「猿の惑星」

 (リメイク版)

  Planet of the Apes ロング・バージョン

 (2001/08/06)


 

手早く結論知りたい人はこちら

 

イマドキは「共存」が主流?

 しかし「ウルトラマン」って息が長いキャラクターなんだねぇ。感心しちゃったのは、つい最近も、またまたこのシリーズの新キャラ「ウルトラマン・コスモス」が始まったから。僕は「ウルトラマン」の熱心なフォロワーって訳じゃないけど、何せあれ僕が小学校に行ってた時から始まってるんだからね。いまだに新作がつくられるなんてホントにびっくり。当然今でも人気があるからつくられてるんだろうけどね。

 で、今度の「コスモス」だけど、実は今までの「ウルトラマン」…というより、こうした怪獣もの全般とは一線を画する違いがあると言うんだね。それは何かというと、どうも今度の新キャラは怪獣を殺さないって言うんだよ。

 実際に見て言ってるんじゃないんで定かじゃないんだが、何でも「怪獣との共存」をめざすとか(笑)。科特隊とかウルトラ警備隊みたいな組織が今回も登場するんだけど、その使命も怪獣の撲滅ではなく捕獲を目的としているらしい。捕獲した怪獣は、怪獣保護センターとかいう施設に送るらしくて、その方針は一貫してる。組織の武装した戦闘機みたいのも、今までみたいな光線を発射するんじゃなくて、何だかパンチング・グローブみたいのを伸ばして、怪獣をポカポカ殴ってた(笑)。だけど、こんな子供向けの怪獣ドラマですら稀少生物の保護とか敵対民族との和解をテーマにせざるを得ないほど、こうした「保護」「共存」の意識って高まりつつあるのかと妙に感心しちゃった。

 そういや人類と異種生物の共存が今日的テーマである以上に、当然のごとく人類どうしではもちろん「共存」意識なしには描けない。偽善であろうと何であろうと、あの悪名高い「パール・ハーバー」ですらかつてのように鬼畜のジャップとは描けない。かように今はこうした「共存」姿勢を前面に出さなくては何も描けなくなってきたわけだ。

 戦争映画におけるこうしたバランス感覚の最初のものってどのへんからなんだろうね。古くからあったものかもしれないが、最も有名なものでは、あのデビッド・リーンの大作「戦場にかける橋」あたりが最初の頃なんじゃないか? タイのクワイ川に鉄道を渡すために、日本軍の捕虜の英国軍人たちが架橋に駆り出される話はみんな知ってるよね。日本の武士道、英国の騎士道、米国の合理主義が激突するような描き方は、当時にしては確かにすべてに配慮されたバランス感覚を感じさせてはいた。

 だが、その実際の話はとてもじゃないがそんなキレイな話じゃなかったようだ。日本軍の捕虜の扱いは残忍をきわめていたらしいし、当時の生き残りの英国軍人たちはいまだに日本を許してはいない。あれはやっぱり映画の中の絵空事だったんだろうか?

 その「戦場にかける橋」の原作小説を書いたのはフランス人のピエール・ブールだが、実はブールは自らの日本軍の捕虜体験からこの小説を書いたんだね。そして、この男が実はSF映画「猿の惑星」の原作小説も手がけていたことは意外と知られていないようだ。この「戦場にかける橋」と「猿の惑星」との関係を考えていくと、日本人にとってはちょいとナーバスな気分になるね。ここでの「猿」って何なんだ? 何となくイエロー・なんとかなんて言葉まで脳裏に浮かんでくるが、これってイエロー・キャブのことじゃないのは言うまでもない(笑)。この話を出すと泥沼にはまる「パール・ハーバー」の話をここでむしかえすほど僕もヤボではないが、「猿の惑星」の映画版が公民権運動などを通過した1960年代後半のアメリカでつくられたことも合わせて考えると、そのあたりの事情に余計複雑な思いが浮かんでくる。

 ではそれを現代に再現してつくられた、ティム・バートンによる最新リメイク版はどうなんだろう?

 

サル者は追うべからず

 2029年、土星軌道上のアメリカ空軍宇宙ステーションでは、宇宙探査に飼い慣らした猿を使って危険な任務を行っていた。遺伝子に細工をして少々賢くなった猿は小型宇宙船なら操縦出来るほどで、反省しか出来ない日光猿軍団真っ青の頭の良さ。しかしこのステーションの職員マーク・ウォルバーグは、肝心な任務くらい人間の自分がやりたいと事あるごとに苛立っているのだった。

