「活きる」

  活着 (To Live)

 (2002/05/20)


国際映画祭で相次いだ中国の暴挙

 もうだいぶ前のことで記憶が定かではないので、間違っているところがあったらお許しいただきたい。1993年の第6回東京国際映画祭では、この映画祭始まって以来、そしてその後の存続に関わるほどの大事件が持ち上がった。確か中国から出品されていたティエン・チュアンチュアン監督の「青い凧」の内容に問題があると、中国代表団から出品取り下げの要請が出されたのだ。僕は「青い凧」のその時、どこに問題があったかを知る由もなかったが、後に映画の実物に触れてすぐにどこがマズかったのか理解できた。中国現代史に翻弄される一人の女の物語なのだが、ここに出てくる共産党の幹部から下っ端に至るまで、とにかく極悪非道で腐敗の極みといった描かれよう。特に職権を乱用して女性を我がものにしようとする共産党幹部の姿は、たぶん本当にあったことだろうだけに認めるわけにはいかないだろう。僕は裏の事情は知らないので、そんな内容のマズさくらい事前に察知できなかったのかと思っちゃうのだが…ともかくは東京で関係者が見てみたらトンデモナイということになったのだろうか。それとも最初は政府側もオーケーしていたのに、急に方向転換したのだろうか。

 しかし映画祭側も中国から出品取り下げの申し入れが来たからといって、おいそれとそれを受け入れられない事情があった。もし中国の圧力に屈したとあれば映画祭の権威は失墜。下手をすると表現の自由が侵されるのを容認したとして、国際映連から「国際映画祭」としての資格を剥奪される恐れだってあったはずだ。

 結局この時は確か中国代表団は引き上げてしまったのか、矛先を収めたのか。ともかく「青い凧」は中国映画としてでなく、日本資本が導入されていたことから日本映画としてエントリーすることになったはずだ。このへんの「配慮」もいかにも日本らしいが、アジア映画に依存せざるを得ない弱体映画祭としては中国の面子も立てざるを得なかったのだろう。まぁそれでも少なくとも東京国際映画祭事務局は、どこかの日本総領事館職員やら外務省やらよりはまだ骨があった。そして結果的にはインターナショナル・コンペティションに出品されていた「青い凧」は、見事グランプリに選ばれてしまった。あんなことがあれば審査員たちだってかなり刺激されるしね。元々作品的に妥当だったのかもしれないが、中国側が変に騒ぎ立てたことで結果的にこの作品を押し上げることになっちゃったのは確かだね。

 この事件以降、東京国際映画祭では映画の国籍を明示しなくなった。使われている言語が何かという表示はあっても、原産国や資本がどこから出ているのかを表記することはなくなった。きっと、「青い凧」の時の騒動でもうたくさん…って気になったんだろうね。

 ところで実はこの東京国際映画祭のトラブル後の翌1994年にも、同様のトラブルがカンヌ映画祭でも起きていたんだね。またしても出品作品のことで中国代表団堂々退場す…ってな騒ぎになった。だけど東京ですら脅し切れないんだからカンヌなんてなおさら。別に来たくなけりゃ次から来なくたっていいよ…くらい、カンヌほどの映画祭だったら言える。そこらへんのところ、ちょっと中国も見通し甘かったんじゃないか。実際はどういう決着を見たかは覚えてないが、それよりまたしても騒いだおかげで必要以上に注目され、ここでも審査員グランプリやら主演男優賞をかっさらうことになったのだから何をか言わんや。

 これがすべて落語の「饅頭こわい」みたいに、実は賞狙いの狂言だった…って言うんなら中国の役者ぶりには脱帽だけどねぇ。でも「脱帽」で思い出したけど、人んちに乱入して来た奴が落とした帽子を、わざわざ拾って渡してやるこたぁないわな(笑)。

 余談が過ぎた。この時、カンヌに出品された問題の中国映画こそがチャン・イーモウ監督の「活着」…今回ようやく日本公開された「活きる」なのである。

 

時代の荒波に翻弄される夫婦

 1940年代、中国でのこと。街の大人の社交場たる遊技場に入り浸って、遊びほうけている男が一人。地元の名家の一人息子グォ・ヨウがそれだ。今日も今日とて遊技場オーナーのリー・ダーホン相手に博打に興ずるが、こういうドラ息子の常として、博打に強い訳がない。毎日のようにボロ負けしては、家のツケにして朝帰りの日々だ。それでも若旦那風吹かせて大いばり。遊技場の影絵芝居の歌が下手だなどと言いたいことを言って、俺が手本を見せてやるとばかり、舞台裏に上がり込む。遊び人のヨウは、旦那芸にも長けていた。影絵芝居の歌を面白可笑しく歌っては満場の喝采を博してゴキゲンだ。

