「ビューティフル・マインド」

  A Beautiful Mind

 (2002/04/22)


  

アントニオ猪木が納豆を食べる時

 先日、知人から深夜のテレビ番組にアントニオ猪木が出てきた話を聞いたんだけど、それがちょっと面白い話だったんだね。

 その番組ではゲストの好きな食べ物ってコーナーがあるらしく、猪木も一品挙げていた。それが納豆なんだよ。

 納豆が好きってだけなら別にビックリする話じゃないんだけど、問題はその食べ方。別に変なモノを入れたりするんじゃない。ごくごくシンプルな話だ。実は猪木、納豆をご飯にかけるのではなく、納豆の中にご飯を入れて食べるんだよね。

 これは確かに変わってる。僕と知人はその話で大いに笑ったわけだが、そのあげくの結論ってのが「さすが猪木」ってことだった。

 別に猪木が好きでもキライでもない。猪木が政治家になってからの変な話も、実業家としての失敗談も知ってはいるが、それでも何でも関係ない。だって奴は猪木なんだから(笑)。

 これが他の平凡な人間なら、事業の失敗や政治家としての怪しさでもうダメ。いやいや、納豆の食い方が変なだけで、あいつアホなんじゃない?…となるところだろう。だけど猪木だからねぇ。猪木が他の人と同じ納豆の食い方はしないだろう。だって猪木だもんね。

 猪木に限らず、黒澤明でも手塚治虫でも、とにかく巨人、天才、スーパースターの類の人間って、やっぱり常人と違うだろうし、そうでなきゃいけないとそう思う。納豆をご飯にかけちゃいかんのだよ。そうでないから、常人に出来ないことが出来る。僕はそんな連中にとにかく事の善悪は別にして、憧れちゃうんだよね。そういう意味ではやはり天才、スーパースターの中でも、それが際だつ存在の方が惹かれるよね。老化を恐れてジョギングで体を鍛えるミック・ジャガーより、麻薬やってスイスで体内の血をとっかえたというウワサのキース・リチャーズの方が、農場でエコロジストやってたポール・マッカートニーよりニューヨークでヨーコとヒップなことやってたジョン・レノンのほうが「それ」っぽく感じる。事の真偽はともかく、そんな伝説を持つってことに意義がある。それもこれも、やっぱり傍の人間が、「頭一つ抜きんでてる人間は納豆をご飯にかけちゃマズイ」とどこかで思っているからだろうね。

 そして、僕が特にこの手の人間に弱い理由ってのが、どこか人間のそういう面にシンパシーを覚えるからだと思うんだよ。それって僕の中に巣くう、「頭一つ抜きんでられなかった男」としての思いからなんだね。

 今でこそ凡人のオヤジ絵に描いたようなこの僕だけど、子供の頃はたいそう賢そうに見られたらしいんだよね。親バカももちろんあったろう。だけど、その本当の理由ってのは何となく今の僕にも想像がつく。僕が病弱で本を読むくらいしかやることがなかったからなんだ。

 だから言葉も漢字も覚えるのが早かった。絵を立体的に描くのも早かった。物覚えもすごくよかった。まぁガキの頃にはよくある話なんだけどさ。

 そして頭でっかちで社交性ゼロのガキが出来た。親戚のバアチャンもあまり本ばかり読んで理屈こねて、大きくなって狂っちゃわないか恐れた。両親とも僕が絵に夢中になるとイヤがったし、本に夢中になると他に目を向けようとした。案の定、運動が出来なくて理屈っぽいガキが、学校に上がってイジめ抜かれた話は、もう何度もここで書いた通りだ。その時は両親も親戚も学校の先生も、同級生ですら僕のことを「変人」だと思ったんだね。

 そんなこんなでブッ叩かれた僕は、独力で社交性を覚えていったわけ。そうして僕は凡人になった。同時に学力も落ちていった。つまりは当たり前の人間になったわけ。もっとも、元々さほどの才能もなかったんだろうけどね(笑)。

