えちゃうんだよね。ただし、どんな死に方がいいか考える時には、まずどんな死に方が「イヤ」か考えて消去法で決めていったほうが早い。でないと、いつになっても決められないからね。

 そうすると、真っ先に勘弁して欲しいのが焼死。一回溺れかけた時があるから溺死も苦しそうでイヤだ。どこかの歩道橋で群衆が将棋倒しになって圧死なんてことがあったけど、それも死ぬ前に痛い思いをしそうでイヤだな。高いところからの転落死も、どうせ途中で気絶するらしいが怖くてイヤ。出血多量関係も、その前にケガをするってことだから避けたい。

 そんなこんなで考えていくと、飛行機事故ってのが残った。

 実際のところは、飛行機事故での死に様ってのはいいもんじゃないらしい。バラバラ、ズタズタ、本人と確認出来ないどころか人間のかたちしていないとか。でも空中爆発にしろ墜落にしろ、どうせ一瞬のことではないかな? お肉になっちゃった時、僕はもうすでにこの世にはいない。

 それに他の事故なら何かの偶然で助かるんじゃないかと一縷の望みを抱いて、この世に変な未練を残してジタバタしてるうちに終わっちゃったりするかもしれない。でも飛行機事故なら、ヤバいとなった時に「もう助からない」と諦めがつくだろう?

 そして、その時に何百人もの「連れ」がいるってのも心強い。俺だけじゃないんだと思えば諦めもつくし寂しくないか(笑)。

 さらに残された者に大きな保障がつくというのも魅力だ(笑)。航空事故の慰謝料はけた違いだからねぇ。この場合、必ず日本ならびに欧米の航空会社の飛行機を使用されることをお勧めする。お国の事情によってはえらく安い金額しか出ないということもあるからね。

 それに、僕は昔から何かと飛行機には縁がある。その飛行機で自分の最後を迎えるのは、何となく僕に似つかわしい気がするんだよね。

 くだらない事を…って思うかい? でも、僕は最近特によく考える。

 飛行機に乗るたびに考える。いっそこの飛行機が落ちないだろうかと。

 今は銀座でコーエン兄弟最新作「バーバー」を見て来た帰り。ふと通りかかったビルの電光掲示板には、台湾から香港に向けた中華航空機が海上で消息を絶ったとのニュースが流れていた…。

 

1949年夏 北カリフォルニア、サンタ・ローザ

 第二次大戦も終わって、戦勝国の自信みなぎるアメリカの田舎街。その街のしがない床屋稼業を営んでいるのが、この俺ビリー・ボブ・ソーントンだ。いや、床屋の店そのものは俺のものじゃない。義弟マイケル・バダルコのものだ。俺はこの義理の弟に雇われて髪を切っている。別に他に出来ることもないから切っている。女房フランシス・マクドーマンドと結婚して、ヤツの家業が床屋だったから切っている。ま、ただそれだけのことだ。店は俺のものじゃないし、義理とは言え弟に雇われているというのも釈然としない、おまけに髪を切ることは好きでも何でもないのだが、気にしないで髪を切る。

 義弟のバダルコはとにかく四六時中しゃべってないと気が済まないタチらしく、うるさくてかなわない。だが、元々無口でポーカーフェイスな俺は、ただひたすらタバコをふかしてその場をやりすごす。タバコを吸ってただ黙々と髪を切る。

 女房のマクドーマンドは街のちょっとした百貨店の帳簿係。俺との仲はとっくのとうに冷え切ってるし、元々無口な俺には夫婦の会話なんてなかった。ただただタバコを吸う。

 たまに社交とやらで、女房が家に客を招くこともある。と言っても、女房の上司・百貨店の店長ジェームズ・ガンドルフィーニ夫婦を夕食に招くぐらいのことだが。そもそも俺は社交が苦手だ。ただ黙ってタバコを吸っているしかない。一緒にやってきたガンドルフィーニの妻キャサリン・ボロウィッツも口数の少ない、どちらかと言えばネクラなタイプの女。だから、食卓ではガンドルフィーニとマクドーマンドの二種類の声しか響かない。俺はタバコを吸う。

 ガンドルフィーニがしゃべると言えば、ジャップと戦った太平洋戦争での英雄的自慢話。いいけげん聞き飽きた。おまけにやたらに偉そうで鼻につく話ばかりだ。だが、女房のマクドーマンドはやけに嬉しそうに笑って聞いている。この女は勇ましげなタフガイが好きなんだろう。それに引き替え俺は徴兵検査でハネられたが、別にそれを俺は気に病んじゃいない。ただタバコを吸っている。

 飯が終わって例によって一人でタバコを吸っていると、別に話したくもないのにガンドルフィーニが近づいてくる。儲かってるんで今度新しい支店を出すとか、そこの店長には俺の女房マクドーマンドを据えるつもりだとか。そういや女房もその気で喜んでいたっけ。そりゃあよかったな。

 この二人、俺の女房マクドーマンドと上司のガンドルフィーニが訳アリな仲ってことは、俺もずっと前から感づいてはいたんだ。でも、いいだろう。ここは自由の国だ。俺にはそれなりの住まいがあり、暮らしがある。女房とその上司のことも、好きでもない床屋の仕事とのべつまくなしに口を動かす義弟同様に、タバコを吸ってやり過ごすだけだ。

