「タイタス」

  Titus

 (2000/12/18)


二子山部屋に見る人類紛争の火ダネ

 それにしても大相撲人気の凋落って、目を覆わんばかりらしいねぇ。聞くところによれば、大入りになるのって一場所のうちいくらもないんだって? でもかつても一度相撲人気ってガタ落ちになったのに、ここ10年ぐらいは一気に盛り返してたんだよね。で、その時の相撲人気挽回の立役者が二子山部屋出身の一連の力士たち…中でも若貴兄弟が代表するヤングパワーだったんだから、今の凋落ぶりも致し方ないのかもね。

 そうそう、一時は優勝に絡んでくるのが二子山部屋の力士ばっかりだったから、相撲がつまんなくってねぇ。あの時期の二子山部屋っていい事ずくめだったよね。神聖二子山帝国って感じ、そこに君臨する二人の若きプリンスって感じで若貴兄弟がいた。で、この兄弟がお互い助けあって頑張ってる感じが、人気盛り上げの原動力にもなってたんだ。

 発端は一体何だったろう? 貴乃花と宮沢りえの婚約かなぁ? どう考えても似合わない二人だもんねぇ。何でも最初に会った時、宮沢りえは積極的に迫って自分のヌード写真集の本を渡したんだとか。この女がケチのつきはじめだったのか。俺もあんな女やめときゃいいのにって思ったよ。もっとも、宮沢りえもこれ以来いい事なしだから、どっちもどっちか。

 それとも貴乃花があの整体師とやらにマインドコントロールされたのが発端かなぁ。でも、あんなアブない事ばっかり言ってる整体師ごときに、何でいとも簡単にノセられちゃったんだろ?ガキの頃から相撲しか知らなかったから、まんまと信じちゃったのかね。それにあの整体師も、あんな事を貴乃花に吹き込んだのって何が狙いだったんだろ?最初から二子山部屋を崩壊させるのが狙いだったのか?

 それにしてもあの貴乃花がいきなり兄貴の若乃花にタテつくとは誰が想像していただろう? 仲の良さが売り物の兄弟…いや、それが虚像だったとは思えないな。あれは本当に仲が良かったんだろう。でも、そんな二人にも悪魔は忍び寄るんだね。その後、今に至るまでこの兄弟、いやこの部屋全体から伝わってくるニュースと言ったら…若と嫁さんの美恵子さんの関係修復不可能、若が女子アナと不倫(また女子アナか。誰か下半身だらしなくない女子アナっていないの?)、若が相撲協会離脱でタレント宣言、貴が株に手を出して破産状態、貴の嫁さんで元・フジテレビ女子アナ(またまた女子アナ!それも、選りによってバカぞろいのフジ!)の景子さんが離婚準備中のウワサ、兄弟の母親でもあるおかみさん憲子さんの青年医師との不倫、貴の憲子さん「母親失格」発言、憲子さん不倫を開き直っての暴露本「凛として」出版(しっかし不倫した奴がどうして「凛と」しちゃうの?人殺しした奴の人権ばっかり守られたり世の中絶対おかしいぜ)、親方とおかみさん離婚秒読みのウワサ(これも不倫してたおかみさんの方がなぜかイバってる)…とまぁ、力士やめた舞の海が「技のデパート」だったら、こちらはさながら「スキャンダルのデパート」とでも言うべき華やかさ。しかし一体どうやったら、あれほど栄華を誇っていた部屋をここまで落ちぶれさせられるのだろう。うまくいってる時は部屋一丸家族一丸となってやっていただろうに、今じゃ誰も彼もが憎み合っているようにしか見えない。しかも、特定の誰かが悪いんじゃなくって、どいつもこいつも責任があるように見えるのが凄い。こんな事って本当にあるんだねぇ。

 これは一つの家族の崩壊の過程と言うべきものだけど、僕が初めてコピーライターを名乗った職場の崩壊劇も凄まじかった。あれも、ある女の出現が原因だけどね。ちょうど職場の人間関係の崩壊が進行している間、職場で流していたラジオが湾岸戦争の突入までの過程をニュースで伝えていたっけ。その時、僕は分かったんだ。職場のいがみ合いも国家単位の紛争も、人間の争い事に違いはないって事が。そして、そこに複数の人間のいる限り、争いの火ダネは常に存在するって事も。実にどうってことない事から、憎しみが生まれてくる。そして、それはいとも簡単に伝染し拡大していく。あの同じ職場の女だってさぞや面白かったろうよ、軽い気持ちで自分がバラ巻いた憎しみのタネがあっという間に職場全体に広がって、それでみんながジタバタしていったんだから。

