「ロンドン・ドッグス」

  Love, Honour & Obey

 (2001/09/17)


一見勇ましくも正しく見えてはいるが

 僕がニューヨークを訪れたのは、今から10年以上前のことだ。

 例によって海外駐在員として現地にいた友人の元に転がり込み、フラッと遊びに行ったんだね。もちろんミーハー気分の物見遊山。アメリカじゃその前にロサンゼルスに行って、活気のなさに唖然としたもんだった。だけど、ここ「世界の首都」ニューヨークは違ったんだね。人がいっぱいでエネルギッシュで、ヨソ者の僕がいたって違和感がない。何しろアメリカ人に道を聞かれたんだからね(笑)。僕だって即席ニューヨーカー、ウディ・アレンの気分。ジョン・レノンがここに住みたくなった気持ちも分からないでもない。

 まずは地下鉄でマンハッタンの最南端まで下って、そこからフェリーで自由の女神見物。その後またマンハッタンの南端に戻って、そこからブロードウェイをまっすぐ歩いて北上した。これで街のめぼしい見どころは大体カバーできる。のんびり歩いて見物したニューヨークは、なかなか楽しい街だった。

 もちろん、かの有名なエンパイア・ステート・ビルにも上がったよ。最上階にはおのぼりさん用のスピード写真ボックスがあって、そこで笑っちゃうような間抜けな写真も撮った。展望台に行くと、そこから巨大なマンハッタンを一望出来るのは感激もんだったね。

 そしてその展望台から見ても一際高くそびえ立っていたのが、ワールド・トレード・センター・ビルのツイン・タワーだった。

 バカ高いエンパイア・ステート・ビルをもしのぐその高さに、僕は思わずため息が出たもんだ。だから、先日のあのテロの報道には、しばし呆然となってしまったんだよ。

 その日、僕が帰宅したのは夜の10時過ぎ。ちょうど始まったテレビのニュースが、衝撃的な映像を伝えていた。ワールド・トレード・センター・ビルを2機目のハイジャック機が直撃し、爆発炎上する瞬間の映像だ。

 やがて何とペンタゴンも旅客機に直撃される。ワールド・トレード・センター・ビルが2本のタワーとも崩れ落ちる。信じられないような映像がリアル・タイムで送られてくるのを見るうち、これはとんでもないことが起きた…と、さすがにニブい僕でも震え上がったよ。

 そこから先は国際政治アナリストか軍事評論家の領域になってきちゃうだろうけど、背景にはアメリカの対中東政策があるのはもちろんの事だろう。感心出来ない点が多々あるなんてことは、事情に疎い僕ですら薄々感じているくらいだもんね。だけどそれにしたって今回のテロは、何てバカなことを…と僕なんか思ってしまうし、狂っているとも感じてしまう。でも、やっている本人たちは頭がオカシイのでも何でもなくマジメも大マジ。真剣に正しいことだと思ってやっているんだろう。でなければ、これだけの大事を沈着冷静に、しかも命を懸けてやれるわけがない。つまりは「信念」ってやつが、それをやらせているのだろう。

 何はともあれ、「地球で唯一無比の超大国」アメリカだ。やっていることのうちには確かに無理難題、傲慢に横暴もある。それに対して真っ向から対抗できる術を持たない人々からすると、これはとりうる唯一の道…と思い詰めてしまったんだろうね。

 毅然とした態度をとれ、主張を通せ…それってカッコイイし勇ましげで正しいことのような気がする。どう考えても非道で残虐な暴挙でも、一瞬良いことなんだと思わせてしまう…つまりは思い詰めた「信念」っていうのは、そんな危険な一面があるんだね。そして、そんな「毅然とした態度」ってやつをとったその時には、気分もさぞかしスカッと晴れ晴れしちゃうんだろう。後先考えると愕然としちゃうような愚行でもね。

 おそらくこの後でアメリカによる大々的な報復攻撃が行われるのは、これだけの災厄を被ったという国民感情的な面からも避けられないところなんだろう。そして、それは正当なものであるか否かは別として、このテロとまったく同じ「毅然とした態度」という理屈で行われるのに違いない。かくして新世紀の幕開けから、呪われた連鎖が永く繰り返されることになるわけだ。

 そういやわが国でも、ずいぶん前からリーダーシップの重要性って何だかんだと言われ続けていたよね。まず政治家のリーダーシップ…その決断力、実行力、そして何より主張を通せるかどうかが、やたら問われてた。つまりは、ここでもまた「毅然とした態度」が大事というわけだ。 なるほどねぇ。下々のみんなって、そんなに強い指導者とやらに力一杯引っぱられたいのかい? 

