「スパイ・ゲーム」

  Spy Game

 (2002/01/07)


  

損をすることを恐れる人々

 年寄りの繰り言と笑って聞いていただきたい。

 僕は周囲の同年輩の連中が、若い奴らのことを悪く言うのを聞くのがイヤだ。なぜなら、その大半が自分たちが失った若さを妬んでの恨み言に過ぎないからね。それを「常識を知らない」とか「礼儀がなってない」とか正当な理由に置き換えているだけ。ハッキリ言えばいい。若い女にモテて気にくわないとか、アソコが立つのが妬ましいとかさ(笑)。

 それに、仮にそこで言われていることが正論にしても、それって自分たちだって若い時にやってきた事だからね。俺の若い頃は違ったなんてウソは言うなよ。俺は全部見てきたぜ。まったく礼儀も常識もなっちゃいなかったよな。だから俺たちにとやかく言う資格なし

 それに常識持って礼儀正しくって、年寄りの喜ぶようなことばかり言ったりやったりする若い奴って、そんなのどこが魅力的なの? それじゃ若い奴とは言えない。若い頃は生意気ぐらいじゃなきゃダメだ。年寄りにタテつくようじゃなきゃ見込みがない。向こう見ずくらいがちょうどいい。妙に収まりがいいような人間なんざ、タカが知れてるよな。

 だが、そんな僕でも若い連中のある部分だけは、何とも我慢がならないのだ。それは、すぐに「やっても無駄」「意味がない」と言う言葉を吐き、醒めた態度をとること。特に最近、これが顕著なんだよね。

 一体、何を根拠に自分の方が分かってるという態度でそんな言葉を吐くのか。その自信、一体どこから来るのかね。その言葉や態度の示すのはいつも同じ。「どうせ世の中そうなってるんですよ、人生そうなってるんですよ、そんな事も知らないで熱くなってるあんたはバカじゃないの?」…それって自分の方が賢いって意味なのかね? みんながみんなそうではないが、大なり小なりこういう傾向がある連中が増えた気はする。

 確かにひょっとしたら、若くても彼らのほうが僕なんかより物事知っているのもしれない。単に僕が井の中の蛙なのかもしれない。でも彼らが僕より視界が広いとしても、それはより大きい井戸の中にいるってだけかもしれないじゃないか。そしたら井戸に変わりはない。世界が見えてるわけじゃないだろう?

 結局、こういう連中は何だかんだ言って何かやりたくないんだよね。なぜやりたくないかって? 実はこうした言動って、決して怠け心から出てきたものじゃない。そして、何でもかんでもやりたくない訳じゃないみたいなんだ。ただ、こうは言えるんじゃないか。絶対確実にうまくいくならやる。でもひょっとして無駄に終わることがあるかもしれないなら、自分たちは一切やりたくない。指一本だって動かしたくない。

 つまりは得になることしかしたくない、ちょっとでも損はしたくないって訳なんだよね。

 それが損かどうか分からないじゃないかと言う論議はさておき、まず僕が引っかかるのは物事を損得勘定そろばんづくでとらえる考え方だ。いや、こいつは少々意地悪な見方だったかな。じゃあ、それは彼らなりの「現実的対応」ということになるだろう。事実、彼らは自分たちの方が「現実的」だと評価しているのだろうからね。そして、ある意味ではそれは正しい。ただしルーティン・ワークで波風立ってない時ならば…の条件付きだが。

 僕が本当にイヤなのは、実は損得勘定をすることそのものではない。仮にそうしたっていい。問題はその先だ。

 なぜ、損をしちゃいけないのか?