 ある日、ステーションの間近に発生した電磁波の嵐の観測に、また猿の探査船を使おうとするのでブーたれるウォルバーグ。だが、発射した猿の探査船は嵐に飲み込まれて姿を消した。ここからは人間様の出番だぜと勢い込んだウォルバーグは、よせばいいのに上司に黙って自ら探査船で出発した。あの「スペース・カウボーイ」イーストウッド御大だって最初は猿にその座を譲って身を退いたのに、ちょっとウォルバーグ悪のりなんじゃないか。案の定、自らも電磁波嵐に飲み込まれて操縦不能。気が付いたら探査船の時計の年月日がグルングルン未来に回っちゃって、見知らぬ惑星に不時着するハメとなったわけ。

 そこは鬱蒼と茂るジャングルど真ん中。唖然としてるウォルバーグは、必死に逃げ回る妙な連中の一団と遭遇した。それは確かに自分と同じような人間。ただしみんな「フリントストーン」みたいな原始人ルックに汚ねえ身なりではあった。もっと驚くことには、その人間たちを追いたててる連中もいるのだが、これがゴリラとかチンパンジーとかの猿としか思えない連中ではないか。しかも、こっちはちゃんと服とか靴とか身につけて、武器まで持ってる。気がついたらウォルバーグも汚ねえ人間たちと一緒になって、ジャングルを逃げ回るハメとあいなった。

 だがいかんせん多勢に無勢。向こうは完全武装だがこちらは素手同然。どう頑張っても敵う相手ではない。その場に居合わせた人間たち、ヒゲづらクリス・クリストファーソン、娘でちょっと頭悪そう美女のエステラ・ウォーレンらと一緒にとっつかまることになるウォルバーグ。オリに入れられ、何と猿の街に連れて行かれるわけ。

 ところで驚いたことにこの猿も人間も、みんな地球の言葉をしゃべるんだね。あれっ?何でそこでMAXのおねーちゃんたちが歌ったり踊ったりしてるの?と思ってたら、彼女たち昔のグループ名がその名もスーパー・モンキーズ(笑)。それはあんまりなオヤジギャグにしても、そもそもこの猿の文明はどこか人間のそれを思わせるところがある。そんなこんなで驚きっぱなしのウォルバーグが連れて行かれたのは、猿の商人ポール・ジャマッティの経営する奴隷市場だ。

 ここで勝手放題し放題の猿どもを、負けじと突っ張ってガン飛ばしてタイマン張ってにらみつけるウォルバーグに、こいつはどうも他の人間たちとは違うわいと目の敵にするのが、ちょっとキレた軍人猿のティム・ロス将軍とその部下マイケル・クラーク・ダンカン。それにしても、どうしてここは猿がデカイつらして人間はイジメられてるんだ?

 まるで牛か何かのように美女ウォーレンの肩に焼きゴテを押すなど、やりたい放題の猿ども。さらにひどい仕打ちが…というところで待ったをかけた者がいた。知的女性猿のヘレナ・ボナム=カーターだ。彼女は猿による人間の虐待を苦々しく思う、この猿社会でも「進歩派」。議員の娘で高い教育を受けた彼女は、人間にも知性があると信じているのだ。

 そんなジャマッティとボナム=カーターのいざこざに乗じて一暴れのウォルバーグだったが、ウォーレンを人質にとられて進退窮まる。そこをボナム=カーターがこの両人を奴隷として買うということで、何とかこの場は収まった。

 ボナム=カーターと議員の父の家では、人間が奴隷として使われていた。夕食会には名士が集っていたが、そこに現れたのがウォルバーグとガンの飛ばし合いを演じたばかりのティム・ロス将軍。ロスは猿美人のボナム=カーターに惚れていて、何とか振り向かせたいと足繁く通っていたのだ。だが、知性派ボナム=カーターはこんな粗野なロスには目もくれない。そこがまたロスの面白くないところで、八つ当たりでウォルバーグをイジメたりする。猿の惑星も渡る世間は鬼ばかり。

 夜は奴隷人間たちはオリに入れられるが、ウォルバーグにかかっちゃお茶の子。あっと言う間にオリを抜け出して、ウォーレンやクリストファーソンなどを道連れに猿の街を逃げ回る。だがウッカリ猿につかまった…と思いきや、それは例のボナム=カーターとその忠実な召使いのケリー=ヒロユキ・タガワだ。彼らの逃亡を助けようと持ちかけるボナム=カーターに、ウォルバーグは半信半疑ながら従うことにした。ヒロユキ・タガワは反対だったが、ボナム=カーターお嬢様の忠実な召使いである以上、文句は言えずに従った。かくしてこの奇妙な一団は、途中でクリストファーソンの犠牲を払いながらも猿の街を脱出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは映画を見てから

 

 

 

 

 

 

 

 

