「DAY FOR NIGHT」開設2周年記念感想文

「あの頃ペニー・レインと」

  Almost Famous

 (2001/04/16)


ここでは映画「あの頃ペニー・レインと」ストーリーのほぼ全容を書いてしまっているので、必ず映画をご覧になってからお読みください。

 

出来ればBGMとして、エルトン・ジョンの「タイニー・ダンサー」(「あの頃ペニー・レインと」サウンドトラックCDに収録)を聞きながらお読みになることをお勧めします

 

文中で引用されている感想文には、タイトル部分からリンクが張ってあります。

 

 

 

 

 

 

 

1981年5月14日、「アルタード・ステーツ/未知への挑戦」感想文

 うへ〜、ちょっと見てちょうだいよこの文章。

 これは僕が自分の日記(と言っても、ちょっと大きめの手帳にチョボチョボ書き留めたもの)の中で、映画についての感想文らしきものをちゃんと書いた最初の頃のもの。そのゴミみたいな文章の中から、それでも何とか読めないでもないものを拾ってきたんだけどね。まぁナマイキ盛りのガキがいっちょまえの口たたいて映画を語ってる文章だ。寒々としてきちゃって読むに耐えないけど、年齢が年齢だけに勘弁してやって。それにしたってボキャ貧で単純ドテカボチャだわなぁ。

 どんな映画好きでもある程度映画を見ていくに従って、映画に対する自分なりの気持ちを文章のかたちで書き留めておくってこと、やってみたくなることあるよね。それどころか、中学の時にはギター抱えてシンガーソングライター気取りの知人に頼まれ、詞まで書いたことあるんだぜ詞まで(笑)! それはともかく自己弁護させてもらえば、僕もまだこの時には自分だけのために書き留めていたんだよ。でも人に読ませるつもりはなかったとはいえ、この思いきり背伸びした語りっぷりをご覧よ。逆にあまり今と変わりばえしないと言われると、それはそれで問題あるけどねぇ (笑)。

 でも口調がどこか偉そうなのは、何も背伸びしてるせいだけじゃない。何度もここで打ち明けたけど、この頃の僕は8ミリフィルムで自主映画を撮っていて、チャッちいながらもいっぱしの映画作家気取りだったんだよね。お遊びでフザケたクズ映画つくってただけなのに、僕としては他の映画作家はみんな「同業者」(笑)。言わば対等の関係だから、偉そうな態度で言っていいと思ってたんだね。逆に映画づくりの出来ない批評家ごときは偉そうに語る資格ないんだよ、何も分かってないんだから…な〜んて正直言ってそう思ってた(実は今でもそう思ってる)。批評家は敵だ!と思ってたよ。

 映画を見るのもすべて創作のための「勉強」だとマヌケにも思ってたこの頃、考えてみれば、映画を見る上でこの考え方がずっとジレンマになっていたんだよなぁ。だから、映画をただ「書く」のは、どこか後ろめたい気がしていた。でもまぁ、これは発表する気のないものだから別によかったんだけどね。マスターベーションみたいなもんか。げっ、こりゃとんでもないものお見せしました(笑)。

 これは映画とか音楽とか…そんな何かに託して自分を語ろうとする、「モノ書き」永遠のテーマを扱った物語なんだよね。

 

1969年、サイディエゴ

 11歳のウィリアム・ミラー少年は父を早くに亡くし、大学教授の母(フランシス・マクドーマンド)の下、厳格かつ知的に英才教育を施されて育てられていた。飛び級で13歳の子供たちと一緒に学ぶ早熟さ。しかし知的なのは結構だが、食べ物からロックに至るまで監視や制限つきという母の行き過ぎぶりに、姉(ズーイー・デシャネル)はキレて出て行った。ボーイフレンドと手に手をとって、スチュワーデスになって広い世間を見るために。さすがにたった一人の姉の旅立ちに泣きそうになるウィリアム少年だったが、姉はやさしく彼に言った。

 「いつか目覚めるわ。ベッドの下で“自由”を見つけて

 男の子のベッドの下なんぞ探ろうもんなら、どうせエロ本がぐさぐさ出てくるあたりと相場は決まってる。野郎がニキビ盛りの時に考えることなんざ、その辺りのことしかありゃしない。それもまぁ、別の意味での“自由”ではあるけどね。でも俺くらいの歳になると、そんな“自由”もきかなくなるんだよ(涙)。

 それはさておき、こっちは姉だ。言われた通りベッドの下を探ってみると、ストーンズ、クリーム、ボブ・ディラン、ジョニ・ミッチェル…彼女が内緒で買いためたロックのレコードがザクザク。

 姉の言ってた“自由”に触れるため、少年はゆっくりレコードに針を下ろした。

 