 ある日の店じまい寸前、見知らぬ小男が飛び込んできた。義弟のバダルコは追い返そうと邪険にするが、こんな客でも客は客だ。俺ソーントンはバダルコを帰して一人でこの男の調髪をしてやることにした。ところがイスに座らせていざ髪を切ろうとしたら、何とそれはカツラ。スッポリとそのまがいもんをはずした男の頭は、ツルッツルの見事なまでのハゲ頭だ。俺はこいつを店に上げたことを悔やみ始めたが後の祭りだった。仕方がない、タバコに火をつける。

 どことなく脂ぎったイヤラしさと下品さが漂うこの男ジョン・ポリトが、何やらいかがわしさもプンプン臭わせながら語るには、自分はこの街に商談のためにやってきたビジネスマンだとか。だが今回の商談は不調に終わった。交渉相手の事情が変って、予定される新規事業への投資が出来なくなったと言われたらしい…。別に聞きたい話じゃないが、何しろこのポリトなる男の頭には切る髪なんざない。せめて切るポーズだけでもしながら、話に耳を傾けてやるしかなかった。あとはただタバコを吸うだけ。

 で、その新規事業というのが「ドライクリーニング」なる新商売。何と水を使わず科学薬品で洗濯する。だから、服が傷まない。これからは洗濯はこれが主流という、まるでバラ色の夢物語だ。だが、その時には俺はどうかしていたのか。それとも、逆にひどくサエわたっていたのか。

 確かにこの男の話、典型的なサギ話だ。こんなヨタ話に乗る奴はバカ。だが、そういう俺の考え方が、今までずっと俺をこの退屈な床屋に縛りつけてきていた。そして俺の人生は煙と消えるタバコのように消費された。今こそ俺は発想の転換をすべきじゃないか?

 聞けば、その投資額は1万ドルだと言う。金のあて? もちろんなかった…いや、あった

 俺はタイプライターであのガンドルフィーニに脅迫状を書いた。奴と女房マクドーマンドの不倫をバラされたくなければ1万ドル払え…と脅してやるのだ。早速こいつを送って反応を見よう。

 そして例のカツラ男ポリトの泊まるホテルの部屋へ出向いた。最初はポリトは俺ソーントンの姿を見ても誰だか気付かず、俺が床屋だと知ると訪ねて来たことに驚いた。さらに俺が出資者になると告げたら二度ビックリ。さすがに態度がガラリと豹変した。

 しかも何を勘違いしたか、奴はこの俺ソーントンをベッドに誘いやがった。さすがにそれは一蹴したが、ビジネスはビジネス。ともかく、話は次の段階へと進んだわけだ。

 その晩、俺は女房マクドーマンドを連れだって、女房の職場の百貨店へ。今夜は百貨店の創立記念日。売り場を開放してのパーティーが開かれることになっていた。人が集まって騒ぐ席などウンザリなのだが仕方あるまい。みんな華やいだ様子でしゃべったり踊ったり。そんな中で俺一人だけが壁の花だ。ひたすらタバコを灰にする。だが、今夜はそんな俺も退屈しなかった。まず最初の余興は、激しく言い争っている様子のガンドルフィーニとわが女房マクドーマンドの姿。おそらく脅迫状の効き目がジワジワ効いてきたのだろう。

 次は驚いたことに、ガンドルフィーニからの直々のご指名。俺に相談があると言う。ちょっとイヤな予感がしながらも、店長室で二人きりでサシの会話ということになった。奴の葉巻を頂戴して一服。そしておもむろに出てきた話は、やはり例の脅迫状のことだった。

 さすがに俺には真相暴露とはいかなかったものの、「ある人妻」との不倫を暴露すると脅されて云々と語るガンドルフィーニには、いつもの尊大でタフガイ風の面影がなかった。そもそもガンドルフィーニがあの百貨店の店長をやっているのも、先代の店長の娘ボロウィッツと結婚したから。そこにこの不倫話では、ガンドルフィーニも身の破滅だろう。

 脅迫してきた奴は分かっているとガンドルフィーニは言う。前に彼に投資話を持ちかけてきたうさん臭い男だ。奴は二人が逢引きを重ねていたホテルに宿泊しているのだ。おそらくそこで知ったのに違いない。…これを耳にした俺は、何とも言えないホロ苦い思いにとらわれた。あのカツラ男は、まずガンドルフィーニに投資を持ちかけたのか。それなら結果的に財源は同じだ。そして、俺が先日訪ねていったあのホテル…あそこが女房たちの不倫現場だったとは…。俺は何とも言えない人生の皮肉をかみしめざるを得なかった。

 だが、1万ドルは奴にも大金だった。今ちょうど支店の開店資金として持っている1万ドルは、実はマクドーマンドに帳簿をゴマカさせて、ちょっとづつ長年にわたってつくってきた金。言わば奴が女房ボロウィッツから横領した金だった。ガンドルフィーニはこれを元手に支店を計画。初めて本当の意味での「自分の」店を持とうとした矢先だったのだ。どうしよう?…とベソをかくガンドルフィーニに、俺としては「ともかく脅迫状の金は払ったほうがいい」と助言するほかはなかった。

