A. I.

「エイアイ」でなく「アイ」と読め

A. I. - Artificial Intelligence


エピローグ:「エイアイ」と読まないで

 

 キューブリックとスピルバーグの二人が、この映画で「愛について」何らかのステートメントを発しようとしたことは、まず間違いない。考えてみれば、「A.I.」というタイトルは日本語の「アイ」のローマ字表記と酷似している。前述のようにかつて手塚起用を考えたキューブリック、「太陽の帝国」を制作したスピルバーグ…この両者の日本との関連を考えた時、彼らがこのタイトルが日本語でどんな意味を持つかを知った上で、あまりにストレート過ぎる概念の一種の暗号として命名した可能性は十分あるのではないか? それは考えすぎにしても、最晩年のキューブリックが「アイズ・ワイド・シャット」とこの「A.I.」と、「愛」についての映画をたて続けに発表しようとした事実は、とても興味深く思える。かつて宇宙の深淵にまで思いを馳せたこの巨人が、最後に語ることを望んだのが古今東西で語り尽くされた最もありふれた題材…愛についての物語だったというところが泣かせるではないか。

 だが結局のところ、「愛とは何か?」という問いは、決して人間には説き明かせないものだ。それは起動しているハードディスクが自らを初期化出来ないのと同様、どだい無理な話だ。そもそも「愛」に真理や実体があるのかどうかも疑わしい。この賢明にして聡明な二人の映画人も、それは分かり過ぎるほど分かっていた。

 なぜなら、彼らがここで問うているのは「愛とは何か?」ではないからだ。

 彼らが問うているのは、「愛するとは何か?」だ。

 主人公のロボット少年が「自分から愛するようになった機械」ではなく、「愛をインプットされた機械」であることは象徴的だ。なぜなら彼は「愛が何か?」などと問うことがない。最初から何ら疑問の余地もなく、それを受け入れさせられているのだから。だから、ある意味で「偽り」の愛だと言える。

 だが、実は我々人間も「愛が何か?」を分かって愛するわけではない。かたちは違えど、ある意味で「インプット」されていることに変わりはないのだ。そして、それが何か知らずして愛するからこそ悩み苦しむ。「愛とは何か?」が分からない以上、自分が抱くその感情は「偽り」かもしれないから。だが、それでは「偽り」の愛とは一体何だろう?

 彼の育ての親となった夫婦、特に義母が、人工冬眠する息子の代用品としてロボット少年を受け入れた時点で、それは「偽り」かもしれない。

 自分の息子をモデルにロボット少年をつくりながら、それを「製品」化して平然としている産みの親の科学者の思いも、「偽り」と言われても仕方がない。

 そして「偽り」の愛を売るジゴロ・ジョー。この映画に出てくる登場人物は、みんな何らかのかたちで「偽り」の愛に生きていると言えなくもないのだ。

 だが、「愛とは何か?」が分からない以上、それが「偽り」かどうかということも誰にも断定できはしない。愛を計測したり認知したり分析したりする方法がない以上、それを分かる術などない。二人の人間同士に愛が存在するとして、そのどちらが尊いかどちらが深いかどちらが激しいかを知ることも誰にも出来ないのだ。また、人は得てして「なぜ愛したか?」を語るけれど、誰も明快な理由など分かるはずもないだろう。

 ならば問われるべきは愛の本質や優劣や理由やその真偽ではなく、「愛するとは何か?」ということ=「愛しかた」ではないのか?

 ロボット少年は例えインプットされた「お仕着せの愛」でも、徹頭徹尾後生大事にそれを追い求めずにはいられない。それが偽りだろうと手に入らずとも、求めるということが大事なのだと言わんばかりに。

 クローン技術で蘇った義母とのたった一日の愛の暮らしも、ある意味では幻影=「偽り」かもしれない。それを叶えてやろうとする宇宙人の気持ちも、所詮は他人の思い上がりなのかもしれない。でも、それは仕方がないのだ。ロボットであれ宇宙人であれ、ある意味で「人」であることに変わりはない。そして人である以上、どう頑張ってみてもそこまでしか出来ないのだから。

 ロボット少年がなぜ義母をあれほど求めるのかを考えてみても意味がない。それと同時に最初に彼を求めた時の義母の気持ちも、本当のところは分からない。まして彼を置いて行かねばならなくなった時の彼女の辛く苦しく複雑な胸の内など、決して余人には伺い知れないものだろう。

 だから、自分の気持ちも他人の思いも所詮分かりはしない。そう言ってしまえばそれまでだ。しかし例えそうであったとしても、それを全うしよう、分かってやろうとすることが「愛する」ということではないのか? 今の僕にはそう思える。ならば結果はどうあれ理由はともかく、我々もこの映画のロボット少年のように、ただ扉を叩き続けることこそが大切なのではないか?

 それは一人よがりなものかもしれない、自分勝手なものかもしれない、何も分かっていないと非難される類の孤独な思い込みなのかも分からない。でも、人はそうせずにはいられない。そうしなくてはならないのだ。

 なぜなら、人には「その人なりの愛しかた」しか出来ないのだから。

 

 

 

 

 次ページへつづく

 To Be Continued...

 

 


 

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