「ジュラシック・パーク III」

  Jurassic Park III ロング・バージョン

 (2001/09/03)


 

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中国のかつての知将にも悩みはあった

 「泣いて馬謖を斬る」って言葉、みなさんは知ってるかい?

 これは有名な中国の古い物語「三国誌」に由来するものなんだが、なぁにFは何てモノ知りなんだって自慢するつもりなんかない。実は僕、この言葉を知らなかった(笑)。先日テレビで「三国誌」について取りあげていたのを見ていたら、この言葉が出てきたわけ。そこにわが親父の音声解説付き(笑)。この言葉の出どころってのは大体こんなエピソードだ。

 昔々、蜀という国に諸葛亮孔明という軍師がいて、これが軍事はもちろん内政にも腕を振るった大した男だったんだね。当時、中国には魏という国が猛威をふるっていて、周辺国を力でねじ伏せ残虐非道を繰り返していた。この時代に教科書問題がなくって、こいつらホントによかったね(笑)。知の人であると共に徳の人でもある孔明は、こいつらの非道を許すまじと魏の討伐を決意したわけ。そして蜀と魏の戦さが始まった。

 ある時、その戦さの重要な局面にあたって、孔明は自分の子飼いの若手である馬謖という男を起用したんだね。孔明には自分の後継者をそろそろ育てなくては…という気もあったし、やり手に思えたこの馬謖に大きな飛躍の場を与えたかった。そこで馬謖は軍勢を率いて戦いの場に臨むことになったんだ。

 ところで戦いにあたって孔明は、自分なりの作戦を授けて馬謖に軍勢を託したんだよ。ところがいざその決戦の場に着いて野営地を決める際に、馬謖は孔明のいいつけを無視して自分独自の決断をした。馬謖は馬謖なりに戦術を勉強していたし、俺ならば…との自信もあった。野営地には見晴らしのいい高台がいいと、山の上に軍勢を連れていったわけ。まぁ、彼としてはここで一発いいとこ見せたかったんだろうね。

 ところが敵もさるもの、夜に乗じて魏の軍勢は山を包囲しちゃった。馬謖たちはそこから一歩も出られなくなり、水の補給すら出来ない状態になった。すっかり弱ったところに総攻撃をかけられ、馬謖の軍勢は無惨な敗退を強いられることになったんだね。

 こうなりゃ馬謖の責任は重大だ。軍隊で一番やってはいけないこと、上官の命令に従わなかったことに加えての惨敗と大損害。普通なら万死に値する大罪なわけ。でも孔明にはお気に入りの部下である馬謖に極刑は下せまいと思いきや、予想に反して孔明は馬謖に死罪を言い渡したのだ。お気に入りでもそうでなくても、誉めるも罰するも平等にしなければ人はついてこない。潔癖な孔明はそのモットーどうりに泣く泣く馬謖を罰したんだよ。そして、彼の資質を見抜けなかった自分の階級も下げさせた。これが冒頭の「泣いて馬謖を斬る」の由来なんだね。

 まぁこれは悲惨な結果に終わった例だが、かくも才人の孔明にして後継者や若手を育てて起用していくことは難しい。大体、実は若いくせに生意気さもなくて従順なだけでは、とっても伸びる素質は望めない。このへんが人材起用の難しさなんだろうね。そして、そんな事を考えなくてはならなくなった時、自分も老いたと感じるものなんだろう。

 実は、僕もかつてコピーライターとして、自分が在籍していた会社の若い女の子を育てようとしたことがあるんだよ。それまでは先輩後輩上司部下の関係なんて大キライで、ずっとテメエ勝手にやってきた。それが自治体相手のエイズ・キャンペーンの仕事を始めようとした時、初めてそんなことをしてみようと思ったんだね。この仕事の独自性から言って、若い人の声って大事だったし、女性の視点も欲しかったから。しかもその女の子は社内でいろいろ軽視されてツラい立場に立たされてもいた。だから、仕事を通して彼女を育てられれば…などと柄にもないことを考えたわけ。

