「マルホランド・ドライブ」

  Mulholland Drive

 (2002/03/11)


  

太陽サンサンのロスが抱える闇

 前に何かの折りに、僕がロサンゼルスに行った時の話をしたっけね。そう、あれはショックな体験だったよね。今でこそカリフォルニアはイモなイメージなんだけど、かつてはロスを中心にしたウエスト・コーストって日本の若い奴の憧れの地だったからね。

 それが行ってみたら大違いっていう話。

 太陽だけは照っていた。やけに明るい。その明るさが抜けた青空ってイメージでよかったんだけど、実際にその場にいるとそうは思えないんだよね。

 人がいない。道に人が歩いていない。そんな活気のない街に太陽がシラジラと照っている。何と言ったらいいのか、季節はずれな時に訪れた海水浴場という感じかな、あれに似た場所と言えば。人がゴミゴミしている東京から行くと、ちょっと怖くなってしまう光景だよね。いや、単に人がいないってなら田舎がそうだ。だけど、あそこはいやしくも大都会なんだよ。それなのに人がいない。活気がない。太陽だけギラギラ。

 そして何とも言えないよどんだ空気。

 ハリウッドにウエスト・コースト・ロック、アメリカのショービジネスの象徴のような街。お金持ちがワンサカ暮らす街。開放的で流行の先端いってる街。そんな憧れに胸がパンパンに膨れ上がってたお上りさんの僕は、すっかり失望してしまった。う〜ん、失望というのは違うな。恐ろしくなってしまったんだ。ここは人の住む場所じゃないと思った。ロサンゼルスに暮らしている人、あの場所が好きな人は勘弁してね。でも、これが僕の偽らざる気持ちだったんだ。僕は心機一転、生活の転換をすべくロスに来ていたから、ちょっとの間は一人で滞在していた。そして毎日、仕事で近所に住んでいた友人と遊んでいた。

 だけど、あれで友人たちがいなかったらどうだろう? 僕は耐えられなかったんじゃないか? 実際、しばらくいたら帰りたくて仕方がなかった。それはホームシックかもしれないけれど、そのうちの何パーセントかはこの場所が耐えられないって気持ちだったと思うよ。

 だってあそこはどこより太陽サンサンだったのに、何だか闇の中にあるような街だったんだ。何だか得体の知れない底知れない闇の中に…。

 

金髪と黒髪、二人の女が巻き込まれた謎とは?

 ロスの夜を一台の車がゆっくり走っている。ここは高台に延びる道、マルホランド・ドライブ。車のバックシートには黒いドレスに着飾った黒髪の女(ローラ・エレナ・ハリング)。ところが車が人けのない道の途中で停まった。女が不審に思ったその時、運転席と助手席の男が女に銃を突きつけるではないか。

 その時!

 若造たちが面白がって一台の車をムチャクチャに飛ばしていた。その車が、停車中のくだんの車に激突!

 静まり返った後、無惨な自動車事故現場から、例の黒髪の女がヨロヨロ這い出す。その目は遙か下界のロスの夜景に釘付け。やがて黒髪の女はふらついた足取りでロス市街へと降りていった。サンセット大通りまで来ると力尽きたか、アパートの脇の茂みに倒れ込む黒髪の女。

 その頃、事故現場では刑事(ロバート・フォスター)が、この場から抜け出した人物がいるようだと探り当てる。

 翌朝、物音で眼を覚ます黒髪の女。見ると中年の女が大荷物を持って出かけるところだ。何を思ったか黒髪の女は、その中年女が出てきたアパートにとっさに忍び込んだ

 話変わって、ファミレスで語り合う不思議な男二人。そのうちの若い方(パトリック・フィッシュラー)は、夢でこの店に来たことがあるという。その夢ではファミレスの裏手に恐ろしい顔の男が潜んでいると言うのだ。片方の男がそれを確かめようと言いだし、若い方の男を連れ出す。するとそこには!