 思えば奴も気の毒な男…と、本来なら同情の余地もない男にふと情けをかけそうになるこの俺。ガンドルフィーニと別れてから売り場をあちこちフラフラしていると、どこからともなく美しいピアノの調べが聞こえてくる。薄暗い楽器売り場の片隅で、一人でピアノを弾く少女が一人。暗くだだっ広いフロアーを、ピアノの音色が静かに静かに満たしていく。長い間の床屋稼業ですり切れていた俺の心に、不毛な夫婦生活でひび割れた俺の心に、十年一日のような生活を一変するようなここ数日の行動で動揺する俺の心に、そして自業自得とは言え他人に不幸を与えた自責の念でブルーに染まった俺の心に、静かなピアノの音色がゆっくりゆっくり染みわたっていく。こんなに心が癒されていく瞬間を、俺は今まで知らなかった。と、その時、ピアノを弾いていた少女がゆっくり振り向く。

 彼女は街のしがない弁護士リチャード・ジェンキンスの娘、スカーレット・ヨハンスンだった。ジェンキンスならうちの客だ。よく知っている。だが、こんな娘がいることは知らなかった。実は父親についてうちの床屋にも来たことがあると言う。「でも一緒にくっついて来たやせた娘のことなんか気にも留めなかったでしょ?」

 俺は彼女のピアノを褒め、またその音色に聞きほれた。憂鬱なこと、イヤなこと、すべてのしがらみをきれいさっぱり忘れた。俺は今初めて気づいた。この世には、本当に美しいものがまだあったのだ。そんな時…。

 憮然とした表情で女房のマクドーマンドがそこに立っていた。

 

2002年5月 東京、銀座

 さて、ここで映画の話を中断して…さっきの飛行機事故の話、ちょっと驚かせちゃったかな?

 自分の乗っている飛行機が落ちることを考えたからと言って、別に僕に自殺願望があるわけではない。ガキのハシカみたいなもんは大昔ちょっとだけあったが、今は少しもそんな事を考えてない。

 考えてみれば人生ままならないものだ。何年も頑張って自分が思っていた方向に動いていったと思ったら、手応えを感じた最中に夢は崩れ去っていった。自分じゃ善かれと思ってやったことは、ことごとく裏目に出た。じゃあ悲惨な人生だったのかって?

 いやぁ、その代わりに期待もしなかった事が芽をふくことだってあった。思わぬ方向から助けの手が延べられることもあった。それより何より自分にとって最大の幸福をつかんだ。

 だけどその一番の幸福は、その元をどこまでも手繰っていくと、自分の凋落に端を発していたりする。皮肉なものだ。幸運は不幸に導かれている。不運は幸福から生まれる。時々、自分の人生がどんな具合だったのか、自分でも分からなくなる。

 で、いろいろあるけれど、今は僕はハッピーだ

 ひょっとすると、ある意味ではこんなに幸せを感じている時は今までなかったようにも思う。今よりもっと仕事にノリにノって、いっちょマエの気になってやってた時はあるよ。あるいは友達に恵まれていて毎日楽しかったとか。そういう点では、今は逆に空虚さを感じたり寂しい思いをしたりしているとも言える。

 だけど、僕個人がこんなに確かな「幸福」を感じた時ってのは、実は生まれてこのかたなかったかもしれない。煩わしいことや苛立つことがあったとしても。それもすべて幸福の一部なんだと思えるなんて、そんなことは稀だろう。

 しかし、実はそれも脆弱で微妙なバランスの上に立ってるものかもしれない。そしてそれを維持していくには、いろいろな現実的問題が絡んでくる。一つひとつをほぐしていけば解決出来ないことでもないだろう。そして、自分なりに解決しようと一人努力もしている。だが、それは決して楽なものではない。確実にほぐしきれるかどうかも分からない。かつて何とか「欠けた月を満月に出来ないか」と頑張ってたこともあるけど、それだけで人生の前半戦を棒に振ってしまったからね。確かにちょっとシンドい。そんな「欠けた月を満月にする」ようなことを、いともたやすく実現してしまう方法がどこかにないだろうか…。

 そう思うとつい考えてしまう。今乗っている飛行機が落ちたらどうだろうと。

 

 

 

 

 

 

 

ここからは映画の後で

 

 

 

 

 

 

 

1949年夏 北カリフォルニア、サンタ・ローザ

 百貨店でのパーティー帰りの車の中で、運転する俺ビリー・ボブ・ソーントンを横目に、女房フランシス・マクドーマンドはブツブツと大いに憤慨していた。新しい支店の話がパーになり、当然自分がそこの店長になる話も消えた…と。女房にとってこれは予想外のショックだったのだろう。

 やがて、百貨店店長ジェームズ・ガンドルフィーニは脅迫状の要求をのんだ。俺が指定した場所に、ちゃんと1万ドルを置いていた。俺は金を回収したその足で、例のカツラ男ジョン・ポリトの部屋を訪ねた。俺が手渡した手の切れるようなキャッシュ1万ドルは、少なからず奴を興奮させたようだ。その興奮ぶりに少しばかり不安を感じた俺は、奴に「本当に大丈夫なんだろうな?」とつい念を押した。するとどうだ。ポリトは声を荒げて、俺を信用できないのかとか信用できないなら金は返すとか、ことさらに騒ぎ立てる。考えてみればこの騒ぎっぷりがイカサマくさいとも言えるのだが、とにかく俺は何もかも面倒くさかった。あのガンドルフィーニのうろたえぶり、女房マクドーマンドの落胆ぶり、どちらからも無縁でいたかった。だから、この金も早く手放したい気になっていた。いいだろう、金は渡した。契約成立だ。