 「毅然とした態度」ってカッコいい。だけど、本当にそれでいいのだろうか?

 実は最近、僕は人間なんて頼りないくらいが丁度いいのかもしれないって思うんだ。だって、いろいろ複雑な要素や問題がからむ今の世の中って、そんなにエイッて威勢良く物事片づけられるようになってないように思うからね。大体、僕ら一人ひとりにしても、そんな事の善悪が即座に判断できる度量の持ち主だと思ってる?

 物事深く考えれば考えるほど、臆病にも…慎重にもなろうってもんじゃないかな?

 

ロンドンのヤクザ社会に転職してみたら

 ジョニー・リー・ミラーとジュード・ロウの二人は幼なじみ。だがその辿ったコースはいまや天と地ほども差があった。伯父のレイ・ウィンストンがロンドン北側の大ボスというロウは、その伯父のお声掛かりで組織の中堅どころとしていい顔。それに引き替えリー・ミラーと来たら、生来の虫も殺せぬ気弱さが仇となったか人生ジリ貧。郵便配達のショボい仕事にありついたはいいが、サエない上司の自慢話を毎日聞かされるザマ。パッとしない日常、先が見えちゃった生活。これでは自分の将来に不安を抱かずにはいられない。

 これではいかんと奮起一番、リー・ミラーはロウを呼び出して、伯父に掛け合って組織に入れてもらうように頼み込む。性根は気弱なくせに、柄にもなくヤクザに転身しようたぁいい度胸だ。その手始めに持ちかけたのがクレジット・カード詐欺の仕事。これはボスのウィンストンの手頃な小遣い稼ぎにもなった。しかもトラブルが起きた時の的確な処置がウィンストンの目にとまり、リー・ミラーは組織に本採用ともなったからめでたいかぎり。 よ〜し、やったるで〜。ここでわれらが気弱男リー・ミラーも、ぐっとヤクザ開眼したってわけ。

 しかし憧れていたヤクザの世界は聞くと見るとでは大違い。まずボスのウィンストンからしてカラオケ狂い、愛人で女優のセイディ・フロストには頭が上がらず、プロポーズもやっとという有様。ボスからこれだからして、インポを気に病む男とそれを助けるべく自分と嫁さんの変態プレイをアドバイスする男、デブでのろまな気のいい男など、手下たちにもおよそ緊張感がない。一皮むけてからは別人のごとく強気になってたリー・ミラーは、せっかくヤクザになったのだから手柄たてたいと気ばかり焦ってくるのだった。

 やがて自分たちのシマにある酒場で、南の組織のゲームマシンを発見したリー・ミラーとロウ。これをボスにご報告して意気揚々のリー・ミラーは、ロウと一緒に組織の全権を担って、南の大ボス=ショーン・パートウィーの元にネジ込みに行く大役を仰せつかったから大得意だ。だが、調子に乗って南のボスの手下リス・エバンスにガン飛ばしたから話が面倒になる。何とかその場を納めたジュード・ロウは、ジョニー・リー・ミラーにイキがって出しゃばるんじゃないと諭すが、リー・ミラーとしちゃ内心面白くはないのだ。

 ところがこの時トイレに入った二人は、偶然に南の連中の面白い話を聞いた。この南の組織のヘロインが、何と裁判所のそばに停めた車のトランクに無防備にしまってあると言うではないか。こりゃ面白いとその場に行ってみると、確かに車はあるにはあったが、南の手下たちが車に乗り込んで待機していた。これじゃ盗るに盗れない。

 そこでリー・ミラーは俺に任せろとばかり、車の二人をブチ殺してヘロインを盗み出した。あわてたロウはリー・ミラーに、この件は二人の秘密だとクギを刺しておくのを忘れなかった。 下手すりゃ全面戦争だ。

 だが、リー・ミラーはへまをやった。例のゲームマシンを見つけて店の主人をいたぶった時、この主人の額に「クズ」と書いたのがいたく気に入ったのか、ヘロイン強奪の際にもスプレーで車に「クズ」とでっかく書いていたのだ。