 だけど、それって生来のものでないから、その後も人間関係や自分の本音と建て前の帳尻合わせには苦労したよ。そのうち自分でも本音が分からなくなった。今でもよくよく考えないと分からない。本音でズバズバしゃべったり行動したりしている人間を見ると、どこか羨ましく思えて仕方がないよ。

 そして、そんなイビツな人間形成してるから、女と対峙した時も苦労したね。いろんな女を怒らせたものだが、僕は何が悪かったのかまるで分かっていなかった。ある物好きな女が僕の前に現れ、手取り足取り僕に人間としての作法を教えようとするまで、僕は外面的にはともかく、やっぱりマトモな人間ではなかったのだろう。

 でも、今でも時々は思い出すんだ。「天才になれなかった、天才になりそこねた、そもそも天才ではなかった」人間だったとしても、自分がどこか他人とは違う人間だったということを。

 

数学の天才の行く手は順風のはずだった 

 1947年、アメリカ・ニュージャージー州プリンストン大学大学院数学科で、今しも入学セレモニーが行われていた。指導教官ジャド・ハーシュ博士が、野心満々の天才のタマゴたちを前に熱弁をふるう。「原爆発明の原動力となったアインシュタインをはじめ、国のために多くの科学者たちが役だった。戦後の冷戦体制の中、科学はさらに大きな意義を持つ。諸君も国のために役立つよう努力したまえ

 いかにも時節柄ありそうな演説を聞く若者たちの中に、一人聞いているのかいないのか分からないような、パッとしない若者…それが奨学生として将来を嘱望されてここに来た「数学の天才」ラッセル・クロウだった。

 学友たちが気の合う仲間を求めてツルんでいる中も、彼はいつだってポツンと孤立。話し下手だけならまだしも、彼はどこか他の連中とは違っていた。彼はいつもオドオドした男ではあるが、こと数学のことに関してはまったく物怖じをしない。彼の最大のライバルたるジョシュ・ルーカスがバリバリ論文を書いて注目を集める中、そんなもの平凡な内容だと当人の前で切って捨てる大胆発言だ。そして聞いたって意味なしで退屈とばかり授業にも出ない。もちろん遊びなんてもっての他。モー娘ゴマキの弟ユウキだって遊び惚けたあげくクビだからな。だからクロウはあくまでマイペース。おまけに鳥の動きや引ったくりとバッグを取られた女の動きから数学的法則を読みとろうとするもんだから、ますます誰にも相手にされなくなる。でも、彼には信念があった。平凡な論文を連発したって意味がない。授業に出たって時間の無駄。俺は他の人間なんてアホに見える。俺は特別な人間だ。ただゴマキの弟ってだけが取り柄のガキじゃない、モノホンの天才なんだよ。だから、誰も出来ないような抜きんでた理論をうち立てなければ意味がない

 誰も仲間がいない学校での日々、いつものように部屋で勉強を始めようとすると、素っ頓狂な声を張り上げて部屋に乗り込んできた男がいた。聞けばその名をポール・ベタニーというこの男は、クロウのルームメイトになったと言う。そんな事は聞いてなかったクロウは戸惑うばかりだが、ペタニーはまるっきり気にせずズケズケとクロウの部屋に入り込んだ。しかも彼は人生を享楽主義で暮らす男に見えたが、なぜかまるっきりタイプの違うクロウに何かと構う。そんなペタニーにだけは、孤独なクロウも心を開いて話しかけるのだった。「僕は人の2倍の頭脳を持っていると言われた。だけど心は人の半分だってさ