 女房マクドーマンドの荒れっぷりは、いよいよ目に余るほどになってきた。やつの従姉妹の結婚式に出てもぐでんぐでんに酔って暴言を吐き放題。晴れの祝いの席だというのに、新婦つかまえて「人生はクソ素晴しいわよ」なんて言って顰蹙を買っていた。何とかかんとか車に乗せてわが家に帰ってきたのは、もう真夜中のことだった。

 無言でベッドに横たわる女房の姿。そのあまりに無防備な姿を見ているうちに、こいつと出会った頃のことを思い出す。友人の紹介で知り合った彼女。出会って2週間後には、もう彼女が結婚を持ちかけてきたっけ…。

 その時、電話のベルが鳴った。

 ガンドルフィーニだった。これから店に来てくれと言う。ただならない気配だった。

 女房の持つカギを借りて、百貨店まで行く。ガンドルフィーニは店長室で待っていた。

 金を払った、俺はもう破滅だ…などと語り出した奴は、そのうち思いもかけない事を言い出した。何と、ガンドルフィーニはカツラ男ポリトを叩きのめしたらしいのだ。そして、奴が持つ契約書の署名を目にした…。

 「何とそこにはおまえの名前が書いてあるじゃねえか!」

 ガンドルフィーニはいまや逆上していた。元々のこの男の残忍性が目を覚まし始めたのは間違いない。奴は俺の胸ぐらを掴むとグイグイ首を締め始めた。誓ってもいい。奴は俺を殺す気だ。

 とっさに俺は奴を殺してしまった

 慌てて人けのない真夜中の百貨店を後にする俺。やっと自宅に戻ってくると、そこは出かける時と同じ静けさに包まれていた。女房マクドーマンドも同じ格好でベッドに身を投げ出していた。再び蘇る懐かしい思い出。出会って2週間後には、もう彼女が結婚を持ちかけてきたっけ…。そんなもんでも男と女は一緒に暮らせるのだ。たかがそんなもん、されど…。

 翌日、俺は例によって例のごとく店で髪を切っていた。そこにやってくる男二人。彼らは刑事を名乗った。俺もさすがにこの時には覚悟が決まった。

 一緒についていこうとすると、なぜか店の外で話をするだけだと言う。そこで外に出たところ、思いもかけぬ言葉が刑事たちの口から出た。

 「奥さんが百貨店店主殺しの疑いで逮捕されました」

 何と女房マクドーマンドの帳簿操作がバレたため、彼女がガンドルフィーニを殺したという話になってしまったのだ。愕然とする俺。何も考えられなくなった。とりあえずタバコを吸う以外、何もできない。面会時間も過ぎたから、今日は会えないと刑事は言っていた。

 夜、女房の弁護のことで弁護士リチャード・ジェンキンスの家に相談に行く。だが、ジェンキンス自身は殺人事件の弁護など自分はとても出来ないと辞退。その代わり、値段は張るが腕は確かなサンフランシスコの弁護士を紹介してくれた。そんな気の滅入る話をしていたところに、一陣の涼風…。

 そう、ここはあの心にしみるピアノの音色が忘れられない、スカーレット・ヨハンスンの家でもあったのだ。俺は目の前の憂鬱な問題をしばし忘れた。あの心安らぐピアノの音色が俺の脳裏に静かに響く。

 そんな晩、わが家の扉を叩く謎の訪問者が…。扉を開けてみると、それは死んだガンドルフィーニの妻キャサリン・ボロウィッツだった。その思い詰めたような顔。俺は必死にお悔やみの言葉を告げながら、女房マクドーマンドはやってないなどと何の慰めにもならないことを言っていた。だが意外にも、ボロウィッツはそんな俺の弁解に賛同するではないか。あなたの奥さんはやってない…なぜこの女はそう言える? するとボロウィッツは驚くべき話を打ち明けだした。

 ガンドルフィーニは毎年キャンプに行っていた。そして去年のキャンプ地では、いくつものまぶしい光を目撃したという。それは宇宙船だった。ガンドルフィーニはそのうちの一つに連れ込まれてしまった。そして、その時を境に奴は女房とベッドを共にしなくなった…。

 ここまで「事実」を打ち明けると、ボロウィッツは周囲をコワゴワ見回して、すべては政府をも巻き込んだ陰謀だと決めつけた。言うだけ言うとボロウィッツは帰って行ったけど、あの狂信的な目を見ちまったらもう眠れやしない。まさか宇宙人話まで出てくるとはね。

 面会に現われた女房マクドーマンドは、いつもの俺以上に生気のない顔をしていた。とりあえず化粧品を差し入れる。

 さらにサンフランシスコから高名な弁護士を迎えるために、金の工面をしなくてはならない。義弟マイケル・バダルコに連れられて、例の床屋の店を抵当に入れての融資を銀行に掛け合いに行った。人の金でメシを食っているくせに、いざとなった時には腹の底から冷血な銀行マン。こいつらは正真正銘、真っ昼間から出没する吸血鬼に違いない。

