「アザーズ」

  The Others

 (2002/05/13)


 

僕はお化け屋敷映画が好き

 遊園地の真夏の風物詩と言えば、何と言っても「お化け屋敷」じゃないだろうか。

 真っ暗な空間にろくろ首やら人魂やら。西洋風なら骸骨やミイラ男でも出るのかな? もっとも、僕はこうしたアミューズメント施設のお化け屋敷ってあんまり好きじゃない。だってやっぱり出てくるものが滑稽じゃないか。それはそれで脅かされるけど、何とも言えない得体の知れなさってのはどうしても醸し出されないよね。それじゃあ僕はつまらない。「アメリ」に出てきたお化け屋敷も何だか妙に楽しそうだしね。もっともマチュー・カソヴィッツの演じる骸骨じゃ可愛い感じで怖くなるわけもないな。

 僕がお化け屋敷を満喫するのは、やっぱり映画でだろうね。あんまり昔の古典的作品になると、テレビで無数に見たもんだから作品とタイトルが一致しない。最初に「これ」と認知したのはジョン・ハフの「ヘルハウス」だったかな。あれは実に怖かった。

 同じジョン・ハフは元スケート選手のリン・ホリー・ジョンソンを主役に、ディズニーで「呪われた森」も撮っている。これは厳密にはお化け屋敷ものとは言えないが、家と周囲の森の不気味な雰囲気はよく出てた。ラストは腰砕けになったけど、それまでは充分楽しんだよ。

 有名な「悪魔の棲む家」なんかは、実はあんまり怖くないんだよね。あれの怖さは即物的で、得体の知れなさはイマイチだった。だから「ポルターガイスト」なんかもそれほど好きじゃない。

 むしろ「お化け屋敷」的世界と言う意味で、SF映画の「イベント・ホライズン」なんかの方がそれ風な雰囲気出してたよ。あれは宇宙船だったけど、次々と薄気味悪い出来事が起きて、得体が知れないことおびただしい。宇宙船の窓からは稲妻のような発光が絶えずピカピカとさしてきて、あれは明らかに「お化け屋敷」ものとして撮ろうとしている意図があったと思うね。

 だから、最近の「ホーンティング」なんかもスペクタクル・ショーみたいになって面白くない。もっと得体の知れない気色悪さがなければね。

 そんな僕の前に、待ちに待った「お化け屋敷」ものの新作がやって来たんだね。それも何とスペインの新鋭、アレハンドロ・アメナーバルの新作だ。

 

屋敷に居着いた「何か」とは?

 終戦後まもない1945年、英国のはずれジャージー島でのこと。このジャージー島は、戦時中ナチスドイツに占領されたということもあり、戦争のツメ後がまだいたる所に残っていた。

 そんなジャージ島にいささか古風なたたずまいを見せるお屋敷が一軒。この物語はここのお屋敷で始まる。朝も早くからお屋敷の門を叩く人影が三人。扉を開けて応対に出たのは、屋敷の女主人ニコール・キッドマンだ。

 訪ねてきたこの三人、家政婦のフィオヌラ・フラナガン、同じく家政婦だが若くして口のきけないエレーン・キャシディ、そして庭師のエリック・サイクスは、この屋敷に職を求めてやってきた。すると間髪入れずにキッドマンから待っていたわとの言葉が飛び出したので、この三人ちょっと驚く。ともあれちょうど渡りに船だ。三人は早速キッドマンに雇われることとなった。

 キッドマンは三人を連れて屋敷内を案内する。だが、この屋敷何ともがらんとして活気がない。キッドマンも妙にピリピリしてるのが気になる。それはキッドマンの夫が出征したまま、終戦を迎えながらもいまだに帰って来ないということもあるかもしれない。「この屋敷では何より静寂を重んじるの。だからラジオも音楽もなし。テレビも巨人戦しかやらないからダメ」