 家に帰れば親父ホァン・ゾォンルオがどなる。だがヨウもひるんではいない。この親父も昔は何かロクでもないことをしたか、家はその頃から傾いていた。だから、親父の小言にも涼しい顔のヨウだった。

 だが、身重の妻コン・リーのグチにだけは弱かった。子供が出来たら博打は止めると言ったのに。そんな妻の言葉にも生返事。すでに長女が一人と、今コン・リーのお腹にいる子供も入れれば二児の父にもなろうというヨウなのに、何だかんだ言っては博打のやむ気配はない。そんなヨウの態度に、コン・リーの我慢も限界に近づいていた

 翌日も遊技場にご出勤のヨウ。だが、一勝負して珍しく勝ったものだから機嫌をよくしたヨウの元に、妻のコン・リーが乗り込んできた。何と言っても帰らないコン・リーに、ヨウとしても男のメンツがある。声を荒げて彼女を叩き出すと、よせばいいのにさらに勝負を挑んできた。案の定、さらに負けがこむ。さぁもう一勝負と勢い込むヨウに、相手のダーホンは冷たく宣言した。「もう賭けの元手がありません」

 調子に乗って負けに負けたヨウ。そのあげく、彼はもう家を手放さざるを得ないところまで追いつめられていたのだ。泣いてもう一勝負と言っても、もうダーホンは乗ってこない。それもそのはず。ヨウの屋敷に目を付けていたダーホンは、この時をずっと待っていたのだ。

 唖然呆然となるヨウを、外で妻のコン・リーはずっと待っていた。別に彼を連れて帰るために待っていた訳ではない。彼に別れを告げるために待っていたのだ。コン・リーは子供を連れて実家に帰ると、彼に宣言して去っていった。弱り目にたたり目。泣きっ面にハチ。

 早速、リー・ダーホンとその一行がヨウの屋敷に乗り込んで来た。親父は意外にも冷静に応対し、家屋敷を明け渡す書面に判を押した。そして息子ヨウの方に振り向くと…。

 「き、さ、ま〜! 殺してやるぅ〜」

 いきなり半狂乱の親父に慌てふためくヨウ。だが、彼は逃げ回る必要はなかった。興奮のあまり親父はその場に倒れ、あの世へ旅立ってしまったのだ。

 家を明け渡して寒空に投げ出されたヨウと老いた母親リウ・イエンジン。家財を売り払い食い詰めながら、今さらながら深い後悔にさいなまれるヨウだった。

 そんなある日、何とあの去っていった妻コン・リーが、娘と生まれたばかりの息子を連れてヨウを訪ねてきた。もう帰って来ないと諦めていた妻の訪問に、喜びを隠しきれないヨウ。コン・リーは夫の窮状を聞きつけて、彼の元に戻ってきたのだ。生まれたばかりの息子の名前を「不賭(ブードゥー)」にしたなどと皮肉を言いながらも、ヨウは返す言葉もない。そんな彼に息子の名前の件は冗談だと笑い飛ばして、妻コン・リーはヨウとの再出発を誓うのだった。

 とにかく生きていくには商売をしなくてはいけない。商売を始めるためには元手がいる。ヨウはこの際、恥をしのんで、自分から家屋敷を巻き上げたダーホンの元に頼み込むことにした。いまや攻守逆転、ふんぞり返るダーホンにへりくだるヨウ。元は自分のものだった屋敷でのこの立場の逆転に、ヨウも苦いものを噛みしめざるを得ない。だが、ダーホンはヨウに金を貸すのを渋った。その代わり彼が差し出したのは影絵芝居の道具だ。今はもう必要なくなったこれなら貸せると言う。

 かくして何人かの演者を雇ってドサ回りに出かけるヨウ。旦那芸でもこうなりゃ芸は身を助ける。おかげでどこでもヨウの影絵芝居は大好評だ。ヨウも結構水を得た魚のように生きいきしている。演者の一人グオ・タオを相棒に、影絵芝居もいよいよ軌道に乗ってきた…と思ったある日、いきなり兵隊たちが演じているヨウたちを連行した。兵隊たちはみな国民党の兵士たち。いまや共産党との国を割っての内戦真っ最中だったのだ。

 たちまち国民党軍の一員として否応なしに引っ張られるヨウとタオ。何とか逃げ出して家に帰らねばと焦るヨウを、兵士の一人リー・リエンイーが説得する。今、逃げても殺されるだけだ。ここはともかく兵士と同行する他はない。

 このリエンイーなかなか人情味のある人物で、何かと不慣れなヨウとタオを助けてくれた。リエンイー自身、軍に引っ張られた弟を捜すために従軍しているともらす。そんなリエンイーに従い、とにかく生きて帰ることだけを願うヨウ。だが、そんな彼も命の綱の影絵芝居道具だけは手放さずに持っていった。タオはと言えば、進軍の日々が続くうちに彼は彼なりの喜びを見出した。軍隊が使用している車両を見ているうちに、スッカリ車の虜となったのだ。いつかあれを運転できれば死んでもいいなぁ。

