「イルマーレ」

  Il Mare

 (2001/09/24)


時空を超えた韓国恋愛映画二題

 実は今年下半期、とてもよく似た狙いの韓国映画が公開される。一本は「イルマーレ」、もう一本は「リメンバー・ミー」。いずれも時を越えた恋愛を扱ったもので、触れるどころか相手の姿を見ることさえ出来ない「純愛」をテーマにした作品だ。これ本国でもそんなに公開が離れてなくて、「リメンバー・ミー」が昨年5月、「イルマーレ」は昨年9月に封切られたものらしい。だが企画のスタートは「イルマーレ」のほうが早くて、撮影をじっくりやってるうちに公開時期が遅くなったとか。

 実は「リメンバー・ミー」、違う年代の同じ大学に学ぶ男女学生のお話だが、そのテコとなるのが通信機だというあたり、昨年末にわが国でも公開されたアメリカ映画「オーロラの彼方に」が下敷きになっていることはほぼ間違いなさそう。こうもつい最近の映画を露骨にいただいちゃって果たしてどうなんだろう?という疑問は当然湧いてくるけど、これについては現物を見なくては何とも言えないだろうね。出来上がりが素晴らしければ、まぁ僕は文句ないけどね。

 そもそも今や映画界はリメイクやり放題。そして近年はみんな何がしかのかたちで過去の映画やら小説やらを引用してつくってる。パクりをバイタリティにしていまや独自のオリジナリティを得た香港映画の例もあることだ。面白い映画をつくるための手段として、程度の差こそあれパクりも大いに認めたいとは思うよ。

 ではこの「イルマーレ」についてはどうか?…というと、これもれっきとした下敷きがあると僕は見た。それが何かというのは後述するとして、まずはその映画そのものを見てみなくてはね。

 

それは海辺の一軒家の郵便ポストから

 海辺のちょいとシャレたモダンな一軒家。今まさにその住人である若い女の子チョン・ジヒョンが、引っ越し荷物をまとめて家を出ようとするところ。彼女はクリスマス・カードにメッセージを書いて、家の年代物ののポストに投函した。

 私はこの家の前の住人です。わだすに連絡があると思いますので、手紙が来たら私の新住所に転送してください。イルマーレでの新生活の幸運を祈って…。玄関に犬の足跡があるけど、すぐに慣れると思います。1999年12月21日、チョン・ジヒョン。

 同じ海辺の一軒家。今まさに引っ越してきたのは若い男イ・ジョンジェ。う〜ん、アーバン・ライフに疲れたハイセンスなこの僕にピッタリの家だなぁと思ったかどうかは知らないが、彼はこの一軒家に「イルマーレ」ってな気取った名前を付けて、家の外にしゃれた表札を付ける。「イルマーレ」ってのはイタリア語か何かで海という意味。ついインテリだから教養ほとばしっちゃうんだよなぁ、癒されるにも知性が必要なんだよこの僕は。

 この男、元々は大学で設計を勉強してたらしいが、なぜか大学からドロップアウトしてこの一軒家に越してきた。今じゃ近くの工事現場で労働者として働いてる。学校の友人や後輩の女の子が心配してやってくるが、なぜか訳ありな様子。ホラ、やっぱ僕みたいなインテリってナイーブだし、傷つきやすくってさぁ。

 そんなある日、彼はフト郵便ポストを覗いて、例のクリスマス・カードを発見する。ところが読んでいて妙なことに気づき、家主のところにやって来る。

 「僕の前にこの家に住人はいなかったはずだよね?

 その通り。この家は新築のピッカピカ。不審に思った彼は手紙をしたため、例の年代物のポストに入れた。その手紙にいわく…。

 僕がこの家の最初の住人だから、何かの間違いじゃないの? そういやイルマーレって名前をどうして知ってるの? 1997年12月28日、イ・ジョンジェ。

 そう。彼は1997年にこの手紙を書いてる。だが例の手紙の日付はほぼ2年後の1999年。こりゃ一体どういう訳だ?

