「化粧師」

  Kewaishi

 (2002/02/25)


  

 何だかんだ言っても人と人との間柄ってやつは、難しいものだよね。

 その難しさの最たるものが、個人個人が持つモノサシがそれぞれ違うということ。例えば昼間の喫茶店にでも入ってごらんよ。必ずそこにはオバサン連中が集まって、ベチャクチャしゃべってる。その内容を耳をダンボにさせて聞いてみれば、だいたい十中八九は間違いなく誰かの悪口だ。絶対(当り前だけど)その場にいない誰かのことについて、その非常識かつ失礼な言動を非難するわけだが、大抵その非難の言葉の前には同じ様なワンパターンフレーズが付く。いわく「信じられるぅ?」「普通常識から言って考えられない」…などなどなど。

 で、これをよく聞いて、確かに口からツバ飛ばしてしゃべっているオバサンの言うことを100パーセント真に受けると、確かにそこで話題にされている人間は非常識だと思える。だけどねぇ、ここからがちと問題だ。ちょっと見方を変えた場合には、話題の人物もさして間違ったことをしていないのでは?…と思えることも少なくないんだね。今流行のグローバルスタンダードじゃないけど、世の中、ある一つのモノサシだけでは図れないことも少なくないんだよ。

 そしてヘタをすると、よく聞いたら非難している当のババア(笑)…もとい、オバサンの方がオカシかったりする。そういう人間が「常識」振り回すってこともザラなんだね。だから一概に物事はシロクロ付けられない

 そして、物事のシロクロ付けられないってのは僕の昔からの持論でもある。って言うのは、僕の個人的な経験から来てるんだけどね。

 「何言ってるの?」「アンタおかしいんじゃないの?」…てなセリフを女からさんざ投げつけられたあげく、その女の方がどう考えてもスジ通らないことをやってて、そこを指摘すると泣いて怒ってわめいて…なんて経験が、僕には若い頃から何度もあったからね。これは偏見かもしれないが、女性に限らず人間はこの「常識」という言葉を振り回すのが好きだ。 そして、絶対自分の常識のほうが正しいと信じて疑わない。だから僕は他人に物事のシロクロ付けることはめったにしない。時間のムダだし、自分がイヤな思いをするからね。

 そして、こんなこともあったんだ。それは僕が昔付き合ってたある女とのこと。

 彼女はとても気持ちの大きい人間でコセコセしたところがなかった。実はこんな女と付き合ったことがなかったので、僕はとても彼女が気に入ったんだね。ユーモアもあったし思いやりもあったし、こいつは最高だと思ったんだよね。

 特に僕は上記のような女のテメエ勝手な言い分にウンザリしてきたから、彼女の大らかさ、懐の広さが嬉しかった。もう夢中になってしまったよ。

 ところが不思議なことに、そんな彼女がホンの時々ではあるけど、「あれっ?」とわが目わが耳を疑ってしまうほど無防備な言動をすることがあるんだよ。えっ?何でこんなこと言ったりやったりするの?って、普通なら思わず考え込んじゃうような。人の痛みが分かって、フェアで、サッパリした性格で、大人で冷静で、ユーモアがあって、とてもクレバーな女なのに…。

 普段はむしろ筋が通ったことしか言わないしやらないのが彼女だった。僕なんかより全然頭もいいし、常識があってしっかりしてるしね。それが、たまたま…ほんのちょっとした時にわずかながらチラッと見せるスキのような瞬間…。たったそれだけのことだから、無視しようと思えば無視できたんだね。僕もほとんど気にしないようにしていた。だけど僕だって機嫌がいい時ばかりじゃない。彼女との回り合わせがあまり良くない時だってある。そんな時に彼女のこういう面がたまたま連発して出た時には、さすがの僕もカチンときそうになることもある。

 いつもはとてもモノの道理をわきまえてる君が、どうして時としてそんな妙なことを言うんだ? なぜそんなに訳分からないことをやるんだ? 普通はそれっておかしいと気付かないのか?