 そんなある日、ヨウ、タオ、リエンイーが塹壕で眠っているうちに、部隊は退却してしまった。人っ子一人いない戦場に、うち捨てられ死んでしまった傷病兵たちの死体の山だけが残る。そんな中、共産党軍の攻撃が始まった。流れ弾に当たったリエンイーも死んでしまう。恐れおののくヨウとタオの目の前に、共産党軍が大挙して押し寄せてくるのが見える。慌てて逃げ出すヨウとタオだが、共産党軍の大群は彼らを追いつき追い越していった。今度は共産党軍に引っ張られていくヨウとタオ。だが、こんな最中にも影絵芝居が二人の命を救った。共産党軍の慰みとして、影絵芝居を必死に上演することで生き延びることになったのだ。

 戦いは共産党の勝利に終わった。ようやく念願の帰宅が許される。ヨウは疲れ切った体を励ますように家路を急いだ。やっと着いた我が家では、妻コン・リーが細腕一つで娘と息子を育てて待っていた。だが、そんな我が家にも変化があった。老いた母親は息子の帰宅を待つことなく亡くなっていたし、娘も病気の高熱のため声が出なくなっていた。だが、ともかくは生きていた。生きていれば良いこともあるだろう。

 帰宅したヨウを迎える近所の人々。町長のニウ・ベンも共産主義の素晴らしさを説きながら、親切にヨウたちに何かと世話を焼いてくれた。今やヨウは共産軍に従軍した革命思想の徒として大手を振っていいのだ。そんな町長が教えてくれたことには、何とあのダーホンが共産党から批判の対象にされているとか。ヨウから巻き上げた屋敷のせいで「地主」に認定され、激しく批判されているというのだ。

 果たして、ダーホンは群衆の前でその罪を糾弾され、即刻処刑と決まった。その場に居合わせたヨウは、ダーホンが引き回されるところに出くわしてしまう。連行されるダーホンは、群衆の中にヨウの姿を見つけるが、必死に訴えるその声は群衆の怒号にかき消されてしまう。たまりかねたヨウはその場から立ち去るが、背後からはダーホンを処刑する銃声が5回も聞こえてきた。怯えきるヨウ。

 慌てて帰宅したヨウは、自分の身分がちゃんと貧民であることをコン・リーに確認する。もし一つ間違ったら自分が「地主」として処刑されたに違いない。自分がもらった共産軍の証明書はどうしたと妻に聞くと、何とシャツのポケットに入れたまま洗ってる真っ最中。慌てて濡れたシャツから証明書を取り出すと、広げて乾かそうとするヨウとコン・リー。この時より、ヨウは人間の運命の皮肉さと、人生何があるか分からないという感慨を脳裏に焼き付けた。それでも何でも、とにかく生き抜かなくては。生きていればこそのモノだねだ。

 1950年代。毛沢東の号令一過で、一般家庭からの鉄の供出が始まった。革命のための戦いのため、鉄が少しでも必要だとばかり、ナベ、釜、刃物…とにかく鉄製品なら何でも出せとのお達しだ。共産主義のためならと頑張る町長ニウ・ベンの指揮の下、ヨウ一家もありったけの鉄製品を差し出した。そんな時、ヨウの息子がよせばいいのに余計なことを言い出した。

 「影絵芝居の道具は鉄じゃないの?」

 これにはヨウも困り果てた。今にも供出せざるを得ない雰囲気がたちこめる。だが、ヨウはここで苦肉の策を持ち出した。町を上げての製鉄活動を行うその場で、みんなの疲れを癒す影絵芝居をやってやろう。これには町長も喜んだ。かくしてヨウの命綱である影絵芝居道具は、今回も何とか延命することになった

 ナベ、釜に至るまで供出してしまった一般家庭では、いまや食事の支度も出来なくなった。そのため町では共同食堂をつくり、みんなで一緒に食事をすることになった。ところがそこで事件が起こった。ヨウの息子が近所の悪ガキの頭から、唐辛子たっぷりの食事をぶっかけるという騒ぎだ。ぶっかけられた子供の親が騒ぎ出す。あげくの果てにこの時代のご時世として、ヨウたちを反革命とまで呼んでの言いがかりだ。これにはヨウは焦った。反革命呼ばわりされたら何が起きるか分からない。ヨウは息子を捕まえて、その尻っぺたを何度も殴りつけた。これには息子も反発したし、妻のコン・リーも黙ってなかった。

 実は息子が例の悪ガキに飯をぶっかけたのも、言葉のしゃべれない姉がこのガキどもにイジメられたからだった。反革命呼ばわりを恐れてのこととは言え、マズかったと反省したヨウだが、息子はスネてもう口をきいてくれない。ヨウが町の製鉄活動で影絵芝居を上演しているのに、息子はフテって見に来てもくれない。一計を案じたコン・リーは、息子にヨウへのいたずらを持ちかける。いい気になって影絵芝居の歌を歌っている父ヨウに一泡吹かせよう。息子はお茶に酢やら唐辛子やらをムチャクチャにぶっこむと、父親に差し出した。ヨウは息子が自分を許してくれたと喜んで茶をすする。

 ぶわ〜っ、こりゃ何だ?

