「キャスト・アウェイ」

  Cast Away

 (2001/04/02)


フェデックス1号機日本就航秘話

 今回はね、ちょっと業界ウンチク話をするから、つまんないと思ったら飛ばしちゃっていいからね。

 昔、僕がコピーライターという肩書きを頂戴する前に、ある業界紙の記者をやっていた事があるんだよ。業界紙っていうとB5サイズくらいの紙に和文タイプみたいなチャチな印刷して、隅っこをホッチキスで止めたやつなんかもザラだけど、僕が入った会社は一応この分野の業界紙ではトップだったみたいで、ちゃんと普通の新聞形態で毎日発行していた。でも、そんなトップの業界紙でも、実は不振にあえいでいたんだね。今みたいな本格不況ならいざ知らず、時はバブル真っ盛りの今から12〜3年前のこと。では、なぜ不振だったのか?

 その業界紙ってのは海運=船の貨物輸送の業界紙だったからだよ。海運と言えば、もう何年も前から業績不振で四苦八苦していた。船の運賃なんかバカ安だったしね。なにせ遅い輸送のペースが時代の流れに追い付かない。ただ、やっぱり飛行機や陸運では運べる重さ大きさにも限界あるし、運賃だって高い。だからキチンとした先のスケジュールが見えてる物件で、かなり大きく重いもの、個数や件数の多いもの、緊急性の乏しいものが船の貨物となった。重量のある資材とか機械や部品、工業製品とかが主流というわけだよね。

 でも、日本はもうその頃には急速に産業構造が変わっていた。軽薄短小がもてはやされていたのは、一般消費者ベースだけではない。その代わりにどんな産業でも時代の流れ、流行廃りのスピードについていくことが要求された。だから海運にとってはジリジリ引き潮の時期になってたんだね。

 僕の入った業界紙でも、紙面の方向転換を迫られていた。海運にとどまらずに総合輸送、総合物流を扱った新聞へ。金の出どころが変わったんだから仕方ない。正直言って業界紙は購読料で食っているわけではない。そこに掲載される業界向け広告で何とかやっていってるんだ。だから業界が先細れば即業績悪化に結び付く。みんな慣れない分野にも首突っ込んで、頑張ってましたよ。得意分野の海運だけでなくトラックなどの陸運、鉄道貨物、当時急速に注目され始めた宅配便、そして航空貨物…まぁ、輸送全般に渡ってオールラウンドに扱う総合紙になれば、少しは見通しもついてくるだろうというわけだ。

 実は取材だモノ書きだという仕事にはおよそ無縁だったこの僕が、未経験にも関わらずこの会社に拾われたいきさつもそこに起因するわけ。当時この業界紙で航空関係の取材を一人で仕切っていたデスクが突然辞めちゃった。ちょうどその代わりといった具合に、モノ書きが出来るかどうか分からないが、航空の事はその業界にいたから少しは分かる僕が登場したんだね。そういった偶然がなければ、僕は今こうしていないかも。運命ってのは分からないもんだよね。

 ところが僕は、日本の航空貨物業界でも極めて興味深い時期に業界紙記者をやることになったわけ。それはアメリカの大手国際宅配便業者、フェデラル・エクスプレス(通称:フェデックス)の本格上陸前夜だったから。

 フェデックスって、仕事で使ったことある人も何人かいるだろうね。確かに基本的にはわが国のヤマト運輸がやってる「宅急便」、日通がやってる「ペリカン便」、それに佐川急便なんかの国際版…と簡単には言えなくもない。ズバリ言えば、ヤマトの「宅急便」を海外発送する時や、あるいは海外からの小口貨物をわが国で「宅急便」として届ける時の提携先となっているアメリカの国際宅配便業者UPSなどと同じような会社だ。

