「アンブレイカブル」

  Unbreakable

 (2001/02/19)


握った手と手…ただそれだけで

 それは、かなり昔のNHK「紅白歌合戦」のことだった。みんな、最近「紅白」って見てる? もう見てない人もかなりいるんじゃないかね。

 昔は「紅白」って言えば見ていない人なんかいないお化け番組だったんだ。出られる出られないで笑うに笑えない悲喜劇も数多くあった。都はるみを「美空」って間違えてクビになった気の毒なアナウンサーまでいたっけ。少年隊の「仮面舞踏会」を仮面ライダーって堂々と言った加山雄三はおとがめなしだったのに、世の中ってのはまこと不公平に出来てるよな。

 でも、さすがの「紅白」も若い人の関心がどんどん離れて、僕が高校〜大学の頃にはいつの間にか苦戦を強いられるハメになっていた。NHKも焦ったのかいろいろやったよ。ある時は出場者をワールド・ワイドにして、ポール・サイモンとか海外のビッグ・アーティストまで引っぱり出したことすらある。そんな信じられないなりふり構わぬ「紅白」テコ入れが行われていた時代のことと思っていただきたい。

 視聴率低下に業を煮やしたNHKは、ある年の「紅白」には手段を選ばずゴシップに頼る姿勢を前面に出した。当時、アツアツ報道されていた郷ひろみ&松田聖子、近藤真彦&中森明菜の2大カップルのコーナーをわざわざつくって、2組だけをステージに引っぱり出してゴシップ趣味を盛り上げたんだよ。これは見ているこっちも奇妙な感じがしたもんだよね。だって、わざわざ番組の途中でこの2組だけステージに呼んで、アナウンサーにインタビューさせたりしてさ。「仲良くていいですね〜」とか言ってるの。見ているこっちが恥ずかしくなっちゃったよ。

 ところがこの芸能界2大カップルのうち、ひろみ&聖子の方には秘かに異変が起きていたんだ。舞台に並んだ二人にアナウンサーがいろいろインタビューしてる。その時、郷ひろみがつないだ手を松田聖子が秘かに、しかしハッキリとうるさげにパッと離したんだよ。誰も気づかなかったかもしれないが、テレビの前の僕はそれを決して見逃さなかった。こいつらきっと別れるぞ。僕はその時確信したんだよね。案の定、二人は「紅白」の舞台裏で大喧嘩したらしく、年が明けてすぐに別離宣言が発表された。松田聖子がその直前に主演映画で共演した神田正輝と結婚を発表したのは、それからすぐの事だったっけ。

 そう言えば、この時つき合わされたマッチ&明菜のカップルもすぐに壊れた。それもこいつらと一緒に出てきたおかげでツキが落ちたのかね。思えばNHKも罪なことをしたもんだ。

 手をつなぐ…たったそれだけの事で、いろんな事が分かってしまうこともあるんだよね。

 

あくまで重々しくウィリスも黙りこくったまま 

 全米で1年に読まれているコミック・ブックの総ページ数が何ページで、コマ数がいくらで…なんたらかんたら。映画の開巻まもなく、やたらもったいつけた文句がスクリーンに並べられていく。やけに大作感を強調するようなことさらに構えた表現の文章が続くが、その内容がコミックがどうしたこうしたって事ばかりなので、アレレレ…?って気になってくる。何なんだこの大げささは。それにコミックがどうしたんだ?

 まずは1961年にデパートで突然産気づいたらしい黒人女性が、生まれた赤ん坊を医者に診せるシーンから始まるんだよね。ところがこの赤ん坊、奇妙なことに子宮内ですでに両手両足が骨折した状態で生まれてきたという。

 場面変わって現代、ブルース・ウィリスが列車に乗っている場面。退屈な列車の旅の最中に、突然美女が現れ隣の席が空いてるかと聞いてくるから、ウィリスついついスケベ心を出して結婚指輪を隠したりする。でも、何だかんだとこの美女にチョッカイ出してるうちに逃げられて…という、言ってしまえばアホなエピソードがつづられているだけ。でも、ここをほとんど長回しのワンカットで撮影しているもんだから、これまた重厚でなおかつ意味ありげなんだよね。でも、これ全然お話とは絡んでこない意味なしシーン。