 そんなクロウは格好の仲間内のお笑いぐさ。今日も今日とて例のライバルであるルーカスはじめ、アダム・ゴールドバーグやアンソニー・ラップのツルみ連中に、酒場でナンパに誘われる。もちろんクロウの失敗ぶりを楽しむためだ。ルーカスは学力ではクロウにライバル視されるかもしれないが、社交性では二枚も三枚も上手なのは言うまでもない。女をモノにするのも造作もないことだ。そしてクロウの番、せっかく女を口説くセッティングをされながら女に酒ひとつ勧めることも出来ず、あげくの果てに「僕と体液の交換をしないか」などと身も蓋もない口説きぶりで当然女にひっぱたかれた。これならゴマキ弟ユウキにキャバクラ遊びを教わってればよかったのに。奴は15歳でもやりまくってたぜ。まぁこれも予想通りの事だけに、仲間内は大いに盛り上がったんだけどね。

 そしてある日、ルーカスに碁の勝負を誘われるクロウ。「俺に負けるのが怖いのか?」と挑まれたクロウは、口では「怖くて怖くて」などと言いながら、内心は自信満々だったし負けん気も強かった。だが、楽勝で臨んだ勝負にまさかの敗退。ルーカスたちの嘲りを背に、その場を去るクロウの胸の内は暗かった。

 しかも、クロウのピンチはそんな社交生活だけではなかった。肝心の学業も危なくなってきたのだ。あのルーカスはバンバン論文を書いて出しているのに、クロウはまだ一本も書いてない。おまけに授業にも出てこない。それでいて将来の希望は、ルーカスと同じマサチューセッツ工科大学のウィーラー研究所とはチト虫がよすぎやしないか? そ、そんな〜、俺はゴマキ弟のユウキみたいにキャバクラで遊んでないっすよ〜と言っても、何せ実績ゼロでは傍から見たらユウキと同じ。それでもクロウは満を持した論文で世に出たかった。焦りに焦る。ペタニーの励ましがあればこそ何とか落ち着けたけれど、内心はかなり追いつめられていたのだ

 そんなある晩、気晴らしに酒場に出かけたクロウは、またしてもルーカスたちにナンパに誘われる。そこにいたのは、5人の女の子だ。その中でもブロンドのマブい女の子がみんなの目当てなのは言うまでもない。

 その時、クロウの頭に天啓がひらめいた。ユウキなら女をこう落とす…じゃない(笑)。みんなでブロンドを取り合ったら、結果的に誰も成功せずに女をモノに出来ない。だけどみんなが自分とお互いの利益を考えてブロンドを口説かず他の女の子を口説いたら、全員が女の子をゲットして「体液を交換」出来るではないか。

 これだこれだ、俺が求めていたテーマはこれなんだ!

 かくしてこの画期的法則「三方一両損」ならぬ「均衡理論」に、クロウは全力を挙げて取り組む。このたった一本の論文は、ハーシュ博士を驚愕させた。その結果、念願のウィーラー研究所の狭き門は、クロウ一人に開いたのであった。

 酒場で乾杯し合う学友たち。連中のうちゴールドバーグとラップの二人も補佐役として研究所に連れていくことになった。そんな得意の絶頂のクロウの前に、あのルーカスがやって来る。自らもウィーラー研究所入りを熱望していたルーカス。たちまちあたりに緊張が漂った。

 だが、実はルーカスはそんな男ではなかった。悪ふざけもしたが、こと勉学のことではフェアな男。同じ学究の徒として、男らしくクロウを祝福するのだった。

 さて晴れの舞台ウィーラー研究所に勤めたクロウだが、憧れの職場は本人の思うほど華やかではなかった。仕事はどれも退屈なものばかり。とてもじゃないが、プリンストンでハーシュ博士が言ってたような、お国のために役立つなんてことから程遠いものばかりだった。

 そんなある日、クロウは軍から呼ばれてその施設に足を踏み入れた。実はソ連の暗号解読が手間取っているという。クロウはその数字の膨大な羅列を目にするうちに、その法則性を発見した。これだよ俺の仕事って。やっぱり俺なら出来るんだ。調子こいたクロウはこの暗号の背景やそれが意味するモノを質問するが、軍はそれ以上のものをクロウに求めてやしない。そこでお役ご免、お引き取り願うことになったわけ。何とも不完全燃焼な気持ち。その反面、確かに残る充実感