 ただ上に挙げたわが国の宅配便業者なんかとは、規模が全然違うんだよね。最大の違いは何かと言えば、彼らは自前で飛行機を飛ばしてる

 飛行機の小口貨物と大口の貨物っていうのは、ちょっと位置付けや扱いが違っているんだけど、どちらも大まかに言うと航空会社がスペースを持っていて、そこを航空代理店が買って荷物を載せている。旅客なんかもそうだよね。でも、フェデックスなどの海外の国際宅配便業者は違う。ちょっと乱暴に言っちゃうと、貨物の集配やらパレットへの積付け、逆にパレットからのバラし、その他通関その他のもろもろの雑事をやるのは航空代理店ならびに宅配便業者と同じ。ところが自前の貨物機を持っていて、そこに積んで運行スケジュールも自分たちでコントロール出来てるわけだから、これは当然JALとかエールフランスとかと同じ航空会社でもあるわけなんだよ。

 そうすると、単純に考えても全部自分とこでコントロール出来れば有利に決まってるわな。

 ところで当時はやれ牛肉だオレンジだと、アメリカが何でもかんでも日本にゴリ押しして、貿易などの障壁をとっぱずしてた頃。アメリカとの交渉ごとは何から何まで譲歩譲歩の連続、ペリーの黒船以来わが国の伝統のジリ貧状態だった。もちろん日米航空協定しかり。アメリカは日本への乗り入れ枠の増便を要求した。そして当時、フェデラル・エクスプレスにはアメリカ議会に絶大な影響力があったらしい。この交渉で新たに取得した枠のうちの1便を、かのフェデックスが獲得したから大騒ぎとなった。

 だって荒っぽく言っちゃうと代理店業務も航空会社も両方やっちゃう会社が、本格的に日本に入ってくるわけ。で、問題なのは国際宅配便って言うとみんなちっちゃい小包みたいなモノを連想するだろうけど、そんなものだけで飛行機が一杯になるとも思えない。当然、アメリカのことだ。その「宅配便」の概念を拡大解釈して一般貨物まで自社の貨物便で運ぶに決まってる。これじゃあ勝てない。

 それにアメリカという国、えらく大まかなところがあってサービスもへったくれもない一面もあるけど、本気出してサービスやりだしたら日本なんかの目じゃない。東洋のシラジラしい愛想笑いなんか吹っ飛ばすマジなサービスを繰り出してくるからね。何もそんな…と思う人は、東京ディズニーランドに行ってみなよ。何もここまで…と思わされるほどのサービスとエンターテインメントの粋を見せつけられるよね。その調子で本気サービスやりだしたらどうなる? 資本主義の権化アメリカの哲学振りかざして「時は金なり」を実践し、アッという間に日本国内の業者を駆逐してしまうだろう。

 それにアメリカ人は良くも悪くも、相手の国の都合だろうと時間だろうと自然現象だろうと何だろうと、自分たちで遮二無二ねじ伏せてコントロールすることが出来るもんだと信じてるフシがある。まぁ月まで行っちゃった国の人間が考えることだもんね。何でも意思と力で克服出来るんだという、良く言えば前向き思考、悪く言えば単純独善主義みたいなところがあるんだよ。まぁ、もっともこれは現代人なら誰しもどこの国でも少なからず持ち合わせてる志向かな? そんな20世紀以降の時代のリーダーシップをとったのがアメリカだったから、彼らが一層強くこういう考え方を持つのも無理はない。

 そんな時期、この商売これから一体どうなるんだろう?…なんて国内業者がスッタモンダの最中に僕は業界紙の記者をやれたわけ。これはオイシかったと思うよ。ただ、フェデックスの貨物機の1号機が就航したかしなかったかの頃に、僕はあるところから声かけられて記者を辞めたので、その結果どうなったかは見届けていない。でもこの業界の雰囲気がさほど変わってないとこ見ると、フェデックスも日本ではそううまくはコトを運べなかったみたいだね。それが良かったのかどうか、僕はコメントする立場にない。でもさすがのアメリカ人だって、何でもかんでも思ったように遮二無二コトを進められるわけではないのだと、その時ちょっと思ったよ。