 一方、この海辺の一軒家から出た女の子チョン・ジヒョンの方はと言うと、新築マンションに侘びしい一人暮らし。テレビ人形劇の声優か何かやってるみたいだけど、それもパッとしない。オラオラオラ、何かもうちょっと元気は出ないのかな〜と演出家に怒られて、どうせわだすがみんな悪いんだす〜と泣きたい気分。彼氏がいたみたいなんだけど、どうも今は音信不通みたいだ。同居人は毛がモシャモシャ生えた犬が一匹。わだすざびじいよぉぉぉ。

 フト前に住んでいた一軒家を訪ねて例のポストを見てみると、自分が投函したクリスマス・カードはなくなっていて、代わりにイ・ジョンジェの手紙が入っているではないか。おまけに1997年とはどういうことか? いぐらわだすがヤボくさいダサ女だからってバカにすんでねえとのメッセージをしたため、新しい手紙をポストに入れる。

 またポストに新しい手紙を発見したイ・ジョンジェは、ますます分からなくなってくる。そんなある日、家に一匹の野良犬が迷い込んでくる。仕方なくモシャモシャ毛のその犬を飼い犬にしたイ・ジョンジェ。ところがその犬、足に塗りたてペンキを付けたまま走り出し、きれいな家の玄関にペタペタ足跡付けたからたまらない。ああ〜新築のきれいきれいなこの家を汚しちゃって、このバカ犬ぶっ殺すぞって、おおっとついついインテリの僕に似つかわしくない言葉が出ちゃった。

 待てよ? 例のクリスマス・カードには犬の足跡がどうとか書いてあったよなぁ。何でこの女の子、先にその事知ってるんだ? ひょっとして本当に2年後から来てる手紙なの? 僕みたいなインテリってメルヘンに弱いからさぁ。

 そう。どうやら本当に2年の時を超えた手紙らしいと、イ・ジョンジェもチョン・ジヒョンも気づき始めた。チョン・ジヒョンが試しに自分のヘアバンドをポストに入れるとしばらくして消えてなくなり、2年後のイ・ジョンジェがそれを受け取った。なぁんだ、ヘアバンドじゃなくってブラかパンティでも送ってくれればいいのに…と内心イ・ジョンジェは思ったものの、女日照りが続く彼はしっかりそいつをオカズに使ってうっとり。僕みたいなインテリは精神的な充足感を重視するから、エロ写真みたいな即物的なものよりこういうモノのほうがオカズになるんだよなってな変な自慢なんかしたりして。もちろん手紙にはオカズの件はオクビにも出さず、うっとり甘ぁい言葉で彼女に語りかける。チョン・ジヒョンもすっかり手紙の虜になってせっせと返事書きに余念がない。2000年ミレニアムのカウントダウンの時ですら、一人でマンガ喫茶の店番バイトという寂しい境遇だけに、この手紙の主に思いは膨らむのだった。どっでもロマンジックでずでぎだわぁ〜。

 そんなある日、イ・ジョンジェは父親の急病の報に動揺する。実は父親は高名な建築家だった。チョン・ジヒョンに父親のことを調べてくれと頼むと、彼女は本屋でこの建築家の作品集の本を見つける。だがこの建築家はすでに死んでいた。それも何とちょうど2年前に! 早くしないとイ・ジョンジェが父親の死に目に会えないと焦りに焦るチョン・ジヒョンだが、何でもスローモーで歩くときもドタドタとのろくさい彼女に、急げというのが酷というもの。彼女は車にはねられてケガ。おまけにどこ見てるんだバカヤローという罵倒まで飛ぶオチまでついた。どうせわだすはノロマだよぉ、お〜いおいおい。彼女が病院にいる間に、イ・ジョンジェの父親は亡くなってしまった。

 しかたなく彼の父親の作品集の本をポストに入れるチョン・ジヒョン。この本を受け取ったイ・ジョンジェがパラパラとめくると、何とこの一軒家「イルマーレ」の写真が出てきた。「愛する息子のためにつくった」との記述に、思わずインテリの斜に構えたポーズが崩れるイ・ジョンジェ。

 実は彼の父親は、彼がまだ幼い頃に家庭を捨てた。それ以来、彼は父親に憎しみを抱き続けてきたのだ。だが、そうは言ってもつい最近まで父親と同じ建築家を志してきたというのは、心のどこかで慕う気持ちもあったのだろうか。でも、そんな気持ちは露わにするもんか、だって僕ってインテリでソフィスティケートされた男だから、感情ムキ出しなんてヤボなことはイヤなんだもんね。

 だがチョン・ジヒョンはそんなヒネた彼に、親のことを悪く思っちゃいげね、泣きてえ時は素直になんなきゃいげねえよと優しく諭す。愛してくれなかったと思ってた父親が、自分のために心を込めて残してくれたこのイルマーレの家。それが何よりの愛情の証と悟ったイ・ジョンジェは、自分の中でこわばった気持ちが徐々に溶けてなくなっていくのを感じた。

 2年の時の隔たりはあっても、二人は同じ場所で同じ過ごし方をしながら、お互いの気持ちが通じ合うのを感じていた。こうなりゃ会おうとくるのは自明の理。2000年3月11日、済州島でご対面の約束までした。そこは、彼女がいつか家を建てて暮らしたいと願っている場所。運命の初対面にはピッタリの場所だ。

 ただ、それって彼女にとっては数日後のことだが、彼にとってはあくまで2年後の約束。果たして二人は対面できるのか?