 だけど日常に戻ればまた退屈な仕事。しかもウィーラー研究所の職員は、そこでの仕事の傍らでマサチューセッツ工科大学の教鞭に立つノルマがあったわけ。まったく退屈、やる気ゼロ。大体そこらのボンクラ学生に何を教えたってムダなんだよ。ゴマキ弟ユウキが100人いたってタレントは育たないだろ。やってらんねえよとブーたれながらイヤイヤ教壇に立った。そんな投げやり授業の最中、ちょっと気の利いたところを見せた女の学生がいた。それがガリ勉やらせるには惜しい美女、ジェニファー・コネリーだった。

 そんなある日、奇妙な人物がクロウに近づいてきた。謎めいたその男はエド・ハリスという政府の人間。クロウの暗号解読能力を生かして欲しいと、彼を秘密施設に誘った。そこでソ連のスパイが巡らす陰謀をうち砕くため、さまざまな雑誌に掲載された記事の中から暗号を読みとれとのミッションをもらう。もちろんクロウに異存はない。腕に秘密のIDチップを埋め込まれ、誰にも秘密のスパイ活動が始まった

 そんな多忙のクロウのもとに、例の美女コネリーがやって来る。彼が出した問題を解いたというのだが、それは残念ながら正解ではなかった。ところが驚いたことに彼女はクロウを食事に誘うではないか。驚きながらも彼女が気になりだしたクロウは、彼が呼ばれていたあるパーティーに同伴することにした。

 パーティーは盛況。そしてクロウもコネリーには何の気兼ねもなくつき合えた。タキシードの着こなしもぎこちないクロウを、何かと世話焼くコネリー。そんな彼女にますます惹かれるクロウは、屋敷のバルコニーで星を見ながら、彼女と柄にもなくロマンティックに語り合った。なんだ、やりゃあ出来るじゃねえか。

 そんなクロウは、訪ねてきたペタニーと再会。ペタニーは亡くなった妹夫婦の娘を引き取って面倒みてると、ビビアン・カードーンという女の子を連れてきていた。久々の語らいにハシャぐクロウは、早速ペタニーに彼女が出来たことを報告する。クロウの中では彼女の比重はますます大きくなっていたのだ。

 あげくコネリーに求婚するクロウだが、そこはそれいつものザマで身も蓋もない言い方をするわけ。結婚したいが、うまくいく自信がない。実証とデータはないか?

 だが、こと色恋沙汰では女はプロだ。学問の虫クロウを納得させる法則を披露して、二人はめでたく結婚の運びと相成った。やがてコネリーが妊娠。

 めでたい、実にめでたい。

 だが、その頃クロウの身辺では不思議なことが次々起こっていた。何者かに尾行される。あげく報告書を秘密施設に提出する際に、謎の追っ手に追われる。危ういところをハリスに助けられ、激しいカーチェイスと銃撃戦の末に助かったものの、すっかり怯えきるクロウだった。怖い、ヤバい、大変だ。

 部屋に閉じこもる、家の電灯も消させる、窓から様子を伺う。すっかりオカシな様子を見せるクロウ。これにはクロウの奇行にも慣れっこのコネリーですら心配になった。ある日、講演を頼まれたクロウが出かけてみると、旧友ペタニーも姪カードーンを連れて講演を見に来てくれた。ところがそこにも追っ手が現れた。必死で逃げたクロウだが、多勢に無勢。たちまち捕まって拘束される。現れたのは精神科の医師と名乗るクリストファー・プラマー。ロシア人の陰謀だと暴れるクロウはたちまち麻酔を打たれて意識不明。車でいずこかへ連れて行かれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは映画を見てから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドタン場で甦った理性の心

 精神病院に連れて行かれたクロウは、そこでプラマー医師の「治療」を受けるが、とにかく信用が出来ない。ところがそんな治療の真っただ中にペタニーが現れるではないか。だがペタニーはクロウを助けようともせず、ただ同情の表情を見せるだけだ。奴もグルなのか?