 でもね、それをいちいち僕があげつらうのは、筋違いってもんだったんだよね。

 先に触れていたように、彼女はとっても大らかな人間だったんだよ。片や僕は、一見ユーモラスで融通のきく男に見えるが、実際は神経質でひねくれててうるさい。実はそれまでの女との関係も、そんな僕の神経質で皮肉な性格が災いしていたのが本当のところだ。そんな僕がその彼女とは何とかやっていけたのは、何より彼女のそんな懐の広さのおかげだったんだね。

 そしてその彼女の大らかさ、懐の広さこそが、例の時々ポッカリと顔をのぞかせる無防備な言動と地下水脈みたいなもので繋がっていたんだ。これは同じ性格のオモテとウラと言ってもよかった。

 でもね、これってどんな人間にも言えることなのかもしれないよ。長所イコール短所ってこと、よく言われるじゃないか。どっちもどっち、切っても切れないものなんだ。痛しかゆしってところだよね。

 僕は彼女の大らかさに惹かれ、その懐の広さに救われていたのに、一方でたまたまポッカリ顔をのぞかせるウィークポイントだけを問題視すべきなんだろうか? そこだけをとらえて、常識的におかしいなんて鬼の首でも取ったように言っていいのか? そんなオイシサいいとこ取りなんて都合のいいことが出来るわけはない。それにそもそも彼女の無防備な言動には、本当はカケラほどの悪気もないんだよね。混じりっけなし、ウラもオモテもない。そういう意味じゃ100パーセント信頼できる女だったんだ。そんな彼女を悪意たっぷりに責めることが、果たして本当にいいことなんだろうか? 

 また彼女だって、神経質で人間的キャパの小さい僕と付き合っていた時には、そんな僕の性格をデリカシーがあるとか何とか自分なりに良く解釈してくれていたのかもしれない。ずいぶんヒドいこともしただろうに、いいとこをクローズアップして見てやろうとしてくれてたのかもしれない。そんな僕が彼女をたま〜に顔を出すウィークポイントだけで責めることなんて出来るのか? いいとこだけ切り離すなんて出来るのか。

 いや、出来ない。

 結局、人と関わるってことはそういうことなんだ。この人の「ここだけ」もらうなんて事はありえない。いいとこも悪いとこも、まるごと引き受ける他どうしようもないんだろう。彼女のウィークポイントに気付いて文句を言いたくなるたびにそう思ったら、怒る気持ちも薄れた。僕も仏様じゃないから時には爆発したけど、自分も大らかな気分になれた時には、そんな彼女がありがたく思えたことさえあるよ。だって嬉しくさえ思えたからね、こいつも俺と同じで完全じゃないんだって(笑)。

 痛しかゆし。でも、それだからこそ好ましいってことだってあるんじゃないか。

 

 時は大正時代、場所は東京の下町あたりと思いねえ。

 今まさに一人の男が自転車に乗って、川縁の土手を一気に走っていた。その川では、一人の娘が水遊び。天ぷら屋の娘=菅野美穂が「アメリ」みたいに石を川面に投げて遊んでいたが、自転車の男に気付くと大声挙げて注意を引こうとする。

 ところが彼は気付かないんだかシカトこいてるんだか、菅野の方を向こうともせず一心に自転車を漕いでいる。業を煮やした菅野は土手を駆け上ると、何とか走り寄って自転車を停めさせた。すると冷たいのか無愛想なのかと思っていたこの男、意外に愛想よく菅野を自転車の荷台に座らせて再び漕ぎ出した。

 男は女の顔に化粧を施すプロで、人呼んで「化粧師=けわいし」こと椎名桔平。現在は天ぷら屋の二階に居を構えており、その天ぷら屋の娘が例の菅野。彼女はどうも椎名「化粧師」に気があるらしく、弟子にしてくれ助手にしてくれと頼むのだが、そんな彼女の言葉を椎名は聞いているんだか聞いていないんだか

 今日も今日とて椎名は大得意の呉服屋未亡人いしだあゆみの家に呼ばれる。ここの女中頭・あき竹城は、椎名の無愛想な態度が気に入らないのか、はたまた「化粧」なんぞで金をとる稼業そのものが気に入らないのか、ひどく毛嫌いしている感じ。そんな調子で椎名を目の敵にする連中も少なからずいるのだが、それはまた別の機会に…。当の家の主いしだあゆみは大歓迎。今日は観劇の予定があるのでおめかしと、わざわざ椎名を呼んだわけ。それにしても外出のために人を雇って化粧させるとは豪勢な…と、この家に新たに住み込みで入った女中の池脇千鶴は目を見張る。