1995年春、「激突!」感想文

 いっちょまえにライターとしての肩書きが名刺に刷りこまれてからの僕は、いつの頃からか自分の日常の仕事の中で映画に親しんできた事を生かしたいと考えていた。8ミリ映画をつくっていた日々は、もうすでに遠い過去のこと。映画で楽しんだことを仕事の中で生かせれば、パッとしない毎日が少しは面白みのあるものになるはず。早い話がドサクサまぎれに仕事で遊んじゃおう…と、発想は極めて貧困そのもの。ともかく、何かのPR誌だのパンフレットだのの企画提案のたびに映画ネタを持ちだし、そのたびに蹴られるという繰り返しではあった。ま、個人的趣味ミエミエの企画じゃ当り前か。

 ところが何かの間違いで食いついてきたクライアントがあるから世の中面白い。あるお役所の広報誌の連載コラムとして映画ネタが通ったんだね。俺もその頃にはちょっとは口がうまくなっていたし。その後、企画提出後約半年経ってようやく実現したこの企画。考えてみればその第一回めの原稿こそが、僕が初めて人の目に触れるかたちで映画について書いた最初の文章ということになるんだろうね。やってる僕には、まるっきり自覚ござんせんでしたが。仕事時間中に会社のテレビで映画のビデオを堂々見れてうれしいとか、そんな気持ちしかなかったもんね(笑)。上司は苦虫噛みつぶしたような顔してたよ。

 でもそこまでだった。まもなく僕は訳あってこの会社を辞めることになっちゃった。あんなに念願だった企画…何度も何度も企画書を出した末にやっと通った映画コラムの仕事なのに、わずか3回手がけただけで手放すはめになったのだった。これは今でも痛恨の出来事。

 

1973年、サンディエゴ

 15歳になったウィリアム少年(パトリック・フュジット)は、弁護士にさせたい母の期待を裏切らない優等生ではあったが、実はその陰でかつてのヴィンテージ・ロックをギンギンに愛し、いっぱしに論じるロック・ファンに成長していた。そして「クリーム」誌で堂々ロック評論の論陣を張る辛口ロック・ライター、レスター・バングス(フィリップ・シーモア・ホフマン)との出会い。ウィリアムが学校新聞に寄稿したロックに関する記事は、なぜか業界の古株バングスの心をとらえたんだね。好奇心いっぱいでピュアなこの若い後輩に対して、バングスはその持てる知識のすべてを分け与え、次のチャンスも与えた。そう。これでウィリアムは正式なプロのライターとして、堂々ロック・コンサートの楽屋に入り込むことになるのだ。

 

1998年2月1日「タイタニック」感想文

 これは電子メールで知人に初めて送った映画の感想。それにしても、こんな通ぶった映画ファンなら即バカにしそうな大ヒット作品を題材にするあたり、いかにも僕らしいよね。この前の年、マッキントッシュのコンピュータを購入した僕は、まだインターネットにはさほど興味を持ってなかったものの電子メールにはすぐに夢中になった。なにせ便利だ。ちょっとした事を書いては相手構わず知人に送り、ニンマリ喜んでいたりした。しかし、実は映画のことについて書いたメールはまだ誰にも送っていなかったのだ、この「タイタニック」を見るまでは。

 初公開時、まだ封切り間もない頃に見に行った人ならお分かりだろうけど、最初この映画はあんまりいろんな評判を聞かなかったんだよね。東京国際映画祭でディカプリオがモミクチャになったとか、どうでもいいニュースしか飛び込んでこなかった。洋画お得意の「全米ナンバーワン!」とかの宣伝コピーも出てきてなかったから、当たってるのかどうかも分からない。当然オスカーなんかまだだし、ジェームズ・キャメロンの「世界の王」発言もなかった。「タイタニック」は映画のホームラン王です(笑)。 いいとも悪いともウワサを聞かず、ただ事前のイヤな予感(あまりの大型予算、キャメロンらしからぬ題材、キャストの弱さ…などなど)だけを胸に映画館に行ったわけ。これが良かったんだろう。

 正直圧倒されたよ。もう一回言おうか? 頭のいい映画ファンづらを僕が永久に出来ないように、もう一回繰り返し、誰の記憶にも僕がこう言ったと焼き付くように言っちゃおう。

 この映画は面白い映画だよ。

 さぁ、これで僕は言い訳出来なくなったぞ(笑)。でも、すっかり圧倒されて映画館を出たとたんに、僕の脳裏にはまたイヤな予感が浮かんだんだね。この映画はおそらくすぐに大ヒットになって、その後に続くように映画ファン=マニアどもの言われなき中傷が押し寄せてくるだろう…と。実際のところ案の定だったけどね。そんな映画ファン特有の鼻持ちならないスノビズムがとにかく昔からイヤでねぇ。

 映画ファンたちがたてるウザったい評判が世間に立ちこめる前に、自分の純粋な感想を書き留めておきたい、その気持ちを他人に伝えたい…僕は頼まれもしないのに深夜キーボードを叩きまくって、映画についての初めてのメールをお節介にも知人に送ったのだった。いや、本当にまったくハタ迷惑な話。それからしばらく僕の映画好きの知人たちは、「恐怖新聞」よろしく(笑)1週間〜2週間に一回の頻度で深夜有無を言わさず届けられる長文のメールを読まされるハメにあいなったのであった。