 最初はとにかくモノになるのか分からない五里霧中の状態だったが、人間というものは実地・現場で育っていくものなんだよね。彼女もだんだん物怖じしなくなってきた。それは喜ばしいことなのだが、自分を通り越して事を進めたがっているのを感じて、少々不愉快にもなってきたんだよ。それに彼女をバックアップする立場にいなくてはいけないのに、自分のモノ創りとしてのエゴもカマ首をもたげてきた。彼女のため、育てるためと言いながら、いつの間にか彼女を抑えつけコントロールしようとする自分に気づいていたんだね。それだけが原因ではないものの、そんな自分にイヤ気がさして、僕はまもなくその会社を辞めた。思えば僕はその時、まだ人を育てられる大人の度量がなかったんだろうね。僕自身が前面に出たがった。

 つまりはそれが、「若さ」ってもんなんだろうが…。

 

二度と見たくない悪夢が再び

 もう国連の管理下となって、人が立ち寄ることもなくなった例の「ジュラシック・パーク」の島。それなのに、なぜかその島に近づく一隻のモーターボートがあった。何とヤミでこの「ジュラパ」島の観光ツアーをやる連中がいて、お金をとって島に近づいてはパラセイリングで島の様子を見せるということをやってたんだね。今日のお客はマーク・ヘアリックという男に連れられた少年トレバー・モーガン。ビデオカメラなんか覗いて空からの「ジュラパ」観光とシャレ込んでいた。ところがハッと気づくとモーターボートには誰もいない。みんなどうしたんだ? ヤバいと気づいたヘアリックはモーターボートと結んでいるロープを切って、パラセイリングで島に不時着した。だが、ご承知の通りここは危険な「ジュラパ」島。はてさて、二人の運命はいかに?

 その頃、あの「ジュラパ」第一作で活躍したサム・ニール博士は、かつての同僚ローラ・ダーンと久しぶりに会っていた。そこにはダーンの幼い子供の姿が。実はダーンは今は結婚して家庭に引っ込んでいる身。「ジュラパ」第一作ではいい感じの間柄に見えたニールとダーンだが、結局二人はその後どうにもならなかったんだね。ダーンと子供の幸せそうな様子を見るにつけ、ちょっぴり寂しい気もするニール。だけど俺には恐竜がいる。俺はずっと恐竜に夢中な万年ガキなんだい、ガキ道極めるには女はいらないんだい…とヤセ我慢のニールであった。

 そんなニールは今日も今日とて恐竜後援会で募金集めだ。今やっている発掘もあとわずかで予算を食いつぶす。何が何でも金を集めなければと焦るニールだったが、万年ガキのニールは営業には向かない。後援会もあの「ジュラパ」のニールだから客が集まるんであって、その有り難い学問のお話は退屈そのもの。でも、お客から「ジュラパ」の話をしてくれと言われても、ニールときたらその件についてはノー・コメントとにべもない。「ジュラパ」の出来事はニールにとって悪夢以外の何ものでもないんだね。それにニールには彼なりのスターとしての沽券もあった。何だよおまえら、俺は「ジュラパ」だけの役者じゃねえぞ、だから「ロスト・ワールド」にも出なかったんだ。もっとも出演依頼も来なかったけどな。「ピアノ・レッスン」とか「イベント・ホライゾン」とか「マウス・オブ・マッドネス」とかの話は聞きたくねえのか。せめて「オーメン最後の闘争」のダミアンの話でもいいぞと言ってみても、お客はドッチラケでお金も集まらない。ケッ、だからにわか半可通で映画評論家づらするネット映画ファンはイヤなんだ。

 だけど発掘現場に帰ってみても、金欠状態は変わらない。助手でやり手のアレッサンドロ・ニボラに金が底をついたと言われて為す術もない。ニボラがコンピュータでスピノサウルス化石のノドを解析した結果、このスピ恐竜の声を再現できるノド笛をつくってくれたのがせめてもの慰め。ったく先生はまるで商売っけないからなぁとニボラに言われても返す言葉がない。俺だったら金のためなら客を喜ばす話だってする、「恋の骨折り損」みたいに「禁欲を守る」なんて出来もしない約束だろうが何だろうがしちゃいますよとニボラに言われても、ニールは「だって僕は一生好きな恐竜のことだけ考えていたいガキなんだも〜ん」の一点張りだ。

