「アメリ」

  Le Fabuleux Destin d'Amelie Poulain

  (Amelie from Montmartre) ロング・バージョン

 (2001/12/31)


 

 

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筆者のことば

 今回、恒例の年末年始のご挨拶を、この「アメリ」感想文に代えさせていただきます。というのも、この「アメリ」感想文には僕がこの2001年の映画について語りたいことがすべて詰まっているからです。

 どうか今年のさまざまな映画に思いを馳せながら、この「アメリ」感想文をゆっくりとお読みください。

映画館主・Fこと夫馬 信一 

 


 

1・イントロダクション 

 映画を見るって行為は、やっぱり現実逃避なんだろうねぇ。

 考えてみると、僕は子供の頃からずっと何かに逃避していたような気がする。決して現実から逃げなかったなんて言う気はないよ。

 幼稚園の頃は病弱だったせいで、ずっと家で寝てばかり。近所の友達なんてものもいない。だから毎日テレビと本が友達だった。この時代に「ナルニア国ものがたり」などのファンタジーをはじめとする子供の本と知り合えたのは、確かに僕の人生の収穫だったと言えるよね。それから絵を描くのが好きになってデッサンから真面目にやってたし、途中からマンガが好きになるとこれも見よう見まねで描くまでになった。

 で、最後に親しむようになったのが映画だった。昔映画ファンだった親父の影響と、ちょうどブラウン管に氾濫し始めたテレビ洋画劇場が引き金になった…というようなことは、このサイトの中でも繰り返し語ってきたので、みなさんもおなじみのことと思う。

 それらは決してクラ〜く内向きに熱中してたとは自分で思ってないから、「逃避」というネガティブなイメージで僕はとらえてこなかった。だがそれらの事によって、決して恵まれて楽しい状況だったとは言えない子供時代を僕が何とか乗り切ることが出来たんだとしたら、それすなわち逃避であるということにはなるんだろうね。僕は決してそのことを後ろめたくも良くないことだとも思わないけれど。だって変にキレてダメになるよりはマシだろう?

 ただ、僕が精神面で必ずしも健全な状態で成長し、大人になったとは思えないよね。だから自分でもどこか人間として欠けてる気はしたんだ。自信も持てなかった。それは自分が誰よりも一番良く分かっているんだよね。

 やはり社会との順応という点で何かが足りない。だから人とのコミュニケーションがうまくいかない。小学生の頃イジメぬかれたということについても、イジメた方のガキもガキだが、イジメられたこちらにも何か問題があったんだろうという気持ちを常に持っていた。だから同じ轍は踏むまいと心に決めたのだった。

 それまでのイメージをかなぐり捨て、陽気なおしゃべりのキャラクターで人と接するようになったのがその最たるものだ。人の集まる場に置かれると、まずババババ〜ッとしゃべり倒してその場を自分のペースにする。そうすればすべて自分の思惑通り動いていくし、誰にも突っ込まれない。そして何より人はそんな僕を喜ぶ。だから常に忙しなく騒々しく振る舞って、自分の心の玄関には誰一人として土足では上がらせなかった。どうしても人を信用出来なかったし、そんな人の前に立った時の自分も信用出来なかったから。一見積極的に振る舞うようになった僕だが、実は以前より以上に殻をかぶって人に心を許さない人間になっていたのだった。

 確かにそれでいけば世の中ずっと渡りやすくなる。人間関係もその他の諸々の活動も、何もかも円滑に進むようになった。ただ一つ…女との関係を除いては。

 男と女の関係とは、それがどんなに幼い出発点を持とうとも、最終的には自分と相手が素手でガラス張りになって分かり合えねば本当のところは成立しない。だが、僕にはそれがなかなか出来なかった。ある女は僕が期待してたような「面白く陽気な男」でないのに失望した。ある女は僕がテメエ勝手な考え方しか出来ないことに失望した。それより何より、僕が最終的には自分をさらけ出さず、あくまで自分のペースを終始崩さず譲ろうとしない卑怯さにイヤけがさしたみたいだった。それでも、当時の僕にはそれが不思議なことにしか思えなかったんだね。ただ自分は女とのより深くて親密な永続的関係には向いてない…という思いが、確信として強固になっていくだけだった。結局、僕は自分が絶対安全な防壁に守られ、優位な立場に立っている時しか人と関われなかったわけなんだよね。

 そんなある日、僕はあの女と出会った

 その時のことは、今でも昨日のことのように鮮やかに思い出す。とにかく「ここで会ったが百年目」とはこのことを言うのだろう。僕は生まれて初めて心底女に夢中になった。そうなるとなりふり構っていられない。でも、なりふり構わず必死になって女を求めたことなんて、考えてみればこれ以前には皆無なことだったんだね。それまではどこかもったいつけたり、カッコつけたりしてたのに違いない。だからどだいうまくいくはずもなかったんだ。

 ただ、それには僕側の心境の変化だけが幸いしたのではなかった。彼女にはそれだけの価値があるように思えた。僕がそれまで求めても得られなかったもの…心の平安をもたらしてくれると感じられたんだね。だから彼女の前ではことさらカッコつけずに済んだ。最大限等身大の自分でいられた。無防備にもなったし、素でいけた。

 どうして自分が素直になれたか考えてみると、それは彼女が僕に対してどこかオープンで捨て身であったからだろう。そんな彼女の態度に接することで、僕も無防備でいいんだと思うことが出来たし、逆に僕が自分だけを守ろうと立ち回ることがセコく感じられるようになった。それに彼女のキャラクターそのものが、僕を優しく包んでくれたんだよね。

 それでも、僕らが親しくなれたのは奇跡みたいなものに思えた。正直言って、あの時よくも彼女は僕なんかと付き合ったもんだと思ったよ。それでなくても、僕は扱いづらい男だったはず。そこにきて実際のところ、彼女と僕とでは価値観も住む世界もかなり違ってた。それでも何とかやってこれたというのは、ひとえに彼女の寛大さゆえと言うことになるのだろう。

 だが、二人の関係に強烈なインパクトがあってフレッシュだった頃を過ぎると、僕は彼女の思わぬ一面に気付き始めた。あんなにオープンな心の持ち主で、自分を守ろうとかカッコつけようとか偉そうに見せようとか微塵もしなかった彼女。そんな彼女でも、実はどこかで目に見えないバリアを築いていたのだ。それも彼女自身が気付かないうちに。

 長い年月でカチカチにこびりついた僕の強迫観念を、忍耐強く解きほぐしていった彼女ですら、自らに殻をかぶり自分の世界に閉じこもっていたとは。ならば、なぜ彼女はリスクを知りながら、僕のような男と関わりを持とうとしたんだろうか?

 

つづく

 

 

 

 

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