 フラナガン思わず携帯はいいんですかと聞きそうになったが、どうもキッドマン冗談が通じない様子と察したか、口には出さずにいた。ま、それは正解だったんだけどね。

 驚くべきは、一つの部屋から別の部屋に移動する時に、キッドマンが神経質にいちいちカギをかけること。これは先の静寂を重んじるのと同じくこの屋敷の決まりだからと、三人にも部屋からの移動時にカギをかけることを義務づける。だが、これには理由があった。

 やがてキッドマンは子供部屋へとやってくるが、そこでいきなり窓にカーテンを引き、部屋を真っ暗にし始めた。そしてロウソクに火を灯す。一瞬フラナガンはキッドマンがロウソク好きの「ある趣味」の人かと思って、ムチとか縄とか持ってきましょうかと言おうとしたが、これも賢明なことに黙っていた。幸いなことにキッドマンは、大戦時にドイツ軍が発電施設を壊してから電気が来なくなったからロウソクを使うのだと説明した。それはそれで説明がつくが、では一体何故に部屋を真っ暗にするのか

 やがて子供部屋から起き出してきたのは、アラキナ・マンとジェームズ・ベントレーの姉弟。奇妙なのはこの姉弟、二人とも異常に肌が白い。そこでキッドマンはようやく諸々の理由を三人に告げた。実はこの姉弟、光アレルギーのために日光や電灯の光などの強い光には当たれない。ロウソクの光がせいぜい限界で、そうでないと肌が火膨れしてしまうと言うのだ。

 実はこの屋敷、どういう理由か使用人が突然いなくなってしまったと言う。そこでキッドマンは広告を打って、使用人を募集しようとしていた。だが、この三人はその広告を見て来たわけではなかった。実は三人とも、かつてはこの屋敷で働いていた。今回、やはりかつて知ったる懐かしい屋敷で働きたいと、仕事の口を求めて偶然やってきたというのだ。 やっぱり田渕も阪神のタテ縞ユニフォームが恋しかったみたいだしねぇ。それでも昔は栄えたこの屋敷のさびれぶりに、三人は唖然としていたんだね。あぁ、伝統の巨人阪神戦はいまいずこ。

 それにしても、この屋敷には何とも奇妙なところがある。そして姉弟の姉マンは、この屋敷に「何か」がいるとしきりに言う。キッドマンは娘が何を言っても受け付けないが、マンは頑なに言い張るには、その一人はビクターという少年だとか。彼女は実際会ったこともあると言うのだが、それが幽霊なのかとフラナガンが聞くと「幽霊ではない」と言い切る。では、それは何なのか?

 彼女に言わせると、「それ」はビクターという男の子、その父親らしき男、母親らしき女、そして老婆…の4人だという。特に老婆は目が恐ろしく、いかにもイヤな感じのするバアサン。マンが描いた絵を見ると、野村サッチー似の関わるとロクな事がなさそうなババアだ。だがそんな話を娘が力説するたびに、キッドマンはイヤ〜な表情を見せる。さてはキッドマン、それほど野村サッチー嫌いとは、やっぱり隠れ阪神ファンだったのか?  星野阪神快進撃の今、果たして何を思う?

 子供たちの勉強は、病気のために屋敷の中でキッドマンが見ることになっていた。その勉強とは、天国だ地獄だと言った神様話のお固い本を読ませること。ウソはいけない、地獄に堕ちるからと固く言い聞かせるキッドマンは、おそらくは厳格な信仰心の持ち主にして熱烈阪神ファンに違いない。

 そんな子供たちが眠るために部屋に引っ込むと、姉のマンは早速例の「ビクター」に話しかける。まだ幼い弟のベントレーはすっかり怯えきるが、そんな彼の背にその「ビクター」の手が!