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは映画を見てから

 

 

 

 

 

 

 

 

 運命の日、済州島の待ち合わせ場所近くに新築中の家を見かけるチョン・ジヒョン。その建築を指揮している女性がイ・ジョンジェの後輩だった女性であることも、その彼女の表情が暗かったことも、今はチョン・ジヒョンは知る由もない。

 待ち合わせの場所にずっとたたずむ彼女。だが、彼はついに来なかった。わだすがブスで大根足だから逃げちゃったのがなぁ。ガックリ落ち込むチョン・ジヒョン。自分が来なかったと彼女からの手紙で知ったイ・ジョンジェも、彼女そんなにブスだったのかなぁと実はチラッと思わなかった訳ではない、だがもし仮にそうだとしても、洗練された紳士の俺だったら会うだけ会って適当なこと言って早めに帰っただろうと考え直すところが彼らしい。じゃあ一体なぜだ? この2年の間に俺の身に一体何があったんだろう?

 そんなある日、イ・ジョンジェは昔の彼氏と街でバッタリ出くわす。実は彼はアメリカに留学に行ったまま、彼女との連絡を絶っていた。その帰国した彼にはもう新しい女がいた。なんでわだすを捨てだの〜と迫られたこの元彼氏は、まさかおまえよりいい女が現れたからだ…とも、元々おまえとは他に女がいなかったからつき合ってたんだ…とも、大体おまえはサゲマンでつき合ってた時ロクな事なかったからな…とも言えずに、シドロモドロの言い逃れに終始。俺が留学すると言ったあの日に、一緒に行くと言えばこんな事にはならなかった…と、いい加減な心にもない言い訳をする。ああ〜やっばりわだすがみんな悪いのね〜。

 血迷ったチョン・ジヒョンは、イ・ジョンジェの手紙にグチたれまくり。わだすやっぱり彼氏が忘れられないとかバカなゴタクを並べるからイ・ジョンジェはウンザリする。あげく、わだすと彼氏が別れないようにして…などと無理難題をふっかける。あなだなら出来るでねえか〜、2年前に生きてるんだじぃ。わだすが彼から留学の話を切り出される、2年前のあの日の喫茶店に来てわだすを説得じでけろ〜。

 そんな無茶を言ったチョン・ジヒョンは、ある日のことイ・ジョンジェが在籍した大学の研究室で、彼のその後を知って愕然とする。何とイ・ジョンジェは2年前に亡くなっていたのだ。それも、彼女が彼氏から話を切り出された喫茶店に行こうとして、店の前で車にはねられたのだった。あ、そう言えば…あの日、店の外で車にはねられたドジな男がいた。わだす、そうとは知らなかったから、ドジな奴と思いっきりバカにしてやったっけ。

 さぁ大変! もう一刻も猶予はならない。今回はドタドタ走って間に合わないとマズいと、タクシーに乗ってイルマーレにやって来た。喫茶店には行くなとあわてて手紙を書いた彼女は、それをポストにすぐ入れればいいものを、一応ていねいに封筒に入れなくちゃとオタオタ。んなことやってる場合じゃねえだろ、どこまでグズでノロマで使えない女なんだおまえは! やっと入れてはみたものの、やっぱり間に合わなかったくさい。それが証拠に、彼は例の約束の日に来なかったではないか。わだすが悪かっだんだぁ〜わだすやっぱりサゲマンだぁぁ〜お〜いおいおい。

 彼女はやっぱりサゲマンだったのか?

 

時間軸を超えた手紙のやりとり

 この映画、2年の時を越えた手紙のやりとりというのがミソになっている。ズバリ指摘させてもらえば、実はこのお話の原型はファンタジー小説の名手ジャック・フィニーの2つめの短編集「ゲイルズバーグの春を愛す」に収録されていた、「愛の手紙」という短編小説が下敷きになっていると見た。

 現代(小説発表当時の1950年代)のニューヨークに住む青年がある日たまたま手に入れた骨董の机に、隠し引き出しを見つけるところから物語は始まる。その引き出しにはかつて机の持ち主だった若い女性が、80年ほど前に秘かに書いた愛の手紙が隠されていた。青年はほんの気紛れか、その手紙に返事を出してあげる気になる。骨董の机は近くで取り壊された屋敷から出てきたシロモノなので住所は分かっていた。その机にしまってあった古い便せんとインクを使い、これまた時代物の切手を貼って、返事の手紙を昔の古い佇まいを残したニューヨークのとある郵便局で投函する。ところがこれがなぜか時空を超えて、古い手紙を書いた当人の若い女性に届いてしまった。何と机にはあと2つ隠し引き出しがあり、その一つを開けてみたところ彼女からの返事が出てきたのだ…。