 当然、南のボスのパートウィーは怒ってウィンストンにネジ込みにくるが、ウィンストンはリー・ミラーがトボけてるので何のことだか分からない。そんなこんなでパートウィーは完全に怒り心頭となってしまうんだね。話し合いにやって来た北側の手下を監禁して痛めつけてしまう。

 しかもリー・ミラーは調子に乗って、例のガン飛ばしたエバンスを次々挑発する。これにはさすがのエバンスも腹に据えかねた。ウィンストンの車を爆破したり、双方やることがどんどんエスカレートする。

 だが、これこそリー・ミラーの望むところ。ヤクザが他の組織の連中と仲良しクラブで共存するなんてナンセンス。この俺も男の世界であるヤクザに就職したからには、勇ましく毅然とした態度でいかなくては。ウチの組の他の連中はあまりにチンタラとダラけすぎてる。ちゃんと働いているのは俺だけ、信念を持って組のためを思っているのはこの俺だけだ。こりゃ俺が一発カツを入れて、全面戦争にまで発展させなくては。ヤスクニに行く行かないなんてよその国から言われていいのか、キョウカショをどうしたこうしたなんて文句言われていいのか、もっとコワモテに出なきゃいけないんだよ。そうだ、民間の罪もない人間の乗った旅客機をハイジャックしろ、そいつでワールド・トレード・センター・ビルをぶっ潰せ、ついでにペンタゴンもブッ叩け、先手必勝で攻めなきゃダメなんだよ。あぁ、なんて国の…いや、組のことをマジメに考えているんだ俺って。ついこの前までジミに配達やってた分際なのに、ちょっとばっかしヤクザの世界をのぞき込んだだけでスッカリその気。よせばいいのに聞いたふうなクチきいて、いいかげん調子こいてイキがるリー・ミラーなのだった。

 そんなこんなで一回は火がつきかけて銃のドンパチ飛び交う全面抗争に発展しかけたものの、なぜかまた収まってしまったのが何とも不甲斐なくもどかしいリー・ミラー。でも、実際のところ大ボス二人は無駄な労力なんぞ使いたくもない。第一、フロストとの結婚が控えるウィンストンとすれば、夢に見るのは彼女との安定した生活なのだから無理もないところだった。

 そんなウィンストンの結婚式でまたしてもカラオケ三昧という状況は、だからリー・ミラーとしては面白くなかった。だが、そんな見通しは甘かった。大ボス同士は納得してもコケにされっぱなしのエバンスが黙っちゃいなかった。結婚式に紛れ込んだエバンスはリー・ミラーを仕留めようと発砲。それが別の手下に当たって、結婚式はメチャメチャになった。

 今さらながら自分が引き起こした事の重大さとヤバさに気づいたリー・ミラー。だが、もうその時にはすべて手遅れだったとは、彼自身まったく気づいていなかったのだ…。

 

「毅然とした態度」が生み出すもの

 これって先日公開された「ファイナル・カット」ってジュード・ロウ主演の映画同様に、またまたロウのお仲間が集まってつくった映画みたいだね。感得と脚本も「ファイナル・カット」と同じドミニク・アンシアーノとレイ・バーディスの二人。この二人が重要な役で出演までしてるってとこまで同じらしい。その「ファイナル〜」見ていないから詳しくは語れないけど、どうもあっちの方はお遊び的要素が強いみたい。だけどこちら「ロンドン・ドッグス」の方はかなり面白いし本格的なコメディ・ドラマだよ。

 今、コメディと言ったけれど、確かにこの映画は笑える要素が多い。大ボスがカラオケに夢中で何かというと歌いまくる。そんな歌のひとコマひとコマが、進展中のドラマに割って入るあたりもなかなか笑える。

 そしてここに出てくるヤクザの連中のフヤけたズッコケぶりも傑作。時折チラつく暴力と日常的な笑い…それが実際のヤクザのリアリティではないかと描いているあたりが、なかなかユニークだ。