 心配して駆けつけた妻コネリーにプラマー医師は説明する。クロウは精神分裂症で幻覚を見ているのだと。だが、コネリーはクロウが狂人とはとても思えなかった。

 思いあまったコネリーは彼の秘密の研究室に無理やり入ると、そこには部屋一面に数字の書き付けメモと切り抜きがベタベタ貼りまくられ、さながらサイコ・キラーの隠れ家そのもの。そして何より彼が報告書を提出した秘密の場所に赴くと、そこには廃屋があってオンボロのポストに未開封の報告書が山積みになっていた。

 彼は病んでいたのか? 

 政府の仕事もなかった。エド・ハリスもいなかった。それは日常の仕事に飽き足らなかったクロウが、頭の中でつくりだした幻想だったのだ。それどころか学生時代から彼を見守っていたポール・ペタニーもいなかった。それは孤独に耐えかねたクロウが願望から生み出した幻想だった。当然その姪の少女ビビアン・カードーンもいなかった。一切合切がそういう事になるではないか? やっぱり彼はみずほ銀行のコンピュータみたいに壊れちゃったんだ。

 だがコネリーが面会しても、クロウはまだ政府がどうのとブツブツ言っている。たまりかねたコネリーは、彼に未開封の報告書を叩きつけた。

 完全に頭のネジがいかれたクロウは、必死に自分の腕をえぐった。「ない、ない、ない、IDチップがない!」

 繰り返されるショック療法と薬物治療の果て、ようやく退院出来たクロウ。だが、かつての仲間アダム・ゴールドバーグの前に現れた彼は、すっかり虚ろな人間になっていた。定期的に飲まねばならない薬のせいで、常に頭の中は濁ったまま。「薬のせいで、今じゃオツムもユウキ並みになっちゃったよ」

 必死に復帰を願って研究を続ける彼のメモを見たゴールドバーグは、そこに書き留められた計算式の稚拙さに言葉を失うのだった。

 そんなクロウを支えながらも挫けそうになるコネリー。家の稼ぎと子育てを一身に背負った彼女は、健気に振る舞ってはいたがやはり疲れ切っていた。ある晩ベッドでクロウを求めるが、クロウはそれに応えられない。それもこれもクロウの飲み続ける薬のせいだと思うと、思わず一人当たり散らさずにはいられないコネリーだった。 精神ばかりでなく、アッチもみずほコンピュータみたいに使えないなんてっ! フニャフニャと頭を垂れる「みずほ」かな。

 これにはクロウもこたえた。そして秘かに薬を飲むのを止めた

 ある晩のこと、クロウのもとにあのエド・ハリスが現れる。またしても幻覚か。ハリスを必死に拒むクロウ。だがハリスはそんなクロウを根気よく説得した。そして、家の裏にある小屋に案内する。するとそこは通信機やコンピュータがひしめく秘密基地と化していた。君が来れないならこっちから出向くまでだと語るハリスは、改めて熱心にクロウに語りかけた。「国のために君の力が必要なんだ!」

 あぁ…やっぱり夢じゃなかったんだ! 俺はユウキみたいにお払い箱になっていなかったんだな。クロウの表情に安堵の色が広がる…。

 最近はクロウの様子もよくなってきたと思ったコネリーは、ある日クロウに子供の風呂を任せて洗濯物を干していた。するとどこからともなくピーピーガーガーと不思議な雑音が。イヤな予感がするコネリー。すると…。

 裏庭の小屋が、またしてもサイコ部屋と化していた!

