大穴狙い「第14回東京国際映画祭」

  Seeking for the Dark Horses in TIFF 2001

 (2001/11/12)


10月28日(日)

「ドッグズ・デイ」Pattiyude Divasam (A Dog's Day)

 

 ここはインド南部の辺鄙な平地。屈強な男たちによって漕がれたボートが、何曹も川をドンドコ下ってド田舎の村にやってくる。この辺りを治めている王様(K・クリシャナ・カイマル)ご一行のお出ましだ。今日はこのド田舎の村の一大イベント。村人たちが集まり、ひな段には王様以下お偉いさんがズラリ勢ぞろい。子供たちは総出で王様を称える歌をうたうが、それが何だか他の歌と違って妙に親しみがある歌に聞こえてくる。それもそのはず、なぜかこの王様の歌だけルンバのリズムじゃないか(笑)。なぜかは分からないが、確かにルンバに間違いない(笑)。

 実はこの日は、村の統治が王様から村人に選ばれたリーダー(スダッシュ・タヤット)へと切り替わる記念すべき日。民主化は世界の時の趨勢だと王様が決断したんだね。王家の旗が下ろされ、村のシンボルの旗が上げられる。万歳三唱。何と先見性があり寛大なる王様。

 これを機に、王様はこれまで仕えてくれた老召使コーラン(トーマス・V)に勲章を与え、その妻(ラクシュミ・ラーマン)に自分の愛犬ダックスフンドを与えた。何たる身に余る光栄。

 ところがこの犬が問題だった。何一つ不自由ない王室生活が長かったせいか、とんでもないお犬様。メシは人間より優先的にいただき、おまけに大食らい。手入れや身繕いしてやらねばならない…なんてのは序の口。近所のバアサンのアヒルを噛み殺し、悪ノリついでに近所のガキまで噛みついた。ここに至っては周囲の目もさすがに冷たくなった。住民たちの陳情に、村のリーダーも立ち上がった。放し飼いはまかりならんと言い渡されたコーラン夫妻は、困り果てて王様の元へ。だが王様はまるっきり問題を重大視してなかった。文句言いたい奴は言わせておけとは、先見性も寛大もへったくれもない。要は、時の流行だからして「民主化」と一緒に唱えただけのこと。一時期、タレント議員や草の根政治家がバカのひとつ覚えみたいに「福祉」と言ってみたり、こないだの参院選でどこぞの議員がおよそ今までのイメージとは逆の「改革」をみんなで唱え出したのとまったく同じ。中味なんかまるでカラッポなんだよね。

 ところが事態はさらに悪化。噛まれた男の子が狂犬病で死んだ。コーラン老人はお犬様と一緒に逮捕。老いた妻だけ家に残され嘆きに嘆く。こんな老僕捕まえてもピントはずれてやしないかと思うが、民主リーダーとしては「断固たる処置」を講じなければ。この犬のやったことは村の「自由社会」に挑戦する「テロ」行為だっ! おまけに狂犬病なんぞという「生物兵器」まで撒きやがって。

 王様は老僕はともかく、愛犬を縛ったのが気に食わない。狂犬病も濡れ衣だ、証拠もないのになぜ…と、狂犬病でない証拠だってないのに怒りに怒る。村のリーダーに特使を派遣するが相手にされず、またまた激怒。早速制裁だ!といきまく始末だ。傍で見ている家臣(マニラル)もハラハラ。一応ちゃんとしたプロセスを踏んで国連決議を…ということか、とりあえず王室のタダ飯食いの三長老にお伺いをたてることになった。するとこの三長老は常任理事国ならぬ王様の言いなりではあったものの、偉いお坊さんを調停に立てたらどうかと進言する。しかしこのお坊さんとて国連特使同様に張り子の虎。村のリーダーのところに行ったところで何か妙案を提案出来るわけでなし。結局出向いて行ったという自己満足で終わる。

 こうなりゃ事はエスカレートだ。王様は村への肥料や水やらの資源供給を断ち、交通も断絶すると「経済制裁」を宣言した。民主主義への挑戦と黙ってられない村のリーダーも、「毅然たる態度」で徹抵抗戦の構え。村の連中もいきり立ってデモ行進だ。やがて、それぞれの陣営で屈強な男たちが集められ、武術訓練が始まった。「武力行使」はもはや避けられないのか? 「Xデー」はいつなのか…?

 

 

 

 

 

 

 

 

いつかこの映画を見るつもりの人はここまで

(ただし現在、日本での配給会社は未定)

 

 

 

 

 

 

 

 

 これって作者は意図してなかったんだろうけど、今のこの時点で見るとゾッとするほど現在世界を揺がしている「ある事件」を連想させてしまうね。突然思いがけない事件が起き、対立が生まれ、それが加速度的にエスカレートする。交流が断絶される。村のリーダーは民衆をあおる。デモ行進ではアジ・スローガンが連呼され、王様の人形が燃やされる。国際世論に訴えるといきまく。王様は王様で、村からの離脱者にたらふく食わせて手なづける。これぞ「人道的処置」だ。そして両者いよいよ暴力に訴えること辞さないとまで思い詰める。やがてテレビのレポーターまでやってきて…。浮かばれないのは、老いて貧しいコーラン夫婦のみ。

 いや、そういう目でのみ見られるのは、作者の本意ではないだろう。これはたまたま符号してしまっただけなのだから。これは単なるおとぎ話。しかし、そのインドのド田舎を舞台にしたおとぎ話に今の世界情勢がピッタリ重なるとしたら、それはいかにこのおとぎ話がよく出来ているかを意味しているのだろうか。はたまた、いかに現在の世界の状況がバカバカしい事になっているかを意味しているのだろうか。ア…が悪い、イ…がおかしいとかいろいろ言う人は後を断たない。お互いテメエが被害者だと言い、相手がワルでウソつきだと主張する。だけど、どっちも目クソ鼻クソの類。実はどいつもこいつもみんな悪くておかしいのだと、どうして誰も言わないんだろうね? この最中にお互いの悪行のメンコの数を競ってみたって何になる? そんなどっちかの言い分に乗っかって応援してる外野の連中もバカだ。ついでに当然ボケ〜ッとなす術もない俺たちだってバカの仲間入りだ。

 結局、両者の会談が持たれて、村を二分割することで決着がつく。釈放されて、ホッと安堵のため息をつくコーラン夫妻。だが王様は、今度はコーランに分割した側の村の統治を任せると言い出した。なぁに、俺に言う通りにしさえすれば間違いない、決して悪いようにはしないから。

 分割された側の村の人々はコーランを担いで、我らがリーダーとヨイショする。しかし当のコーランの表情はサエない。彼はすでにイヤな予感を感じているからだ。今度の王様からの贈り物は、一体どんな狂犬に化けるのだろうか…。

 静かにゆっくり流れる時間、饒舌さとは無縁の徹底的に切り詰めた無駄のない描写が、この映画のおとぎ話的象徴性を強調している。ムラリ・ナイールの演出は一見素朴に見えるが、実はなかなか計算がはたらいてるよね。スットボケたような味わいが効果を上げて、思わずクククッと笑ってしまうくだりもあるが、見続けていくうちに「面白うて、やがて悲しき」後味へとたどり着く。

 上映後にはまたティーチインがあったが、またしても時間の都合で断念。これは残念だった。

 それにしても、あの王様のルンバは一体…謎だ(笑)?

 

 

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