 さて、またも話変わって、ロス空港に降り立った若い金髪娘ベティ(ナオミ・ワッツ)。たまたま飛行機で知り合ったらしい老夫婦と交わす内容からは、どうも彼女はカナダから映画女優をめざしてここロスにやって来たらしい。だが、そんな野心や派手さなど微塵もない今時珍しい清純爽やか娘だから意外だ。金髪娘ベティはここで老夫婦と別れるが、その直後この老夫婦が乗り込んだ車中で不気味に笑い転げたことなど知る由もない。

 さて金髪娘ベティがやって来たのは先ほど登場したサンセット大通りのアパート。家主(アン・ミラー)とのやりとりでは、どうも女優をやっている叔母の留守中に部屋を借りることになってたらしい。無事に叔母の部屋に到着したベティは、これからの生活への期待に胸を膨らませていたが…何と部屋に先客がいた。女がシャワーを浴びているではないか。そう、今朝忍び込んでいた例の黒髪の女だ。ところがベティはこの黒髪の女を叔母の友人と勘違いした。何とか危ないところをやり過ごした黒髪の女だが、その時に彼女はもっとヤバいことに気が付いた。

 自分の名前が思い出せない!

 それどころか記憶のすべてが失われているではないか。とりあえず叔母の知り合いになりすました黒髪の女は、貼ってあったリタ・ヘイワースのポスターをヒントに自らを「リタ」と名乗って、事故にあったから休ませて欲しいと寝込んでしまった。

 その頃、街のあちこちで電話によるやりとりがめまぐるしく行われていた。どうも闇の大物らしき者(マイケル・J・アンダーソン)から指令が飛んでいる。それは、あの黒髪の女を捜せというものだった。

 また、ある汚い事務所では冴えない男二人が例の自動車事故についておしゃべり。あげく突然男の片方ジョー(マーク・ペレグリーノ)が消音銃でもう片方のエド(ヴィンセント・カステラノス)を殺した。どうも何かの証拠隠滅らしいが、その時ドジを踏んで居合わせた人間を次から次へと殺さなければならなくなって、ジョーはクサりながらその場を逃げ出した。

 一方また話は飛んで某映画会社のオフィス。新作映画の打ち合わせで主役女優のことについての打ち合わせが行われようとしているところ。サングラスのいかにも若造映画監督は、一向に進まない話し合いにイライラ。そこに出資者とおぼしきヤバそうな中年兄弟(アンジェロ・バダラメンティとダン・ヘダヤ)がやって来た。それがいかにヤバい人物たちかは、映画会社のお偉いさんの怯え方、神経の使い方でも分かる。このヤバい兄弟は、その場で主演女優にまるっきりの新人カミーラ・ローズ(メリッサ・ジョージ)を指定してきた。いや、指定でなく強要だ。有名女優も候補に挙がっている役にズブの新人押しつけられてクサった映画監督は、怒り狂って部屋を飛び出した。あげくよせばいいのに、ヤバい兄弟の黒塗りの車をゴルフクラブでブチ壊す。何もわかってないハッタリだけの男なのに、深い思慮もなしにバカをやるあたり、映画業界の人間や映画ファンやら映画に関わる人間にロクな奴はいない。さすがにやった後はヤバいと思ったか、車で一目散に自宅に帰っていった。

 その頃、金髪娘ベティはアパートにいる「リタ」が叔母の友人ではないことを知った。慌てて問いつめると、事故で記憶をなくしたことを白状する「リタ」。だが、その途方に暮れた様子に、元々善良なベティは情にほだされた。このアパートにいてもいいと言うだけでなく、彼女の記憶が戻る手助けをしてやることを誓った。手がかりはバッグに入っていた青いカギといかにも胡散臭い大金。そして彼女が思いだした「マルホランド・ドライブ」なる地名

 一方、映画監督が自宅に戻ると、女房が間男引っ張り込んで乳繰り合いの真っ最中。ところが女房も男も開き直っただけでなく、自宅を追い出されるハメになったから洒落にはならない。ところがこれでもこの監督ツイていたのだ。直後にそのスジのお兄さんがやって来て大暴れ。監督は難を逃れたが女房と間男はたっぷり浮気の報いを受けた。

