「倦怠」

  L'ennui

 (2000/12/25)


女って何も考えてないの?

 自分のわずかながらの経験の中で出会った女たちが、一様に必ずといっていいほど口にする言葉があるんだよ。君も聞いた覚えはないかな?

 「私、な〜んも考えてない」

 10人女がいれば10人とは言わずとも、8人か9人はこの言葉を口にする。だからどうだと言う訳ではないんだけどさ。

 これをどう受け取るかは状況にもよるだろうけど、正直言うと僕はこの言葉があまり好きではなかったんだね。何も考えてないってことあるか? 何か考えてるだろ何か?

 いや、ホントに何も考えてない事だってあるだろうけどね。自分だってフト放心状態になることがあるし、ないとは言えないけど。

 時としてこの言葉の上に、「私ってバカだから」ってオプションが付くこともある。でも、これがクセモノなんだね。一見へり下って言ってるようだが、ホントに自分をバカだなんて思ってるだろうか?

 言葉なんてものは、そもそも言葉通り作用していない事の方が多い。えてしてこの「バカだから何も考えてない」って言葉には、実は逆に「あんたなんかには言っても分からないのよ、このバーカ!」という意味が込められていることが多いんだよな。

 あるいは何かを言いたくない時。ウソをつくのは抵抗があるから、「何も考えてない」と言ってかわそうとするわけ。確かにこれは女独特の言い回しだよな。

 だが一番多いのは、言葉に出来ない…という意味が込められている場合じゃないか? 僕は男だからよく分からないが、女は本能的に、理屈では分からない言葉に出来ないことが世の中にはあると知っている。だから、それをムリに言葉にするヤボは犯すまいと「何も考えてない」と言う。または、それを説明しようとすると面倒くさいってこともあるよな。

 その点、男はそれを何とか理屈にしようとする、理屈に当てはめようとする、言葉にしようとする。でもそれってどこか事の本質からズレてくるよね。男がしばしば自分の本当の気持ちを伝えそこなって女に誤解を受けたり怒らせたりするのはそのせいだし、自分一人で頭の中で考えた時に一人よがりに間違った方向に考えがいっちゃったり、極端な方向に走ったりしちゃうのも、そんなムリがたたってるから。

 所詮、人間の行いや概念や言葉なんて、どんなにキメ細かく考えたり言ったり書いたりしてもどこか極端でデジタルの0と1みたいなものになってしまう。ドットがどんなに細かくても画像がキレイになるだけで、実際の見たままには永久にならないのと同じこと。でも世の中は、どこまでいっても割り切れないアナログの世界。

 だから昔の人たちが夫婦ゲンカなんかで最後は寝床の中に持ち込んで、ゴチャゴチャ言わずに解決したのも、ある意味では正しいのかもしれないね(笑)。あぁまったくメンドくさいよ現代人は。

 …なんて言ってること自体、分かったつもりで分かってない男が、屁理屈で詰め将棋やってるようなものか。ともかく、アルベルト・モラヴィアの小説を現代フランスを舞台に映画化した「倦怠」でも、ヒロインがあの「な〜んも考えてない」って台詞を言っているんだね。そして、このヒロインがまんま「な〜んも考えてない」感じ。

 

自分優位のはずが、いつの間にかストーカー

 大学の哲学教授シャルル・ベルリングは、最近どうにも気分がすぐれない。別居中の女房アリエル・ドンバールが開いたパーティーで、さぁ楽しんでと言われても何だかイライラしてる。あなたのファンだと言い寄ってくる若い娘もすげなく扱って、あぁもったいない。一人で居心地悪そうに振る舞って、回りの連中までシラけさせるタチの悪さだ。でもドンバールは別居中の女房にも関わらず話の分かる女。しょうがないわねぇてな感じで、このワガママ男のグチを渋々聞いてやる。だが、ドンバールが男といい仲になったという話でも出ると、聞く耳持たずにすぐキレちゃうトコトン自分勝手なガキ男だ。

 前々から書こうと思ってる本も全然進まない。具合が悪いと医者に行ってもきわめて健康体なんて言われてカッコ悪し。本の執筆のためにセックスは控えてるんですなんて自慢しているなんて、まるで「恋の骨折り損」の主人公たちみたいに青臭いこと言ってるのが、そもそもバカなんだけど本人至ってマジメで、この俺の本気、深刻さが分からない奴らこそバカなのだと思いこんでるからホンマもんの大バカだ。