 でもあの時、日本の業者はマジでみんな、まだこの国では本格的にサービスを開始していない未知の業者を心から怯えていた。それだけでも、フェデックスという会社のプレゼンスがよく分かるだろう? そんなフェデックスの会社精神の権化みたいな男に、「ある事件」が起こったら…。

 

無人島にたった一人のトム・ハンクス

 ところはロシアのモスクワ。一人の男が口からツバ飛ばしながら、シャカリキになって何かしゃべってる。ここはアメリカ大手国際宅配便会社、フェデラル・エクスプレスのモスクワ支店のオフィス。しゃべっている彼は、アメリカのフェデックス本社から派遣されてきたやり手のトム・ハンクス。今まさにビジネス滑り出したばかりのモスクワで、本来サービスなんて概念がからっきしないロシア人スタッフたちに、アメリカンスタイルの猛烈ビジネスとフェデックス・イズムを叩き込もうと派手にアピールしているわけ。無可能を可能にしろ、やらなきゃ俺たち失業するぞ、やれば出来るんだ…めったやたらに「時は金なり」みたいな座右の銘を乱発してるが、往年の人気テレビ番組「クイズ・タイムショック」じゃあるまいし。あの司会やってた田宮二郎だって、生き急いだあげく猟銃くわえて死んじゃった

 みんなのケツ叩いて貨物の仕分けを急がせ、何台もの車で空港まで運ぶ。ところが赤の広場のど真ん中で一台が立ち往生。そうなりゃ親分トム・ハンクス自ら陣頭指揮で、エンコした車から貨物をかき出して他の車へと移し替える大騒ぎだ。ほらほら、アクシデントの時こそ真価が問われるぞ。旧ソ連時代、書記長のアンドロポフとかチェルネンコとかが死んだら通信や輸送系統が全部止まっちゃったお国柄なれど、アポロ13号も無事に地球に帰還させたこのトム・ハンクス様が来たからにはそんなことはさせない。フォレスト・ガンプ一期一会、ここで会ったが百年目とばかりにロシア人たちを叱咤激励して、何とかかんとか荷物を別の車に積み替え空港にひた走る。そこには本社のあるメンフィスへの出発をいまや遅しと待ち受ける、フェデックスの貨物専用機がスタンバイしていた。積み込まれる大量の貨物。ついでにハンクスも機上の人となる。

 飛行機が飛び立てば、もうハンクスに出来ることは何もない。さっきまでの慌ただしさを忘れてくつろぐハンクスの頭の中には、久々に帰る故郷メンフィスのことしかない。そう、メンフィスに置いてきた恋人ヘレン・ハントのことしか…。

 学位試験を前にしたハントとの再会。親戚一同とのクリスマスパーティーのだんらん。だが、そんな時に無粋にもハンクスのポケベルが鳴る。何と出発が早まったのだ。後ろ髪とナニが引かれる思いながら、ハンクスはハントの運転する車で空港へ。その車の中でプレゼント交換という慌ただしさだ。あぁ、飛行機が恨めしい。遠距離恋愛の何とも言えぬ悩ましさ。

 考えてみれば、今いちばん売れまくってる女ヘレン・ハントもまったく男運がない。出世作「恋愛小説家」のジャック・ニコルスンは病的潔癖症で恐るべき自分勝手な男。「ハート・オブ・ウーマン」のメル・ギブソンは女をナメ切ったマッチョ野郎で、途中から女心が読めるようになったのをいいことに彼女の弱みにつけ込んできた。「ペイ・フォワード/可能の王国」のケビン・スペイシー先生の知的イヤミと顔の大ヤケドは我慢できるが、何かというとトラウマから自分の甲羅の中に隠れちまうのはいただけない。やっとマトモ男のトム・ハンクスが彼氏役だと喜んだのも束の間、今度は席も暖まらないほどの多忙男ときたもんだ。だが、ハントはまだ分かってない。自分が本当についてないのは相手が多忙であるという点ではないのだということを。