 

1973年、サンディエゴのコンサート会場

 ウィリアムは行きの足こそ母親の運転する車頼みで、たっぷりお説教のおまけ付きだったものの、コンサート会場に着きさえすればライターとして堂々と中に入れるとタカをくくっていた。ところがさにあらず、ガキはアッサリ門前払い。そんな様子を遠目で見て笑っている女の子数名。やがて、その中のリーダー的存在の女の子が近づいてきた。その名はペニー・レイン(ケイト・ハドソン)。モチロン本名のわきゃ〜ない。こいつらグルーピーだろうと決めてかかっていたウィリアムだが、彼女は自分たちはグルーピーでなく「バンドエイド」だと言う。ある時はミュージシャンのインスピレーションの源として、ある時はミュージシャンと苦楽を共にする友人として、彼らを助ける存在を自負する彼女は、なぜかウィリアムに関心を持ったらしい。彼のぶんの通行証をもらってやると言いながら堂々と会場に入っていった。何と彼女たちもやはり楽屋にはフリーパスなのだ。取り残されるはウィリアムだけ。

 焦った彼の前に、今日の出演バンドの一つで売り出し中の中堅バンド、スティルウォーターの連中がやってきた。またまたライターと名乗るウィリアムを、今度はガキ扱いしなかったバンドのメンバーたちだったが、その代わりマスコミは信用出来ないとばかり「天敵」呼ばわり。これじゃいつまで経っても入れない。業を煮やした彼は、大声張り上げてスティルウォーターのアルバムや音楽について、思いつく限りの言葉でホメにホメた。

 するとどうだ。メンバーの態度がガラッと変わった。現金なもんだ。仲間扱いされた彼はバンド・メンバーと一緒に会場に入れた。あぁ、めくるめく夢のような一時…。

 バンド・メンバーの中でも何と言ってもカリスマは、ギターのラッセル(ビリー・クラダップ)。ウィリアムは話しかけようとするが、なかなかチャンスがない。だが、ラッセルのほうも、ちょっとウィリアムが気になるみたいだ。

 そしてこの日出会ったもう一人のカリスマ…あのペニー・レインは、ちゃんとウィリアムの通行証をもらってくれていたのだった。とにかく光ってる彼女と親しげに話し、ひょっとして仲良くなれたのかも…それが何とも嬉しく鼻高々なウィリアムであった。

 やがてラッセルはツアーに同行しないか?とウィリアムを誘って、会場を後にした。もう舞い上がらんばかりの彼。まぁ、実は彼とペニー・レインが誘われたんだけど。

 もう一つの舞い上がらんばかりの事件は、あの大ロック雑誌「ローリングストーン」誌から執筆依頼が来たことだった。イエ〜イ。

 だが、アドバイスを求めたバングスは、ツアー同行にも「ローリングストーン」にもいい顔はしなかったんだよね。気をつけろよ、ロックはビッグビジネス化して腐敗した、そこにうごめく連中はエゴイストばかりだ、だから連中を信用するな…と。

 

1999年4月11日、「宗家の三姉妹」感想文

 これは僕が、純粋に自分のホームページ「DAY FOR NIGHT」用に書いた初めての映画感想文だ。

 ひょんな事からホームページを開設することになった僕。その理由はさして大したことじゃない。長く勤めた会社を去ったのは仕方ない事情からだったが、その後の僕は決して恵まれた仕事環境とは言えなかったんだよね。だから思う存分何か書きたいって気持ちが、ホームページ開設につながったんだと思うよ。

 他のライターはどうか知らないが、僕は頭でなくて腕の筋肉で文章を書いている。僕は元来、文科系のライターじゃないんだよ(笑)。だから書かないとライターとしての腕が落ちる。そして、人の目の触れないところで書いても、それはライターの勘を養うことにはならないように思えたんだよね。それで発表の場が必要だった

 その頃ホームページを持つ何人かの人と知り合う機会がたまたまあって、その人たちの様子を見てもさほど大変そうに見えなかったからね。僕の悪いくせで、すぐ「そのくらい俺でも出来るよ」と思っちゃうんだよ。その前は「ジョーズ」見た時にスピルバーグに対してそう思ったあげく、チャッチい8ミリカメラ回してた(笑)。そして、この僕がホームページをつくれるほどのコンテンツを用意するとしたら、それはもう映画以外なかったわけ。それ以外に語るに値するものが何もないというのが情けない(涙)。

 だが、いざ映画のホームページをつくると踏み切るまでには、ちょっとは迷いもしたよ。くだらないかも知れないけど、映画を「書く」「語る」側に回るということは、「つくる」側と永久に決別することだとも言えるもんね。前にもどこかで書いたけど、それは僕にとって堕落を意味した…な〜んてね、ハハハ。やけに大袈裟な(笑)。

 実際は女にモテたい一心でお遊びでつくってたシロモノで、ハシにも棒にもかからない下らない8ミリ映画だったからね。でも一応アーティストとして悩んだフリをした(笑)。僕がホームページを開設したのは、1999年4月18日のことだった。