 そのうち列車がえらくスピード出してきて、おかしいな?と思ったら…。

 次のシーンは病院だ。ベッドで呆然とするウィリスに、医師がウィリスにいろいろ話してる。列車が脱線事故起こした。だが生存者はウィリスただ一人。しかもカスリ傷一つない。このシーンもまた延々と長回し。重厚かつ意味ありげ。あくまで重々しくドラマは進む。

 病院に息子スペンサー・トリート・クラークと妻のロビン・ライト・ペンが迎えに来る。抱き合う家族たち。ゆっくり病院を引き上げる一家だが、さっき息子がウィリスとペンの手をつないでやってたのに、なぜか二人はいつの間にか手を離している。例の「紅白」のひろみ&聖子の例じゃないが、さりげなく手を離すというアクションは、このご夫婦がうまくいっていないことを端的に表していると僕は見た。その見立てはやっぱり正しかったよね。

 家に帰ったウィリスは、何だか生気も活気もなく、じ〜っと黙ってるのみ。やっぱりペンとの仲はうまくいってなかった。とにかくウィリス黙ってる。それをカメラはひたすらじ〜っと長回しで凝視。

 列車事故の犠牲者の葬儀に参列したウィリスは、何者かが自分の車に妙な手紙を置いたのに気づく。それはある画廊の封筒。中に入った手紙にはこれまた妙なことが書いてあった。「生まれてから今まで病気をしたのは合計何日か?」

 数日後、この画廊にウィリスが息子連れて出向いてみると、画廊は画廊でもコミック画廊。でも、それは「まんだらけ」みたいなもんじゃなくて、コミックを現代アートとして高級に売ろうとするマジも大マジの画廊だった。そこの主人は足が不自由らしく杖をついた男、サミュエル・L・ジャクソンだ。

 あの手紙は何のつもりだと聞きにきたウィリスだったが、逆にジャクソンに質問責めに合う。病気したことはないか?怪我は?

 ウィリスは何年も前に自動車事故にあってフットボール選手をあきらめたと告げると、ジャクソンはう〜んそりゃマズいとうなる。実は水虫もあるしホーケイで短小で早漏だったが、それはさすがにウィリスも黙ってた。そうそう、最近勃ちも悪くなってねぇ。そりゃもっとマズいよな。それでウィリス、憂鬱そうにじっと黙ってたのか。俺も最近うつむくこと多いよ。

 でも、ジャクソンがマズいと言ってたのは別の意味だった。彼こそは映画の冒頭で骨折して生まれた赤ん坊の成長した姿。その後、骨が生まれつき弱くて苦労して育ってきた。そのツラい半生を支えてきたのが、母親が与えてくれたコミック・ブックだが、これを読むうちにジャクソンだんだんピンときたと言う。ピンときたと言ってもアッチの話じゃないよ。だって、これレディス・コミックじゃないからね。

 コミックは昔に描かれた象形文字の碑文と同じで、何か意味のあるメッセージを伝えようとしているはずだとジャクソンは言う。で、コミックに描かれた強いヒーロー、鋼のように強く傷つかない人間が実際にいることを伝えているのだと、まるで「JFK」のエンディングで何の証拠もないのにケネディ暗殺の真犯人をいきなり名指しで決めつけるケビン・コスナーみたいに、強引かつ何の裏付けもなしに言い倒すんだからマイッタ。世の中には生まれつき俺みたいに異常に弱くモロい人間もいる。ならばその対極に絶対に傷つかない人間もいるだろうと言うわけだ。

 で、今まで病気もせずあの大事故で奇跡的に無傷でたった一人生還したウィリスが、その傷つかない男じゃないかと言い出す。挙げ句の果てに、ヒーローたる資質の持ち主がその力を使わないのは天の意志に反するとまで言ってくるんだから、ウィリス勘弁してくれと息子を連れて逃げ出した。