 憎しみは伝染する。そして、それは際限がなく拡大していく…今から400年以上前に発表されたシェイクスピア作品「タイタス・アンドロニカス」も同じことをいってるんだと、映画「タイタス」を見ると痛感させられるよ。

 

憎しみが憎しみを呼ぶ哀愁のローマ帝国

 いきなり現代のガキが、台所でオモチャ使って戦争ゴッコやってる場面から始まる。このバカバカしさ、このさりげない日常性。作者が言いたいことは分かる。ところがいきなりどこかで爆弾がド〜ン!古代戦士みたいのが現われて少年をかっさらって、やってきたのはローマ帝国のコロシアム。ゴート族との戦いで勝利を収めた武将=タイタスことアンソニー・ホプキンスが、兵士たちとともに勝利の凱旋を行っているところ。この映画、兵士たちは古代の武将ふうコスチューム、場所もコロシアムとそれなりの時代設定に見えながら、そこにバイクやら戦車やら銃が出てくるあたりに「ここはどこ?私はだれ?」的な気分が常に付きまとう。こんな時空を越えたムードが全編に流れるのが本作のスタイルだ。

 勝ったホプキンスはしかし今回も痛い代償を払っていた。息子たちが多数戦士したのだ。20何人かいた息子たちも、いまや残ったのはわずか4人。墓に死んだ息子を葬るにあたって霊を慰めるには生贄がいると、どこぞのアヤシげな整体師にマインドコントロールされたか、ホプキンスは捕虜として捕えたゴート族の王族生き残りのうち、第一王子を殺すことにする。当然、長男を殺されることになるゴート族女王タモラことジェシカ・ラングは、泣いて懇願して長男の命乞いをした。それでも眉毛ひとつ動かさず、習わしだからと第一王子を殺すホプキンス。よせばいいのに何で無理やりそんな事したのか。そこに勝者の奢りはなかったのか。ホプキンスとしちゃあ、生贄がいると決まってる以上その「カタチ」を踏襲するのが大事で、それが本当に必要かどうかなんて知ったこっちゃない。ともかく、あれだけ頼んでも聞き入れられず、あたら無駄に長男の若い命を散らされたラングは、この恨み忘れまじと胸に誓った。そんな事は夢にも思わずご機嫌なホプキンス、部下やOLに嫌われてるとはツユ知らず平気でオヤジギャグ飛ばしてる中年上司にも似てるかも。長い目で見れば、これが過ちその1だった。

 さてさて、ちょうど何とも言えないタイミングでローマ皇帝が死んだ。二人の王子がそれぞれ王位継承を巡って争う。片やファシスト体質ミエミエの長男アラン・カミング、片や民主政治を約束する次男ジェームズ・フレイン。フロリダでの開票結果やら手作業での集計なんぞ待たずに、それぞれ支持者を集めて大騒ぎだ。だが、ローマの市民代表で構成される護民官たちは、華も身もある指導者としてタイタス=ホプキンスを推す。だけどホプキンスを選んだ護民官のリーダーが彼の弟コーム・フィオールじゃあ、決戦のフロリダ州知事がブッシュの弟だったんで納得できないゴアみたいに、こじれる原因になりかねないやね。しかも、次男のフレインってホプキンスの娘ローラ・フレイザーの婚約者だ。さぁ、王子たちも、ホプキンスもどうするどうする?

 一旦みんな決定をホプキンスに委ねた。悔しがるカミングも、民衆に人気のホプキンスには一歩譲らざるを得ない。で、どうなるか?

 ホプキンスには選択の余地がなかったんだ。自分にしてもフレインにしても、どうしても出来レースの臭いが濃厚だしね。それに何しろ、カミングは第一王位継承者だからスジが通ってる。何といっても「カタチ」を重んじるホプキンスだからね。それで、彼の裁量でファシストのカミングを皇帝にした。あぁ考えてみれば、これが過ちその2

 ところがこのカミング新皇帝、偉くなったとたんホプキンスの娘フレイザーを妃にすると言い出した。すると、何せ「カタチ」が大事でそれを曲げる気なんてないホプキンスだから、オーケーするしかない。娘に婚約者がいてもどうしようもない。それを聞いていた息子たちと弟護民官は頭に来たが、ホプキンスは皇帝に忠誠を誓ってるから娘を差し出すしかない。止める末の息子にキレたホプキンスは何と自分でこの息子を殺してしまった。それでますます状況悪化。息子たちと娘には逃げられる。しかも、皇帝には娘に逃げられたことをとがめられる。何でこうなるの〜?