 昨日今日やっとこ暗黒街の仲間入りしたばかりの主人公ジョニー・リー・ミラーは、そんな仲間のフヤけぶりを歯がゆく思い、何とか一発仕掛けようと大いに背伸びしてイキがる。実はそれまでのサエない生活に比べて、ヤクザな世界ってもっと派手で華やかなもんじゃないのかって憧れがあったが故のツッパリだってとこがミソだ。このあたりも何とも滑稽だが、見ているうちに何となくこの物語が、そんなロンドン・ヤクザのチマっとしたお話にとどまらないと感じさせてくるからなかなかこの脚本は見事だ。 それは人間の抗争の構図…それも力を誇示するタイプの人間ではなく、本来はイノセントであるはずの人間が引き起こす抗争について描いたものなのだ。

 20世紀の終わりに米ソ冷戦が終結したのはまことにめでたい限りだが、その結果平和な世界が生まれたかと言えばむしろ逆なのは皮肉な話だ。その代わり生まれたのが、世界各地で小規模な局地戦が繰り広げられる、よりヤバくて悲惨な状況。宗教紛争、民族紛争とかたちは違えど、どれもこれも共通するのはテメエたちが正しい、テメエたちさえ良ければいいというヤケに偏狭な考え方から起きた戦いだということ。紛争には発展していないまでも、超大国からわが国あたりまで年がら年中他の国々と関係が悪化したりモメたりするのは、こうした偏狭な考え方が世界の隅々にまで蔓延してきたからだろう。一体どうして近頃こんなに人間は、どいつもこいつも安手のゴロツキ並みにガンを飛ばしあい突っ張りあうようになったのか。 オレはマジメに国のこと考えてる…なんて言う奴に限ってこの手のゴロツキ発想だからイヤになる。これじゃラッシュ時の駅で肩がぶつかったとたん、相手にスゴむような連中の発想と大差ないぜ。

 そして今やこうした考え方が、政治家や権力者からではなく善良であるはずの下々の人々からわき上がって来るようになってきたのが問題なのだ。国際政治のヤバさなんて思いもしない、いろいろなシステムの複雑さも知ってもいない、他国どころか自国の歴史すらよく分かってもいない我々が、訳もわからないままうまくノせられ、聞いたふうな理屈で自分たちのメンツやプライドを振り回す。僕も含めて、こんな有様ほど滑稽なことがあろうか。まぁ考えてみればこの文章もしかりなのでデカい事は言えないが、俺たちごときが天下国家を偉そうに論じてるなんて笑止千万だよな。

 そして言いたいことを言えとか民族の誇りだとかプライドだとかって、何しろ威勢がいいし一見正論に見えるからますます始末が悪い。四方八方塞がりで不景気な話しかないこのご時世に、こうした勢いのある話に飛びつきたくなるのも無理はない。逆に話し合いで何とか穏便に解決していくって、プロセスが面倒だしカッコよくもないからね。どこかミジメったらしくさえある。みんなが派手なパフォーマンスに憧れ、コワモテに主張を振り回したくなるのも、そのへんが理由なんだろう。とにかく相手がゴチャゴチャ言いやがったらガン飛ばして脅かしてやれ、「毅然とした態度」でな!

 だがジョニー・リー・ミラーの主人公は、終盤でイヤと言うほどそんな自分の考え方が甘かったことを思い知る。大したことねえとタカをくくってた自分の身内を含めて、この世界が実は心底恐ろしい世界なのだ…ということ、そして自分はそれがまるで分かっていなかった…ということを悟らされる。フヤけた連中に自分がカツ入れてやるだって? そんないい気になってたイキがりが、徹底的に粉砕されるラストはゾッとするよ。確かに滑稽な男の末路として笑えなくもない。だが、そんな滑稽さって僕ら自身にそのまま返っては来ないか? そりゃあヨソの連中の言いなりになっていいとは決して言わない。自分の意見がないままでいいとは僕も決して思わない。だけど、毅然としろ、文句なんか無視しろ、主張を通せ、やる時はやってやれ…そんな冷静な判断を欠いたテメエ勝手なイキがりが、回りまわってどんな結果を生むのかを、我々はみんなちゃんと考えたことがあるんだろうか?

 身のほどを知れ、勇ましい気分に酔って強がるのはやめろ、そして通さねばならないと思っていた自分の言い分が、真に正しいものなのかよく考えろ。僕らが自分の滑稽さを、痛いほど思い知らされるその前に。

 

 

 

 

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