 ある日、車で街をブラついてると、ハゲた中年男ロバート・クレイマーが女を連れて歩いているのを見かける。何の気なしに見つめてると、この男と女が路上で大喧嘩。女が男を振り切って歩いていっちゃうじゃないか。それを追っていくと、ハゲ男クレイマーが怪しげな店に入っていく。なぜか彼を追って、お店に入るベルリングであった。

 お店の中ではビール1本頼んで茫然自失のクレイマー。やがて店を出ようとするが、ハゲ男お金は一銭も持っていなかった。家に金をとりに帰るなどと寝言言ってるものだから、こうした怪しげな店の常として、店の用心棒風情の男にボコボコにされる。見かねたベルリングはそれをとどめてお金を肩代わりしてやった。するとクレイマー、お金の代わりに…と自分が持っていた絵を渡すじゃないか。そんなモノもらっても困るのだが、住所が書いてあるから、家に来てお金と絵を引き替えに…と言い張られれば仕方ない。

 ところが後日、このクレイマーのアパートに行ってみると、とっくにこの男くたばったと言うではないか。それも近所の連中が死因を訳ありに言うところ見ると、どうも女と一戦交えた最中に文字通り昇天したようだ。チャンチャカスカチャカスッチャンチャン…って笑点じゃないよパフ(笑)。

 男の残した絵を見ると、何だか妙に豊満なカラダの女の裸婦像。ますます興味持ったベルリングは、こっそりクレイマーのアパート忍び込んでみると、ちょうど女が出てくるところにブチ当たった。カラダ全体がパーンと張ってムチムチな女、このソフィー・ギルマンこそ絵のモデルに違いない。興味にかられたベルリングは女を質問責め。見渡すと部屋にはこのギルマンの絵がワンサカあった。例の昇天の日に一緒にいたのもこの女。クレイマーとは絵の先生として知り合い、そしてモデルをやるようになって、愛人になったという。クレイマーは彼女にいたくご執心になって、死んでもいいからやりまくろうという勢いだったとか…な〜んてことを聞いているうち、ベルリングも「恋の骨折り損」の連中とご同様、だんだんムラムラくるじゃないか。だから言わんこっちゃない。

 やがてベルリングはこのギルマンを自宅に連れ込みやりまくり。こんな女のどこがそんなに溺れるほどいいのか突き止めてやるとか何とか言って、会話もロクになしでとにかくイタすのであった。それをまたドンバールに逐一ご報告。何だかへ理屈並べても結局やりたいだけなのに、ベルリングってどうしても何か自分が正当で立派なことしてる理屈が欲しいんだね。別にあんな女好きじゃない、どうやって別れようか、傷つけたくない…とかてめえ勝手なことばかりヌカしてる。そんなに無傷で別れたければプレゼントでもあげたらとドンバールに言われ、プレゼントまで買って自宅で待ってたら、彼女いつまで待っても来ないじゃないか。すると好きでもない、別れたいはずのつまらない女だったはずなのに、イライライライラカリカリカリカリ。あげくの果てにまたまたクレイマーのアパートまで乗り込んで、彼女の電話番号ゲットして怒ってかけると、妙なアエギ声が聞こえるじゃないか。

 ベルリングはホイホイついてきてホイホイ寝たこの女を、自分のことを愛してるとか勝手に思いこんでるけど、それは本当に思い込みだけ。次にこの女が部屋に来た時、週2回にしましょとか言われてキレちゃうベルリング。来たら来たで駄々をこね、ああだこうだと質問責め、いない時には追いかけ回し、その振る舞いはとっくに常軌を逸してる。男友達がいて映画プロデューサーに紹介され、映画出演の話があるだなんて見え透いたウソを重ねられて、それでも愛想尽かせず逆に執着強くする。それをまた延々と聞かされるのだから、いくら人の良いドンバールもつき合い切れなくなってくるよな。

 しまいにゃ絵の先生と偽ってギルマンの家に上がり込むが、もうそれが女への執着だってことが自分でも分かってない。それも例の男友達とのお約束とかで、途中で出かけていなくなっちゃうギルマンだった。

 案の定と言うべきか、ついには男友達とやらともデキてると告白されても、ベルリングはもう女と手を切れなくなっている。両方好きで別れたくないと言われても、もはやなすすべがない。最初自分が優位に立ってると思いこんでいた男は、何のことはない、すっかり女のペースにハマり込んでるのだ。「どっちかと言えばアナタが好き…」なんてギルマンに言われりゃ、デレッとヤニ下がるバカな男ベルリング。しかしその後、質問責めにはイヤになっちゃうわとしっかりおキュウもすえられる情けなさ。だって、アタシ答えに困っちゃうもの、時にはウソもつかなきゃならないし…。そのウソって、「本当に好きなのはベルリングだ」って言った言葉のことじゃないのか?