 はたまたある時は芸者屋に呼ばれ、人気の小林幸子お姉さんにデコトラみたいな衣装…じゃなくて美しい化粧を施す。だが、彼のスゴ腕ぶりは単に化粧のテクニックだけではない。若い芸妓が使っている化粧品を、鉛入りの有毒品だと一発で見破る。ついでにソルトレーク冬季五輪のフィギュアスケート・ペアの審査員が八百長やってることも見破ったが、これは誰の目からも明らかな「三方一両損」の屁理屈みたいなイカサマだった。ともかく、こんな化粧品使うなと止める椎名だったが、若い芸妓は肌の色が良くなるからと言うことを聞かない。そんな時、いつもはクールな椎名の目が鋭く光るのを、気付いた者は誰もいなかった。

 椎名の客になっている女たちが口を揃えて言うことには、彼に化粧されるといいことがある…とか。そんなご婦人がたに大評判のカリスマ化粧師…しかしその評判はいいことづくめという訳でもない。椎名の大家である天ぷら屋主人・青大将こと田中邦衛は、娘の菅野が椎名に夢中なのに気付いて、それでなくてもよく回らない口を酸っぱくしてこう言った。

 「やめとけ! あんな偏屈で強欲な奴は」

 さて、偏屈かどうかはさておき、彼は本当に強欲なのか?

 ある日、佐野史郎経営の写真館に、少々訳ありの夫婦もんの客がやってきた。どこが訳ありかと言えば、その女房の顔。亭主は自分が誤って火傷させてしまったと泣きじゃくるが、確かに火傷痕がかなり痛々しい。そんな女房に一時でも美しい顔を取り戻させて、それを写真に収めることが出来れば…と、なけなしの金を握り締めてやってきたわけ。となれば、化粧のザ・プロフェッショナル「化粧師」椎名の出番だ。さすがは期待通り、驚異的な技術で女房の顔を美しく彩る椎名。夫婦は泣きじゃくって喜んだ。だが、そんな彼らに佐野史郎の薄情にもセコい言葉が…特別な化粧は二倍の料金でお願いします。

 金もないであろう夫婦からセコくしぼりとる強欲佐野史郎の声を、聞かぬふり知らぬふりなのか椎名「化粧師」。おまえも結局「女の涙は美しい」とか「女と別れる難しさが還暦になっても身に沁みた」とかナメたこと言ってるだけの男と同じなのか。

 さて、例の呉服屋未亡人いしだあゆみは、今は金にあかせて道楽三昧。特に演劇にはいたくご執心で、同行の若い娘たちを家に集めてはシャレたお茶会など催していた。今日はその中の一人、酒井若菜がグラビアデビュー…じゃなくて、女優として舞台に初めて立った話でもちきり。だが、それを快く思ってない者もいる。我こそが女優にとの野心を秘めつつ実現出来ていなかった、その場の娘たちの一人…柴咲コウがその人だ。その野心の燃えっぷりは、ギンギラに周囲から浮きまくっている厚化粧と濃いい色柄の着物からもアリアリ伺えるが、得てしてギンギラの時ほどスベッてしまうもの。カッカとしたあげくに、化粧されると「いいことありそ」な椎名の住まいに乗り込んだ。

 だが、大声で呼べど扉を叩けど答えがない。そこに通りかかったのが、すでにチャッカリ椎名の助手気取りの菅野。彼女は四の五の言わずに扉を開けると、部屋にズカズカと上がり込んで柴咲を招き入れた。そこにはケロリとした表情の椎名がいた。これにまず柴咲カチンと来たのは言うまでもない。そこで化粧をしてくれ金なら出す…とのいきなりのタカビー発言に、今度は椎名がカチンと来た。

 予定が入っているから出来ない。

 こうなると柴咲も意地だ。金をいくら出せばいいと言わずもがなの発言を連発。そこを見透かした椎名は、とうてい払えっこない大金をフッかけて彼女を追っ払ってしまった。悔しさに歯ぎしりしながら去っていく柴咲。