 その頃、ベティは警察に電話して昨夜マルホランド・ドライブで事故があったか尋ねる。すると確かに事故があったことは認めたが、そこから先は聞き出せなかった。しかも、新聞にはこの事故のことが一行も報じられていない。だが、たまたま入ったファミレスのウェイトレスの名札から、「リタ」が「ダイアン・セルウィン」なる名前を思い出す。電話帳を見るとそれはたった一人だけ。そこで明日のベティの映画オーディションが終わった後で、二人で「ダイアン」の住まいを訪ねることにした。

 そんな彼女たちが疲れた体をベッドに横たえると、何とも妙なムードになってくるではないか。いつしかお互いの体をさぐり合い、愛し合うベティと「リタ」だった。

 またまた映画監督に話を移すと、安ホテルに隠れているところを何者かが探り当てたらしく、銀行口座もなぜか凍結されて万事窮す。困った監督が自分の事務所に電話すると、「カウボーイ」なる男が自分に会いに来るようにと告げに来たと言う。仕方なく夜中に指定された場所に行ってみると、現れたのはまさしく中年の「カウボーイ」(レイパエッテ・モンゴメリー)。最初はイキがって偉そうにしていた監督だが、あっさり脅され沈黙。あげく映画の主演女優オーディションでは、例の「カミーラ・ローズ」を起用するようにとダメ押しされてグウの音も出なかった。

 さて翌日のベティのオーディションは、迫真の演技で大好評。その場にいたエージェントのリニー(リタ・タガート)は彼女をいたく気に入って、こんな映画よりこっちを…と、ある大作映画のオーディション会場へ連れていく。そこがあのサングラス映画監督の新作オーディション会場だった。スタジオに入ったとたん、監督と目と目が合うベティ。何か起きそうな予感だったが、その場に現れた問題の女優カミーラ・ローズに「OK」を出さざるを得ない監督の気持ちは沈んだ。そしてベティは「リタ」との約束のため大急ぎで帰っていく。監督の未練は残る。

 さて「ダイアン・セルウィン」宅を訪れた金髪ベティと黒髪「リタ」だが、扉をノックすると出てきた女はまったくの別人(ジョアンナ・ステイン)。聞くと、彼女は「ダイアン」と部屋を交換したと言う。しかし、ここしばらく「ダイアン」の姿を見ないとも。改めて交換した方の部屋を訪ねてみるが、扉をノックしても誰も出ない。業を煮やしたベティは、開いていた窓から侵入。中から扉を開けて「リタ」を迎え入れたのだが…。

 部屋に漂うただならぬ悪臭。そして寝室のベッドの上には腐乱した女の死体が横たわっていた。驚愕して逃げ出すベティと「リタ」。

 さて、お次の手は…というと、実は「リタ」が昨夜眠っている時に思い出したことがあった。彼女先導で出かけた場所は、何とも奇妙な小劇場。そこではテープやレコードの歌や音楽に合わせて、身振りや口パクで演じる不思議なパフォーマンスが演じられていた。中でも「泣き女」と紹介された「女性歌手」の演じっぷりは素晴しく、金髪ベティも黒髪「リタ」も圧倒され涙してしまうほど。だが、ここでそんなパフォーマンスを見ている間に、いつの間にかベティのバッグに入っていたもの…それは青い真四角の小箱だった。一体誰が、何のために?

 怯えてアパートに戻ってくる二人だが、いつの間にか部屋に入ったはずのベティがいなくなっていた。さらに怯える「リタ」。例の青い小箱にはカギ穴があった。彼女がバッグに持っていた例の青いカギを差し込むと、これがまたピタリとはまる。案の定、小箱は開いた。中をのぞき込むとそこには底なしの闇。そして…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは映画を見てから!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 実はこの後は説明するのが難しい。

 例の「ダイアン」のアパートで目覚める金髪娘はベティと同じ顔の女だが、その名もダイアン(ナオミ・ワッツ二役)となっていた。そこに部屋を交換した女が荷物を取りにやってくるが、まったく不審げな表情はない。彼女はまぎれもなく「ダイアン」なのだ。そしてその彼女の同性愛の恋人は黒髪「リタ」と同じ顔だが名前はカミーラ・ローズ(ローラ・エレナ・ハリング二役)。彼女はすでにスター女優で、いまはあのサングラス映画監督の新作に出演中。しかも、黒髪カミーラと監督は撮影中に怪しい仲になりつつあるようで、金髪ダイアンとしては内心穏やかではない。ダイアンはカナダでジルバ・コンテストで優勝してから、単身女優めざしてこのロスにやってきた。だが目当ての主役はカミーラに取られ、自分は端役。それでもカミーラに気に入られて恋人になって、彼女の映画でいくつかの役をもらっていた。