 この瞬間を、ゴート族女王ラングは見逃さなかった。彼女は自分の息子である二人の王子ジョナサン・リース・マイヤーズとマシュー・リース、そして自分の奴隷にして愛人であるムーア黒人ハリー・レニックスとともに、カミング皇帝に献上されて解放されたばかり。すかさずカミング皇帝に言い寄って妃となり、自分の身の安定と復讐の足掛りをつけるのだった。

 ホプキンスはもう何言ってもやっても、周囲から浮きまくり、息子たちからは親父は古いんだよと相手にされないガンコジジイ状態。こうなるとこっちだって譲れなくなるムキになる。そこを何とラングが皇帝に取りなして名誉回復してもらって、一応息子たちとの仲も自分の地位も元どおりにはなった。だけど、どうもホプキンスはスッキリしない。第一、あの女が取りなしたというのが気に入らねえんだよ。 

 そこから後はホプキンスにとって最悪のシナリオだった。復讐の女王ジェシカ・ラングと、その知恵袋にして上をゆくムーア人の悪党ハリー・レニックス、そしてラングの王子で手のつけられない不良王子ジョナサン・リース・マイヤーズとマシュー・リースの思うツボ。ラングは今や王妃だから余裕しゃくしゃく。アラン・カミング皇帝なんか軽く手玉に取る。カミング皇帝はすっかり骨抜きにされて、それでなくてもアホなのに志村けんのバカ殿並みにアホさ加減に磨きがかかる。家臣の田代まさしはもういないしね(笑)。ドラ息子王子二人はもう手がつけられやしない。宮廷地下室をゲーセンに改造したりやり放題。あふれ返る性欲を向ける場所がなくて暴れてる。だが、中でもピカイチのワルがハリー・レニックスで、ここに来てまさに水を得た魚のよう。その黒い肌ゆえに虐げられてきた過去が、この男を情け容赦ない悪の道に走らせたか、とにかく天晴れなほどのワルぶりを見せ始める。こうして、ジェームズ・フレイン王子は殺される、婚約者にしてホプキンスの娘ローラ・フレイザーは犯され舌を切られ両手首を切断される、フレイン殺害の濡れ衣を着せられホプキンスの2人の息子は死刑になる、その息子たちの助命嘆願のために皇帝に差し出す必要があると騙されホプキンスの左手首は切断される…と、ほとんど不幸のジェットコースター状態

 落ちるとこまで落ちてキレかかったホプキンス、ドン底まで落ちたと悟った段階で開き直ったか逆ギレか、ついにラングとカミング皇帝に反撃することを決意。

 ちょうどその頃、ホプキンスの残る唯一の息子が、敵だったゴート族の元に下ってローマ帝国に向かって一斉蜂起を始めた。タイタス=ホプキンスの復讐が今、火蓋を切ったのである!

 

人類普遍のドラマと描いてはいるが…

 この映画を撮ったのはジュリー・テイモアという女性監督。何とディズニーがブロードウェイに進出して何作めかのミュージカル「ライオンキング」の演出家と聞いて、正直言ってゲッと思ったんだよね。だって「ライオンキング」って、出演者が頭の上にキャラクターの動物の顔を乗っけて演じる、幼稚園のお遊戯状態なんだろ?あんなの大人のやることじゃないよな(笑)。と思ってたのは僕だけの偏見だったか、「ライオンキング」ってトニー賞を受賞するほど名舞台だったみたい。で、名声を確立して万を持して映画に乗り込んできたのが、この「タイタス」だったとか。いやはや、「ライオンキング」つかまえて幼稚園のお遊戯なんて言っちゃいけないんだね。危ない危ない(笑)。実際のところは、そのずっと前から前衛的な舞台でかなり知られていた人みたいで、知らぬは俺ばかりなり。無知は恐いですよ、ムチとろうそくは(笑)。

 で、とにかく馬力あるんですよこの人の演出。すげえエネルギッシュで、とんこつスープでコテコテって感じ。それに圧倒されて、2時間半を超える上映時間も長く感じなかった。でも、その中にはかなり不愉快な設定や強烈残酷描写もあるんだよ。でも、とにかくすごい腕力で最後まで見せ切る。途中、何箇所かちょっと寒いイメージショットなんか挿入されて、あれ何とかしてくれとは思ったけどね(笑)。分かってないのかな俺?