 だが彼女はそんなことでメゲるほどヤワな女じゃなかった。金持ち男をたらしこんで、金を巻上げると勇躍椎名の家に再度乗り込んできた。

 今度は椎名も態度を変えて、彼女の望みを叶えてやった。椎名の手になる究極の化粧…それは意外にも柴咲の厚化粧をはぎとっていく行為に思えた。すっきりと美しくなった表情に勇気百倍の柴咲は、これでオーディションにも合格するかも…と口走る。そんな甘っちょろい発言を、椎名は決して見逃さなかった。化粧での上辺の美しさなんて、一時のものでしかありません。ええカッコしいで取り繕ったマヤカシの高支持率なんて、すぐに落っこちてしまうもんなんですよ。悪いことは全部抵抗勢力とかテロリストとか他の奴のせいにしていても、いつかは見破られるものです。

 心の化粧をするのは、あなたご自身なんです。

 そして椎名は正規の料金だけ受け取った。彼の言葉に自らを恥じた柴咲は、静かに帰って行った。それでも彼女は、過ちに気付いて自らを恥じただけ見込みがあるね。それに引きかえあの男…。

 さて一方、妙な事から「化粧師」椎名とつながりを持った者もいた。ある日、自転車を走らせる椎名にぶつかってきた少年…彼は椎名を自転車ごとブッ倒しておきながらも謝らないどころか、地面にぶちまけられた「化粧師」としての道具、筆や紅などに興味を持ってかじりついた。そこにやって来た母親の岸本加世子は、椎名の道具にかじりつく息子をどやしつけて引き離すと、これまた椎名に一言の詫びも言わずに去って行った。

 この少年、実は口がきけないために近所の子供にもイジメられ、母親の岸本からも持て余されている気の毒な身の上。彼は椎名の筆や紅などの道具に興味を引かれたか、彼の家を探し出すと勝手に忍び込んだ。それを椎名に見つかっても全然動じない少年。彼は口がきけない代わりに、とっさにその場にある筆と染料を使って絵を描き出した。その達者さに思わず注目した椎名は、いつの間にかこの少年と関わりを持つようになっていった。そして椎名は、この不幸な境遇の少年にある種の共感を持ってもいたのだが…。

 だが、それに気付いた母親の岸本は快く思わない。怒りや苛立ちに頑なになってしまっている岸本は、椎名の少年への好意を安っぽい同情と決めつけて拒否した。あげくこの女のギスギスぶりはとどまるところを知らず、出稼ぎで帰ってきた岩城滉一にもついつい当たり散らす。そしてお定まりのように言い争い。これに耐え切れず、少年はパッと家を飛び出した。彼がまっしぐらに走って行った先は、案の定椎名の家だ。

 アツくなってキレる寸前といった風情の少年を見て、さすがの椎名もこりゃいかんと思った。高ぶる少年の気持ちを絵を描かせることで静めさせようとする椎名。そんな少年を追ってやってきた岸本を、椎名は無理やり椅子に座らせた。少年の希望で、このいつも怒った顔の母親に一世一代の化粧を施すのだ。そこからは例によって例のごとく華麗なるテクニック。

 美しく生まれ変わった岸本は、その心根まで変ってしまったようだ。忘れていた美しい女の気持ちを取り戻した彼女は、少年や駆けつけてきた亭主の岩城にも優しく接した。その時、歓喜のあまり少年が発した声を、物陰から見つめていた椎名は果たして聞き止めたであろうか?

 また椎名は、意外な人間ともつながりを持つことになった。いしだあゆみの呉服屋に女中として住み込んでいる池脇千鶴だ。

 いしだ奥様の下で働いているうち文化や芸術、中でも演劇に関心を持ち始める池脇だが、そんな彼女が奥様の本に目を通していたところを、厚顔無知無教養下品の女中頭・あき竹城が見つけたから大変。激しく叱責するとともに、字も読めない分際で…とテメエの無学を棚に上げて言いたい放題。さすがにこれは池脇も傷ついた。というより、あんな鈴木宗男並みの下品ヅラに無学をバカにされたのがカチンときた。お使いの行き来で通りすぎる本屋に立ち寄っては、そこの本を立ち読みして勉強する池脇。そんな彼女の姿を、椎名化粧師が目にとめた。

 やがて本屋の主人は彼女の熱意に根負けしたか、何と本を彼女にただでくれた。大喜びでお店に本を持ち帰った彼女は、それから寸時を惜しんで勉強を始めたわけ。そして何とかかんとか小金を貯めて、例の本屋にお礼を言いに行ったところ、意外な返事が帰ってきた。

