「ムッシュ・カステラの恋」

  Le Gout des Autres

 (2002/02/11)


  

北海道の雪印アイスならうまいはず?

 僕って北海道とは割と縁があって、子供の頃から何度も行ったことあるんだよね。その時は「旅行」だったんだけど、後には親父が函館に単身赴任になっちゃって、休みのたびに行くことになっちゃった。だから、もう何度行ったか分からないね。

 そんな北海道のイメージはと言うと、道内の人間はともかく外から訪れた人間からすると、食い物がうまくて豊富で新鮮で良質だということがまずあるだろうね。

 シーフードがとにかく新鮮でうまい。だだっ広い大地に育まれた農産物がうまい。そして、どれもこれも本州で食うより新鮮で安い…に決まってる。これは北海道を訪れた外地の人間なら誰しも思うことだろう。かく言う僕もその一人。

 それは僕が初めてか二度目に旅行ツアーで北海道を訪れた小学生の頃のこと。だから今から30年くらい前のことと思いねえ。 バスに乗って道南から道央の名所をぐるりと回るバスツアーに、僕は母親に連れられて参加していた。そして何日目かに訪れたのが、北海道が誇る乳業メーカー=雪印のアイスクリーム工場だった。

 ところで当時のことだが、国産アイスクリームの業界にちょっとした新しいブームがあったんだね。当時はハーゲンダッツなんて「高級アイス」はまだ国内市場には姿を見せていなかった。舶来品なんか、とても高くて手が出なかったからね。グルメブームなんかも影も形もなかった頃…日本が経済大国になるかならないかって頃だったからね。若い人にはそこのところ分からないかな。ともかく、その当時の国産アイスクリームでは「乳脂肪分」を高くすることが流行っていたんだね。

 今じゃ「乳脂肪」なんか増やしたら健康に悪いなんて騒ぎそうだけど、当時はそれが贅沢の証明というわけ。それだけミルク成分を含んだおいしいアイスってことだからね。最初は確か乳脂肪分3パーセントのアイスが、初めて成分表示を前面に押し出した画期的な商品として登場。それから各社競って乳脂肪分の高いアイスを次々発売した。最終的には10パーセントか11パーセント表示を「売り」にしたところでブームは冷えたように思うけれど、僕が雪印の工場を訪れたのはそんな高乳脂肪アイス全盛の頃ということを知った上で、以下の文章を読んでいただきたい。

 ここでは観光客に工場見学をさせて、最後に自社製品のアイスを食べさせて終わりという、お約束のコースを体験させることになっていた。工場見学では、雪印とその製品がいかに北海道の大地の恵みを活かしてつくられているかを、これでもかこれでもかとイヤになるほど訴えかけてきた。その言いたいことは子供心でも十分分かったよ。

で、いいかげんウロウロ歩いて体も熱くなった、ノドも乾いた、何か冷たいものが欲しいというところになって、最後にアイスクリームが出てくる演出。こりゃあニクいね。みんな思わず手にとってパクつく。そしてスプーンなめなめ大声で叫ぶわけだ。

 「さっすが北海道、牛乳たっぷりなうまいアイスだなぁ!

 ちょっと待っていただきたい。

 実は僕も、そんな牛乳たっぷり甘いアイスを、すごく楽しみにしていたのだった。しかもここは北海道、それも雪印の工場。ハンパなものは出さないだろう。会社のプライドにかけて、本当にうまい牛乳たっぷりの製品を出してくるはずだ。そしてこうキメるだろうよ、「アイスもやっぱり雪印です!」

 だが、僕はちょっと変だと気付いた。いつものうちの近くのお店で買っている、あのアイスのうまみすらない。回りの大人たちがうまいうまいと大騒ぎしている最中に、僕一人はアイスのパッケージの成分表示を見つめていた。

 「乳脂肪分2パーセント」

…だったか1パーセントだったか。もう昔のことだからよくは覚えてないが、ともかくそれは高乳脂肪分アイスの先駆となった3パーセントにも満たないシロモノだったことは間違いない。それに気付いた僕は、さすがに思いっきりシラケたな。確かにみんな喜んでいるのに、一人だけシラケてる僕はイヤミなガキであったことは確かだろう。だけど、勝ち誇ったような得意気な顔してアイスを披露した雪印社員に、何とも言えない不信感を抱いたことはウソじゃないよ。それは、今ちょうど雪印が騒がれているからデッチあげたエピソードじゃない。まぁ考えてみると、この時から雪印の体質って根本的に変らなかったとは言えるんだけどね(笑)。