 ハントのプレゼントは彼女の家に古く伝わる時代ものの懐中時計だ。フタの裏側にはハントの写真が「忘れないで」とばかりに貼ってある。それに対してハンクスのプレゼントはと言えば、「これだ〜!」といきなりリボン巻いたセガレむき出し(笑)じゃなくって、小箱に入った婚約指輪。お互いどちらも、この次帰ってきたらその時は…という思いを込めてのプレゼントという訳なんだろう。だけど決して忘れちゃいけない。例えどんな事でも「この次に」とか「いつか」…なんて後回しにはするもんじゃないぜ。だって次が必ずある保証なんてどこにもないんだからね。

 こうしてハンクス、再び機上の人となった。

 そして、太平洋上で飛行機は墜落した

 ハンクスだけは奇蹟的に難を逃れて、海底に沈む機内から脱出。ゴムボートにしがみついて嵐の海をひたすら流された。

 そして、ある島にたどり着いた。

 誰もいない。ただ不気味な物音がするだけ。しばらくして、それがヤシの実が落下する音と知り、空腹も手伝ってヤシの実を割ろうと四苦八苦。だが、とてもじゃないが割れるものじゃない。そのうち石をぶつけるようになり、その石が割れて尖った刃物状になって…と、ハンクスこの島に一人きりで、人類の文明の歴史を石器から辿るはめになってしまった。でも、その初めての道具を空に放り投げたところで、いきなり宇宙ステーションに変わったりはしない。時はまさに「2001年」だというのに。あぁ、モノリスが欲しいよ。

 墜落機から流されてきた貨物をいくつか拾い集めたハンクスは、最初は根っからの貨物屋根性からか手をつけずに大事にとっておいた。でも、だんだん生活が苦しくなってくると背に腹はかえられない。流れ付いた貨物を一個一個バラし始めた。まずプレゼントのスケート靴がナイフ代わりに使えそう…とか、それなりの文明の利器もいくつか入手できた。中でウィルソン社製のバレーボールだけはどうにも使い道がないので転がしておいたけどね。だけど貨物のパッケージに天使の羽根が描いてある貨物は、ハンクスもバラさず手をつけずにいた。別に信心深い男ではなかったが、こんな極限状況になるとそんなつまらない事でも心のよすがにせずにはおれないものなんだね。

 何せこの島、砂浜に「助けて」と書いてみてもおよそ誰一人目にすることなんてありそうにない、「ラララむじんくん」ならぬ無人島。サラ金CMに出てくる宇宙人みたいに「地球寄ってく?」なんて気楽なノリでいられりゃ結構楽しいかもしれないが、島随一の山の頂きまで上ってみても周囲には大海原が広がるだけ。サービス精神皆無のロシア人にだって貨物屋魂叩き込むのは朝飯前と、いつもあくまで前向き思考だったハンクスも、これにはさすがに暗くなる。遠く船が航行するのが見えた時も遥か彼方だから、知らせることもどうすることも出来なかった。海に乗り出そうとしてみても激しい波が押し寄せてきて、まるっきり島から脱出出来ない。ゴムボートをダメにして、自分の足も珊瑚礁でしたたかキズつけただけだった。 

 こりゃ長期滞在になりそうと、考えも改めねばならぬというもの。それには、火の一つも起こせねばなるまい。しかし、苦心さんたんやってはみても、そう簡単に火なんて起こせやしないんだよね。いろいろやったあげく手をケガしてかんしゃく起こして、手近のバレーボールに八つ当たり。ところがこの時ボールに血の手形がついたことから、そこに顔を描いて「ミスター・ウィルソン」と名付ける茶目っけくらいはまだ残っていた。そりゃ、ただのブロンズ像だって「オスカー」と名付けりゃ愛着も執着もわこうというもの(笑)。それに例えバレーボールでも話し相手は欲しい。例え空気が入って口をポカ〜ンと開けっぱなしのビニール人形でも、彼女がいないよりはマシ。このミスター・ウィルソン相手にしゃべるハンクスにグッと共感する男どもは、意外に多いかもね(笑)。