 「そのお代なら、もう“化粧師”にもらってるよ」

 そう、彼女の熱心な様子を見ていた椎名が、本屋に金を出して買い取っていたのだ。

 こうして池脇も、椎名と親しい数少ない人間の一人となった。彼女は実は大火で焼け出されて今は空き地にバラックを建てて暮らしている難民の人々の出身。このバラック街に住む子供たちに夢を与えたい、いや、もし叶えられるなら…と夢を膨らませる彼女に、椎名は何がしかの共感を覚えたのだろうか。

 やがて池脇の勉強熱心は奥様いしだの知るところともなり、彼女に大事な本を貸してくれるようにもなった。そんな奥様に池脇は初めて本心を訴える。「私、女優になりたいんです!」

 これにはさすがのいしだ奥様も、ハイそうですかと言うわけにいかなくなった。う〜んと一言詰まると、池脇を諭すために一気に語った。女優は簡単ではない、女はそもそも人前で常に演じているという点で女優みたいなものだ、もし女優を志してこの家を出たら帰るところはもうないのだ…と。

 「それほどまでの覚悟が、今のあなたにあって?

 確かにそれは帰りの橋を焼き落とすほどの覚悟がいる。しかし運命とは不思議なものだ。ええいままよ…と彼女が悶々としているうちに、それは起こってしまったのだ。彼女が好むと好まざるとに関わらず、運命の扉を押し開けるしかない状況が。

 実は池脇の母親の菅井きんはじめバラック住まいの連中は、街の美化を図る役所に立ち退きを要求されていた。それを何とか延び延びにさせてきたのだが、もうそれもここまで。いよいよ強制撤去だということになってしまった。

 そしてその場にあの池脇も居合わせていた。

 彼女はここのみんなの事を考えたら、居ても立ってもいられなくなったわけ。偉そうな木っ葉役人どもが役所の作業許可の書類をやたらチラつかせているのを見て、その書類なしなら強制撤去も出来やしないだろうと飛びついて奪い取った。

 さぁ、池脇は書類を掴むと一目散にその場を逃げだした。お上の威光をコケにされた役人や警察どもはたまったもんじゃない。昔も今も巨悪は温存して弱い者はここぞとばかりにイジメる悪徳警察が、目の色変えて彼女の後を追いかける。多勢に無勢。さすがに彼女一人で逃げ回るのはシンドクなってきた。走り疲れて日も暮れて、シラミつぶしに探す警察の捜査の目をかいくぐり、最後にたどり着いたのはあの椎名「化粧師」の家だった。

 彼女のヤバい状況を見てとった椎名は、池脇に変装用の衣装と化粧を施してやって、彼女をこっそり家から出した。そして、そんな状況を例の天ぷら姉ちゃん菅野が一部始終見ていたんだね。

 この人は私には手が届かない、私にはどうにもならない…。

 菅野はその晩にそう悟った。それで、両親の持ってきた見合いの話を受けることになったわけ。そしてめでた事の写真とくれば、あの椎名「化粧師」の腕によりをかけた化粧テクニックとくる。菅野は椎名から最初で最後の化粧を施してもらうことになった。化粧する椎名と化粧される菅野、その二人の様はまるで男女の愛の交歓のように見えなくもなかった。

 ところがその頃、警察は魔の手を椎名にまで広げていた。いつもは後手後手に回るくせに、今回はなぜか手回し早く椎名の家に乗り込んで池脇が脱ぎ捨てた着物を押収。椎名逮捕に乗り出した。椎名が菅野、邦衛ら天ぷら一家とともに写真館を出たところ、椎名をパクりたくてウズウズしてるオマワリどもがウヨウヨやって来た。椎名はまるでそんなのお構いなしで、スタスタ歩いて通りすぎる。

 「おい、ちょっと署まで来い!」

 だが椎名はシカト。さすが反骨の男、オマワリごときの虎の衣を借る脅しなど怖くないか? まったく知らんふりして、涼しい顔で自転車に乗る。これには日頃威張ってヘイコラされることに慣れ切った、腐り切った根性のオマワリどもはキレた。オツムは軽いが腕力だけはあるオマワリどもは、逃げるんじゃねえと椎名の自転車を掴んで引きずり倒す。なにをするんだテメエ!