 

決して負けられないゲーム

 1991年、中国は蘇州の刑務所に一台の救急車が急行した。刑務所内でコレラが発生したため、急遽予防注射が行われることになったのだ。駆けつけた医師たちはテキパキと作業を進めていたが、そのうちの一人がうっかり感電事故を起こして即死した。彼の遺体は別室に安置され、全館が停電状態のまま囚人たちの注射が行われる。ところが死んだはずの医師はむっくり起きあがった。その医師ブラッド・ピットがただ者じゃないことは、誰がどう考えても一目瞭然だ。ブラピは刑務所内を歩き回ってある囚人を連れ出そうとする。しかしあとちょっとのところで作戦は失敗。ブラピは脱出できずに拉致されてしまった。

 その頃米国ワシントンDCでは、一人の初老の男が香港からの電話を受けていた。男はロバート・レッドフォード。電話の相手は香港の米国大使デビッド・ヘミングスだ。ヘミングスはブラピ拉致の知らせをレッドフォードに知らせるために電話していたのだ。その知らせを聞きながら、レッドフォードは車を走らせ、あの悪名高いCIA本部の建物に向かった。彼ロバート・レッドフォードはCIA職員。この日が定年を迎える日で、後は悠々自適の隠退生活を南国で迎えるハラだった。そこへこの知らせだ。彼は平静を装いながらもブラピの資料を隠すように秘書マリアンヌ・ジャン=バティスタに指示した。

 何も知らぬげに作戦会議室にウロチョロするレッドフォード。あちこちつつき回して情報を集めると、どうやらブラピが中国の刑務所で捕まったらしいと分かる。こうした裏芸はレッドフォードの得意技。そこに会議室に集まった作戦本部のラリー・ブリッグマンはじめお歴々からのお呼びだ。

 「あのブラッド・ピットについての資料はないのか?」

 なぜブラピの情報が必要なのかという説明なしの要請に、内心ムッとくるレッドフォードだが、そんな反抗的態度はおクビにも出さないところは、さすがの年期の入った腹芸。だが彼の方ではすでに必要な情報はあちこちからかき集めてきていた。お偉いさん連中はブラピが単独で行動に出て迷惑してる様子。来たる中国との通商交渉にも不利だとおかんむりだ。だがレッドフォードも、部屋を空けている間に連中が家探しまでさせたらしいとあって、ますます気に入らない。こうなりゃ成り行きを見届けてやるとばかり、会議室に腰を据えることにした。中国側は翌朝にはブラピを処刑するつもりだ。だが、どうやらCIAは彼の単独行を無視して黙殺する様子。つまりは見殺しだ。それを察したレッドフォードは、裏で手を回してマスコミにブラピ逮捕をリーク。何食わぬ顔でお偉いさんたちの質問に、レッドフォードはそもそものブラピとの出会いから話し始めた。「あれは1975年、ベトナムでのことだった…」

 その時レッドフォードは暗黙の敵ラオスの高官暗殺を画策してベトナム入りした。そこで紹介された米兵の腕の立つスナイパー、それがブラッド・ピットだった。彼は作戦を説明するとすぐに乗ってきた。そして予想外の悪条件にも関わらず作戦を成功させ、何とか生還してきた。こいつは使える! レッドフォードは彼をCIAの工作員として使うべく、まずは西ドイツの米軍施設に送って内勤ばかりやらせてクサらせた上で接触。案の定内勤にウンザリしていたブラピはCIA工作員の話に飛びついた。このへんの細やかな根回しのうまさはレッドフォード一流のもの。こうしてレッドフォードはブラピにスパイのノウハウを付きっきりで教えた。きっと「リバーランズ・スルーイット」みたいにフライ・フィッシングも教えたに違いない。

 こうしてブラピは工作員として働きだした。レッドフォードの片腕としていつも頼れる奴。だが、そんな二人の関係に初めて陰りが出たのは、ベルリンでの東独の役人亡命のミッションでのことだった。役人を車に乗せて酔っっぱらいのふりして西ベルリンに脱出の手はず。だが、同じ頃西ドイツ大使館のパーティーに出ていたレッドフォードは、かつて訳アリの西ドイツ大使夫人シャーロット・ランプリングから計画発覚の知らせを受けた。このままではブラピも役人も殺られる。レッドフォードは冷徹にピットに指示した。「奴を車から降ろして一人で逃げてこい!」

 最初は反抗したブラピだが、打つ手がない。泣き叫ぶ役人を車から引きずり下ろして、一人で国境を越えてきた。再会したレッドフォードはブラピの反抗を注意した。「今後俺の指示に逆らったりするな!」

 だがレッドフォードの言葉に素直にうなずけるブラピではなかった。彼の脳裏には泣き叫んでいた役人の声がこびりついているのだ。いくらレッドフォードが役人が実は裏切り者だったと言っても「はいそうですか」と言う気にはなれない。おとり作戦だったなんて聞いてない。何だそれは、一言の説明もなしに! 俺たちは野球ゲームのカードじゃない!