 ぎゃ〜っと悲鳴! 慌ててキッドマンが子供部屋に駆けつける。姉のマンが弟ベントレーに「ビクター」の話をけしかけたと知るや、キッドマンは怒りに怒って姉のマンに罰として宗教本の朗読を言いつけた。この屋敷に「何か」がいるなどという話に、キッドマンまったく耳を貸す気などない。元々ちょっと厳格さが度を超しているところがある彼女。屋敷の不思議な現象について娘のマンが語るたびに、それをウソと決めつけては罰を課するのであった。

 翌日、キッドマンは二階から聞こえるうるさい物音に我慢が出来なくなった。きっと口のきけない家政婦のキャシディが、乱暴に掃除をやっているに違いない。怒ったキッドマンは静かに掃除させるようにフラナガン言い渡したが、相変わらずガタガタいってるのでさすがにキレた。ところが怒鳴りつけてやろうと息まくキッドマンがふと窓から外を見ると、何と庭にフラナガンと例のキャシディがいるではないか! では、あの二階の物音は誰がたてているのか?

 慌てて物音の出ている部屋に駆けつけるキッドマン。そこは長い間使われていないのか、家具などにシーツがかけてある殺風景な部屋だった。奇妙なのはカギをかけたはずの扉がいつの間にか開いたり、逆に勝手に閉じたりすること。何かのセキュリティーかと思ったが、ウチはセコムには入ってない。これは一体何なのだ?

 さらにはなぜか甲子園名物ラッキーセブンの風船が飛び、どこからともなく「六甲おろし」が聞こえてくるに至って、さすがにこれはただ事ではないといきり立ったキッドマン。彼女はフラナガンと庭師のサイクスに近くに墓がないか調べろと命じ、自分は教会の神父を呼びに外に飛び出した。いよいよあれだけ頑なに信じなかった幽霊話を信じ始めたのかキッドマン。それを見送るフラナガンとサイクス。だがこの二人、よく聞くと奇妙な会話を交しているではないか。

 「行かせて大丈夫か?」「どうせ途中で霧にまかれて立ち往生よ」

 その会話を終えると、サイクスは庭の枯葉を掃き集めて、ひょっこり顔を出していた墓石を隠した…。

 さて一方キッドマンはというと、最初こそどんどん歩いていったものの、たちまち深い霧に包み込まれて立ち往生してしまう。怒りのあまり最初は威勢良かったものの、まったく先に進めなくなってさすがに青ざめた。その彼女の前に近づいてきた人影は…疲れきった顔の一人の男。その男の顔を見たキッドマンは、勢いよく男に抱きついた。その男こそ久々に帰ってきた田渕幸一…じゃなかった、出征していたキッドマンの夫クリストファー・エクルストンだったのだ。

 待ち望んでいた夫の帰還に、久々の安らぎの表情を見せるキッドマン。子供たちも大喜びだ。久々に屋敷の中に和んだ空気が流れる。だが夫エクルストンは戦争での疲れがたたってか、部屋で寝込んだままの状態が続いた。

 そんなある時、キッドマンは姉のマンにドレスを着せた。有頂天に喜ぶマン。そんな娘を部屋に残してちょっと目を話した隙に…。

 部屋に戻ったキッドマンがドレスを着た娘を見ると、いつの間にかドレスはタテ縞に変わり、タイガースの野球帽をかぶった不気味なサッチー顔に変貌しているではないか! 裁判じゃしおらしい顔をしていたのに。また脱税でも企んでるのかっ。 もうタイガースには関わらないでくれっ。

 慌ててサッチーに変貌した娘に掴みかかるキッドマン。「てめえと月見草の野村オヤジのおかげで…このボケェ!」阪神ファンとしての昨年までの怒りも爆発して、思いっきりボコボコにするキッドマン。しばし揉み合いになったあげく、改めて娘の顔を見ると…元に戻ってる! 娘はすっかり怯えきり、キッドマンに対して不信感を募らせるばかり。そして恨みを込めるかのようにつぶやくのだった。「あの時もママは変になってた、あの枕の時も…」