 ところがそこに思わぬ来客あり。大富豪との触れ込みのウィリアム・H・メイシーと嫁さんのティア・レオーニの夫婦だ。およそ学問に興味のないこの夫婦から頼まれたのが、何と「ジュラパ」島の観光ガイド。先生の有り難いお話をしながら「ジュラパ」上空を飛行機で飛んで見てみたいとのこと。なんだよ、また「ジュラパ」かとウンザリのニールだが、目の前にデカい寄付金の小切手チラつかされれば、さすがの万年ガキのニールもイヤとは言えない。まぁ正直言って俺も「ジュラパ」以外じゃ大ヒット作品ってないからなぁ。メルギブみたいに「リーサル・ウェポン」シリーズのようなヒットがたくさんあれば…。

 かくして飛行機でメイシー&レオーニ夫妻と遊覧飛行に出たニール。連れは唯一の話し相手のニボラだが、ニボラは噂の「ジュラパ」がライブで見れると大ハシャギ。あとはメイシーが金で雇った連中が二〜三人同行しているが、こいつらが胡散臭いのも気に入らないニールだった。

 そんなことやっているうちに「ジュラパ」上空。一所懸命説明するニールだが、実は誰も彼の話を聞いてない。しかも夫妻は「ジュラパ」に着陸すると言うじゃないか。冗談じゃないと機内で大暴れのニールだが、夫妻の雇った連中にこづかれてグロッキーとは情けない。これじゃ「リーサル」みたいなヒット作は無理だよ、ニールちゃん。

 気づいてみると飛行機は島に着陸してる。しかもデカイ声張り上げて誰かを呼んでいる。やめろバカそんなことしたら恐竜が襲ってくるぞと大慌てのニールの剣幕にも、全然分かってないレオーニはますます大声張り上げる。ようやく事態を悟ったメイシー夫婦だが、時すでに遅し。早速どう猛な恐竜が手荒い歓迎と来た。あわてて連れを一人置き去りにして飛行機離陸させようとしたが、てんやわんやのあげく離陸に失敗。飛行機はジャングルに突っ込んでしまった。

 ブッ壊れた飛行機は大木に引っかかったまま。そこに恐竜たちも襲ってくる。またも連れを犠牲にしながら何とかその場を命からがら逃げる一行であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

この後は映画を見てから

 

 

 

 

 

 

 

 

 事の成り行きが面白くないニールは夫妻を問いつめる。果たしてこの夫婦は映画の冒頭で遭難した少年モーガンの両親だった。遭難した少年を捜しにやって来たこの夫婦、実は大富豪でも何でもないと聞いてガッカリのニール。なるほど俺には大ヒット作に出演するチャンスもないわけだと、我が身の見る目のなさにウンザリする。しかもこの夫婦、かなり結婚生活が暗礁に乗り上げた状態。レオーニはメイシーのことを小バカにして、不倫を楽しむ今日この頃だったわけ。実はモーガン少年を「ジュラパ」に連れ出したヘアリックという男も、レオーニの不倫相手だったらしい。何だよ、元々事の起こりはこのレオーニが元凶だったんじゃないか。さっきはさっきでデカイ声張り上げて恐竜をおびき出す始末だし、何かとギャーギャー騒いでは事を面倒にするし、それだけでもニールはこのクソ女にキレる寸前。メイシーもこんな女サッサと手を切ればいいものを。

 いまや廃屋と化した「ジュラパ」施設にたどり着いても、そこは安息の場所ではなかった。思った以上に賢く、言葉を話して集団で狩りをするラプトル恐竜が襲ってきて、またまたレオーニはギャーギャー騒ぐ。九死に一生を得た一行だが、この期に及んでもモーガン少年を捜すと頑張るレオーニに、勝手にしろと言いたくもなるニール。こんな島でガキが一人で生き延びれるわきゃね〜だろバカ女めが。