 「いや、これはゲームだ。しかも決して負けられないゲームなんだぞ」

 ブラピが今後危機に瀕しても作戦のためには切り捨ても厭わないというレッドフォードの言葉に、それまで信頼していたブラピの心の底には、じんわり失望の思いがこびりつくんだね。 作戦の割に会わなければ切り捨てる、作戦のためなら何をやってもいいってのが、だんだん流儀に会わなく感じられてくるわけ。

 そんな昔話の間も、チャッカリとレッドフォードは中国で展開中だった作戦や、現在の情報もキャッチ。会議室の連中に、ブラピが蘇州の刑務所で誰を助け出そうとしていたかも言い当てる。それはある一人の女だった。レッドフォード千夜一夜物語は、舞台を戦乱渦巻くベイルートに移す。

 敵側テロリストの大物ナビル・マサド暗殺のために現地に赴いたブラピは、そこで報道カメラマンと偽ってチャンスを狙った。出来るだけ自然死を見せかけたほうがいいということで、ターゲットはマサドの主治医アミドゥーに。彼に近づく過程で、現地で医療活動に従事するボランティア医師キャサリン・マコーマックと知り合ったのは、殺伐とした暮らしを続けてきたブラピにはちょっとしたボーナスと思えた。

 やがて現地入りしたレッドフォードと組んで作戦は本格化。まずアミドゥーの死んだ家族が実は殺されたという衝撃的事実を彼に伝え、それがマサドの仕業だったと知らせて協力者に仕立てる。アミドゥーに毒を仕込ませて診察の際に殺そうというのだ。

 だがレッドフォードには気になることがあった。ブラピがマコーマックにゾッコンになってしまったのだ。そこで二人でイチャついているところにやって来て、衝撃的事実を伝える。何と彼女、イギリスで過激派として中国大使館爆破に関わっていたというのだ。何とか彼女を信じたいと願うブラピはレッドフォードに怒りをブチまけるが、彼女との関係はこじれてしまった。そして作戦決行の前に、彼は彼女についつい素性を明かしてしまうのだ。

 やがて突然作戦決行の機会がやって来た。慌てて医療活動中のアミドゥーを車に乗せてマサドの元に駆けつけるブラピ。しかし混乱のベイルートでは思うにまかせない。このチャンスを逃したら作戦は失敗だ。迷ったレッドフォードは次なる手に出た。

 実はレッドフォードには次善の手があった。地元義勇軍に話を付けて、医師のセンがダメな場合には爆弾で吹っ飛ばす手はずになっていたのだった。作戦がそっちに変更になったとは知らないブラピは、何とか医師をマサドの元に送り届けた。その時…。

 どっか〜ん!

 大爆発が起きて、マサドのいるビルは崩れ落ちた。ブラピが必死に送り届けたアミドゥー医師も、巻き添えで死んだ。これにはさすがにブラピも堪忍袋の緒が切れた

 作戦集結で現地を離れるレッドフォードに、ブラピはチームから離れたいと言った。一時はお互いを信頼し、師弟関係とも言えるいい間柄だった二人。だが、いまやブラピはレッドフォードに対する不信感でいっぱいだった。「俺はもうあんたについていけないよ」

 実は話はそれだけではなかった。事情を知りすぎた女マコーマックはアメリカには邪魔な女。彼女を必死に追っていた中国当局と話をつけ、捕まっていたアメリカのスパイと交換条件で中国に引き渡してしまったのだ。そして彼女は蘇州の刑務所に閉じこめられた…。

 レッドフォードは昔話を終えて会議室を出た。日が改まれば、彼はCIA引退の身。本部を後にすればIDカードを返して、もう二度と本部内には入れない。ところがテレビを見ると、せっかくレッドフォードがリークしたにも関わらず、ブラピはすでに死んでいて中国で捕らえられているのは別人だと報じられていた。 CIAは、彼を見捨てる方向にハッキリと筋書きを決めた。

 レッドフォードは本部の出口から引き返し、長年培ってきた経験と知識を総動員して猛然と行動を開始した。しかしブリッグマンはじめお偉いさんたちはレッドフォードを疑り、その身辺を洗いながら彼の行方を追い始めていた。

 さぁ、処刑はもう明日の朝に決まっている。遠く離れた中国の地で、果たしてレッドフォードはブラピを救うことが出来るのか? それより何より、冷徹なスパイであるレッドフォードは何故ブラピを救おうと思い至ったのか?

