「キリング・ミー・ソフトリー」

  Killing Me Softly

 (2002/03/18)


  

この文章はフィクションであり、登場する人物、団体、作品等の名称はすべて架空のものです。もし酷似するものがあったとしても、それは単なる偶然なのでお気になさらぬよう。

 

 

本感想文に目を通す前に、私の「初恋のきた道」感想文をご一読していただければ、より味わい深くお読みいただけます。(ここからアクセス)

 

 

チェン・カイコーからの挨拶状

(郵送の手違いで遅配)

 こんにちわ。中国を代表する映画監督チェン・カイコーです。

 今回、私の新作「キリング・ミー・ソフトリー」が日本公開されるとあって、こ の一文を寄せることにいたしました。みなさんがこの文章をお読みになる頃は、私は北京の空の下…いや、ニューヨーク…いやいや、ハリウッドのメジャー・ス タジオ…いやいやいや、ヨーロッパのどこかの映画祭かな? ともかく、私はワールドワイドな映画作家な んで、果たしてどこにいるのやら。たぶん地球にはいると思います。私のような世界的映画作家になると、何しろ地球規模で考えないとね。わははははは。おっ と、そんな時でも私は常に日本のお客さんのことを片時も忘れたことはありません。「人生は琴の弦のように」から資本を出していただいて、超大作「始皇帝暗 殺」の時も大変お世話になった。あの時はあなたがたの国の音楽家、小室哲哉氏にも主題歌を書いていただいて。彼はまた新宿のあのアイリッシュ・パブで飲ん でいるのかな?

 えっ? チャン・イーモウ? もちろん我々は仲間ですから、しょっちゅう連絡してますよ。こないだも電話で話して…え〜と、いつだったかな? とにかく忙しいもんでいつとは…もちろん忙しいのは私ですよ。何しろワールドワイドですから。

 考えてみると、常にトップランナーってのは疲れますよ全く。「黄色い大地」で ロカルノ映画祭の賞をもらった時からもう。あの時はカメラマンのチャン・イーモウくんにも手伝ってもらいまして。私の映画づくりから何かを学んでくれたな ら、これほど嬉しいことはありませんね。いやいや、もちろん我々はそれ以降もずっと仲間ですよ、仲間仲間。

 ともかく「黄色い大地」では初めて中国映画で大きな海外の賞をいただいたんで すからね、それ以降というもんは注目されっぱなしでもう。えっ? 確かに「大閲兵」「子供たちの王様」「人生は琴の弦のように」は無冠ですが、まぁあれは 地味な映画でしたしね。それに私自身地味なアート・フィルムなんか、もう相手にしてませんよ。やはり映画は大衆のものですからね。だからスターをたっぷり 使った娯楽大作として「さらば、わが愛/覇王別姫」を撮ったわけで、お陰様でカンヌでもちょっと受けましてね。パルム・ドールですか、あれをいただいたわ けですが、まぁトップ・ランナーってのはツラいですよね。コン・リー嬢もなかなかよかったですよ。チャン・イーモウくんがチラッと見出した彼女の女優とし ての資質を私が「フルに」引き出させていただきましたよ。わはははは。「花の影」も面白かったでしょう?

 しかし、私は常にトップランナーですからして、そんなところに満足しておるわけにはいかんのです。中国から発信する超大作として、「始皇帝暗殺」をつくらせていただいたわけですね。

 いや、あの作品には満足してますよ。ともかく初の試みなんですからね、中国初の娯楽超大作は。つくったことに意義があるんですよ。あれほどの作品をつくれる人物、つくらせてもらえる人物には中国には二人といないでしょう? もちろんあれは私としては成功作に決まってます。

 それで満を持して欧米映画に進出したわけですよ。もちろんトップランナーとし ての責任と義務というやつですよ。えっ? ジョアン・チェンが「オータム・イン・ニューヨーク」をつくった? こう言っては何ですが、あれはねぇ。それに 彼女はもうアメリカの人みたいなもんですから。「ツイン・ピークス」とか出ちゃってるし。だから、ちゃんとした意味でのパイオニアは私ということを、ここ で明確に頭に刻み込んでいただきたいですよね。えっ? アン・リー? まぁ、あの人もあっちの人みたいなものですからね。

 特に私が強調したいのは、西欧映画界に打って出る時には中国人としてのアイデ ンティティーに寄りかかりたくなかったってこと。だから、いかにもそれ風な題材はやりたくなかったんですよ。黒澤さんも「トラ!トラ!トラ!」なんかやろ うとするから酷い目にあった。えっ?その前に「暴走機関車」やろうとしたんですって? まぁ、そこはそれということで。

