大穴狙い「第14回東京国際映画祭」

  Seeking for the Dark Horses in TIFF 2001

 (2001/11/12)


11月3日(土)

「旅立ちの汽笛」(「The Chimp<原題>」改題)

Maimyl (The Chimp)

 

 これも札幌の映画ファンかのこさんと一緒に見た映画。今までの3本は僕がシネマプリズムの作品だったが、これは今年では僕が見る唯一のコンペティション作品。そして何と一昨年に日本公開されてすごく面白かったキルギスタン映画「あの娘と自転車に乗って」の監督の新作だというではないか。傑作の期待にわかに高まる。

 

 身体検査。パンツの中まで見られる徹底ぶりは兵役準備のためのもの。そんなさまざまな検査に臨む若者たちのうちの一人が、「あの娘と自転車に乗って」の主役ベシュケンピールことキルラン・アブディカリコフ。あのお馴染みのトボケた顔は見間違いようがない。そして坊主頭なれど、アソコの毛ばかりはフッサフサ(笑)。

 主人公の男の子はもう17歳になったんだよ。仲間内では「チンプ」で通ってるが、その由来がチンパンジーと聞けば正直言ってまるきりありがたくない。もっとも「チンプ」も17歳だからそのへんのアンチャン。適度にイキがって、適度にバカやって、適度に悪いことも覚えるお年ごろ。当然少しは色気づいて来て、鏡のかけら使って女の子のスカートの中味覗いたりしてね。あとは地元のテケテケエレキバンドが演奏するカッチョええロックンロール・ダンスパーティーで踊りまくったり。

 じゃあ天真爛漫ティーン生活をエンジョイしてるかと思いきや、チンプの場合そうもやってられない事情があった。まず、目前に控えた兵役。そしてもう一つの問題も…。なにしろ親父(ズィリキシー・ザキポフ)が酒癖悪くて、ろくすっぽ働かない上に何かというと殴る蹴るの乱暴狼藉を働くもんだからたまらない。毎日毎日、チンプのおふくろと妹は泣いてるよ。いつぞやも家族みんなで楽しくやってたところ、このクソ親父が帰ってきたら一気に雰囲気悪くなった。

 そんなある日も親父が飲んだくれたあげくにバイクをどこかに置いて帰ってきちゃったから、チンプは叩き起こされてバイクを取りに行かなくてはならない。そんな夜道にボケ〜ッと突っ立ってる一人の男。この男、世に絶望してか、頭がパーなのか、はたまたやる気なくなっちゃってるのか、ただただボケ〜ッと突っ立ってる。一体なぜ?

 仲間うちでは彼女のいる奴もいる。女の子たちと一緒になってゲームに興ずるうちに、ちょっとセクシーな気分になったりもする。チンプが気になっているのはブロンドのあの子。いつも影ながら見つめているのだが、さりとて告白する度胸も場面もない。

 そんなチンプは鉄道の保線作業の仕事に就いて働いている。いつも通りかかる線路沿いの家には一人の娘が住んでおり、作業仲間は必ずこの娘にキレイだの何だのと軽口を叩く。だがこの娘の顔には大きな痣があった。考えてみれば若さとは残酷なり。

 ある日、そんな仲間の一人が現場に奔放な娘ジーナ(アレキサンドラ・ミトロキーナ)を連れてくる。彼女はいろいろ男出入りが激しい肉感的な娘だ。彼女を自宅までバイクで送ることになったチンプは、彼女にさんざからかわれてトンでもないところをイジくり回され、哀れあっけなく昇天〜。川に入って身を清めるチンプであった。

 このジーナが家の扉もがら開きで昼寝中の時、チンプ初め男の子連中で忍び込んだこともあった。コッソリ近づけば裸が拝めるかもしれない、寝ぼけてるドサクサに体に触れるかもしれない、よしんば目覚めたとしても気まえよくやらせてくれるかもしれない…などと、男の子は若いうちからテメエの都合いいことばかり考えてやがる。しかしガタンと家の奥から物音がしたら一目散に逃げ出す度胸のなさ情けなさだから、この連中のスケベ根性や度胸も知れたものだ。

 やがていよいよ酒癖の悪さがいくところまでいった親父に号を煮やして、母親はチンプと妹を連れて家を出ることになった。だがチンプは忘れ物があると言って舞い戻り、母親と妹を乗せたバスは出発した…。

 

 この文章読んだみなさんは、あまりのとりとめのなさに呆然とされてると思う。実はここに書いた内容は必ずしも映画の流れ通りではない。だが、そのへんをちゃんと書こうという気にならないんだね。だってこの映画自体、いろいろなエピソードが有機的につながってドラマトゥルギーの妙味を見せていくといった類の映画ではない。それらのエピソードがゴロゴロと無造作に転がされているような印象なのだ。

 確かにこうした発展途上国の映画にありがちなように、構成や撮影やテクノロジーに凝ったウェルメイドな映画の対極にある、清貧とも言うべきシンプルさ。まぁ、元々の映画資本の貧しさということもあるんだろうが、それを逆手にとって切り詰めた中での豊かな映像言語で見せる作戦というわけだ。そういう意味では、この作品もそうした発展途上国映画の王道を行っている。