 その後、海に向かって逃げるプランを立てるニールにしぶしぶ従う夫妻はじめ一行は、途中で少年を乗せていたとおぼしきパラセイリングのパラシュートを発見。ヘアリックの骸骨も見つけてまたしてもレオーニはギャーギャー騒いでの足手まとい。狂ったように逃げ出すレオーニをメイシーは追っかけて行くが、ニールは内心こんな女恐竜に食われちまえばいいのにとダミアン並みにドス黒い考えが渦巻いていると見た。ところがこの夫妻がえらいものを見つけてきた。例のラプトル恐竜の卵をワンサカ見つけてきたのだ。こりゃあますます連中増えてくぞと背筋が凍るニールだったが、そんな彼も連れのニボラの目が妙にギラギラ光っていたのには気づかない。

 それにしても行く手行く手にラプトルが現れ、その都度襲われるのにはまいった。胡散臭い連れの最後の一人もガプリと食われた。どうしてこんなに奴らしつこいんだと不思議に思っていたニールも、気づいたらラプトルの集団に取り囲まれてるではないか。絶対絶命。何だよ、俺はまだハリウッドでこれといった代表作がないんだ。これじゃ「ジュラパ」役者で終わっちゃうじゃないか〜。「ピアノ・レッスン」も見てくれよ〜。

 そこに突然、発煙筒が焚かれてあたり一面煙に覆われた。ラプトルはまごついて逃げ出した。ビビるニールの手をとって、彼を安全な場所まで連れ出す見知らぬ人影が! 誰だこいつは?

 何とそれは、遭難した後もこの島で一人生き延びてきたモーガン少年だった。

 

優れた娯楽作であることを超えて

 「ジュラパ」シリーズの三作目なんて、誰も期待しちゃいなかったよね。僕は御大スピルバーグ自らが手がけた二作目「ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク」からしてあまり買ってない。だって、確かにハラハラドキドキはするけれど、そのハラハラ場面を作り出すための無理を重ねた設定がシラけるんだよね。まるでドリフの「全員集合!」のコントのセットみたいな設定。これでもかこれでもかと無理やり引っ張る見せ場に正直言って辟易。最後にサンディエゴに恐竜が上陸しての見せ場もそれなりに面白かったけど、何だか「ゴジラ」みたいだったし映画の構成としては破綻していたよね。一作目のロマンみたいなものは影もかたちもなくなって、もうこのネタで三本引っ張るのは無理と思ってたもの。

 今回スピルバーグが監督やらないってのも、そういう訳なんだろうと思ってた。代わりに登板したのがジョー・ジョンストンというのにはちょいと興味を惹かれたけどね。というのも、あの佳作「遠い空の向こうに」があったから

 元々この人、「ミクロキッズ」とか「ロケッティア」とか「ジュマンジ」とか、特撮がらみのファンタジー好きな人。でも、「遠い空の向こうに」で監督としての格がちょいと上がったはずなのに、何でまた「ジュラパ」なんだと正直言って奇妙に思ったんだけどね。ところが映画ってのは最後まで見なけりゃ分からない。

 この新しい「ジュラパ」、もう出涸らしになっちゃってるだろうと思いきや、これがなかなかいいんだよ。ひょっとしたら映画としてはシリーズ中随一の出来かも。もちろん御大スピルバーグの第一作は、大作としての構えといいロマン漂う雰囲気といい一番の出来ではあるんだけどね。映画としてのムダのなさ、構成の妙ではこちらに軍配が上がるかもしれないよ。何しろ上映時間も短くってサクッと見れる。見せ場もサービス精神旺盛で、だけど二作目みたいなあざとさがない。娯楽映画として本当によく出来ているんだよ。

 そして注目したいのは、見せ物映画として引き締まったムダのない面白さを持っているだけでないところ。ドラマとしてもそれなりによく出来ているという点が見事なのだ。例えばウィリアム・H・メイシーとティア・レオーニとトレバー・モーガンの崩壊家族が、危機を乗り越えていくうちにお互いの絆を再確認するあたりの眼差しに、やはりあの「遠い空の向こうに」を通過してきた厚みを感じるよね。