 でも僕がショックを受けたのは、実はそんなことじゃないんだ。

 僕が一番衝撃を受けたのは、その場にいたみんながみんな、やっぱり北海道のアイスは「牛乳がたっぷり入っててうまい」と一人残らず思い込んでいることだった。北海道だから?業界トップの雪印だから?ここまで工程を見せたあげくに食べさせるアイスが良質でないわけがないから?…でも、たった今自分が口に入れているものの、本当の味すら分からないんだぜ。そんなことって信じられるかい? ともかく人間の判断力なんてアテにならないもんだなぁ…と子供心に思い知らされたよ。

 そしてそれ以来、他人の判断はまず疑ってかかることにしてる。正直言うと、よっぽど信用してる人じゃないと映画が面白いかつまらないかの評価すら真に受けないよ。分かったと思うことと、本当に分かっていることとの違いが分かる人間は、実際極めて少ないからね。

 結局、人間思い込みや暗示には徹底的に弱い。本当に自分の腹から分かった実感での判断なんて、なかなか出来るもんじゃないんだねぇ。

 

オヤジ社長とそれを取り巻く人間群像

 レストランで昼食をとる男二人、ジェラール・ランヴァンとアラン・シャバ。二人は何だかヤバそうな話をしている真っ最中だ。同じレストランではちょっとした会社の社長ジャン=ピエール・バクリのボディガードその妻クリスティアーヌ・ミレが、会社の経営コンサルタントのグザヴィエ・ド・ギユボンと昼食を取りながらいろいろな仕事の段取りの話の最中だが、バクリ社長は経営コンサルタントのギユボンには仕事のことであれこれ指図され、妻ミレにはやれ甘いモノ取りすぎると文句を言われ、何だか冴えない表情。あげくコンサルタントのギユボンに仕事のためには英語の勉強もしてくれなどと言われ、英語の個人教師の予約までされたと聞いてはウンザリせざるを得ない。おまけに今夜は、妻ミレが女優のタマゴの姪の芝居を見る約束まで入れちまった。何ひとつままならないとボヤく社長バクリは、そもそも芝居とか本とか小難しいことが大嫌い。そうそう、社長バクリご一行が店を出るときには、例の男二人ランヴァンとシャバも同行だ。実はランヴァンは社長のボディガード、シャバは社長の運転手。保険会社から社長の身柄を守るよう命じられ一日中貼り付くことになったランヴァンは、いきおい一日の大半を運転手のシャバと過ごすことになったわけ。

 さて会社に戻ってきたバクリ社長は、早速やって来た英語の女教師アンヌ・アルヴァロと面会。だが彼女が授業中は英語だけしか使わないと言い出したとたんカチン。こんなクソ面倒くさいことやってられっか!とばかり追い帰した。

 さて、夜は難行苦行の芝居見物だ。小劇場でのクソ気取った芝居とウンザリしていたバクリ社長だが、妻のミレと一緒に芝居にケチをつけているうち、何となく芝居に惹きつけられて感動しているではないか。それと言うのも主役の女優の演技が素晴らしかったから。そしてその女優が誰あろう、あの英語教師のアルヴァロだから人生は不思議。彼女は女優のサイドビジネスとして英会話の先生をしていたのだ。

 そんな社長夫妻の芝居見物の間、ランヴァンとシャバはロビーで待機。ランヴァンにタバコを買ってきてくれと頼まれて外のバーに出かけたシャバは、その店でウエイトレスのアニエス・ジャウイに声をかけられる。彼女曰く一度寝たことがあるとのことだが、シャバは思い出せない。それがどうしても気になって、シャバは彼女とデートする約束を取り付けた。

 そんなシャバはアメリカに仕事で出かけた恋人がいた。だがここ何週間か連絡がない。それでも彼女を信じてると語るシャバは、基本的に人を信じやすいお人好し。対してボディガードのランヴァンはちょっと人間不信のところがある。昔、刑事だった時に汚職捜査で挫折し、同僚にも警察にも失望して辞めたという経緯が、彼の不信感の原因なんだろうね。世の中厳しい、人は信用できない、他人には深入りしないというのが彼のモットーだ。彼に言わせれば、シャバのお人好しぶりは歯がゆくて見てられないということになる。俺みたいに油断なく世の中渡ってないと、そのうち酷い目にあうぞ。