 茶を吹き出すと、怒って息子を追い回し始めたヨウ。笑って逃げ回る息子。そんなてんやわんやを演じてるうちに、親子のわだかまりが不思議と解けてなくなっていった

 だが、共産党からの鉄の増産要請は容赦がなかった。毎晩のように駆り出される一家。息子は疲れ果てて眠りほうけているが、今度は区長がじきじき出馬する子供の製鉄活動に参加しろと呼ばれる。コン・リーは息子を眠らせてやりたいが、ヨウはここは出さない訳にいくまいと息子をおぶって連れていった。だが、彼が生きている息子を見たのはそれが最後だった。

 やはり連夜の製鉄活動参加に疲れ果てていた区長が、車の運転を誤って塀に激突。その塀の裏側で疲れて眠っていた息子が、崩れた塀の下敷きになったのだ。血塗れで横たわる息子の遺体に半狂乱のヨウ。駆けつけたコン・リーも泣き叫ぶが、今さらどうにもならなかった。

 小高い丘に息子を葬ったヨウとコン・リー。コン・リーは息子を連れていこうと言ったヨウを止められなかったと言って自分を責めた。そんな妻の聞きようによっては自分を責める言葉に、ヨウも返す言葉がない。そんな嘆き悲しむ夫婦の元に、事故を起こした区長自らがやってくると言う。いきり立つヨウとコン・リーの前に現れたのは、ヨウが戦場で苦楽を共にしたあの相棒タオだった。あんなに車に憧れたタオ。それがいつの間にか区長にまで出世していた。だが、皮肉にもその車が息子の命を奪った。沈痛な面もちで謝罪するいまや区長のタオだが、ヨウもコン・リーもその言葉を受け入れる余裕はなかった。花輪もお見舞い金も投げつけて責め立てる夫婦の前に、タオは沈痛な表情で退散するしかなかった。トボトボ歩いて戻ってくると、止めていたタオの車に傷つけようとしていた姉が、タオの部下に抑えつけられていた。タオは部下に彼女を放すように告げると、車を捨てて一人歩き去っていった。

 1960年代。毛沢東はさらに過激になっていった。ブルジョア的なものはすべて批判される風潮に、町長からアドバイスされたヨウは、ついに影絵芝居の道具を焼き捨てる覚悟をした。事態はそれほど切迫していたのだ。

 そんな中、口のきけない長女に縁談が持ち上がる。町長が世話してくれたその男は、労働者の鑑として尊敬されている男。だが、なぜそんなリッパな人にうちの口のきけない娘を?…と心配するヨウとコン・リーだが、実はその男、工場での就業中に事故で足を不自由にしたという事情があった。ともかく娘と会わせようということになり、その男ジアン・ウーが家にやって来ることになった。

 ジアン・ウーは悪い足をひきずり、町長に連れられてやって来る。ところが娘は彼を一目見たなり部屋に引っ込んでしまった。一方、ウーの方もそれだけで帰っていってしまう。果たしてこれで大丈夫なのか? だが、心配するヨウとコン・リーが部屋を覗いてみると、彼女はウーが持参した人民帽を被ってまんざらでもなさそう。思わず胸をなで下ろすと、縁談を進めようと話し合うヨウとコン・リーだった。

 そんなある日、買い物を楽しむヨウとコン・リーのもとに、我が家に造反派と称する活動者たちが乗り込んできたとの知らせが届く。そのリーダーは足の悪い男と聞き、まさかと驚くヨウとコン・リー。だがヨウには、あの屋敷を取り上げたダーホンが公開処刑された時から、この世の中何があっても不思議はないという人生観も焼き付いていた。ひょっとして次にやられるのは俺か?

 慌てて我が家に駆けつけるヨウとコン・リー。すると、家の壁面に巨大な毛沢東の肖像画が描かれているではないか。その絵を共に絵筆をとり仲良く描いているのは…ウーとわが娘だ!