 疲れきりキレる寸前のキッドマンがすがるのは、帰ってきた夫のエクルストン。だが彼も帰ってきて間もないのに、再び戦場へ舞い戻ると言い出す。戦争はもう終わったのになぜ? そもそもどうして出征なんかしたの? やり切れない気持ちをぶつけるキッドマンを夫エクルストンは優しく抱いた。キッドマンもいろいろタマっててイライラがつのったのか。やっぱり夫婦にはナニの営みが大事。だがキッドマンが目覚めた時には、すでにエクルストンは家を去った後だった。

 相変わらず屋敷には奇妙な現象が相次ぎ、そのたびにキッドマンは激しく苛立った。あげく姉のマンにつらく当たったり何事にも過敏に反応したりするというお決まりのコースで、徐々に擦りへっていった。

 そんなある日、ついに大きな異変が起こった。すべての窓からカーテンが失われていたのだ。悲鳴を上げる子供たち二人。直射日光は二人にとっては致命傷だ。慌てふためいたキッドマンは二人にカバーを被せてあちこちの部屋を見て回るが、なぜか一夜にしてすべてのカーテンが取り払われている。それでも何とか子供たちを真っ暗な部屋に入れたキッドマンは、今度は使用人たちの元へとって返した。誰がこんな事をやったのか、犯人をつきとめるためだ。しかしいきり立つキッドマンにも、使用人たちは無実を訴えるのみ。それどころか、子供たちの病気だって治るかもしれないとか、今年の阪神は優勝するかもしれないとか、やたらに楽観的なことを言い出すのでキッドマンはますますキレる。きっとカーテンをとったのは、この使用人たちに違いない。頑なにそう思い込んだキッドマンは、いきなり銃を持ち出すと使用人を脅して追い出した。

 だがキッドマンには、まだ本人が気付かない「ある秘密」があったのだ…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは映画の後で

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3作目で明らかになったアメナーバルのテーマ

 この映画、先に述べたようにスペインのアレハンドロ・アメナーバルの最新作なんだよね。「次に私が殺される(テシス)」、「オープン・ユア・アイズ」に次いでのこの3作目でハリウッド上陸とは大出世。何でもトム・クルーズが「オープン・ユア・アイズ」のハリウッド・リメイク権をとった時、アメナーバル自身に監督を依頼したんだけど断わられ、代わりにこちらを撮らせてくれとアメナーバルが頼んで実現した企画らしいんだね。映画ファンの間では何かと毀誉褒貶激しいアメナーバルだが、僕は今までの2作はすごく気に入ってたから、これも期待したんだよね。

 今回の「アザーズ」を語る時には、やっぱり終盤のあのサプライズを抜きには語れないだろう。そしてそのサプライズに触れるとなると、どうしてもこの映画と同趣向の、2〜3年前に話題になった「ある映画」の終盤サプライズについて語らないわけにはいかなくなる。

 ところでその2〜3年前の「ある映画」(いささかまどろこしくて恐縮だが、未見の人のことも考えるとこう書かざるを得ない。見ている人ならお分かりのことと思うから、今回は一貫して「ある映画」の表記で語っていくよ)、僕は世評に反してまるっきり買ってないんだよね。理由の一つには、そのサプライズそのものは短編ホラー小説などでありふれた手でしかないということがある。

 じゃあ同じ趣向を持った「アザーズ」はどうなんだ?…と問われるとすれば、実は僕こちらの方は結構楽しんだんだよね。矛盾したことを言ってるように思われるかもしれないけど。

 実際のところ僕は「アザーズ」のサプライズを、物語の中盤あたりですでに気付いていたんだ。だったらなおさらツマラないはずなのに、どうして僕は「アザーズ」の方はオーケーだったのか。