 あれこれやってるうちに、ついに火を起こせるようになったハンクス、いきなりえらくデカいたき火を燃やすと野蛮人みたいに踊りだす喜びようだ。ジェームズ・キャメロンなら「世界の王」などと豪語するところだろうが、もうすでにオスカー2個もゲットして余裕のハンクスは、そのくらいの事で偉そうにふんぞり返る見苦しい事などしない。3個目はミスっても気にしない。女と見ればどんなのでも一度は食ってみる、欠食児童のラッセル・クロウにくれてやるよ。ところでクロウよ、メグ・ライアンはオイシかったかい(笑)?

 それにしてもマズかったのは、ハンクス歯の治療を怠っていたことだ。最初はまだよかったんだけれど、だんだんギンギンに痛んできた。痛すぎて何も手につかなくなる。どうすればいいんだ? こんな時にゃ贅沢は言わない。どんな医者でも大歓迎だ。例え「リトル・ショップ・オブ・ホラーズ」でスティーブ・マーティンが演じた変態サディスト歯医者だってこの際我慢するよ。だけどそのマーティンだって、ビリー・クリスタルが抜けたオスカー受賞式司会の穴を埋めに来てはくれても、こんな島くんだりまで「リトル・ショップ〜」歯医者の再演しに来てはくれない。ビョークの白鳥だって飛んできやしない(笑)。せめて「グリーン・デスティニー」の誰かは来てくれないのか? そうすりゃスイ〜ッと海を飛んで渡れるのにね(笑)。でも間違ってチャン・ツィイーちゃんなんか来ちゃったら、これ幸いと島から出ずに朝から晩まで頑張っちゃうんじゃないの(笑)?…おっと脱線。ともかく激しい痛みに耐えかねたハンクスは、決死の覚悟でスケート靴のブレードを口にあてがい、素人療法の抜歯を試みるのであった。

 ギャアアア〜〜〜〜!

 さて、それから4年(笑)。「十戒」でチャールトン・ヘストンが演じたモーゼみたいに立派なヒゲをたくわえ、すっかり日焼けしたトム・ハンクスがまだ島にいた。モーゼばりにヒゲ生えてるなら海を真っ二つに割れればいいものを、やっぱり格好だけではどうにもならない。

 そんなある日、島に広い板状のプラスティックが流れてきたのを見つけるハンクス。それをじ〜っと見つめるうちにピカッと何かが思いついた。こいつを帆にするんだ!

 さぁ、忙しくなるぞ。木の皮からロープをつくり、丸太をこれで固く縛って、頑丈なイカダをつくるのだ。潮流と風の向きがちょうどいい按配の時期はそう長くない。今こそハンクスは、懐かしいフェデックス時代の座右の銘「時は金なり」が役に立った。今度こそ帰れるかも?

 そして、その日はやってきた。イカダはいよいよ外海へと乗り出した。同乗者はあの「ミスター・ウィルソン」ただ一人。胸は不安で一杯だけど、この島で朽ち果てるよりはマシだ。ハンクスもこの期に及んでは、もはや「アポロ13」を地球に帰したこの俺などと思い上がる気持ちもない。第一あの時には地球の管制センターでエド・ハリスが待っていた。でも今度はそのハリスと同じオスカー主演男優賞を争う仲となれば、強力なバックアップなど望むべくもないのだった。いいさ、エド・ハリスなんていなくても。俺にはこの「ミスター・ウィルソン」がいる。よく見れば髪の毛もないこいつはハリスそっくりじゃないか(笑)…と言ったか言わないかは知らないが、ハンクスのイカダは徐々に外海からの激しい波にぶつかっていった。さぁ、今だ!

