Let's Get Fever !!

featuring "Forever Fever"


 

 映像の世紀20世紀を紅蓮の炎で焼き尽くす

 フィルムの最終兵器「フォーエバー・フィーバー」

  The Lethal Weapon of the Films in 20th Century

 夫馬 信一

 by Shinichi Fuma

 

平凡でパッとしないアンチャンが…

オ〜オオ〜オ〜…

 どこからともなく響いてくる雄叫び。ああ、懐かしや。カール・ダグラスが一世を風靡した、あの「吼えろ!ドラゴン」じゃないか。もう、この最初のつかみだけで「フォーエバー・フィーバー」は、“ノレる”と思った人も少なくないだろう。まぁ、確かにそれは間違いじゃないんだけど。でもよ〜く聞いてみると、この曲我々がまだ若造だった頃に聞き慣れたあのサウンドと、ちょっとだけ違うんだな〜。

 時は1970年代後半、シンガポールでのこと。我らがホックは別にどうという光ったところもない、そこそこナマイキでそこそこ気弱なアンチャン。あんまり格好良くない…どちらかというと贔屓目に見てもダサい彼は、スーパーマーケットでの仕事で一家の生計を支えている気のいい奴。だけど、これといった才能も資格も学歴もない上に、申し訳ないけどあんまり将来への展望とか向上心もなさそうで…っていうとホラ、私や君、そしてあなたの彼氏にちょっとは似てやしないかい? みんな実際のところこんなもんだよな、人生なんて。

 毎朝、遅刻ばかりするからスーパーの店長には叱られるけれど、気のいいホックは本来マジメ。ただ、頭ん中はブルース・リーとバイクのみっていう単純さ。でも、先のビジョンは真っ暗闇なのに、頭ん中は映画ことばかりって俺やおたくらとどこが変わるんだろうね。パッとしやしない奴らってのは万国共通ですよ。

 そんなパッとしない日常にちょっとした風穴開けたいという思いは、うだつの上がらない奴だからこそ一際強いもの。仕事の帰り道にあるバイク屋でホックを待つ、キラキラと輝き放つ新品3000ドルのいかすバイクは、そんな彼にとって目下の憧れの的。

 家に帰れば韓国の元・大統領チョン・ドファン似のハゲ親父と口うるさいお袋が小言ばかり。妹はハーレクイン・ロマンスみたいな恋愛本に凝ってるこまっしゃくれた娘。弟は…というと、医者めざして勉強に励む一家の希望の星。今日も、久しぶりに家に帰ってきた弟をチョン・ドファン夫婦はチヤホヤ。それに引きかえ、こいつはいつまでもバイクだブルース・リーだとは情けない…と、まぁ兄貴はまたもトバッチリ。わかるわかる。俺も家の中じゃ、映画には凝るし仕事は変わるしで鬼っ子扱いだったもんな。いや、親戚一同冠婚葬祭で集まったときでも、回りが俺に腫れ物に触るような態度。俺が話しかけるとビビるんだもんな。おいおい…俺、何にもしてないよ。でも、父方の親戚が全部ソバ屋やってるわが親戚の中では、私はまさしくミュータント。鬼っ子以外の何者でもないんだよな。

 でもホックは別にミュータントってわけじゃあない。ただ、家の中でないがしろにされているだけ。シンガポールじゃ名前を英語名にしたりする習慣があるのか、弟も格好良くレスリーなんて名乗っているけど、この兄貴はデリカシーなんてからっきしなしなんで古い中国名で弟を呼んで怒らせる。「僕、帰る!」

 これでまた両親にボロクソ言われるホック。面白いわけがない。第一、弟の英語名のレスリーだって、あのレスリー・チャンみたいにスカした名前でヤな感じだよな。あ〜、俺も「ブエノスアイレス」は気取った女にコビ売ったみたいな映画でムカついた〜(笑)。そんなウォン・カーウァイのクソキザ映画のことは知るよしもないホックだが、思わずテレビの中で戦うブルース・リー兄貴に教えを乞うと、リーはただ「燃えよドラゴン」でのセリフを繰り返すのみ。…考えるな、感じろ!