 池脇の着物を証拠に椎名を脅したオマワリどもは得意満面。これには今度は菅野がキレた。その着物はあたしんだよっと爆弾証言だ。証拠がなくなったオマワリどもは慌てふためき、ついには言わずもがなと一言を放った。「怪しくないなら、今なぜ逃げた?」

 これには言葉を詰まらせる椎名。オマワリどもは「してやったり」と一瞬ほくそ笑んだ。ところがここで事態は急転直下。菅野が一同の前にスックと立ち上がった。しかも、なぜかいきなりダースベーダーのお面かぶってライトセーバーを構え、息をスーハーさせながら周囲が唖然呆然とする爆弾証言第2弾だ。

 「ルークよ、私は××××××だ!」(笑)

 

 失礼しました(笑)。これは秘密中の秘密なんで、あえてこんな扱いにしたことをご了承ください。でもこれ書いちゃうと、「スター・ウォーズ/帝国の逆襲」終盤のあのセリフをバ〜ンと書いてしまうのと同じようなものだということを言いたかった(笑)。

 さて今回のこの映画、実は白状すると僕はあんまり見たいと思ってなかったんだね。石ノ森章太郎が「ビッグコミック」に連載していたという劇画の映画化。ふ〜ん…てな感じ。あの東京国際映画祭でコンペにエントリーされたと聞いて、逆に驚いたくらい。後でそこで脚本賞までとったと聞いて、もっと驚いたけどね。ともかく そんな作品の有り様から言っても、お話から言っても、見たいとは思わなかったわけ。それがちょっとした回り合わせで見ることになっちゃったんだけどね。

 で、見た結果を言わせていただければ、これ予想外に面白い。そして何とも堂々たる直球ストレート勝負の正当派映画なのだ。

 監督の田中光敏はCMディレクターやらビデオ、テレビなどで演出をやっていた人。そのキャリアからすると、何だかええカッコしいのチャラチャラした演出やさまざまな映像技法で固めそうなところ。ところが意外にもこの映画、上にも書いたようにまさしく直球ストレート一本勝負的な映画。だから、結構見終わってドッシリした見応えを感じる映画なんだよね。セットや衣装もかなり頑張っていて、大作としてのスケール感もそれなりにある。で、衣装やセットや撮影などの力が渾然一体となって、大正という「過去」の時代の古びた空気を実感させてくれるか…というと、ちょっとそこまでは残念ながら至っていないんだけどね。

 これは近作で言えば、切り裂きジャックが暗躍した19世紀末ロンドンの再現である「フロム・ヘル」あたりを比べてみれば分かりやすいかも。この「フロム・ヘル」ってそれなりに時代考証もしていればお金もかけているんだろうが、例えばスタンリー・キューブリックがかつてのヨーロッパの空気感まで再現しようとノー・ライティング撮影までした「バリー・リンドン」あたりほどには、「時代の再現性」を徹底させたものではないはず。だがそんな「フロム・ヘル」にしても、今回の「化粧師」と比べればその街並みや風俗の古色蒼然ぶりが段違いにいい。このへんの違いってどうして出ちゃうんだろうねぇ。やっぱ金かなぁ? それともセンスか?

 いや。ひょっとすると和洋折衷なんて悪趣味な近代化が進んだ日本の明治・大正・昭和って、いつもこんなシラジラした真新しさと背中合わせだった可能性はある。我々日本人は、少なくともこの100年ちょいくらいは、そんな「時代の重み」とは無縁だったのかもしれないね。だとしたら、この「時代色」の薄っぺらさは映画の罪でもキズでもない。むしろ「時代」を忠実に再現出来たという勲章かもしれないよ。

 そんな事まで思ってしまうのもこの「化粧師」、昔懐かしい風俗や風習や人情や心意気が一方で残っていて、片や新しい時代の気風や自由な考え方が入ってきている、そういった人々の心根の雰囲気は割とよく出している方なんじゃないかと思えるからなんだよね。そこは認めてあげたい。

 そして主人公の「化粧師」を縦軸に、さまざまな人々が錯綜する複雑構成の映画となっているわけ。実は僕が書いたストーリーは、あれでもたいぶ単純に整理してあるんだよ。本当はもっと前後左右に交錯してて、女性を中心とした主要人物たちがさまざまに行き交う。言うまでもなく、その「てこ」となるのが「化粧」だ。

 ともかく直球で実直なまでに丁寧にまっすぐ撮っているから、変に安っぽく揺るがないところがあって、そこはこの映画の美点だね。そしてそんな丁重な作り方が、良質な作品という重みを出している。