 例のプラスティック板が風をはらむ。あっと言う間に、イカダは島からどんどん離れて行った。それは、あれだけ長くハンクスをつなぎ止めて離さなかったにしては、あまりに拍子抜けするほどアッサリした島との別れだった。

 でも別れはこれだけではなかった。ひょんな事からあの「ミスター・ウィルソン」を海に取り落としてしまったのだ。追っても追っても海流でどんどん流され離れていく「ウィルソン」。つらく寂しい島での生活、ずっと苦楽を共にしてきた彼との別れはさすがにこたえた。ごめんよごめんよ、許しておくれ…今まで何があっても寡黙に耐えてきたハンクス、さすがにこれには大海にポツンと浮かぶイカダの上で、誰にはばかることもなく思いっきり男泣きするんだよ。この場面は見ているこっちだって思わずグッとくる。海にプカプカ浮かんで離れていくただのバレーボールに、なぜか何とも言えないペーソスがこみ上げてくる。その瞬間、いつしか見ている我々も、ハンクスと一緒に「ウィルソン」に感情移入していることに気付くんだよ。

 そんなこんなで洋上を漂うこと数日か数週間か。通りがかった巨大な貨物船に発見されたハンクス。さぁ、これでハンクスの壮絶なサバイバル物語はようやく幕を下ろすんだね。

 いや、違う。実はここから先が究極のサバイバルなのである。

 

真のオトナになったロバート・ゼメキス

 ロバート・ゼメキス作品と言えば、僕たちはつい最近、お正月映画として「ホワット・ライズ・ビニース」に接したばかりだ。これねぇ、僕はどうもダメだったんだよねぇ。ミステリーとしてのセオリー無視という気がして。変にヒッチコックを引用したのもいけなかったんじゃないかな? だから反則って感じがした。

 そこへもう新作が登場とくると、何だか乱作してる感じがするよねぇ。しかもどう考えてもゼメキスにゃ畑違い、ヘタすりゃ退屈で死にそうになりかねない無人島でのロビンソン・クルーソー的なお話を、またまたオスカー狙います的なツラがまえのトム・ハンクス起用でつくるとなれば、なんだかなぁ…と見る気はどんどん減退する。

 日常生活での恋人役に、地味ながらもオスカー女優のヘレン・ハントなんて持ってきてるところからして、単調な島での生活描写の途中途中に彼女との回想シーンが、便秘中のウンコ(笑)みたいにブチブチ切れて割り込んでくるんだろうと想像がつく。うへ〜つまんなそ〜。

 ゼメキスってあの「フォレスト・ガンプ/一期一会」から大人の作家に脱皮したみたいで、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」当時のハシャぎっぷりは影を潜めたね。でも、そんな大人路線になってから「バック・トゥ〜」みたいにスカッとツボにはまった作品を発表出来てるかというと、残念ながらまだまだと思うんだよね。その世評高いオスカー受賞作「フォレスト・ガンプ」だって、僕はどこか物足りなさを感じてる。何か足りない。そこに「ホワット・ライズ〜」の大人の顔してヒッチコックごっこの大ハシャギを見せられたから、こいつの大人路線もこの程度、すっかり行き詰まったなと思わされた。だから、まるっきりこの作品には期待なんかしちゃいなかったんだよ。

 ところがギッチョンチョン(笑)。映画は見るまで分からない。

 まず意表をついてモスクワからお話がスタートするのは、予想を覆えさせられるから新鮮でいい。考えてみれば「孤島に流されて…」なんて話は今まで死ぬほどつくられて、どう想像してもビックリするような趣向は盛り込めなさそうに思えるからね。こんなビックリのオープニングで観客の意表を突いて、見る前の身構えというか先入観を壊しておくのは巧みな作戦だ。思わず物語に引き込まれてしまう。