 ホックのダチも、どいつもこいつもパッとしないけど気のいい奴ら。今夜もこいつらと、幼なじみの女の子メイも連れて映画でも行こうと街に繰り出す。

 ところがお目当てのブルース・リーは、もうとっくに終わってる。代わりにかかってる映画は「フォーエバー・フィーバー」……ん? 何これ?

 当然、ここで登場してくる映画「フォーエバー・フィーバー」とは、ヘタクソなポスターの絵柄などから明らかに「サタデー・ナイト・フィーバー」のことだとわかる。ハッキリ言って権利金が高すぎて、モノホンの「サタデー・ナイト」のタイトルやビジュアルが使えなかったんだろう。そこで、ここでは一貫して「フォーエバー・フィーバー」のタイトルで、それふうに描かれているのだ。でも、これがミソだということは、後のちわかってくる。

 映画館入ってもホックはバカにしきってマジメに見ようとしない。ところが…ひとたび画面に見入ってみると意外にいかす。いかすどころか、どんどんハマる。踊るトラボルタ(…のつもりなんだろうが、画面に登場するヤツとの共通点といったら白人だということだけ。全然似てない!)のすべてがイカしてる。こんなもん男の見るもんじゃないとか、さんざバカにしてたのに、どんどん引き込まれていく自分が怖い(笑)。

 しかも街でたまたまもらったダンスコンテストのチラシによれば、優勝者は賞金5000ドルではないか。あの夢のバイクが手に入る。これはやるっきゃないぜ! こんな「あわよくば」的な短絡的発想ができるのも若いうちだけ。あぁ、そんな若さが今は羨ましい。

 早速、幼なじみのメイを秘かに誘ってダンス教室に行くことにする。素直にハシャぐメイは、実はこの憎めないホックを心の底では好きなんだよね。でも、ずっと胸に秘めていたのに違いない。ホ〜ラ、そろそろ見ているあなたもウキウキドキドキが始まってきたころでしょ?

 こんなもん簡単にできるわいと安易に何でも手をだすところが、若い頃のずうずうしさというか思慮のなさというか大胆さ。でも、若いうちにそれがない奴は見込みないよな。ダンス教室初日の結果はさんざんで、ナメきってたホックのプライドがボロボロ。メイにもうやめようかと弱気発言をもらす。単純だねぇ。何ともスッキリしないこの夜の気晴らしに、またまた「フィーバー」見に映画館へ滑り込むホック。またまた熱心に見入る。すると!…スクリーンのトラボルタ(もどき)が、「カイロの紫のバラ」や「ラスト・アクション・ヒーロー」みたいに画面から飛び出し、ホックに話しかけてくるではないか! あれ? これ1970年代後半のシンガポールの青春群像を描いたリアリスティックなお話じゃなかったの?

 憧れのトラボルタもどきに話しかけられたホックは、相手の存在に半信半疑ながらダンスがうまくいかないとグチを言う。するとトラボルタもどきいわく「おまえダサすぎるんだヨ」。いや、ごもっとも(笑)。そこから服装なりダンス中の全身の力の入り方なりに小言がビシバシ。それでも、ホックがこのトラボルタもどきの言うことに耳を傾けようと思ったのは、彼がどこかで聞いたようなセリフで締めくくったからだ「…考えるな、感じろ!」

 かくしてホックが本気になったダンス特訓が始まった。元々調子のいい奴だから、ノッてくれば上達も早い。ダンス教室随一の名ダンサー・カップル、金持ちのボンボンと美人のジュリーの二人ですら、いやが上にも注目せざるを得ない存在になってきた。

 ところが、そんな絶好調モードに入ってきたホックと対照的に、弟のレスリーがらみでは一家に事件が起きていた。レスリーは性転換手術を受けて女になりたいと言い出したのだ。今まで両親のために「いい子」を演じてきたのだ、と。