 さて、芝居と女優アルヴァロに感動したバクリ社長は、引き揚げる彼女に声をかけようとするが思うに任せない。そんなアルヴァロはというと、例のジャウイがウエイトレスをやっているバーにやって来る。ここは彼女の行きつけの店なんだね。ジャウイはここのウエイトレスを勤める傍ら、マリファナの密売もやっててちっちゃく儲けている。アルヴァロもその上客の一人なわけ。もちろん単に顔見知りの知り合いでもある。アルヴァロは最近何となく疲れを感じて、ジャウイについついグチをたれる。いつまで女優やってられるのかとか、先行き不安だとか、男を見つける気力もないとか…もっともそんな不安と寂しさゆえに男が欲しいという本音は、何よりその顔にでっかく描いてあったけどね。

 その頃、バクリ社長の妹ブリジット・カティヨンが男と別れて家を出た。そこでバクリ社長の妻ミレが世話を見ることになり、まずは彼女が住む部屋を確保することになる。ところがミレは壁紙からインテリアからいちいち口を出す。それがどれもこれも花とかチャラチャラしたお嬢様趣味のシロモノばかり。いいかげんカティヨンは閉口しているにも関わらず、自分はこんなに一生懸命やっているとか彼女より自分の趣味がいいに決まっているとか、勝手に思い込んで言いたい放題やりたい放題。そう言えばこの人、自宅でも花とか少女趣味のインテリアで埋め尽くしていたっけ。おまけにバクリのやる事なす事いちいち文句を言いまくってた。とにかく絶対自分が正しいと信じ込んで、人には人には考えや好みがあるなんて思いもしない、徹底的に押しつけがましい善意のエゴイストなのだ。日に日にミレとカティヨンの仲は険悪になっていく。

 バクリ社長は翌日も劇場にこっそり出かけて、芝居とアルヴァロの演技を堪能。しかし芝居はこの日が千秋楽だった。意を決して楽屋に行って、アルヴァロに声をかけるが惨憺たる結果。元々口がうまくないところへきて、芝居など訳も分からぬ庶民的かつちょいとお下品なお人柄、さらには例の英語教師としての初対面の印象の悪さが災いした。てんで相手にされずにシドロモドロで追い帰されたが、これでメゲてはいられない。何と彼女を英語の個人教授として雇って、よせばいいのにマジメに英語の勉強を始めることになったわけ。こうなりゃ客だから文句は言えないが、こんな知性ゼロで下品な男など真っ平ごめんと、アルヴァロは終始一貫ウンザリしてバカにしているわけ。それでもバクリ社長は一緒にいられれば幸せなんだけどね。

 その頃、ランヴァンとシャバの男二人の間柄もいろいろあった。最初はシャバがつき合ってたウエイトレスのジャウイだが、いつの間にかランヴァンに乗り換えられている始末。でも、お人好しのシャバは怒らない。アメリカに行った彼女が浮気をしたと手紙が届いたが、それも仕方ない。どこまでも貧乏クジ引きまくりのシャバ。

 ランヴァンとジャウイはと言うと、元々男性中心主義のランヴァンと自由気まま主義のジャウイとは相容れないところもあってギクシャクしながらも、お互いの魅力に惹きつけられて結婚も考えたりする。でも、それを素直に相手にぶつけられない二人。途中ジャウイの売人稼業に腹を立てたランヴァンと、彼の亭主ヅラに怒ったジャウイがケンカを繰り返したこともあったが、何となく今度の社長のボディガードの仕事が終わったら結婚しようなんて話になったりしてる。でも、どこまで本気なんだろう? 特に人間不信が根強いランヴァンはどうか?

 バクリ社長はと言うと、アルヴァロに夢中で彼女の行くところどこにでも顔を出す。それを面白がったウラディミール・ヨルダノフら彼女のお仲間連中は、どこにでも彼を連れ回すんだね。そして教養のないバクリをバカにして、わざわざ彼を煙に巻く会話をしては楽しんでいる。そんなバクリの様子を見ては、みんなは大いに笑い、アルヴァロはウンザリするのだった。それでもバクリ社長はゴキゲンだった。アルヴァロのお仲間の画家の個展に出かけていった彼は、そこにある絵を思わず買ってしまう。それはアルヴァロやお仲間の気を惹くためだったのか、それとも…。