 しかしその初の感想文が、あんなに僕が嫌ってる岩波ホールの上映作品だったとはねぇ(笑)! 正直言って忘れてただけに驚いた。でも、内容的にはどうってことないね。面白くもない。実際、何だかんだと大風呂敷広げてはみたものの、僕はこれらの感想文をどう書けばいいのか、何ともつかみかねていたのだった。

 

1973年、オールモスト・フェイマス・ツアー

 憧れのペニー・レインを連れ.て、スティルウォーターのツアーバスに乗り込んだウィリアムの気分は、これ以上ないほど高揚していた。一目でマイったペニー・レインと一緒、ひいきバンドのツアーに同行、しかも自分の今の肩書きは天下の「ローリング・ストーン」のライター。憧れが現実に…大好きだった音楽の世界と自分が一体になれるかのような、期待みなぎる気分。

 だが最初の公演地の宿舎で、早くもその気分に最初の陰りがさした。ペニー・レインとギターのラッセルの親しげな様子。「バンドエイド」仲間のポレクシア(アンナ・パキン)がウィリアムにつぶやいたように、たぶん彼は二人の「ダシに使われた」のだ。軽いショックを受けたけど、でも大丈夫。彼はプロのロック・ライター、業界人としてドップリと憧れの音楽の世界に浸かってるんだから。とはいえ、イチャつくラッセルとペニー・レインを見て、内心ウジウジと傷つかずにはいられないウィリアムではあった。

 さっそく取材…と燃えてはみても、みんななかなか相手にしてくれない。ボーカルのジェフ(ジェイソン・リー)はいろいろしゃべってはくれたが、どれもこれもガーッといくんだとかバーッとやるぜとか、まるで「社長シリーズ」の三木のり平が宴会シーンで「パ〜っといきましょう!」と言ったり、クレージーキャッツ映画で植木等が「ブワ〜ッといこう!」と大風呂敷広げてるような、無意味で空疎な言葉ばかり。これでゴジラが出てきたら昔の東宝映画の世界だよ(笑)。彼としては早くバンドの中心人物ラッセルのインタビューをやりたいけれど、なぜか彼はジャーナリストへの警戒を弱めず、いよいよとなると偶然がいつもジャマをしたんだね。

 そんな日々のなか、コンサートでマイクを握った際にラッセルが感電事故を起こすなど、この稼業もなかなかシンドイものがある。些細なことからラッセルとジェフとの間でどっちがメインかと言い争いが起きるのもお約束。イヤけがさしたラッセルはファンの家に誘われるまま遊びに行って、LSDでラリって前後不覚。もう帰らないしバンドも辞めると言い出したりもする。

 でもねぇ、音楽がすべてを洗い流すんだよ。音楽があるから、この混乱して乱れきった毎日も最高。音楽さえあれば、すべて何とかなる。音楽のおかげで、ツラい現実をもしのいでいける。エゴイストでみっともなくてだらしない彼らも、ひとたびステージで演奏すれば何よりも増して輝く。バンドエイドの女の子たちもミュージシャンたちのミューズとして同志として、その場の雰囲気に見事に溶け込む。あの高揚感、飛翔感…み〜んな音楽なんだよねぇ。バンド脱退宣言で大ヒンシュクのラッセルが戻ってシラジラとしきったバスの車内も、いつしか流れ出した音楽に身をゆだね、誰かが口づさみ始めたメロディがみんなの合唱になる頃には、些細な日常の事なんかどうでもよくなるんだ。音楽がそこにありさえすれば。

 この暮らしは音楽だ、ここにいるみんなも音楽、もちろんこの僕ウィリアムだって今や音楽さ。

 きっとそうだよね?

 

1999年5月30日、「ラウンダース」感想文

 ホームページを始めたものの、僕は何をどうやったらいいかまるで分からなかったんだね。書いている感想文が面白くも何ともないことは分かっていたし、まるで読む人間に刺激を与えないことも先刻ご承知だったが、どうすることも出来なかったしやる気もなかったんだね。こうなるとやっても気持ちよくないマスターベーションみたい(涙)。なら、なぜやるの?

 でもいいさ、誰も読んでやしないんだからこんなもん。もうヤケクソ。アクセス数も増えないどころか、元々少ないものがどんどん減っていく。

 でも、だからこそ何を言ってもいいはずだと、ある日気付いたんだね。僕は知らず知らずのうちに自分の中にブレーキをかけてた。だから無難なことしか書いてなかった。それじゃ面白くない。だけど映画とその周辺のことだったら、昔っから言いたいことがあっただろう?