 それでも何とか金をつくって、シスコから呼び寄せた弁護士がトニー・シャルーブ。奴は街一番のホテルに投宿すると、レストランで高価なメシをパクつきながら仕事を始めた。俺との初めての顔合わせもそのレストランで。奴は俺にメシを勧めたが、そもそもがそのメシ代も俺の金ではないか。どこまでも人にたかる卑しい人種。奴は一方的にまくしたてて俺との会見を終わらせたが、要は仕事はすべて自分の流儀でやる、経費はすべてこっち持ち…という事だった。こいつの口調を聞いていると、あのイカサマくさいカツラ男ポリトですら誠実に聞こえる。弁護士どもに正義なんてない。こいつら世の中のダニだ。「人権」と「正義」をダシに、公然とゆすりたかりをする連中だ。

 そうそう。カツラ男のポリト。こうなると唯一真相を知っている男。だが、やはり奴も食わせ者だった。あの後早々に宿を引き払い、もらった名刺に住所にもトンヅラこいていなかった。つまりは、俺はアホだったのだ。そしてすべてを失った。

 シャルーブ弁護士を交えた最初の打ち合わせ。女房マクドーマンドは無罪を主張したが、当然何も彼女の無実を証明するものはなかった。帳簿のゴマカシ、自由に百貨店を出入り出来るカギ…何から何まで彼女に不利だった。業を煮やした俺は、真相をすべて語ることにした。ガンドルフィーニは死に、俺がすべてを賭けた「ドライクリーニング」事業は詐欺だった。 もう自分はどうなってもいいと思った。だから、あの男と女房の不倫を知っていたこと、恐喝したこと、その金を投資につぎ込んだことを洗いざらいブチまけた。

 ところが意外にもシャルーブ弁護士は俺の証言なんぞに目もくれなかった。それを証明するものが何もない。皮肉なことに、俺は実際に起こったことを包み隠さず語ったのに、まるっきり信じてもらえなかったのだ。女房ですら自分を庇おうとしての狂言だと思い込んでいた。何たることだ。

 ともかく、これでは勝てない。シャルーブは探偵を使って何か見落としがないか探ることにした。もちろん、その探偵代もこっち持ち。

 だから働かなくてはいけない。俺はタバコを吸いながら、ただひたすらに髪を切った。だが、裁判の進行は遅い。そして何から何まで金がかかる。探偵の捜査も遅々として進まない。

 そんな俺は、夜になるとリチャード・ジェンキンスの家に足を運んだ。そして彼の娘スカーレット・ヨハンスンの弾く美しいピアノの音色に耳を傾ける。それだけが俺の唯一の心の拠り所とでも言おうか。

 そのうち彼女のピアノの才能は本物だと確信した俺は、女房マクドーマンドの裁判が一段落した後で、彼女のマネージャーとして働くことを提案してみようかと本気で思い始めていた。厳しい世界を渡っていくには、彼女のために献身的に働く人間が必要だ。俺ならば、全てを彼女のために投げうつことができる。「ドライクリーニング」の夢は泡と消えたが、彼女のピアノは俺をこの退屈な床屋稼業から救い出してくれるかもしれない。そう思いを巡らせると、彼女の美しいピアノの音色もさらに快く心に染みるのだった。

 やがてシャルーブ弁護士は探偵を使って「ある事実」を掴んだ。何とあのガンドルフィーニのタフガイ伝説、太平洋戦争での従軍体験はすべてウソだったというのだ。シャルーブ弁護士はここを拡大解釈して「真相」をでっち上げる。会う人間会う人間に自慢して回っていた従軍自慢話がウソとなったら、奴の信用はガタ落ち。そこをつけ込まれてゆすられていたのだ。シャルーブ弁護士はもうこの「事実」だけで裁判に勝ったつもりになっていた。そう。真実である必要はない。勝てればいいのだ。

 シャルーブ弁護士の話を聞いたマクドーマンドは、ウソをつき通していたガンドルフィーニを思いだし、ただ苦笑するだけだった。果たして彼女の胸中に去来するものは何か?

 さて、この「事実」の効果はいかなるものだったのか…結局俺たちはそれを知ることが出来なかった。何と裁判の日。女房マクドーマンドは首を吊って死んでしまったのだ。

 この冷え冷えとした気持ち。何とも空しい心の内は何だ。

 後で検死をした担当の男がコッソリ教えてくれたことには、女房マクドーマンドは妊娠していたという。だが俺は悲しみも驚きもせず、ただタバコを吸うだけだった。俺と女房の間には、もう何年も肉体関係はなかったのだ。

 義弟マイケル・バダルコはこの一件ですっかり神経をやられて、家から一歩も出なくなってしまった。だが、金のためには働かなくてはいけない。俺は毎日髪を切り、タバコを吸った。新しく人も雇ったが、無口な奴を雇ったつもりが、またしてもおしゃべり男で閉口した。それでも毎日髪を切り、タバコを吸った。あるいはタバコを吸い、髪を切る。