 理屈で考えれば辻褄が会わないお話ながら、ここではかつての街並みや佇まいを部分的に残すニューヨークの街という舞台設定が十二分に活かされている。そこにジャック・フィニーの絶妙な語り口が加わり、何とも説得力ある時間軸を超えた愛の物語となって読む者を感動させる。ラストの余韻はちょっと忘れられないよ。

 かなり設定は変えられているとは言え、「愛の手紙」を読んだ者なら「イルマーレ」がその発想をこの短編小説から得ているのは間違いないと思うだろう。

 実はこの「イルマーレ」、先にもう一本の韓国映画「リメンバー・ミー」の下敷きになったらしい「オーロラの彼方に」を大いに意識しているフシもあるのだ。「オーロラ〜」では現代青年ジム・カヴィーゼルが30年前の父デニス・クエイドの死の危険を案じながら、酒の入ったグラスを床に落として割るというスローモーション・ショットが出てくる。この「イルマーレ」でもチョン・ジヒョンと彼氏のいる喫茶店に向かおうとするイ・ジョンジェが車にひかれた瞬間、彼女が飲み物の入ったグラスを床に落として割るショットが出てくるのだ。確かにこの手の描写はよくあることとは言え、この二つの符合は偶然とは思われない

 こうして見ると、「イルマーレ」の監督イ・ヒョンスンってちょっとオリジナリティなさすぎって気もしてくるねぇ。それとも元々の脚本のせいか。パクりは決して悪くないんだよ。でも後述するけど、もう一工夫って言うかヒネリがなさすぎだからねぇ。

 映画自体はちょっと気取りすぎとは言え、なかなかいい雰囲気で切なくって後味も良い。お話が始まってしばらくは2年の落差を明かさずにドラマを進行させて、お客さんをあれっ?と思わせるあたりもなかなかのもの。例によってオリンピック以降の韓国の洗練ぶりを思わせるように、かつての韓国映画の泥臭さが払拭されたセンスのよさ。昔からの韓国映画ファンにはそこらへんが逆に食い足りなく感じられなくもないが、それでこそ今広い観客の支持を集められているんだろうしね。特に「八月のクリスマス」あたりに感激した人なら、大いにハマる可能性は大。

 だが、こうしたちょっと変わった味わいの恋愛映画の場合、ラストのひねりでグッと引き込んで泣かせるのが基本ではないか。例えばファンタジーではないが香港映画の「ラブソング」なんかも、ラストのラストで「ややっ?」と思わせる仕掛けがあって、そこで観客の涙を搾り取った。ここでは最終シークエンスでの意外(?)なオチで泣かせるつもりだったんだろうけど、それって実は意外でも何でもないからねぇ。それに、時間のパラドックスがちょっと考えただけじゃ分からない複雑さになっているため、ラストの意味は分かっても何でそうなるのか腑に落ちるまで時間がかかっちゃう。あっそうだったのか…と一気に観客を泣かせるには、いささかストレートさに欠けているのが辛いとこかも。

 それにこの映画のお話のミソになっている時代物のポストが、何で時間の壁を超えた空間になっているのかが分からない。例えば前述の短編小説「愛の手紙」では、骨董の机、そこに入っていた古いインクと便せん、古い切手、そしてニューヨークでかつての佇まいを残す古い郵便局…といった「昔を呼び起こす」ための道具立てが一応揃っていた。こちらは何でポストに手紙を入れると、ちょうど2年前に届くのか、2年後に届くのかが分からない。何でも理詰めにしなきゃならないものではないし、理屈つけたら興ざめするようなお話だけど、一応の理由付けくらいはないとお話が行き当たりバッタリで何でもありになってしまうよね。そこらへんもちょっと弱いんじゃないか?

 この手のお話にはからっきし弱いが、それだけに期待も大きい僕だからちょっと厳しい評価だったかな? ちなみに「愛の手紙」を収録したジャック・フィニーの短編集「ゲイルズバーグの春を愛す」は、ハヤカワ文庫でまだ絶版にしてなけりゃ手に入るはず。もし興味を持っていただけたなら、ぜひご一読のほどを。読んだらちょっと泣けちゃうよ。

 

 

 

 

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