 そうだそうだよ。昔、キネ旬なんか読んでいた時、書いている映画評論家とかいう奴らの頭の悪さ、性格の悪さにヘドが出そうになった。どうして映画について論じる奴って、こうどいつもこいつも男らしくないし頭悪いし性格悪いんだ? 第一、映画評もどれもこれも、映画そのものを見た実感がまるでなくてウンザリしちゃうよな。

 だからひょっとしたらこのホームページを使って、変なギョーカイとか変なマスコミとか変な専門家とかとは関係なしに、そういった空疎で分かってない映画評なんかとは違うものを広く世間に出せるチャンスかもしれない…なぞと大それたことをチラッと考えてみたりもした。相変わらずスピルバーグを8ミリでやろうと思ってた自分がまたぞろ蘇る。どうも基礎からコツコツやろうって堅実さがないんだよなぁ、この俺は(笑)。

 でも今の自分が書いているものは、それよりもっとずっとピンボケして、何のために書いたんだか分からない文章。それが分からないほど目がくらんではいないからツラい。は〜、こんなことのために俺はホームページ始めたのかい?

 そんな僕が初めて書いてて手応え感じたのがこの「ラウンダース」の感想文なんだよね。これ読んでどこがいいの?と言う人が大半だろうけど、僕にとっては初めて言いたいこと言えたような気がしたんだね。それならやってても面白い。少なくともマスターベーションにはなる(笑)。

 それじゃあ、ちょっと本腰入れてやってみようかと思い始めたから根は単純だ。

 

1973年、バスから飛行機へ

 ある日突然そいつはやってきた。それまでツアーの切り盛りをやっていたマネジャーのディック(ノア・テイラー)に代わって、メジャーなバンドのマネージメントを手がけた辣腕マネジャーが乗り込んできたのだ。そしてスティルウォーターのツアーも、バスで移動していたのどかな時代に終わりを告げた

 まず、ニューヨーク公演にはペニー・レインは連れていってもらえないことになった。なぜなら、ニューヨークではラッセルの本命の恋人がやってくるから。それだけでなく、ラッセルは他のバンドのマネジャー連中とのポーカーで、バンドエイドたちを賭けのカタにして負けてしまう。私たちはバンドエイド、グルーピーじゃない…そんなペニー・レインたちの誇りに満ちた言葉が、今は脳裏に空しく響くウィリアム

 だが彼も感傷にひたってばかりもいられない。母親からは帰ってこいだの何だのとうるさく電話が来る。「ローリングストーン」からも原稿の矢の催促だが、まだ全然取材なんて出来ちゃいないのだ。今は気に入らないことがあっても、ひたすらバンドにすがり付いているしかない。とにかく僕らは音楽、毎日が音楽だ…ん?音楽なのこれが?

 そんな一同が得意満面乗り込んだニューヨーク…ラッセルと本命恋人の前に、よせばいいのに現われたペニー・レイン。だけど、そんな事やっても自分が傷つくだけだった。誰もがラッセルの本命恋人に気がねする中、ウィリアム一人はペニー・レインを気づかって、去って行く彼女を追っていった。他のみんなは冷たいよな。

 そして悪い予感的中。彼女はホテルの部屋で、睡眠薬をしこたま飲んで自殺を図ったじゃないか。ウィリアムが医者を呼んで一命をとりとめたものの、もう彼女はツアーについてくることはなかったんだね

 空港での別れ…それがウィリアムがペニー・レインの姿を見た最後だった。

 

1999年7月4日、「25年目のキス」感想文

 この映画「25年目のキス」を見た時は、本当に衝撃を受けたんだよね。コメディなのに…と言うなかれ。コメディだからこそ、自分が受けたイジメ体験がものすごく鮮烈に思い出されたんだろうね。逆にリアルでシリアスだと、本当のイジメはそんなもんじゃねえよとシラケるだろうし。

 この時はねぇ…冗談抜きでこの気持ちをどうしても伝えたくて仕方なくなった。だけど、通りいっぺんに書いてても、ただの映画評みたいで冷たくて偉そうで高い所から見下してるみたいで全然僕の言いたいことなんて伝わらないんだよ。歯がゆくてねぇ。何度も何度も書き直してはまた捨てた。

 そのあげく、疲れ切ってフト気付いたんだよね。これは第三者的に書いたってダメだって。自分のイジメ体験について書いてみようと。そうしないと、この映画の描こうとしていることがいかに本当か、みんなを納得させきれないと思ったんだよね。キレイ事に過ぎないと。

 でも、正直言って怖かったよ。だって、誰だって自分のそんなミジメな体験を知られたくはないじゃない。忘れたいじゃない、そんなこと。

 だから冒頭に「初のインタラクティブ映画評」なんて書いてるけど、別に最初からインタラクティブにしたかった訳じゃない。これをやらなければ伝わらないけど、本音を言えば出来ればみんなに見てもらいたくなかった。だから、みんなが僕自身の真情を吐露した方を選ばなければいいな…と思って、あんな仕掛けをつくったんだ。半分腰が退けてたんだね(笑)。

 でも一回やっちゃうと平気になるんだよ、こういうのは。一回ヌードになると脱ぎぐせがつく女の気持ちが分かる(笑)。そのうちさまざまな映画感想文で、僕は自分の体験や本音を語るようになっていったんだ。読むほうがイヤ気さして、もうたくさんと言うまでね(笑)。