 そしてある晩、しばらくご無沙汰にしていたジェンキンスの家へ行った俺。だが、今夜はただスカーレット・ヨハンスンの美しいピアノに耳を傾けるだけの目的ではなかった。サンフランシスコに優秀なピアノ教師がいる。その男のオーディションを受けてみるように彼女を説得しに行ったのだ。実は彼女、音楽の道に進もうなんて大それたことは考えたこともないらしい。だが、俺は必死に頼み込んだ。俺のためだと思ってオーディションを受けてくれ、俺は若い君の人生が空費されるのを見ていたくないんだ…。

 そんな説得が功を奏しての、オーディション当日。彼女の演奏が終わった後で、俺はそのピアノ教師アダム・アレクシ=モールに見込みを聞いてみた。その結果は…ボロクソ。ただピアノを弾いているだけで、才能もきらめきもないと言う。あんなにこの俺を癒した、この俺の傷つき乾ききりヒビ割れた心に染み渡った美しい音色が、まるでクソだとでも言うのか? このピアノ教師アレクシ=モールのフランスかぶれなネチネチ言葉に胸がむかつく。

 深いショックを受けながら、ヨハンスンを助手席に乗せて車を走らせる俺。その車内で、こんな事では引き下がらないぞ、もっといい教師ならきっと君を…などと、俺は半ば意地になって言い張っていた。だが、ヨハンスンはさほど気にしてもいないようだ。骨折ってくれた俺には感謝していると言う。彼女はそんな俺に何かお礼がしたいと言いだし、頬に口をつけてきただけならいざ知らず、次には俺の唇へ。そして何と運転中にも関わらず、俺の股間へと顔を埋めるではないか!

 や、やめろっ。やめてくれっ。

 俺を癒したピアノの音色、あの心に染み渡った音色の美しさも、たちまち汚れちまって色褪せちまって踏みにじられちまって…。そして、前方から対向車が猛スピードで突っ込んでくる。

 危ないっ!

 急ハンドルで車は道路下にすっ飛ぶように転落していく。車輪からはずれたホイールが、くるくるくるくる…まるでロズウェル空軍基地に隠されたあの空飛ぶ円盤のように回りまわって…。

 その時俺は、自分の人生がまたしてもくるくるっと急展開するのをイヤでも感じずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

映画見てから読んでください

 

 

 

 

 

 

 

 

2002年5月 東京、杉並区の自宅

 前作「オー・ブラザー!」を見たのがつい先日のような気がする、コーエン兄弟の最新作。この人たちの映画もマメに来るようになってきたねぇ。

 何と言ってもこの人たちの映画、どれを取ってもうまさが際立つ。うまい、実にうまい、うますぎる。あまりうまくてイヤミな程。

 そして、実はここだけの話だが、ここんとこ何作かはハッキリ言って僕の心には届かなかった。うますぎちゃうのかね。

 「ブラッドシンプル」「赤ちゃん泥棒」「ミラーズ・クロッシング」あたりは、どれを取っても楽しい映画だったし、心にも残ってる。あと、「未来は今」かな。だけど「バートン・フィンク」以降は、あまりピンと来なかったんだよね。見ている間はうまいなぁと思う。拍手もする。で、あ〜あ、面白かったとサッサと忘れる(笑)。いや、断片的には「ビッグ・リボウスキ」でジョン・タトゥーロが見せたチン妙なボウリングのタマ磨きとか、「オー・ブラザー!」でのズブ濡れボーイズの変な歌と踊りとか、結構楽しいことも覚えているんだけどね。作品としては僕の心にジャストミートしなかったというか。それは露骨に「俺たちってうまいだろ?」的な目配せが、作品からうかがえちゃうからだったと思っているんだよ。ま、正直言ってシラケるんだわな。

 そういう意味では今回の作品、うまさが際立つのはいつも同様だが、何かどこかが違ってる。何だかコーエン兄弟お得意の、上から見下しているような印象が少ないんだ。そりゃ一体なぜだろう?

 僕は今回に限ってそんなイヤミな印象が少ない訳は、一つには語り口にあるんじゃないかと思ってるんだよね。とんでもない運命のいたずらに翻弄される主人公当人が語り部となって物語が進行するから…。そしてその語り部たる主人公が達観したギャングでもチョイと斜に構えた探偵でもない、ごくありふれていて退屈でちょっと人生割りを食っちまったような、しがない床屋であるということもプラスに働いた。

 ここ最近のコーエン作品では作り手がどこか高い所からコッケイな人間たちを見下して、その愚かに運命に弄ばれるさまを笑い者にしている印象があったんじゃないかね。元々そういう作風ではあったんだけど、彼らの映画作法がうまくなればなるほど見下す位置が高くなり、だんだんイヤミに見えていったのではないか。そういう意味では、フィルムノワールの定石とは言え主人公一人称の物語であり、なおかつその主人公がシニカルでもクールでもない今回の作品は、その語り方が正解だったんじゃないかな。少なくとも物語の視点は、主人公と同じ地べたに降りた。

 そう、今回コーエン兄弟が採用した映画スタイルはフィルムノワール。そういう意味ではデビュー作「ブラッドシンプル」に本卦帰りした作品とも言えようか。そう言えば奇しくも、フランシス・マクドーマンドが再び「不倫妻」を演じているが(笑)、これは何かの符合なのだろうか?