 たちまち「希望の星」は地に堕ちた。あれだけ彼をチヤホヤしてたチョン・ドファン似親父に勘当を言い渡されるレスリー。外にはザンザンどしゃぶり涙雨。ションボリ肩を落として荷造りするレスリーの胸中を察したホックは、いつになくやさしく弟に接する。ホント、こいつ単純バカだけど何ともいい奴だよねぇ。久々に兄弟の心通わせた会話で昔を懐かしむこのシーンは、この作品の中でも珠玉の名場面の一つ。もうこのへんから、気の早いお客さんは涙腺が開き始めることは必至だ。

 そう。ホックの平凡でパッとしない日常が、今やよくも悪くも大きく変わろうとしていたのだ。

 

ダンスシーンはまさに至福の時

 連日の映画館通いでトラボルタもどきの指導を受けるホック。そのホックとメイの心もダンスレッスンを通じてどんどん近づいていく。このへんも微笑ましいねぇ。しかしダチ連中にディスコに行こうと言われて、ホックこれはヤバいとビクついた。

 なぜか? ホックはまだディスコで踊ったことがないのだ!

 そういや俺が悪ダチに最初にディスコ連れて行かれたときもドキドキしたなぁ。若いお母さんの公園デビューよりガチガチだったはず(笑)。だけどどうしてああいうとこって、最初でも見栄張って慣れてる顔して行くんだろうね。 誰だって最初の時ってあるはずなのに。踊ったのは楽しかったけど、最初はフランケンシュタインの怪物が動き出したみたいで、ギギギ〜ッって感じ(笑)。ギコチなくって見ちゃおれなかったろうな。そうそう、それまでハッキリしなかった仲間内のカップルが、みんなでディスコに行った晩に完璧にくっついちゃったんだよな。そいつらそのまま所帯持って、今じゃ二人の子持ち。あ〜あ…。

 ホックもビビりまくりながら、トラボルタもどきに「カタチから入るんだヨ」と言われてバッチリ衣裳もキメてなぐり込みだ。

 みんなと一緒に踊っているときは緊張が解けずに少し危なっかしかっけど、慣れてきたところでソロのダンス・タイムになって、こうなりゃホックの独壇場。「サタデー・ナイト」も真っ青で、キマりまくることキマりまくること。見てるこっちまで熱くなってくる、うれしくなってくる。それまで実はダンスシーンも比較的もっさり撮ってて、わざとダサく処理しているのかなと思わせたが、いや〜このシーンを鮮やかに見せるための周到な演出なんだな。

 実際この映画をここまで見ていく中で、最初はヘタだけどパワーと熱気で見せる、初々しくも愛すべき映画と思い始めたのだけど、ここらへんで待てよ…と考えを改め始めた。ヘタっぽいダンスシーン、権利金が高くてホンモノが使えない「サタデー・ナイト」とトラボルタのまがいもん、全部シンガポール製のカバーによる音楽…これらは、たまたまそうなってしまったのか? それが幸運にもかえっていい結果になってしまったのか?

 でも、それが最初から計算通りだったとしたらどうだ?

 見ている観客の我々は、もうホックのダイナミックなダンスが炸裂するこのディスコのシーンあたりで、すっかり監督の術中にハマってるというわけ。実際、試写会場で見ていた時もこのあたりで、最初のうちは爆笑を伴いながらも大いに沸いてきた。見ている人々の肩が小刻みに揺れてきた。

 映画ならではのマジックが、今まさに点火されようとしていたのだった!

 

キワものにして王道

 このディスコの晩、ホックの踊りに見とれたゴージャス美人のジュリーは、金持ちボンボンと大ゲンカ。コンビ解消となって、ジュリーはホックにコンビを組もうと持ちかける。ポ〜ッとなったホックはついオーケーと言っちゃうが、それじゃメイの立場がない。せっかくいい感じになってきたのに、ホックとメイの間に波風が立つ。金持ちボンボンはホックの勤めるスーパーに手を回してクビにさせるなど、汚い手段に出てきた。

 さぁ、ホックはダンス・コンテストに勝てるか? メイとの仲はどうなる? 性転換手術を願う弟レスリーは…?

