「オー・ブラザー!」

  O Brother, Where Art Thou?

 (2001/12/03)


 

 (テーマ音楽スタート。会場のみなさん、にぎやかに手拍子。)

 (キューでテーマ音楽と手拍子ストップ。)

 

 みなさん、こ・ん・に・ち・わ〜!

 「DAY FOR NIGHT」のど自慢、司会を務めさせていただきます映画館主・Fです。どうぞよろしく、お願いいたしま〜す。

 さて、「DAY FOR NIGHT」のど自慢、今週はここアメリカはミシシッピ州から中継でお送りしています。ミシシッピというとアメリカ南部ですね。綿花畑などが有名ですが、ここのみなさんは音楽好きでも知られているんですね。今回もいずれ劣らぬ強者揃いで鍛え抜かれたノドを聞かせていただきますよ。では早速スタートしましょう。まずは1番の出場者から。

 

 (舞台に出てきたのは長い付けヒゲをつけた4人の男。うち一人がギターを抱えている。)

 

付けヒゲの男その1「1番、ズブ濡れブラザース。曲は『オー・ブラザー!』」

 

 (場内、ギターと男たちの踊りのテンポに合わせて手拍子。)

 

 

 

 オー・ブラザー!の唄

 (節を付けても唄えませんので。念のため。)

 

 はぁ〜昔の南部のことだったとよぉ〜。

 むさい野郎どもがよぉ、金槌シャベルでガチンコガチンコ、

 道路工事をよぉ、やらされていたんんだよぉ。

 鎖につながれてよぉ〜、怖い顔した看守に睨まれながらよぉ、

 昔のよぉ、罪を償わされていたんだよぉ。

 はぁ〜昔むかしの南部のことだったとよぉ〜。

 

 ところがよぉ、広い綿花畑をよぉ〜、

 まぬけな三人組がよぉ、スタコラ逃れてったとさぁ〜。

 埋めたお宝をよぉ、いただくためによぉ。

 そのお宝はよぉ、もうすぐダム建設で水の底だからよぉ、

 三人はよぉ、あわてて逃げたわけだよぉ。

 はぁ〜昔むかしの南部のことだったとさぁ〜。

 

 一人はよぉポマード漬けの伊達男でよぉ、

 口はまわるがよぉ、調子よすぎのジョージ・クルーニー。

 もう一人はよぉ、グチが多いがよぉ、

 妙に律儀なよぉ、ジョン・タトゥーロって奴でよぉ、

 最後はよぉ、ちょっとオツムはトロいけどよぉ、

 お人好しのよぉ、ティム・ブレイク・ネルソン。

 

 そこによぉ、手動トロッコを漕いだよぉ、

 盲目の老人がよぉ、通りかかって言うことにはよぉ。

 おまえら三人はよぉ、お宝探して長い旅してよぉ、

 苦労もするしよぉ、ツラい目にも合うだろうぉ。

 お宝はよぉ、見つかるだろうけどよぉ、

 探してたのとはよぉ、違うもんだとさぁ〜。

 

 三人はよぉ、タトゥーロの従兄弟のよぉ、

 家に隠れてよぉ、邪魔な鎖を解いたとさぁ〜。

 ところがよぉ、この従兄弟がよぉ、

 金に目がくらんでよぉ、三人を売ったんだよぉ。

 ポリに囲まれたがよぉ、従兄弟のガキが車で突っ込んでよぉ、

 三人組をよぉ、助けてくれたんだよぉ〜。

 

 みんなでよぉ、旅を続けるうちによぉ、

 魂をよぉ、悪魔に売っちまったギター弾きのよぉ、

 クリス・トーマス・キングを道連れによぉ、

 金欲しさによぉ、唄を吹き込んだんだよぉ。

 ズブ濡れボーイズってよぉ、名前で出したレコードはよぉ、

 南部のよぉ、街から街にバカ売れしてよぉ〜。

 

 その一方でよぉ、チャールズ・ダーニングのよぉ、

 州知事のよぉ、再選が危うくなったりしてよぉ。

 怪しげなよぉ女たちや聖書売りとかよぉ、

 出会った果てによぉ、待っていたのはクルーニーの

 再婚間近のよぉ、元女房ホリー・ハンターでよぉ。

 こいつが実はよぉ、クルーニーの目的でよぉ〜。

 