 何とウーは仲間を連れて、くたびれた我が家の補修に来てくれたのだ。またしてもホッと胸をなで下ろすヨウとコン・リー。娘さんと結婚させてくれと頼むウーに、一も二もなく賛成するヨウだった。

 やがて婚礼の日がやって来た。慎ましいながらもこの時代としては盛大な宴が催される。人民服の一張羅に身を包んで儀式を臨む若い二人。その手に毛沢東語録の赤い冊子を手にして、和やかに記念写真に収まる新郎新婦とヨウ夫婦。新郎に連れられ、涙を流しながら家を後にする娘を見ながら、万感胸に迫るヨウとコン・リー。

 そんな宴がはねた我が家に、たった一人残っていた男…それはあの息子を事故で奪ったタオだった。彼も秘かにこの宴に参加していたのだ。いまやわだかまりもなく彼を家に迎えるヨウだったが、コン・リーの気持ちは晴れていなかった。それを察したタオは早々に去っていく。彼のお祝いも返してしまえと言うコン・リーだったが、その祝い物が毛沢東の肖像では返せるわけもない。

 そんな長女夫婦だったが、それからしばらくして早くも「おめでた」の知らせがヨウとコン・リー夫婦にもたらされる。だが「おめでた」報告をしに来たウーは、意外な知らせをも二人に伝えた。あの息子を死に至らしめた区長のタオが、なぜか今「走資派」として批判されているというのだ。タオとは一線を画しているようにと告げるウーに、ヨウの胸中は複雑だった。

 やがてある夜のこと、そのタオがこっそりとヨウの家を訪ねてきた。今まで何を送ってもつっぱねてきたヨウ夫婦に、今日こそはこれだけは受け取ってもらうと彼が持ってきたのは預金通帳。そのただならぬ気配に、ヨウは漠然とした不安を感じた。何でも彼の妻は自殺した…らしい。当局に連行されたまま、そんな知らせだけが届いたと言う。そんなうちひしがれ怯え切ったタオに、ヨウはただ「ツラくとも生き延びろ」と言葉をかけるしかない。そんな二人の話を小耳にはさんだコン・リーは扉を開けて彼を迎えた。十分苦しんでいる人間を、何でこれ以上責め続けられようか。だが、タオは長くいられないと二人の家を後にした。その後ろ姿にコン・リーが声をかける。

 「あなたはうちに借りがあることを忘れないで。生きるのよ!

 それは追い詰められたタオへの、彼女の精一杯の激励の言葉だった。

 そんな異変は実はあちこちで起きていた。ヨウ夫婦が孫が出来た報告をしにお世話になった町長の家を訪ねると、町長の妻がさめざめと泣いている。実はこの町長まで「走資派」としてつるし上げられ、これから自己批判に出かけるところだと言う。行ったら帰ってこれるか分からない。あんなに革命のために協力的だった町長までが批判されるとは、ヨウはますますこの世の不条理を感じずにはいられなかった。

 いよいよ嫁いだ長女の出産の日。ヨウとコン・リーは娘の夫ウーやその仲間たちとともに、病院の廊下で孫の誕生を今かいまかと待っている。病院にはそこかしこに手書きの汚い壁新聞がベタベタ貼り出され、さながらどこかの学校の文化祭状態。いや、文化祭ではない、これがかの有名な文化大革命だ。病院をウロウロする連中も、まだうら若い娘たちばかり。いや、若いだけではない。この小娘たちときたらヤケに高飛車で、偉そうな態度がいちいちこちらのカンに触る。聞けばベテランの医師たちはすべて反動分子として捕えられ、今はまだ医者の卵でしかない娘たちが医療活動を行っているという。そういう意味では、ガキやジャリや若僧ばかりが大威張りで濶歩するそのアリサマから見ても、この映画「活きる」上映中の劇場「ル・シネマ」のある渋谷の街とどっこいどっこいの観がある。

 まだガキの分際で態度だけはデカいこの娘たちは、しかし医療行為を行うには見るからに頼りなさげだ。不安を感じたヨウは、ウーに頼み込んでちゃんとした医者を手配して欲しいと頼み込む。慌てて医者を求めて街に飛び出すウーたち。

 戻って来たウーが連れてきたのは、ベテラン医師のチャオ・ユイシウ。やはり反動分子として捕まっていたところを、引き回して批判するという口実で連れてきた。クソ生意気インターン娘たちはこの老医師を鼻で笑って小馬鹿にして、あくまで診察は自分たちがやるの一点張りだ。だが、とりあえずは見せしめということにして、老医師には廊下で待機してもらうことにした。

 そのうち三日飲まず食わずという老医師に同情したヨウは、外で饅頭を買ってきて医師に食べさせる。するとよほどこの老医師腹が減っていたのか、いきなりガツガツ食い出した。

 やがて診察室から赤ちゃんの産声が!

 生まれた生まれた! ヨウもコン・リーも大喜び。用事を済ませて戻ってきたウーたちともども、母子ともに安全との言葉にホッと安堵した。

 すると、饅頭食っていた老医師がぐったりしているではないか。

 慌てて饅頭を7つも一気食いしたために喉に詰まったらしい。お湯を飲ませてなんとか落ち着かせたと思ったら、今度は診察室で異変が!