 

久々ロバート・レッドフォードの魅力全開

 冷戦が終わってスパイものが過去のものになろうと思ったら、こんな本格スパイ映画がやって来るなんて嬉しい限りだね。それもレッドフォードとブラピの二大スター共演ときた。もっともレッドフォードの近年の老けっぷりを考えると、ちょっとスパイものはキツいんじゃないかと思えたが、見事ひっくり返して見せてくれた。これはスパイものはスパイものだけど、決してドンパチで見せるスパイ映画じゃない。実は映画の大半はCIAの会議室で展開する。役者の腹芸で見せる本格室内劇なんだよね。

 実はこれ見る前に「シネマ・チリペーパー」などでおなじみの丸山 哲也氏から、「脇で顔出す役者の顔ぶれをはじめとして、1970年代映画の臭いがプンプンですよ」とオススメをいただき、かなり気になってはいたんだよね。元々、僕が映画に興味を強く持ったのが1970年代ってこともあるし、1970年代映画は僕の映画原体験なわけ。だけど、この映画のどこが1970年代なんだろう?

 そもそも、トニー・スコットってどうもチャラチャラとカメラをいじって、やたらキラキラかっこいい映像は見せてくれるけど、MTVとかCMとかで盛んに使う手口でお茶を濁した監督って気がしてた。だから、もっとちゃんとやらんかい!って言いたくなっていたし、とてもじゃないけど上記の1970年代とは結びつきそうもなかった。ところが今回はいつもと違ったんだね。「トップガン」や「ビバリーヒルズ・コップ2」みたいなチャラチャラ映画じゃないんだよ。もっともこの人には「クリムゾン・タイド」もあったっけ。これは不覚だった。

 今回も確かに今流行りってよりもう陳腐化してるジャンプ・カットとか多用してるとこもあるけど、物語の大半は先に述べたようにCIAの屋内でのジックリ芝居。その限られた空間と手段を使って、レッドフォードがありとあらゆる手持ちのノウハウで、ピット救出に奔走する姿が描かれる。この緊迫感はなかなか見応えあるよ。

 特に会議室で腹芸見せるかと思えば、CIA本部を上へ下へ縦横無尽に動き回るレッドフォードが久しぶりにいい。オイシイところはピットが受け持って、レッドフォードはまるで「スコア」のマーロン・ブランドみたいに重鎮然とそこにいるだけかと思いきや、実は今回生き生きとしてるのはこの老体レッドフォード。これにはまいった。思い起こせばまだレッドフォード若き日の傑作「大統領の陰謀」。ウォーターゲート事件を暴いた記者の活躍を描くこの映画、ハッキリ言って事件には疎い僕としては関係者がウジャウジャ出てきながらセリフで説明が多くて何が何だか展開が良く分からない作品だったが、僕は理屈抜きでカッコよくて大好きなんだよね。それはワシントン・ポスト社内を縦横無尽に動き回る記者レッドフォードのカッコよさゆえ。今回改めて思ったけど、ワイシャツ姿のレッドフォードってカッコいい。この人、世界一ワイシャツが似合うのではないか(笑)? ワイシャツが絵になるレッドフォードが、蛍光灯下のオフィス内をカッコよくキビキビ動き回ってサスペンスを盛り上げる、これはあの「大統領の陰謀」のカッコよさの再来だ。久々にシビレたよ。近年は監督業のほうがメインになったか、出演作は「ハバナ」とか「アンカー・ウーマン」とか何だか冴えないのが多かった。そういや人の女房デミ・ムーアを賭けで競り落として食っちゃう「幸福の条件」の大金持ちの役なんてヘドが出そうな映画もあったっけ。とにかく近年のレッドフォード出演作って好きなのないんだよね。それが久々いいではないか。