 だが、ついに関係を終わらせようと黒髪カミーラに言い出されて金髪ダイアンはキレた。どこから知ったか殺し屋ジョーを呼び出して、カミーラ暗殺の段取りを始めた

 一体これは何を意味しているのだろう。そしてこの金髪、黒髪二人の女は一体何者なのか?

 

リンチが語りたかったのも「夢の覚醒」か?

 常に意味ありげな設定と物語、独自のダークな世界を展開してきたデビッド・リンチのこれは最新作。考えてみると、この人がこんな謎めいた奇妙な世界を本格的に展開し始めたのは、「ブルー・ベルベット」以降のことなんじゃないだろうか。その後も新作発表のたびに謎めき方はエスカレートしたが、次の「ワイルド・アット・ハート」あたりまでは、まだ何とか従来のドラマツルギーの範疇だったように思う。それがついには意表を突いたテレビ・シリーズ「ツイン・ピークス」にまで行き着いたのはみなさんご存じの通り。「ロスト・ハイウェイ」も謎は混迷の一途を辿って、実はこのあたりになると僕もお話がよく分かってはいなかった

 ところがリンチがただ者ではないのはこれからで、次に放ったのが彼としては表だってダークなイメージを押し出さない初めての作品「ストレイト・ストーリー」。分かりやすくてグロテスクでも奇妙でもない、老人を主人公にした「ストレート」なドラマ。どう見ても感動的な人間ドラマのかたちをとったから、またまたみんな驚かされたっけ。

 ところがその後に位置するこの作品では、今までにも増して謎が深い。というより、一見するともう従来のドラマや物語展開のかたちをとっていない。謎が謎を呼ぶだけでなく、途中で主人公のキャラクターや役柄自体が一変してしまう。ありゃりゃりゃ、これは何だ? 一体どうなっているんだ?

 実はこれ本当はまたしてもテレビシリーズになる予定で、没になってしまったパイロット版に追加撮影と再編集を施して出来上がった映画だとか。なるほどキャストもかなり小粒だ。確かに当初はテレビ放映を考えていたのだろうと察しはつく。それにしても、訳が分からないお話ではある。

 例えば最初の頃ファミレスで話し合う二人の男が出てくるが、それはほとんど謎のままで放り出されている。他にも説明されずじまいのままのエピソードがそこら中にある。だが、それも前半部分までなら、今までのリンチだ。ところが突然、観客には理解不能な事態が起こる。そして何も説明のないまま後半のスタート。後半はある意味で別の話になっている。それも主人公の役者は同じなのに役が違う! いや、別の話とも言えない。何となく前半の話をなぞっているようでもあり、違っているようでもある。これは一体どういうことだ。

 さて、僕は正直言ってこの映画が分かっていると確信が持てないので、これ以降の解釈がハズしてたらご容赦いただきたい。

 それでも一応、それなりの推論は持ち出せる。乱暴に言ってしまえば後半が現実で前半が夢か幻か…という仮説だ。そう言えば開巻まもなくジルバ・コンテストのイメージが延々描かれ、すぐにベッドに何者かが倒れ込む主観ショットが挿入される。後半で金髪ダイアンがジルバ・コンテストで優勝してハリウッドに来たと語られているから、そこからが夢か? すると物語全体が、ヒロイン(=ここではナオミ・ワッツ演じる金髪娘ダイアン)が女優の夢破れ、スター街道驀進中のカミーラ(=ここではローラ・エレナ・ハリング演じる黒髪娘)を羨望のまなざしで見つめつつ恋に落ちるが、それも破れてしまう失意の果てに見る夢…それも腐敗した死体として前半部分に出てくるように、ひょっとしたら死後に見た幻影と考えられるのである。