 こいつが ホントはよぉ、クルーニーの目的でよぉ〜…。

 

 

(カンカンカン…と鐘が賑やかに鳴り響く。場内大拍手。)

 

 

 コーエン兄弟の新作とくれば心ウキウキと待っている人が少なくないだろう。かく言う僕もその一人。少なくとも「ミラーズ・クロッシング」までは確かにそうだった。そのあたりの事情は「My Favorite Director」のコーナーに書いてあるので、ぜひご参照いただきたい。

 いつもアメリカ映画の各ジャンルを縦横無尽にいったりきたりしながら、見事に自分たちなりの作品に仕立ててしまうのがこの兄弟の巧みなところ。だが、ここ最近は…文句なしに「やられた」って感じでなかったのも事実だったんだね。

 上記「ミラーズ・クロッシング」まで云々…についていくらか繰り返させてもらえれば、それまでアメリカ製娯楽映画、ジャンル映画の典型の中にこそ「作家性」を発揮させ、一見「ありがち」な道具立ての中に見事にオリジナリティを盛り込んできたこの兄弟が、「バートン・フィンク」ではモロに「作家性」を全面に押し出してしまったことへの失望があったんだね。案の定「バートン・フィンク」はカンヌでパルムドールまでとってしまい、このへんの事情を如実に反映させるかたちとなったけど。ハッキリ言って僕はこの兄弟に「アート・フィルム」なんて期待してないし、そんなつまんないものなら他につくる奴がゴマンといる。あえてアメリカ娯楽映画、ジャンル映画の戦列に踏みとどまってこそのコーエン兄弟なのに…と残念に思ったんだね。

 その後いろいろ紆余曲折あったものの、彼らがストレートなジャンル映画に戻ったのは、「未来は今」以外なかったように思う。それはひょっとして彼らの作家的成熟なのかもしれない…とは思ってみても、どうも以前ほどの成果を挙げていないように思われてならなかった。それにファンとは身勝手なもので、やはり彼らに「あの頃」を求めてしまうものなんだね。あるいは「それ以上」かな?

 そして、この「オー・ブラザー!」だ。

 今回の彼らはアメリカ娯楽映画のどれ…と特定出来るジャンルを明快に打ち出したわけではないが、そこかしこに散りばめられたアメリカ南部の定版アイテムやイコンの数々によって、僕らにいつかどこかで見たアメリカ映画を思い起こさせてくれる。たぶんそれらは現実にはどこにもない、おそらくスクリーンの世界でしか見れない、あの馴染み深い南部の世界だ。

 そして今回はドラマの原作として、何とホメロスの「オデュッセイア」を拝借してきたと言う。僕が「オデュッセイア」をダイジェスト版ながら読んだのは何と中学か高校の頃。だから今回の映画のどこがどう「オデュッセイア」に該当するかは、正直言ってよく分かっていない。強いて言うなれば、セイレーンに該当する女たちのくだりだけかな? だから、ハハァ…なるほどうまくやったなというような、アダプテーションの妙を味わうことはあまりなかった。こうなると、僕が果たしてこの映画を偉そうに語る資格があるかと話になっちゃうね。

 だが考えてみると「オデュッセイア」は「オデッセイ」、つまりは冒険の旅だ。そして「冒険の旅」とくれば、ドラマというものの基本形の一つ。特に「ロードムービー」など「移動」の物語を得意とする映画というメディアでは、ほとんどすべてがそこに根ざしていると言っていいのではないか。

 本来、ドラマというものは始まりから終わりまで辿っていく間に、さまざまな山や谷を経過していく。それは「オデュッセイア」の予言者が語るように、幾多の苦労に満ちている。そんな諸々の出来事をかいくぐって行くうち、主人公は成長したり、何かを悟ったり、何かを手に入れていたりする。ドラマの始まりと終わりでは、主人公の何かが変っている。そして、そのドラマを味わってきた僕たちも、そこから何かを得ている。つまりドラマそのものがまさに一つの「冒険の旅」なんだ…すぐれたドラマとはそういうものだろう。そして、それこそまさに「オー・ブラザー!」の趣旨でもある。