 だが、マズいだの何だのと言ってたジャクソン、思うところあって今度は職場にウィリスを訪ねてくる。ウィリスは競技場のガードマン。ここでジャクソンは、自分からなぜか「人をまもる」仕事についたウィリスはやっぱりヒーローじゃないのかと詮索するんだね。しかも、何かやらかしそうな奴を自然と見分ける能力があることまで分かってしまう。自分に触れた人間のうち、誰が悪事を働くか分かると言うのだ。例えば、その時に目の前で慌てて逃げ出した怪しげな男…。ウィリスはその男が銃を隠し持っている様子が脳裏に「見えた」…とジャクソンに教えるのだ。

 で、ひ弱なカラダでよせばいいのに、ジャクソンはその怪しげな男の後をつけるわけ。でも、やっぱり地下鉄の階段でスッ転んでしまう。イッテテテ…「蒲田行進曲」階段落ち並みに派手に落っこちたジャクソンだったが、タマキンは無事だし目もしっかりしてた。だからその時、例の男が銃を持っていたのを見逃しはしない。痛い目にあったけど収穫はあった。やっぱりウィリスは本物だぜ。

 その頃、ウィリス家では夫婦が関係修復しようかといろいろやってるが、それを横目に息子トリート・クラークの様子がおかしくなった。ジャクソンに親父がヒーローだと吹き込まれたもんだから、何だかんだと試そうとする。迷惑がってるのに、親父が鍛えてる重量挙げのバーベルの重りを勝手に増量したりする。このトリート・クラークってガキが、まるで「シックス・センス」のハーレイ・ジョエル・オスメントみたいに「ボクけなげでいい子でしょ」的なツラと態度が何となくムカつく、いかにもM・ナイト・シャマラン好みのクソガキで、見ているうちにどっかでカツアゲして泣かしたくなること請け合い(笑)。あげくの果てに親父の不死身を証明してみせるぅと拳銃持ち出して親父に向けるんだからたまらない。スプーン曲げやってた関口少年も生意気なガキだったよなぁ。あとフィンガー5に後から加入した従兄弟のガキもヤな奴だった。

 さて、階段から転げ落ちてまたまたあっちこっち骨折したジャクソンだが、七転び八起きとはこの男のこと。リハビリのトレーナーがたまたまウィリスの女房ペンだったことから、何だかんだと根掘り葉堀り聞き出した。自動車事故の時の同乗者が結婚前の女房だったこと、これでフットボール選手を断念しなければ彼女との結婚もなかったこと。

 息子は変になるわ女房には付きまとわれるわ。さすがに頭に来ていいかげんにしろと怒鳴りこんだウィリスに、ジャクソンは図星を突きつける。あの事故じゃ、おまえ傷ついてなかったんだろ? 女房と結婚するために怪我したと偽ってフットボール選手辞めたんだろ? おまえは毎日朝起きても気分がすぐれないだろ? だって、やるべき事をやってないんだから。天から与えられた才能を使う仕事、ヒーローとしての本分を全うしてないんだからな。

 子供の頃、プールで溺れそうになってひどい目にあったと反証したつもりのウィリスだったが、ジャクソンもああ言えば上佑。ほとんど神がかりで、ヒーローにも弱点があるときたもんだ。これじゃ何でもありじゃんと見ているこちらは思うけど、ウィリスこの時点ですっかりマインドコントロールされちゃって、第七だか第八だかのサティアンにさえ入っちゃう勢い。ついつい、それじゃあ俺は何をすればいいんだ?なんて言ってはいけないセリフが口を突いて出た。これを言っちゃあオシマイ。