 

1973年、ツアーの終焉

 ペニー・レインが去った後も取材が終わらなかったため、ウィリアムはツアーの同行を続けていた。しかしそんなある日、あの出来事は起こった。移動中の飛行機が突然乱気流に巻き込まれたのだ。墜落必至か、風雲急を告げる機内。もはやこれまでと追い詰められたメンバーたちは思い思いに告白合戦を始める。その中でラッセルの本命恋人に手を出したことを告白するジェフ。怒ったラッセルがジェフを責めると、今度はジェフはラッセルとペニー・レインの仲を本命恋人の前で暴露して、機内はますます騒然。しかし、これでついにウィリアムの堪忍袋が発火した。「彼女たちを利用するだけ利用しといて…どこまであんたらは勝手なんだ!」

 しかし、その瞬間天候が急転。みんなは助かった。

 シラジラと気まずい雰囲気の中で空港を移動する一同。そこでウィリアムは、そろそろ潮時だと悟った。家に帰る時がやってきたのだ。ウィリアムは無言でラッセルに別れを告げた。

 後日、とある空港で放心状態のウィリアムを見つけたのは、かつて宣言した通りにスチュワーデスになった姉だった。ウィリアム久々のわが家への帰還は、奇しくも姉と母の和解の場ともなったのであった。

 

2000年11月13日、「ペパーミント・キャンディー」感想文

 何だかんだ言ってもホームページは何とか軌道に乗った。やってる僕も少しはマシなものがつくれている気がしてた。開設して1年半が経過した頃にアップしたこの感想文、実はほとんど評判にもならなかったんだけど、それだけに僕にとって愛着があるんでここに出した。

 僕の映画感想文は、自分のプライバシーについて書くのが恒例となっていった。それは決して悪い事だと今でも思ってないよ。実際、ここでも何度も僕自身言っているように、本当の実感のこもったものを書きたいからそうやっていたんだしね。映画の中に流れる感情と、一人ひとりの人間に流れる感情とは、決して無関係なものではないからね。それを何とかして伝えたかったんだよ。

 だがねぇ、そのうち奇妙なことになってきていたんだ。人間そんなにエポックメイキングなことばかり人生には起きない。人生の体験は天然資源と同じで限りがある。それなのに僕は日本の底引き網漁船みたいに、すごいスピードで根こそぎ獲ってっちゃったわけ。ダメなんだよこういうのは、宇宙船地球号には限りがある(笑)。

 アッという間に、過去の体験の引き出しはたちまち底をつき始めた。それで一回使ったことを忘れて、同じネタを二回ダブって使ってしまったりした(シックスセンスTATARIが、その分かりやすい例)。こうなりゃどうしたってマンネリになってくるんだよねぇ。

 しかも自分の過去の体験という「資源」が枯渇し始めるとともに、感想文に登場してくるプライベートな事柄が今の自分にドンドン近づいてきたんだよね。ほぼ同時進行になってきた。

 こんな事を書くと、こいつマトモなのか…と心配されてしまうかもしれないが、そのうち映画の感想がまるで自分の人生そのもののように錯覚されるような部分すら出てきたんだ。だって文面の上では、まぎれもなく同時進行するもう一つの現実なんだもの。

 映画が現実を追いかけてくる。追い付いてくる。追い抜いていく。…でも、そこに奇妙に感動と陶酔もあるんだよ。バカな戯言と笑うだろうけどこれはホント。

 そんな折りもおり、ネット上の他の映画ファンとの付き合いも出来てきた僕は、しばらくそれに夢中になっていたんだね。今まで映画のことを誰かと語り合うことがなかった僕は、これにはイキナリのめり込んでしまった。映画で知り合った縁の人たちと映画の話ばかりしていて…そりゃあ最初の頃は楽しかったよ。

 もちろんネットで知り合った人と言っても、そうでない人だっている。その後はネットや映画関係なしに、親しく付き合ってる人もいる。映画なんか抜きでも、つきあえると思ってる人だっている。だけど、そうした存在は例外的だったね。ともかく野放図にオフ会やら何やらいろいろ映画にちなんだ付き合いがどんどん増えていったんだ。何だか自分の生活が、映画やそれに関わる諸々の行事で追われていくような…仕事にしてるわけでもないのに。

 映画が自分の人生にすごいスピードで追い付いていって、毎日の生活が映画に関するいろいろで一杯になって…食いつぶされていって。

 この感想文はそんなあの時期の気分をどこか代弁していたのかもしれないね。

 

1973年、再びサンディエゴ

 「ローリングストーン」の締切りはデッドライン間近だった。膨大な量のメモとツアー中に撮った写真を前に、突貫工事で原稿を仕上げなければならないウィリアムだが、いざ書こうとしてもそのとっかかりが見えない。困った彼はまたまた師と仰ぐレスター・バングスに電話した。開口一番、「ミュージシャンに近づき過ぎて距離感がとれなくなったな?」と図星を突かれるウィリアム。そう…あの長い間のめくるめく体験で、彼はツアーの連中と一体となった気になっていた。それどころか、彼らの音楽そのものと一体になった気さえしていたのだった。でも、あまり近すぎて全体が見えない。そんな彼にバングスは率直なアドバイスを与えた。「彼らを仲間だと思うなら、なおのこと正直にありのままを書け!」