 何と、出産した長女の出血が止まらないのだ。さっきまでデカい口叩いてた娘たちは、みんなどうしていいか分からずオロオロ。所詮はまだ小便臭い頭でっかちの小娘、老医師ならどうすればいいか分かるなどとホザいて、さっきまでの傲慢な態度もどこへやらで老医師の助けを求める。

 ところが老医師はまたしてもぐったりしている。実は饅頭がつかえたところに湯を飲ませたため、腹の中で膨張してしまったのだ。結局いざという時に使い物にならない老医師

 それでも出血は止まらない。見る見るうちに長女の顔色が青ざめる。いても立ってもいられないコン・リーは、今はこんな役に立たない娘たちにでもすがるしかなかった。

 「たった一人の娘なの、お願い助けてちょうだい!

 

描きたいのは、人生のままならなさと不条理

 この作品、そんなわけでチャン・イーモウの7年前の作品ということになるんだね。海外でも評判の高いこの作品がなぜこんなに公開が遅れたかを考えると、やはり一連のトラブルが影響していたのではないかと考えざるを得ない。日本の業者とかが中国に気がねしたんだろうか。それにしても、この作品のカンヌでのトラブルについて、今回の公開に合わせてのマスコミ露出や劇場パンフレットで一言も触れられていないのは奇妙きわまりない。何だか先日の中国の日本総領事館での事件での外務省の対応なんか考えても、ちょっと薄気味悪いところがあるんだよね。

 おっと、またしても余談が過ぎた。ともかくキナくさい話はこっちに置いておいて…僕が今回この作品を見てまず想起したのは、とても似た感触を持つ2本の映画のことなんだね。それは製作年代も違えば製作国も違う。一本はジョン・アーヴィング原作をトニー・リチャードソン監督が映画化した「ホテル・ニューハンプシャー」。そしてもう一本は、日本の成瀬巳喜男が1952年に発表した「おかあさん」だ。

 この3本、どれもある家族の年代記であることが共通する。どちらもこの家族に次から次へと不幸がつるべ打ち状態で襲いかかり、それが映画の中の短い上映時間の間にあまりにアッという間に起きるために、一種シュールというかナンセンスというか不条理劇のような味わいが生まれてくる。実際、普通だったらかなり深刻な悲劇になりそうなほど、そこらの映画の2〜3本ぶんくらいの不幸が起きる。それなのに、あまりにスピーディーに次から次と不幸が起きるので、主人公たちも観客もいちいち立ち止まって嘆いている間もない。映画は徐々に一種独特なドライな感触を帯びてきて、時としてちょっとしたユーモアすら漂ってくる…。

 ただ、「ホテル・ニューハンプシャー」「おかあさん」の両作と、この「活きる」との間には一線を画する要素がただ一つある。それは主人公たちの背後に常にチラつく「政治」の存在だ。主人公たちを翻弄する数奇な運命のカギを握るのは、毎度毎度中国の政治の不条理なのだ。

 ただ、これって中国の現代史を背景にしたドラマにはどうしたって避けることが出来ない点じゃないかと思うんだよね。そう言った意味ではむしろこの「活きる」は、この手のドラマとしては「政治」的要素に極力傾かないように努めているようにも見えるんだ。

 例えば中国現代史に翻弄された人々の年代記としては、1984年の「芙蓉鎮」がある。ここではやはり文革に巻き込まれた人々の過酷な運命が描かれているが、監督のシェ・チンが1950年代から映画を撮り続けてきた旧世代の人間ということもあって、物語の展開はかなりメロドラマに傾いて勧善懲悪的に単純化。共産党で私腹を肥やしていたり不当に他者を迫害していた人間は、徹底的に「悪」として糾弾される。その「悪」ぶりといったら、「スター・ウォーズ」のダースベイダーの方がまだ陰影に富んだ人物像であると言いたくなるほど極端に平板なものだ。映画全編もほとんど「文革恨み節」ってな観が強い。

 これ以外の中国現代史を背景にしたドラマも、実は洗練の度合こそ違え五十歩百歩なんだよね。悪党は悪らしく終始一貫して憎らしげに登場し、庶民はみな弱く善良で、時代は息が詰まるほど恐ろしくも重苦しい空気に包まれている。そして悲痛感と憤りがハイ・ボルテージで強調される。それに関して言えば、それは例の東京国際映画祭グランプリの「青い凧」に至るまで、すべて一貫していると言っていい。それらの作品は文革や共産党の過去の悪行を暴き出すべくつくられているのだから、それは当然そうなってしかるべしだろう。