 ホックをめぐる兄弟の心の通い合いを描いたくだりなど、結構ちゃんと撮ってる。脚本の構成もよくよく考えると、かなり周到に用意された伏線が張り巡らされて、何一つ無駄な要素がない。

 それに、トラボルタもどきが画面から飛び出してホックを指導するくだりの素朴なファンタジー性にしても、考えようによってはこの映画の中の世界では「サタデー・ナイト・フィーバー」という映画は存在せず、代わりに「フォーエバー・フィーバー」という映画があって、トラボルタもあの似ても似つかない顔してるという、我々が住んでいる世界とはまったく別のパラレル・ワールドがあるみたいな気にさえなってくる。ならば、どんな奇跡だって起きるんじゃないか? これは思いっきり飛躍した展開にリアリティを吹き込むためにあえて選択した手法なんじゃないか? だとしたら、この映画の監督グレン・ゴーイって実は初々しいどころか、いい度胸…したたかな奴なんじゃないか?

 この監督のゴーイって元々役者らしく、英国に渡って向こうでアンソニー・ホプキンス相手に「蝶々夫人」を演じたこともあるというから、かなり正当派もいいとこなのだ。映画監督としてはこれがデビューなのだが、演劇の演出は英国ですでに経験済み。さらに、それを支えるスタッフたちが「プリシラ」や「ミュリエルの結婚」など近年の異色オーストラリア映画に関わってきた強者ぞろいというのがまた凄い。だから、最初はキワモノと思っていたけどかなり真っ当な作品のはずなのだ。こりゃあ侮れない。

 最初は笑っちゃうような情けない安ピカまがいもんの、まるでミラーボールのきらめきにも似たチープなキラキラが、いつしかホンモノの黄金の輝きを帯びていくその瞬間…それを目撃できるこの映画の観客は幸せだ。それは、エルヴィスとは似ても似つかぬハーベイ・カイテルが汗だくのステージを務めるうちに、見ている観客まで「こいつホントにエルヴィスなんじゃないか?」と思わされてくるあの「グレイスランド」の感動を連想させる、ウソがまことになる瞬間。出来過ぎなお話と言わば言え。でも、誰だって善良な人間が報われ、愛し合う者どおしが結ばれる、そんなあるべき姿の世界を実現を心の底では夢見ていないか? 考えてみれば、もっともらしい顔をして毎日過ごしてはいるが、てんでうだつが上がらない現実の我々自体、安ピカのフェイクではないか。いい奴だったがハンパ者の主人公がディスコキングになっていくこの映画のお話は、そのまま不安定で先の見通しもなかった未熟者が中身のある人間に生まれ変わっていく過程だ。それは我々が通っていかなければならないプロセス、今まさに自らがいる状況そのものだ。人ごとではないのだ。

 そもそもフェイクで固めたこの映画のつくりって、映画というメディアそのものの性質に似てる。「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」の時も言ったように、映画に映しだされる世界とはリアルを記録したものでありながら、限りなくインチキくさいニセモノの世界なのだから。いや、屁理屈は言うまい。この映画の真骨頂は、実はそんな映画的理論やテクノロジーのさらに先を行ったところ、計算の範疇を超えた熱気にある。何よりこの映画を上映する世界中のあらゆる映画館や試写会場の中でわき起こるであろう、どよめきと歓声を聞けばそれは明らかだ。でも、「シュリ」など見てみてもわかるように、実は映画にいちばん必要なものってそれなんだよな。笑わせて泣かせて興奮させて…映画の終盤の20分ぐらいは、ハートがものすごいスピードのジェットコースターに乗せられているみたい。実際のところ、この映画見てると血圧も体温も確実に上がる。こんなに見る人のエモーショナルな部分にダイレクトに訴える映画って、本当に久しぶりじゃないの?

 極東の予想外な地域から突然変異的に出現し、一見ダサくてカッコ悪いけど人なつっこい表情を見せる愛すべき映画「フォーエバー・フィーバー」…しかし、それは映画ファンですら「映画とは何か?」を見失ってしまった今だからこそ一際その輝きを増す、“映像の世紀”20世紀最末期に叩きつけられた最も映画らしい映画、堂々と映画の王道を一人行く王者の風格を持った映画だと私はあえて断言してやまないのである。

 

 


 

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