 そうだよな。音楽が好きで音楽がすべてで、毎日が音楽に満ちた暮らしの中で過ごしていたとしても、自分は音楽そのものにはなれない。なぜなら僕はミュージシャンじゃないから。例えロック・ライターと言ってはみても、そんなもの単に一介のただの音楽ファンと何ら変わりはないのだ。でも、あの暮らしの中では自分も音楽に祝福され、音楽そのものになってしまったかのように思えた…あのペニー・レインのように。彼女も自分の人生が音楽だと思い続けながら、最後にそれが幻想に過ぎなかったことに気付いて押しつぶされてしまったんだね。ミューズだ同志だそれがどうした。何がどうあれ、彼女たちもまたミュージシャンではなかった。音楽そのものでもないのだ。

 では、ラッセルたちはどうだ。彼らこそミュージシャンで音楽そのものだろう。確かにステージに君臨している時の彼らは音楽に祝福されている。その瞬間は音楽と一体になっていられるのだろう。だが、それ以外のバックステージではどうだ。そのみっともなさから言ってもミジメさから見ても、とても音楽と一体だなんて言えやしない。そして彼らはそんなギャップに押しつぶされるからこそ、素の時にあれだけカッコ悪くのたうち回るのだろう。彼らですら、実は音楽ではなかったのかもしれない。

 出来上がったウィリアムの原稿は「ローリングストーン」社内でセンセーションを巻き起こした。スティルウォーターがツアー中に巻き起こした数々のこと、仲違いやらLSDのトリップやらまでも、とにかく率直に書いてあるのだ。だが、バンド側からは公式コメントとして記事はデッチアゲであるとの見解が出された。ウィリアムへの「ローリングストーン」の評価は一変。彼は放り出された。

 実は、まだまだツアー中のスティルウォーターのメンバーたちは、ウィリアムの記事がひどいデッチアゲの暴露記事だと本気で思っていたし憤ってもいた。しかし、一人ラッセルだけは知っていた。ウィリアムの記事は本当だったと。それがデッチアゲとしか見えない自分たちこそ何も見えていないのだ…と。

 やがてペニー・レインのイキな計らいで、ウィリアムの自宅を訪れ謝罪することになるラッセル。その前にラッセルは、「ローリングストーン」誌にウィリアムの記事が真実であると告げていた。再び向き合ったラッセルに対し、ウィリアムは今こそ単なるお仲間としてでなくミュージシャンを前にした本物のライターとして、録音機のマイクを構えた後ろ側から対峙するのだった

 「ラッセル、君にとって音楽とは?」

 

2001年3月26日、「ハイ・フィデリティ」感想文

 この感想文は、僕が今まで書いてきた一連の感想文に、一つのケリを付けたものと言えるかな。自分なりの落とし前をつけたのかも。

 ストリッパーが脱ぐのにも限界がある。エスカレートを続けていけばそのうち飽き足らなくなって、舞台の上に客だとか馬だとか犬だとか上げて、とんでもない事までしなくちゃならなくなるだろう。自分の実人生を感想文に投影させていくにも限界ってものがある。何だか僕は、映画感想文で自分の人生切り売りしているような気になってきた。どんどん消耗していく感じ。また何を大袈裟な…って言われちゃいそうだけどね(苦笑)。

 ネットが取り持つ映画好きとの付き合いってのも、何だか善し悪しだなって気にもなってきたし。所詮、僕が最初に思っていたこととは全然違うんだよね。

 “映画ファン特有の鼻持ちならないスノビズムがとにかく昔からイヤでねぇ。”

 “どうして映画について論じる奴って、こうどいつもこいつも男らしくないし頭悪いし性格悪いんだ?”

 “変なギョーカイとか変なマスコミとか変な専門家とかとは関係なしに…。”

 しかしフト気が付いてみると、僕は映画好きと称する人々とツルんで、「あの映画は大したことないね」とか「この監督はイマイチだなぁ」とか、まるで映画評論家気取りで語り合ってた。アマチュアがいっぱしの口叩いて背伸びしてのミニ・ギョーカイ「ごっこ」だ。これって第三者が見たら、かなり滑稽なザマだよな。何たる醜態。こんなことって、俺が一番やりたくなかったことじゃなかったのかよ〜。

 自分の人生が映画と一体となる、自分の日常が映画で満たされる…それは「現実」ってもんが決して愉快じゃない、むしろウンザリするようなものだけに美しい幻想だ。だから、それにすがりたくなる。でもねぇ…夢は夢でしかないよ。確かに映画は僕によくしてくれた。でも、決して僕を丸ごと受け入れてくれはしない。