 ある日、英会話授業の宿題として書いた作文の中で、ついに愛の告白をしてしまうバクリ。さすがにアルヴァロは当惑し、何もなかった事にした。これにはバクリ社長、相当なショックを受けてしまうんだね。

 そんな折りもおり、バクリ社長はこの英会話授業のせいで商談に遅刻してしまい、お膳立てした経営コンサルタントのギユボンに厳しい言葉を投げつけられる。これにはバクリ社長も激怒。それまで何かと言えば気取った口調で話しかけるギユボンが高学歴を鼻にかけ自分を見下していたように思えたところに、この時はアルヴァロにフラれた直後とタイミングも最悪だった。俺をバカにしやがってとばかり話し方から何からギユボンを思い切り罵倒。夜な夜なランヴァンとシャバの男二人を連れて夜遊びを始めた。

 翌日、バクリ社長はいくら待っても英語授業に来なかった。アルヴァロはこれでせいせい…となったはずなのだが、何だかどうも気持ちが重い

 一方、例の絵を買ってからバクリ社長の中で何かが変わった。家の中で妻ミレに邪険にされながらも例の絵を飾って悦に入るバクリ。ついにはこの画家と代理人のヨルダノフに会社の外壁デザインを任せようとする。この話を聞いてアルヴァロはさすがにマズイと思った。きっとバクリ社長は自分の気を引こうとしたんだ。そこを見透かしてみんなでダマして、カネづるにしようと思ったに決まってる。意を決したアルヴァロは、単身バクリ社長の会社を訪ねることにした。

 だが、彼女を迎えたバクリ社長は意外なことを言った。彼は本当に例の絵が気に入ったと言うのだ。自分は教養のない男だ、君とも釣り合わない別の世界の住人だ、だから絵なんか分からないと思われても仕方ないのかもしれない。

 「だが君は僕が本当にあの絵を気に入ったとは考えなかったのか?」

 バクリ社長の会社を出て、帰り道を急ぐアルヴァロの足取りは重かった…。

 

ジャウイ&バクリのゴールデン・コンビの映画

 この映画の情報を初めて聞いた時、アニエス・ジャウイとジャン=ピエール・バクリのコンビの脚本と知って絶対面白いに違いないと思ったね。

 というのも、僕はこの二人の名前をセドリック・クラピッシュの「家族の気分」で初めて知ったんだけど、これが何とも面白かったからね。これって元々は舞台劇で、その元ネタの台本からクラピッシュ映画化のための脚色に至るまですべて手がけたのがこの二人。それだけでなく二人は役者として出演もしている。というか、この両人は本来役者なんだよね。「家族の気分」の中でもなかなか個性的なツラがまえ演技で印象を残しているわけ。で、書いてもよし演じてもよしの男女コンビという、世界の映画界でも稀なチームとして記憶に残ったわけ。まぁ、この二人のコンビネーションが公私ともにわたっているというのは、そのまた後に知ったことなんだけど。

 次にこの二人の名を見かけたのは、何とアラン・レネのミュージカル(!)「恋するシャンソン」の脚本・出演。あのレネがミュージカルを…というミスマッチ感にド胆を抜かれたものの、どうもそのミスマッチ感は最後までぬぐえなかったのか、残念ながらあまり成功作という印象はない。しかし既存のシャンソンの数々を劇中に放りこんで一編のミュージカルに仕立てるという作戦、元々それらのシャンソン名曲に馴染みの薄い我々日本人には楽しさの半分も伝わらなかった可能性は大。それによくよく考えてみれば、これって「ムーラン・ルージュ」の構想をはるかに早く先取りしていた企画ではないか。そう考えてみれば、またまたこのカップル侮れない仕事ぶりだ。

 他にもこの二人の仕事はいろいろあるようだが、残念ながら日本に入って来たもので僕が意識して見たのはこの2本くらい。それでも二人の名前に注目せざるを得ない活躍ぶりだった。その二人がまたしても脚本・出演。「家族の気分」に次いでまたしても複数登場人物によるアンサンブル演技を見せる作品。そこに来てさらに、今までは才能ある監督とのコラボレーションで作品づくりしてきたこのコンビが、初めて自らの演出で映画づくりに乗り出して…と来れば、これは注目しないわけにいくまい。大期待して劇場へ出かけて行ったわけだ。

 今回演出に乗り出したと言っても、実は監督としてクレジットされているのはジャウイの方。その代わりアンサンブル演技の中心、ほぼ主役と言っていい要の役にはバクリが当っているところが嬉しいね。予想通り、この作品はコンビが初めて全面的にコントロールしてつくった映画に間違いない。