 そんな「ジュラパ III」のドラマとして最も優れている点…それはサム・ニール扮する恐竜学者の成長を描くくだりなのだ。

 映画の冒頭、サム・ニールの主人公は、一作目にも登場した元同僚の女性学者ローラ・ダーンの自宅を訪問している。彼女はすでに結婚して子供もいた。確か一作目では、この二人の間に何がしかの恋愛感情が存在していることが暗示されていたはず。今回のニールはその実らなかった想いへの切ない気持ちをかみしめているようだが、それと同時に主婦で母親となった彼女の姿を通して、過ぎ去った月日の長さを痛切に感じてもいる。それに対して一向に変わり映えしない自分の姿も…。

 一方、仕事面では若いアレッサンドロ・ニボラを新たな相棒としているニールだが、まだ揚々たる前途がある彼の伸びていこうとする気持ちの強さ、一種の「野心」に、苦笑しつつもまぶしさを感じざるを得ない。それは良くも悪くも、今の自分が失ってしまった部分でもあるからだ。

 物語の中盤では、そんなニボラの「野心」が思わぬかたちで暴走する。彼は無思慮にも偶然発見したラプトルの卵を持ち帰ろうとして、一行を危険にさらしてしまうのだ。それに気づいたニールは、かつてない醒めた憤りと冷酷さでニボラを突き放す。

 「君もここを創った連中と同じだな」

 ニボラにはこの卵で発掘資金調達の起死回生を図ろうという純粋な気持ちもあったろうが、同時に大発見をモノにしようという学者としての欲望、名声を得たいという虚栄心もあったろう。たぶん憧れを持って見つめていたであろうニールからの軽蔑に満ちた言葉に傷つくと共に、そんな自分の欲に目がくらんだ姿を悟ったニボラは、その後自らの贖罪の思いも手伝って危険に身を投じることになる。

 しかし実はニールにも、「野心」のギラつきを持っている将来あるニボラへの、羨望の気持ちはなかったろうか。ニボラがわが身を犠牲にして帰って来なかった後で、ニールは自らへの戒めも込めて彼のことを語るのだ。

 「彼に悪気はなかった。…あれは“若さ”というものだったんだ」

 その時、ニールは初めて自らの「老い」を自覚する。にも関わらず、そんな我が身の今に目をつぶってきた自分にも気づく。ただただ「ジュラパ」はヤダ、もうコリゴリ…で目をつぶり、逃げ出すしか考えもしなかった彼。だが何とあのモーガン少年は、このとんでもない島で一人で逞しく生きてきたではないか。恐竜専門家だったはずの自分がそんなモーガン少年に命を救われるとは何たる皮肉。そんな様々の思いから、ニールはもうただただ安全な場所で「ごっこ」に興じる恐竜小僧ではいられない自分、そして後継者の“若さ”をも黙って受け止めてやれる、真の「大人」にならねばならない自分に気づくのである。

 世の中に歳を重ねた人間はゴマンといる。自らを「大人」と言い、それなりの発言をする人間は掃いて捨てるほどいるが、そのうちのどれほどが真に「大人」と言うに値する人間なのだろうか? 毎日のニュースでイヤというほど報じられる大人による児童虐待のことを引き合いに出すまでもなく、人はただ歳を重ねれば「大人」になれるというわけではない。

 かく言う僕も、数年前に「大人」の資格のない自分に気づき、それを克服することなく目をつぶって逃げ出した。そして以来ずっと今に至るまで、その苦い思いと恥の意識から解放されることはなかった。だが、いつまでもそのままでいられるわけもないだろう。いつまでも自由奔放、アグレッシブな自分でいたい気持ちは大切だ。それを失いたくない気持ちは誰にだってある。だけど「老い」=歳を重ねることが、衰えだけを意味するなんて誰が決めたのだ。 成長とは、そんな自由さを手放すことだけではないだろう。

 それこそが人なら誰もがめざすべきもの、「成熟」するということなのだから。

 

 

 

 

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