 シェイクスピアを現代に持ってきちゃって、古典でなく今の我々のお話なんだぞと目の前に突きつけてくる作戦ってのは、ハッキリ言ってもうありふれているんだよね。例えばこの映画でも、ローマ軍やゴート軍はバイクに乗ってたり今ふうの軍服着てたり。護民官はネクタイ付けてるし、ジャシカ・ラングのドラ息子どもは地下室でテレビゲームやってる。だが、一方で古代戦士の装束も出てくれば古い建造物も出る。要はいつの時代ともどこの国とも分からない設定だから、この憎しみが憎しみを生む物語に、いつの世にも行われていた人類の愚行への普遍性が生まれているんだね。

 そして愚行の最たるところは、ジェシカ・ラングもアンソニー・ホプキンスも、それどころか登場する人物すべてが凄まじい憎しみに翻弄されるだけでなくって、自分にも非があるのでは?なんてこれっぽっちも最後まで思わないこと。復讐する理由が自分にあるってことは誰も彼もが確信しているくせに、やられる理由もあるんだなんてことは夢にも思ってないんだよ。自分だけは正しいと思ってみんな行動するんだけど、その結果生じたのは際限ないカタストロフィーってとこが見ていてツラい。これは我々だってそうだよねぇ。自分が悪いって考える奴なんてこの世にはいねえんだよ、俺も含めて。

 出演者ではホプキンス、ラング以下みんな素晴しい。アラン・カミングのバカ殿ぶりは、本当に志村けんを演技プランの元ネタにしたんじゃないかと思うくらい。だが、何よりも注目なのは黒人俳優ハリー・レニックスだね。元のシェイクスピア戯曲を知らないので何とも言えないけど、当時は当時なりの差別偏見で描かれていた黒人悪役を、現代の目で見ても説得力ある役につくりあげたのは、ジュリー・テイモア演出のおかげもあるが、何と言ってもハリー・レニックスの堂々たる演技のおかげじゃないか? どんなに悪に徹してもそこに卑しさが宿らない。堂々と前を向いて自分に納得して、とことん悪になり切る。そこにはおそらく過去のムーア人としての虐げられた過去があるんだろうに、そんな泣き言も言わずただ黙々と悪を為す。その何に対しても恥じない、悪を悪と知って行っている(実は彼以外の登場人物全員が、自分は正義を行っていると思ってるはず)その潔さ。自分を理不尽に劣ったものとして虐げた白人社会に対し、その阿呆らしさを笑い逆に見下す彼には、どことなく高貴さすら漂うんだね。これを演じ切ったレニックスのボリューム感あふれる演技には驚いた。

 とにかく、この憎しみが憎しみを呼ぶ残酷なドラマを人類普遍の物語としてとらえたジュリー・テイモアの狙いはズバリ的中。人類はみな、このような憎しみ残酷さから無縁じゃない。自分は善人と思ってる人にも悪のタネは眠ってるというメッセージは、かなり説得力を持って発信されている。

 だけどねぇ…残念ながらそれが血を流すような実感としてまでは達してないのが難点なんだよね。分かりやすいし、かなり観ている側に強烈に迫ってはくるんだけど。それはなぜかというと、実はこの作品を物語るにあたって肝心な部分が欠けているからじゃないのか。人類は等しく愚かな罪人なのだ。さよう、で、その愚かな人類の中にはミズ・ジュリー・テイモア、貴女は入っているんでしょうか?

 どうしても彼女自身に愚かな人類の一員なのだという自覚が感じられない。残念ながら、「人類みんな愚か」というロジックをちゃんと分かってる自分だけは違うと思っているようにしか見えない。ここがこの作品最大の弱点だ。だとしたら、ミズ・テイモア、貴女が一番無反省なホプキンスやラングたちに近いんじゃないか?…という皮肉な逆説すら感じられちゃう。僕の見方は意地悪すぎるだろうか。でも、こんな「憎しみはよくないよ」なんて当り前の事を大々的に見せて納得させるには、観る者に痛いほど迫る実感がなくちゃいけないはず。その時、創ってる自分だけが対岸の火事みたいに涼しい所に避難している状態だったら、一体どうやって全世界の人類を納得させられるというのだ。「私もそうだ、愚かなんだ」と言う叫びなしに、そこまでの覚悟なしに、どうやって人に分かれと言うのだ。彼女、ちょっと頭良すぎたのが仇だったんじゃないのか?良すぎたばかりに一番大切なものを見落としてしまった。もっとも人類の愚かさを訴える彼女自身が最も分かってないということで、逆説的に「人類は誰もが自分の愚かさを分かってない」と訴えているんなら、それは凄い捨て身の作戦だとは思うけど(笑)。

 ラスト、狂言回しのように冒頭から出てきた少年が、レニックスの一粒ダネの赤ん坊を抱えて去っていくラストは、やはりここに何らかの希望を託したいということだろう。ここでひょっとしたら、意地悪くご都合主義のエンディングなどという声もあるかもしれないが、僕はここはそうは思わないね。だって、こうあるべきじゃないか。そうじゃないかな。

 僕の前半生は、正直言って憎悪と恐怖の中で空しく費やされてしまった。これはどんなに悔やんでも悔やみきれない。僕が愚かだったんだ。でも、もうこれっきりにしたい。

 残る後半生を、僕はもっと実りある事のために使いたいのだから。

 

 

 

 

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