 だけど、「活きる」ではそんなワンパターンで紋切り型でステレオタイプのキャラクターや展開は登場しない。例えば主人公の町の町長がいい例だ。何かと言えば共産主義を賛美し、上から鉄の増産を命じられれば忠実に遂行するこの人物、しかし一面では親切で人情味のある人物でもある。上記の従来型の中国現代史ドラマなら、共産主義に忠実なあまり理不尽を押し付けてくる人物、悪事に荷担する人物として描かれたに間違いない人物だ。良くて自分のやっていることが悪事と気付かない愚か者といったところだろう。ところがここでは終始善人として描かれているのが面白い。それと言うのも、この「活きる」は文革や共産党の過去の悪行を暴き出すことを主眼としているのではなく、「ホテル・ニューハンプシャー」「おかあさん」と同系列の「人生のままならなさを描いたドラマ」をめざしているからだと思えるんだよね。

 別に文革や共産党がなくても、人生には次々と不条理が舞い込む。不条理は時として人を不幸にもするし、間一髪で救うこともある。この映画の冒頭で家屋敷を博打でとられた主人公は、結局共産党政権下ではそのおかげで命拾いをする。影絵芝居の巡業中に国民党軍に引っぱられた主人公は、その後共産軍に人質にされるが、そこで影絵芝居で兵士を慰めて共産軍の一員にしてもらったおかげで戦後の身分の保証が出来る。その反面、製鉄活動に従事させれば良いことがあるだろうと子供を送り出したら、子供は自動車事故で命を落とす…。その事故の加害者である主人公の旧友にしたって、自動車事故を起こした遠因は、従軍時代の車への憧れに行き着く。その彼が望み通りに車の運転を覚えなければ、出世して区長にならなければ、旧友の子供を殺さずに済んだ。

 それは、文革や中国共産党がない我々にだって言えることなんだよね。

 そして、この時代は不気味でプレッシャーが充満して重苦しい時代ではあっただろうけれど、そこに人の優しい気持ちやら笑いやら楽しいことが皆無だったかと言えば、そんなことはありえないはずなんだね。ワンパターン・ドラマにはこうした膨らみがない。伝えたいメッセージに絡めとられるあまり、そういう真実味やら人間味がどうしても希薄になっちゃうんだよ。で、チャン・イーモウはそんなことが描きたいんじゃないんだね。

 それが一番顕著なのは、主人公の口のきけない長女の病院での出産のくだりだ。反動分子摘発の真只中、ベテラン医師が全員辞職させられて不在なのに不安を抱いた主人公は、娘の夫である労働活動家に医師を連れてくるよう頼み込む。連れて来た医師は、現在批判糾弾中でプラカードを付けている身。この医師を罵倒しつつ裏で頼み込まざるを得ない皮肉。しかも、飢えている医師に善かれと与えた食べ物が災いして、医師はノドを詰まらせる。ようやく医師が一息ついたと思ったら、長女の出血。すると医師が再び食いすぎで動けなくなる。笑い、涙、笑い、涙…が、ごくごく短時間の間に波状攻撃のようにやってくるこのくだりは、人生は「悲劇」だとか「喜劇」だとか、そんな単純に割り切れないことを何より如実に表わしている。まして「政治的に正しい」とか「誤りだ」とか、「善」だとか「悪」だとかなんて、ほとんど意味をなさない。我々の人生だってずっと悲しいわけでも楽しいわけでもない。沈痛な葬儀の最中にも笑ってしまったことはあるし、楽しかるべき祝宴で悲しい思いをしたことだってあるはずだ。この映画ではその背後にたまたま共産党があるだけで、それ以上でも以下でも何でもないんだね。

 

その後大きく方向転換を遂げたチャン・イーモウ

 そんな政治的な単純メッセージには関わりがない「活きる」が、カンヌで中国側から問題視された時、チャン・イーモウは驚いちゃったんじゃないかと思うんだよね。そんな告発口調を極力排除したはずのこの映画で、何で文句を言われなければないのだ

 だが中国当局側から見れば、これはあくまで文革や中国共産党による暗黒時代を扱ったドラマであることは間違いない。そして「人生のままならなさ」「不条理さ」を描く作品だからこそ、そこに運命の皮肉やナンセンスが盛り込まれる。でも、結局それって文革や中国共産党の皮肉やナンセンスを暴くことにもなっちゃうんだよね。それは、直球ストレートに批判するより何倍もキツいと言えなくもない。ある意味で、当局側の危惧は正しかったとも言えるんだよね。

 もちろんチャン・イーモウ自身にこうした中国現代史への批判がないわけは絶対にない。ただ、彼としてはそういうものを告発する映画の膨らみや豊かさのなさがイヤだったんだろうと思うんだ。そして共産党の政治ヒステリー的主張に批判的な目を向ける彼ならば、それを批判する側のこれまた恐ろしくワンサイドなヒステリー的主張にも与したくはないはずだ。それらはイデオロギー的には対立していても、やってることは大した違いがないと分かっていたんだね。どっち側のものであれ、イデオロギーが人を幸せにするはずがないという確信も、彼にはあったのだろう。