 ピーピーいってたのはシケたトランジスタ・ラジオだ。あの人は治っちゃいなかった。そうなると子供が危ない! 慌てて家に戻ってみると、クロウは子供をバスタブに入れたまま、蛇口をひねってザーザーお湯を注いで放ったらかし。これにはさすがにコネリーもキレた。

 凄い剣幕でプラマー博士に電話するコネリーを必死に止めようとするクロウ。そこにハリスやらペタニーやら、果ては幼い女の子カードーンまで続々現れて、女房を止めろ、殺しちまえとけしかける。何が何だかわからなくなったクロウは悶々ともがくうち、誤ってコネリーをひっぱたく。こうなりゃコネリーもこれまでだ。子供を抱えて家を飛び出し、全速力で車に乗り込んだ。

 その時、クロウが何かに気づいた

 今まさに逃げ出そうとしたコネリーの車の前に、クロウが仁王立ちして立ちはだかった。怯えきるコネリー。だが、クロウの表情は狂人のそれではなかった。彼は言った。あれはオカシい、あの女の子は昔から全く歳をとっていない。

 「あれはみんな幻覚だったんだ!」

  その表情は他でもない、何かを発見し理解した時の、あの学者だった頃のクロウのそれだった。

 

「天才と何とかは紙一重」なんて話じゃない 

 ロン・ハワードの新作、今度のオスカー作品賞受賞作のこの映画を、僕はロクに期待もしてなかったんだよね。予告編からしていかにも「感動作」って感じ。ロン・ハワードの作品もいろいろ好きではあったけど、シリアス味を増してきた最近の作品については、「アポロ13」を除いてちょっとばっかしこういう題材をやるには、深みに欠けるんではないかなと思ってもいたんだね。それなりに楽しませてはくれるけど、それ以上ではなかろうと大した期待もしなかった。そもそもアカデミー作品賞そのものが、いくつかの例外を除いて無難な作品にいっちゃうって相場が決まってたからね。

 ところがこの映画をご覧になった方ならお分かりの通り、とんでもないどんでん返しが中盤にやってくるんで驚いた。僕は映画にこういうサプライズを期待しているんだよ。このせいでググッと画面に身を乗り出して見ちゃったね。

 そもそも、この映画最初からちょっとしたサプライズがあった。予告では学生時代のくだりでポール・ペタニー扮する親友が登場するなんて知らなかったから、この予想外の存在に嬉しくなった。そしてウィーラー研究所行きを競うことになるジョシュ・ルーカスが、自分の敗北を潔く認めて祝福するくだりも気持ちがいい。予想外に清々しい印象で僕には楽しい誤算だったんだよ。それだけでも思った以上の作品に仕上がってるなと感じていたから、中盤のあの展開にはビックリしたんだね。

 この映画、ラッセル・クロウの役作りと成長を遂げたジェニファー・コネリーに話題が集中しちゃうだろうけど、実はミソは脇に配された役者たちにこそある。野心満々の無神経野郎に見えて、実は性根の部分では人間味ある男を演じたジョシュ・ルーカスは、役柄が儲け役ということもあるが人間誰もが他者に感じる最大公約数的キャラクターを演じてなかなか好感が持てる。「ロック・ユー!」のチョーサー役と同じように、トリックスターぶりを遺憾なく発揮したポール・ペタニーも面白い。演じようによっては書き割りみたいに平板になりかねなかったエド・ハリスも、この人だからこそのリアリティで主人公の幻覚の根深さを見せつける。この映画の脇役陣はなかなか充実しているね。

 さてこの映画は、みなさんが予想されているように、ある天才が精神のバランスを崩してしまう話だ。そして、そこから苦闘の末再起するドラマというのも、みなさんの印象通り。確かに主人公あまりに天才が過ぎて、こうまで病んでしまったと言えばそう言えなくもない。

 だけどねぇ、これがそんな一握りの「天才」だけの話なら、別に人ごとだから「大変だねぇ」で終わってしまうはずなんだね。でも、そう片づけてしまうだけでは割り切れない部分があるんだ。