 私はハリウッドでもどこでも撮れる男なんですよ。やろうと思えばどこででも撮 れるんです。今回はちょっとヒッチコック・タッチとかも挑戦しちゃったりして。でも、もちろん私が犯罪サスペンスだけを求めるわけはありません。ちゃんと そこに男と女の愛の危うさを表現して…つまりはまぁ、娯楽と芸術の融合とでも言いましょうか。わっはははは。

 ま、ともかくワールドワイドに活躍する私だからして、殺到する脚本と企画でな かなか決まらず遅くなってしまいましたけどね。こうやってお目にかけられた訳ですよ。ぜひご覧になっていただきたい。多くの人に見てもらえれば、ヒットし て次の仕事に…いやいや、私がそんなケチなことを考えているわけがない。中国の一介のアートフィルム作家と思われがちな私ですが、どうです? 私が本気を 出せば、ざっとこんなもんです。ハリウッドの娯楽作家もビックリでしょう? いつまでも中国のエキゾチシズムに寄りかかっているような奴なんざ…おっと、こりゃ失礼。まぁ、そういう人はそういう領域でチマチマやってりゃいいんであって、私はワールドワイドな映画作家。常にトップランナーですからねぇ。格が違うんですよ、格が。それが私の宿命ってやつですかねぇ。わははははは。

 ともかく、ヒマとお金があったら見てやってください。見るといいですよ。いや、絶対見てください。それから後から出るビデオやDVDもよろしく!

 

地球のどこかで

チェン・カイコー

 

チェン・カイコーによる音声解説付き本編

 まずオープニング。雪山が出てきます。この厳しい自然が主人公の男の方、ジョ セフ・ファインズくんのバック・グラウンドなんですよ。キレイでしょう? ここで美しさと魅惑と厳しさと不安感を予感させる。そこに今回のウリの濡れ場を チラリとオーバーラップで出すところが、まぁプロフェショナルの味ってとこですかね。ここで作品のテーマをバンと打ち出すんですよ。これだけ出せばバカだって分かる。東 洋人相手だとあうんの呼吸で分かるんですけど、西洋人、特にアメリカン相手にはこれくらいやらんと分からないですからね。あいつら、釣り銭の勘定も満足に 出来ないんだから困ったもんです。で、ここで雪山事故をさりげなく押さえておいて、後からの不安感のヒントを出しておくんですよ。

 舞台はロンドンに移って、ヒロインのヘザー・グラハム嬢の日常を出す。このア クビなんかしちゃってるときめきのない生活感溢れる感じが、後からの激しいラブ・アフェアとの対象的なイメージとなるのです。今つき合ってるジェイソン・ ヒューズって男も、悪い奴じゃないけど面白みがないと分かるでしょう?

 で、ロンドンの喧噪。グラハム嬢の出勤風景。ここのロンドンの街をキッチリ撮れるかが私の勝負でしたね。ほ〜ら、外国人の見るロンドンじゃないでしょう? 元々、私はディティールで見せる映画作家なんですからね。「始皇帝暗殺」の時はさすがに想像の域を出ない時代の話だったんで、このリアル感がねぇ…いや、あれはあれで、あそこまでやれたのも私だからだったんですよ。

 で、信号機のところでボタンを押す手と手が触って、グラハム嬢と隣にいるジョ セフ・ファインズくんとの目と目が合う。ここですよ。ここが演出の妙。で、ずっと気になったグラハム嬢が、本屋に入ったファインズくんを忘れられず、職場 でもイライラするあたり。結局、本屋に戻ったグラハム嬢がファインズとまた出くわして、結局ファインズくんに有無を言わさずタクシーに乗せられ、あるア パートの一室に連れ込まれて、まぁなるようになるわけですよ。このあたり、元々助平そうなファインズくんの怪しげな持ち味が生きてますな。いや、それに目 をつけた私の目の付け所のよさとでも言うか。

 こんな紹介の仕方をしてても終わりませんね。翌日、グラハム嬢はファインズく んが凄い登山家で、人命救助もした男と知る。またしてもアパートで一発やった後で、グレアム嬢がそのことを聞くと、ファインズはその時の事故で元の恋人を 亡くしたことを知るんです。これで情にほだされる。グラハム嬢はサッサと元の恋人ヒューズをお払い箱にして、カバン一つで例のアパートに向かうんです。

 ところがアパートには見知らぬ女ナターシャ・マケルホーンがいる。どうです? もうここで早速宙づりの不安感が訪れる。我ながら心憎い演出だなぁ。ところがマケルホーンは姉で、本当の彼の家は別にあるってんで教えてもらって飛んでいくんですよ。