日光猿軍団見習って反省

 道中の途中でウォルバーグが話すことは、どれもこれも猿たちにはカルチャー・ショックなことばかり。俺の星では人間様がボスで猿はオリの中に入ってるぞ。猿たちは何を言ってやがるとウォルバーグをデイ・ドリーム・ビリーバー扱いだが、それ歌ってたのはザ・モンキーズ(笑)。度重なるオヤジギャグに顔をしかめながらも、ボナム=カーターはこのウォルバーグに知的好奇心だけでない複雑な感情を抱き始める。

 一方、ティム・ロス将軍はウォルバーグ宇宙船が墜落した場所の報告を受けて、彼の正体を薄々気づき始めた。だがこの事実が明るみに出れば、猿社会を揺るがす大事件だ。自分に宇宙船墜落を報告した軍人猿を始末して、事を闇から闇に葬る決心をした。やっぱり東京国際映画祭ドタキャン事件のティム・ロスだ、どうせロクなことをしないと思ってた。娘が人間にさらわれたと思った議員を説得して、全権を掌握して戒厳令を布告。さぁ、人間狩りだと勢い込むロスに、病気の父がいよいよ危ないとの報が届く。ロスはとりあえず、父の死の床へはせ参じたわけ。

 虫の息のロスの父は、最後の力を振り絞って一族の秘密をロスに告げる。そして彼に命じるのだ、人間を侮るな、根絶やしにしろと。

 その頃ウォルバーグ一行は宇宙船墜落現場にいた。残骸から探知機を回収すると、何と宇宙ステーション母船がすぐそばに来てると出ているではないか。自分を助けに来てくれたと喜ぶウォルバーグは、すべての秘密が解き明かされるぞとボナム=カーターを誘う。それは猿たちの起源の場所とされる「聖地」に位置していた

 いろいろ困難を克服しながらの道中、ウォルバーグとボナム=カーターにはある種の心の交流が生まれてきた。ウォルバーグはあえて全てを捨てて危険に飛び込むボナム=カーターの勇気に惹かれたのだが、どうもボナム=カーターはウォルバーグに男性的魅力を感じたような。それは必ずしもウォルバーグの猿ヅラに惹かれたというわけでもない。猿の男たちには見られなかったような、彼の持つ繊細さに惹かれたんだよね。それを見て人間のメス(笑)、エステラ・ウォーレンは気が気ではない。男一人を巡っての女二人の突っ張り合いの様相も呈してきたのだが、ボナム=カーターは相手は人間、自分は猿という自らの分をわきまえてもいた。そこがかえってウォルバーグの男心をくすぐってもいたのだが。

 ところが誘導電波に導かれてたどり着いた場所には、どでかい宇宙船の残骸が横たわっていた。まさか…とウォルバーグの頭に浮かんだイヤな予感は的中。確かにウォルバーグのいた母船はこの惑星に来ていた。しかし、それは時間軸の歪みを越えた数百年前のこと。今まさに一行がやって来たこの宇宙船の廃墟こそ、ウォルバーグが数日前までいたあの宇宙ステーションの残骸だったのだ。

 まだ残っていた原子炉のパワーを使って宇宙船内の記録装置を稼働させたところ、とんでもない事実が浮かび上がってきた。消息を絶ったウォルバーグを追って電磁波の嵐に飛び込んだ宇宙ステーションは、時間の歪みを通過して数百年前のこの惑星に墜落。何とかそれでも自給自足で生き延びようとしたが、飼っていた猿たちが反乱を起こして人間たちは滅ぼされた。かくして反乱猿たちは繁殖してこの惑星を支配し、ステーションの生き残り人間たちがそれに支配されるということになったのだ。

 俺は何てバカだったんだ、これじゃナニのでっかさだけでポルノ・スターになった「ブギーナイツ」の誰かみたいなアホ丸出し野郎じゃないか。すべての責任は自分にあると気づいて落ち込むウォルバーグ。だが、反省するくらいなら日光猿軍団レベルでも出来る。しかもウォルバーグの存在を聞きつけたはぐれ人間たちが宇宙船残骸の回りにどんどん集結してきた。ウォルバーグがみんなを救ってくれると信じてやって来たのだ。

 だが、いまやウォルバーグが頼りにしていた宇宙ステーションの助けは永遠に来ない。そしてウォルバーグ憎し、人間憎しで凝り固まったティム・ロス将軍率いる日光ならぬこの惑星の猿軍団が、人間根絶やしめざしてやってくる。こいつら反省なんて甘い顔は絶対してくれないぜ。

 さぁ、もうここの人間たちの窮状に見ざる聞かざるは出来ないぞ。進退窮まったウォルバーグはここでイチかバチかの駆けに出ることにした。さて、その顛末やいかに?