 そして、今回イヤミな印象が少ないもう一つの理由は、この映画がモノクロ作品であることかもしれない。いつもスクリーンの向こうに全体をコントロールしきっているかのような兄弟の存在がチラつき、それで今ひとつ作品世界に入り込めなかった最近のコーエン作品。それってやっぱり、どこかオーバー・ディレクションしているところがあったはずだよね。作品に素直に溶け込ませてくれず、常に作り手の影が見え隠れしちゃうってのは、結局「やりすぎ」ってことじゃないか。

 だが、今回モノクロ撮影を行うことにより、画面には一種のストイシズムが漂うことになった。一見したたけでもどこか冗舌な今日の映画と一線を画することになり、それが今回はコーエン兄弟の「過剰演出」を抑えたのかもしれない。

 それにしても、今回がコーエン兄弟初のモノクロ作品と聞いて、ちょっと驚いたよね。この人たちの作品には時代色の強いものが多いから、もうとっくにやってる印象があったもの。で、このモノクロの無駄のない端正な世界が、今回の作品の気品を高めてる。劇中にふんだんに流れるベートーベンのピアノ曲もそうだ。無駄がなく、品があり、そして美しい。

 それは主人公を演じるビリー・ボブ・ソーントンにも言える! 彼はほとんど何もやってない。ただ髪を切り、タバコを吸うだけ。徹底的に人生を傍観者として過ごしてきた男だ。そんな彼が珍しく能動的に動こうとするとき、なぜかロクでもない方向に人生が動いていく。そのちょっぴり皮肉に疲れたまなざしで、人生や周囲を見つめる人物像が、妙にリアリティを持って迫ってくるのだ。

 そこで描かれているのは、またしても「ままならない人生」! つい先日チャン・イーモウの「活きる」でも見られたこのテーマが、またしてもホロ苦さを持ってスクリーンに再現されるんだね。ただし、前者が「中国現代史を背景にしたしみじみホームドラマ版」だとしたら、こちらは「ブラックユーモア犯罪映画版」ではあるが(笑)。

 善かれと思ったことが裏目に出る。それだけならまだしも、予想もつかない玉突き現象を起こす。そして、その過程にあぶり出されてくる人生の皮肉。ドライクリーニングへの投資を蹴った百貨店店長は、脅迫に屈服することで結果的に同じ投資話に金を払うことになる。主人公がビジネスマンに会いに行ったホテルは、それとは知らなかったが主人公の妻と上司の不倫現場だった。不慮の事故とは言え百貨店店長を殺した主人公は逮捕を覚悟するが、逮捕されたのは自分の妻だった。思い余って主人公が真相を自白しても、なぜか誰もそれを信じてくれない。そして…殺人が起き、何度も裁判が行われ、あれだけ多くの人間が捜査に携わり審理に関わっているのに、本当の真相は一度として明るみになることがない(笑)。

 そして、この事件を通じて主人公は、今まで触れることのなかった人生の真理や社会の真実を知ることになる。銀行マンの冷血、弁護士のウソ八百、そして空飛ぶ円盤と政府の陰謀(笑)。一見もっともらしく見える銀行マン、弁護士、そして殺人事件解決に奔走したはずの警察のやっていたことは、見事にウソかインチキか間違いばかり。だが、一番イカサマくさいビジネスマンの語っていた新技術「ドライクリーニング」は真実だった。そしてお話の最も終盤に差し掛かると、詐欺師だと思われていたこのビジネスマンが、実は本当に商売を進めようとしていたのでは…と思える新事実が出てくる。だとすると、実は空飛ぶ円盤も事実だったんじゃないか…ということはさておき。あぁ、何とも人生ままならぬものよ。

 床屋稼業から脱出するはずが、それがためにがんじがらめになって、より一層店に縛られるハメになる主人公。そんな彼がすがりついたのは、少女の弾く美しいピアノの音色だ。ひょっとしたらその少女のピアノこそが、彼を崇高な高みへと引っ張り上げてくれるかもしれない…そんなことを考え始めた時に、主人公の夢はまたしてもダブルパンチで打ち砕かれる

 そんなこんなで主人公はなすすべもなく、疲れた表情でただただ立ちすくむ。黙ってタバコを吸いながら。

 だが主人公の心は、少女のピアノの音に触れること以外は見事に干からびていたのか…と言うと、僕はちょっと違うと思うんだよね。少なくともかつては何かあったはず。

 それは主人公が自分の妻に抱く、何がしかの感情だ。

 映画の中ではすでに冷え切った妻との関係。後になって、すでに数年に渡って夫婦関係がなかったことが明かされるように、すでに不毛な関係ではあったのだろう。不倫していることを知っていても、咎める気にならないくらい無感動な状態ではあったのだろう。

 だがそんな彼が、妻が殺人の罪に問われた時には「厄介払い」とは思わなかった

 それどころか、自分の罪を自白してまで妻を助けようとした。これは考えようによっては意外なことだよね。もちろん、実際には妻が無実であることを知る彼のモラルが、彼をして助けたいと思わせたということはある。だがそれ以外にも彼が意外に妻を大切に思っている点、それを「愛」とは言えずとも少なくとも彼が妻に抱いている思いを大切にしている点は、いくつも見受けられるのだ。