 でも彼はまだ帰ってきていない。外は雪。待って待って、待ち続けたところでファインズ登場。一気に愛の行為。この不安、安心、また不安…って緩急の演出がミソなんですよ。

 翌朝は名実共にファインズの女になって満足のグラハムが、取材の女性記者の訪問でちょっと脅かされて、しかもここでカギにかけてある扉をチラリと見せる。うまいなぁ俺って。

 いろいろあって結婚することになって、山男のファインズは山小屋でのハネムー ンを計画するんです。これが山登り未経験のグラハムにはキツくて、そろそろ観客は何となくヤバさを感じるわけですよ。で、山小屋での初夜は、絹のリボンを 首に巻いてのエッチ・シーン。ここが私の腕の見せ所。ハッキリ言って官能描写ではチャン・イーモウなんかより私の方がうまいんですよ。ただ今まであまり見 せてなかっただけです。この首を絞められながらのラブ・シーンで、官能と危険がうまく見せられているでしょう?

 ところでそんなグラハム嬢は、妙な脅迫状まがいの手紙を相次いで受け取るわけ で、これがどれもこれもファインズが怪しい奴だと言っているんですよ。例の女性記者からは、ファインズにレイプされたと訴える女のたれ込みもあった。で も、ファインズは、そんなの根も葉もない中傷だと言うわけです。でも、ファインズの顔は怪しすぎですよね。これも私のキャスティングの勝利とでも言うところでしょうかね?

 グラハムが嗅ぎ回っていることはファインズも薄々感づいているから、だんだん 二人の間に波風が立つわけです。そしてついに例のカギを開けて、中に隠された手紙を盗み見てしまうグラハム。ここと家に戻ってくるファインズとの緊迫感溢 れるカットバックは見ものでしょう? ちょっとドリフの「全員集合」のコントからヒントを得たんですがね。

 手紙はかつてのファインズの人妻との不倫の手紙だけど、その人妻ってのはずっと行方不明になっているんですよ。それと例の山岳事故も気になってきて、グラハムはファインズを疑い出すわけです。

 さぁ、どうなるって訳で、ここからはお金を払って見てくださいね。今、映画館でやってます。見れない方は必ずビデオを買うか借りるかしてください。

 

ある夜のチェン・カイコーの告白

(北京居酒屋にて泥酔状態)

 なんだ、おまえもチャン・イーモウの話かよ。どうしてどいつもこいつも俺にあいつの事を聞いて来るんだ。俺は奴のお守りじゃないんだぞ。

 分かってるさ、確かに今じゃ俺はあいつに水を開けられた。だけど、今だって俺は中国を代表する大作家なんだぞ。だよな? そうじゃないのか?

 「黄色い大地」の時、あいつは俺の一スタッフだった。確かにあの時は奴のカメラは凄かった。あれに助けられなかったと言えば嘘になるよ。だけど、その後に奴が「紅いコーリャン」撮った時に、「黄色い大地」の素晴らしい映像は全部奴の功績だっ て話になるのは一体何なんだよ? あれは俺だって傷ついた。映画ファンとかさ、映画評論家が何が分かるって言うんだ。俺だって頑張ってたじゃないか。「大 閲兵」だって「子供たちの王様」だって「人生は琴の弦のように」だって、みんないい映画だっただろ? ただ海外の賞が取れなかっただけじゃないか。それを 何だよ。

 確かに「紅いコーリャン」であいつがベネチアを制した時には焦ったぜ。「羅生 門」以来のアジア映画の勝利だってさ。海外で単身頑張ってた俺は、ちょっと足下ぐらついたよな。俺だってニューヨークで映画学校の講師とかやって、ロスに も家買ってこれからを考えてた。なかなか中国じゃ言いたいことも言えないやりたいこともやれない。難しいからさ。

 だから「人生は琴の弦のように」からは海外資本も巻き込んだんだよ。でも、なかなかなぁ。世界が広がっていかない。狭っ苦しい映画になっちまってさぁ。もっと俺はどか〜んとダイナミックな映画をつくりたくなったわけだんだよ。

 それで「さらば、わが愛」撮ったんだよな。あれは自分でもうまくいったって思うよ。それはおまえだって認めてくれるだろ? 中国ローカルの狭い映画世界から、俺としてはもっと広がりのある映画をつくったつもりだったんだよ。コン・リーは…やっぱ、彼女しかいなかったんだよな。チャン・イーモウの女だってのが気にくわないが、あれだけのスケール持った女優はなかなかいないよ。