 ジャクソンにとにかく人のたくさんいる場所に行けと言われて駅に行った。妙なフード付きコート着て、気分はすっかり「X-メン」だ。で、ウロウロしていろいろな奴らにブチ当たってるうちに、悪さしてそうな男を嗅ぎつけたんだね。後をつけてくと、こいつ人の家に上がり込んで親父を撃ち殺し、家族縛り上げてやりたい放題やってるじゃないか。そこでモタつきながらも娘たちを解放してちょっとヒーロー気分。そこまではよかったが、キョロキョロ悪者探してると何とドジな事にプールにたたき込まれた。水は弱いんだよ俺は…って情けねえヒーローぶり。何とか娘たちに助け出されて再度悪者にチャレンジするが、取っ組み合いになってドタバタジタバタ、まるっきり颯爽たる活躍ぶりはなし。それでもどれだけ痛めつけられてもこたえないんだから、持久戦になっちゃ悪者に分は全くない。グイグイ首絞めて悪者ブチ殺し、ヒイハアゼイゼイいってその場を去った。

 翌朝、フード付きコート着た「ヒーロー」登場を報道した新聞を黙って息子に見せたウィリスは、ようやくヒーローとしてやっていく気になったみたい。何だかんだ言っても、これが私の生きる道ってか?

 展覧会で賑わう画廊に現れたウィリスは、スッキリ気分でジャクソンに挨拶する。個室に通されたウィリス、これでようやく握手だなと言われ、気持ちよくジャクソンの手をとった。

 しかし、思い出してほしい。「紅白」でのひろみ&聖子の手と手の一件を。人の手を握る時は心したほうがよさそうだ。

 ア〜チ〜チじゃなくても、ビビビッといくかもしれないぜ(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

特にここからは映画見てから読んで

 

 

 

 

 

 

またまたシャマラン悪ノリの新作 

 僕はどうも世評の高い「シックス・センス」、イマイチ評価していないんだよね。

 うまくやったとは思うけど、何となく釈然としない。と言うより、あんなに大騒ぎする話かよって気がするんだよ。いや、それは世間や映画ファンが大騒ぎしたって意味じゃない。映画のつくり自体が大げさで変にどか〜んとリッパすぎるとこね。だから、M・ナイト・シャマランってお部屋の防臭スプレーみたいな名前のこの監督、イマイチ信用していない。おっと、あれシャルダンだったっけ(笑)。

 なぜそう思うかというと、あの話って所詮小ネタでしょ? いわばワン・アイディアで勝負ってシロモノ。それだけで、あの2時間はある大作映画(ウィリス主演のA級娯楽映画を小品とは言えないでしょ)を引っ張ってるのがちょっとキツいんじゃないかと思えるんだよ。あの手はSFやホラーの短編小説でよくある手で、それが悪いとは言わないが、本当に「それだけ」でこれだけの作品引っ張っていいのか?

 だから、この監督の2作目こそ真価が問われる時だなと思ってた。俺は注目してたぜハッキリ言って。

 するとどうだ、またまたど〜んといきなり開巻のあの偉そうな文句だ。コミックがどうしたこうした…ってあの大作風の文句。確かに劇中コミックについてのゴタクは出てきたものの、あの文句みたいに仰々しく言い立てる必要あったんかい?

 そして終始長回しでず〜っと延々やる。これねえ、映画に重厚味や大作感が妙にど〜んと出てくるわけよ。「シックス・センス」大成功でもう大家になっちゃったんだか、シャマラン前にも増してこの重厚演出を多用する。だけど列車のシーンのウィリスのスケベ心大コケ・シーンみたいに、そんなに肩に力入って見せる場面じゃない。要するに無駄なんだよ無駄。デビッド・リーンの映画じゃないんだから、おまえ自分の格ってもの考えろって言いたくなる。