 しまいにゃおまえは淫売だとか何とか言って金をつきつけ、自分はカッコつけたつもりかもしれないが、女はホイホイ金をもらって何も恥じない。あげくの果てに結婚迫るが、ギルマン一向に喜ばない。当り前だよ、まだ分からないのか。

 若い男友達とバカンスに出かけると言えば銀行預金を下ろして、旅行に行かなければ金をやるとまで言う。金はいらないと言って打算じゃないとこ見せるギルマンだったが、さんざベルリングに自分のカラダを貪らせた後には、もらわないけどお金貸してちょうだいとくる。男との旅行を思いとどまらせようと用意したはずの金なのに、結果的にはこの金で二人がバカンスを楽しむんだから、ベルリングはまるでお人好しのバカ。

 結局、行き着くとこまで行っちゃったベルリングは…。

 

ルンバなつメロに象徴される男のコッケイさ

 映画が始まるとすぐ、画面にクレジット・タイトル出ている間、ルンバみたいななつメロが聞こえてくる。これがかなりコテコテのサウンドとメロで、イヤでも頭にこびりつく。日本で言えば昭和30年代に流行ったラテン・フレーバーあふれる歌謡ポップスふうで、昔のザ・ピーナッツか誰かが歌いそうな曲。映画ではこの歌に一切説明ないし字幕すら入らないけれど、こういうラテン風味の歌の常として、恋の辛さや情熱をマジも大マジで歌い上げているような内容なんだろう。でも、それって今聞かされたら、何となく笑っちゃうどこかコッケイなものなんじゃないか。映画「倦怠」が濡れ場満載で男と女の抜き差しならない関係を描いたお話だとしても、決して深刻でシリアスなものになりえないということは、冒頭のルンバなつメロ一曲聞いただけで分かるよね。

 で、冒頭のパーティー場面で思いきり居心地悪そうな主人公ベルリングは、世俗的でありふれたお楽しみで喜んでる他人が愚かに見えて仕方がない。自分はセックス絶ちまでして深遠な思索に耽っているのに、こいつら何てバカなんだ。

 画家ロバート・クレイマーとソフィー・ギルマンとの情痴な関係に、三面記事みたいなエロ的好奇心持ってつつき廻してるのに、この男はそれも自分だけは何か立派な意味があってやってるんだ、知的探究をしてるのだという意味づけをしないではいられない。実はこれこそホントにな〜んもないんだけどね。こんな気取りばかりのこの男は当然のごとく自惚れも強いし、徹頭徹尾自分勝手だ。自分のグチを浴びるほど別居中の女房アリエル・ドンバールに聞かせながら、いざこの女が自分の悩みを聞いてもらおうとすると、やれ忙しいとか言って一向に聞こうとしない場面が一番それを表わしている。

 あげく女が自分に惚れているとか不実だとか結婚すりゃ喜ぶとか…ああだこうだと男は考えるんだけど、どれ一つとして本当は確証がない。男の頭の中で、見当違いの詰め将棋が勝手にもう始まっているんだよね。

 最後の頃は完全にストーカーと化すこの男。確かにコッケイでバカげているが、果たしてバカと言い切れるか? これはお話だからかなり誇張して描かれているが、この男を水で80%くらい薄めてカルピスみたいにすれば、そこに僕ら男の共通した姿は見えてきはしないか?

 僕ら男は自分勝手で、自分が利口で人よりまさっていると思いたがる。でも、女は「な〜んも考えてない」だ。もちろんこっちもかなり極端に誇張されてはいるけどね。その時その時でしたいようにする、なるがままになる。この映画のソフィー・ギルマンは決して男を振り回しているわけではないし、策略を張り巡らしているわけでもない。そういう意味ではトコトン悪意がないのが、この映画のヒロインなのだ。

 本当は男だってしたいようにしてるし、なるがままになってるはず。…というか、人間はそうにしかなりようがないんだけどね。だけど男の場合、そこに「自分の考え」とか「ポリシー」とかをムリヤリくっつけたり、何かの枠にハメ込んだり、何らかのアリバイづくりをしようとするから変な事になるんだ。だからここは、自分よりある一点でまさる人を見習うことから始めたほうがよくはないか? 人間は考える葦であるなんて、時々にはジャマになる時もあるよ。

 な〜んも考えないでみろよ、たまにはさ。

 

 

 

 

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