 それで「花の影」つくったんだけど、やっぱハッキリ言って「さらば、わが愛」の繰り返しなんだよな。俺は飽きちゃった。トップランナーの自負ってのは本気だよ。それと同時に、俺ってひとところにじっとしている性分じゃないみたいなんだ。すぐマンネリになるし、その前に自分が飽きちゃうのかなぁ。絶えず次、次を考えてしまう。だから「始皇帝暗殺」をつくったんだ。

 たぶんチャン・イーモウだって同じ事考えていたはずだ。だから「上海ルー ジュ」やったんだろう? フランスから金出させて、今までよりちょっと変わった題材やった。娯楽色も強かったよな。あいつの気持ちはよく分かる。何だかん だ言っても、俺以上に奴の気持ちが分かる奴なんていないよ。だって俺はトップランナーなんだから。そして奴もその限界を悟ったはずだよな。

 「始皇帝暗殺」はさぁ、ツラかったよさすがに。あれだけ大資本出させて大セット組んで。俺としちゃ中国発信の娯楽大作として、それこそ「タイタニック」の向こうを張ったつもりで頑張ったんだ。でも、やっててこれはヤバいと思ったよな。もう俺のコントロールの範疇じゃないところに映画がいっちまった。日本人も金だけでなく口まで出しやがって。小室なんて音楽家、俺は坂本龍一に匹敵する奴って聞いたからオーケーしたのにすっかりダマされちゃったよ。

 その点、さすがにチャン・イーモウは頭がいいや。コケたって俺の「始皇帝暗 殺」みたいな派手なコケ方はしない。「上海ルージュ」だってイマイチだったけどキズは浅かったし、みんなあれの事は忘れてるだろ? その後に奴は「あの子 を探して」とか「初恋のきた道」とかやって、すっかり名誉回復さ。やっぱり中国の素晴らしい作家チャン・イーモウってわけ。だけどあれって一見相変わらず 中国で作家性の強い映画をつくってるフリしてるけど、本当はよく見りゃ違う。かなりコテコテに演出した娯楽映画なんだぜ。

 俺たちアジア映画の作家ってのはローカル色濃い作家映画撮ってるうちは世界が褒めてくれる。珍しいローカル色でもってみんな感心しちゃうからな。そこにあの演出力だ。これは傑作だってことになる。奴もそんな狭い映画の限界感じながらも、あえてそこにとどまるフリしてやってたから褒められたんだ。奴は利口だよ。

 コン・リーと乳繰り合ってた頃も女房とはうまくやってたって言うじゃないか。 どうせ映画作家と女優ってのはそういうもんだとか、うまいこと女房を言いくるめていたんだろ。俺には奴の手口がよく分かる。奴はそのへんがうまいんだ。コ ン・リーと切れた時だって、もう君は一人でやってけるとか何とか適当なこと言って、自分は傷つかずに手を切ったんじゃねえの? その後に若くてキレイな チャン・ツィイー食ったあたりも奴らしいや。

 奴の「初恋のきた道」が「タイタニック」の向こうを張ったってことは、俺だっ て分かるよ。ただし、奴はこう言いたいんだろ。「始皇帝暗殺」みたいにスケールとパワーでハリウッドの「タイタニック」と競り合うなんてバカだ。俺たちが 「タイタニック」と対抗しようってんなら、それこそ素朴な中華風味を捨てちゃダメだ。あくまで中国ローカルの話と見せかけた上で、世間に認められない恋の 切なさと一途さを前面に出して徹底的にコテコテにやる「初恋のきた道」みたいな方法こそ、俺たちのとるべき道だって言うんだろ。その奴の意図に気づいた 時、俺は自分に向かって言われたみたいでまたキズついちゃったよ。

 だけどなぁ、俺にはそれってずいぶん姑息な手段に感じられるんだよ。よくは出来ている。でも、あのチャン・ツィイーの、男から見て徹底的に嬉しくなってくるような都合のいい健気さって何なのよ。それでいて、あくまで娯楽メロドラマじゃないフリして、いまだにアート・フィルム撮るよなポーズだけやってる。絶対自分が傷つかない領域でコチョコチョやっている。俺に言わせりゃ男らしくねえんだよ。

 それに実は奴は実際のところ、中国のアート・フィルム作家とは言い切れない。 ここんとこ二作は全部ハリウッドのコロンビアの資本で撮ってるんじゃないか。そういうタテマエだけのアート・フィルムづらが気に入らねえんだよな。別に アート・フィルム撮れとも撮るなとも言ってない。ハリウッドがいいとも悪いとも言うつもりはない。中国の中でだけ撮ってちゃダメだとも、一言だって言わな いよ。そういう場所にとどまってるフリだけして、絶対批判されないところでチラチラとスケベ根性出してやがるのがムカつくんだよ。それを自分で納得づくで、確信犯としてやってる小賢しさがイヤなんだよな。