 

遊び心全開のティム・バートン

 「猿の惑星」リメイク話は最近ずっと話題にのぼりっぱなしだったよね。一時はジェームズ・キャメロン=アーノルド・シュワルツェネッガーのコンビでやるという話がまことしやかに囁かれていた。これなんかドンピシャかもと思っていたが、フタを開けたら何とティム・バートンが名乗りを挙げていたんだね。

 ティム・バートンって確かに独自の世界観を持った作家だし、ワンダーランド感覚があってこの手の題材には向いていると言えなくもない。だが、全編ダークなバートンの世界と、この「猿の惑星」って微妙に違うんじゃないかと思っていたんだね。

 しかも、こういうお話はエンディングのオチが命。「猿の惑星」は例のショッキングなラストが有名で、だから今更それをやる訳にもいかない。大体、今じゃオリジナル版のDVDパッケージに、あの「衝撃のラスト」が堂々とビジュアルとして出ちゃってるくらい手垢のついたネタだしね。あのオリジナルが公開された時のインパクトって今では推し量るべくもないけれど、それを上回るような衝撃のラストなんてつくれるのか?と疑問もいや増す。

 それはバートンも同様だったようで、だから彼はこの作品をリメイクでなく「リ・イマジネーション」だなんて変なこと言ってたんだよね。

 で、実際の作品だけど、いくら「リ・イマジネーション」だの何だのって言ってはみても、そこは「猿の惑星」。確かにお話はいろいろ変わっているし、主人公が猿の惑星にやってくる段取りも違えば、なぜここが猿の惑星になったのかの説明も違って、すべて理詰めで納得いくようにしてる。でも、基本的に人間と猿の地位が逆転して…というコンセプトは変わらないのだから、思ったより印象も変わらないんだね。

 バートンと言えば「バットマン」でも二作目の「リターンズ」に顕著なように虐げられている者への共感が持ち味なのだが、ここではそれも明確には打ち出されていない。むしろ人間たちの傲慢のほうが前面に出たつくりで、このへんちょっと意外だった。いや、ここは普段我々の世界で人間たちに虐げられている猿を代表とした生き物全般の怒り哀しみの代弁と考えれば、やはりこれはいつものバートン節と言えるのだろうか。

 と言うより、ここはやっぱりウルトラマンも共存をめざす「今」の映画ゆえと考えるべきだろう。この映画ではウォルバーグは必ずしも猿打倒をめざしはしない。抵抗し戦おうとはするが、屈服させようとまではもう思わない。誇り高き猿族を「猿」でなく「猿人」と呼んでみたり、言い争う人間と猿に「両民族ともやめろ!」と言う彼のポジションこそが、今風のスタンスなのだ。ボナム=カーターとウォルバーグとの間に淡い恋心にも似た感情が通い合うこの作品は、だからどうしても人種間問題のメタファーとならざるを得ない「猿の惑星」の2001年バージョンとして、当然のスタイルなのだろう。

 むしろ、あのオリジナル版主演のチャールトン・ヘストンをゲストに迎えて猿に仕立てるあたりの遊び心がバートンっぽいのかもしれない。そう考えれば、今回はこの奇想天外な設定を使って遊び倒そうというのがバートンの趣向かも。あの「マーズ・アタック!」がいささかオタク心に訴えすぎて広い支持を得られなかった反省を踏まえて、彼なりの遊びをもう一度みんなに受け入れやすいかたちでやったとこが今回のバートンらしさなのかもしれない。

 猿のメイクは格段の進歩を遂げていて、ティム・ロス、マイケル・クラーク・ダンカン、ケイリー=ヒロユキ・タガワら俳優陣は、みんなその素顔が彷彿とするかたちでリアルな猿になっているから凄い。ヘレナ・ボナム=カーターなどは猿メイクのほうがチャーミングに見えるほど。ここでの彼女は今までで一番かわいいかもね(笑)。口ぽか〜んと開けてるバカっぽいエステラ・ウォーレンなんかより、彼女のほうがいい感じだったもんねぇ。

 そしてティム・ロスの徹底的なワルぶり、なりきりのエテ公ぶりには本当に頭が下がる。まさしく入魂の極悪非道ザル演技はあっぱれ。

 さらに猿の動きもかなり本物っぽいし、何かというと香港産いまやハリウッドの十八版ワイヤーアクション使ってビュンビュン飛ぶあたり、やっぱり今回のバートンは遊び心にはしったくさいよね。

 ラストはさすがにオリジナル版の猿マネ出来なかったらしく、ちょいとひねってはある。まぁ、衝撃とはいかないまでも、うまくやったほうではないか。だが、実はこのエンディングってピエール・ブールの原作小説に近くなってたのには苦笑いした。

 でも、これならもう続編が2本も3本も4本も出来はしまい。バートンもここはサル者は追わずときれいに締めくくったというところで、「猿の惑星」の一席、お後がよろしいようで(笑)。

 

 

 

 

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