 だけどねぇ…大変残念なんだけど、今回はそういった作戦がすべて裏目に出ちゃってるようにしか見えないな。

 前作「あの娘と自転車に乗って」はこうじゃなかった。確かに一見見た目のスタイルは似ている。シンプルで撮りっぱなしみたいな映像、それも長回しでドラマチックな人工的盛り上げはなし。単純で素朴。…と見せて、僕は実はあの映画ってかなり映画巧者がつくったものだなと思わせるところがあるんだね。素朴さも計算と演出のうちだったと。

 それが成功したのが良かったのか悪かったのか、今回も同じような作戦を押し進めている。だが、そうした「素朴さ」「単純さ」のレッテルが、今回はすべて災いしているように思えるんだよね。だって、ただ意味もなく盛り上げもなし、仕掛けなし、長回し…それじゃあ面白いわけないだろう? 「あの娘と〜」の時には何か新たな発見が画面のなかにあった。それが目を楽しませていたから単なる長回しでも見るに耐えたのだが、今回はその大事なものが何か欠けているから無意味に冗長でしかないのだ。

 で、その欠けてしまったものって何かと思うと、やっぱり主人公を初めとする登場人物の生き生きとした魅力、生命力の息吹じゃないかと思うんだ。「あの娘と〜」の時にはキルギスの貧しい田舎で精一杯人生を楽しんで、それなりに悩んで、生意気に振る舞って…という少年たちが素晴しかったんだね。それをずっと見ていたいから長回しの方がよかった。

 ところが今度は青年期の男の子たちが主人公となると、そうした沸々と込み上げる生命力みたいなものはもはや期待出来ない。その代わり、妙に鬱屈としちゃって悶々と屈折してスカッとしなくてね。その欲望やら願いや悲しみは、実はこうなると先進諸国のそれと彼らキルギスの若者も基本的にあまり変わらない。だったら新鮮には見えて来ないよね。それをドラマ構成の妙味もなしに、延々長回しで見せられてもごらんよ。これって面白い訳ないよね。

 それに青年たちが胸の中にウツウツとため込んでる気分やら衝動やらってもの、お話の展開そのものが読めちゃうんだよね。これが致命的。それは、実はこの映画で取り扱われている素材が、西側先進国のいわゆる「青春映画」と同じようなものだからなんだ。そんな代り映えのないものを描こうとするとき、欧米映画ではテクノロジーや話術で補って見せようとする。だが、こちらにはそんなテクノロジーやプロフェショナリズムに代わるうま味がない。だから早い話がつまらなくて眠いのだ。

 こういう貧しくてシンプルな発展途上国の映画は何が何でもホメるんだ…と頑張る映画マスコミもいるけど、それはナンセンスだろう。面白いものはキルギス映画だって面白い。逆につまらないものは、どこの国の映画だってつまんないよね…。素朴な風物やら見どころも少なくないし、今回も監督アクタン・アブディカリコフの息子が主役を演じて、いい味を出しているんだが…正直言って映画そのものは退屈。むしろ「あの娘と〜」であんなに新鮮な少年映画をつくったこのアブディカリコフ監督が、「青春」を描いたらかくも凡庸だったことに驚いた

 でも、考えてみると「青春時代」とは、「子供時代」以上に複雑怪奇で不条理なものだ。思い起こすと自分のことでも不可解な部分が多い。だからえてしてつかみどころがない、実感を蘇らせにくいんだね。そうなると、どうしても世間的に流通している既存の「青春」イメージ、映画やテレビや書物や既成概念の中に生きている「青春」イメージを借りて来るほうに流れがちだ。つくってる方はそれを例の素朴シンプル手法で撮ってるからリアリティが出てくるものと思うのだろうが、見る側にとってはそれが単に凡庸な内容を芸もなくダラダラと撮っているだけと見えてしまうんだね。

 実は今回脚本家の一人として、イタリアのトニーノ・グエッラの名前を見つけた時にちょっとイヤ〜な予感がした。確かにグエッラってテオ・アンゲロプロスやアンドレイ・タルコフスキーの作品にも協力した名手であることはもちろんだろう。でもこの映画、こうしたすぐれたテクニックの持ち主の力を借りてつくり上げるような作品なんだろうか?…と思うとちょっと疑問なんだよね。

 結局この映画は出発点からハズしてると思う。

 劇場前で行列つくって並んでいる時、そして映画終了後の劇場周辺で、あの悪名高い蓮実重彦氏と奥様の姿を見かけた。ハートがカラッポでガチガチの戦略的な映画批評を行う我が心の敵=蓮実大センセは、果たしてこの作品をどう評価するのだろうか? またぞろ、この映画に比べればモフセン・マフマルバフはダメだとかいいだとか、あいつはこいつに比べて頭が悪いだとか…他人を見下しつつ不当に他の映画をコキ下ろしたりしないだろうな。そんなことしか言えない奴が映画なんか見てはいけない。こういう奴が21世紀まで発言力を持って生き残っていいはずがない。いいかげんそれって最低だって分かれよな、東大の先コーやってたくらいなら。だって俺たちより頭いいんだろおまえ。

 

 

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