 ただねぇ、それが痛しかゆしってところもあるんだよね。

 この映画、先ほど言ったようにさまざまなエピソードが錯綜していて、途中いくつか力の入れどころというか、泣かせどころというか、キーワードの部分というか、ともかくポイントとなる箇所が出てくる。その最初のエピソードが顔に火傷を負った女房を化粧する写真館の場面であることは言うまでもない。ここは亭主役の川谷拓三ジュニア=仁科貴の血管切れそうな大熱演のおかげもあって、思わず泣ける名シーンとなっているが、これ以降に続くポイント箇所がどうも思うような効果を挙げていないんだね。

 それは例えば柴咲コウが椎名に「心の化粧は自分でするものだ」と諭される場面であり、あるいは口の聞けない息子と貧しさからギスギスしていた岸本加世子が椎名に化粧されて「もう一人の自分」の心の優しさを取り戻す場面であり、あるいは女優志願を告白した池脇千鶴が奥様いしだあゆみに「女は元々女優…」と諭される場面であり…当然ながら大半が「化粧」という行為で人生や人間性を象徴させようという「勘どころ」の場面だからツラいのだ。それは一体どうしてかと言うと、僕には二つの理由が考えられるんだよね。

 まず、理由の一つ目。「心の化粧は自分でする」も「もう一人の自分」も「女は元々女優…」も、言ってしまうとあまりに当り前で正論だ。早い話が、普通に聞いたらマトモすぎて平凡にしか聞こえない言葉なんだね。こういうメッセージを新鮮で説得力があり実感できる言葉として、見る者に「なるほど…」と受け取らせるには、演出によほどの馬力か工夫がなければ難しいんじゃないかと思う。だが、先にも触れたようにこの映画の演出は直球ストレート。良くも悪くもケレンがないんだね。だから、こうした「当り前」すぎるメッセージを強烈に焼き付けることに成功出来ていないんだと思う。

 理由の二つ目…これは作り手の問題か題材そのものの問題か分からないが、この作品の中心をなす「化粧」の描写の問題。ハッキリ言って「化粧師」なる特異な職業の男を主人公に、「化粧」を通じて人生や人間を描こうとするはずのこの映画なのに、化粧という行為をとらえた描写は数多いながらも、そこに費やされている上映時間は決して長くはない。そして描写そのものからも、さほどの驚きは得られない。レンズにフィルターをかけ、ハイスピード撮影をしている程度の仕掛けだけで、女の顔におしろいや紅を塗っているショットが普通に写される。それも被写体に極端に肉迫するわけでなし、化粧の作業を長回しで凝視するわけでなし、思いの他それは平凡な描写に終始するんだね。

 でも、僕ら観客としてはこの映画を「スーパー化粧プロの物語」として見ているわけだから、それなりのスーパーテクニックが描かれなければ見る側としての充実感は得られない。それは例えば野球マンガにおける「消える魔球」みたいな非現実的なものでなく、実際の化粧方法に即していながら我々に知られざる驚きを与えてくれるスーパーテクニックであるべきだろう。あるいはありふれた化粧の現場でも、普通とは違う驚きのある視点から見る工夫がなされるべきだろう(例えばマーティン・スコセッシ監督の「ハスラー2」におけるビリヤード場面の描写を想起して欲しい)。残念ながら実際の化粧のやり方というものが何をどう撮ってもビックリするようなものではなかったのか、それとも作り手の興味と考え方がちょっとばっかり狙いを反らしてしまったか、この映画では化粧場面が観客に特別の見る喜びや驚きを与えることはない。それがこの映画の抱える弱さの二点目だろうね。

 そしてこの「化粧」の描写がイマイチなことについては、正直言って僕は後者のほう…作り手が狙いをハズしたって可能性の方が濃厚だと思う。

 映画は「化粧師」というユニークな存在を通して、女と時代と世の中、人間と人生を描いていくのが狙いだったはず。脚本も明らかにそう構築されている。「化粧」を人間や人生のある種のメタファーとして扱っていることは、数々のエピソードの中でも明快だ。だが、残念なことに「そこまで」で満足して終わっている。中心に「化粧師」を置いて、周囲に「化粧」から連想される「人間」や「人生」のエピソードを配置する…それだけじゃ、映画として描き切ったことにならないはずだ。それはピザの生地の上にアンチョビとかサラミとかを配置したら「ミックスピザ」って訳じゃないのと同じことだ。味付けがいるだろう? 加熱しないとダメだろう? つまりそれが調理=演出するってことだろう?