 だからチャン・イーモウは「活きる」の予想外だったであろう本国からの非難に、かなり当惑したはずだ。そしてそれを裏付けるように、その後は大きくその方向性を転換し始める。それはこれまで以上に徹底したノン・ポリ化であり、簡単に荒っぽく言ってしまえばエンターテインメントへの傾斜である。

 ここで単にエンターテインメントと言うと「ハリー・ポッター」とか「スパイダーマン」なんかと混同しそうなんで、改めて説明しなおしてみようかな。前述のようにイデオロギーやらテーマ主義やらの硬直した視点には元々ウンザリしていたチャン・イーモウに、ダメ押し的に「活きる」への予想外な非難が襲ってきた時、彼は社会への視点とかある種のメッセージを描くことさえもイヤ気が差したんじゃないかと思うんだよね。それって「アンダーグラウンド」を発表した後で政治論争に巻き込まれて、一時引退宣言まで出しちゃったエミール・クストリッツァの心境に近いかも。

 こんなに「政治メッセージから遠い作品」でもダメなのか。それならば雑音が一切入る隙のない映画づくりの道を模索しよう。誤解やら非難を浴びるような不純物は極力排除してしまおう。そして「人の思い」へのまなざしを、純度をさらに120パーセント増して思いっきりそこにフォーカスして描ききるしかない。それは純粋に映画作家としての技量をトコトン磨く方向性だ。これが必然的に職人に徹したエンターテインメント映画のつくり手の方向性と、限りなく重なっていったと思うんだよね。いくらまっすぐに投げてもストライクをとってくれない審判に食ってかかるように、「これでもか」とばかりキレのいいスピードボールをド真ん中に投げ込む野球のピッチャーの意地や心意気みたいなものを感じるとでも言おうか。「人の思い」の純粋さに対象を絞り切って、観客にダイレクトに訴えかけること…僕がここでチャン・イーモウ流のエンターテインメントと称しているのは、そのようなものだと受け止めて欲しい。

 その新方針はフランス資本導入による「上海ルージュ」から始まった。エンターテインメント映画と言えば、まずハリウッドにはじまる西欧映画だ。そんな西欧映画の作法の中で彼なりのエンターテインメント主義を開花させようと図ったこの作品は、しかし思っていた成果を挙げることが出来なかったはずだ。この時、チャン・イーモウは自分には西欧ふうの衣をつけたエンターテインメント映画の制作は不向きだと悟ったのだろう。次からチャン・イーモウが模索したのは、あくまで中華100パーセント、市井の人々のミクロな日常への作品世界の大幅な縮小・凝縮だ。これによって生まれた「あの子を探して」、「初恋のきた道」は大成功。作家的こだわりやらテーマ主義や一切の批評精神をも放棄して、ひたすら「人の思い」の美しさを突き詰めて観客をノックアウトする映画づくり…それってやっぱり一種の娯楽映画づくりだと言えるよね。そのように徹底的に作品の純粋性を研ぎ澄ましていくことによって、チャン・イーモウは自らとその作品を外界からの悪しきテーマ主義やイデオロギーの浸食から徹底的に守り切ろうとしたのに違いない。

 僕は今までチャン・イーモウの最近の変節を、気取ったアートフィルムの衣をまとったエンターテインメント映画だと、ちょっと意地悪く見ていたところもあるんだね。エンターテインメント映画なのは悪くない。ただ、その妙なアートっぽさの腰の退け方が疑問だった。で、実際その評価自体はいまだに間違ってはいないと思う。だが、彼にそれを強いたものが何だったかという点にまでは思いが至らなかった。国内マーケットやら資本やらの限界あたりが原因だろうと踏んでいて、それは今も原因の一つだろうと思うけれども、この「活きる」を見るに至ってチャン・イーモウの軌道修正の理由がやっと分かった気がするね。そこには彼の「ウンザリするようなつまらない雑音」への決別の断固たる決意の程が伝わってくる。長年の疑問だったチャン・イーモウの方向転換の欠落部分を、この「活きる」が埋めてくれたように思えるよ。

 ならば、僕はやっぱり彼の今後がチェン・カイコーの動向とともに楽しみだ。たぶん彼らはお互いをかなり意識し合っているのだろうから。そして現在のスタイルがチャン・イーモウの作品の最終形だとも思っていないよ。頭のいい彼は今まで彼なりにいろいろ考え抜いて、緻密に計算した結果こうなってきたんだろうけど、いつまでもその通りに事は運びはしないからね。それに頭で考えて出来上がったものなんて、所詮はそれだけでしかない。ハプニングこそが豊さを生むことだってあるんだ。それはチャン・イーモウ本人だって先刻ご承知のはずだ。

 だって人生はままならない、不条理なものなのだから。

 

 

 

 

 

 

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