 俺は堂々勝負する。だから単身、欧米映画界に乗り込んだ。だけど、中国なら大 チェン・カイコーでも、こっちじゃただのヨソ者。仕事のチャンスだってそんなにないよ、本当のこと言えば。ロシアのアンドレイ・コンチャロフスキーを見 ろ。あれだけ頑張っていろいろやって、しまいにゃスタローンの「デッドフォール」まで撮って商業映画撮れること証明しなくちゃならなかった。それでも今、 あいつは仕事がない。ましてアジア人じゃなおさら難しいよ。アン・リーなんてのは例外中の例外さ。あいつはたぶん有能なエージェントかプロデューサーを押 さえているんだろ。映画作家一人じゃ大変だよ。

 限られたチャンスの中で、俺は「キリング・ミー・ソフトリー」の脚本をつかん だ。これならまず間違いなく出来ると確信があったからね。プロデューサーも好意的だったし仕事はしやすかった。役者もそれなりのが集まった。正直言ってヘ ザー・グラハムにはちょっとガックリ来たけどね。なかなかいい女優とは思ったが、いくら何でも顔がやせすぎで、何だか松島トモ子みたいに目がぐりぐりし ちゃった。どうして欧米の女ってのは痩せる痩せるってムキになるんだろうねぇ。

 確かにあれがチェン・カイコー映画とは思えないという批判は分かるよ。でも、今回脚本にそれほどタッチ出来たわけじゃない。そもそも母国語でないからそれは無理なんだ。こっちの風習やディティールすべてが分かるわけでもない。だから馬脚を表さないように、そこに深入り出来なかった。

 それより何よりまず、欧米映画の第一回作品としてキチッとした娯楽映画がつく れることを証明しなきゃならなかったんだ。だから、ヒッチコックっぽくせいぜい面白く演出したつもりだよ。中国ローカルの何やらかすか分からない作家気取 りの監督じゃなくて、ちゃんとゼニのとれる映画を撮る監督だって、これでスタジオにもプロデューサーたちにも分かったろうよ。欧米の職人監督と比べて何ら遜色はないだろ?  え? それなら別におまえじゃなくて欧米の監督雇えばいいじゃないかって? イヤなこと言うなよ。それは言わない約束だぜ。それに、俺だってまんまと奴ら の手の内に収まっていただけじゃない。ラブ・シーンでシルクのリボンを使って、せめて中国の映画作家たる面目ぐらいは見せてやったさ。 ところがそいつがチャン・イーモウの「菊豆」か何かに出てきた布の帯みたいに見えちゃってさ。あの時ばかりは思わず我が身を呪ったね。それと同時に、俺も奴もお互い離れられないんだってことに気付いた。やっと今頃だけどね。

 それでも俺は男だ。男だったら、いつだって前のめりでいきたい。自分だけキズ つかない櫓の上に昇って、高みの見物なんかしたくなかった。やるなら大失敗しても勝負に出たかった。それにお金を払って見に来てくれる、お客さんを楽しま せることだけは最低限やったつもりなんだ。むしろ、何とか娯楽映画として破綻がないようにつくり仰せた点が、俺としては珍しく無茶しなかったところじゃな いか? そう言う意味では俺もチャン・イーモウの利口さに学んだところがあるかもしれないな。奴に乾杯だ。おい、酒持ってこい酒!

 チャン・イーモウは今、ジェット・リー使って中国でアクション時代劇つくって るらしいな。自分はチャッカリ中国にとどまったまま、欧米映画で成功したジェット・リー持ってきて娯楽活劇撮ろうなんて、いかにも策士の奴らしい作戦だ よ。でも、それはそれで頑張ってくれと今なら俺も言いたいね。これは本気だよ。生き馬の目を抜く映画界で生きていくのは大変だ。アメリカ映画全盛の今、自 分の国で映画をつくっていくのも、それで食っていくのも厳しいよ。だからキレイごとではやっていけないというのも今なら分かる。それは実際やった者じゃな いと分かりはしないからね。

 俺も次は中国で撮るんだ。そして「キリング・ミー・ソフトリー」で欧米への基盤を築いたから、あっちでもまた撮るよ。だからこれからが勝負だね。

 先は長いんだ。俺だって負けてないよ。見ていて欲しい。きっとまた、さすがチェン・カイコーって言わせてみせるからさ。本物の男ってとこを見せるつもりだ。

 だって人生は長い。勝負はまだまだこれからなんだからね。

 

 

 

 

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