 酔って帰宅した妻の寝転がっている姿を見ながら、自分たちのなれそめを回想する主人公。途中で呼び出しを受けたためこの回想は中断するが、「一仕事」終えて帰ってきた主人公は、まるで途中に何もなかったのごとく、中断されたところから再び回想を始めるのだ。人を一人殺してきたと言うのに!…そして、まるで妻とのなれそめを回想することが、現時点での人生の最重大事ででもあるように

 そしてこの主人公は、妻が自殺した時にも言い知れない寂しさをかみしめた。妻のいなくなった家は空虚だとつぶやいた。

 だから、交通事故に意識不明になった主人公の脳裏に蘇るのも、当然のごとく亡き妻の面影なのだ。ただし、それは決して美しい思い出でも何でもない。セールスマンをボロクソにやり込める、あんまりな妻の姿。家の中で同じソファに座りながら視線一つ交わさず、夫婦の会話一つない冷ややかな空気。決してついつい思い出したくなるような、心暖まる懐かしい光景なんかじゃない。

 それでもかけがえのないものであったのか。

 考えてみればまず何よりも、主人公は床屋稼業からの脱出はずっと心の底で願っているが、一度も妻との決別については言及していないではないか。やはり彼は、何だかんだ言っても妻への何らかの感情を持ち続けていたのか。

 そのヒントは、例の眠っている妻を見つめながらの、主人公の独白にあるかもしれない。会って2週間での結婚話…そんなもんで男と女は暮らせるんだ。そう、“たった”そんなもんで。だが、“されど”そんなもん…。たったそれだけでも、人と人との触れ合いではある。そして、それこそが一番大切なものなのかもしれない。

 ピアノ少女に抱いた感情は決して恋愛感情やら肉欲ではありえない。その美しいピアノの音色に心の安らぎを感じたか、あるいはいまや失われてしまった何か美しいものを思い出したか。少なくともピュアに美しい何かへの憧れのようなものであって、決して恋愛感情ではないはずだ。だから少女が車の中で彼に「サービス」しようとすると、彼は激しくショックを受け拒絶してしまう。

 最後の最後、主人公の胸に去来するのは、やっぱり妻のことだ。彼女に会えるだろうか? もし会えた時には、この世では言えなかったことも言えるだろう…というラストの台詞は重い。

 この最後が主人公にとっては、必ずしも不幸ではないかもしれないからだ。

 いや。むしろ心のどこかで、この結末を望んでいたのかもしれない。

 現実の生活では、さまざま厄介事や皮肉やプライドやその他諸々に翻弄されながら、人は思った通りには何かを行うことが出来なくなっているし、抱いている思いもそのまま語ることが出来なくなっている。それが、人間同士のつながりを希薄にしていることもあるだろう。バリアをつくってしまうこともあるだろう。自分自身ががんじがらめになって、したいように出来ないこともあるだろう。思うようにいかない人生。

 だが「現世」のカオスの中では言えないこと出来ないことも、そんな諸々がなくなった時には、そんなものが元々ないどこかなら、素直に相手に告げることが出来るんじゃないか。そして相手もそれを素直に受け取ってくれるんじゃないのか。自分の身の回りもスッキリして、心安らかになれるんじゃないか。どんな制約からもしがらみからも、そしてつまらない感情からさえも解き放たれたならば…。

 

いつか 空の上で

 自分の人生がどんなものだったのか自分でも分からなくなる…。そう、幸運は不幸から不運は幸福から…人の世は一つ石を置いたらパタパタと黒白裏返ってしまうオセロゲームみたいな不確かで不安定なもんだ。人生真っただ中で、それを当人に評価することなんてとても出来ない。だから、外側から自分の人生を見てみたくなる。それは自分の人生が果たしてどうだったか、じっくり眺めてみたいという気分と、そんなパタパタ裏返る人生の油断のならなさに疲れて、いいかげん傍観者になりたいという気分の両方だ。そのために、時として人生そのものをともかく完成させたいという気持ちになる。

 そして今、自分の人生を完成させることが出来れば…他の諸々はともかく、「幸福感」という一点においてだけなら、まさしく自分の人生は成功だったと言い切れるだろう。そのくらい価値のあるものを、僕は手に入れたのだ。僕はラッキーだった。

 だから常に、もしこの飛行機が落ちたら…と、いつも心のどこかで思ってる。

 たぶんこんな事を言いながら、本当に飛行機が落ちるということになったらジタバタ騒ぐ僕だろう。誰よりも「死にたくない」と思うだろう。いろいろ未練も残るだろう。いや、そりゃ絶対落ちて欲しくはない。それは困る。まだやり残したことがある。

 でも、本当だろうか。本当にやり残したことなんてあるか。仮にあったとして、これからの残り時間でそれはやり遂げられるのか。やり遂げる価値があるのか。

 だからこそ、僕は心のどこかで“それ”を願っているのだ。これは破滅願望という訳ではない。終わりを意識した時に初めて分かるであろう、自分の人生の本当の姿を見てみたい、そして「この幸福感」を永久に定着させて終わりたい…という気持ちだろうか。

 その時に、必ずこれだけは言い残しておきたいことがある。僕にはその言葉だけは言い切れる。

 これはハッピーエンドなのだ…と。

 

 

 

 

 

 

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