 そして飛行機が墜落する一幕のド迫力映像は、さすがスピルバーグ愛弟子の特撮好きならでは。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」で売り出したゼメキスだけあるテクノロジーを駆使した映像。だけど、かつてなら技術を見せ技術で遊ぶことで喜んでいたような彼、ここではあくまで絶体絶命の運命の転換点を、徹底的にリアルに映像化しようと決心した末のテクノロジー導入とはっきり分かる、甘さを拒否した怒涛の映像なのだ。そこがすでに大人なのである。いやはやまったくもって、飛行機を頻繁に利用する人なら、夢に出てきそうな忌まわしさ満点の事故描写だ。

 そして肝心の無人島での生活描写でも、ゼメキスは一歩も退かないし逃げないのだ。予想してた如く途中でヘレン・ハント回想場面なんかチャカチャカ入れたりない。あくまで正攻法ストレート一本勝負でトム・ハンクスの暮らしぶりをカメラが凝視するだけなのだ。音楽はあくまで控えめ。場面転換にオーバーラップなどの技法は極力使わず、バッサリとカットが変わるだけ。情に流れない盛り上げない。ドキュメントタッチ…とまでは言わないまでも、映像のいじりで映画をつくっていたゼメキスにしては、初めて技法が全面に出ないつくりなのだ。

 にも関わらず単調にならない。むしろ、島に行ってからのほうがお話は面白くなる。それは、無人島生活の実際をちゃんと見つめたほうが、興味深く面白いはずだと自信を持っているからなんだね。以前は映像やら演出やらポスト・プロダクションでチャカチャカいろいろやることで映画を面白く出来ると思ってた。でもこの映画でのゼメキスは、そんな事に価値を見い出していないのだ。そこが素晴しい。そして、実際何より苦心さんたんしているハンクスの姿そのものが、何より面白いのである。

 だからわざわざ撮影を1年ストップさせて、トム・ハンクスを減量させたのも意味がある。ゼメキスはその中断期間中にあの「ホワット・ライズ〜」を撮ったらしく、なぁんだ時間つぶしでつくったと思えばよく出来てるかも…などと言ったら怒られてしまうかもしれないが(笑)。たぶんゼメキスはハンクスの減量によるリアリティを出したいがためだけに、この中断を実行したんじゃないだろうなという気がするんだよね。制作中のスタッフ&キャストの、ノリ…みたいなものを中断したかったんじゃないか?

 えっ? 映画とか創作とかってノリが大事なんじゃないの? 確かに普通はそうだ。みんなそれを失わないようにと苦労する。だが、その作品の場合、リスクを負ってもそのノリを断ち切る必要があったはずだ。

 それは映画の終盤、ハンクスの故国への帰還にヒントがある。

 

 久々に文明世界に戻ってきたハンクス。しかし、あの4年間の無人島の生活が彼の何かを変えていたのか、どこをどうしても「やった〜バンバンザイ!」といった気分にはなれないハンクスだった。しかも、変わっていたのは彼だけではなかったのだ。

 あの恋人ヘレン・ハントが、人の妻になってしまっていたのだった。ハンクスは死んだとされたのだから、無理もないだろう。一度は再会の場がセッティングされたものの、彼女の今の夫の判断でそれも延期となった。おまけにこの今の夫に、まるで帰ってきたのが悪いと言わんばかりのことを言われたひには、ハンクスまるで立つ瀬がなかった。

 これでは納得出来ない。ある雨の激しい晩に、ハンクスはタクシー飛ばしてハントの新居にやって来た。何も彼女の今の生活を乱そうというんじゃない。ただ、彼なりにケジメを付けたかった。彼の無人島での単調な生活を「ミスター・ウィルソン」と共に支えてくれた、ハントの顔写真入り懐中時計…それを彼女の手元に返したかったのだ。