 で、やっぱり面白いんだよ。あの「家族の気分」を彷彿とさせる、絶妙で複雑な味わいの人間群像のブレンドで見せる映画。登場人物はみな等身大で、他の映画に登場するような絵に描いたような愚か者、絵に描いた悪人、絵に描いたようなヒーロー、絵に描いたような魅力的な女…な〜んてものは出てこない。

 まず主人公のカステラ社長ことバクリの役柄からしてそうだ。叩上げで会社を築き上げたらしい人物で、金があり何でも思ったことをズバズバ口に出す。教養も知性もあまり感じさせないし、第一本人が気取ったことは大嫌い。デリカシーもゼロ。下品なオヤジ体質丸出し。

 そんな他の映画ならさんざ笑い者にされる人物のはずのバクリ演じる主人公は、確かにここでも笑いの対象にされている。だがそれと同時に、対照的な彼を取り巻く人間たちにも同様なまなざしが注がれる。そんな彼が女優兼英語教師のアンヌ・アルヴァロに惹かれていくうちに、周囲の人間たちのさまざまな顔があぶり出されるからだ。

 まず社長の妻。本人は義妹のために骨折って部屋の飾り付けやってあげてるつもりだが、それが大きなお世話だとは気付かない。道端に傷ついて落ちた小鳥を拾ってやるのはいいが、そのために道路の真ん中に車を停めさせて迷惑をかけているとは考えない。しかも自分がその小鳥の世話を診ると言って頑張ったあげく、医者に診せなかったために結果的に死なせてしまう。社長の身の回りも何かとうるさくコントロールするこの女、このどこまでも独善、どこまでもエゴイスト、しかも本人は善人気取りな人間像って確かにどこかでよく見るパターンだよね。この女は自分に過度に満足しきってて、その本当の姿を見ようとはしない。自分が昔から抱えている自分にとっての「常識」のモノサシだけで計って良しとしている。本当はそれって人から見れば「非常識」なのかもしれないのに。

 人間不信の塊であるボディガードと無類のお人好しである運転手の、男二人のコンビネーションも見ていて楽しくなるが、ここでは特にジェラール・ランヴァン演じるボディガードの方が興味深い人物だ。不正を正せない警察の腐敗ぶりが彼の人間不信の原点にはあるようだが、それがトラウマになってか、いざ愛する女が現われても素直に心を開けない。一方そのお相手ともなるアニエス・ジャウイの方も、彼にゾッコンで結婚しようか?などと語ってみても、あくまで冗談めかしてその場をごまかしてしまう。人を信じやすい運転手のアラン・シャバを愚か者扱いするランヴァンだが、現実主義的であることを良しとするその考え方に縛られて、実は肯定的で楽観的な柔軟な考え方からどんどん遠ざかっていく自分のさらに輪をかけた愚かさには気付かない。本当は結婚して平凡な幸せを得たいジャウイだが、唯物主義者気取りが板に付きすぎてしまった今となっては、そうそう宗旨替えも出来ないし回りもそうは見てくれない。どちらも自分でつくった固定観念やバリアが、自分の本音を見えなくしている。そして、自分が本当は何を欲しいかが分からなくなって、結局それを手にいれることが出来ないのだ。

 このランヴァンとジャウイのカップルの顛末は、とても象徴的だ。社長のボディガードの仕事が終わったら結婚しようなどと、ウソか本当か分からぬままに約束を交した二人。ランヴァンはその言葉通り仕事から解放された足でジャウイのアパートを訪れるが、結局ドアのベルを鳴らす直前に躊躇してそのまま去ってしまう。ジャウイはと言うと、そんな彼の来るのを心待ちにしながら、アパートの窓からカーテンに隠れて様子をうかがったままだ。ひと声かければ何かが変ったはずなのに、そうはしようとしない。自分で掲げたつまらない旗印を後生大事にしたあげく、二人は幸せを棒に振ってしまった。

 バクリ社長に惚れられたアンヌ・アルヴァロもそうだ。自分の今後が不安だ、愛する人を得られないかもしれない…などと大いに悩んでいるにも関わらず、さりとてなりふり構わず相手を探すのは見苦しくてイヤだ。そして自分に好意を抱くバクリ社長の単細胞ぶり無教養ぶりを見るにつけ、元々の悪印象も手伝って、どんどんモノの見方が軽蔑や侮蔑の方向に転がっていく。腹を割って付き合ってみればなかなかの好人物だということが見えなくなってしまう。そして、多少物事の考え方やセンスや価値観が違うからと言って、相手をバカにしたり見下したりすることがフェアじゃないということをコロリと忘れてしまう。相手が自分に惚れた弱みで下手に出ているのをいい事に、さんざなぶり者にしてしまう。これが本当に芸術や文化に理解があり、感受性が豊かで知性にあふれた人間のやることなのだろうか?