 ある映画の配給会社から試写会を見ないかと誘いが来るに至って、これはそろそろボーダーライン間近だなと僕自身も悟った。仕事でやるなら別だけど、でなけりゃ区切りが必要だ。それと同時に、もうこれ以上垂れ流し的に精神的ストリップショーをやり続けることも出来ない。いずれにしても、どこかで一線を画するべきなんだ

 自分の人生が「映画」と一体になっているような甘美な幻想と誤解に、幕を引く時がやってきたんだね。

 

2001年3月25日、ロサンゼルス、シュライン・オーディトリアム

 ウィリアム少年は、映画監督兼脚本家キャメロン・クロウの少年時代がそのままモデルとなっているのは言うまでもない。クロウもまた「ローリングストーン」誌で活躍した早熟のロック・ライターだったとか。僕は知らなかったので、ただただビックリだね。

 その後、クロウは「ロック」に託してではなく自前のテーマで語ることを欲したのか、小説「初体験リッジモンド・ハイ」を書き、その映画化作品の脚本を担当することで映画界に入ってきた。その後、監督にも進出しての活躍ぶりはご存じの通り。

 「セイ・エニシング」「シングルズ」「ザ・エージェント」…この人の映画はどれも好きだ。登場人物を見つめるまなざしのやさしさ、誠実さ。お話の展開が甘いと評される向きもあるようだが、クロウ作品はいつでも真摯で正直に作品や観客と向き合っているから、人ごとみたいな「甘さ」に陥ることからは免れているように僕は思う。元々才気走った演出やら鋭い映像感覚なんぞとはあまり縁のない人だったけど、それはこの人が本来「書き屋」さんだからなんだろうね。まぁ、あんまり作品分析やら作家論みたいのを並べるのは勘弁してくれよ。そんな気になれない。

 そんなクロウが自らの原点であるはずの、ロック・ライターを志した頃の体験談を描いた「あの頃ペニー・レインと」だが、僕にはこれは決して単なる原点回帰には思えない。確かにここには往年のロックが流れ当時の風俗がリアルに再現されて、かつてを知る者にとっては懐かしさが先に立つ作品となっているかもしれないけれど。

 しかしそうしたコロモの部分をはぐと、この映画には不思議なほどノスタルジーがない。むしろ、かなりアクチュアルに迫ってくる部分がある。少なくとも僕にとってはそうだった。だから、僕にはこの映画をつくることが、クロウにとってむしろあの当時に悟った「音楽」と自分との間にある距離感を再確認する行為だったのではないかと思える。彼は当時もそうやって、ホンモノのモノ書き=クリエイターになっていったんじゃないか。だって距離を知ったからこそ、より分かることだってあるんだから。

 今年のアカデミー賞授賞式の夜、キャメロン・クロウはこの「あの頃ペニー・レインと」でオリジナル脚本賞を獲得した。それは彼にとって、実は監督賞とか作品賞なんか獲るよりずっとずっと嬉しいことだったんじゃないかな? アメリカ映画界での「モノ書き」として最高の栄誉、アカデミー脚本賞をこの作品で獲ったということは…。

 

2001年4月16日、「あの頃ペニー・レインと」感想文

 というわけで、人のグチ話&自慢話に長々と付き合わせてしまって申し訳ない。ちょっと退屈しちゃっただろうね。勘弁してくれよ、もうすぐ終わるから。

 映画を「書く」ってことは、僕にいろんな素晴しいものを与えてくれた。貴重な体験をくれた。楽しみをくれた。出会いをくれた。愛をくれた。金はくれなかったけどね(笑)。出ていく一方だった(涙)。どうして金はくれないんだ。

 でもね、もうそろそろ僕も、映画と「書くこと」と自分との距離を知る時が来たようだ。そんな事みんなちゃんと分かってるって? 分かってないのはおまえだけだって? 普通の大のオトナはよ〜く分かってるって? そうだね、僕はバカだった。でも君も一度は、自分がちゃんとそれらを区別出来てるのか改めて考えてみたほうがいい。何なら「映画」って言葉を他の何かと取り替えてみてもいいよ。ともかく、映画だけが人生じゃない…映画ファンの連中は誰もがみんなこう言うけれど、腹の底からその意味を分かっている人は何人いるのだろう? 自分のことって案外自分じゃあ見えないものなんだ。

 今後、僕が書く映画の文章に自分のことが出てきたとしても、それはもう今までとはどこかが違う。これから先、自分とそれら諸々の事とをいたずらに同一視することは、たぶんないだろう。でも、それは映画を冷たくつき放すわけじゃない。だって映画は僕によくしてくれた。もうこれ以上、僕の重荷を映画に背負わせなくてもいいだろう? それに初めて気づく歳でもないけれど、気づかないよりはマシだよね。

 遅くはなったけど、これからが本当に僕の人生の出番なのだから。

 

 

 

 

 

 

この2年間、「DAY FOR NIGHT」を暖かく見守ってくれたみなさん、

本当にどうもありがとう。

 

 

 

 

 

 

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