 そう考えると、この「オデュッセイア」をアメリカ南部に移植してきたのも意味深く思える。ここでの南部とは明らかにアメリカの“ハートランド”として存在している。

 そこでは派手なキャンペーン(=宣伝、広告、メディア)をブチかましながら知事選(=民主主義)が展開中だ。ギャングの銀行強盗(=犯罪)があり、妖しげな水辺の美女たち(=セックスの誘惑)も宗教の洗礼(=純朴さ、イノセンス)もKKK の集会(=人種差別)もある。そして全編にブチまけられたような音楽(=エンターテインメント)がある。この音楽がまたすごくて、ゴスペル、ブルース、カントリーなどなど、アメリカン・ミュージックのルーツだらけと言うか、これはこれでアメリカ音楽の「ハートランド」。

 こうなると、主役を演じるジョージ・クルーニーがどこかかつてのハリウッドの「キング」、クラーク・ゲイブルの若い頃をコピーしたような、当時を彷彿とさせる雰囲気を出しているのも興味深いね。

 そして忘れてはいけない。南部と言えばコーエン兄弟の映画の旅の出発点「ブラッドシンプル」の舞台ではないか。あれも南部臭プンプンと異邦人の僕らには思えたよね。ところがコーエン兄弟って、実は生まれも育ちも、どこにもその基盤を南部には置いていないと言う。だとすればこの「オー・ブラザー!」での南部回帰、自らのルーツでも何でもない、まさに映画的キャリアの出発点への回帰ではないか。

 さまざまなドラマやジャンル映画の再構築を通過してきたコーエン兄弟が、自らの映画的出発点であり、アメリカン・ミュージックの原点であり、アメリカを凝縮したようなあの南部に戻り、お話の根幹としてドラマの基本中の基本「オデュッセイア」を持ち出してきたのは偶然ではないはずだ。

 それは決して単純に自らの原点回帰などではない。「ブラッドシンプル」の南部に戻って来たからって、そんな後ろ向きのものなんかじゃない。ドラマ中のドラマ「オデュッセイア」とアメリカの「ハートランド」=南部を選択した時点で、彼らにはもはやアメリカ娯楽映画の一ジャンルなどに留まろうという気がないことを表わしている。それは強いて言うなれば映画そのもの、アメリカ文化そのものを視野に入れていこうという気構えとも言える。「オー・ブラザー!」は、彼らがさらにもっと大きなフィールドを相手にしよう、さらに大きな作家になろうという宣言ではないかな?

 でも、それで僕は納得できるのか?…って懸念がファンとしてはあった。

 かつてのジャンル映画の壁をチョロチョロとまたぎながら作ってた頃の作品に比べ、近年の作品にはどうもノリきれなかった僕。やっぱり昔が良かったなって心のどこかで思ってた。そんな僕にコーエン兄弟の新しい脱皮を喜んで受け入れられるか??

 それとねぇ、元々この兄弟の作品には同様の傾向があったんだけど、語り口がうまくて、うますぎちゃって…イマイチ心に届かないって言うのかね。見た時は確実に面白いし素晴らしいと思うんだけど、後々まで心に残る力強さには欠けているように思うんだね。仮に下手くそな作品でも、この力強ささえあればそれは忘れがたい作品になるはず。「ミラーズ・クロッシング」あたりにはこれが確実にあったのに(下手じゃなかったけど)。

 でもねぇ、ここまでずっと見てくるうちに、僕の中では覚悟が出来た。もう「かつて」を懐かしんでも仕方ないと悟った。そして、それが素晴しい結果を生むだろうって確信もあるよ。

 だってさまざまなアメリカ娯楽映画の遍歴、ジャンル映画の旅を経てきたコーエン兄弟の辿った道のりは、遥かな娯楽映画の「冒険の旅=オデッセイ」だったはずだ。ならば、コーエン兄弟が変るのは当然だろう…そしてそれを見届けてきたこの僕にとっても。

 旅を続けていくうち、人はみな成長していくものだから。

 

 

 

 

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