 あげく社長が画家たちに仕事を与えようとすると、どうせ芸術なんて分からない男だとタカをくくったアルヴァロは、好意のつもりで「何も分かっていない」はずの社長に注意しにノコノコ出かけていく始末。彼女はそこで決定的に自分の間違いに気付かされてしまうのだ。

 「君は僕が本当にあの絵を気に入ったとは考えなかったのか?」

 芸術など分からないバカと、タカをくくっていた相手。だが、芸術を好きになるのに理屈はいらないはず。そんなセコい発想でしか芸術も考えていなければ、人間のことも考えていなかった自分こそが、真に「分かっていない」人間だった。それに気付いてアルヴァロは愕然となるんだね。そして、社長は理屈が嫌い、気取りが嫌い、変な知識も持っていないがゆえに、本当に純粋な気持ちで芸術が理解できたのだろう。まるで中学生みたいにみっともないまでに、アルヴァロへの恋心を露わに出来たのだろう。

 だが、そんな社長とても規制概念、固定観念の虜になることから完全に免れていたわけではなかった。経営コンサルタントのグザヴィエ・ド・ギユボンが無教養な自分を高学歴ゆえに見下して、気取ったしゃべり方でバカにしているとばかり思い込んでいたバクリ社長。たまたま仕事上のトラブルが起きた時、自身のご機嫌の悪さも手伝って、積もり積もったうっぷんをついついブチまけてしまったんだね。

 「人をバカにしたクソ気取ったしゃべり方はやめろ!」

 やがてギユボンはバクリ社長に辞表を提出する。自分とあなたとは合わない、気取ったしゃべり方は自分が昔からそう教わってきたからだ、今さら自分には変えられない…。ギユボンが初めて腹を割って言ってくれた告白を聞いた時、社長は自分の浅はかさを悟るんだね。そしていつも態度のデカい下品なこの社長が、頭を下げて頼むのだ。俺が間違っていた、辞めないでくれ…と。

 それは自分の軽率な発言によって、有能な部下に去られたくないという気持ちもあったろう。だが、それよりも社長には恐れたことがあった。無教養、無知とバカにされた自分…その苦々しい偏見の痛みを十分味わった自分が、結局この部下にも逆の意味で偏見を投げつけては、まるっきりシャレにならないではないか。余計な理屈や気取りはなし、真っ正直と本音だけで勝負が取り柄のこの俺。バカにされ偏見で見られたがゆえの痛みを知っている自分ではなかったか。

 人は誰でも何かを思い込みで見てしまう、固定観念で自分を縛る、規制概念で人を値踏みする。だけど、本当のホントのところはそのままでは分からない。相手の真価も、思い込みで見ている当の自分のバカさ加減も、そして相手と自分が本当のところは何を望んでいるのかも。ではどうすれば分かるのか?

 それは、このバクリ扮する社長の態度がすべてを物語ってる

 謝るしかないんだよね、恥ずかしいかもしれないけれど。間違っていたら素直に非を認めるしかないだろう。それで何とかスタートラインに戻るしかない。それを認めるのは確かにツラい。僕もそういう場面では何度も胃が痛くなった。だけどそうしなければ、その方が後でボディブローみたいに効いてくる。雪印みたいに、立ち直れないほどのダメージになって返ってくる。

 僕もずいぶんバカな思い込みで、人を傷つけたりイヤな思いをさせたりした。そう分かった時は、それはとにかく謝ったよねぇ。その時はマジでツラいよ。相手にも理解されないでボロボロになったりもした。でもそれで背を向けていく人間ならそれだけの人だ。分かってくれる人は分かってくれた。その後は、お互いが前よりずっと近づいた気がしたよ

 だって自分の小ささを認めること以上に、勇気のいることはないのだから。

 

 

 

 

 to : Review 2002

 

 to : Classics Index

  

 to : HOME