 主人公が精神病で強制入院させられた後、その真偽を知りたい妻は夫の職場の研究所に乗り込む。研究室は立ち入り禁止とむべもない夫の同僚に対して、この妻は激高して頬をひっぱたく。何気ないドラマの中で進行するから見逃してしまいがちだが、この突然の暴力は実はかなり驚くべきものだし、異常な状態でもある。また、その妻がベッドで夫に拒まれた後、洗面所で鏡を叩き割って荒れ狂う描写もある。これらの描写は確かに極限に置かれた人間として納得できるリアクションではあるが、同時にかなり異常な行動とも見えるよね。つまりは精神を病んでいる人間のそれだ。精神病の人間を前にしての、「正常」なはずの人間の異常な行動を一度ならず二度までも描いているというのは、明らかに意識的にやっているに違いない。つまり言いたいのは、「正常」と「異常」の境界の曖昧さなんだと思うんだ。

 僕も実は人のことなんか言えない。信頼もし尊敬もしていた人に従って職場を変えた後、その人間の裏切りを知った時の挫折感と失望感、そしてこれからどうすればいいんだという不安感。その時、僕は一時的とはいえ酒に溺れて逃げようとした。そのままいったら習慣性のものになった可能性があったと後に医者に聞いて、愕然とした覚えがあるが、それほど人間とはもろいものなのだ。また、仕事がノリに乗って自分の野心がチラつきだした頃にも危機があった。その仕事の担当営業の高圧的な態度と人の生活に土足で上がり込む厚かましさに悩まされながら、自分にとっては野心の持てる「いい仕事」を手放したくないがゆえに耐える毎日。その時も言動がおかしくなりそうな自分に気がついた。結局、自分が追いつめられていることを悟って、他のもろもろのトラブルもあって担当営業と縁を切ったけどね。後に怪しげな仕事で海外に出かけた後も、すべての自信がはぎ取られて呆然とする毎日が続いた。そして最悪の事態は免れたものの、心の傷は確かに残った。いずれも辛うじて平均台の向こうに落ちることはなかったものの、一つ間違ったらどうなったか分からない。僕が何とかしなければという気持ちと、自分を信じる気持ちを完全に失っていたら、たぶん危なかったろうね。だから、そういう危機って誰にでもあるはずなんだ。決して「天才と何とかは紙一重」なんてことじゃないし、この映画だってそんなことを描こうとしたんじゃないと思うよ。

 この映画の主人公が幻覚をつくり出したのだって、映画を見る限りでは決して「天才と何とか」の問題じゃない。自分だけの親友をつくったのは、彼の感じた疎外感、孤独感だったと言える。友達が出来ないのを屁とも思っていないフリをしながら、その実はそれがかなりこたえていたから、自分とはタイプが全然違う友人をこさえてしまったんだろう。そして社会人となって望んだ職場に入りながらも、思ったような仕事が出来ない焦燥。そんな中、たった一度だけ政府からの仕事を頼まれ、かなりの充足感を得ながらも用が済んだらお引き取り願うという「歯車」にされた失望感。それが謎めいた政府の人間と秘密の任務をつくり出す。さらに愛する人ができて家庭を望む気持ちがわき起こり始めると、かつての親友が姪の少女を連れて現れる。こうして節目節目に主人公の願望を表すかたちで、幻覚が都合良く現れるのだ。劇中、主人公は「自分の心は人の半分」などとうそぶくが、それは実は間違いだ。彼の心には人並みの感受性があった。それをうまく出す術に欠けていただけだ。だからこそ幻覚も見えたのだろうし、自分が自分らしく振る舞える状況が整えば、星を見上げながら女と恋を語るロマンティックな一面も出せたのだろう。人一倍、他人との距離感に苦しみ続けた僕には、そんな気持ちが痛いほど分かるんだよ。