 意味ありげで仰々しい構えの演出で、ウィリスもジャクソンもムッツリした顔で押し黙って延々長回し。何か起きるかと思うんだけど大したことは起きない。それでも観客は「シックス・センス」の大ショックもあるし黙ってついてくる。でも、それにも限界があるんだよね。いいかげん今回の悪ノリ重厚演出にはシビレを切らしかけてくるわけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからはハッキリとネタバレしちゃうよ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局、ウィリスはジャクソンと握手することで、彼が「ヒーロー」探すためにわざわざ自分で極限状況つくってきたと分かるわけ。さまざまな大惨事を仕掛けて、ついには例の列車事故まで起こしてしまった。それを知ったウィリスは愕然、お客も呆然というのが今回の大ショックなんだけど、ちょっとこれでは「シックス・センス」みたいなパンチには欠けるわな。「シックス・センス」の時にはみんなウィリスに感情移入していた。その主人公の存在そのものがひっくり返るから衝撃もあったんだけど、今回のはあくまで人ごとだもんね。

 で、コミックの世界に「ヒーロー」あれば、その対極に「悪漢」あり。半生を苦しみぬいて自分の生きている意味を見失いかけていたジャクソンは、その「悪漢」にこそ自分の存在価値ありと納得した。ウィリスの「ヒーロー」と共に、ジャクソンの自分探し、アイデンティティー探しがテーマだったことが分かるわけ。さぁ、それが分かってこれからどうなるんだ…と思ったところで、実はこの映画オシマイなんだよ。これにはさすがにつき合わされてきたお客さんだって怒るだろ?

 だけど、このラストの衝撃度の計算違いを除いては、シャマランの創作姿勢って変わってないんだよ。「シックス・センス」の時には何となく釈然としなかったんだけど、その理由が分からなかった。でも、こっちはより大々的に大げさにやってるんで、シャマランの特徴というか弱点がハッキリ見えてしまった。これはさすがに一般の観客にもミエミエになってしまうだろうね。

 確かにミス・リーディングのためのハズし場面や仕掛けをつくるということはある。だけど、ラストのショック以外はそんなハズしだけの意味しかないっていうのはいかがなもんだろう。あまりに内容空疎じゃないのか。それ以外のプラス・アルファがなくって、ただ「何かありそう」って状態だけでもっていくのは、やっぱり怠慢だと思うんだよね。しかも、今回はそのラストのショックですらハズしてる。というか、ショックとして設定しようとすることが、そもそも無理なんじゃないか? そんな事やろうとしないほうがよかったんだよ。

 ただ、この映画の題材というのはとても面白いんだよ。その意味では「シックス・センス」以上かもしれない。現実にヒーローが存在していたらどんなものなんだろう?ってのは興味深いよね。まるで、それこそブライアン・シンガーの「X-メン」みたいになって、エンディングもこれから続編出来るかな?って期待持たせられたかもしれない。でも、「X-メン」はそこに至るまでにあの手この手を盛り込んでた。主人公たちの哀しみを掘り下げてた。それに引き替えこっちはまるで中身カラッポなんだもの。ここまで持ってきてこれだけ?って印象しか受けないんだよ。ただダラダラ垂れ流し場面続きで脚本の練り上げに欠けているから、スカスカにしか感じられない。せっかくいいテーマつかんでいるのに、これは本当に惜しいよね。

 シャマランってたぶんワン・アイディア思い付いたら「しめた」ってハシャいじゃって、後のコンストラクションをキッチリ構築していく気がなくなっちゃうんじゃないか? その代わり、この人は元々演出が重厚で妙にどっしりしているから、何となく中身がワン・アイディアだけだって分からなくなっちゃう。でも、今回はそれも自信ついちゃったかどっしりしすぎで、みんなにもミエミエになっちゃった。しかも最後のショックがあまり効かない。いよいよ正体見たりってことになっちゃったんだろう。それって演出が重厚って言うんじゃないね、鈍重って言うべきだろう。

 ジャクソンがコミックからこんな考えに至ったあたりも、ウソをキチンと構築することを怠ってるから、それだけのことでここまで考えるかここまでやるか?って見えちゃう。やっぱりこの人の脚本は弱いんだよ。

 キツいことばかり並べて申し訳ないけど、シャマランまず構成づくりから出直したほうがいい。衝撃のラストは決して話さないでください…どころの騒ぎじゃないよ。

 衝撃のラスト…なんて言葉自体、もう決して言わないでほしいよね。

 

 

 

 

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