 しみじみ語りあう二人。彼女はハンクスの愛車を大事にとっていた。ハンクスはそれを彼女から戻してもらい、雨の中を運転して帰ることにした。その時、何か思い詰めた表情でハントが車に乗り込んでくるではないか。やっぱり、あなたを愛している! このまま一緒に行くわ。

 でも、そんな訳にはいかないのだ。彼女にはすでに夫がいる。この夫との間に子供もいる。どうにもなりはしない。…ハンクスはさりげなく彼女を思いとどまらせ、一人で車を走らせて去って行った。

 後日、旧知の友人と久々に語り合った折りに主人公はこう言うのだ。生きる望みも意味も消えうせた絶望の果て、自分は悟ったのだ…そんなもろもろの事より何より、生きることそのものにこそ意味があるのだと。

 フェデックスのように合理主義、効率主義で慌ただしく生きる現代人を、何もかもとっぱずした状態で無人島に置いたらどうだ? 一見この映画の企画はそんなとこにあるように見える。事実、企画の出発点は確かにそのあたりにあったに違いない。まぁ、それは誰でも考えそうなことだよね。

 でもね、無人島で最初はなかなか調子が出なかったものの、結局、主人公は本来の主義を貫き続けているんだよね。

 ないないづくしの生活必需品を何とかかんとか調達し、火を起こし、歯痛を克服し…それはモスクワでロシア人たちにサービス教育を実践する、「やれば出来る」主義のもっと極端な実践にすぎない。不可能は可能に出来る。

 彼お得意の「時は金なり」主義だって、イカダつくって島を脱出する段になったら役に立っていた。つまり不自由状態に放り込まれた彼ではあるが、暮らしていくことも島を脱出することも以前の主義を押し通して可能にしていくわけ。

 ところが皮肉なのはこれからだ。文明世界に戻ってみた途端、自分にはどうすることも出来ない事にブチ当たる。その時に初めて本当の壁に思い当たるんだね。

 事故に遭わずにいようと思って逃れられるものではない。愛していれば必ず結ばれる訳でもない。どんな困難も努力や能力で何とかすることは出来るかもしれないが、人の幸不幸に関わることだけは頑張ってもどうしようもないんだね。 だから、そんな時には悩んでも始まらない。運を天に任せるしかない。結局、幸不幸と言ったところで知れたこと…とどのつまりは生きていることこそ大切な事なんだから。

 努力して頑張ってどうにかなるというのは、限りなく「足し算」的な考え方だ。それは過程や結果が目に見えるし語れる。でも所詮、理屈で語れるもの理に落ちるものは、それどまりでしかないのだ。そんな余計な理屈抜きの「生きる」ということだけで価値があるという結論は、アメリカ的な功利主義やら単純明快論理、独善性と背中合わせの前向き志向などとは全く立場を異にする。人事を尽くして天命を待つとでもいうような、まるで東洋思想に似たところもあるよね。これは典型的アメリカ的な作家だったゼメキスにとって、一皮むけた新境地と言えるんじゃないだろうか。近年の彼の作品は確かにオトナ指向だったけど、どうしてもどこか背伸びが目に付いた。そんなさまざまな試行錯誤のあげくに、ここでやっと彼も本当に大人になったのかもしれないね。

 ラスト、例の天使の羽根イラストが描かれた貨物を宛先まで届けに来た主人公は、だだっ広い原っぱで交差した道をどちらに行くか選ぼうとする。どっちの道が正しいのかは分からない。だが、主人公の表情はもはや何も案じていないように不思議と明るい。それは、どの道を選んで結果がどう転ぼうとも、そんな事は大した問題じゃないからだ。だから先の事なんか気にしたって仕方ないじゃないか。トラブルがあったって何だって、そんな事など大した事ではないよ。

 例え先に何が待ち構えようとも、生きているということが最も大切なことだから。

 

 

 

 

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