 例の2〜3年前の「ある映画」をまたまた引き合いに出すと、この映画がさんざ意味ありげに引っぱっておいて、ラストにたった一発サプライズがある…それだけってことに、僕は強い不満を抱いたんだよ。確かに引っぱって引っぱってってのはホラーやショッカーの常道ではある。だが、それにしてもやたらもったいつけた重厚演出の割に、真相が見えてから分かる映画全編の空疎さには、ちょっと空しさを感じたよね。実際、この「ある映画」の監督の次作はまたしても同じようにもったいつけた展開で、しかも中味カラッポ。この時は終盤に置かれたサプライズそのものがつまらなかったため、内容の空疎さがかなり露になってしまった。それで各方面で不評サクサクだったんだが、僕にしてみると基本的には世評が高かった「ある映画」の方も空疎さでは違いがないと思えるんだよ。

 それでは「アザーズ」はそれとどう違うのかと言えば、まずは僕にとって懐かしい「お化け屋敷」ものの雰囲気を出そうとしていたことが嬉しかったんだと思うよ。ギミックやドッキリ映像で脅かすショッカーが主流の昨今だから、こういう映画すっかり珍しくなっちゃったしね。ニコール・キッドマンもそのクラシックな美貌を生かして、気分を盛り上げていたし。実際のところ、後から考えるとつじつまが合わない点もいくつか目につきはするんだけどね。

 だけど僕の中で「アザーズ」と「ある映画」との間に一線を画させたものって、そのことじゃないように思えるんだ。それはヒロインの持つ哀しみとでも言うべきものだろうか。

 ヒロインたちは、自分たちの境遇が今どうなっているのかについての自覚がない。いや、子供たちはうすうす感づいているみたいなんだが、ヒロインはそれを気づかない。いやいや、ヒロインだって気づいてはいるのかもしれないが、それを見て見ぬふりをしようとしている

 ヒロインが現在の状態に陥ったのは、たぶん夫に出征されて帰ってこなかった悲しみ、そして難病を患った子供たちとの生活に絶望と疲れを感じての悲しみからだろう。そこに、元々人並み以上の厳格さと神経質さと信仰心の強さが災いとなって、起こってしまった悲劇なのだろう。

 そんな弾力性や柔軟性のない性格が、現実に対して目をつぶらせてもいたんだね。それらはすべてヒロインのオブセッションだし、つまりは幻影に溺れてそれに逃げ込み、閉じこもっていることに他ならない。

 しかもこのヒロインは、真相を知ってもあえてその場に踏み止まる。そういう状態を何と言うのか、「その手」の知識には疎い僕にはしかと分からないが、少なくともそのままでは決して主人公たちに安らぎは訪れないと思えないか? それは僕にとって、終わることのない無限地獄のように感じられる。ましてヒロインはたぶん本当は薄々真相に気づいていたんだろうが、必死に自分自身にさえ偽っていた。そして「ウソをついたら地獄行き」ということも知っていた。それを承知で、それでも現実に目をつぶらざるを得なかったサガみたいなものが哀しいんだよ。

 考えてみると、アメナーバルの前作「オープン・ユア・アイズ」も、こうした幻影に閉じこめられた主人公に覚醒を強いる物語だった。心地よい幻影と必ずしも望ましくはない現実…アメナーバルのオリジナル版を見た時には展開の衝撃性に目を奪われがちで、そのテーマにはあまり気づかなかったけどね。ハリウッド・リメイク版の「バニラ・スカイ」を見て、もう物語に驚きを感じなくなって初めてそれに気づかされた。つまりはこれがアメナーバル作品の共通するテーマなのかもしれない。そこに僕は面白さなり共感を覚えたのだろう。

 幻影に逃げるな、現実に目を向けろ…そう。これはまたまた僕にはもう一つの「アメリ」の物語のバリエーションに思える。今年一体何度この作品の名を引き合いに出せば気が済むんだと言われそうだけど。でも、それは仕方ないのかもしれない。

 逃避ではなく現実との対峙こそ、きっと今の僕にとって一番重要なテーマなのだ。

 

 

 

 

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