 まずこれは映画だ。人間や人生を描くことが最終目標だからと言って、そこに人間や人生を思わせるエピソードを配置して終わり…じゃあ映画じゃないんだよ。それは「いい話になりそう」な要素がちりばめられた映画ではあるが、「いい映画」とは違う

 これって他でも何度も例に出したけど、「ゴースト/ニューヨークの幻」をなぜ僕が評価しないのか?…ということと相通じるものがあるんだね。

 ここで手っとり早く繰り返して述べると、デミ・ムーアとパトリック・スウェイジのロマンティックカップル、泣かせるオールディーズ、天国から見守る男の霊…ってのは、「いい話になりそう」な要素でしかない。それをただ並べれば「いい映画」になるわけじゃないってことを言いたいんだね。

 この映画「化粧師」では、作者は“「化粧師」をモチーフにしながら人間や人生を描きたい”…なんて語りつつ、たぶん「化粧師」そのものになんか興味なくって、人間や人生を描くための手段だとしか思ってないのが本音だろうと思う。それはそれでいいんだけど、その気持ちが映画にそのまま出ちゃってる。だから出来上がった映画において、単に人間や人生を語るエピソードを陳列しただけで満足しちゃってるんだね。それで「描いた」気になっちゃってる。このへんいかにも「文科系」の発想という感じがするんだけど、なぜそう僕が思ったかについては一晩かかっても語り尽くせないから、まずはここまで(笑)。

 でもいやしくも「化粧師」と「化粧」を「てこ」にして、人間とか人生とかいった掴みどころのないものを描こうと言うなら、その核となる部分を映画としてきちんと提示出来なければちょっと企画倒れじゃないだろうか。説得力たっぷりに驚きがあって面白みのある描き方で、視覚的に観客を惹き付けながら「化粧」という行為を映像化出来なければ、やっぱり映画としてはイマイチ弱いと言わざるを得ないと思う。それでこそ、脚本に書かれたあまりに真っ当なメッセージをも、「なるほど」と観客に納得しうるものに出来たものを…。そこが何とも残念だ。実直一辺倒の演出が災いした点だね。

 ちょっとこの映画に対して厳しいことを言い過ぎちゃっただろうか? 確かにとても可能性を秘めた映画なので、ちょっと注文も多くなりすぎてしまったかもしれない。ただこの直球ストレート演出は、その他の部分では前述のようにいい方向に機能している点も多い。功罪相半ばすると言うか、先ほど「痛しかゆし」と言ったのもそんなわけなのだ。一長一短とでも言えばいいのかな?

 そして僕はやっぱりコチョコチョ小手先でスケールちっちゃくつくらなかった点を、ここでは評価すべきだと思う。見終わった時の見応え感と感慨は確かにあるからね。

 そしてもう一つ評価したい点は、主人公にまつわるサプライズをきちんと大事に描き切った点。ここは映画としてポイントが高いと思う。僕はこのあたりは積極的に評価したいね。一見、手塚治虫の「ブラックジャック」化粧版…ふうに見えて、実は微妙に違う。そのニヒルさに見える部分まで、実はサプライズのための導火線だったと言うのは見事だね。これは正直に面白かった、あっぱれと言いたい。

 主役の椎名桔平も、そのへんのサプライズも込みで丁重に演じていて好感が持てる。そして元々うまい子だなぁと思っていたが、ヌード写真集発表あたりからキャラクターが屈折してホラーやキレた役しかやらなくなっていた菅野美穂も、久々に本領発揮して気持ちいい好演。それ以外の俳優たちもなかなかいいが、唯一バラックの住人・菅井きんだけがやりすぎちゃってスベっているのが残念だけどね。

 まぁいろいろ文句はつけたけど、丁寧に誠実につくっている態度も好感持てたし、何しろ出来上がった映画そのものも堂々として恥ずかしいものではなかった。だから僕は結構買ってます。それ以上に、演出とは何か、「面白そうな要素を並べる」ことと「面白く描く」ことの違いは何か…を考えるきっかけを僕に久々に与えてくれただけでも、価値ある映画であることは間違いないと思うよ。

 「痛しかゆし」も、決して悪いことじゃないよね。

 

 

 

 

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