 しかも引退間近の設定も老けたレッドフォードの魅力を活かして、これまたいいではないか。ブラピも頑張っているけど、それは「リバーランズ・スルーイット」での師弟関係を観客に連想させる役割が主で、残念ながら今回はレッドフォードの引き立て役。所詮はメンコの数が違うぜ。

 もっともここでのレッドフォードは、もう一つの彼の旧作「コンドル」も想起させるよね。CIAの下っ端、全然危険とは無縁だった男が、ひょんなことから大陰謀に巻き込まれて抹殺されそうになり、孤軍奮闘戦うお話。ちょっと違うが今回のブラピのポジションを考えると、レッドフォードからブラピに役割が譲渡されたみたいな感もあって感慨深い。やっぱりレッドフォードの後継者だよなと観客に印象づけられただけでもうまみある役だったか。

 トニー・スコットはジックリ腰を据えた演出を見せるが、ここぞというところでは十八番のカメラ名人ぶりを見せつける。特に見どころはベルリンのビル屋上でのレッドフォードとブラピの言い争う場面。二人をとらえた望遠ヘリコプター・ショットが、ぐるんぐるんと旋回する。でも、これはいわゆる僕が文句をつけてたチャラチャラ映像じゃないよ。怒り当惑するブラピの気持ちにカメラが乗り移っての、激しい感情を意味する派手なカメラワークだ。決して「なんとかフィッシュ」のカメラぐるんぐるんみたいに、カラッポなカッコ良さだけを追ったものじゃない…な〜んてヤボは今回言いっこなしにしようね(笑)。

 ブラピが危機に瀕しても決して助けようとはしないぞ…なんてコワモテの言葉を吐いて、「大人」ぶりを見せつけたレッドフォード。作戦のためには手段は選ばない。人間性だ何だって、おめえはガキくせえんだよと醒めた言葉を吐き捨てては見たものの、やっぱりレッドフォードもそれは流儀に反したなと内心思っていたのか。事もあろうにいよいよ引退のその日にブラピ大ピンチの知らせを聞いて、顔は余裕でも気はそぞろ。過去の自分のすべてのスパイテクを総動員して、果ては引退のためにせっせと貯めた私財も投げうって、ブラピに対する不義理を精算してオトシマエをつけようとする。この時、少々料金を値切ろうとするあたりのセコさもご愛敬じゃないか。やったぜレッドフォード、俺はこういうあんたを見たかった! 一発勝負どころに男気見せるレッドフォードは、いささか時代遅れの意地見せていいんだよねぇ。

 時代遅れついでに言えば、この映画って前述の丸山氏の指摘にあったように、ちょっと懐かしい曲者役者がチラチラ顔見せてる。香港のデビッド・ヘミングス(すごく太ってビックリ!)、西ドイツ大使夫人のシャーロット・ランプリング、医師のアミドゥーなんて、最近じゃお目にかかれない役者たち。何もこの人じゃなくたってやれる役だけに、ここはこの人達をどうしても使って1970年代あたりの映画の雰囲気を出したかったんだろうね。今じゃ懐かしい本格スパイ映画として、いい味出してるよ。ここまでやってくれるトニー・スコットを完璧に見直した。そうそう、冒頭の蘇州刑務所の場面では、医師の役で「フォーエバー・フィーバー」が忘れられない好漢エイドリアン・パンまで顔を見せてるのが泣かせる。分かってるなぁスコットさんよ(きっと関係ないだろうけど<笑>)。

 現実的対応、冷静な大人の思慮…それももちろんいいだろう。でも、それだけじゃあ世の中つまらない、味気ない。勝ち組、負け組…なんて言い方にも品性の卑しさを感じる。むしろどいつもこいつもが バカの一つ覚えみたいに「現実的対応」なんて分かりもしないで聞いたふうなことをホザくこのご時世には、たまには損と思えることに賭けてみる浪花節も粋だと思わないか。ちょっとモノサシを変えてみてはどうだ? 得か損か…でなく、正しいか間違っているか…に。

 最終的な損得なんて、一生が終わった時しか分からないのだから。

 

 

 

 

 

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