 でも、だからこそ僕には、主人公が可哀想…では片づけられない。彼の性格にも原因があったということは明らかだからね。天才だったからではない。傲慢だったからだ。自分の天才を自負するあまり、他人を見下す独善性。他人に相手にされていないのを、他人がアホだからで片づける歪んだプライド。自分が苦手とするところを、取るに足らない問題と片づけたのはこうしたプライドのせいだ。ゲームを挑まれて「負けるのが怖いか?」と挑発された時、「怖くて怖くて」と口では言いながらお笑いぐさにするのも、そんなプライドがあるからだろう。口では「怖い」と言いながら、相手を見下して自分が優位だと思い込んでいるのだ。だから、そのゲームで負けると異常にショックを受ける。そんなことは認めたくないからだ。

 それは社会人になってからも同じで、ノルマで教壇に立つのをバカバカしいと思っている。学生どもに何を教えてもムダだと言い放つのは、そんな傲慢さ、偏狭さの現れだ。

 でも内心は友達が出来ないのを悩み、勉強が進まないのを焦り、社会人になっても思った仕事が出来ないこと、単なる一個の歯車扱いされたことに悔しがる。そんな自分のちっぽけさを直視すれば良かったのに、そうはしなかったこと、あくまで他人を見下していたことが彼の致命傷になったのだ。だけど、実はこれらのこと全てが、この僕にもあったことなんだ。こうした独善性、偏狭さ、傲慢さは、僕の中に巣くっていた。そして、それは一面で僕の劣等感を異常に育ててもいったんだね。だから、こういう精神のタイトロープ状態というのはよく分かるんだ。そして、だからこそ主人公を甘やかせられない。

 ドラマは中盤の終わりに、かろうじて残っていた主人公の理性的な考え方が主人公を救うと描いている。だが、それは引き金に過ぎない。主人公が本当に「正常」な世界へ帰還していくのは、その独善性や傲慢さが影を潜めていく過程で起こる副次的なものなんだね。かつてのライバルに頭を下げて大学に置いてもらう謙虚さ、図書館で彼に近づいてきた若者に惜しみなく助言する寛容さ、それが彼を救っていく。

 そして、その本当の原動力になったものは、実は彼の理性ですらないと映画は言っている。それは彼を暖かく迎えようとしたかつてのライバル、そして最後まで見捨てなかった妻の寛容さだと言っている。彼が立ち直るきっかけはそうした人の寛容さに触れたことからだ。それが「ビューティフル・マインド」ということなんだろう。優しさを知らなかった彼が、こうした他人から身を以て優しさを体験する。それによって、彼の心の奥深くに凍り付いていた他者への思いやりが動き出す。そのことが大事だと言っているんだね。

 だからラストのノーベル賞受賞式で妻に感謝するスピーチをするのは、単なる常套句以上の意味がある。そうした人の寛容さに感謝する、素直な心を取り戻したことこそ「正常」と「異常」の境界線を区切るものだからだ。

 僕もかなり危ない橋を渡ってきたと今は思う。でも、そんな自分から立ち直る兆しをくれたのは、やはり他者だった。他者の寛容な心こそが僕に自分を取り戻させてくれた。そして、他者と真剣に対峙することが、僕自身にも寛容さを与えてくれた。僕はそんな他者との出会いを、これからも一生忘れることはないだろう。

 映画のいちばんラスト、ノーベル賞授賞式を終えた主人公の目には、実はまだあの幻覚が見えている。だが、幻覚が見えることが問題ではないのだ。先にも述べたように、人は誰でも異常性を秘めている。それが極端に露わになっていないだけだ。だけど、それでも人は生きていける。その幻覚=異常性を生み出したもの…独善性や傲慢ささえ抑え込むことが出来るなら。そして、それには他者が必要だ

 他者の存在こそが、人に寛容さを教えるのだから。

 

 

 

 

 

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