 そう。それなら説明がつかないでもない。前半部分のヒロイン=金髪のワッツはかくありたい自分だから、過度に清純で善良で美しい。後半にダイアンとして登場する彼女は、もっとスレてケバくなっているのもうなづける。前半で金髪ワッツがオーディションで見せる演技力の確かさも、監督がカミーラを選ばざるを得ないながらも金髪ワッツに心惹かれるのも、こうあって欲しい、こうでなければいけないと思うヒロインの強い願望と思えば納得がいかないでもない。

 別女優が演じてはいるが、前半部分のカミーラが金髪であることは注目すべきだろう。しかもここでのカミーラは、実力もなしにワルの力を借りて主役を得ようとするビッチな「新人」だ。このもう一人のカミーラ像と、前半部分の黒髪女ローラ・エレナ・ハリングが傷つき弱って金髪娘ワッツの庇護がなければどうにもならない無力な存在であることは、やはり金髪娘ダイアンの内心の「かくあるべき、こうあって欲しい彼女」の姿なのではないか。 それが愛憎両面でアンビヴァレントに引き裂かれて出てきたということなのではないか。

 そう言えば初めの頃のファミレスでの男二人の会話のエピソードも、一見ストーリー的にはほとんどなくてもいいものに思えるが、実は「夢」についての会話とその恐ろしい顛末を描いたものだ。口パクと身振りにテープやレコードの音楽でパフォーマンスする劇場のエピソードも、それが「現実」でないことと、にもかかわらず心を大いに揺れ動かされてしまうことを表現していた。やはりこの映画は「現実」と「夢」について扱ったものと見て間違いないのではないか?

 夢というものは脈絡のないものであり、理屈や説明のつかないものでもある。しかも、そこには深層心理に潜む願望が反映されることもしばしばだ。リンチは今回、そんな「夢」の映像化を試みようとしたように思えるのだが、どうだろうか?

 もちろんこの映画の説明のつかなさや不条理さを整理して語ってしまうと、理に落ちてつまらなくなると言う向きもいるであろうことは承知の上だ。でもリンチはこと今回に限っては、スタイルはともかく至極真っ当なことを言おうとしているように思えるんだよね。いかにもリンチ的と言えるさまざまな意匠に気をとられていると、この映画の本筋の部分を見失ってしまうように思うんだ。

 ラスト・シーンがハリウッドの輝く夜景をバックに、スポットライトを浴びて仲むつまじく微笑みあう主人公二人のアップで終わることは、とても象徴的だ。それは失われ消え去ったヒロインの夢のかけらだから。この物語がハリウッドを舞台に描かれるのも必然だ。ハリウッドの映画産業は夢の象徴だからである。

 だから逆説的に言えば、実はこれはハリウッドの女優志願の女の物語を描きたかったわけでもないのではないか。なぜなら、夢なら誰しも必ず見る。そして、夢というものは自分の願望だ。それはテメエ勝手な側面を必ず持っている。そして必ずしも叶えられはしない。多くの場合、夢は破れて失望や未練が残る。その時、夢は悪夢とさえなるはずだ

 夢を持つのはいい。だが、夢に生きるのはどうか。はたまた夢にすがるのはいかがなもんだろう。そう考えると、これはある意味でデビッド・リンチ版「アメリ」と言えるような気がする。ただし夢が終わらず、それが悪夢と化しても自分が腐乱死体になっても夢にすがろうとする点がリンチ流なのだ。それにしても「夢」の最たるものである「映画」が、最近になって急に「夢」からの覚醒をしきりに訴えるようになったように感じるのは気のせいだろうか? それだけ映画も成熟してきたってことかな?

 「夢」と言えば聞こえはいいが、その大半はここで描かれているように、勝手な思い込みやら自分への客観的評価の保留だとか為し得なかったことへの未練とか…ひどく後ろ向きで自分を呪曝してしまうものでしかないのかもしれない。だとしたら、僕らはもう夢から覚めねばならないね。 いや、これが夢だと気付かねばならない

 夢の終わりが、死の床では寂しすぎるから。

 

 

 

 

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